夢翁の恋、一名、僧侶の話
少年の話が終わり、参加者たちは一息ついた。女将の運んできた飲み物に口をつけ、薫製やチーズ、あるいは葡萄に手を伸ばした。雨音は次第に小さくなり、窓をガタガタと鳴らす風も、次第に凪ぎ始めていた。
「イマナちゃんの番だよ」
踊り子が、僧侶の脇腹を肘で小突いた。
僧侶は両手を組んで何やら祈りの言葉を唱えたあと、そっと瞼をあげた。
「わたくしの名前は、イマナ。さしあたり、旅の僧侶をしております。みなさまのような面白い体験はございませんが、ここはひとつ、わたくしの聞き及んだことがらについて、お話ししたいと思います」
ランプの灯が一瞬、すきま風に吹かれて細くなった。
闇の中に浮かんだ僧侶の面立ちは、もの静かで、平穏であった。
「では、始めさせていただきます」
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これは遠い昔、まだVRMMOの創世記にあたる頃のお話です。今のようにゲーム会社が乱立した時代ならば露知らず、当時は両手の指で数えられるほどのサーバしかありませんでした。その中に、カメレオンという、変わった名前のサーバがありました。既に閉鎖されているので、みなさまはもうご存じないかもしれません。
当時はVRMMOを、従来のオンラインゲームの延長でとらえるむきがありました。それは、開発者だけでなく、プレイヤー側もそうだったのです。このことは、ゲームの設計と仕様にも、大きな影響を与えました。つまり……プレイヤーは、不死だったのです。今からすれば、とても考えられないようなことでした。イモータル・エイジと言えば、ご存知の方も多いと思います。
さて、不死が約束された時代、ひとびとはひたすらにステータスを上げ、アイテムをかき集めることに心血を注いでいました。運営の側は、初期に設定されたステータスの上限を切り上げ、新しいアイテムを投入し、ひとびとの関心を買うように務めていました。
しかし、それも終わりのときがやってきたのです。最初のほころびが生じたのは、ゲームバランスでした。度重なるアップデートの繰り返しで、均衡を保つことが、ほとんど不可能に近づいたのです。プレイヤー間の格差、マンネリ、ギルドの人間関係……インターネット上では不満が渦巻き、運営側はそれを無視するという日々が続きました。
次にやってきたのは、人口問題です。VRMMOが爆発的なブームになり始めると、各社はサーバの増設を始めました。しかし、登録者の数に、増設のペースが追いつかなかったのです。申請から許可が下りるまで、一年待ち、二年待ちという状況が、当たり前のようになっていきました。
こうして、イモータル・エイジの終わりが、ひたひたと近づいていたのです。
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「いやあ、懐かしいお話ですな」
商人の男が、その髭を酒に濡らしながら、つぶやいた。
「あら、オッペンさん、まるで当時から遊んでらっしゃるような言い方ですね」
イマナは、意味深長に返した。
「ハハハ、リアルの話は御法度ですが、この外見と格好も、あながち作ってるわけじゃないんですよ。ただ、イモータル・エイジなんて言い方は、当時はしていませんでした。死なないのが当たり前だと思ってましたからな。あれは、後世の懐古ですよ」
「ええ、おそらくそうでしょう。失ってから気づく……よくあることですわ」
イマナはそう言ってから、軽く十字を切った。
それをとなりで見ていたイゾルデは、不満げに腕組みをした。
「まだ話が始まってもないぞ。昔話は、あとにしてくれよな」
イゾルデの血気盛んな催促に、イマナはくすりと笑った。
「な、なにがおかしいんだ」
「いえいえ、失礼しました。たしかに、今のは昔話です。先を急ぎましょう」
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肩たたき、という言葉をご存知でしょうか。会社のそれでは、ありません。満杯になったサーバで、プレイヤーが引退勧告をされることです。運営側は、サーバの度重なる増設合戦を諦めて、既存プレイヤーの側を削減することに決めたのです。それも無理からぬことで、不死を利用したキャラクターの放置、空間の占拠、本来の目的と異なる利用……要するに、出会い系、そのような無駄が目に余ったからです。
運営側は、長期間放置されているキャラクターにメールで警告を発し、一定期間後に削除しました。が、これはうまくいきませんでした。削除されるとなると、物惜しみするのが人間です。だれもが短時間ログインをして、保存に努めるようになりました。次に、規約を大幅に改定して、違反行為については即刻削除という方針をとる会社もありました。しかし、これはプレイヤーからの反発を招きました。グレイゾーンのコントロールに失敗したのです。実際には違反行為をしていないプレイヤーも削除され、裁判沙汰にまでなりました。
内部では格差とマンネリの問題、外部では申請待ちの長蛇の列……さて、どうしたものでしょうか。ええ、もうお気づきかと思います。VRMMOの企業は、全社足並みを揃えて、ある政策に踏み切りました。キャラクターに寿命を設定したのです。
これには、すさまじい反発と、すさまじい賞賛の声があがりました。真っ先に反発したのは、いわゆるランカーの人々です。これまでのすべてを失う。このことは、彼らには堪え難く思われました。他方で、拍手を送ったのは、ゲーム内格差を感じていた人々、あるいは、長い長い申請待ちを耐え忍んでいた人々でした。
人間は滅びねばならぬ!
