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十三 隠し事は安全のためで




 

 ***




 昴に抱きかかえられたまま彼の居住スペースに戻った私は、リビングルームのソファに下ろされた。さっそく私は彼の首輪を外そうとしたが、頭を横に振って拒否されてしまった。

「ソファで待ってて。その後に首輪を外させてあげるから。」

 以前、「離れたくない」だの「ずっと一緒にいて」だのと言われてなかなか首輪を外させて貰えなかったことを思い出して、私は大人しく従った。どこかに消えた昴を暫く待っていると、彼は満面の笑みを浮かべながらティーセットを持ってリビングルームに戻って来た。

「紅茶!飲んで♡」

「嫌です。」

 私は彼に無理やり食べさせられたクッキーを思い出して、思わず全力で首を横に振ってしまった。

「僕のこと疑ってるの?」

 悲しげに眉根を下げる彼に、私は容赦なく何度も首を縦に振って見せた。

「うん。もちろん。ぶっちゃけ疑いしかないから!」

「ひどーい!」

 彼は私の隣にどっかりと座ると、薄い唇にくしゃりと皺を寄せて大きな瞳に涙を浮かべた。

「どうしたら信じてくれる?僕が証明して見せればいいの?じゃあ僕がこれを先に飲むよ。僕が飲んで何も無かったら信じてくれる?」

 小首を傾げた彼がぱちぱちと瞬きをするたびに、長くて白い睫毛が揺れて涙の雫が弾ける。

「そうやって顔の良さで今まで人を思い通りに動かしてきたんでしょ。」

「そうだけど?」

 きゅるきゅると目を潤ませながらも、あっけらかんと言い放つ彼に私は苦笑する。

「僕ってば顔も良いし、頭も良いし、運動神経も良い。最強で最高じゃない?」

(足りないところは性格かな。)

 私は思わず飛び出そうになった余計な一言を、口元を引き締めることで何とか抑える。

「どうしたの?口をモゾモゾさせて。」

「ん?すごく自己評価が高くて羨ましいほどの自信だなぁ〜と思って。」

「事実を言ったまでだよ。」

 涼しい顔をしながら言い放った昴は、静かにティーカップに口を付けた。その白いカップの縁には桃色の薔薇や青々としたツタが繊細に描かれていて可愛らしい。そしてカップの形も、まるで薔薇の蕾のような曲線が美しい。

(綺麗…。)

 カップを持つ白くて長い指も、カップの縁に触れた薄くて艶やかな唇も。少し俯いたことで、さらりと揺れた白銀色の前髪も。彼の何もかもが美しい。

 私がじっと見蕩れていると、急に昴がカップから口を離してこちらを向いた。

「ほら!何ともない大丈夫だよ!美味しい紅茶だよ!」

 昴は自分で一口飲んだティーカップを、そのまま私に差し出す。

「飲んでみてって。」

 私は恐る恐るそれを手に取って、彼が口付けた部分の反対側のカップの縁から、ほんの少しだけ紅茶を口にしてみた。

 ふわりと香る深いアールグレイに、脳が蕩けるようなバニラの甘さが包み込むように混ざる。茶葉のにがみと蜂蜜の甘さが上手い塩梅で混ざりあっていてそれぞれが引き立っている。

「……美味しい。」

 私は思わずカップを傾けてどんどん飲み進める。そんな私を満面の笑みで昴が見つめる。

「良い香りに良い味でしょ?僕の居住スペースに毎日来てくれれば毎日飲めるよ!」

「ありがとう、ご馳走様でした。」

 私はティーカップをローテーブルの上に置いて、昴の首に手を伸ばした。

「そうだね。紅茶も楽しみだし、早く事件も解決したいから明日も貴方に会いに来るね。」

 彼が抵抗しないおかげで首輪はカシャン、と音を立ててあっさりと外すことができた。

「ありがとう。また明日ね。」

「うん。また明日。」

 昴は静かに手を振ってくれた。私は彼の気が変わらないうちにと内心では焦りながらも、表情は平静を保ったまま出入口へと向かった。

 扉に手を触れたところで後ろを振り返ってみる。追いかけてくるかと思ったが、昴はソファに座ったまま私を見つめている。そんな彼にほっと胸を撫で下ろし、私は小さく頭を下げてから静かに退室したのだった。



