表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
電嵐物語  作者: 稲葉孝太郎
本編
5/11

黒頭巾、一名、従者の話

 語りを終えたイゾルデは、間髪を置かずに、貴族の少年を指差した。

「よし、次は、おまえだ」

 指名された少年は、困惑したように視線を漂わせた。

「すこし待っていただけませんか? まだ話がまとまって……」

「ぼやぼやしてんじゃねぇぞ。四人目だ。時間は十分にあったろ」

 イゾルデは前のめりになって、となりの少年に圧力をかけた。

 少年も負けじと、イゾルデを強く見つめ返した。

 そんなふたりのあいだに、スッと白い手が割り込んだ。

「イゾルデさん、ここは、私を先にしていただけませんでしょうか」

 涼やかな声でそう尋ねたのは、少年の従者だった。細い瞳で、じっとイゾルデの顔を見つめていた。イゾルデは、その気迫に押されて、うしろに身を引いた。

「わ、わかったよ……勝手にしろ」

「ありがとうございます」

 従者は礼を込めるように、右手を自分の胸元に軽く押し当てた。

「では、拙いながらも、始めさせていただきましょう」

 

  ○

   。

    .


 私の名前はアルジェナ、こちらにいらっしゃる、ホルス様の付き人をしております。残念ながら、取り立てて面白い体験などもございませんので、旅先で聞き及んだことを、ありのままにお伝えしようかと思います。

 皆さん、黒頭巾というニックネームを、お聞きになられたことがありますか……おや、顔色が変わられましたね……その通りです。私がこれからお話しするのは、いくつものサーバでひとびとを恐れさせた、殺し屋にまつわる逸話でございます。

 黒頭巾の伝説は、数多くあります。人殺しの好きなサイコパス、ライバルの企業から派遣された産業スパイ……などなど、その正体についても、枚挙に(いとま)がありません。手にかけた顔ぶれも、一国の大臣から、富豪、聖人まで、逃れる術がないかのようです。そのエピソードをまとめるだけでも、一冊の本が書けてしまうかもしれませんね。

 私が今回お話するのは、その中でも、比較的知られていないものに致しましょう。さもないと、皆さん退屈なさるでしょうから……私が耳にしたところによれば、黒頭巾の正体は、迷惑プレイヤーを処分するために雇われた、運営の死刑執行人なのです。

 ……皆さん、どうなさいました? 特にイゾルデさん、なんだか信じられないような顔をなさっていますね。いえいえ、否定なさらずとも結構ですよ。いずれにせよ、知りようのないことですから、あれこれ詮議するのは止しましょう。興味深いのは、この黒頭巾、数ヶ月ほど前から、全く姿を見せなくなったことです。これについては皆さんも、風の噂でご存知かと思います。管理人に特定されてアカウントを剥奪された、というのが一般的な見解のようですけれども……はてさて。

 さて、黒頭巾がこのサーバに現れたのは、今から二年ほど前のことでしょうか。もともと遊ぶ気などなく、最初から死刑執行人として、企業のあいだを渡り歩いていたようです。そして、黒頭巾の最大の武器も、そこにありました。変装方法から脱出ルートまで、運営から便宜を図ってもらっていたのです。とはいえ、高名な殺し屋のために弁護しておきますが、それでも簡単な仕事ではないように思われます。わざわざチートを使ったのに、あっさりとリタイアしてしまうプレイヤーが、山のようにいるわけですから。

 無論、黒頭巾は、そのように軽薄な人物ではありません。犯行は、常に人気のない時間帯と決まっていました。カフェテラスで、ひとびとが穏やかな風に身を委ねる昼下がり、思考力の鈍る、幻想的な夕暮れどき、あるいは、月と星しか証人のいない夜に、黒頭巾はやってくるのです。

 黒頭巾の仕事は、簡単なものでした。規約違反ではないレベルのマナー違反。それを繰り返すプレイヤーに、ゲームからご退場いただくことです。暴言、チャット荒らし、アイテムの公正でない価格による取引……皆さんも、きっと目にしたことがあるかと思います。報酬も、それこそランキング入りできそうなほどに貰っていましたが、黒頭巾は、あくまでも暗殺者。目立つようなことは致しません。平凡な旅人のように装って、日々を過ごしていたそうです。

