十一 無知は危険で
辰巳は占卜省の職員で公務員だ。副業が禁止されているので、ゼンコーグループの事業に関わる仕事はしていないだろう。
「婚約者の方からゼンコーグループについて、何か聞いたことはありませんか?」
夏目警部補に訊ねられ、私は首を横に振る。
「全くないです。以前、辰巳は本家とは関わりが無いって言ってましたから。」
日本には、占術を得意とする三大家系がある。
善光院と、竜胆と、如月だ。これら三つの家柄は、世間では占術御三家と呼ばれている大財閥だ。
大昔の世界大戦の終結後、占術による建国の際に中心となった一族たちだ。
もちろん現在も、一族の出身者は占卜省で国家公務員として働いている者が多い。しかし占術により国の中枢を担ってきたことで得た多額の資産により、御三家は占いに留まらず様々な業種に着手している。
善光院一族は国民の生活に密接した様々なサービス事業を展開していて、竜胆一族は国立科学総合研究所を拠点に様々な研究を行っていて、如月一族は政界で活躍している人が多い。
竜胆といえば二十年くらい前に当時の竜胆家当主夫婦が逮捕され、現在はその当主の弟が研究所の所長を務めているとネットニュースで見かけたことがある。弟が所長になったことで、不治の病とされていたガンの特効薬が開発されるなど目覚ましい発展を遂げている。
如月といえば、一日に一回は必ず一族の誰かがテレビに映る。政治に関するニュースは毎日のように報道され、その度に如月一族の話題が取り上げられるからだ。如月一族は頭脳明晰な遺伝子を持つ一族なのか、日本最難関大学の卒業生がほとんどだ。さらに、一族の最もたる特徴が色白の肌に碧眼で見目麗しいことでも有名だ。
そして善光院だが、ゼンコーグループの代表取締役は代々、善光院家の当主が務めているとテレビで放映されていた。
辰巳の家系である愛染家は、その善光院家の分家だ。
分家ではあるが、辰巳自身もタロット占いを得意としており占卜省で働いている。占術が得意な血筋をしっかりと受け継いでいるのがわかる。
しかし、辰巳は本家の跡継ぎの方が占術に長けていると話していた。自分は所詮分家の人間で、本家の跡継ぎがしっかりしているから善光院家に自分は必要ないのだと。
「辰巳が、自分は分家である愛染家の出身で善光院本家とは全く関係がない、本家の会合にすら呼ばれたことが無いって言ってました。」
「へぇ〜そぉ。」
昴が残念そうに唇を尖らせる。
「善光院のお坊ちゃまが何か情報を持っているなら、蛍から聞き出して貰おうと思ってたんだけど。」
「今度の日曜日に会う予定なので、知ってることがあるか彼に聞いてみます。」
「は?デート?」
昴が鋭い視線を私に向ける。美人の激怒した顔は迫力があり、私は思わず背筋を凍らせる。
「いや、キレないでくださいよ。婚約者だから普通にデートくらいしますって。」
「それは無理でしょう。捜査係の職員は休日も監視下に置かれるので迂闊に外出はできませんよ。」
「えっ?」
指摘してきた夏目警部補は淡々とした表情で私を見ている。
「本日より寮で生活することになってますよね。休日も許可された場所にしか行けませんよ。」
初耳だ。何せ、急な係異動だったから説明される間もなかった。今晩から寮での生活が始まるので、寮に着いた際に受けられる説明だったのだろうか。
「は、初めて知りました…。」
「婚約者の方にご連絡された方がよろしいかと。」
「そうですね…。」
(今は業務中だから、終わってから連絡しよう。)
二年後に結婚を控えているというのに、気軽に会えない状況にもどかしさを感じる。唇を噛んで肩を落とす私を、昴は勝ち誇ったような笑みを浮かべて見つめている。
「可哀想に。残念だったねぇ、蛍。」
「顔と発言が一致してませんよ。っていうか、何で貴方は辰巳のことを知ってるんですか。」
私に婚約者がいることを知っていたどころか、その婚約者の家柄まで把握していたとは。
「そりゃあ、僕は特別な役職を与えられた破壊者だからね。調べることなんて造作もないことだよ。」
「そうですか…。」
つまり何を知られていても驚く必要は全く無いということだ。
「昴さんは私の何もかもを調べられるような特別な権限が与えられてるって事なんですね。」
私が投げやりに言うと、夏目警部補が首を横に振った。
