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十四 ママはお嬢様で




ーーーー

ーー



 

『キャーッ!?』

 キッチンから爆発音と共にママの叫び声が聞こえて、自室で宿題をしていた私は慌てて階段を飛び降りてママのところへ向かう。

『大丈夫ママ!?』

 リビングのドアを開けると、キッチンは事故現場になっていた。謎の黒い液体が派手に飛び散って天井や壁を伝い、割れた皿の破片が床に散らばっていた。

『怪我してない!?』

 私は急いで玄関でスリッパを履き、さらに二足分のスリッパを手に持ってキッチンへ戻った。

『床、危ないからこれ使って。』

『ありがとう、雪。』

 スリッパを履いて立ち上がったママを見て、どこにも怪我が無いことを確認して胸を撫で下ろす。とりあえず片付けをするためにシンクの隅に置かれていた布巾を手に取ったところで、その隣に可愛らしいピンク色の弁当箱が置かれていたことに気付いた。

『ママ…、もしかしてお弁当を作ってくれてたの?』

 明日は初等部四年生の校外学習で、国の指定文化財になっている寺社を見に行く日だ。

『ごめんね、雪。ママ、ダメダメで。』

 ママは料理が苦手な人だ。

 誰にだって苦手なことはある。私だって泳ぐのは苦手だ。

『ごめんね。』

 それなのにママは何かに失敗すると、決まっていつも深く落ち込んだ。子供ながらに普通の落ち込み方ではないと感じていた。ママの顔は自嘲と諦観に塗れていて、見ているこっちが心苦しくなるほどだったからだ。


ーーーそんなママが、まさか。


「今の如月家当主って、内閣総理大臣の如月 氷河だよね?」

「そうだ。お前のお母さんの旧姓は如月。如月 氷雨さんだ。」

 いつもテレビで視るだけの遠い世界の人だと思っていた国のトップが、まさか。

(私の叔父さんだったとは!)

「氷雨さんは議員としての素質が無く、占い師としての素質も無かった。だからお前のお父さんと結婚した時点で、如月家とは完全に縁を切ったと話していた。」

「縁は切ったのに、私に発信機を付けたの?」

「如月家一族、その分家の人間もだけど身代金目的で誘拐されることが多いからな。縁を切ったとはいえ、血の繋がりは変えられない。お前のお母さんも身体のどこかに発信機が埋め込まれている筈だ。」

 私は右耳の裏に触れながら、寮へと向かって歩く自分の足を見下ろした。

「これがいつ付けられたのか知ってる?」

「生まれた直後だって聞いたぞ。如月家の血を引くから強制だったらしい。」

「そうなんだ。」

「それからお前の位置情報を把握する端末を持っていたのは氷雨さんだ。だけど氷雨さんは、俺の婚約者がお前だって判明したその日にこの端末を俺に手渡してきたんだ。」

 辰巳は腰ポケットから、スマートフォンのような小型の端末を取り出す。そこには地図と赤い点が表示されている。

「これを使ってお前を守るように頼まれたんだ。それと同時期に、善光院の当主が俺を跡継ぎに望むようになって、俺の命が狙われるようになった。」

 作戦会議室で聞いた話を思い出して私は唇を噛む。

「現当主の息子でしょ。」

「ああ。俺の三歳下だから、お前と同い歳の男だ。」

「そいつの名前は?」

「善光院 虎徹。」

「そいつが貴方を狙ってる証拠を集めて捕まえればいいってことだね。」

 辰巳と歩き続け、今日から私が住むことになっている寮が見えてきた。中央警察署から徒歩五分程の距離だ。目的地が目前というところで辰巳が急に立ち止まった。

「辰にぃ?」

「……本音を言うと、お前を危険な目に遭わせたくないんだ。」

 辰巳が突然、片手を挙げた。すると路地裏から黒いスーツを身に纏った屈強な男たちが三人も出てきた。その手には、何度も殴られたのか痣だらけの顔で気絶している男たちが襟元を掴み上げられて引き摺られている。

「今だって、お前と俺を狙って物陰に隠れている奴が五人もいた。」

 なるほど。辰巳は今までもこうして、私の気付かないところでボディーガードを雇って私を守ってくれていたのか。分家とはいえ、大財閥である善光院の血筋だ。ボディーガードを雇うことなど容易いのだろう。

