8話 試験
突然刹那の耳元で、薄く固い膜が割れるような甲高い音が響いた。
「な、……え?」
突如として現れた氷霧が辺りを白く滲ませたかと思えば、刹那の両足はいつの間にかゴツゴツとした氷塊に縫いとめられ身動きが出来なくなっていた。
「何これ……っ?」
足を上下に揺すってみるもびくともしない。そうしている間に辺りはすっかり濃霧に覆われ、二メートル先を見るのもままならない状態だった。
だがこれに驚いたのは何も刹那だけではなかった。動揺しざわつく声が隣から刹那の耳にも届いた。
「全員所定に着いたようだな。これからお前達にはそこから抜け出しコイツを捕まえてもらう」
白い景色からやっとのことで目を細めて月闇の右手にゆらゆらと浮かぶ存在を見やる。
あれは確か、月闇自身の使い魔ではなかったか。
薄灰色のふわふわとした小動物。猫とも犬ともいえない体躯で、それとは対照的に氷柱で出来た鋭利な尻尾が乱暴に左右に揺れている。見た目通りの氷の種族だった。眠たげでトロンとした眼に似合わず、俊敏に攻撃を躱す姿は人の目に見えない程だ。
とはいえ攻撃力は低く、目眩ましに長けているために戦闘にはあまり好まれない。
「時間内に捕まえたものから順に試験終了だ。《使い魔トゥイに命じる、出陣》」
その合図と共にトゥイは嬉しそうに身体を二、三度震わせ、勢いよく前進する。障害物に尾を振り下ろし粉砕させながら突き進むその姿には恐ろしささえ感じた。
――この狂暴なのを、捕まえる!?
動揺を隠せない刹那の周りでは既に氷の枷から逃れた生徒達がそれぞれ使い魔に命令を出している。
後から付け足しのように月闇が再び口を開いた。
「なお、傷付ければその場で失格とする」
その発言と共に生徒達が一斉に動きを止めた。
――傷付けずに、捕まえる? あの狂暴なものを?
周りが一気に不安めいたざわめきに埋もれ、それを掻き消すような甲高いトゥイの鳴き声がこだまする。
――……かかってこいってことね。
ははんとトゥイの真意を汲み取って、刹那は後ろに控え楽しそうな笑みを浮かべるジルに命令を下す。
「ジル、この足の、取って」
ジルはそれになぜか驚いた様子で刹那を見つめる。刹那は行動を起こさないジルに向かってもう一度名前を呼ぶ。
やがて数秒の間の後、ジルは目を細めて呟いた。
『……いいよ』
***
パリンと軽やかな音が足元で響く。と、同時に跳躍。刹那は自分でも運動能力はあると考えていた。そのまま手を伸ばし、尻尾を掴もうと手のひらを反らす。
その予想外の事態にトゥイの身体がビクリと震えた。
――いけるっ!
刹那はその一瞬を見逃さず、確かにその手でトゥイの尻尾をむんずと掴んだ。……はずだった。と、同時に。
『ギュイイイイイイィイッ』
耳朶を劈くようなトゥイのけたたましい絶叫に身体が硬直した。
え、何。
刹那は目を白黒させ、思わず手のひらの力が抜けた。
トゥイは勢いよく身震いし、刹那の手をすり抜けた。
「……あ!」
しまった、と思った時にはもう遅い。慌てて体勢を整えようとするが、トゥイはその隙をついて尾を降り下ろす。
バリバリと身を焦がすような衝撃が腹を伝って脳を刺激する。考える間も与えずに、目の前が黒く染まり、されるがままに弾き飛ばされた。
「……かはっ!」
――やばいやばい! この高さから落ちたら……!
ただではすまない。
いくら運動能力があると言えど、このスピードでこの高さからでは体勢は立て直せるはずがない。
周りの生徒ははっとその光景に息を飲む。
――……もうダメかも……。
刹那はぎゅっと強く強く目を瞑った。