3年間の聖女の勤めを果たして故郷に帰ったら婚約者が私の親友と浮気していた
「ねえ、アルバートの職場の人は何人くらい呼ぶ予定?」
「うーん……多分八人かなぁ」
「そっか、じゃあ全員同じテーブルでよさそうね。アルバートの職場の人の席はアルバートが決めてね」
「あいよ」
今日は婚約者のアルバートと二人で、結婚式の席次を決めていた。
私もアルバートも孤児で親族はいないので、こじんまりとした式になる予定だけれど、それでも席次には気を遣う。
相性が悪い人同士は席を離したほうがいいとか考えだすと、無限に時間が溶けていく。
「マリア! マリア!」
「「――!」」
その時だった。
激しいノック音と共に、親友のドリスの慌てた声が、玄関のほうから聞こえてきた。
「何かしら? はーい」
いそいそと玄関の扉を開けると、そこにはハァハァ息を切らせたドリスが立っていた。
「ど、どうしたの? 何かあったの?」
「大変よマリア! 王都から来た神官の方が、あなたを探してるって! ――あなた、次の聖女に選ばれたそうよッ!」
「「――!!?」」
わ、私が、聖女に――。
……そんな。
「あなた様がマリア様ですね。私は王都の神殿から参りました、神官のクレイグと申します」
クレイグと名乗った男性神官は、歳は私と同じく20代前半と思われるものの、その洗練された佇まいといい、身に纏っている如何にも高価そうな祭服といい、片田舎のただの町娘である私とは違い、桁外れのエリートであることが容易に察せられた。
「あ、はい、確かに私がマリアですけど、あの、何かの間違いではないでしょうか? 私が聖女だなんて、にわかには信じられないというのが本音なのですが……」
「お気持ちはよくわかります。ですがこれは、紛れもない真実です。何せ、現聖女であらせられる、サラ様からの神託なのですから」
「……!」
この国の聖女は、およそ3年おきに引き継がれる仕組みになっており、その際に女神ニャッポリート様から、現聖女に次の聖女候補を告げられることになっているのだ。
現聖女のサラ様がそう仰ったのなら、間違いであるはずがない……。
……でも。
「……ですが、実は私は――」
「ちょっと待ってください! マリアは俺と、結婚を控えてるんですよ!?」
「――! ……アルバート」
途端、アルバートがクレイグさんに食って掛かった。
「それなのに、3年も離れ離れになるなんて、あんまりじゃないですかッ!」
アルバートは今にも泣き出しそうな顔をしている。
聖女になれば、3年間は王都の神殿で聖女の勤めを果たすことになるので、確かにアルバートとの結婚は引き伸ばしになってしまう。
アルバートは大きい身体に反して、意外と甘えん坊なところがあるので、3年間も私に会えない生活は、とても苦しいものになるかもしれない……。
もちろんそれは、私も同様だ――。
「……そうですね。その点については、本当に申し訳なく思っております。ですが、これは国家の治安維持に、どうしても必要なことなのです。どうかご理解いただけますと幸いです」
「クッ……!」
アルバートは奥歯を嚙みしめながら、握った拳を震わせた。
聖女が毎日ニャッポリート様に祈りを捧げることで、この国を包んでいるニャッポリート様の聖なる結界が維持されている。
もし結界がなくなってしまったら、たちまち凶悪な魔獣にこの国は襲われ、大混乱に陥ってしまうことだろう……。
そうすれば、歴代の聖女様たちが必死に守ってこられた平和が、一夜にして崩壊してしまうことになる――。
――私は自分の胸に手を当て、ふうと深く息を吐いた。
「――わかりました。聖女の勤め、精一杯果たさせていただきます」
「マ、マリア……!?」
アルバートは母親とはぐれた子どもみたいな顔で、私を見つめる。
「大丈夫よアルバート。3年くらいあっという間だわ。聖女の勤めが終わったら一生遊んで暮らせるくらいお金がもらえるらしいし、私が帰って来たら、うんと豪華な結婚式を挙げましょうよ」
「…………うん」
アルバートも聖女の運命には逆らえないとわかったのか、弱々しく、こくりと頷いたのだった。
「マリア様、マリア様のそのお覚悟、神殿を代表して、深くお礼申し上げます」
