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電嵐物語  作者: 稲葉孝太郎
本編
6/11

木の葉木菟、一名、貴族の話

 語りを終えたアルジェナは、主人の少年に向き直り、そっと唇を開いた。

「さて、話はまとまりましたか、坊ちゃん?」

「ありがとう、アルジェナ。きみが語ってくれているあいだに、なんとかなったよ」

 少年は軽く咳払いをし、居住まいを正した。

 その仕草に、イゾルデが口をすぼめる。

「おい、もったいぶらずに、早く話せよ」

「ひとつだけ、前置きさせてください。これから僕がお話しする内容、半分は実際に見聞きしたものですが、残りは推測で補ったものに過ぎません。その真偽は、保証しかねます」

 少年の前口上に、ハーンは鼻を鳴らした。

「構わねえよ。お菓子の家だって、作り話かもしれねえしな」

 イゾルデは、テーブルを叩き、腰を上げた。

「てめえ、まだ疑って……」

「はいはい、静かにしな。語りの邪魔をするんじゃないよ」

 女将の注意にもかかわらず、イゾルデはハーンを、しばらく睨みつけた。

 舌打ちをして、ようやく腰を下ろす。

「さっさと始めろよ」

「では、早速……あれは、まだ残暑のけわしい、夕暮れどきのことでした……」


  ○

   。

    .


 その日、父上がひとりの客人を連れて、猟から帰って参りました。身なりのよい、二十歳そこそこの青年です。父上は、猟銃を召使いに渡しながら、僕にこの青年を紹介しました。

「こちらは、セベクというお方だ。今日、森で偶然出会った」

「はじめまして。セベクです」

 青年は、いかにも社交的な表情を作って、僕に握手を求めました。

「はじめまして、ホルスと申します」

 相手の逞しい手のひらを感じつつ、僕は、ふと思いました。森の中で出会ったとは、どういうことなのだろう、と。父上は「偶然」と仰りました。ですから、僕だけでなく、父上も初対面ではないかと、そう考えたのです。

 僕の不信感に気づいたのか、青年は照れ笑いを浮かべて、こう告げました。

「恥ずかしながら、きみの父上の領地とは知らず、森に彷徨い込んでしまってね。半日ほどうろついたところで、助け出してもらったのさ。狩猟場だから、手強いモンスターもわんさかいるし、本当に命の恩人だよ」

 青年は、父上の方を向き、もう一度、礼を述べました。

 父上は適当にあしらい、衣装部屋へと消えました。そのとき僕は、この青年の相手をするよう、父上から仰せつかったのです。もうお分かりかと思いますが、父上は、義務的に青年を助けただけでした。領地で人が死ぬと、検視官がやって来て面倒だという、それだけのことなのです。

 さて、僕はどちらかと言うと、室内での遊戯を好む質で、健康に日焼けしたセベクさんとの会話は、なかなか捗りませんでした。僕がボードゲームの話を振ると、相手は知らないと言い、相手がハンティングの話を振ると、僕が知らないと言う。そんなことを繰り返しているうちに、召使いがお茶を持ってきました。カップに口をつけつつ、話のネタをあれこれ考えていると、急に奇妙な声が響きました。

 

 ブッ ポウ ソウ ブッ ポウ ソウ


 僕はびっくりして、お茶をすこしばかり、こぼしてしまいました。

 青年は軽く笑い、申し訳なさそうに鞄を叩きました。

「すまない、驚かせてしまったようだね」

「今のは、何ですか? ペットの鳴き声ですか?」

 旅の無聊を慰めるため、小型のモンスターを同伴することが、よくあるそうですね。そのくらいの知識は、僕も持ち合わせていました。セベクさんも、そういうペットを鞄に入れているのではないかと、僕は推測したのです。

 セベクさんは、半分正解、半分外れと言った顔で、リュックの紐を解きました。

 すると中から、バサリと羽音がして、一羽の梟が飛び出して参りました。

 ……いえ、正確に言うと、梟ではありません。大きさは二十センチほど。茶褐色で、頭に梟と同じような毛が生えております。その生き物は、部屋の中をバサバサと飛び回り、調度品のあちこちで悪さを始めましたので、青年は慌てて鳥を呼び寄せました。