「誤解を招くといけないので言いますが、調べたのは揚羽さんですよ。」
苦笑いしながら夏目警部補が続ける。
「揚羽さんの情報収集力は素晴らしいですからね。」
「揚羽さんというのは…?」
「夏目のバディ。この店を任された破壊者だよ。」
夏目警部補に暴露されてつまらなさそうな顔をしている昴が、控え室の外を顎でしゃくる。なるほど。あの亜麻色の髪の美女か。
「あの綺麗な破壊者のお姉さん、揚羽さんってお名前なんですね。」
「揚羽さんから、ここまでの情報を有栖さんに伝えるように頼まれたのです。」
淡々と告げた夏目警部補が、今度は昴に視線を向ける。
「今回の事件は無知のまま捜査をするのは危険だと揚羽さんが言っておられました。」
「そうだね。何せ、ターゲットが破壊者かつ殺し屋だもんね。」
「はい?」
殺し屋という物騒なワードが聞こえた。聞き間違いであって欲しい。
「萩浦 真司といえば野良の破壊者で、自ら弟子を志願する破壊者も多いくらい腕の立つ殺し屋で有名なんだよ。」
とんでもなく恐ろしいことを言っているのに、昴はあっけらかんとしている。
「それに萩浦は、ゼンコーグループの子会社である医療機器製造の会社の社員だったんだ。」
それはつまり、萩浦が身を隠しているのはゼンコーグループに関係している場所である可能性が高いということだ。
「やっぱり辰巳が何か知ってる可能性が高いですね。電話を掛けてみます。」
「くれぐれも、破壊者の存在など国家機密の漏洩だけは気を付けてくださいね。」
夏目警部補からの指摘に頷く。
「ありがとうございます、気を付けます。」
昴が不機嫌そうに眉根を寄せているのを無視して、スマホの連絡先から辰巳に発信する。もしかしたら仕事中で出てもらえないかもしれない。そもそも業務時間中に電話をして迷惑を掛けてしまうかもしれない。しかしこちらの業務に必要な連絡だから仕方の無いことだ。なんてグルグル考えていると、三コール目で応答があった。
『もしもし。どうした?何かあったのか?』
普段、滅多に昼間に電話をすることが無いので緊急事態だと思われたようだ。声音が心配して焦っているように聞こえる。
「ちょっと聞きたいことがあるだけだよ。今、時間は大丈夫?」
『ちょっと待ってろ。今抜け出す。』
電話の向こう側から、ガタガタと物音が聞こえる。それと一緒に歩いている辰巳の息遣いも聞こえる。どこか別の場所に移動してくれているようだ。
「ごめん、忙しいのに迷惑かけて。」
『気にするな、仕事よりお前の方が大事だからな。…よし、別室に入ったからこれで大丈夫だ。聞きたいことって?』
萩浦 真司のことを話し始めようとしたところで、昴が私の肩をポンポンと叩いた。
「何?」
私が振り返った隙に、昴の指が伸びてきて私のスマホの画面に触れた。
『どうした?』
どうやらスピーカーモードにされたようだ。辰巳の音声が控え室に響く。
「どーも。雪ちゃんの婚約者さん。」
「ちょっ…」
突然、昴が辰巳に向かって話しかける。
『誰だ?』
「蛍のバディだよ。」
「昴さんっ、邪魔しないでください!」
私は慌てて昴の口を塞ごうとしたが、その手首を掴まれてしまう。
「萩浦 真司ってそっちに行ってる?」
『誰のことだ?』
「知らないワケないでしょ。だって君、善光院とこのボンボンだよね。」
「昴さん!」
私がスマホを遠ざけようとすると、その手首も昴に掴まれて易々と動きを封じられてしまった。
『俺は分家の人間だ。だから本家のやってることは何一つ分からない。』
「チッ、使えねぇな。」
天使のような美麗な顏を凶悪に歪めた昴が、私の手首を一纏めに掴み直すと、空いた方の手で勝手に通話を終了した。
「昴さん!」
私の拘束を解いた昴が、ベッと舌を出す。
「だって嫌いなんだもん。」
「どんなに嫌いでも言っちゃいけないことはあるんです!」
私が慌てて辰巳に謝罪のメッセージを送ろうとすると、再び昴に手首を掴まれた。
「ソイツに何を聞いたって無駄。行くよ。」
「違っ…、えっ!?何処に!?」
私の問いかけには答えず、昴は私の手首を引いて歩き出す。その勢いに引っ張られるまま、夏目警部補に挨拶できずに控え室を出て、驚いた顔をした揚羽さんに見送られながら喫茶店を後にしたのだった。
