十二 辰巳はヒーローで
「雪!」
先程、三発の銃声が響いたビルの屋上から聞き慣れた声が響いた。そこへ視線を向けると、やはり見慣れた顔があった。
(辰にぃだ!)
キョロキョロと頭を横に振って探している。どうやら私がいる場所に気付いていないようだ。
「辰に…」
返事をしようとしたが、昴の大きな手に口を塞がれる。
「しっ。ダメダメ。まだ僕の姿を見せる訳にはいかないからね。」
昴は素早く私の右耳の裏に触れて私を抱き上げると、屋根の上から軽々と飛び降りた。隣接するビルの壁を蹴って着地すると、ビルの隙間から見える大通りには赤いランプを点滅させたパトカーがたくさん停まっていた。
「辰巳に姿を見せられないってどういうこと?」
パトカーを見て面倒そうに唇を尖らせていた昴が、私の問いかけに唇を引っ込める。そして上を向いてしばらく考え込んだ後、私を見下ろしてにっこりと笑った。
「占卜省の職員はただ占うだけじゃなくて、野良の破壊者を取り締まる仕事もしてるから。職務質問されると面倒でしょ。」
「でもその理由を思い付くまで考えたってことは、何か別の理由があるんじゃないの。」
私が細めた目で見つめると、昴は舌を出した。
「本音を言うと大嫌いだから会いたくなかっただけ。さ、警察署に戻ろう。たぶんこれでしばらくは狙われないと思うから。」
私を抱えたまま歩き出す昴に、私はギョッとする。
「え、もう狙われないなら下ろしてくれる?」
「やだ。なんかムカつくからこのままがいい。」
「じゃあ、さっきは誰が貴方と私を狙ってたのか教えてくれたら抵抗しないであげる。」
昴が足を止めて私を見下ろす。
「蛍は交換条件が好きだねぇ。僕は君になら無条件で何だって教えてあげるって言ったでしょ。」
悲しげに眉根を下げて態とらしく溜息を吐いた昴は、私の背中と膝裏にまわしている腕をグッと自身の身体に寄せた。
「ここではできない話だから、それも警察署に戻ったら教えてあげる。……その代わり。」
昴は私の額に唇を寄せると、吐息混じりに囁く。
「君が抵抗しようが何しようが、絶対に離さない。」
そう言い終えるや否や、昴は急に走り出して大通りに出た。銃声を聞いた通行人に、警察官たちが事情聴取している。そんな彼らの視界に入らないよう、昴は人混みに上手く紛れ込みながら歩道を走る。その勢いに、道行く人々が驚いて視線を向けるが昴は気にすることなく走り続ける。
「ちょっ…、昴!速いって!怖い!」
「大丈夫。僕は五感が人一倍、鋭いから。絶対にぶつかったりしないよ。」
(五感…。)
昴はハトの五感が人並みだと言っていた。破壊者と五感の鋭さには何か関係があるのだろうか。気になったので質問したいのだが、昴の走るスピードがあまりにも速くてそれどころではない。私は警察署に着くまで結局、振り落とされないよう必死に昴の首にしがみつくことしかできなかった。
***
私と昴は破壊者対策課に戻るなり、すぐに藤堂係長と作戦会議室に入り調査内容を報告した。
私と昴は電車でSchmetterlingに向かい、店長の揚羽さんが調査した情報を夏目警部補から聞いたこと。捜査対象がその喫茶店に一ヶ月前まで訪れていたこと。捜査対象がゼンコーグループ子会社の社員だったこと。私の婚約者が善光院の分家出身であるが、何も知らなかったこと。喫茶店から警察署に戻る道中で何者かに銃撃されたこと。
「多分、僕を銃で襲ったのは善光院のとこの従者。三十代くらいの男が警察署を出てからずっと僕たちの後をつけて来てたよ。」
「気付かなかった…。」
私は無意識に右耳の裏に指先で触れた。
(今まで辰にぃが守ってくれていたことも。)
昴が見せてくれたスマホの写真が脳裏をよぎる。小型の機械が皮膚の下に埋め込まれていたが、そんな手術など受けた記憶は全く無い。物心がつく前に埋め込まれたのだろうか。
「それってつまり、善光院の人の狙いが私だったってこと?」
「その通り。でも同じ善光院のお坊ちゃまである婚約者サマが君を守ってるってことは、おそらく善光院の中でも勢力の分裂が起きている可能性が高いってことだね。」