「私は警察官だよ。」

「わかってる。仕事だもんな。でも、わかってても割り切れないことってあるだろ?」

「大丈夫。私には銃弾を避けられる心強いバディがいるから。」

「あの男か。」

 ビリッと空気が痛いほどに張り詰めた。

 殺気だ。

 辰巳が物凄く怒っている。

「電話で俺とお前の邪魔をした奴か?」

「本当にごめんなさい。誰にでも失礼な人で…。」

「お前のことを蛍って呼んでたよな。何のつもりだ?」

「あの人が勝手に付けたあだ名だよ。潜入捜査の時とかに本名を知られないために偽名で呼び合うことになってるんだよ。」

 辰巳の威圧感が凄まじく、私はドクドクと逸る胸を押さえながら平静を保ちつつ説明する。怒気で燃え上がっている辰巳の瞳に見下ろされ、私は彼から次に受ける尋問に固唾を飲んで身構えた。そんな私を黙ったまま穴が空きそうな程に見つめていた辰巳は、大きな溜息を吐いてからゆっくりと私を抱き締めた。

「………閉じ込めたい。」

「え?」

「こうして、お前が誰にも見つからないように閉じ込めていたい。なぁ、頼む。警察なんて辞めて俺の秘書になってくれ。費用は全部、俺が負担するから。」

 あまりに真摯な声音に、私は動揺して言葉を失う。今までだって同じようなことを冗談交じりに言われたことがあったが、こんなに真剣に言われたのは初めてだ。

「お前は何もしなくていい。俺が全部なんとかする。だからお前はただ、俺の傍にいてくれ。」

 お願いというより懇願だ。私は困惑しながらも、辰巳の背中に腕をまわす。

「らしくないね。珍しく弱気じゃん。」

「平静でいられるわけないだろ。」

「うん。心配してくれてありがとう。」

 私は彼の背中をゆっくりと撫でる。

「でも私、やっぱり自分で…」


 ピリリリリッ!と突然、辰巳の腰ポケットから着信音が鳴り響いた。甲高い電子音に、私は思わずビクッと肩を跳ねさせる。


「ごめん。」

 辰巳が私を放し、腰ポケットからスマホを取り出す。

「もしもし。」

 辰巳が応答した途端、スピーカーから切羽詰まった女性の大声が聞こえた。

『辰巳っ!!今どこ!?有栖さんのところで爆発が起きてっ…、家が燃えてるの!!』

「え…?」

『雪ちゃんパパもママも二人とも連絡がつかなくて!早く雪ちゃんに連絡して!!』

 電話の向こうから、消防車のけたたましいサイレンが鳴り響いてくる。そのガンガンと頭を打ち付けるような警報音が、私の思考を歪ませて目の前を真っ黒に焼き付けてしまった。

 

 

 


 ***

 



『……っ、やられました、昴さん…。』

 息苦しそうなハトからの電話に、リビングルームのソファで横になっていた僕は飛び起きて身支度を始める。

「今どこ?怪我の具合は?」

『ゲホッ…、いえ、少し煙を吸っただけで外傷はありません。』

「気管は見えないからこそ思わぬダメージを受けてる可能性が高い。迎えに行くからそこで待ってて。」

『すみません…。』

「どこで何があった?」

 僕はスウェット生地のパジャマ姿のまま、居住スペースを自由に出入りするためのカードキーを手に持って物置部屋へと向かう。そこの照明スイッチにカードを翳すと、壁が回転して地上へと繋がるエレベーターが出てくるのだ。

『有栖さんの家で爆発が起きました。今は燃えていて消防隊が消火してますが間に合っていない状況です。』

「アイツらは?」

『爆発前に死んでいました。』

 グングンと地下駐車場へと向かうエレベーターの中で、僕は眉根を寄せる。

「自殺?他殺?」

『窓から覗いただけなので確証はありませんが、おそらく他殺かと。二人とも額を銃で撃ち抜かれていたように見えました。』

「どこに倒れてた?」

『リビングです。額から血を流して、仰向けで倒れていました。』

 地下二階の公用車駐車場にたどり着き、僕はまっすぐにBー63エリアへと向かう。地下駐車場にある全ての車の中で、そこに停まっているメタリックレッドのスポーツカーのみが公用車ではない。僕が所有している私有車だ。

