6話 勇気
忘れられない校長先生の言葉。
「今日何気なく過ごした1日は、昨日死んでいった人の生きたかった明日」
どうせ殺してしまうなら、何故生み出したのでしょうね、神様は。
刹那は重い足取りで教室に向かった。通りすがる人の視線が刺さって痛い。
それでも刹那が我慢出来たのは、自分を恐れずに関わってくれた友の存在が大きいだろう。
扉の前で深呼吸をし、手を伸ばすと、あえて明るく振る舞いながら教室に入った。
「おはようっ」
応える者はない。静止したかと錯覚する静寂が刹那を襲う。
胸がぎゅっと締め付けられた。じっとりと汗ばんだ掌に力を込めながら、構わずに自分の席に向かう。席に着くまでの時間がとても長く感じる。
――いつまで続くんだろう。
不安に刈られながら、刹那は思う。膝の上で握りしめた拳を見つめる。
「……おは、よう」
ふいに、後ろから弱々しくも、確かに聞こえた。刹那はその声にはっと顔を上げて立ち上がり、声の主を捉えた。
あまり話したことのないクラスメートだった。大人しく、常に人に合わせるように行動している印象を受けていたのに。今、確かに刹那に。
彼女はわなわなと唇を震わせた後、俯いてしまう。ぬばたま色の艶のある肩まである髪が、俯いた拍子に顔を隠してしまい、刹那にはその表情が見えなかった。クラス全員がその様子を黙って見つめている。
「……おはよう」
返事までは数秒の間だったろうが、刹那にとってその時間はゆっくりとスローモーションのように流れていった。
少女はそれに瞠目していた。刹那の顔を申し訳なさそうに見つめ、やがてぎこちなく微笑んで頷いた。
「ごめんなさい。昨日考えたの、刹那ちゃんのこと」
「あ……」
「刹那ちゃん、ありがとう」
「……」
彼女は刹那の両手を優しく掴んで自らの胸元に引き寄せた。柔らかくて、温かい掌の感触に、咄嗟に胸がきゅっと引き締まる。
「刹那ちゃんは、怖くないよ」
にっこりと微笑みを浮かべて囁かれる。そのまま手を下ろし、くるっと後ろを向いて席に戻っていった。刹那はその後ろ姿を黙って見送る。誰よりも凛として、迷いのない背中だった。
喉元まで込み上げた熱い何かが弾けるのを感じる。瞳の奥がじんと熱くなり、目の前が滲み始めた。泣いてはダメだと自分に言い聞かせて力を込めて堪える。
他のクラスメートは変わらずに静かにその様子を眺めているが、刹那にとっては彼女の言葉だけで十分だった。何よりも嬉しいものだった。
自分に、寄り添ってくれたかけがえのない存在。
決して恐れなかったわけがない。それはただ単に刹那が恐ろしいだけではない。刹那に話しかけることで、自分ごと軽蔑されかねないのだ。特に、彼女の性格からして、今の一言はどれだけの勇気が必要だっただろう。それなのに、自分のために。
刹那は、堪えきれなくなって、目尻に一筋垂れた涙を袖元で拭う。目に光が宿る。何よりも力になった。
――私は。
「負けない」
独り言のように呟いてみる。静寂に包まれた教室にその言葉は力強く響いた。髪を掻き上げて意気込む後ろから、また声をかけられる。
「…………おはよう」
「なぁに?いいことでもあったの?」
振り返り、刹那は明るい表情で答える。
「おはよう!観世、六花。うん、私、負けないよ」
誰よりも晴れやかな言葉に二人は顔を見合わせ、もう一度刹那を見る。刹那はそれににかっと歯を見せて笑う。
「……なんだか、刹那のそんな顔、久しぶりだわ」
「…………いつもの刹那、嬉しい」
六花が腰に手を当て安堵した表情を浮かべた。観世も微笑む。
「えへへ」
――私は、勇気を教わった。だから。
「私は私の使い魔と、ちゃんと向き合うから」
誰にともなく発したその言葉は、刹那自身の胸にもじんわりと刻まれた。
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