逢魔ヶ宿、一名、剣客少女の話
よっしゃ、オレの番だな。あれは今から一年ほど前の……え、何だよ? ……ああ、自己紹介ね。わりぃ、わりぃ……コホン。オレの名前はイゾルデ。見ての通り、剣客商売をやってる……え? 剣客商売なんて、聞いたことがない? パーティに穴が空いたときの助っ人とか、危ない土地に滞在するときのボディガードとか、そういうやつだよ。
仕事柄、おもしろい事件には、そこそこ出くわしてるんだ。でも、身バレはダメなのかと思ってさ。いろいろ考えてたんだけど、ハーンのおっちゃんが、ちょいとプライベートな話をしてくれたし、オレもその路線でいくぜ。うん。
賞金首。一度は耳にしたことあるよな。サーバによっては、指名手配とか、おたずね者とか、いろいろ呼び方がある。賞金首のいるサーバに、いたことはあるか? ……へえ、結構いるんだな。どいつもこいつも、じつはベテランか? じゃあ、となりのお坊ちゃんと、そこの僧侶の姉ちゃんに説明してやるぜ。賞金首っていうのは、規約違反をしたプレイヤーのことだ。普通、規約違反と言えば、アカウント削除だよな。でも、いくつかのサーバでは、規約違反をしたプレイヤーに、賞金が懸けられる。賞金首になったプレイヤーは、だれがどう殺してもいい。しかも、報酬がもらえる。リンチの対象ってわけさ。もちろん、どんな規約違反でも賞金首になるわけじゃない。プレイ料金の未納とか、サーバアタックとか、リアルに関連する違反は、速攻で削除されるからな。賞金首になりやすいのは、泥棒、闇商人、密猟なんかの、ゲーム内でのルール違反だ。分かったか?
さて、あれは今から、一年ほど前のことだった。オレはいつものように、ギルドの紹介所で仕事を探していたんだ。探すっつっても、椅子に座って待ってるだけだけどな。これが暇そうに見えて、意外とそうでもない。他の冒険者と情報交換したり、新しくリリースされたアイテムを眺めたり、色々と忙しいのさ。昼下がりだったし、オレは紹介所の真ん中で、本を読んでた……なんの本かって? そいつは関係ないね。ぺらぺらページをめくってると、扉が開いて、杖をついた化石みたいな婆さんが入って来た。普通、婆さんのキャラなんて、選ばないだろ? どこのサーバも、おかしなくらい平均年齢が低いよな。だから、やたらと人目についてさ、オレも含めて、みんな物珍しそうに眺めてたよ。
婆さんは、カウンターの前に立つと、杖で床を叩いた。
「だれか、おるかえ?」
いや、目の前にいるだろ。その場のだれもが、そう突っ込んだ。
「いらっしゃいませ」
質素な服を着た姉ちゃんが、笑顔で挨拶した。
このへんは、客商売だよな。手慣れてる。オレなら、じろじろ見ちまうね。
「ひとをひとり、雇いたいんじゃが」
「フリーで、それともオフィシャルで?」
「流れ者がええ」
オレは、オッと思ったね。フリーをご希望。オレにも応募資格がある。
けどよ、オレは二の足を踏んだ。その婆さんが怪しいんだ、これが。衣服は魔女みたいな格好だし、鼻も長いし、髪は何日も洗ってないみたいだし……ちょっと引くよな。フリーの用心棒なんて、綺麗な姉ちゃん目当てのスケベなやつも多いから、婆さんってだけでパスみたいな雰囲気だった。奥に座ってる男どもは、ぴくりともしない。
カウンターの姉ちゃんもそれは気づいてたから、申し訳なさそうに先を続けた。
「そうですね、今日は、フリーの方々が手一杯のようで……オフィシャルを……」
「あたしゃね、公式とかいうやつが大嫌いなんだよ。流れ者にしておくれ」
オフィシャル。運営から公認された用心棒だな。フリーとオフィシャルの違いは、なんと言っても値段だよ。倍はする。え? 腕前も違うって? んなこたねぇよ。オレと互角にやり合えるやつなんか、そうそういないね。ほんとだぞ。
「フリーの方々とは、直接契約してもらうことになります。こちらでは請負を強制できませんので、ほかを当たっていただけませんでしょうか」
「あたしゃ、雇うまでここを動かないよ」
おいおい、受付の姉ちゃんが困ってるじゃないか。
見かねたオレは、椅子から飛び降りると、そのまま婆さんのところへ駆け寄った。
と同時に、となりのテーブルからも人影が飛び出した。
「おい、婆さん、フリーなら、オレがいるぜ」
「お婆さん、ボクがお手伝いしましょうか」
オレともうひとりのお人好しは、おたがいに顔を見合わせた。
