十六 訪問は突然で
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科学捜査研究所による現場検証と検死の結果、パパとママは事故死だった。
キッチン家電のたこ足配線が出火元で、その近くにあった複数のガスボンベが爆発した跡が残っていたそうだ。パパとママは一酸化炭素中毒で気を失い、そのまま火災に巻き込まれた可能性が高いとのことだった。
もう何もかも、どうでもよかった。
何よりも大切で大事で大好きだった両親を喪った。
心が心臓ごと抉り取られたような喪失感と絶望感。
ーーー自分も一緒に死んでしまいたかった。
だってどうしたってパパもママも戻ってこない。
それならばいっそ、自分も死んでしまいたい。
そうして二人に会いたい。
保育園からの帰りに必ずスーパーのガチャガチャを一つだけ回させてくれたパパ。ランドセルにお守りとして手作りの雪だるまのキーホルダーを付けてくれたママ。早朝のトレーニングに毎朝付き合ってくれたパパ。辛いことがあると流行りのカフェでスイーツを食べさせてくれて、たくさん話を聞いてくれたママ。真夜中の試験勉強の時に美味しい夜食を作ってくれたパパ。
その、宝物みたいに大切にしていた思い出も全部。
胸を抉る刃になって私は血反吐を吐く。
ーーー私は大切な人を守れなかった。
とめどなく溢れる涙がどんなに両手で受け止めても指の隙間から流れ落ちていくように、この手は大切な人の命を取りこぼしたのだ。
苦しい、許せない、苦しい。
この世界も神も何もかもが憎い憎い憎い。
思い出も何もかもが爆発で燃え尽きてしまった。
寄る辺だった両親どころか、帰る場所すらも喪った。
私の大切なものを奪ったこの世界が憎い。心が晴れることなど永遠にない。永遠にこの世界を許さない。
でも、同じくらいに自分の不甲斐なさが許せない。
市民の安全を守ると豪語していた自分は、一番身近にいる人を守れなかった。何が警察官だ、名乗る資格など無い。
『雪、警察官を辞めて俺と一緒にいてくれ。』
ーーーそれがいいかもしれない。
『俺はお前を失いたくない。お前を守りたい。』
ーーー私もそうだった。パパもママも守りたかった。
『お前は何もしなくていい、俺が全部何とかする。お前が寂しくて堪らないのなら、家でも職場でもずっと一緒にいられるように俺が手配する。』
ーーー本当に?いいの?
『絶対に俺が、お前を守るから。』
このまま辰巳に守られていた方がいいのかもしれない。辰巳なら何とかしてくれる。辰巳なら上手くやってくれる。全部全部、辰巳に任せていた方が絶対に良い。
ーーーパパもママも守れずに失った私なんて、どうせ何もできやしないのだから。
しかし、頷こうとした私は阻まれた。
氷のような冷たい眼差しで、氷のように冷たい表情で突然現れた叔父は私を叱咤した。
『その男に従うのが正解なのかはよくよく考えろ。運命がお前を警察官に選んだ理由を考えろ。』
もう反抗する気力も湧かない。
もう全てがどうでもいい。
「姪、行くぞ。」
お骨上げを終えるなり、私の叔父が声を掛けてきた。
「妹の骨壷は私が持つ。お前はお前の父親を持て。」
私は叔父に言われるがまま、パパの骨壷を持ち上げた。あんなにガタイが良くて背の高い人だったのに。こんなに小さくなってしまったと思うと、再び涙がポロリと零れ落ちた。
叔父はそんな私に何も声を掛けることなく火葬場の駐車場へと進んで行く。
「雪。いつでも俺に連絡してくれ。」
優しい声がした方を振り返ると、辰巳が優しい笑顔を私に向けていた。辰巳の両親もそろって私に微笑んでいる。温かくて安心する三人の笑顔を見て、私は思わず立ち止まる。
(やっぱり辰巳たちと一緒にいれば、私は…)
「有栖さん。こちらですよ。」
いつの間にか私の真横に知らない男が立っていた。漆黒の短髪を綺麗に整えた色白の美青年だった。瞳は私と同じ緑色だ。そして誰かに似ている。
(誰だっけ…)
「行きましょう。」