クレイグさんは自分よりも明らかに身分が低いだろう私に、それはそれは丁寧に頭を下げたのであった――。
……ああ、私は本当に聖女になってしまうのだ。
この瞬間、私の肩にズシリと、目に見えない何かがのしかかってきたような気がした――。
――そして私が、王都へと出発する日がきた。
「マリア、俺、毎日手紙書くから」
「うん、でも、毎日は大変だろうから、たまにで大丈夫よ」
見送りの場にはアルバートやドリスをはじめ、町中の人たちが集まってくれていた。
聖女を輩出するのはとても名誉なことなので、町を挙げてのちょっとしたお祭り騒ぎになっているのだ。
「元気でね、マリア」
「うん、あなたもね、ドリス」
ドリスがギュッと、私を抱きしめてくれる。
暫くはドリスとも会えないのかと思うと、思わず涙腺が緩みそうになったが、ここで泣いてしまったら覚悟が薄れそうだったので、必死に堪えた。
「頑張れよーマリア!」
「風邪引かないようにね!」
「はいこれ、私の焼いたクッキー。道中で食べてね」
「わあ、ありがとうございます」
私の職場の先輩たちも、みんな見送りに来てくれていた。
私が聖女に選ばれたことで、急遽退職することになってしまったにもかかわらず、誰一人文句を言う人はいなかった。
今思うと、とても恵まれた職場だった。
それだけに、しっかりと聖女の勤めを果たさねばという気持ちが、より強くなった。
「それでは、いってきます」
「「「いってらっしゃーい!」」」
「では、参りましょうか、マリア様」
「――はい」
こうして私はクレイグさんと共に、王都へと旅立ったのであった――。
「わ、わぁ……」
そして馬車で1週間かけて王都に着いた私を待っていたのは、圧倒的な人の多さだった。
生まれて初めて訪れた王都は、まるで別世界だった。
地平線が山で覆われている私の故郷と違って、辺り一面が高い建物だけで埋め尽くされており、向こうの景色がまったく見えない。
四角い空というのは、こういうのを言うのだろう。
「クレイグさん、今日って別に、お祭りとかではないんですよね?」
「ふふ、はい、これといったイベントはない、至って普通の日です。最初は人の多さに戸惑われるかもしれませんが、すぐに慣れますよ。マリア様、早速で恐縮ですが、これから神殿で現聖女様との引き継ぎの儀式を行っていただきますので、よろしくお願いいたします」
「は、はい!」
いよいよ現聖女のサラ様との対面か……。
緊張してきたわ。
「まあ! あなたがマリアちゃんね! 可愛いじゃな~い。お肌もぷにぷにだし」
「わ、わ!?」
荘厳な神殿の聖女の間でお会いしたサラ様は、20代中盤くらいの、黒髪の綺麗な大人の女性だった。
サラ様のおでこには、聖女の証である聖印が浮かんでいる。
だが、いきなりサラ様は私の頬を人差し指でツンツンしてきたので、思わず私は声を上げてしまった。
「サラ様、お戯れはその辺で」
「はいはい、ちょっとした冗談じゃない。相変わらず固いわね、あんたは」
そんなサラ様を、サラ様と同じく20代中盤くらいの男性神官が咎める。
この方が、サラ様の担当神官なのだろう。
クレイグさんから聞いた話だと、聖女にはそれぞれ専属の神官が付き、さながら執事の如く身の回りの世話をしてくれるらしい。
女性ではなく男性の神官が選ばれているのは、ボディーガードも兼ねているからだとか。
確かに聖女は国の要とも言える存在だものね。
それだけに、命を狙われる危険もあるかもしれないから、さもありなんといったところだ。
クレイグさんは身長こそ高いものの、身体の線は細く、正直あまり強そうには見えないけれど、多分相当な武術の心得があるんでしょうね。
「ふふ、私の顔に何かついていますか、マリア様?」
「い、いえ!? 何でもないです!」
おぉ……。
横目でそっと覗いただけなのに、すぐにクレイグさんに気付かれてしまった。
今ので確信した。
やはりこの方、相当な手練れだわ。
「じゃあマリアちゃん、早速だけど引き継ぎの儀式始めちゃうわね」
「あ、はい! よろしくお願いいたします!」
「よし、ちょっと失礼するわよ~」
「――!?」
おもむろにサラ様は、自らのおでこを私のおでこにピトッとつけてきた。
あわわわわ……!?