相手はまだ少年で、眼鏡に魔法帽という格好。ちょっとガキっぽかったな。
え? そいつも同じこと考えたって? さっきからうるさいんだよ。黙って聞け。
婆さんは、やっぱり目がよくみえないのか、矯めつ眇めつ、オレたちを見比べた。
「声からして、ずいぶんと若そうだねぇ」
「ボクの年齢設定は十六です」
「オレもだ」
年齢設定十六って、結構多いんだよな。リアルだと高一で、切りがよさそうだからかね。実際、ガキみたいに長ったらしい名前が多いよなあ。戦慄と慈悲のマグデガルドとか。文字数ギリギリまで使ってやんの……おっと、話が逸れたな。
「ああ、あたしゃひとりしか雇わないよ。どちらかにしてくれないかね」
「だったら婆さんが選べよ」
「ぜひ、ボクを雇ってください。魔法には自信があります」
オレは、ちょっと驚いたね。
オレが見かねて出たのに対して、相手は本気で雇われたがってるみたいだった。
よっぽど金がないのか、それとも、初心者で焦ってるのか。どっちかだな、と。
「困ったねぇ……それに、できれば女がいいんだけどねぇ」
「おいおい、婆さん、オレは女だぜ」
そう言ったとたん、となりの少年はびっくりしていた。失礼だよなあ。
「そうかい、そうかい、だったら、あんたで決まりだね」
オレと婆さんは、細かい交渉をして、ギルドに契約書を作ってもらった。
そのあいだ、さっきの少年が、ちらちらこっちを見てくるんだよなあ。
そんなに悔しかったのかね。オレは、つとめて無視したよ。
「はい、じゃあ、がんばってね」
オレは、ギルドの姉ちゃんから契約書の写しを受け取って、道具袋にしまった。
婆さんはのらりくらり建物を出て、オレもそのあとに続いた。
「あたしの家は、あの森の奥だよ」
そう言って婆さんは、鬱蒼と茂った遠くの木々を、杖で指し示した。
「ええ? あそこって、寝ずの木の森だろ?」
寝ずの木の森は、さびれたダンジョンで、居住区じゃなかった。
そんなところに住んでるなんて、普通はありえないよな。
「あたしゃ、ずっとあそこに住んでるんだよ。寝ずの木のホレ婆さんって、聞いたことないかえ?」
「知らねぇよ」
「ひゃっひゃっひゃ、むかしはこれでも、名前が通ってたんだけどねぇ」
婆さんは、黄色くなった歯をみせて、不気味に笑った。こういう、むかしはうんたらかんたらなんて、ひとの出入りが激しいVRMMOじゃ、意味ないんだよなあ。キャラ名もデザインも変わるし、どんな大きな事件が起きても、一ヶ月経ちゃ、みんな忘れてるもんな。
まあ、婆さんも自慢したいわけじゃなかったのか、すぐに背を向けた。
「そいじゃ、ついといで」
オレたちは、森への道を辿った。石畳が消えたころには、左右が開けて、花の咲いた綺麗な野原が広がった。蝶々なんかが飛んでて、ほんとにのどかだったな。ああいう細部にこだわったサーバが、オレは好きだぜ。
だけど、そんなピクニック気分も、長くは続かなかった。だんだんあたりが薄暗くなってきて、カラスが鳴き始めた。青空も、木の枝で覆われ、地面にポツポツと、日の光が降り注いでいるだけ。もう分かっただろうけど、寝ずの木の森は、ゴースト系やアンデッド系が出るダンジョンなんだな。
でさ、オレが一番心配になったのは、帰り道だった。歩いているうちに、婆さんのことがあんまり信用できなくなったんだ。もしかして、森の奥へ誘い込んで、盗賊にでも襲わせる気なんじゃないか。童話だと、よくあるよな。盗賊と婆さんの組み合わせって。まあ、そういうときの婆さんは、たいてい主人公に協力してくれるんだけど……モンスターが出るかどうかより、そっちのほうが怖くなっちまった。森のダンジョンは複雑だと、相場が決まってる。
帰り道が分からなくならないように、オレは目印をつけることにした。懐から、小型のナイフを取り出して、迷いそうな分かれ道で、手近な木の幹に放り投げた。ただのナイフじゃないぜ。アンデッドやゴーストにいたずらされない、護符付きのナイフだ。引っこ抜かれると困るからな。
「さっきから、コツコツ音がするのぉ……なんぞえ?」
「さあ、コツコツ鳥でも鳴いてるんじゃないか」
オレは適当にごまかして、婆さんのあとについて行った。
で、ようやく開けた場所に出た。刺草がところどころにみえる、とてもひとが住んでいなさそうな草原だった。ところが、目を凝らしてみると、小屋が一軒あった。その小屋が、とんでもない代物だった。
なんだと思う? ……なんとお菓子の家だったのさッ!