ーーー

ーー




 彼女が完全に立ち去ったのを見送ってから、僕は腰ポケットに入れていた通信機を手に取った。

「………もしもし、ハト。」

『どうしました?』

 やはり彼は有能な男だ。いつも三コール以内に応答してくれる。

「やっぱり蛍は物質X-03に耐性がある。」

 先ほど見送った彼女の背中を思い出して唇を噛み締める。

「混ぜた紅茶を飲んだけど、寒気も頭痛も何も感じていなさそうだった。」

『それだけ身体に馴染んでしまっているってことは、定期的に飲まされていた可能性が高いですね。』

「うん。飲ませていたのが両親なのか、アイツなのか。調べられる?」

『もちろんです。三日ほどお待ちください。』

「よろしくね。」

 僕は通信機を腰ポケットに仕舞い、怒りのままに拳を握り締める。

「ははっ、ふざけんな。第六感を潰すなんて、守るどころか壊してる自覚は無いのかなぁ。」

 僕は自分の左手の薬指を見下ろす。そこから伸びている赤い糸は、キラキラと瞬きながらまっすぐに彼女へと向かっている。

「本当に、ふざけんな。」

 憤怒で震える独り言は、誰の耳にも届くことなくだだっ広いリビングルームに横たわる静寂に霧散した。


 



 ***

 




「もしもし、辰にぃ。」

 昴の居住スペースから出た時点で、既に時刻は午後6時半だった。私は更衣室で私服に着替え、中央警察署を出たところですぐに辰巳に電話をかけた。

 彼はいつも通り三コール目に応答してくれた。

『もしもし。仕事終わったのか?』

「うん。」

 その次の言葉が見つからず、私は口を噤んだ。電波を通して私と辰巳の間に静寂が広がる。長いようにも短いようにも思えた沈黙は、辰巳の「ハッ」と吐き捨てるような笑いによって破られた。

『聞きたいことがたくさんあるんだろ?だから何から聞けばいいのかわからない。そうだろ?俺も聞きたいことがたくさんあるからわかるぞ。』

 珍しく余裕の無さそうな声音だ。

『今から会えないか?』

 私は首を横に振りながら口を開く。

「今から寮に向かうところなんだ。パパが荷物を持ってきてくれることになってる。その時に会うのでもいい?」

「雪。」

 辰巳に呼ばれ、私は思わず足を止めてしまった。電話越しではない。直接、背後から声が聞こえて振り返る。

「右耳の裏の発信機。気付いたんだろ。」

 声音は焦っていたのに、そこに立っていた辰巳はいつも通りの穏やかな笑みを浮かべていた。

 その笑顔を見ていると、ぼんやりと私の脳裏に過去の記憶が蘇った。

 

 そう、あれは私も辰巳も小学生だった頃だ。

『辰にぃ〜。耳の後ろ、何かある!』

『何かってなんだよ。』

 辰巳の家で、辰巳と宿題をしていた時だ。算数で分からない問題があり、右耳をいじっていたときにその裏に突起があることに気付いたのだ。

『来てよ。』

 私が右耳を指しながら手招くと、向かいに座っていた辰巳は苦笑しながら立ち上がってこちらに来てくれた。隣に座った辰巳に耳を寄せると、彼はわざとらしく驚いて見せた。

『本当だ。確かにあるな。』

『何?何?』

『スイカの芽が出てるぞ。』

『えっ!?』

 私は慌てて耳に触れる。

『昨日、スイカの種を飲み込んじゃったから!?』

『そうだ。きっとそのうち大きくなって花を咲かせて、立派なスイカができるかもな。』

『やだ!引っこ抜いてよ!!』

 怖くて半泣きになって辰巳の手を掴むと、彼はぷっと吹き出した。

『嘘だよ。そんなわけないだろ。』

 笑いながら辰巳が私の頭を優しく撫でる。

『ただのでっかいホクロだ。』

『バカ!辰巳の意地悪!嘘つき!』

『ははっ、悪い悪い。驚かせたな。お詫びに俺のオヤツをやるから。』

 私は辰巳の手からクッキーを奪い取り、ぷんと頬を膨らませてそっぽを向いたのだ。

ーーーそうだ、約20年も前にそんなやり取りをした。

 