 鳥は本棚の上できょとんとしたあと、青年の肩に舞い降りました。手なずけられているのでしょう。青年は、人差し指で鳥の頭を撫でてやり、僕にこう説明しました。

「こいつは、ブッポウソウと言ってね、梟の一種なんだよ。管理人が、夜の雰囲気を出そうとこしらえたんだろうが、普通の梟じゃでか過ぎるからね。大方、容量節約のつもりで、こいつを選んだんだろう。鳴き方も面白い」

 ブッポウソウと呼ばれたその鳥は、青年の指の動きに合わせて、胸を膨らませます。

 

 ブッ ポウ ソウ ブッ ポウ ソウ

 

 なるほど、鳴き声がブッポウソウと聞こえます。残念ながら、この地域では見られない鳥のようですし、皆さんもお聞きになられたことがあるかは、存じません。ただ、現実世界にもいる鳥ですから、興味がおありの方はネットなどで検索してはいかがでしょうか。

 ……失礼しました。現実世界の話は、やめておきましょう。さて、このブッポウソウ、外見は本当に梟のようなもので、それをペットにしているユーザーには、とんとお目にかかったことがありませんでした。普通は、もっと珍しい、架空のモンスターを飼うと思います。

 そこで僕は、妙に好奇心が湧いてきて、つい質問してしまったのです。

「このような鳥でも、手なずけることができるものなのですね」

 するとセベクさんは、やや気まずそうな顔をしました。

 もしや、飼育禁止の品種かと訝ったところで、彼はこう続けます。

「いや、これはね、手なずけたんじゃないんだ……僕の友だちなんだよ」

「ご友人……ですか?」

 僕の声音に不信の気配があったのか、彼は先を続けました。

「ペットを友人と呼んでいるわけじゃないよ。こいつは、友人が引退するとき、アカウントを凍結するのがもったいないからって、凍結処理をしてもらった名残なんだ。BOT凍結というシステムは、きみも知っているだろう」

 恥ずかしながら、僕は、いいえと答えざるをえませんでした。

「きみは、あまり冒険をしないタイプなんだね。いや、咎めてるわけじゃないよ。ロールプレイに冒険が必要だなんて、誰が決めたんだい……BOT凍結というのはね、アカウントを抹消せずに、ゲーム内部のBOTとして転生させるサービスだよ」

「転生? 動物に? どのようなメリットがあるのですか?」

「プレイヤーと運営、双方にね。まず、プレイヤー側が将来復帰したいときは、そのBOTからの再転生が認められている。アカウントの完全削除だと、できない手続だ。次に、運営側は、凍結中のアカウントをモブキャラに流用することで、容量を節約できる。きみが雇っているモブタイプの召使いにだって、そういう元プレイヤーの成れの果てが混じっているかもしれないよ」

 セベクさんはそう言って、軽快に笑いました。その笑い声のなかにはどこか、BOTと化したキャラを侮蔑するような響きがありましたので、僕は少しばかり困惑したものです。こんな面白いゲームを止めてどうする。そう言いたげなニュアンスが漂っていました。

「その鳥は、もともとあなたのご友人だったのですね。引退されたのですか?」

「リアルが忙しくなったから、ってね。俺はそいつとオフ会で会ったことがないから、どういう奴なのか知らないけど、初期の北米版からプレイしてたらしくてね」

 みなさんもご存知のとおり、VRMMOの多くは、北米版が正式になっていますね。より正確に言うと、日本の企業がシナリオと仕様を準備し、アメリカのゲーム会社が開発するという、共同作業になっているようです。少なくとも、僕のサーバでは、そうでした。

「まあ、性格は良かったよ。いや、良かったというと、ちょっと語弊があるかな。俺の代わりに、いろいろとやってくれたし、深夜の招集だって、ほとんど断らなかった。気弱だったのかな」

 話を聞いていくうちに、僕はこの青年の印象が、あまり良くないことに気付きました。他人を利用するタイプに見えたのです。もっとも、これは私の主観ですから、他のプレイヤーたちの目にどう映っていたのか、今となっては分かりません。

「転生後の肉体を贈り物にするとは、ずいぶんと信頼されていたのですね」

 セベクさんは再び、例の小馬鹿にしたような笑い方をしました。

「これにはね、ちょっとしたワケがあるんだよ」


  ○

   。

    .