サラ様の長いまつ毛が私のまつ毛に当たりそうで、心臓がトクンと一つ跳ねた。
「――偉大なる女神よ、この者に聖女の力を与えたまえ」
「……!」
途端、私の中に目に見えない莫大なエネルギーのようなものが流れてくる感覚がした。
こ、これが、聖女の力――!!
「はい、完了~。うん、上手くいったわね。流石私」
一歩離れたサラ様のおでこからは、聖印が消えていた。
ということは――。
「おめでとうございますマリア様。これで今から、あなた様が今代の聖女様です」
クレイグさんがそっと差し出してくださった手鏡を覗くと、私のおでこに聖印が浮かんでいた。
本当に私が、聖女になったんだ――。
「よし、ほんじゃ聖女としての最初の仕事、やってみよっか」
「あ、はい」
サラ様に促されて、ニャッポリート様の女神像の前に立つ。
「何となく祈れば、それで大丈夫だから」
「はい、やってみます」
手を組み、自分なりに祈りを捧げる。
――ニャッポリート様、どうか私たちに、神のご加護を。
「――!」
すると、女神像が眩く輝き出した。
が、すぐにその光は収まった。
「うん、オッケーオッケー。その感じで大丈夫よ。もう私からあなたに教えることは何もないわ。――それじゃこれから3年間、よろしくねマリアちゃん」
「あ、はい、頑張ります」
「私は今後もこの近くに住む予定だから、今度二人でお茶でもしましょ。じゃ、またねー」
「お、お疲れ様でございました!」
サラ様は担当神官の方と二人で、肩を並べて聖女の間から去って行かれた。
今日まで3年間、1日も休まずこうして祈りを捧げ続けたサラ様の功績に、改めて頭が下がる思いだった。
「本日のご祈祷、お疲れ様でございましたマリア様。そろそろお昼ご飯にしようと思うのですが、何かメニューにリクエストはございますか? 大抵のものなら、作る自信はございますので」
「え? クレイグさんが作ってくださるんですか?」
「もちろんでございます。――それも、聖女様の担当神官の大事な仕事ですので」
「……!」
そうか。
万が一の暗殺等も防ぐために、極力外部の人間の作ったものは食べさせないようにしているのね……。
聖女という仕事の重大さに、思わず身震いした。
「じゃあ、あの、オムライスとか、いいですかね? 実は好きなんです、オムライス」
「ふふ、承知いたしました。お任せください」
ニッコリと微笑みながら、聖女の間から出て行かれるクレイグさん。
これから3年間、クレイグさんがこうして付きっ切りでお世話をしてくださるのかと思うと、改めて頭が下がる思いだった。
――ちなみにクレイグさんがこの後作ってくれたふわとろオムライスは、目玉が飛び出そうになるくらい美味しかった。
「マリア様、またアルバート様からお手紙が届いてますよ」
「わあ、ありがとうございます」
あれから数ヶ月。
まだまだ聖女としての生活には慣れていない私だけれど、そんな私の心の支えの一つが、このアルバートからの手紙だった。
大体2週間おきくらいに手紙の遣り取りをしているのだけれど、何の他愛もない手書きの文字の羅列が、何よりの私の癒しになっている。
アルバートによると、私の故郷は聖女を輩出したことにより、今や観光客で溢れかえっているらしい。
アルバートも聖女の婚約者ということで、ちょっとしたヒーロー扱いになっているとか。
私だけでなく、アルバートの人生も変えてしまったことに対して、一抹の罪悪感を覚えずにいられないが、文面からは特に不満は感じないどころか、アルバートも満更でもない生活を送っていることが垣間見えるので、ほっと胸を撫で下ろした。
「クレイグさん、アルバートからの手紙、まだ届いてませんか?」
「……はい、そうですね。念のため後で、もう一度確認してまいります」
「ああ、いえ、大丈夫です。きっとアルバートも、仕事が忙しくて忘れてるだけだと思いますから」
「……左様でございますか」
私が聖女になって、早1年半が過ぎた。
今ではすっかり王都での生活にも慣れた私だけれど、それと反比例するかのように、アルバートから届く手紙のペースは回を重ねるごとに落ちていった。
もう最後に届いたのは、今から2ヶ月以上前のことだ。
もしかしたらもう、アルバートは私に愛想を尽かしてしまったのかもしれないという不安が胸の奥に渦巻いているが、アルバートに限ってそんなはずはないと、頭を振った。