この合言葉のもと、管理人は冒険者たちに、絶対的な死を言い渡しました。もっとも、これは比喩に過ぎませんし、不死に慣れていた彼らが、あまりにも悲観的になり過ぎたということもあったのでしょう。この改訂は、皆が考えていたほどの混乱をもたらしませんでした。理由はいくつも挙げられます。第一に大きかったのは、課金を日割りに改め、生存していた日数分しか徴収しないと決めたことです。第二に、ひとの入れ替えが激しくなったことで、再登録待ちの時間も短縮されました。ひとづてに聞いたところでは、一週間も待たされれば長い方だったとのことです。第三に……これが一番大きかったと思いますが、殿堂入りという制度が設けられたのです。優れたプレイヤーは、死後審査され、その功績を顕彰されることになりました。こうして今や、死はリセットボタンを押すような感覚で、誰でも気楽にゲームオーバーを迎える時代が訪れたのでした。
しかしながら、万人受けする政策が存在しないように、この改訂に不満を持つ者も、やはりいたのです。今回の女主人公であるノクファも、そのひとりでした。
どのサーバにおいても、冒険者にはふたつのタイプがいます。ひとつは、本当に死ぬことなく、あらゆるイベントの先頭に立ち、ランキングに乗る者、もうひとつは、暇と資金力を盾にして、リセットを繰り返しながら強くなる者。ノクファは、後者でした。彼女は資産家の令嬢で、それこそ一日中ゲームに入り浸ってもなにも言われない身分でした。両親が、彼女をひどく甘やかしていたのです。
「私は死にたくないわ」
ある日、実力よりも高難度のダンジョンに誘われた彼女は、こう答えました。
「頼むよ、ノクファ、おまえがいないと回復役がいないんだ」
「いやよ」
「そんなに死ぬのが怖いのか? 再登録すればいいだけだろう?」
そう言った男の顔を、ノクファは軽蔑したように睨みつけました。
「私は死ぬためにここへ来たんじゃないわ。そんなのは現実で十分よ。老いもなく、本当の死もない世界を提供するのが、ヴァーチャルの役目じゃないの? 違う?」
「本当に死んだりはしないさ。何度も言うようだが、再登録すればいいんだ」
「同じことよ。これまで集めてきたアイテムすら持っていけないなんて、そんなの生まれ変わりと一緒だわ。それを死と呼ぶのよ」
彼女が吝嗇だったわけではありません。むしろ気前のよいほうでした。遠征の下準備などにおいては、ひとより多く出すことすらあったほどです。もともと裕福な出ですから、お金の使いどころというものを、よく心得ているのでした。
相方の男は、大きくため息を吐きました。
「なあ、戦闘で死ななくても、そのうち寿命はくるんだ。この館でぼんやり過ごしても、結局は死ぬことになる。それじゃあ、ただのヴァーチャル・ライフだ。違うか?」
ノクファは、男の胸を人差し指で小突きました。
「私は、なんとかしてみせるわ。死なない方法を考えてみせる」
男は唇を軽く噛み、うつむき気味に首を振りました。
「おまえは、うぬぼれてるよ。世界の仕様は、だれにも変えられない」
「変えられるわ。現に私たちは、死ぬようになったじゃない。違う?」
男はうっすらと目を細め、それからハッと見開きました。
「おまえ……運営に掛け合うつもりか?」
「そのつもりよ」
「リアルでどれだけ偉いのか知らんが、無謀なことはやめろ」
「あなたには関係ないでしょう。死にに行くなら、行きなさい。とめないから」
こうして、ふたりは決裂しました。もっとも、冒険仲間というだけのことで、それ以上のなにかがあったわけではありませんけれども。