「なぁんか嫌な野郎だな」

 イゾルデの発言に、語りは中断した。

 とがめるような目付きをする者もいれば、納得顔でうなずく者もいた。

 語り部のホルスだけが、そのいずれでもない表情で、イゾルデを見やった。

「イゾルデさんも、そう思われますか?」

「こういう乗っかりタイプ、オレは好きじゃないね。スキあらば経験値の分け前にでも預かろうって魂胆が見え見えだ。領地にうっかり迷い込んだとか言ってるけどよ、絶対に不法侵入だぜ。さっさと追い出しゃいいんだ」

 ホルスは、同年齢の少年少女に向けるような、気さくな笑みを浮かべた。

「僕もイゾルデさんと同感です……っと、失礼しました。話を続けましょう」


  ○

   。

    .


 目的地の隣国がサーバメンテナンスという理由で、セベクさんを我が家に一晩お泊めすることに決まりました。父がそう命じたのです。食事を済ませ、団欒のときが訪れた頃、父はセベクさんの袋に目を留めました。

「息子から伺ったところでは、鳥をお飼いだとか」

「ええ、ブッポウソウという、ちょっと珍しい鳥です」

 セベクさんは、それが凍結された友人であることを告げませんでした。

「館には、鳥小屋も備え付けてあります。そこへ預けられてはいかがですか。一晩の餌やりくらいなら、給餌係も文句は言いますまい」

 父が何度勧めても、青年は承諾しませんでした。

「片時も離さないとは、ずいぶんと、可愛がっておいでなのですね」

「いえ、これは、お(まも)りなのです」

 食後のお茶を飲んでいた僕は、ふと手を止めました。

 昼間耳にした話と、異なる情報が飛び出したからです。

 僕は最初、青年が私と父のどちらかに、嘘を吐いているのだと思いました。

「お(まも)りとは、どういうことですか? 縁起かつぎか何かで?」

 父が尋ねると、セベクさんは、次のような身の上話を始めました。以下、私の推測なども交えつつ、簡単にまとめさせていただきます。


 セベクさんは以前、友人と、すなわちブッポウソウの前身であったアヌビスという冒険仲間と、カルデア湖畔への遠征を企てました。カルデア湖畔というのは、僕が住むサーバから三マップほど離れた場所にある、公共の狩猟場です。ランクAを冠された場所ですから、よほど勇気があったと言わねばなりません。ふたりはレー川を小舟で遡ったあと、中流で徒歩に切り替えました。水の流れが速過ぎて、それ以上は先に進めなかったのです。適当な獲物を狩りながら、ふたりはカルデア湖畔まで、あと二マイルという所につけました。日も暮れ、あたりも怪しくなってきたので、ふたりはそこにキャンプを張りました。

「明日の正午には、カルデアに着くだろう」

 アヌビスは、焚き火に当たりながら、そう(ひと)()ちました。

「カルデアに着いたら、何を狩る?」

 セベクは、用心深く尋ねました。

 あまり大物を挙げられては、困ると思ったのです。

「ニロティクスでいいんじゃないか」

 みなさんならご存じかと思いますが、ニロティクスというのは、カルデア湖に潜む、巨大な水棲竜です。体長は十五メートルほどで、赤色種と黒色種に分かれ、特に黒色種の鱗は、防具の素材として高く売れるとか。そのあたりは、ハーンさんにお訊きください。僕のは、耳学問です。

「ニロティクス狩りの準備なんて、してないぞ。ティラピアでいい」

「ティラピアなんて、漁師が獲るもんだろ。足が出る」

「アヌビス、今回はどうしたんだ? やけに意気込んでるじゃないか?」

 ぱちぱちと燃え盛る炎に照らされて、赤くなったアヌビスの顔は、どこか沈んだように見えました。この遠征を言い出したのも、アヌビスの方からでした。

 アヌビスは、焚き火に両手をかざしたまま、ぼんやりと口を開きます。

「最近、ちょっとリアルの方が忙しくてな……両立できなくなってきた」

 セベクは、アヌビスのログイン回数が減っていることを思い出しました。

「ま、そんな時期もあるだろう。俺だって、年末年始は忙しいからな」

「今の職場は、正直ブラックだよ。残業も休日出勤も当たり前だ」

「おいおい、ゲームの中で、そういう愚痴は御法度だぜ」

 セベクは、プレイヤーのマナーを持ち出して、この話題を打ち切らせました。

 それと同時に、アヌビスが引退するのではないかと、そんな予感が脳裏を過ります。

 アヌビスは、引退間際に、無謀な狩りを行おうとしているのではないか。セベクは、共倒れを心配しました。引退する気など、毛頭なかったからです。アヌビスの自暴自棄に巻き込まれて死亡するのは、とても受け入れがたいことでした。