何より聖女である私の心が不安を覚えてしまうと、祈禱へも影響が出てしまう。
聖女の勤めが終わるまでの残り1年半、私は決して心を乱すことは許されないのだから――。
――だが、この後もアルバートからの手紙のペースは更に落ちていき、遂にはまったく手紙の返事は届かなくなってしまったのだ。
――そして私が聖女になってから、ちょうど3年ほどが経った、ある日のこと。
「――あ」
今日もいつも通りニャッポリート様に祈りを捧げたところ、私の頭の中に、次の聖女候補のお告げがきた。
――遂にこの日がきたのね。
「マリア様、もしや!?」
クレイグさんが興奮を隠し切れない様子で、私の横に立つ。
「――はい、次の聖女が決まりました。北東にあるエクーフラという町に住む、コリンナという17歳の女の子です」
次の聖女は17歳なのね……。
私が聖女になった時よりも、4歳も若い。
17歳からの3年間という、女にとっては人生において一番大事と言っても過言ではない時間を奪ってしまうことに対して、罪悪感で胸が張り裂けそうになる。
もしかしたらこのコリンナちゃんにも、私と同じく愛する人がいるかもしれないのに……。
「……承知いたしました。――すぐに手配してくれ」
「は、はい!」
クレイグさんが若い男性神官に命じる。
彼が次の、聖女の担当神官なのだ。
若いのにとても気が利く好青年なので、きっと彼なら、コリンナちゃんのことを優しくサポートしてくれることだろう。
――この3年間、クレイグさんがずっと側で、私のことを献身的に支えてくださったように。
「ふふ、私の顔に何かついていますか、マリア様?」
「い、いえ!? 何でもないです!」
ううん、相変わらずこの方は、私が少しでも目線を向けるとすぐ気付かれるわね。
つくづく凡人の私とは、人としての格が違うわ。
「コリンナ様が到着されました」
あれから2週間。
コリンナちゃんの担当神官に連れられて、聖女の間にコリンナちゃんが現れた。
「は、はじめましてマリア様! コリンナと申します!」
コリンナちゃんはそばかすがキュートな、メガネをかけた文学少女風の可愛い女の子だった。
当時のサラ様には私がこんな風に見えていたのかもしれないと思うと、思わず頬が緩む。
「はじめましてコリンナちゃん。マリアです。――これから3年間、聖女の仕事は大変かもしれないけど、やり甲斐もあるから、どうか頑張ってね」
「はい! もちろんです! 私ずっと王都で生活するのが夢だったんで、こんな形で夢が叶って、まさに夢みたいです! あはは、夢って言いすぎですね、私」
「うふふ」
よかった。
この様子だと、コリンナちゃんには私みたいに、故郷に残してきた恋人はいないみたいだ。
――これなら心置きなく、聖女の力を引き継げる。
「ではコリンナちゃん、早速だけど引き継ぎの儀式始めるわね」
「はい! よろしくお願いいたします!」
「うん、ちょっと失礼」
「――!?」
私はあの日サラ様にしていただいたみたいに、コリンナちゃんのおでこに私のおでこをピトッとつけた。
ふふふ、あわあわしてるコリンナちゃん可愛い。
多分あの日の私も、こんな感じだったんでしょうね――。
「――偉大なる女神よ、この者に聖女の力を与えたまえ」
「……!」
途端、私の中の聖女の力が、コリンナちゃんに流れていく感覚がした。
うん、どうやら成功したみたいね。
コリンナちゃんから離れると、コリンナちゃんのおでこには、くっきりと聖印が浮かんでいた。
「これで引き継ぎは完了よ。早速最初の仕事をやってみましょうか」
「は、はい!」
嗚呼、これでやっと、アルバートの待つ故郷に帰れる――。
王都での華やかな生活もこれはこれで楽しかったけれど、やっぱり私にはアルバートのいる、あの片田舎の町が恋しいわ。
「わあ……!?」
そうしてクレイグさんに連れられて、3年ぶりに故郷に帰って来た私だけれど、この3年で町の風景はすっかり様変わりしていた。
王都に負けないくらい、観光客で溢れかえっていたのだ。
やはりアルバートの手紙に書いてあったことは、本当だったのね。
見れば土産物屋には種々の聖女に関するグッズが売られており、中には『聖女ちゃんクッキー』なんてものまである。
いくら何でも乗っかりすぎじゃない……?
