森の朝
新連載始めます。
日常のほんの隙間にどうぞ。
ミルク色の朝靄が森を白く包んでいた。
エルドウィスの森――古き静謐の森と呼ばれるその場所は、滅多に人が足を踏み入れることのない深い森だ。
そんな森の奥深く。湿った土の匂いと、暖炉から出る人の営みの匂いがゆっくり混じり合う場所があった。
煙突のある小さな家。
前庭には、きれいに整えられた小さな畑。
こぢんまりした家の横には、作業小屋を兼ねた貯蔵庫。小屋の軒先には、薬草が束ねて干されていた。
そんな小さな森の一軒家で、一人の人間が、朝ごはんを作っていた。
暖炉にかけられた鍋をゆっくりかき混ぜる。
鍋の中で、小さくきられた野菜たちが踊る。
「あのさぁ、リオン。塩、もうちょっと入れた方がいいと思うぞ」
「……キャス、勝手に味見しないでくれますか?」
振り返ると、出窓に黒猫が丸まっていた。
艶やかな黒い毛皮が、朝の光を柔らかく反射する。
琥珀色の瞳が、いたずらっぽくリオンと呼ばれた人間を見ていた。
「味見じゃない。簡単な推理だ。年寄りは、減塩減塩うるさいからな」
猫は、いかにも理屈屋っぽいセリフをいうが、どこか借り物の響きがした。
「すばらしい推理だな、キャス」
「味に妥協はできないんでね」
「じゃ、明日からキャスが作ってくれてもいいんだが」
「それは遠慮しておく。僕の舌は猫舌だからね」
リオンはくつくつ笑いながら、鍋を火から下ろした。
年季の入った手が、木椀にスープを注ぐ。
スープの柔らかな湯気がダイニングに広がった。
黒猫は、伸びをして出窓から飛び降りた。そしてその影がむくむくと大きくなり――次の瞬間には黒髪の青年の姿に変わっていた。
黒髪の青年は、背筋を伸ばして大あくびをする。そして、リオンの向かいに座った。
人の姿になっても、いたずらっぽい琥珀の瞳はそのままだった。
「――ねぇ、リオン。今日は街に行くんだろ? 僕もついていっていい?」
「あのパン屋が相当、気に入ったみたいですね」
「当たり! あの甘い匂い、あのふわふわ。夢に出たぞ」
「――盗み食いはしないでくださいね」
「それは、リオン次第だな」
キャスはニヤリと笑って、スープをパクリと食べる。
――と、すぐにあちちと顔を顰めた。
リオンは「最近、狩りを手伝ってくれていますからね」と言いながら、ふっと笑った。
手早く朝食を済ませた後、リオンは街に降りる準備をする。
薬草を包み、時間があるときにコツコツ作っている皮細工を背負い袋に入れる。
そして、リオンと同じくらい年季の入ったコートを羽織る。
「キャス、準備ができましたよ」
リオンが声をかけると、猫の姿に戻って顔を洗っていたキャスが、タッと駆けてきた。
「そのままの姿で行くんですか」
「街の手前で、変身するから」
そう話すと、一人と一匹は森の小さな家から出発した。
森の道はしっとりと濡れていて、リオンの靴底が小さく音を立てる。
朝の清浄な空気を二人は肺の奥まで吸い込んだ。
「――では、行きましょうか」
「じゃ、行こう」
二人は顔を見合わせて微笑むと、街に向かって一歩を踏み出した。
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