街へ降りる風
昨日から降っていた雨が止み、朝の森は、洗ったように水滴でキラキラと光り輝いていた。
息を吸い込むと、冷たい空気。
またそれもさっぱりした清浄さに拍車をかけていた。
リオンは、年季の入ったコートを着て、背負い袋を肩にかけた。
背負い袋の中には、リオンがコツコツと作り溜めた鹿革の手袋や小物が入っている。
今日は、これを近くの街に売りに行くのだ。
「キャス、行きますよ」
「待って。帽子が決まらないんだよ」
この間訪れた港町バルバリムで、いくつか帽子を買ったキャスは、それでオシャレに目覚め始めたらしい。せっかく人前に出るのだからと、あーでもないこーでもないと帽子を選んでいる。
「やっぱり、これかな」
「いいんじゃないか」
「だろ〜?」
そう言って選んだのは、船乗りたちがかぶるようなマリンキャップだった。
落ち着いたデザインだが、そこからはみ出るぴょこぴょことした髪の毛とのギャップがキャスの魅力を引き出している。
褒められて、ニンマリと笑ったキャスが、跳ねるように外に飛び出してきた。
尻尾が楽しそうにゆらゆらと揺れる。
「キャス。尻尾が出ていますよ。街の人たちに見つかったらまた騒ぎになりますよ」
「だいじょ〜ぶ。街に入る前にはしまうって」
そう言って、跳ねるように先に行ってしまう。
「……まったく」
リオンは苦笑したが、何も言わずに歩き出した。
さくさくと音を立てながら、落ち葉の積もった道を歩く。
落ち葉の間から、ピンクの花弁をしたシクラメンがひょこひょこと姿を見せていた。
◇ ◇ ◇
市場はいつも通り賑やかだった。
露天商の掛け声、屋台の香ばしい匂い、通行人のざわめき。
リオンは、コートの前をくつろげながら、馴染みの店へ向かった。
「おや、リオンじゃないか。まだくたばっていなかったのかい」
「その言葉、そっくりお返しさせていただきますよ」
革細工屋の店主が皮肉を言う。
そして、リオンの言葉を聞いて、しわくちゃの顔をさらにしわくちゃにさせて笑った。
革細工屋の店主は、彼自身も年季の入った職人だ。リオンとは長い付き合いになる。
「キャス坊は、縮んだかえ?」
「んなわけないだろ! 伸びたっつーの!」
数年前からリオンにくっついて一緒に来るようになったキャスのことは、孫のようにからかっている。
「今日も細工を持ってきたのかいな」
「いい毛並みの鹿を仕留められまして。手袋にしてみました」
そう言いながら、カウンターの上に作った革細工を並べて行く。
キャスは横に並んで、それを興味深そうに見ていた。
手袋、革鞘、そして見事な細工の施された鹿笛。
「こんなの作ってたのか?」
キャスが横からひょいと持ち上げ吹いた。
キューンと甲高い音が鳴る。
「うわ。鹿の鳴き声そっくり」
「芯を鹿の角で作ってあるんです。狩猟にも使えますし、一見すれば革細工なので、飾りにもなるかと思いまして」
「はぁ〜、おもしろいことを考えるもんだ」
店主が感心したような声を出した。
「これなら、好事家が買ってくれるかもしれん。持ち運びやすい大きさのヤツをいくつか作れるか?」
「わかりました。次来るときに持ってきますね」
「あぁ。それから、鹿革でジャケットを作りたいっていう御仁がいてね」
「では、次大物が取れた時は、下処理だけして持ってきますね」
「話が早くて助かる」
ぽんぽんとテンポ良く商談が進むが、すでにキャスは飽きていた。
うろうろと左右を見渡し、おもしろいものがないか探す。
「キャス坊、いいもんかぶってるじゃねーか」
その様子を見て気を遣ったのか、店主が声をかけた。
途端にキャスの目が輝く。
「いいだろ、これ。前買ったんだ」
「ここらで見ない形だねぇ」
革で服なども作るからか、店主はファッションにも明るかった。
「うん。海の近くの町で買ったんだ」
「キャス!」
店主によく見せようと、キャスが帽子を持ち上げた途端、その下からヒョコンと猫耳が飛び出してきた。
慌てて止めるリオン。
「あー……。細工ばかりしているせいか、最近目が悪くなってね……」
慌てるリオンに向かって、何も見ていないと言外に述べる店主。
しかし、その会話は魔猫には伝わらなかったらしい。
「おいおい。もう爺さんなんだから、仕事もほどほどにしとけよ?」