まあ、こんな私でも故郷に少しでも貢献できていると思えば、光栄だけど。
「おお! マリアじゃねえか! オオイ、みんな、マリアが帰って来たぞ!」
「まあ、久しぶりマリア! すっかり垢抜けたわね!」
「今度王都の男、私にも紹介してよ!」
「わあ、本物の聖女様だあ!!」
「わ!? わ!? わ!?」
途端、たくさんの人に囲まれてしまった。
オオウ、聖女の人気凄い……。
王都でもよく信者の方々から声を掛けられることはあったけれど、ここは地元だけあって、また王都の人たちとは違った熱意を感じる。
子どもの頃からよく知っている人間が聖女になったことが、余程誇らしいのだろう。
だが、ざっと見渡した限りだと、この中にアルバートの姿はなかった。
確か今日はアルバートは仕事は休みの日だから、家にいるのかもしれない。
――嗚呼、早くアルバートに会いたい。
地元に帰って来たことで、私の中のアルバートへの想いが、今にも溢れそうになっていた。
「ふふ、では、私の仕事はここまでのようですね。今日まで本当にお疲れ様でございました、マリア様。どうかお元気で」
クレイグさんが私に深く頭を下げてくださった。
「あ、はい! こちらこそ、3年間本当にお世話になりました! このご恩は一生忘れません!」
私も同じく、クレイグさんに深く頭を下げる。
私が3年間大きなトラブルもなく聖女の勤めを果たせたのは、ひとえにクレイグさんのお陰だ。
クレイグさんはこの3年間、自身のプライベートも一切犠牲にして、まるで乳児を育てる母親の如く、私のためだけに尽くしてくださった。
もう二度とクレイグさんの絶品オムライスが食べられないのかと思うと、心の底から残念でならないが、クレイグさんには今後も王都での神官のお仕事があるのだから、我儘を言うわけにはいかない。
「――! ……勿体なきお言葉でございます。それでは私は、失礼いたします」
「はい、いつかまた!」
ほんの少しの寂寥感を滲ませながら、クレイグさんは去って行かれた。
私の結婚式が終わっていろいろと落ち着いたら、アルバートと二人で王都に観光に行って、その時改めてクレイグさんにはお礼をしようと、心に誓った。
「なあなあマリア、サインくれよサイン!」
「あっ、ズルい! 私も私も!」
「俺も!」
「ぼ、僕も……お願いします……」
「わ!? わ!? わ!?」
今度は一斉にサイン攻めされた。
ううん、もう私は、聖女じゃなくなったんだけどなぁ……。
どうやら聖女の勤めが終わっても、なかなか平穏な生活は送らせてはもらえないみたいだ――。
そうしてやっとみんなへのサインが終わり解放された頃には、すっかり陽も傾き始めていた。
でも、これでやっとアルバートと会える――!
私は手鏡で軽く前髪を整えてから、アルバートの家の扉を、合鍵でそっと開けた。
「アルバート、ただいま! …………え」
家に入った途端、強烈な違和感が私を襲った。
アルバートは掃除が大の苦手で、私が片付けないと常に家の中は物と埃で溢れかえっていたのに、今は綺麗に整頓されており、床には塵一つ落ちていなかったのだ。
しかもところどころに、明らかに私のものではない、女性用の私物が置かれている。
――そしてこの部屋中に充満している香水の匂いは、ドリスの愛用していたものと同じ。
「あ……あぁ……」
この数年、ずっと心の奥に仕舞い込んできた不安が、私の中で破裂した――。
もしかしたらこうなってしまっているのではないかと、多分私は気付いていた。
でも、必死にその事実から、今日まで目を逸らしてきたのだ。
でないと、とても聖女の勤めは果たせなかったから――。
「あれ!? マ、マリア!? もう聖女の仕事は終わったの!?」
寝室から青い顔をした半裸のアルバートが、慌てて出て来た。
――この瞬間、私の予感は確信に変わった。
「…………」
「え!? ちょ、ちょっとマリア!? 今はッ!!」
私はアルバートのことを無視して、寝室の扉を開けた。
するとそこには――。
「わあ、マリア、久しぶり。少し痩せた?」
裸のドリスが、ベッドで横になっていた――。
「ち、違うんだよマリア!? これは、そういうことじゃなくて!」
手をバタバタさせながら、必死に弁明しようとするアルバート。
「何が違うのかしら? これが浮気じゃないんだとしたら、いったい何だっていうのよ!?」
感情的になってはいけないとは思いつつも、どうしても語気が強くなってしまう。
「だ、だって……、君が王都に行ってしまって……、俺、毎日凄く寂しくて……、それで……」
「それで……? だからドリスに慰めてもらってたってわけ? ――それを世間では浮気って言うのよ。そんなこともわからないのかしら?」
「う……うぐ……」
「まあまあ聖女様、そんなカッカしないでよ。ニャッポリート様に見放されちゃうわよ」
「……!」
多少なりとも後ろめたい気持ちが見え隠れしているアルバートとは対照的に、ドリスにはまったく悪びれた様子はない。
大方ドリスのほうから、アルバートの心の隙間に付け込んだのだろう。
今思えば、ドリスは何かにつけて私に、「カッコイイ彼氏がいて羨ましい」と冗談交じりに言っていた。
――あれはきっと、冗談ではなかったのだ。
私が聖女になって王都に行くと決まった瞬間、心の中ではほくそ笑んでいたに違いない。
――ついさっきまでは色鮮やかに光り輝いていた目の前の景色が、急速に色を失っていく。
まさか恋人と親友、そのどちらにも裏切られるなんて――!