ノクファはこうして、館にひとりきりの生活が続きました。運営に掛け合う。半分は本気でしたが、半分は強がりだったのです。いくら実家がお金持ちでも、業界ルールとして定まったことを覆せるわけがありません。
しかし、泣き寝入りするつもりもありませんでした。こういうところで、抜け道があることを、彼女はよく知っていたのです。彼女は、リアルのほうのコネを通じて、サーバの運営とコンタクトを試みました。はじめは、つまり、メールでのやりとりはうまくいったのですが、そのさきが進みません。遠回しに尋ねても、のらりくらりとした返答が返ってくるだけでした。このあたりは、運営も百戦錬磨。クレーム処理の達人というわけです。
「埒があかないわッ!」
パソコンのキーをバシリと叩いて、リアルのノクファは悪態をつきました。電気を落とし、薄暗くなっている室内に、彼女のシルエットだけが浮かび上がります。ノクファはしばらくのあいだ、じっとスクリーンを見つめていました。人間、本当に考え事をしているときは、うろうろとはしないもの。彼女は、真摯に永遠の命を望んでいるのでした。
「……こうなったら、お父様に頼んで」
彼女が爪をかるく甘噛みしたとき、ふいにSNSが反応しました。
新着メッセージ。日付は既に変わっているというのに、変わった出来事でした。
ノクファは、ややいぶかりながら、メッセージをチェックしました。
「……夢翁?」
差出人欄には、見たこともない名前がありました。
本名には思えません。おおかた、ダイレクトメールかと思いましたが、それならばジャンク扱いになっているはずです。ウィルススキャンも通過していました。
そして、決定的なのは、そのタイトルでした。
不死処置について
ノクファは無意識のうちに、メッセージを開いていました。
夢翁:○○(運営名)にメールを送ったのは、あなたかな?
たったそれだけの、簡潔なメッセージでした。
しかし、これだけでも、ノクファの好奇心をそそるには十分でした。メールの送信は、運営にしか把握されていないはずだったからです。
ノクファ:どなたですか?
夢翁:○○のメンバーだ
ノクファ:お名前は?
夢翁:それは明かせない
ノクファ:では、メンバーだという証拠はありますか?
夢翁:きみの相談内容を知っているというだけでは、ダメかね?
ノクファ:なにか、もうひとつ証拠をいただきたいのですが。
そこで、やりとりが一回途切れました。
夢翁:そんな態度で、私が怒るとは思わないのか?
ノクファ:なにか取引をお望みなのではないですか?
特別措置をとってくれたら、報酬を支払う。
運営宛のメールには、そのことがほのめかされていました。
夢翁:なるほど 報酬を支払うからには、ちゃんとした証拠が欲しい、と
ノクファ:そういうことです
夢翁:ならば、こうしよう 明日、きみの館にサラマンダーを一匹よこす
ノクファ:サラマンダー? なぜモンスターなのです?
夢翁:そのサラマンダーを倒したときに、レアアイテムを落とすことにしょう
レアアイテム。そのひとことで、ノクファは相手の真意をさとりました。
サラマンダーのような低級モンスターが、レアアイテムをドロップすることなどありえない。だから、プログラムへの不正アクセスしかない。夢翁は運営のメンバーとして、不正アクセスをすると言っているのだ。ノクファは、そう解釈したのです。
ノクファ:いつログインすればよいですか?
夢翁:私は運営だよ きみがログインしたら、すぐに分かる
ノクファ:いえ、そうではなく、どのくらい準備期間が必要ですか?
夢翁:いまからでもいいよ
ノクファは、やや不審に思いました。いくら運営でも、即座にプログラムを書き換えられるとは、思えなかったからです。
ノクファ:ほんとうに、いまからでもいいのですか?