(参ったな。遠征費の大半を肩代わりしてくれるって言うから、ほいほいついて来たのに、とんだ勘違いだった。ニロティクスだって? 生きて帰れる保証がない。いくらゲームでやり直しが効くとはいえ、所持金は減るし、装備品は剥奪だ。俺だって、仕事の合間を縫って参加してるんだ。こいつが何の職業かは知らないが、道連れはごめんだな)

 彼はどうにかして、この危難を免れたいと思いました。同情の気持ちなど微塵もなく、むしろ、怒りさえ感じていたのではないでしょうか。

 空中に舞う火の粉を目で追いながら、セベクは策を練ります。

「……なあ、神殿でお告げを聞いてからにしないか?」

「神託なんて、初心者がやるもんだろ」

「ニロティクス狩りが成功するかどうか、調べる価値はあると思うな」

 ここで、少し説明しておかねばなりません。この神託システムは、どのサーバにもあるというわけではないからです。いわゆるチュートリアル的な代物で、サーバによっては居酒屋や公民館の形態を取っています。カルデア湖畔にある神託所は、冒険者の質問に対して、謎掛けの形で答えるという、一風変わったものになっていました。

 この神託を伺えば、間違いなくノーを突きつけられる。セベクは、そう考えたのです。彼らのレベルからして、この推測は、尤もなものでした。神託は嘘を吐きません。

 アヌビスは渋りましたが、最後は折れました。安堵したセベクは就寝を宣言し、翌日、神殿へのルートを選びました。一晩経って、アヌビスの気が変わるのではないかと心配していましたが、アヌビスは黙って、彼について来ました。この男、自分の計画を曲げられて、襲い掛かってくるのではないか。そう不安にさせるほどのおとなしさでした。

 神殿の周りに、人影はありませんでした。それもそのはず。ランクAの狩り場で、初心者向けのチュートリアル機能を使う冒険者など、いるわけがないのですから。セベクは、急に恥ずかしくなりましたが、背に腹は変えられぬと、神殿に足を踏み入れました。

 中は涼しく、生活の香りが微塵もしません。ふたりが祭壇の()に辿り着くと、ひどく厳粛な顔をした巫女がひとり、青白い炎の前に立っていました。彼女の瞳には、どこかしら、狂気が宿っているように見えました。

「そなたたち、なんの用じゃ?」

 女は、その見目麗しい面立ちとは裏腹に、老婆のような声で尋ねました。

 セベクは、ここに来た用件を伝えました。

「そこにひれ伏せ」

 ふたりは巫女に言われた通り、神殿の床にひれ伏しました。

 金属製のすね当てとコテが、石造りの床に擦れ、カチカチと音を立てます。

 巫女は、祭壇の炎に向かって、狂ったように舞い、叫び声を上げました。メンテナンスの不足で、本当に狂っているのではないか。そう思わせるほど、鬼気迫るものがありました。彼女が動きを止め、あたりが静まり返ったとき、セベクは胸を撫で下ろしました。

 巫女は、ふたりに面を上げさせ、こう告げたのです。

「もし命を失いたくなくば、ブッポウソウと呼ぶ鳥を捕まえよ。昼夜を問わず、それを飼うがいい」

 セベルは眉をひそめ、巫女を見つめ返しました。

 神託の意味が掴めなかったのです。

 もっと、単純なお告げがくだると思っていました。

「もう一度、お願いできませんか?」

「下がれ」

「俺たちが尋ねたのは、ニロティクス狩りが成功するかどうかで……」

「下がれ」

 巫女は、CPU特有の頑迷さで、セベクの問いを撥ね付けました。

 セベクとアヌビスは顔を見合わせ、それから神殿を出ました。

 そして、神託の内容についてあれこれ議論し、こういう結論に達したのです。ニロティクス狩りは失敗する、と。この結論に至るまでの推論がどのようなものであったのか、僕は聞いていません。かなりの紆余曲折があったことだけは、確かだと思われます。神託には、そのようなことを示唆する文言が、およそ含まれていないのですから。大方、セベクがアヌビスうまく言いくるめたのではないかと、そんな気がします。

 ふたりは、湖畔で適当な下級モンスターを狩り、そのままレー河を下りました。その一週間後、アヌビスはアカウントを凍結し、セベクに自分のBOT体を送りました。メッセージには、「この鳥はブッポウソウというから、きみのお守りにするといい。よい冒険を」とだけ添えられていたと言います。


  ○

   。

    .