 ……ある夏のことでした。運営もとい城主に呼び出された黒頭巾は、ある女の暗殺を命じられました。それは、貧民街に住む、クリシュナという名の少女でした。

「貧民街の少女……出会い系の取締ですか?」

 黒頭巾は、さりげなくそう尋ねました。城主は、

「そうだ」

 と返し、報酬にレアな短剣を提示しました。

 黒頭巾は依頼を請け負うと、早速、貧民街へと向かいました。

 貧民街……この呼び名を嫌う人がいるのは知っています。無料体験版を延々と遊び続けるひとびとの総称で、現実世界でも貧乏なのかどうかは分かりません。ただ、エリアの外見はあからさまにスラム街地味ていますし、普通の都市へ出ることもできません。運営側としても、できるだけ早く課金してもらうための、ブランド戦略と言えましょう。

 しかし、そのような雰囲気がいいという人もいて、貧民街に定住する者たちも、後を絶ちませんでした。その中には、サーバを出会い系に利用する者もおり、警察沙汰になることもしばしばです。今回の依頼は、そのひとつに過ぎないと思われました。

 クリシュナは、貧民街の酒場にいました。踊り子として生計を立てていたのです。彼女が踊るのは、いつも夕方からと相場が決まっているらしく、黒頭巾がやって来たときには、まだ酒場も閉まっているような有様。黒頭巾は、とりあえず部屋を借り、客を装って暗殺の機会を窺うことに決めました。

 

  ○

   。

    .

    

「踊り子かぁ……ちょっと同情しちゃうね」

 テーブルを囲んでいる踊り子の少女が、そう呟いた。

 アルジェナは語りを中断し、彼女のほうへ、その細い眼差しを向けた。

「あなたのお名前は……マーヤさんでしたか。クリシュナさんを、ご存知で?」

「ごめん、その娘は知らないよ。私は冒険に参加するタイプで、宿屋で踊ったりはしないからね。でも、踊り子仲間に聞けば、誰か知ってるかも。同業者ギルドって、バカにならないんだよ。リアルの話なんかも入ってきてね。このまえも、お婆さんがログインカプセルの中でショック死……っと」

 マーヤは、すぐに口を噤んだ。話の腰を折ってしまったことに気付いたからだ。

「へへ、その婆さんの話が、あんたの持ちネタかい?」

 ハーンは、杯の縁を、指で弾いた。

「ち、違うよ……って、ごめん、しゃべりすぎた」

「いえいえ、振ったのは私のほうですので……さて、夜の帳が下りました……」

 

  ○

   。

    .

    

 黒頭巾が二階から降りたとき、酒場は非常な賑わいを見せていました。市内のギルドと見紛うほどです。貧民街がここまで盛況だとは、黒頭巾も知らされていませんでした。もっと寂れたところを予想していましたし、実際そのはずだったのです。なぜなら、無料体験版のエリアでも、夜間の酒場には課金されてしまうのですから。そうしないと、チャットルーム代わりに利用するならず者が出てきますので。

 黒頭巾は、カウンターに座りました。舞台からは遠いのですが、目立たないと思ったのです。ほかのひとびとは、我先にと、舞台に近い席を占めていました。

「お客さん、ここは初めてかい?」

 恰幅のよいマスターが、グラスを拭きながら現れました。

「キール」

 黒頭巾は酒を一杯注文し、踊り子の演技が始まるのを待ちました。

 リアルでも耳にしたことのある古い曲が、酒場の雰囲気によく合っていました。

「待ち合わせかい? それとも、おひとりさん?」

 店主が、余計な質問をしてきます。黒頭巾は黙って、グラスを眺めていました。白ワインとカシスの混ざり合った、ルビー色の水面に、天井のランプが照り輝くのです。

 店主は不快になる暇もなく、テーブル席の注文に応じて、その場を去りました。

 酒が半分ほどなくなったところで、舞台の近くがざわめきます……どうやら、標的のおでましのようだ。そう気付いた黒頭巾は、舞台へと視線を移しました。カウンター席と舞台とのあいだには、観葉植物が並んでおり、観察には不向きでした。しかし、そのおかげで、他の客に見咎められるおそれもありませんでした。