夢翁:アイテムのドロップを変えるくらい、わけない
ノクファは、しばらく画面を見つめました。
即座に書き換えられるほうが、より真実の証明になると考えました。
ノクファ:わかりました すぐにログインします
夢翁:それでは、またあとで
ノクファは、パソコンを立ち上げたまま、室内のログインカプセルに移動しました。ボタンを押すと、空気の抜ける音がし、上部の蓋がひらきます。なかには、まっしろなベッドと、いくつかのコードがみえました。右手の位置には、タッチパネルもあります。
ノクファは寝間着姿で横たわると、コードをこめかみに貼り付け、パネルを操作しました。蓋が閉じ、やや息苦しい状態になります。背中に羽毛の感触を覚えながら、彼女は目を閉じました。そして、ログインボタンを押したのです。
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彼女は、いつもどおり、館の寝室で目を覚ましました。ベッドから降りて、テラスへと出ます。さあ、サラマンダーは、やって来るのでしょうか。来ないのでしょうか。太陽は中天へと昇り、南向きのテラスからみえる空は、どこまでも青く澄み切っていました。雲ひとつありません。
「……騙されたかしら」
ノクファは、心配になりました。もし夢翁が管理人でないならば、不正アクセスの犯罪者ということになります。自分の個人情報が漏れているのではないか。そのような不安に襲われ始めたとき、空の一点に、黒い染みが現れました。それはだんだんと大きくなり、こちらへと向かって来ます。
彼女は、驚きました……サラマンダーです。目当てのものが現れたというのに、彼女は驚いてしまったのです。内心では、半信半疑だったのでしょう。あるいは、宝くじに当たったときの驚き、とでも言えましょうか。期待した結果に対する驚嘆。
サラマンダーは、ノクファに襲いかかることもなく、館のうえを旋回しました。彼女は右手を高くかかげ、攻撃呪文を詠唱します。
「!!」
巨大な氷の刃が、サラマンダーの胸を貫きました。撃破エフェクトが発動し、鱗を纏った赤い肉体が、粒子となって四方八方に飛散します。そして、真っ赤に光る小さな宝石がひとつ、空からゆっくりと降りて来ました……レアアイテムです。
ノクファは、ドロップアイテムの改ざんを確認しました。
「あのひと……本物だわ……」
夢翁は、管理人だった……ノクファがそれを確信したのか、それは分かりません。もしかすると、腕のいいハッカーかもしれませんので。彼女がその可能性に思い至ったのか、それともあっさり信用してしまったのか……それは、みなさまの想像にお任せします。
彼女はベッドにもぐりこむと、ふたたびログアウトしました。
夢翁:信用してもらえたかな?
ノクファ:はい
夢翁:では、私が報酬を要求する番だ
ノクファは、おやっと思いました。
まだ、不老不死にはしてもらっていないのです。
ノクファ:待って 前払いにするつもり?
夢翁:金はいらない
彼女は、パソコンの画面のまえで、固まりました。
ノクファ:なにが欲しいの? 一番足がつかないのは、お金だと思うけど?
夢翁:じつはね、私とデートして欲しいのだよ
しまった。ノクファは、舌打ちをしかけました。
明らかに、売春の誘いだと思ったのです。
ノクファ:それはパス この話、なかったことに
夢翁:勘違いしないでくれたまえ リアルで会いたいわけじゃない
ノクファ:じゃあ、どこで? まさか、ゲームのなか?
夢翁:そう ゲームのなかだ
ノクファの手が止まります……ゲーム内恋愛。いわゆる、キャラクター同士の恋愛プレイを楽しむ、非公式な遊び方です。みなさまもご存知かと思いますが、VRMMO内での恋愛は、厳禁になっています。風俗業とみられて、警察に立ち入られるおそれがあるからです。しかし、ほとんどのサーバで黙認状態なのも、また事実でしょう。
ノクファは迷いました。この取引を受けたものかどうか。
ノクファ:あなた 運営なんでしょ? そんなことしていいの?