「それで?」

 イゾルデは頬肘をついて、先を促した。

「翌日、セベクさんは館を出発し、カルデア湖畔でお亡くなりになられました」

「亡くなった……? 死んだのか?」

「ニロティクスに食べられて、そのまま……死体の損壊が激しすぎて、再生の許可が下りなかったようですね。あるいは、再生費用が支払えなかったのでしょうか」

「最近は、棺桶からの出獄料も高いからな」

 ハーンは酒杯をあおり、口元を拭った。

「その点、俺みたいな町人風情は、苦労もないってわけよ」

「腰抜けのおっさんは黙ってろ」

 イゾルデの罵倒に、ハーンは薄笑いを浮かべるばかりだった。

 イゾルデは、相手にするだけムダと思ったのか、すぐに本題へと立ち返った。

「で、今までの話と、なんの関係があるんだ? ただの友情話か?」

「ここから……いえ、これまでも多少は、僕の推測を織り交ぜて来ました。しかし、ここからは、本当に僕の純粋な推理になります……セベクさんは、神託の意味を、こう考えたのではないでしょうか。自分は、ニロティクス狩りについて質問した。ゆえに、くだされた神託の内容は、ニロティクス狩りに関するもののはずだ、と」

「なるほどね。お守りの鳥を持って行けば、狩りが成功すると思ったんだね」

 女将は、ホルスの肝心な部分をかっさらってしまった。

「ようするに、おっちょこちょいが死んじまった話ってことか?」

 イゾルデは、椅子の背にもたれかかり、四脚を傾けた。

「いえいえ、それはありえませんぞ。神託は、間違わないのですからな」

 と商人のオッペン。

「でも、セベクは死んだんだろ?」

 イゾルデの反論。

「それについて、僕は従者のアルジェナと、話し合ったことがあるのです」

「で、結論は?」

「アルジェナの提案で、僕は、北米版のシナリオを手に入れることにしました」

 この発言には、誰もが、きょとんとなった。

 まったく予期せぬことで、瓢箪から駒と言った風情であった。

 ホルスは、周囲の反応など気にも留めず、一冊の手帳を取り出した。

 鰐皮のホルダーが、ランプの光で、濃い陰影を形作っていた。

「北米版のカルデア神殿における巫女の台詞は、次のようなものです」


 Catch a bird called Buppou-sou.

 If you'd rather not lose your life, keep it day and night.


 短い英文が、流暢に、ゆっくりと読み上げられた。

 そして、オッペンが即座に反応した。

「ちょっと待ってください。さっきの話と違うような……」

「そうなのです。この文章を直訳すると、『ブッポウソウと呼ばれる鳥を捕まえよ。もし命を失いたくなくば、昼夜を問わず、それを飼うがいい』となります」

「だから、ブッポウソウを飼ってたんだろ?」

 イゾルデが、横合いから確認した。

「しかし、女神は次のように言ったのです。『もし命を失いたくなくば、ブッポウソウと呼ぶ鳥を捕まえよ。昼夜を問わず、それを飼うがいい』」

「だからどうしたんだ? 語順が変わってるだけじゃないか」

「ブッポウソウという名前の鳥は、ブッポウソウとは鳴かないのですよ。ブッポウソウと鳴くのは、コノハズクという、まったく別の鳥なのです」

 イゾルデは、両目を見開いた。

「ブッポウソウはブッポウソウと鳴かない……? おい、ワケが分かんねぇぞ」

「翻訳の問題ですな」

 オッペンが代わりに答えた。

「翻訳ぅ?」

 イゾルデは、体をテーブルに乗り出す。

「ちゃんと説明しろ。オレは英語が苦手なんだ」

「途中で申し上げた通り、このゲームは本来、日本の企業が、アメリカの開発会社に委託したもので、北米版が正式となっています。けれども、シナリオは日本側が担当しています。すると当然、どこかで翻訳作業があったはずなのです」

