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エルドウィス森譚〜私と猫と、ときどきドラゴン〜  作者: 川津 聡


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10/21

古き翼の影

 その日の森は、まるで刻の流れが止まったようだった。

 鳥の声が遠くへ消え、風が息をひそめる。

 森が、何かを待っているようだ。


「……なぁ、リオン。ドラゴンの気配がする」

「セルグラシアたちでしょうか?」


 キャスが鼻をひくつかせながら、窓から空を見上げた。

 リオンは出しかけていた革用の道具を元に戻しながら、キャスに問いかけた。


「いや、違う。もっと古い匂いだ」

「……そうですか。古馴染みが来てるのかもしれないですね」


 少し、部屋の空気が重くなる。


「面倒なやつ?」

「そうではありませんが……」

「スープ、作りすぎとく?」

「そうですね。……そうしましょうか」


 リオンはキャスの横から空を見上げる。

 夜の闇を思わせるブルーブラックの瞳がすがめられる。

 しかし、そこには静かな森が広がっているだけだった。


 キャスが尻尾を揺らしながら、笑った。


「リオンって、狩りをするよりもてなす方が得意だよな」

「それこそ年の功ですよ。いつもあなたに年寄り扱いされているだけはあるでしょう?」


 片眉を上げて笑って見せると、キャスは安心したようににゃーと鳴いた。


   ◇ ◇ ◇


 その日の夜、リオンは森にある湖の湖畔でソレが来るのを待っていた。

 パチパチと爆ぜる焚き火には、鍋がかけられている。

 昼間、「作りすぎた」スープだ。


 キャスは焚き火のそばで丸くなっていた。揺れる炎の影に、半ば同化している。


 夜行性の鳥が羽ばたいた。

 さっきまで凪いでいた風が、息を吹き返す。

 満天の星空の彼方から、重い音が伝わってくる。


「なんか来る」


 目を閉じていたキャスが、夜空を見上げる。


 大きなものが頭上はるか上を横切り――旋回して戻ってくる。

 そこに現れたのは、巨大なドラゴンだった。


 風が渦巻き、木々を揺らす。

 突然の訪問者に、森の動物たちが慌てて逃げ出した。


 リオンの座っていたところも風に煽られ、何もかも吹き飛ばされそうになったので、慌てて魔法で周りの風を中和した。


 風が落ち着いた時には、湖畔に一匹の大きなドラゴンがいた。

 翼を畳んだ姿でも、周りの木々よりも大きい。

 その大きなドラゴンが、首を下げて、松葉色の瞳でリオンを見る。


「久しいな。人間の魔術師よ」


 古い地層が動くような声が響く。


「ジャハル。お変わりがないようで何よりです」

「変わらぬのは貴様もだろう」


 ドラゴン――ジャハルの目が細められた。

 リオンはそれに困ったような笑顔を返した。


「こちらへいらっしゃいませんか」

「どうしてだ。このままでも話せるだろう」


 ジャハルの目が不審そうにリオンを見る。

 元々ドラゴン、特に古竜は、姿を変えるのを好まないものが多い。


「あんた、小さくなれないの?」


 穏やかだが、どこか距離を測ってる二人の間に、能天気な声が割り込んでくる。

 それは、リオンの風の魔法のおかげで飛ばされずにすんだキャスの声だった。


「キャス。失礼ですよ」

「なんだ、この小さき生き物は」


 リオンとジャハルの声が重なる。

 リオンが、二人を取り成すように紹介した。


 だが、キャスは警戒を解かないし、ジャハルは興味がなさそうだった。

 そんなジャハルにリオンが声をかける。


「大きいままだと、私が首を痛めます。それに、その大きさでは私の作ったスープを楽しめないでしょう? あなたの気配を感じたので、作ったんです。今回は、カボチャのポタージュですよ」