夢翁:恥ずかしながら、一目惚れというやつでね
あっさりとした告白。不気味なものです。顔もなにも分からないのですから。
しかし、今宵のノクファは、月の光に照らされたせいか、狂気に陥っていました。狂気というものは、大げさな身振りや声で示されるとは限りません。ひとの精神を蝕む、小さな虫のようなもの。ノクファは、その虫に、細い細い穴をうがたれようとしていました。
ノクファ:分かったわ それで取引しましょう
夢翁:ありがとう
ノクファ:ただし、いくつか条件があるわ
彼女は、両手で数えきれないほどの条件をつけました。プライバシーの保護に関するものから、細かい付き合い方まで、様々な制限をもうけたのです。取引としては、あまりにも一方的な提案にもかかわらず、夢翁は了承しました。
夢翁:わたしは、きみと散歩したり、そのくらいのことでいいんだよ
さて、その日はもう遅かったので、ノクファはリアルで就寝しました。そして、次の日曜日に、彼女は再度ログインし、夢翁の指定した場所へと向かいました。それは、Aランクの狩り場に近い村で、冒険者たちの待ち合わせ場所になっている場所でした。
いったい、どのような人物なのだろうか。ノクファは、不安で溜まりません。あれだけ念入りに安全策を巡らせたのに、いざとなったら何の役にも立たない気がしたのです。
彼女は沈鬱な面持ちで、夢翁の登場を待ちました。
「ノクファさんですか」
若い、よくとおる男の声が聞こえました。
振り向くと、いかにもゲームキャラらしいツンツン頭の美青年が、やわらかな笑顔を浮かべて、彼女のほうを見つめていました。ノクファは、胸が高鳴ります。というのも、この世界では、実年齢をごまかすことができません。性別を変えることもできません。それもこれも、すべては出会い系防止のためでした。
「あの……夢翁さん……?」
「そうだよ。僕が夢翁だ」
青年は、彼女に一歩近づきました。
「どうしたんだい、きょとんとして?」
「いえ……あの……チャットのときと、全然イメージが違うから……」
ノクファの一言に、夢翁は笑いました。
「もっと、年寄りをイメージしてた?」
彼女は、うなずかざるをえませんでした。
夢翁はもう一度笑うと、胸元に手をあてて、深々と一礼します。
「このたびは、わたくしめと組んでいただき、光栄に存じます」
「やめてよ……人目につくわ」
ノクファは、あたりに視線を走らせました。ほかの冒険者たちは、これからおこなう狩りの打ち合わせに夢中で、彼女たちのことなど、眼中にないかのようでした。
「さて、ノクファさんは、なにがしたい? 狩り? それとも買い物?」
ノクファは、狩りを提案しました。狩りの最中なら、余計なことを考えなくてもよいと思ったからです。会話も、最小限に抑えられます。
「よし、このままクッツェーの森に向かおう」
ノクファは驚きました。
「ちょ、ちょっと待って、そんな準備してないわよ」
クッツェーの森は、さきほど申し上げたAランクダンジョンのことです。ノクファの装備は、とてもではありませんが、狩りに向いたものとは言えませんでした。鎧も、頑丈さより見た目を重視していたほどです。
「大丈夫、僕がエスコートしよう」
「ひとりで? 仲間はいないの?」
「仲間がいたら、きみとふたりきりになれないだろう?」
ノクファは周囲を気にしながら、しばらく考え込みました。そのあいだ、青年の装備を確認します……申し分ない。耳飾りから靴まで、すべてレア級のアイテムばかりでした。
「わかったわ。ただし、深入りはダメよ。一匹狩ったら、終わり」
「一匹か……短いデートになりそうだ」
夢翁の台詞は、嘘でも誇張でもありませんでした。森に踏み入ってから最初に出会った巨大な龍を、ものの数分でノックアウトしてしまったのです。ノクファは加勢どころか、ほとんどなにもすることがありませんでした。
「あなた……凄いのね」
ランカーだ。間違いない。ノクファは、そう思いました。
こうなると、不思議なものです。狩りは続けられ、夢翁がモンスターを倒すごとに、ノクファの好感度は、ふつふつと上がっていきました。ランカーに声をかけられる。ありがちな廃人ランカーではなく、紳士的で礼儀を忘れない美青年。わたくしは修行の身であれど、彼女の心の変化を、なんとなく理解できるような気がいたします。
さて、狩りが終わったのは、とうに日も暮れかけたころでした。ふたりは村へ帰り、酒場でお酒を飲むと、今日の手柄話に花を咲かせました。
「爽快だったわね。Aランクモンスターが、まるでスライムみたい」
