竜の涙、人のナミダ
森を風が駆け抜けた。
黒い雲があっという間に広がり、空気が湿り気を帯びる。
「雨が降りそうですね」
「帰るか」
狩りに出ていたリオンとキャスは、雨――いや、嵐の予感にあわてて帰路に着いた。
雨足に急かされるように獣道を進んでいると、キャスが急に立ち止まった。
「ドラゴンの気配がする!」
その叫びに、空を見上げると、巨大な影がゴウっと2つ通り過ぎていった。
風が遅れて追いかけていき、落ち葉が舞い上がった。
人の姿になったキャスが、飛ばされないようにリオンの肩を掴む。
「あっちに行ったな」
「追いかけますよ」
「え〜、雨降ってるし、家で待ってたら来るって」
どざー!
リオンが反論しようとした瞬間、雨が強くなった。
「おわっ! リオン! 早く!」
キャスの声に急かされて、リオンは家へと急ぐのだった。
◇ ◇ ◇
失礼するという挨拶と共に森の一軒家を訪れたのは、セルグラシアだった。
片手に、小さなドラゴン姿のヴァレオを下げている。
「派手な登場でしたね」
「雨もお前らのせいだろ」
乾いた服に着替えたリオンと、猫の姿になって毛繕いの終わったキャスが出迎える。
「こいつ、どうしたんだ?」
セルグラシアにだいぶ雑に捕まれたまま、ハタハタと涙を流すヴァレオを見て、不思議そうな声をあげるキャス。
「2、3日前からこの調子なんです。どうにもならないので、助けていただけないかと」
セルグラシアが困ったように眉を下げる。
滅多に見られないセルグラシアの困り顔に、キャスが浮かれたようにからかった。
「おいおい、アンナちゃんに振られでもしたのか?」
グ、グオォォォーーン!!
ヴァレオが返事の代わりに、遠吠えをする。
その瞬間、外で風が吹き荒れ、家がギシギシ軋んだ。
「マジか……」
「おやおや」
リオンとキャスは思わず顔を見合わせるのだった。
◇ ◇ ◇
卓上のマグカップから、温められたミルクの甘い香りが立ち上る。
人型になったヴァレオは両手でマグカップを抱え、湯気を見つめながら、重い口をようやく開いた。
「……嫌われたんです。多分、もう、終わりです」
「嫌われたとは? いい雰囲気だったでしょう?」
一緒に北西の町、レグナールへ行った時の雰囲気を思い出して、リオンが疑問を口にする。
「僕もいい雰囲気だと思っていたんですよ」
「強引なことでもしたのか?」
湿った声のヴァレオの気持ちを全く考えることなく、キャスは楽しそうに言った。
「していませんよ!」
ヴァレオが言うには、あれから毎日パン屋に通い、とうとうデートにまで漕ぎ着けたそうだ。
初めてのデートの感触は悪くなく、その後も順調に仲を深めていっていると思っていたのに……。
「思っていたのに、ですよ……‼︎」
やけ酒のように、グーッとホットミルクを飲むと、空になったマグカップをドンと机に叩きつけた。
「まぁまぁ、飲めよ」
キャスが鍋からおかわりのホットミルクを注いでやる。
あんまり飲ませると、お腹を壊しますよトリオンは言ったが、果たしてドラゴンは牛乳でお腹が緩くなったりするのだろうか。
「こんな調子で」
と言うのは、セルグラシア。
金色の瞳は、困惑で翳っていた。
確かに、振られてからずっとこの調子なら、付き合う方も疲れるものだ、と思ったのだが。
「アンナという娘がダメだったのなら、別の娘にしたらどうです? 茶色の髪の娘はあの街にたくさんいましたよ」
「セルグラシア……」
「ジジイ……」
振られた者の気持ちが全くわかっていないセルグラシアが、何の慰めにもなっていない事を言う。
その言葉に、さすがのキャスも開いた口が塞がらなかった。
だが、セルグラシアの言った事は、ドラゴン族の中で突飛な考え方ではない。
特に、今回はドラゴン同士ではなく、相手が人間だ。
ドラゴンと人間の寿命は全く違う。
長いドラゴン生のほんの一瞬しか共にいられない人間に振られたからといって、ここまで嘆く理由がわからないのだ。
お気に入りの一人がダメだったのなら、それとよく似た別のでもいいのではないか。
それが古いドラゴンたちの感覚だった。
「お前、それが僕やリオンでも、同じことが言えるのか?」
「? キャスやリオンは、もう友人でしょう?」
何を当たり前のことを言っているのかと、セルグラシアが首を傾げる。
セルグラシアから、当然のように友人と呼ばれると思っていなかったキャスは、驚いて怒りの矛先が迷子になってしまった。
ビシッと突きつけた指先が、目標を失って照れるように中空をうろうろとする。
「セルグラシア、友人と言ってくれてありがとうございます。私も、あなたのことを大切な友人だと思っていますよ」
リオンが、穏やかに微笑む。
セルグラシアも、リオンの言葉を聞いて、満足そうに頷いた。
ほわっとした暖炉の空気が、二人を包む。
「ヴァレオさんも、アンナさんと、私たちのようになりたかったのですよ。そこに代わりはいない。あなたにとっての私たちに代わりがいないように」
「ああ、なるほど……」
納得した様子を見せるセルグラシアを横目に、キャスとヴァレオがヒソヒソする。