「倒れていた二人の顔は見えた?」

『いえ、遠目だったので有栖 晴陽と有栖 氷雨によく似た背格好をしていたとしか言えません。』

「替え玉はアイツらがよく使う手だからね。」

 何者かに二人が本当に消されてしまったのか、二人は自分たちが死んだことにしたかったのか。今の状況ではどちらとも断定できない。

 車に乗り込んでエンジンをかけると自動的にカープレイが携帯端末と無線で繋がった。するとハトの声が車のスピーカーから聞こえるようになった。

『いずれにせよ、俺たちが物質Xー03について調べようとしたタイミングでの爆発です。この端末での会話も、誰かに盗聴されている可能性が高いです。』

「ん〜、新調するかぁ。結構気に入ってたんだけどなぁ、これ。じゃあお前の現在地は暗号で教えて。」

『はい。ぴーおーふぁーふぉーみぃ、です。』

「へぇ、自力でそこまで行けたんだ。そこで大人しくしててよ。」

『すみません。お願いします。』

 ハトの返事を聞き、僕は端末を片手でバキリと握り潰した。ブツッ!とオーディオから破裂したような音が響き、それから無音になった。僕はアクセルを踏み込んで思い切り前進する。

「すっごく癪だけど、ひとまず蛍のことはアイツに任せるしかないか。」


 美麗な顏をグシャッと凶悪に歪ませた昴は、しかし次の瞬間には切なげに眉根を下げて、日が暮れたばかりの夜の街を滑走し始めたのだった。

 

 

 


 ***

 




 それまでは、ただの『婚約者』だったのだ。


 

 

 ある日突然、父が家に連れてきた小さな赤子。

『この子は将来、お前のお嫁さんになる女の子だよ。』

 ふっくらとした頬にまん丸で大きな翡翠色の瞳。ぽっかりと開けられた小さな口からは涎が垂れている。

 女の子も何も、性別すらまだハッキリとしていない赤ん坊を唐突に見せられて『婚約者』なんて言われてもいまいちピンとこない。それに、俺はこの時まだ四歳くらいだ。結婚なんてものも何なのかよくわかっていない。

『それって父さんの占いでわかったの?』

 父は俺の質問に答えなかった。黙ったまま、俺にその赤子を抱くように促してきた。

 受け取った赤子は思ったよりもしっかりとした重みがあった。だから真っ白な四肢はふっくらとして見えたが、触ってみると細くてすぐに折れてしまいそうだと思った。

『今日から隣の家にいるから、いつでも遊びに来てくださいね。』

 赤子の顔にそっくりな面立ちの、知らない女性が腰を屈めながら俺に声をかけてきた。おそらく赤子の母親なんだろうと思った。


 それから俺は、毎日のように母に連れられて隣の家へ行くことになった。赤子の顔を毎日見れば愛着も湧いてくるかと思ったが、所詮は赤の他人の子供なので何の感情も湧かなかった。

 そもそも、俺は感情というものがよく分からない人間だった。

 学園の幼稚舎でも、初等部に進級しても、全く泣かない子で有名だったらしい。

 玩具を取られても、順番を横入りされても、叩かれても。

 泣くことなく、笑顔を浮かべたまま仕返しをする子供だった。そのせいで、ガキ大将のような扱いを受けていた。

 でも、ガキ大将と呼ばれるほど横柄な態度を取っていたつもりはない。自分から他人にちょっかいをかけることは決してしなかった。何かをされたから、仕返しをしていたまでだ。

 それも、ムカつくから仕返しをしていた訳ではない。

 仕返しをしないと、調子にのって何度もちょっかいを掛けられることになるのを学んだからである。

 

 正直、他人に何をされようが何を言われようが全てがどうでもよかった。

 他人と関わるのがひどく面倒だった。

 だけど俺は、世の上手い渡り方を生まれながらに知っていた。常に笑顔を絶やさず、気さくに、物腰柔らかに。そうしていれば、周囲とトラブルを起こすことなく平和に過ごせることを知っていた。

 拒絶して除けるよりも、相手の懐に入って好印象を持たれていた方が世の中は生きていきやすい。不仲はトラブルの原因だ。トラブルを起こせば面倒になる。

 他人の感情が分からない俺に、トラブルの解決なんて出来やしない。だったら初めからトラブルは起こさないようにするのが一番だ。

 俺は容姿も整っていて勉学も運動もできたこともあって、妬んでくる奴らもいたが圧倒的な格の違いを見せることによってねじ伏せることは容易かった。

 

 だから勘違いされた。

 

 常に人に囲まれていて頼られることが多かったから、友人思いの優しい人間だと周囲の人から思われていた。

 明るくて人気者。運動会や文化祭だけでなく、普段の授業でも主役になるヒーロー。皆がそんな俺を慕い、焦がれて集まってくる。

 何もかもが完璧で、俺の心の内の空虚は完全に誰の目にも見えていない。

 そんな俺に、『婚約者』が言ったのだ。


「たつみお兄ちゃん、こわい。」

 翡翠色の大きな瞳に暗い影を落とし、怯えるように肩を縮めながら彼女はそう言ったのだ。


 

 



 

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