優しく微笑んだ青年に背中をそっと押されて私は歩き出す。視線が自然と先を歩く叔父へと向かい、私は少し驚いた。叔父の周りにはいつの間にか黒いスーツを身に纏った屈強な男たちが十人ほど現れていて、叔父を囲むようにして歩いていた。SPだろうか。彼らは叔父どころか私と謎の青年の周囲も取り囲むようにして歩いている。
私は何となく気になって再び真横を歩く青年を見つめる。私の知っている誰かに似たその顔をよく観察していると、青年はハッと目を見開いて恭しく頭を下げた。
「大変申し訳ございません、自己紹介が遅れました。私は如月 氷河の養子の如月 鴉と申します。以後、お見知り置きを。」
「養子…。」
「はい。私は氷河様の実子ではありませんので。」
叔父には子供がいないから、跡継ぎのことを考えて養子を迎えたのだろうか。そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか駐車場に辿り着いていた。
「どうぞ。」
鴉が大きな黒い車の後部座席の扉を開けて、私に乗るように促した。
「ありがとうございます…。」
パパの遺骨を抱えたまま乗り込むと、その隣に鴉が座った。車が発車して目的地に到着するまで、黙り込む私の隣で鴉も一言も喋ることは無かった。
***
隣に座っていた鴉に声を掛けられ、車窓の外を見ると見慣れない風景が広がっていた。
車が大きな鉄格子の門をくぐり抜けると、白い石のタイルが綺麗に並んだ広い道がまっすぐ前に伸びていた。その両側には何処までも続きそうな青々とした芝生に色とりどりの薔薇の生垣が並んでいる。
「ここは氷河様のご実家です。貴方のお母様のご実家でもあります。」
「ママの…。」
ここが、私の知らない若い頃のママがいた場所。ママが生まれ育った場所、と思うと涙が溢れてきた。そんな私に、鴉が真っ白なハンカチを手渡す。
「お使いください。」
「ありがとうございます…。」
パパの骨壷を抱き締めながら涙を拭いていると、鴉が座っている方の扉が開いた。
「姪。行くぞ。」
ママの骨壷を抱いた叔父が車の外から無表情でこちらを覗き込む。
「行きましょう。」
隣に座っていた鴉が先に車から降りて、こちらに手を差し伸べてきた。私はその手を取って車の外に出る。白い石のタイルに足を置き、骨壷をしっかりと抱いたまま立ち上がって前を見た。そして驚いた。
(すごい大きな御屋敷…)
昔、辰巳たち家族と一緒に行った古い洋館のある薔薇の名所に似ている。目の前にある大きな御屋敷は、暗い色の煉瓦造りの外壁に真っ白な窓枠が映えていて美しい。黒い三角屋根が上品かつ洗練された雰囲気を醸し出している。
前を歩く叔父を追いかけるようにして玄関前の真っ白な階段を上がり、レトロな雰囲気がある木製の大きな両開きの扉の前に立った。
「おかえりなさいませ。」
黒い燕尾服を着た男性たちが、両方の扉を開けて恭しくお辞儀をした。
扉の向こうには大きなシャンデリアが吊り下げられている広々とした玄関があり、大理石のタイルの向こう側、赤い絨毯が敷かれたエントランスホールには車椅子に乗った老爺と複数人のメイドたちが立っていた。
「ただいま、父さん。」
氷河は表情を変えずにスタスタとエントランスホールの中へと入って行く。
「おかえり。」
髪と同じ、白い髭を生やした老爺は表情を変えずに叔父に返事をした。顔立ちも雰囲気も叔父にそっくりで、厳格そうだ。何となく緊張して後ずさりし、少し後ろに立っている鴉に近付くと鴉がふっと優しく吐息で笑った。
「大丈夫ですよ。」
「よく来たね。初めまして。」
鴉の言う通り、無表情だった老爺がふっと優しく笑った。急に解けた彼の表情に、私は驚いて目を見張った。
「驚くのも無理はない。急にここまで連れてきてしまってごめんね。」
「いえ…。」
「私は如月 氷室。会って間もないから実感は湧かないとは思うけど、君のおじいちゃんだよ。」
(おじいちゃん。)
自分の家族はパパとママだけだと思って生きてきた。
「ずっと会いたかった。君は私の孫の中で、唯一の女の子だからね。妻もずっと会いたがっていた。会わせてあげられなかったのが残念だ。」
