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エルドウィス森譚〜私と猫と、ときどきドラゴン〜  作者: 川津 聡


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3/21

猫の鼻と竜の残り香

 思わぬ訪問者に会ったものの、リオンは普段とそう変わらない時間に、うちに帰ることができた。

 リオンが小屋へ戻ると、煙突から煙が薄く立っていた。

 そして、玄関を開けた瞬間――


「……いつもと違う匂いがする」


 低く、不機嫌そうな声。

 黒猫のキャスが、扉の影から鋭い目でこちらを睨んでいた。柔らかなベルベットの毛並みが少し逆立っている。


「ただいま」


 それに構わず、いつも通りのリオンが荷を下ろす。

 ドラゴンの気配をまとってしまったので、生憎あいにく獲物には恵まれなかったが、セルグラシアから魚をいくつか手土産にもらった。それを夕飯にしようと思っている。


「『ただいま』じゃない。何か連れてきたろ」

「何も連れて帰っていませんよ」


 しれっと論点をずらしたが、キャスはそもそも言葉に頼るタイプではなかった。


「ウソつけ。空気の匂いが違う」


 キャスは鼻をひくつかせながら、リオンの足元をぐるぐると回った。

 つま先から裾、背負い袋――そして、背中によじ登り、まるで審問官のように嗅ぎ回る。


「キャス、重いですよ」

「……あ〜、なるほど。セルグラシアだな」


 黒い耳がピンと立つ。匂いの原因に思い当たったらしい。


「また来たのか。あの羽付きトカゲ」

「そんなふうにいうものではありませんよ」


 苦笑するリオンからピョンと飛び降りると、キャスは暖炉の近くに戻っていった。


「どうせまた、面倒事だろ? リオンは人がよすぎるんだ」

 ツンと顔を背けるキャスだが、本当に嫌がっているわけではない。

 その証拠に、リオンの動きに合わせて、耳がピクピク動く。

 リオンの反応を待っている証拠だ。


「そんなこと言わないで。ほら、これ。セルグラシアからキャスに」


 立派な川魚を見せると、キャスの尻尾が揺れた。

 あと一押しだと、リオンはブルンブルを取り出す。

 これは、夏の終わりから秋にかけてとれる黒っぽい果実で、ジャムなどにするとおいしいのだ。それをキャスも知っている。


「今日はブルンブルもたくさん取れたので、砂糖をたっぷり使ってジャムも作りましょう」

「――ドラゴンどもにはやるなよ。あいつらは大食いで、口に入るものの違いなんてわからないんだから」

「はいはい」


 食い意地のはったキャスの言葉に苦笑するリオン。

 キャスがまだ話したそうにしている気配を感じたので、リオンも暖炉のそばに寄る。


 暖炉の火を起こしながら待っていると、キャスがポツンとつぶやいた。


「僕、あいつ苦手なんだよ」

「セルグラシアが?」

「そう。なんかこう……気配がきれいすぎる。あいつの隣に立つと、僕の毛並みがくすんで見える気がする」


 リオンはしばらく黙った。

 それから、火が爆ぜる音の合間に、静かに言った。


「……澄んでいる空気の中にも、風の動きはありますよ」

「ん?」

「空の上で生きている者は、下を見ようとしても遠すぎて見えないことが多いんです。だから、私やキャスみたいに、土の匂いを知っている人がそばにいると、助かるんですよ」


 キャスは尻尾をゆらりと揺らすと、そっぽを向いた。

「……口がうまいな」

「年の功ですかね?」


 キャスの機嫌が浮上したのを感じ、リオンは席を立つ。

 ダイニングにおいてあった川魚を手に取ると、キャスに尋ねた。


「魚はどうしますか。スープ? それとも香草焼き?」

「香草焼き」


 返事は早かった。

 キャスは猫の姿のまま、リオンを追いかける。


「別に、嫉妬とかじゃないからな。ただ……」

「はい?」


 リオンの歩みを邪魔するように、足にまとわりつく。

 寂しいとキャスはこのような行動をすることを、リオンは知っている。


「リオン、セルグラシアのことになると、優しい顔するからさ」

「そうでしょうか」

「そうだよ。だから……、なんか、ちょっと、ムカつく」


 リオンは笑った。

 その笑いは静かで、どこか家族のような暖かさがあった。


「今は、どうでしょうか?」

「ん?」

「私は、怖い顔をしていますか?」

「……してないけど」


 リオンは川魚をタライに入れると、キャスをヒョイと持ち上げた。


「今のこの顔は、あなたにしか見せていませんよ」

「……煙に巻こうとしてないか?」

「していません」


 迷いなく言い切ったりオンに満足したのか、キャスはスルリとリオンの手から抜け出した。


「魚、焼くんだろ。手伝ってやるよ」

「おや。……じゃ、まずは洗って内臓を取りましょうか」


 珍しい、という一言を飲み込んで、リオンは指示を出す。

 キャスは魚に集中している……ふりをしながら、リオンの方に目線がいかないようにしていた。

 だが、その目はずいぶん穏やかな光を湛えていた。


 外では、風が梢を揺らし、夕暮れの空を鳥が家路につく。

 夕日の柔らかな光が、二人を包んでいた。


「なぁ、リオン」

「はい」

「……ドラゴンたちの困り事、僕も手伝ってやってもいい」

「そうですか。きっと、喜びますよ」

「でも、僕はリオンみたいに甘やかさないからな」

「それは、手厳しい」


 フッとキャスの横顔が緩む。

 穏やかな時間が、夕暮れの中に溶けていった。

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