でな……ん?
○
。
.
「なんだよ、ひとが気持ちよく話してるときに?」
ムスッと口元を歪めたイゾルデに、周囲の冷たい視線が注がれた。
「おまえ、作り話してんじゃねえだろうな?」
一同の気持ちを代弁したのは、ハーンだった。皆がどこに疑問を抱いているのか、それを察したイゾルデは、眉間に深い皺を寄せた。
「作り話だって? オレは嘘なんかついてないぜ。実話だよ、実話」
「お菓子の家ってさぁ、ベタベタしてて住めそうにないよね」
踊り子が、だれに話しかけるでもなく、そう呟いた。
「おい、そこはまたあとで話そうと思ってたんだぞ!」
イゾルデは、こぶしでテーブルを叩いた。
気分を害されたらしく、椅子をかたむけて、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
「まあまあ、お嬢ちゃんの話を、最後まで聞こうじゃないか」
女将は、少女をなだめた。
「で、どうなったんだい?」
女将に続きを促されたイゾルデは、多少機嫌を直したのか、再び口を開いた。
「お菓子の家に連れてこられたオレは……」
○
。
.
お菓子の家に連れてこられたオレは、初めて具体的な依頼をぶっちゃけられた。契約書には、ゾンビ退治と書いてあった。ゾンビは、あんまり好きじゃないんだよなあ。見た目が気持ち悪いし、斬ると体液が散るだろ。ただ、相手は一体だけで、上級モンスターなんかじゃないと言われた。それならいいかな、と思ったんだ。
ところが、その一体が問題だった。
「自分で作った……?」
俺は、厨房みたいなところで、背もたれのない椅子にあぐらをかいていた。いかにも魔女の使いそうな鍋や壷があって、壁には、蜥蜴と蝙蝠の死体がぶら下がっていた。ちょっと気持ち悪かったな。鍋のなかからは、変な臭いがして、空きっ腹にこたえた。
「そうだよ、あたしが作ったんだよ」
「おいおい……アンデッド製造は、違法だぜ? 分かってんのか?」
婆さんは、わざとらしく下品に笑った。
「そんなことは、百も承知だよ。だけどね、だれだってやってることさ」
「そりゃまあ……スピード違反みたいな感覚のやつもいるけどよ……」
オレは、二の足を踏んだ。だって、そうだろ。規約違反の片棒を担がされるかもしれないんだぜ。だけど、婆さんは契約済みだって言うし、違法なのはアンデッド製造であって、退治じゃないから安心しろって言うんだ。
で、最後はオレも折れちまったよ。正直に言うと、ちょいと金欠だったんだな。
「じゃあ、さっきの話は聞かなかったことにするぜ。要するに、ゾンビ退治だな。そのゾンビがどこから来たのか、オレは知らない、と。それでいいな?」
「ひっひっひ、ものわかりのいいお嬢ちゃんだね」
「どんなタイプの個体なんだ?」
「メイジゾンビだよ」
婆さんの答えに、オレはびっくりした。
「さ、最低ランクなのか? グールでもゾンビマスターでもない?」
「ああ、楽でええじゃろう?」
このときだな。本格的におかしいと思い始めたのは。メイジゾンビだぜ? 最低ランクのモンスターに、なんでわざわざ用心棒を雇うんだ? そりゃ、一般人なら雇うかもしれないさ。ただの市民でプレイしてるとか、そんな場合にはな。でも、婆さんはアンデッドを作れるくらい、魔法に精通してるんだ。メイジゾンビ一体に手こずるわけがないだろ。
オレは、カマをかけてみることにした。
「婆さん、自分で退治しようとは思わなかったのか?」
「むかしのあたしなら、そうしていただろうけどねぇ」
「つぅか、婆さん、そのアンデッドを作ったんだろ? コントロールできねぇの?」
「歳をとると、物忘れがひどくなってねぇ、名前を忘れちまったんだよ」
「なにが歳だよ。リアルでメモっとかないから、そういうことになるんだぞ」
説明するまでもないと思うが、アンデッドは屍術師の命令に従う。そのとき、生前の名前が必要になるんだ。これは世界観っていうより、道ばたの無縁仏を勝手にアンデッド化させないための配慮らしい。だから、アンデッドの製造には、墓荒らしが不可欠なんだ。墓石に書いてある名前を使って、そいつをコントロールするわけだ。もちろん違法だぜ。