「……もういいわ。あなたたちの顔なんて、二度と見たくない。――じゃあね」
「オ、オイ!? 待ってくれよ、マリアッ!!」
「離してッ!!」
「っ!?」
強引に腕を掴んできたアルバートを振り解いて、そのまま私は家から飛び出した――。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
どれだけ走っただろうか。
ふと気が付くと私は町から大分離れた、薄暗い森の中に一人で佇んでいた。
「う……うぅ……!! うあああああああああああ……!!」
泣きたくない……!!
あんなやつらのためには絶対泣きたくはないのに、我慢しなければと思えば思うほど、涙がとめどなく溢れてくる。
「――マリア様」
「――!!」
その時だった。
この3年間、毎日聞き馴染んだ優しい声が、私の鼓膜を震わせた。
そ、そんな――!
この声は――。
「……クレイグさん、なんでここに」
そこにはクレイグさんが、いつもの凛としたお姿で立っていた。
「王都に帰ったはずじゃ……?」
「いやぁ、それが、私も暫く休暇をいただけたので、せっかくですからマリア様の故郷であるこの町で、少しの間ゆっくりしようかと思いまして。当てもなくその辺をぶらぶらしていたら、深刻なお顔をされたマリア様がこちらに走って行くのが見えたものですから、心配になって様子を見に来てしまいました。あはは」
クレイグさんは照れくさそうに、頭を掻いた。
クレイグさん……。
こんな時にまで、あなたは私を――。
「……何かあったのですか? 私でよろしければ、お話くらいはお聞きしますよ」
「――!」
天使みたいな笑顔でそう言われては、私はもう抑えきれなかった――。
「……じ、実は、アルバート、が……」
私は涙交じりの震え声で、ついさっき起きた悲劇を語った――。
「……そうですか、それはあんまりですね」
私の話を聞き終えたクレイグさんには、然程驚いた様子は見られない。
おそらくクレイグさんも私同様、アルバートの心が私から離れていることには薄々気付いていたのだろう。
私にアルバートからの手紙を手渡してくださっていたのは、いつもクレイグさんだったのだから。
アルバートの手紙の頻度が月日を追うごとに減っていったことで、クレイグさんも不穏な空気を感じていたに違いない。
「このたびは、何とお詫びを申し上げたらいいか。――本当に、申し訳ございませんでした」
「――!」
クレイグさんはおもむろに、私に深く頭を下げた。
「い、いや!? なんでクレイグさんが謝るんですか!? クレイグさんは何も悪くないじゃありませんか!」
「……ですが、間接的にとはいえ、私がマリア様を王都にお連れしたのが一因であることは事実ですので」
「クレイグさん……」
頭を上げたクレイグさんは、眉間に皺を寄せて、グッと唇を引き結んでいた。
「それは違いますよクレイグさん」
「……! ……マリア様」
「クレイグさんは、ご自身の勤めを果たされただけです。――そして私も、聖女としての勤めを果たしただけ。クレイグさんも私も、何一つ悪いことはしていないじゃありませんか。あくまで責任はアルバートにあります。あんなヤツのために、クレイグさんが後ろめたい気持ちになる必要なんて、微塵もないんです!」
「……嗚呼、やはりあなた様は、聖女に相応しいお方です」
クレイグさんはまるで女神を目の前にしたかのように、恍惚とされた。
そうよ、今の自分の一言で、私も吹っ切れたわ――。
あんな最低男のために、この先の人生をずっとウジウジしながら生きていくなんて、バカみたいじゃない――!