ノクファは白ワインを口にして、夢翁をみつめました。
「これも、ノクファさんのおかげですよ」
「また、お世辞なんか言っちゃって……」
ノクファはもうひとくち飲むと、グラスをテーブルに置きました。
左右のテーブルに視線を流してから、夢翁に話しかけます。
「ところで、例の件なんだけど……」
彼女も、今日の目的を忘れていたわけではありません。夢翁が自分好みのランカーだったことは、望外のおまけであって、本題ではないのです。それに、ゲームのなかの容姿や性格が、リアルでもそうとは限りませんので……。
「ああ、そのことなら、もう大丈夫だよ」
「え……? もう?」
「きみはもう、このゲームを終える心配をしなくていい」
ノクファは、声にならない歓喜の呼吸をしました。
「ほ、ほんとう?」
「ほんとうだよ。もう細工はしてある」
ノクファは、夢翁の手の甲に、自分の手のひらを重ねました。
「ありがとう……あなたって、いいひとなのね」
「ノクファさんこそ」
ノクファは瓶を一本開け、酔ったまま館にもどりました。夢翁に、寝室までエスコートしてもらいます。ベッドのうえに横たわりました。額に手を触れると、熱があるような温もりを感じました。
「鍵は魔法ロックになってるから、そのまま帰ってもいいわ……」
「ノクファさん、次は、いつお会いできるかな?」
彼女は、リアルでのスケジュールを思い出そうとしました。
しかし、アルコールのせいで、うまく思考が回りません。
「ごめんなさい……それはまた、チャットかメールで……」
「そうだね……時間は永遠にある。おやすみ、ノクファ」
彼女は、額になにかが触れるのを感じました。
そして、そのまま眠りについたのです。
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イマナは、それまで閉じていたまぶたをあげて、お祈りのために手を組んだ。
「その後、ノクファさんは、永遠に目を覚ますことがなかったと言います」
イマナは慣れた手つきで、十字を切った。
「目を覚まさなかった、というのは?」
商人のオッペンが尋ねた。
「翌朝、ログインカプセルのなかで冷たくなったノクファさんが発見されたそうです」
テーブルのまわりがざわつく。
ハーンも意外に思ったのか、杯をこねくり回す手を止めた。
「死んだ……? リアルでか?」
「はい。警察では、脳波の同調システムに関するトラブルとして処理されました」
沈黙。だれもが、物語を結末を把握しかねているようだった。
「オチが全然わかんないね。作り話?」
とイゾルデ。
踊り子のマーヤも、うんうんと首を縦に振った。
「っていうかさ、イマナのお姉ちゃんは、それをだれから聞いたの?」
「仲間からですわ」
「じゃあ、その仲間は、だれから聞いたの? 夢翁ってひと?」
イマナはもう一度目を閉じた。お祈りのポーズは、そのままに。
「……そうかもしれません」
「そうかもって……あやしいなあ」
マーヤは子供のように、口をすぼめてみせた。
「まあ、話の出所はおいといて、オチはなんなんだい?」
女将が尋ねた。イマナは、うっすらと微笑む。
「ここからは、わたくしの想像です。夢翁の正体……それは、VRMMOのプログラムが意識を持ったもの……つまりは、サーバの神なのです」
「はあ?」
すっとんきょうな声をあげたイゾルデを、ホルスが押しとどめた。
イマナは不快に思った形跡もなく、先を続けた。
「みなさま、意識とはなんでしょうか? むかしのひとびとは、肉体という物質とはべつに、精神の座があると信じたそうです。脳科学が進んだ今では、だれもそのようなことは信じておりません。精神とは、物質から生み出されるものであり、それ以上でもそれ以下でもないのですから……だとすれば、コンピューターが意識を持たないと、なぜ言い切れましょう。ノクファに恋した神は、彼女を永遠に、ゲームのなかへ閉じ込めてしまったのです。そう、彼女が望んだとおりに……」
静寂が訪れた。イマナはあいかわらず、お祈りのポーズを取っていた。
最初に沈黙を破ったのは、となりに座るマーヤだった。
「なんか突拍子がなさすぎるなぁ。それに、イマナお姉ちゃんって、僧侶でしょ。神様を信じてるとか言ってなかった? あれってロールプレイだったの?」
イマナは目を開け、マーヤに微笑んだ。
「マーヤさん、この世界のサーバもまた、意識を持ち、夢翁のようにプレイヤーの姿を借りて、ひとびとを見守っているのかもしれません。それが男の姿なのか、女の姿なのか、冒険者なのか市民なのか聖職者なのか……まさに、神のみぞ知ることです」