 ビロードの幕を上げ、ひとりの女が現れました。褐色の肌と艶やかな黒髪を持つ、美しい踊り子です。黒頭巾がひとつだけ意外に思ったのは、彼女が大していかがわしい服装をしていなかったことでしょうか……マーヤさん、そうお怒りにならないでください。黒頭巾は、出会い系の元締めを暗殺しに来たのです。VRMMOをそういう目的で使うプレイヤーの多くは、やはり見た目も刺激的な服装を選ぶものなのですよ。

 右脚を軸にして一回転。いよいよ踊りが始まりました。穏やかな音色に合わせて、踊り子は右へ左へ、ひらひらと舞い続けます。その腰の動きは軽やかで、四肢はしなやか。黒頭巾は、しばしその舞いに魅入っていました。仕事を忘れたわけではありません。ただ、違和感を覚え始めたのです。

 音楽が止み、踊りが終わると、酒場に拍手が鳴り響きました。黒頭巾は軽く手を叩き、そのままカウンターへ向き直ります。標的は分かりました。しかし、この場では、どうしようもありません。観衆が多過ぎるのです。

 ……出直すか。そう思った矢先、隣に誰かが腰を下ろしました。香水と汗の匂い……それは、心地よく頬を上気させた、クリシュナそのひとだったのです。

「水」

 店主は、用意してあったコップに水を注ぎ、クリシュナの前に置きました。彼女はそれを一気に飲み干すと、グラスの底でカウンターを打ちます。

「ふぅ、今日もお客さんが一杯ね……あら、新顔さん?」

 クリシュナの視線が、黒頭巾のフードに向けられました。黒頭巾は前を向いたまま、沈黙を続けます。

「あなた、何でフード被ってるの? ……顔に怪我でもした?」

「……デフォルトのアバターなので、恥ずかしいのです」

 黒頭巾は、そう誤摩化しました。確かに、無装飾のデフォルトキャラを使っているあいだは、なるべく外見を晒さないのがマナーになっていますね。おかしな話ですが……。

「貧民街で、そんなこと気にしなくていいのよ。この店だって、四人に一人くらいは同じ顔してるでしょ。ほら、フードを取って」

 黒頭巾は、黙ってフードを外しました。うかつとお思いかもしれませんが、どうせ変装した顔です。むしろ、取り調べがあったときに、好都合なくらいでした。目撃者の証言は、役に立たなくなるのですから。

「あら、なかなか男前ね。ほんとに無料のアバター? 番号は?」

「……店主、勘定を頼む」

 財布から金貨を取り出そうとした瞬間、黒頭巾の腕をクリシュナが掴みました。

 その動作に驚いたのは、黒頭巾だけではありません。店主も目を見開いています。

「クリシュナちゃん、今日は、どうしたんだい? ずいぶんと積極的だね」

「だって、珍しいじゃない。カウンターでひとり酒なんて」

 黒頭巾は悩みました。暗殺者ならば、このまま引き下がるのがベストでしょう。しかし、この暗殺者の胸中には、今回の依頼に対する、疑念が芽生え始めていました。本当に彼女が出会い系の元締めなのか、それを確認したくなったのです。