「お前、振られたのに、ずっとこんなこと言われてたのかよ」
「本人は慰めているつもりだから、余計タチが悪くって……!」
「なんだ、まぁ、その、大変だったな」
「キャ、キャスさん……‼︎」
わかってくれた喜びで、キャスに縋り付くヴァレオ。
キャスは嫌そうな顔をしながらも、尻尾でヴァレオを撫でてやるのだった。
◇ ◇ ◇
「……で、結局、何で嫌われたんだ?」
振られた時の薬は、大いに飲み、食べ、しゃべることだと、リオンが張り切って料理を作った。
酒に酔ったドラゴンの相手はできないからと、アルコールは出さなかったが、それでも鬱憤を話せるだけでもヴァレオの慰めにはなったらしい。
初デートでどこに行ったとか、いかにいい雰囲気だったとか、ぐだぐだと思いつくままに話すのを、年寄り組は穏やかに、キャスはまぜっかえしながら聞いてやった。
そんな中、不意にキャスが聞いたのが、冒頭の言葉だ。
「なんか、話聞いてたら、そんな嫌われてる感じしないんだけどな。なんか変なこと、したか?」
「するわけないでしょう!」
そう言って怒るヴァイスに目線だけで続きを促すキャス。
「大切に、していたんです。でも、哭かれてしまって……」
「泣かれた?」
ニュアンスの違いに気がつくことがなく、ヴァレオはしょんぼりと続けた。
「彼女に想いを伝えたら、哭かれてしまって。涙を流すくらい、僕のこと、嫌いだったなんて……」
「は?」
「え?」
キャスとリオンの声が重なる。
そして、思わず顔を見合わせる。
その向かいで、セルグラシアが骨つき肉を、フォークとナイフで器用にほぐしながら言った。
「ニンゲンは嫌いだと思っていても、笑顔で接することがあります。それを知れるいい経験になりましたね」
「いやいやいや。ちげーだろ!」
思わずと言った感じでキャスがツッコむ。
そして、しょんぼりと肩を落とすヴァイスに顔を近づけて聞いた。
「お前、告白したのか? なんて?」
「『あなたのことを特別に思っています。これからもずっと一緒にいてくれますか?』って」
「で、返事は?」
「だから、返事なんてありません。哭いて、首を縦に振るばっかりで」
「嬉し泣きじゃねーか!」
キャスが爆発した。
その勢いに当てられるように、暖炉の火が一瞬燃え上がった。
「『泣く』? 『鳴く』? いや、ちげーな。『哭く』、か。お前が言ってんの!」
「はい? だから、『哭く』って……」
ブツブツと口の中で『なく』を繰り返し、ニュアンスの違いに気がついたようだ。
隣で、リオンが頭を抱えている。
「おい、ドラゴンにとって『哭く』って、どう言う意味だ?」
「……悲嘆です。痛み、心が裂けるような……」
「あの、人間にとって、泣くと言うのはもう少し複雑なんです」
最初の衝撃から復活したリオンが、声を上げた。
キャスは半目になって、ジトっと睨んでいる。
「嬉しくても泣くし、感動しても泣きます。怒っても、安心しても、もちろん悲しくても」
「人間ってやつは、水分多めの生き物なんだ」
キャスがわけ知り顔で補足する。
「そんな、不条理な」
「不条理言うな。それが人間のおもしろいところだろ」
「ドラゴンの『哭く』が悲しみや痛みの現れ。しかし、人間の『泣く』は、感情の発露。それは、悲しみだけとは限らない、と言うことですか」
セルグラシアが話をまとめた。
「――と、言うことは、だ」
キャスがスプーンをくるくると回しながら、流し目でヴァイスを見た。
「もしかすると、あなたの思いは届いていたのかもしれませんよ」
リオンが、慈愛に満ちた表情で、言葉をつづけた。
「‼︎」
ヴァレオが声にならない悲鳴を上げ、立ち上がった。
「あの、僕、行ってきます!」
「アンナさんのところに行くのは、朝になってからですよ!」
「わかりました!」
「お前の気持ちも、アンナちゃんの気持ちも、ちゃんと言葉にしろよ。態度とか、匂いとか、鳴き声とかじゃ、伝わらねーぞ」
「わかりました!」
全くわかっていないような「わかりました」を残して、ヴァレオは旋風のように家を飛び出して行った。
「今から行っても、夜だし会えねーだろうに」
「それでも、ここで待てなかったんでしょうね」
「若者はせっかちでダメですね」
「それだけ、彼女のことが好きだと言うことですよ」
キャスは呆れた声を出し、セルグラシアはマイペースにお茶を飲んだ。
リオンはそのどちらにも、穏やかに返す。
室内は、まさに台風一過と言う有様だった。
だが、嫌な無秩序ではない。
リオンは立ち上がり、きちんと玄関を閉めると、暖炉に薪を追加した。
先ほどまでの、どこかじっとりした空気は、ヴァレオが飛び出した時に消え去ったらしい。
代わりに玄関から入ってきた清々しい空気が、暖炉の温もりと混ざり合っていた。
リオンが、マグカップを掲げる。
「彼の恋がうまく行きますように」
「お茶だけどな」
そう言って、三人でマグカップをカチンと合わせた。
外は寒く、春はまだ遠い。
だが、三人は確かに、春の予感を感じていた。
お知らせ:
ストックがなくなりましたので、今後は不定期更新となります。
のんびりお付き合いいただけますと幸いです。