***
「ちょっと!昴さん!」
昴に引っ張られたまま、繁華街を抜けてオフィスビルが建ち並ぶ比較的静かな大通りに出る。平日の昼下がりなので休日ほど人は多くないが、たくさんの忙しそうなサラリーマンやベビーカーを押して歩く主婦たちとすれ違う。やはり昴は美麗な顔立ちな上に長身で白銀色の髪が太陽の光を浴びて眩い美しさを放っている。道行く人々が彼に見蕩れて注目の的になっている。
「止まってくださいっ、痛いです!」
抵抗すると手首を掴む力を強められて骨が軋むような痛みが腕に広がる。しかし昴は無視して、強い力で私の手首を掴んだままどんどん前へ進んで行く。
「どこに向かってるんですか?ねぇ、昴さん!」
「昴って呼んで。敬語も丁寧語も要らないから普通に喋って。そしたら放してあげる。」
突然、昴が話し始めたかと思えば急に立ち止まった。私は前に進んでいた勢いのまま昴の背中にぶつかる。すると、くるりと身体を反転させた昴の腕に閉じ込められた。
「呼んで。昴って。」
「す、昴…。」
「ん、ありがとう。」
あっさりと腕の拘束が解かれたかと思えば、急に抱き上げられた。
「え!?」
「しっかり掴まってて。」
昴がそう言い終えるや否や、後方の空からパァンッと大きな破裂音が響いて昴の足元にあったタイルがバキッと割れた。
次の瞬間、周囲から悲鳴が上がる。
(今のって、まさか銃声!?)
パニック状態になった人々が大通りで逃げ惑う中、昴は私を抱えたまま路地裏へと入る。すると薄暗くて湿った通路に積み上げられたダンボールやビールケースが上空から聞こえた破裂音と同時に跳ね上がる。
「まさか一般人のいる前で堂々と狙ってくるとはね。」
「わぁっ!?」
昴はガスメーターに上り、そこから高く跳躍して居酒屋の勝手口にある屋根の上に足を置いた。そのまま軽々と隣の家屋のベランダへと飛ぶ。何度も浮遊感に襲われた私は、目を白黒させながら昴にしがみつく。
「これって貴方が狙われてるの!?」
「そ。いつものことだよ。でもこんなに大衆の目がある中で堂々と狙われたのは初めてだ。」
ベランダの手すりからギンッと金属がぶつかったような音が聞こえた。どうやら銃撃は続いているようだ。
「狙われてるのは貴方だけでしょ?私を抱えてたら上手く動けないでしょ。私のことは置いて逃げて。」
「その方が危険だよ。銃を向けられているのは僕だけど、奴らの本当の獲物は君だからね。」
「は?」
再び銃撃が始まると、昴は私を抱えたまま少し高い位置にある隣の家屋のベランダへと飛び移った。その勢いのまま、さらに隣にある民家の屋根に上る。
「いやいや私は生まれてこの方、一般人として生きてきたから狙われたこと無いけど?あっ、破壊者対策課に配属されると狙われるってこと?誰に?」
「名札でもぶら下げてないと対策課の人間かどうかなんてわかんないよ。」
「じゃあ、貴方の仲間だと思われたから?」
「それならハトはとっくに捕まってるね。アイツ、知能は並外れてるけど五感は普通の人間並みだから。」
昴が素早く身を翻すと、二発の銃弾は私たちに当たることなく足元にある屋根の瓦を割った。昴の動きは、まるで銃弾が飛んで来る方向を予測しているようだ。
(まさか、昴は五感が優れているってこと!?)
またしても、昴が隣のビルの屋根に飛び移ったことで銃弾を回避している。私にはどこから銃口を向けられているかなんて全くわからない、音だって発砲された音しか聞こえない。
「私だって普通の人だよ。狙われてたらとっくに捕まってるって!」
「すっごくムカつく話だけど、今までは君の婚約者サマが守ってくれてたんだよ。」
昴が言い終えた途端、少し離れた場所にあるビルの屋上から再び銃声が三発も響いた。しかし銃弾は私たちの近くに当たっていないようだ。そう気付いた次の瞬間、そのビルの屋上からドサドサッと複数人が倒れたような音が聞こえた。
「蛍は常に婚約者サマに現在地を把握されてるんだ。」
「え?」
昴は屋根の上に私を下ろすと、スマホを私の右耳の後ろに翳した。耳元でカシャッとシャッターの電子音が鳴る。
「これ。耳の裏に発信機が埋め込まれてる。」
昴に見せられたスマホの画面には、私の右耳の付け根に何か小さくて黒いものが写っている。それは、皮膚の下に何か小型の機械が埋め込まれているように見えた。