「親父、もう一杯……」

 黒頭巾は、金貨をテーブルの上に置き、二杯目を注文しました。グラスが運ばれてくると同時に、クリシュナはその美しい人差し指を立てました。

「私にも、同じものを」

 ルビー色のキールがもうひとグラス、クリシュナの前に置かれました

 黒頭巾は、クリシュナに尋ねます。

「あなたは、踊り子をなさっているのですか?」

 黒頭巾の質問に、クリシュナはきょとんとした顔を浮かべました。

「あら、さっきのダンス、観てなかったの?」

「もちろん……ですが、ただ踊っているだけ、というわけではないでしょう?」

 クリシュナは、目立った反応を示しませんでした。むしろ、質問が分からなかったかのような顔をして、こう返します。

「私は、ここにしか出入りしてないわよ。課金もしてないし……」

「夜間の酒場は、貧民街と言えど、課金されるでしょう? なにか特権でも?」

「それは、場所代みたいなもんよ。そんなに高くないし……」

 黒頭巾は信用しませんでした。ただ踊るためだけに貧民街へ出入りするなど、聞いたことがなかったからです。

「踊るためにわざわざ、このゲームをプレイしているのですか?」

「その言い方は、なんか刺があるなあ……踊るだけって言っても、自宅でひとり踊ってるわけじゃないわよ。ほら、こうして……」

 クリシュナは、席の埋まった酒場を指差します。

「たくさんのお客さんが、観に来てくれるもの」

 黒頭巾は、もとから気づいていました。この酒場は、クリシュナの踊りを観に来た冒険者たちで溢れ返っているのだ、と。なぜそのようなことが起こるのか、イマイチ見当がつきませんでした。

「彼らも課金……入場料を払っているのですか? あなたのために?」

「あら、それって、私のダンスには価値がないってことかしら?」

 クリシュナは、少しばかり毒のある笑みを見せました。

「私、リアルでもダンサーだったのよ」

 黒頭巾は納得しました。確かに、先ほどの踊りは、素人が観てもプロ級と分かるもので、ゲーム上の職業選択では、身に付かないスキルだったからです。

 黒頭巾は同時に、女のあけすけな態度を訝りました。やはり出会い系なのではないか。自分に声をかけているのも、それが目的ではないか。そう勘ぐったのです。

「ほぉ……ダンサーをなさっているのですか……」

「昔は、ね。あなた、もしかして私に興味があるの? ナンパのつもり?」

「クリシュナさん、私はこう見えても、女性です。お間違えのなきように」

 クリシュナは……そう、ちょうどあなたがたと同じように、驚きました。

     

  ○

   。

    .

    

「ちょ、ちょっと待ったッ!」

 イゾルデの大声が、アルジェナの語りを止めた。

 その場にいた全員が、彼女のほうを向いた。

「……いかがなされましたか?」

「黒頭巾が女だって? そんな話、聞いたことが……」

「暗殺者が女性だと、何かまずいことでも?」

 アルジェナの口調は、いたって冷静だった。

 疑われたことも、不快には思っていないようだ。

 イゾルデは勢いを失い、小声で返した。

「い、いや、女じゃまずいってわけじゃねぇけど……黒頭巾は、男って話だぜ?」

「それもまた、噂のひとつに過ぎません。黒頭巾が男なのか女なのか……それは、誰も知る由のないところです。私にこの話をした人が、黒頭巾は女だと告げたまで……この回答で、満足いただけましたか?」

 イゾルデは、不承不承、頷き返した。

 アルジェナは、のこりの面子を見やる。

「他に、ご質問は? ……ないようですね。では、先を続けさせていただきます」

     

  ○

   。

    .


「ほんとに? キャラデザを間違えたんじゃないの?」

「好みの問題です……ところで、リアルでもダンサーをなさっていたというのは?」

「こっちから言い出した話だけど、その質問は禁忌(タブー)よ。利用規約にも、『プレイヤーの個人情報に関する質問は禁じる』って書いてあるでしょ」

 ブラフでしょうか。黒頭巾は、判断しかねました。人目が多いので、建前上、利用規約を持ち出しただけかもしれません。

 黒頭巾は、話を一歩、戻すことにします。

「ここの観客は皆、あなたのダンスを観に来ているのですか?」

 黒頭巾が尋ねると、クリシュナは子供のような笑みを浮かべた。

「冗談よ、冗談。そりゃ、そういう目的で来てくれてる人もいるかもね。でも、ここに来る人たちは、昼間は無料のダンジョンを攻略して、夜中に交流会をしてる人ばかり。私は、そこにちょっとした華を添えるだけ」

