一話 院不澄を被う影
東北地方某県にある院不澄町は、とても良いところだったと作者は証言したい。
もちろん架空の町ではあるのだが、実在するならば、きっと山々の溢れる自然に目を奪われ、海の香りに安らぎを覚えるだろう。
ただ、いささか交通の便が立たず、生活するには急な坂を越える自家用車は必須ではあるし、海が近いことから家の錆びるのは早い気もする。
コンビニは道案内の目印になるほど少なく、バスの屋根付き待合室には誰が置いたか使い古したソファが幅を利かせる。
いざ行けばジジババとタヌキが歩道もない二車線をノロノロと飛び越える。タヌキはともかくジジババは五メートル先の横断歩道をなぜか使わない。
田舎らしく無人販売所で取れ立て野菜を売ってたのも昔の話でいつの間にか自然消滅小さなカエルが住み着いている。
都会住みの云うようなスローライフとは程遠い不便だけが蔓延する土地。
ただ、それでも院不澄は良い町だったと繰り返したい。
余所者が会釈すれば、挨拶を返す。
困っている人が居れば、助け船を出せないかと一緒に悩んでくれる。
東北のどこにでもある愛すべき町。
ただ、田舎の宿命で少子高齢化も進み町起こしにも一苦労。
とにかくやろうよ町起こし、暑くなりだす七月。
院不澄には昔から夏に三日間、祭りの習慣がある。
伝統と格式ある祭なのだが、町起こしに使うのだからアレンジが掛かる。
少なくとも厳かな祭りなら海沿いに花火を打ち上げたり、余興にマジックショーやら漫才、盆踊り後のカラオケ大会なんて有るわけがない。
ただまあ、現実的に院不澄町夏祭りでは全部やっているし、三日間日替りで参加無料の流しそうめんやら桃の種飛ばし大会、西瓜の早食い、ヅケヒラメのロング巻き寿司作りまでやる予定でいる。
基本の基本、夜店も頑張る。大火力で鉄板焼するヤキソバの美味いこと。
「お姉さん、彼氏居るの?」
「お陰さまで! ヤキソバ三人前お待ちかね!」
テント屋台で額のハチマキが似合いすぎる中聖子陽子は汗を流しながらナンパを跳ね退けた。
実際は音信不通の元彼だけだが、居ようが居まいがスマホ片手で口説かれてOKを出すわけもなく。
若いナンパ男は陽子の勢いに押されるように白ビニール袋を吊り下げて仲間たちの所に戻った。
イヤな客でも割り箸は人数分に五本入れてやる陽子の優しさ。
見れば仲間たちは皆が皆若い男。夏祭りにナンパしに来たのかと陽子は邪推したが、そもそも運営は少子高齢化の進む地元人で、客層も家族連れやカップルばかりだと気付きそうな物だが。
「中聖子さん、休憩どうぞ。代わりますよ」
「わかりました」
今の人、役場の所長さんだった気がする、偉い人まで総出かと陽子も感心する。
そう思いながら陽子は運営用テントに向かい、先に休憩中だった東北らしい笑顔の張り付いたような糸目の青年からペットボトルのウーロン茶を受け取っていた。
「お疲れ様です。すみません、中聖子さん、設営から全部参加してもらって」
「大丈夫です。楽しんでますんで」
陽子はこの町の人間ではない。
人手が足りないとのことで知り合いの知り合いから便利屋同然の陽子に声が掛かった。
朝は運営テントの設営や調理参加、昼が過ぎれば駅からシャトルバスでお客さんのお出迎え。
夜は夜でカラオケ大会の一番手として上手すぎず下手すぎない夏歌を披露して場を暖めてからヤキソバを焼いていた。
スペシャリストらしい技能は大型免許くらいだが、ボランティア参加の町民の十倍は目立つ働き方をしていた。
「盛況で良かったですね。イベントもウケてますし。」
「ええ、明日の西瓜の早食いは陽子さんに参加して貰わなくても大丈夫そうです。予約だけでほとんど埋まってて飛び入り枠が足りないかも、て」
「残念。ちょっと楽しみにしてたんですよ。ここの西瓜は関東じゃ中々手が出ないので」
「アハハ、大会のヤツは規格外で安いのですよ。ちょっと小さいとか柄が悪いとか。味は同じですけどね」
「やっぱり残念。この企画書制作の……キタムラアラシさん? てどの方ですか? 直談判して一切れ貰えないかな」
運営手順の記されたPDF風リストにある運営責任者の筆頭で書いてある“北村嵐”の名を指して陽子は笑い掛けたが、
そこで青年が漂わせた院不澄に来て初めて嗅いだ偽証の臭いを陽子は“職業柄”見落とさなかった。
「ランさんは……どうでしょう、ちょっと見てないですね」
陽子は北村嵐のフリガナを初めて知った。ちょっとした自分の勘違いの可能性と共に。
「見ないって、何か有ったんですか?」
「まあ、その……家出、ですかね。気にしないで下さい」
煮え切らない上、気にするしかないような返事だったが、あまり彼を言及しても仕方ないことも分かった。
自分の“本業”かも知れないな、そう思いながら陽子はタオルで汗を拭い、ハチマキを巻き直してヤキソバ屋台に戻った。
特に首を突っ込む気は無かった陽子だったが、いかんせん、トラブルに巻き込まれやすいのも職業病か。
ヤキソバを焼いていたはずの役所所長が小中学生くらいの男の子に詰め寄られたりしていた。
「だから、鍵を貸してくれって! ひとりで行くからさ!」
「花くん、私たちもちゃんと探したと云っただろう? それにあそこは電気も通っていなくて暗くて危ないんだ」
「その危ないところに嵐姉ちゃんが居るって云ってるだろ!」
花と呼ばれた子は気丈に振る舞いながらもその目には薄っすら涙が伝う。男泣きではない、半ベソと云う現象。
子供の涙は陽子の弱い物のひとつだった。
ついつい陽子は、少年を後ろからヒョイ、と抱き上げていた。
「うわ、なん!?」
「ゴメンね。花くんだっけ? 恥ずかしいとは思うけど、皆が楽しんでる中で騒ぐのはもっと恥ずかしい、分かるよね?」
脇の下から胴体をガッチリと止めており、陽子の細腕のどこにこれだけの膂力があるのか疑問は尽きない。
「話があるなら向こうで所長と私が聞くから、少し待って」
「別にあんたに話聞いて欲しくねーよ! 誰だあんた!」
「私? 私は中聖子陽子、一色探偵事務所所長の探偵よ」
その発言に、花少年の抵抗が止んだ。
そのときの彼は、他の依頼人たちと同じく、期待と希望の解け混じった緊張の面持ちだった。
その後、先ほどの糸目の青年がヤキソバ屋台に入り、少年と所長は運営テントに引き上げ、陽子を含め三人の話し合いの場が作られた。
事件のあらましは、所長は家出と話し、花少年は事件だと力説した。
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