辰巳は本家に跡継ぎがいると言っていた。その人を中心に本家の会合が毎月のように行われているということも。そして分家の人間は一切、それに関わることができないのだと。
「どうして私が狙われているのか、わかる?」
「それは君が、愛ぜ…」
「愛染 辰巳さんの婚約者だからだよ。」
私の問いかけに昴が答えている最中、いつの間にか会議室に入って来ていた鮫島先輩が言い放った。昴が舌打ちをしながら振り返る。
「はぁ?僕が蛍に説明してんのに邪魔しないでよ。」
「邪魔も何も、私は後輩に有意義な情報を教えてあげてるだけなんですけど。」
昴と鮫島先輩が睨み合う中、鮫島先輩と共に会議室内に入って来ていたハトが溜息を吐く。
「報告中なので喧嘩はやめてください。それと有栖さん。」
「はい。」
「首輪には電気ショックを与える機能があります。今後、昴さんが勝手な行動をとった場合は容赦なくリードを引っ張ってくださいね。」
「はい…。」
私は左手首に巻いているスマートウォッチを見た。一見、ただのスマートウォッチに見えるが、これは捜査係に配給される特注品でパートナーである破壊者の首輪の位置情報を把握したり操作したりすることができる。
てっきり、その機能の一つである電気ショックは破壊者が暴走して一般人に危害を与えそうになったような緊急時にだけ使うものだと思っていたのだが。
「そんな気軽に使っていいものなんですね。」
「電気の強さも調節できます。強くしなければスタンガンみたいに火傷したり気絶したりする程のショックにはなりませんよ。」
「わかりました。ありがとうございます。」
「有栖さんは悪くないよ。一緒に捜査する中で説明しようとしてたのに、このバカが勝手に行動したせいでできなかったんだから。」
鮫島先輩が私の肩に手を置いて溜息を吐く。昴はそんな鮫島先輩の手を払い除け、私の肩を抱き寄せた。
「だってハトも君も瞬時に動けないでしょ。せいぜい僕が守れるのは1人だけだもん。僕たちについて来てたら流れ弾で頭バーンされて死んでたよ。」
(ただの我儘じゃなかったんだ…。)
「そうだね。次から移動の際は公用車を使用するようにね。有栖さん、免許は持ってる?」
藤堂係長に訊ねられて私は返事をしようとしたのだが、それを遮るようにハトが私の前で手を挙げた。
「いえ、俺が運転します。俺は五感も人並みですし、身体能力も平均以下ですから。いざという時に動ける方々に臨機応変に対応してもらいたいので。」
「そうですね。貴方はいつもコード666のドライバーをしていて慣れておられますからね。」
「はい。」
「それじゃあ、二〇九号車の鍵を後で渡すね。」
「ありがとうございます。」
藤堂係長が微笑み、ハトも微笑み返す。そんな2人の間で今度は私がそろりと手を挙げた。
「あの…、気になったんですけど、破壊者と五感って何か関係があるんですか?身体能力とか頭脳とか…、一般の人とは違うんですか?」
「破壊者は一般人よりも身体機能とか運動神経、頭脳がずば抜けている人がほとんどなんだよ。」
昴が私の頭に顎を置きながら説明を始める。
「それと、容姿が整ってるのと目が宝石みたいな光り方をするのも大きな特徴だね。」
私は思わずハトの瞳をじっと見つめた。深紅の複雑な光を放っていて、宝石のガーネットのようだ。
「なぁーに見てんの。僕のを見な。」
突然、昴に顎を掴まれ、無理やり顔を上向けさせられた。こちらを見下ろす彼の瞳が不機嫌に細められている。
「ハトのより僕のが綺麗でしょ?」
「好みによると思う。」
「じゃあ蛍の好みは?」
「どっちも良いなって。」
「はぁ?僕のが良いでしょ。」
突如、パンパンと手を打つ大きな音が会議室に響く。
「ハイハイ!話が進まないからそこまで!」
盛大な溜息を吐きながら言った鮫島先輩を昴が睨む。そんな2人の様子を見て、藤堂係長が楽しそうに笑った。
「うん。いいねぇ。そうやって4人で協力して頑張ってね。」