「無料ダンジョン……新規のものが出たのですか?」

「そんなわけないでしょ。無料体験版は、変更なしでβ版からずうっと一緒だよ」

「ならば、なぜ……?」

 クリシュナは、両肘をカウンターにつき、大きく溜め息を吐きました。

「なんでなんだろうね……私にも分からないけど……でもさ、このサーバも、もう登録者が五桁を超えて……現実と何も変わらないんだよね。ランキングに入るのは、一日中ログインしっぱなしの重課金プレイヤーだけだし、それ以外の冒険者は、商売をするか、たまに友人たちと狩りに出掛けるか……それくらいのもんでしょ。それって、私たちが現実世界でやってることと一緒だよね。会社に行って仕事して、ときどき友だちと遊んで……」

 クリシュナは、右腕で頬肘をつき、正面の酒瓶を眺めました。色とりどりの液体が、天井のランプに輝いています。まるで、宝石の群れのようでした。

「それに、ゲームがリアルになればなるほど、人間関係もリアルになるでしょ。町中に役所があって、給料体系が決まってて、市場が需要と供給の法則で動いて……これじゃ、何のためにVRMMOをやってるのか、分からないじゃない」

 黒頭巾は、黙ってクリシュナの話に、耳を傾けていました。黒頭巾自身、そのようなことは、ずっと以前から感じていたのです。彼女がこのサーバで管理人に雇われたのも、運営のひとりとリアルな顔見知りというだけで、結局のところ、現実世界の人間関係の延長でしかありませんでした。

 しかし、同情する気も起こりません。プレイヤーはそれぞれの自由意志で、ゲームに参加しているのですから。文句があるならば、辞めればよいだけなのです。

「私ね、何て言うか……もっと深い遊びをしてみたかったの……」

 黒頭巾の手が止まりました……しっぽを出したか。そう思ったのです。

「深い遊び、というのは?」

「うまい言葉が見当たらないんだけど……背景のあるプレイングって言うのかな。ただ登録してモンスターと戦ってポイントを稼ぐんじゃなくて……何かこう……思いのこもった遊び方があるんじゃないかなって……」

 当てが外れた黒頭巾は、クリシュナの話についていけなくなっていました。どうやらクリシュナは、あくまでもVRMMOの話をしているようなのです。いかがわしいことに誘ってくる気配は、微塵も感じられませんでした。

 しかし、黒頭巾は、どこか引っかかるものを感じ、次のように答えました。

「思いを込める……そんなことは、イベントになんの影響も及ぼしませんよ。金貨が欲しいからモンスターを倒すのか、それとも人助けのために倒すのか……あるいは、自分の楽しみのために殺すのでも同様です。動機は、結果と無関係なのですから」

「そうよ、動機は結果と無関係だからこそ、尊重されなきゃ」

 黒頭巾は、クリシュナの話術に呑まれていました……いえ、話術というのは、あまり適切ではないかもしれません。ともかく、クリシュナの発する言葉の何かが、黒頭巾を捕えて放さなかったのです。

「……どういうことですか?」

「結果なんて、誰にもどうすることもできないのよ。バタフライ効果って知ってる? 蝶の羽ばたきが、台風を引き起こすとか何とかってヤツ。子供の頃、なにかの本で読んだことがあるわ。本当かどうか知らないけど、ゲームのイベントだって同じ。ある冒険者の行動が、別の冒険者の行動を、助けたり邪魔したりするわけでしょ。それは、自分じゃどうしようもないのよ」

「つまり……結果は、おしなべて偶然だとおっしゃるわけですか……?」

「全部が全部って言うわけじゃないけど……ただね、よく思うんだ。もし結果が偶然に左右されるなら……人間がコントロールできるのは、動機の方だけなんじゃないかって」

「……その考えは危険だと思いますね」

 黒頭巾は、独り言のようにつぶやきました。

「あら、どうして?」

「動機というものは、常に美辞麗句ですからね。現実社会でもVRMMOでもそうです。人助けと称してお金を集めたり、社会貢献と称して結局は税金逃れだったり……」

「うふふ、あなたって、悲観的なのね」

「現実的と言ってもらいましょうか。ところで……」

 黒頭巾は、脱線した話を戻そうとしました。

 しかし、うまい話題を思いつきませんでした。気分転換にカクテルでも飲もうと、グラスに指を伸ばした瞬間、クリシュナの手がそれを遮りました。触れ合う肌は、おそろしいほどの速さで離れ、黒頭巾は、女の瞳を覗き込みました。