「クレイグさん、クレイグさんに一つだけお願いがあるのですが、聞いていただけますか?」
「……! はい、私にできることでしたら、何なりとお申し付けください」
「――私、この町を出てこれからは王都で暮らしたいんですけど、クレイグさんが王都に帰られる時、一緒に私も連れて行ってはいただけないでしょうか? 流石に女が一人で王都まで行くのは、若干不安なので」
「――! 本当によろしいのですか?」
「はい」
この町にいたら、今後も嫌でもアルバートとドリスと顔を合わせることになってしまうだろうし。
「――承知いたしました。お任せくださいませ」
「ありがとうございます、クレイグさん」
さようなら、私の生まれ育った町――。
「いやあ、今のお芝居、凄かったですね! 特に主演女優の方の演技が圧巻でした!」
「ええ、確かに。あの方はまだ20歳だそうですよ」
「20歳であの貫禄!? やっぱり世の中には、天才っているんですねぇ」
私が王都にとんぼ返りしてから、早半年が過ぎた。
聖女時代に稼いだお金でそこそこ立派な家も買ったし、たまにサラ様と二人でお茶をしたり、コリンナちゃんの仕事の愚痴を聞いたりといった、悠々自適な生活を送らせてもらっている。
今日も仕事が休みだったクレイグさんが私に気を遣って、お芝居に誘っていただいたので、二人で観た帰りなのだ。
――私がこうして立ち直れたのは、クレイグさんのお陰だ。
クレイグさんはもう私の担当神官ではなくなったにもかかわらず、こうして仕事の合間を縫っては、私のことを常に気にかけてくださっている。
それがどんなに、私の心の支えになっているか……。
「マ、マリアッ!」
「「――!!」」
その時だった。
もう二度と聞くとは思っていなかった不快な声が、私の鼓膜を震わせた。
「……アルバート」
振り返るとそこには、半年前と比べるとゲッソリと瘦せこけたアルバートが立っていた。
「……なんであなたが、ここに」
「い、いやあ、実は最近、俺も王都に引っ越して来てさ。奇遇だね、こんなところで会うなんて」
「……」
何を白々しい。
アルバートには王都に引っ越す理由なんてなかったはずだし、そこで偶然私と会うなんて出来すぎている。
大方私のことを探して、わざわざ王都まで来たのだろう。
――その目的はもちろん。
「ねえマリア、これもきっとニャッポリート様の思し召しだよ。――いい機会だから、もう一度だけ俺とやり直さないか?」
ほらやっぱり。
「あなたみたいな人間が、ニャッポリート様のお名前を軽々しく口にしないで。そもそもドリスのことはどうするつもりなのよ?」
「ああ、うん、ドリスとはもう……別れたんだ。だから何も問題はないよ」
私のほうにはあるのだけれど?
「――お断りします。私はもう何があろうと、あなたとやり直すつもりはないわ」
「そ、そんな!? なんでだよッ! 俺たちはあんなに愛し合ってたじゃないか!?」
どの口が。
その愛を踏みにじったのは、あなたのほうじゃない。
「――見ていられませんね」
「っ!?」
その時だった。
私とアルバートの遣り取りをジッと静観されていたクレイグさんが、氷のように冷たい目をしながら、アルバートと相対した。
「あ、赤の他人が口出ししないでくれよ! 俺は今、マリアと話をしてるんだ!」
「ですがマリア様はもう、ハッキリと答えを出されたではありませんか? それなのにしつこくつきまとうというのであれば、マリア様の元担当神官として、看過はできません」
「なっ!?」
ク、クレイグさん……!
「そもそもあなたがマリア様を愛しているというのも、とても信じられたものではありません。大方故郷にいられなくなったものだから、逃げるように王都に来て、マリア様に縋ろうとしているだけなのでしょう?」
「グッ……!」
アルバートは気まずそうに目を逸らした。
どうやら図星らしい。
「調べはついていますよ。あれ以来あなたとドリスさんは、あの町でそれはそれは白い目で見られているそうですね。無理もありません。国の宝である聖女様を、あんな形で裏切ったのですから」
「あ……うぅ……あぁぁ……」
まあ、クレイグさんたら、いつも間にそんなことまで調べてくださったんですか……?