「――ほう。人の作る『料理』か。それならば、姿を縮める価値はあるな」


 ジャハルの着陸の風から守り抜いたスープだ。ぜひ食べてもらわなければ、と言う思いで饒舌じょうぜつになる。

 リオンの説得に、ジャハルの姿が縮んでいく。

 そして、リオンと同じくらいの高さのドラゴンの姿に変わった。


「この森も、変わりはないか」

「そうですね。良くも悪くも」


 スープをよそいながらリオンが答える。

 自分の分はカップに。ジャハルとキャスのは人間以外の姿でも食べやすいように少し深めの皿に入れた。


「貴様は、いつまでここにいるつもりだ」


 ジャハルがスープを冷ましながら問いかける。

 リオンは迷いなく、答えた。


「彼女が目覚めるまで、ですかね」

贖罪しょくざいか」

「自己満足です」


 木のさじですくったスープは、焚き火の火を閉じ込めたような色をしていた。

 スープを舐めたジャハルが、喉を鳴らした。


「人間は忘れる生き物だろう」

「痛みは忘れても、痛かったことは覚えていますよ」

「……そうか。それなら、この森はもう少し、あの子の揺籠ゆりかごであり続けられるな」


 二人の間に沈黙が落ちる。

 それは、肯定の沈黙だった。


 焚き火の炎がリオンの横顔を照らす。

 その横顔は、不思議なほど若々しくもあり、同時に長い年月を静かにくぐり抜けてきた者の影も宿していた。


「あの子は、不幸だと思うか」


 それは溶岩が沈み込んでいくような、地をう響きだった。


「わかりません。眠らせたことが、よかったのかも……」


 その問いに答える声も、どこか影を帯びていた。

 しかし――。


「おいおい、二人して何、辛気しんき臭い顔してんの?」


 二人の間に飛び込んできた声は、からりと晴れた初夏の新緑のような輝きを持っていた。


「僕は二人の事情は知らないけどさ、こうやってリオンとあんたが気にしてるんだから、その人? はそんなに悪い人生? じゃねーんじゃねーの?」


 ぺろりと口の周りについたスープを舐めながら、キャスが言った。

 その表情は、美味しいものを食べて満足している表情だった。


「キャス、あの……」

「そう思うか、小さき生き物よ」


 リオンが苦言を述べようとしたのを押しとどめてジャハルが問いかける。

 それにキャスはあっさりと、「知らないよ」と言った。


 肩透かしを食らったジャハルの気配が、不穏なものになる。

 しかし、キャスは気にせずに続けた。


「あのさ、幸せかどうかって、周りが決めるものじゃないだろ。今、わかんないことをグチグチ言ってても、しょうがないって。本人に聞いたら? 寝てるだけなんでしょ。そのうち起きるって」


 そして、「てゆーか、僕、キャスって立派な名前があんの」と主張する。


「そうか……。そうだな」


 ジャハルの目が、少しだけ和らいだ。

 そして、キャスの言葉を噛み締めるように、一つ、ふたつとうなずいた。


「人間の魔術師よ。料理はおいしかったぞ」


 ジャハルの声が、低く、しかし穏やかに響いた。


「先ほど、この森は変わりないと言っていたが、若い芽が芽吹いているようではないか」

「……そう、ですね」


 二人に見つめられたキャスは、居心地悪そうに、「なんだよ」と呟いてそっぽを向いた。


「過ぎ去った過去は変えられません。しかし、彼女が目覚めた時、せめて孤独でないようにはできるはずです」

「そうだな。我が娘は、この森と共に眠る。お前が見守る限り、あの子の夢は穏やかだろう」


 ジャハルはそう言うと、翼を広げた。

 それと共に、体が大きくなる。


「……これを持て」


 ジャハルが爪をひと振りすると、キンッと小さな音がして、光がリオンの元へと飛んでいった。

 それを両手で受けるリオン。


「私の鱗だ。もし、また、ドラゴンと人が道を誤った時……その鱗が導くだろう」


 言い終えると、ジャハルは静かに翼を打ち、空へと登った。

 その羽ばたきは、季節外れの嵐のようだった。


 キャスは呆然と空を見上げる。


「すげぇ迷惑な帰り方」


 リオンの魔法の中にいても風を感じるのだ。

 寝ている動物たちにとっては、確かにいい迷惑だろう。


「そう言わないでください。歳をとると、どうも不器用になって……。ダメですね」


 リオンはそういうが、その表情は、どこか清々しいものだった。

 痛みを忘れたわけではない。が、痛みだけではないと、気が付いたかのように。


「なぁ、リオンって、何者?」

「……ただの年寄りですよ。昔、飛ぶことをやめてしまった人間です」


 嵐は過ぎ去り、穏やかな夜が帰ってきた。

 パチリと焚き火が音を立てる。


「――さぁ、作り過ぎてしまったスープが余っています。もう一杯、いかがですか」

「……食う」


 切り替えるように張りのある声を出したリオンに、キャスは言いたいことを色々と飲み込んだ。それくらい配慮できる大人なのだ。


 森を渡る風が、優しく吹き抜けた。

 木の葉が一枚、ふわりと舞い、夜空に消えていった。

 それはまるで、遠い昔の誰かの微笑みのようだった。

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