「そいつは、いつ現れる? 夜か?」
「そうだよ。だからそれまでは、二階で休んどいておくれ」
やることもないし、婆さんの言うことに従ったよ。だんだんと、不安になってたのもあるしな。二階にあがって、戦闘の準備をした。アンデッド用じゃなくて、魔法防御に重点をおいた装備に変更したのさ。婆さん対策だな。依頼人が襲って来るんじゃないかって、オレはかなり疑心暗鬼になっていた。
出された夕食にも手をつけなかったし、家を食べたりもしなかった……いや、まあ、壁をちらっと舐めて、それからチョコレートのレンガを一枚剥がしただけだ。壁は、ほんとに飴で出来てた。リアルだと、べとべとになるんだろうが、そこはヴァーチャル。質感はさっぱりしてたね。
で、夜になったんだが……なんか暇になってきたんだよな。婆さんは、夕食を持ってきたきりで、それから一度も姿を現さなかった。ゾンビだから、基本は夜だろう。そろそろ来るだろうという時刻も過ぎて、オレはうつらうつらし始めた。
ああ トリスタン トリスタン
おまえの汲んだ その水を はやく鍋へと いれとくれ
いきなり奇声が聞こえて、オレは椅子からひっくり返りそうになった。短剣を抜いてあたりを見ると、機械仕掛けの物まね鳥が、部屋のなかをぐるぐると飛び回っていた。大方、婆さんの台詞でも覚えたんだろうな。物まね鳥は、しゃべり続けた。
ああ トリスタン トリスタン
おまえのこねた そのパンを はやくかまどで 焼いとくれ
「うっさいぞ! 黙れ!」
オレは物まね鳥の足を捕まえて、頭をポカリとやった。
止め方が分からないロボットは、こうするに限る。ほんとに止まりやがった。
そして、そのときだった。
コツリ
窓ガラス……というか飴だな。飴になにかがぶつかる音がした。
オレはハッとなって、窓のそとをみた……気のせいか。そう思った瞬間、コツリと、もう一度同じ音がした。今度は、飴ガラスが揺れたのを確認したから、間違いない。
オレは短剣を構えたまま、壁越しに移動を始めた。窓枠の端から、外を覗き込んだ。
「……ん、あいつは」
部屋の前にある菩提樹の根元に、ポッと明かりが見えた。目を凝らすと、昼間のギルドで見かけた、あの魔法使いのガキが立っていた。人差し指に炎をともして、こっちを見上げてるじゃないか。
オレは警戒しつつも、窓を開けた。
「イゾルデさん、ご無事でしたか」
それが、あいつの第一声だった。
「おまえ、なにやってんだ? あとをついてきたのか?」
「ちょっと、降りて来てくれませんか?」
オレは、冷やっとした。仕事を横取りしに来たんじゃないかと思ったんだ。
だけど、そのときは、婆さんに対する不信感のほうが強かった。引き受けたところを後悔している最中だったから、そのまま窓から降りちまったんだ。今でも、あのときどうすればよかったのか、悩むときがあるよ。
「よかった、まだ生きていたんですね」
相手の言い方に、オレは目を細めた。ちょっと距離をとる。
「なんだ、おまえ、オレがゾンビ退治ごときでくたばるようにみえたか?」
「ゾンビ退治なんて、嘘ですよ」
「……嘘?」
「ええ、これをみてください」
少年は、炎が出ていないほうの手で、煤けた紙切れを取り出した。
そして、オレの前にそれを広げた。そこには、美しい魔女の似顔絵があった。
「マダム・ホレ……? あッ!」
「お気づきですか?」
「こ、ここの婆さんとおんなじ名前じゃないか」
少年は、シッと歯で息を漏らし、あたりを窺った。
夜鳴鳥の羽音が、遠くで幾重にも聞こえた。オレは、声を落とす。
「この女が、どうかしたのか?」
「指名手配ですよ、賞金首です」