 それは分かってると言わんばかりに、イゾルデは頷き返した。

「北米版が正式とは言え、日本語から英語へ、英語から日本語という再翻訳作業を行ったとは、限りません。むしろ、経費削減の観点からすれば、日本語版には、翻訳前の日本語シナリオを当てたと考えた方がよいでしょう」

 イゾルデは、まどろっこしそうに、右手を振り上げる。

「だから、どうしたんだ? はっきり言えよ」

「イゾルデさん、北米版と日本語版の違いは、どこにあると思いますか?」

 イゾルデは、眉をひそめつつも、顎に手を当てた。

 三十秒ほど考えて、自信無さげに答える。

「『呼ぶ』と『呼ばれる』の部分じゃねぇか?」

「その通りです。なぜそのような違いが出てしまったのか……その答えが、オッペンさんの仰った、翻訳なのです。おそらく、『ブッポウソウと呼ぶ』の部分が、翻訳者にとって紛らわしかったのでしょう。『ブッポウソウと呼びかける』ないし『ブッポウソウと鳴く』とも取れますし、『ブッポウソウという名前である』とも取れます。ひょっとすると、シナリオを書いたひとは、神託的な曖昧さを演出したかったのかもしれません。しかし、これが通用するのは、日本語だけです。英語では、どちらかに決めねばなりません。そして、翻訳を担当したひとは、後者だと理解した……どちらかと言えば、自然な解釈です」

「ってことは、だぞ……英語版では、ブッポウソウを捕まえろって忠告なのに、日本語版をみただけじゃ、どちらか確定できないってことになるか? ……マズいだろッ!」

 イゾルデは大声を出した。まるで、この場にいない巫女に、怒っているかのようだ。

「プログラムは、アメリカの会社で行われました。フラグの立ち方などは、全て英語版シナリオを基準にしています。つまり……」

「コノハズクなんて飼ってても、まったく意味がねえ、と」

 ハーンに呟きに、場が静まり返った。

 イゾルデは椅子にふんぞり返り、両腕を後頭部で組む。

「アヌビスの兄ちゃんも可哀想だな。せっかくの好意が、無駄になっちまった」

「はたして、そうでしょうか?」

 ホルスは、すぐさま疑念を呈した。イゾルデは姿勢をただし、少年を見すえる。

「何が言いたいんだ?」

「この話に興味を持った僕は、現実世界でいろいろと調べてみたんです。まずは、ネットの検索エンジンで、ブッポウソウというキーワードを調べてみました。すると、どうですか。ブッポウソウという名前の鳥も、コノハズクも、両方引っかかるんですよ。名前がブッポウソウの鳥は、『姿のブッポウソウ』と呼び、鳴き声がブッポウソウの鳥は、『声のブッポウソウ』と呼ぶそうです……ねえ、イゾルデさん、セベクさんの友人は、そんなことにも気付かずに、どうやってコノハズクと断定したのでしょうか? コノハズクが、ブッポウソウと鳴くことを知っていたからでしょうか? しかし、それほど鳥に詳しい人が、両者の区別を知らないはずがありません。そして、二種類のブッポウソウがいる限り、それをセベクさんに相談しなければならなかったはずです。けれども、彼はそれをしなかった……僕は、何か隠された事情があったのではないか……そう思うのです……」

 誰もがこの謎解きに四苦八苦するなか、女将が口を開いた。

「ねえ、その友人ってのは、北米版のサーバでも活躍してたんだろ?」

「はい」

「ってことはだよ……この誤訳のことを、知ってたんじゃないかい?」

 女将の一言に、一同はハッとなる。

「その可能性は、あると思います……わざとコノハズクを渡した可能性が……」

「じゃあ、こいつは殺人……いや、殺人じゃねえ……えぇと、き、規約違反か?」

 どもるイゾルデに、オッペンは、とぼけ顔で問い掛ける。

「はて、規約の何条に違反するのですかな? 他人にフラグの回避方法を錯覚させてはいけない、というルールは、ないはずですぞ。それに、コノハズクは、単なるプレゼントなのですからな。交換詐欺にすら当たりません」

「シラを切られれば、それで終わりだな、ハハッ!」

 ハーンは酒杯を上げ、豪快にそれをあおった。

 もどかしい感情を飲み干すような、そんな飲み方だった。

 ホルスは、他に質問がないことを確認すると、隣の僧侶に微笑みかけた。

「僕の話は以上です。では、次の方、どうぞ」

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