 クリシュナは、静かに、含みをもたせるように、微笑んでいました。

「あなた、それを飲んだら死ぬわよ」

「……なにをおっしゃるのですか」

「私が店内を指差したとき、グラスになにか入れたでしょ。神業ね」

「仮にそうならば、死ぬのはあなただと思いますが」

「さっき、すり替えておいたの」

 凍ったガラスのような緊張感が、あたりを支配しました。

 黒頭巾は、まばたきひとつせず、じっとカクテルのグラスを見つめます。

「あなたを一目見たとき、ただものじゃないって思ったわ。ここに集まっているようなひとたちと……いえ、サーバのプレイヤーたちと、全然違うんだもの」

 クリシュナは、グラスを器用にあげて、赤い液体を揺らしました。

 そして、口元にそっと縁をつけました。

「……あら、とめないのね」

 クリシュナは、妖しげなまなざしで、黒頭巾の瞳を覗き返しました。

「さあ……あなたもグラスをあげて」

 黒頭巾は、しばらくのあいだ、みじろぎもせず、記憶をたぐり寄せていました。

 クリシュナの手の動き……彼女の、美しい手の動きを……。

 音楽が、宵闇のリズムへと転じたとき、黒頭巾は、グラスに手を伸ばしました。細い柄をつまみ、クリシュナの顔がカクテルと重なるまで、高くかかげます。

「あなたって、自信家なのね」

「……」

「なにか、気の利いた台詞をお願い」

 黒頭巾は、くちびるを動かしませんでした。

 クリシュナはフッと笑みをもらして、その白い歯をみせました。

「君の瞳に、乾杯」

「……あなたのオリジナルですか?」

「昔、恋人とテレビで観た、映画の台詞よ」

「では最後に、あなたのオリジナルを聞かせていただけますか?」

「オリジナルなんて、この世界のどこにもないわ……あなたの存在も……」

 クリシュナはそう言って、グラスを傾けました。

 ガラスが静かにぶつかり合い、ふたりはそっと、口をつけたのです。

 

  ○

   。

    .


 雨の音が、ふたたび激しくなった。

 窓ガラスを打つ音だけが、トントンと室内にこだましていた。

「……で? どうなったんだ?」

 しびれをきらせたのか、イゾルデが続きを催促した。

「続きはありません」

 アルジェナは、澄まし顔で、そう答えた。

 当然のように、室内がざわめいた。

「おい、どういうことだよ?」

 返答次第では、容赦しない。そんな勢いで、イゾルデは噛み付いた。

「私が聞いたのは、ここまでですので」

「かぁ、ふざけんなッ! オチのない話していいと思ってんのかよッ!」

 イゾルデは、右手で頭を掻きむしった。

 他の面々も、あまり納得できないような顔立ちを浮かべていた。

「ほんとうに、その先はご存じないのですか?」

 そう尋ねたのは、僧侶の女だった。

「申し訳ありません」

 アルジェナは、あまり悪びれた様子もなく、そう答えた。

「黒頭巾の消息なんて、だれも知らないからね。続きのあるほうがおかしいよ」

 女将は、さも当然のような顔で、そうつぶやいた。

 商人も、うんうんと首を縦に振りながら、ひとこと付け加えた。

「それにしても、興味深い話ですな。黒頭巾は、現に最近、姿を現していません」

「踊り子にグラスをすり替えられるなんて、信じられないけどねえ」

 女将は、否定的な見解を述べた。

「うむむ、今のお話では、踊り子も相当素性が怪しいような……」

 商人は語尾を濁して、杯を傾けた。

 語りを終えたアルジェナは、主人の少年に向き直り、そっと唇を開いた。

「さて、話はまとまりましたか、坊ちゃん?」

「ありがとう、きみが語ってくれた間に、なんとかなったよ」

「よく考えりゃ、時間稼ぎのための作り話って可能性もあるよなあ、兄ちゃん」

 ハーンの物言いに、アルジェナはうっすらと笑みを浮かべた。

 この宿に逗留して以来、初めての笑顔であった。

「ハーンさん、私はこう見えても、女性です。お間違えのなきように」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