まるで親のような慈愛に満ちた眼差しで私たちを見つめた後、藤堂係長が俯いてふっと瞳に影を落とす。
「非常に厄介なことに、破壊者は一般人を魅了するような見た目や能力を持ってるんだよ。それ故に、破壊者と関わった一般人は狂って罪を犯してしまうんだ。」
苦い過去を思い出しているかのような、後悔が滲む暗い瞳だ。
(昔、破壊者と何かあったのかな。)
藤堂係長は視線を足元に向けたまま話し続ける。
「運命を曲げられるとわかっていながら破壊者に心酔する者、破壊者の突出した能力を利用しようとする者。それらを取り締まるのが我々の仕事だ。それがたとえ、親しい友人や婚約者であっても…だよ。」
藤堂係長は顔を上げると、まっすぐに私を見つめた。
「有栖さん。君の婚約者は、現在の善光院当主が最も次期当主にと望んでいる人物なんだ。」
「えっ。」
辰巳は本家に跡継ぎがいると言っていた。
「その今の当主に、実のお子さんがおられるって辰巳が言ってましたけど…。」
「そう。だからその子どもが、破壊者を使って愛染 辰巳を暗殺しようとしているんだよ。君が狙われているのは、愛染 辰巳を殺害するための切り札として使うためだ。」
ドクッと心臓が嫌な跳ね方をした。痺れるように手足の先が冷たくなり、呼吸が浅くなる。
(なに…それ……)
辰巳を殺す?
善光院の当主になるため?私を狙っている?
「有栖さんの急な係異動は、その暗殺活動が最近、特に活発化してきたからなんです。有栖さんを守るために、昴さんが御堂課長に提案したんですよ。」
ハトの説明を聞いて、私は昴を見上げる。
「ん?なぁに?」
昴は私を見下ろすと、小首を傾げてにっこりと優しく微笑んだ。私は彼の瞳の中で揺れるオーロラを見つめて唇を噛む。
ーーー私が辰巳を助けなきゃ。
「ありがとう、昴。貴方のおかげでいろんな事を知れた。」
「ふふ、当たり前のことをしただけだよ。」
「今回の事件は善光院が関わってる可能性が高い。そして貴方の命も、辰巳の命も狙っているのは善光院。だったら早く犯人を捕まえて解決するしかないってことだよね。」
おそらく昴がここで善光院が関わる事件を追っていた時に、狙われていた私を見て一目惚れしたということなのだろう。そのおかげで、私はここに引き抜いてもらえて真実を知ることができた。
(守ってもらってばかりじゃ割に合わない。)
今まで何も知らない私を守ってくれていた辰巳に恩返しをするためにも、私は私にできることをするしかない。
ーーー目の前の、彼の好意を利用してでも。
「うん。蛍の考えてることは何となくわかるよ。虫唾が走るけど。」
突然、昴がストンと表情を落とした。しかしすぐに柔らかな微笑みを浮かべると、私を強く抱き締めた。後頭部を掴むように抱き寄せられて顔が昴の胸に埋まる。
「どんな理由であれ、君が僕の傍にいて僕と協力して僕と共に行動してくれるのなら…、許してあげてもいいよ。」
私の脳裏に驚異の五感で銃弾を察知し、驚異の身体能力で屋根の上を飛び移って回避していた昴の姿がよぎる。
(捜査には彼の協力が必要不可欠だ。)
「もちろん。バディである貴方とは絶対に離れないつもりだから。貴方こそ私を捨てないでね。」
私が昴の腕の中で言うと、彼が可笑しそうにぷっと吹き出した。
「大丈夫。今度は絶対に放さないから。」
「今度?貴方が私の事を放してくれたことなんてあった?」
「さ!僕のお城に戻ろ!今度は何も混ぜてない美味しい紅茶を淹れてあげるから!」
「はい!?わぁっ!?」
昴にあっさりと抱き上げられ、私は横抱きにされたまま昴の居住スペースへと連れ去られてしまったのだった。
「有栖さん…、スマートウォッチのことを完全に忘れていますね。」
残された藤堂係長が苦笑する。その隣で、鮫島が額を押さえて溜息を吐く。
「私から指導しておきます。」
「いえ、昴さんが全て悪いので。俺が昴さんに注意しておきます。」
鮫島とハト。バディ同士であり同じ苦労人でもある二人は揃って大きな溜息を吐いたのだった。