つまり、おばあちゃんは亡くなってしまっているということだろうか。
「こっちに来てもらえるかな?」
祖父に言われ、私はゆっくりと前に出る。それに合わせて、祖父のまわりにいたメイドたちも少し頭を下げながらゆっくりと後退する。祖父の目の前に立つと、祖父は私に手を差し伸べながら懐かしそうに目を細めた。
「ああ、そっくりだ。娘の若い頃に。」
私はママに似ていると友人たちからもよく言われていた。ママはシルバーアッシュの髪で瞳も碧色だったが、私は黒髪で緑色の目をしている。違いはそれくらいだと言われるくらいには瓜二つだった。
(ママ…)
私が思い出して涙を流すと、祖父がゆっくりと電動車椅子を動かして私に近付き、パパの骨壷を抱く私の手に触れた。
「ここでゆっくりしていきなさい。私はおまえを家族として歓迎するよ。」
祖父の優しい声に、私は黙ったまま頷いた。
ーーー声を出してしまったら、そのまま大声で泣き出してしまいそうだったから。
***
パパとママの骨壷は、見上げるほど大きくて立派な仏壇のある和室に置いてもらえた。
叔父は多忙なため首相官邸に戻り、私は鴉に御屋敷の中を案内してもらった。
「こちらが有栖さんのお部屋ですよ。」
一階にあるダイニングルームやバスルームなどを確認後、三階へと案内された。鴉が立ち止まり、私に開けるように促した個室は祖父が私のために用意させた寝室だった。
洋風の天蓋付きベッドや木製のアンティーク風クローゼット、そして床にはフカフカの白い絨毯があり、格子状の両開き窓には繊細で美しい模様のレースカーテンが掛けられている。大きな鏡とそのまわりを囲むように大型の照明が付けられた立派な化粧台と、書き物や読み物ができそうな引き出し付きの木製テーブルと柔らかそうなクッションが付いた木製の椅子もある。
「クローゼットに着替えがあります。入浴や食事の時刻になりましたら、またご案内しますね。」
鴉はそれだけ告げると、静かに部屋を出て行った。部屋に一人残された私は、とりあえず喪服から動きやすい服に着替えるためにクローゼットを開く。そこには下着から部屋着、そして外出時に着れそうなワンピースまで揃っていた。家事で全て焼かれてしまったのでとても有難い。
フリーサイズだろうかと思いながら、モノクロのチェック柄の部屋着を手に取る。大きなセーラー襟に黒いフリルが付いた、足首だけが出る長めのワンピースだ。七分袖にも黒いフリルが付いていて、ガーリーでとても可愛らしい。袖を通してみると、サイズはピッタリだった。どうして私の服のサイズが知られているのか気になったが、深く考えるのは止めた。
はぁ、と息を吐いてからふと気付く。
(私、落ち着いてる…?)
依然としてパパとママを喪った悲しみが波のように押し寄せては心が潰れそうな程の悲しみに襲われる。しかし、足元から崩れて真っ暗な奈落の底に落ちてしまうような、どうしようもない孤独感は薄れた気がする。
『家族として歓迎するよ。』
おじいちゃんのおかげだ。自分にはもう家族はいないと思っていた。それが、こんな立派な御屋敷に迎え入れてくれて、優しい眼差しで見つめてくれる祖父がいた。その事実が、奈落の底に落ちかけていた私の支えになっている。
そのおかげで、冷静な思考力を取り戻した。
辰巳と、辰巳の両親にお礼を言えていない。我を忘れて泣いているだけだった私を支えてくれながら、葬儀のことまで色々と手伝ってくれた。本当に申し訳なくて頭が上がらない。
(辰巳に電話しなきゃ…!)
私は慌ててテーブルに置いてあるフォーマルバッグを手に取った。
その時だった。
コンコン、と窓を外から叩く音が聞こえたのだ。
(何……?)
カーテンに人影が映っている。ここは三階。もしかして辰巳の敵勢力が私を狙ってこんなところまで追い掛けてきたのかと警戒したのだが。
「蛍。」
聞き覚えのある声がして、私は慌ててカーテンを開けた。
窓の向こうのベランダにいたのは、心配そうな表情をしている昴だった。