オレは、びっくりして紙切れを見直した。たしかに、賞金首だ。しかも、かなりの金額が懸かっていた。ただ、日付がすげえ古いんだ。五年も前でね。VRMMOで五年って言ったら、もう大昔だろ。サーバのリニューアルなんかで、ほとんどデータが一新されちまうわけだからな。その少年が話すところによると、マダム・ホレは、有名な屍術師で、アンデッドの製造が趣味だったらしい。違法だよな。ところが、どうも人気のあるプレイヤーだったらしくて、長いこと運営から放置されてみたいなんだ。その依怙贔屓も、ある事件でついに限界がきて、賞金首になっちまった。
その罪状は……。
「キャラクターの乗っ取り?」
「そう、データの上書きです」
最近のVRMMOって、全部寿命が設定されてるだろ。マダム・ホレは、初期から登録してるプレイヤーで、だんだん寿命が気になってきたんだな。そこで彼女は、自分のデータを他人のキャラクターに上書きして、そのまま乗っ取っちまおうとしたんだ。さすがにこれは擁護のしようがなくて、賞金が懸けられたらしい。まあ、一発削除じゃない時点で、運営も大甘なんだけどな。やっぱり依怙贔屓だぜ。
「でも、なんで殺されてないんだ?」
「マダム・ホレは、このサーバでも特級の魔法使いだったんですよ。それに、もう何年も前から、姿を消していたんです。引退したんじゃないかって、そういう噂になってました」
「じゃあ、ギルドに現れて、ゾンビ退治を依頼したのは、なんでだ?」
少年は、お尋ね者のチラシをしまうと、オレを指差した。
「あなたが狙いですよ」
「……オレ?」
「マダム・ホレは、もう一回乗っ取りを企んでるんです。寿命の限界ですからね」
「そうか……それで婆さんの格好なのか……」
普通、婆さんのキャラクターなんて、選ばないからな。変わった趣味だと思ってが、本当に加齢だったわけだ。まあ、整形してる可能性もあったが。
「それにしても、よくここが分かったな」
「ナイフで目印をつけてくれてましたから」
どうよ、この冴え。オレは、ぱちりと指を鳴らした。
「抜いたりしなかっただろうな?」
「そんな危ないことしませんよ」
「よしよし、おまえ、なんていうんだ? 名前は?」
「ルンペルシュティルツヒェンです」
「ルンペ……なんだって?」
「ルンペルシュティルツヒェンです」
オレは、舌を噛みそうになった。
「よし、ルンペルでいいな。オレは、これから……」
「イゾルデ、どこにいるのかえ?」
ルンペルは、すぐさま菩提樹のうしろに隠れた。
それとほぼ同時に、窓から、ホレ婆さんが顔をのぞかせた。
「イゾルデ、夜中に外出かい?」
「いやあ、ゾンビが来ないかなあ、と思って」
オレは、何事もなかったかのように、そう答えた。
「今夜は、もう来ないよ。それより、ちょいと厨房へ来ておくれ」
「厨房? 腹なら減ってないぜ?」
「食事をしてないじゃないかい」
「オレはベジタリアンで小食なんだよ」
適当に嘘を並べた。ちょっとドキドキしてくる。
「ふん、小生意気な娘だね……手伝ってもらいたいことがあるんだよ」
さて、どうしたものか。オレは躊躇したが、ここで粘ってると怪しまれる。
そう考えて、オレは首を縦に振った。
「いいぜ、表口の鍵をあけてくれよ」
「やれやれ、窓から降りるなんて、ゾンビよりもお行儀が悪いよ」
ホレ婆さんは、首を振り振り、奥へと引っ込んで行った。
オレは、すばやくルンペルに話しかけた。
「おい、ヤバいぞ、どうする?」
「乗っ取りの準備ができたとしか、思えませんね」
「逃げ出すか?」
「無理ですよ。猫かぶってますけど、本気を出せば、ボクらなんてイチコロです」
チッ。オレは、舌打ちをした。
「とりあえず、なんとかしてみましょう。ボクは、裏手に回ります」
「マジでこのアカウント気に入ってるんだからなあ。頼んだぞ」
ルンペルが裏手に回るやいやな、表口が開いた。
オレは、何食わぬ顔をして中にあがり、厨房へと向かった。
「そこに、かまどがあるだろう」
「ああ、それが、どうかしたのか?」
「これからちょいとアイテムを作るから、中を掃除してくれないかね」
ははん、これが乗っ取り用の機械だな。オレは、即座に勘づいた。まあ、ルンペルが来てくれなかったら、ほいほい入ったかもしれないけどな。