リオンに帽子ごと頭を押さえられながらも、のんきにそう返すのだった。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ、二人は街の広場の片隅に腰を下ろしていた。
キャスは近くの屋台で買ったリンゴを齧りながら、ぼうっと人の流れを見ていた。
リオンはその隣で、街の子供の革帯を修繕していた。
「これくらいでどうでしょうか」
「全然苦しくない!」
成長に伴って、小さくなっていた革帯の穴を調整してやる。
これくらいかと目星をつけて開けた穴は、ピッタリだったらしい。
子供は瞳を輝かせてお礼を言った。
「今度からは、あそこにある革細工の店に早めに持って行くといいですよ」
「だって、あそこの爺さん、怖そうなんだもん」
子供の飾らない言葉に、キャスが大きな声を上げて笑った。
「確かに! チビ、いいこと言う」
「見た目は怖いかもしれませんが、革を大切に使っている人には親切ですよ。それでも怖いなら、『リオンの紹介だ』と言えば、邪険にはしないでしょう」
う〜ん、わかったと、子供は全く納得していない返事をして去っていった。
「優しいじゃん、リオン」
「昔の私なら、こんなことしなかったでしょうね」
キャスの知らない「昔」に思いを馳せるリオンだったが、その横顔は以前よりも近く感じた。
それは、リオンと過ごす時間のおかげかもしれないし、リオンの過去のかけらを少し知ったせいかもしれなかった。
「ふ〜ん。今は?」
「今は……こうするのも、悪くないと思っていますよ」
キャスはその微笑みを見つめ、焚き火のように心の中が静かに暖かくなるのを感じたのだった。
◇ ◇ ◇
街を堪能した――なにせ、街でしか食べられないものはたくさんあるのだ――帰り道。
鳥の群れが空を渡り、夕陽が世界を赤く染める頃。
「街も色々あるんだな」
キャスが感慨深げに呟いた。
風竜ヴァレオと一緒に行った北西の町、レグナール。
海竜ルミアスに連れて行かれた港町、バルバリム。
そして、今日訪れた街、フォルベル。
どこも雰囲気は全く違ったが、人の営みという点では同じだった。
森にリオンとこもっているだけでは、気がつかなかったこと。
「僕が生まれたところとは、全然違う……」
キャスは、生まれた町から追われてリオンの元へとやってきた。
フォルベルしか知らない時は、フォルベルが特別なのだと思っていた。
だが、そうじゃなかったら――?
キャスの過去を知っているリオンは、優しくキャスの頭に手をおいた。
「生まれるところは選べませんが、生きるところは選べます。一つのところが合わなかったからといって、世界があなたを拒絶しているわけではありません」
横目で見たキャスの瞳は、水の膜が張り、今にもこぼれ落ちそうだった。
それに気がつかないふりをしてリオンは続ける。
「今の所、あなたとの生活はうまくいっていると思っているのですが……」
「……まあまあ、だな」
「それは、重畳」
そう言って、キャスの肩を引き寄せると、くっつくなよ! と言って、駆けて行ってしまった。
たたたっと遠ざかると、くるりと振り向く。
その表情は、もういつものイタズラっ子の表情だった。
「僕の良さがわからないところなんて、僕の方から願い下げだって〜の」
ざぁっと街から吹いてきた風に、帽子が飛ばされそうになる。
それを片手で押さえて、キャスは笑った。
「だから、僕が飽きるまで、リオンと一緒にいてやってもいいぜ?」
「飽きるまで……。飽きたら、出て行くんですか」
リオンは重くなりすぎないように、努めて軽く尋ねた。
キャスは一瞬だけ黙り込み、帽子を押さえていた手を下ろした。
風が、キャスの前髪を揺らす。
「さあな。でも……」
キャスは小さく息を吸った。
「少なくとも今は……ここ、悪くねーよ」
その言葉は、選ぶように、確かめるように落とされた。
リオンは何も言わずに、ただ頷いた。肯定も、約束もない。
それくらいが、二人にとって心地いいのだ。
リオンがキャスに追いつき、並んで歩き出す。
「今日、鹿革をお願いされたでしょう? 明日から、また狩りを手伝ってくれますか」
「最近、ドラゴンたちに邪魔されて、全然できなかったからな。しょーがねー。手伝ってやるよ」
明日の約束をする。
それを何度も繰り返して、二人の生活は続くのだ。
風が優しく二人の背中を押して、森へと消えていった。