クレイグさんが有能すぎて、最早ちょっと怖いくらいだわ。
「もちろん聖女様のお膝元である、王都にもあなたの居場所はないと思ったほうが賢明ですよ」
「そ、そんな……!?」
「そうそう、アンタみたいなクソ野郎は、とっととここから出て行きな」
「――!?」
こ、この声は――!
「……サラ様」
「よっ、マリアちゃん、今日も可愛いね」
そこにはサラ様が、いつもの太陽みたいな笑顔を浮かべて立っていた。
「その通りです! マリア様を傷付けた罪は、海よりも深いですよ!」
「コリンナちゃん!」
今度はコリンナちゃんまで!
「そうだそうだ! さっさとここから出て行け!」
「でないと、力ずくで対応することになるが?」
それに他の神殿関係者の方々まで……。
「な……なんでみんな寄ってたかって……。俺が何をしたっていうんだよ……」
この期に及んでそんな様子じゃ、一生反省することはなさそうね。
「――まだそんなことを言っているのですか?」
「ヒッ……!?」
クレイグさんが魔王のようなドス黒いオーラを放ちながら、アルバートの前に立つ。
おぉ……!
常にお優しいクレイグさんがこんなに怒っているところは、初めて見たわ……。
「ヒ、ヒイイイイイイイイイ」
すっかりクレイグさんの魔王オーラに気圧されたアルバートは、子どもみたいに泣きじゃくりながら逃げて行った。
……さようなら。
これで今度こそ、二度とあなたと会うことはないわね。
「マリア様、差し出がましい真似をして申し訳ございませんでした」
一瞬でいつものお優しい顔に戻ったクレイグさんが、私に頭を下げる。
「い、いえいえいえ! お陰で助かりました! あのままだったら私、あいつのことをぶん殴ってたでしょうし」
「あはは、それはそれで、見てみたかった気もしますね」
「そうよクレイグ、あなたがいつまでもウジウジしてるから、あんな勘違い男が王都まで来ちゃったんじゃない」
「え?」
サラ様?
今のは、どういう……?
「――そうですね。本当はもっと早くに、マリア様に私のお気持ちをお伝えするべきだったのかもしれません」
「――!」
クレイグさんが燃えるような熱を瞳に宿しながら、私と向き合われる。
ク、クレイグさん……??
「――マリア様、私はずっと前から、あなた様のことをお慕いしておりました」
「…………!!」
あ、あぁ……。
「まあ、マリアちゃん以外には、みんなバレバレだったけどねぇ。じゃなきゃ担当を外れた後も、あんな献身的に世話なんてするわけないって」
サラ様……!
そうか……。
私はてっきり、クレイグさんが責任感から、私に気を遣ってくださっているものだとばかり……。
「コホン、誰もあなた様には言われたくないと思っていそうですが」
「ん? どういうことよ?」
サラ様の元担当神官さんが、呆れ顔でサラ様を見ている。
ああ、どうやら聖女というのは、代々ニブい人間がなるようですね……。
「まあいいか。さあマリアちゃん、返事をしてあげなよ」
「あ、はい……!」
私は一つ息を吐いてから、改めてクレイグさんと向き合う。
クレイグさんは、まるで雨に濡れた子犬のような瞳で、私の返事をジッと待っている。
――か、可愛い――!
この瞬間、私はやっと自分の本当の気持ちに気付いた。
「……私も、クレイグさんをお慕いしております」
「――! マ、マリア様……!」
そう、今日までずっと気付かないフリをしてきたけれど、私もクレイグさんのことを、心の底から愛していたのだわ――。
だってもう、私はクレイグさんなしの人生なんて、考えられなくなってるもの――。
「……マリア様、ありがとうございます。この命に代えても、一生大切にいたします」
「ふふ、私もです、クレイグさん」
私とクレイグさんは、お互いに手と手を握り合いながら、笑った――。
「よっしゃー! 今夜は祝杯よー!!」
「わああああ!! おめでとうございます、マリア様!」
「「「おめでとうございまーす!!」」」
サラ様もコリンナちゃんも、他の神殿関係者の方々も、万雷の拍手で私たちを祝福してくれた。
――嗚呼、私、聖女に選ばれて本当によかった。
私は心の中でそっと、ニャッポリート様に祈りを捧げた。