「なんでオレが掃除なんかしなきゃいけないんだよ?」
「ゾンビ退治が終わるまでは、まかないがあるんだよ。ちょっとは手伝っておくれ」
オレは肩をすくめた。
婆さんの肩越しに、チラリと窓の外をみやる……ルンペルがスタンバイしていた。あいつは窓越しに、入れというような仕草をした。
「……いいぜ」
「おお、そうかい、そうかい」
オレは、かまどの入り口に、上半身の三分の一を突っ込んだ。
「なにしてるんだい、もっと奥だよ」
「婆さん、かまどの奥に、なんか変なものついてるぜ?」
「……なんだって?」
オレは、かまどから這い出て、奥を指差した。
「ほら、あそこ」
「……ほんとだね」
奥の天井付近に、茶色いものがついていた。
実は、チョコレートなんだけどな。壁から一枚拝借してきたやつさ。婆さんは、急にそわそわし始めた。そりゃそうだよな。かまどじゃなくて、データ上書き用のポッドだからな、どう考えても。ようするに、精密機械なわけだ。そこに得体の知れないゴミがくっついてるんだから、製作者としては焦るよな。
オレは、もう一押しする。
「よし、オレがナイフで削り取ってやるよ」
そう言ってオレは、短剣を鞘から抜いた。なかに入るフリをする。
ホレ婆さんは、大慌てでオレを引き止めた。
「あたしがやるよ」
オレは、したり顔になるのをこらえながら、となりにどいた。
「まったく……この歳で四つん這いはこたえるよ……」
「安心しな、牢屋でひざを伸ばさせてやるぜ」
オレは、すぐにかまどの扉をしめた。
その途端、窓ガラスを割って、ルンペルが飛び込んできた。
「Ignis extremus!!」
詠唱、そして悲鳴。
かまどのなかで、なにかが爆発した。
ガタガタと、鉄の扉が動く。
「お、おまえ、なにやって……」
「あとは、燃え尽きるのを待つだけです」
その一言に、オレは青ざめた。
「殺すことはないだろッ!?」
「甘いですよ、イゾルデさん。こいつは今まで、死者を冒涜してきたんですから」
ルンペルは、醒めた目つきで、そう答えた。オレは、背筋がゾクっとしたね。賞金稼ぎに走るやつは、賞金首と同じようになるんじゃないか。そう思った。
かまどの扉は、すぐに動かなくなった。マダム・ホレの、あっけない幕切れだ。
ルンペルは、かまどの扉に冷気魔法をかけて、開けた。ヴァーチャルだから、そんなにイヤな臭いはしなかった。胸くそ悪くなったけどな。死体は跡形もなくて、灰と化していた。ルンペルはそのなかから、紫色に光る指輪を取り出して、ランプの光にあてた。
「これが、ギルド宛の証拠になります。このまま帰りましょう」
帰り道、オレは憂鬱だった。人を殺すつもりは、毛頭なかったからな。明け方の森を、魔除けのナイフを目印に、とぼとぼ歩いて帰った。ギルドにつくと、ほんとにびっくりされたよ。ただ、朝一で受付にこっそり言ったから、そこまで騒ぎにはならなかった。
「なんか、助かったぜ」
ギルドの前の通りで、オレはルンペルに礼を言った。
こいつのおかげでアカウント弾かれなかったようなもんだからな。
ああ イゾルデよ イゾルデよ
あたしの作った このスープ はやく腹へと 流し込め
オレの頭上では、例のうるさい物まね鳥が、くるくると飛び回っていた。
「こいつ、なんでついてきてんだ?」
「持ち主が死んだからですよ。そういう習性なんです」
「ふぅん……じゃあ、おまえが持って行けよ」
「え? いいんですか?」
「いいよ、邪魔になるだけだからな」
「ありがとうございます」
ルンペルが腕を伸ばすと、鳥はそのうえに舞い降りた。
「じゃ、いろいろとありがとな……おっと」
オレは、きびすを返した。ルンペルの背後に昇る朝日が、妙にまぶしかった。
「名前を聞いてなかったな」
「ルンペルシュティルツヒェンですよ」
「ここのサーバは、最大十二文字までだぜ」
オレに嘘を暴かれたルンペルは、照れくさそうに頬を掻いた。
「トリスタンです。風のトリスタン」