「俺はずっと、お前の居場所を常に把握していた。お前が耳にした音も盗聴していた。ストーカーだよな。気持ち悪いって思うだろ。」

 コツ、コツと靴音を鳴らして辰巳がこちらに歩み寄って来る。

「こんな俺は嫌か?失望したか?」

「しないよ。する訳ないじゃん。」

 私は即答した。

「辰にぃは私を守るために居場所を把握してくれてたんでしょ?感謝すれど失望なんて、どうして出来ると思うの?」

「感謝…?」

「うん。だって私を守るのが目的でしょ?でもまぁ、ちょっとだけ怒ってる。どうして今まで私に黙ってたの。」

「……。」

 辰巳はバツの悪そうな顔をして視線を左に向けた。心苦しそうに眉根を寄せて、そしてゆっくりと私の方へと視線を戻す。まるで捨てられた子犬のような顔で、切なく細められた瞳に射抜かれて私は苦笑してしまった。

(ずるいよなぁ。)

「わかってるよ。私を不安にさせないために黙っててくれたんだもんね。今までずっと、私の知らないところでずっと私を守ってくれててありがとう。」

 不安げに揺れる琥珀色の瞳に、私はニッと白い歯を出して笑って見せた。落ち込んだ私を励ましてくれる、彼のいつもの笑い方で。

「今度は私が辰にぃを守るからね。」

 私が力強く言い切ると、辰巳は大きく目を見開いて息を飲んだ。こぼれ落ちそうなほど大きな琥珀色の瞳に、ビルの合間から差し込む夕陽の朱が燃え上がるように灯る。

「……そうだった。お前は、そうだったな。」

 そう呟いた辰巳は、私の方へと駆け寄って来た。

 そして。

「!!」

 ぎゅっと逞しい両腕で抱き締められた。力強く抱え込まれ、鍛え抜かれて分厚くなっている彼の胸板に頬が押し潰される。

「ちょっ…、苦しいってば。」

「好きだ。お前のそういうところが、ずっと好きだ。」

「そ?ありがとう。」

 私は辰巳の背中に腕をまわし、彼の腰の辺りをぽんぽんと叩いた。

「辰にぃ、ここ往来。」

「俺たちは婚約者同士だ。まわりに見られたって問題ないだろ。」

「通行の邪魔になるって。」

「放したくない。」

 ぎゅうっと抱き締める力を強められ、私はカエルが潰れたような呻き声を上げる。

「く、苦しい…。」

 警察署前の広い歩道のほぼ真ん中で私たちは抱き合っている。帰路を急ぐ通行人たちがジロジロと見てくる。邪魔そうな視線や好奇の眼差し。とにかくチクチクと刺さる様々な視線から逃れたくて、私は彼の腰をバンバンと強めに叩いた。

「じゃあ私の質問に答えてくれたら、二人きりになれる場所で辰にぃの好きなだけ抱き締めさせてあげるから。」

「本当か?二言はないぞ。」

「本当だから放して。」

 私を解放した辰巳は、悪戯っぽく笑いながら小首を傾げた。

「それで?質問って?」

 私は彼の腕を掴み、歩道の隅へ引っ張りつつ訊ねる。

「いつ、誰が何の目的でこの発信機を付けたの?この発信機から得られる情報って位置と音だけ?」

「落ち着け。一つずつ聞いてくれ。」

 辰巳は笑いながら、私の手から腕を引き抜くと今度は彼が私の手を握った。

「その発信機を埋め込んだのはお前のお母さんだ。」

「ママ!?」

 予想外の人物に、思わず大きな声を上げてしまった。周囲の通行人たちに再びジロジロと見られて咳払いする。

「なんでママが…」

「お前のお母さん、実は出自が特殊な人なんだよ。」

「特殊?」

 隣を歩く辰巳が小さく息を吐きながら笑う。

「現在の如月家当主の妹なんだ。」



「…………は?」






 

 


 

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