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一 就職先は占いで



 

東京都杉並区の商店街、平日の昼下がり。

「誰かぁっ…!!そいつを捕まえて!!」

 目深に黒のキャップを被った男が、藤色の小さなハンドバッグを持って走り去る。その背中に向かって、歩道に座り込んだ年配の女性が必死に手を伸ばしながら叫んだ。

 通行人たちが男を取り押さえようと腕を伸ばすが、道端にある立て看板や植木鉢を蹴り倒しながら物凄い速さで避ける男を誰も捕まえることができない。

 驚異的な身体能力で次々と制止を躱す男が不敵に鼻先で嗤った、その時だった。

 突如、ドッと鈍い音が響いて男の身体が横に吹っ飛んだ。ハンドバッグは男の手から放れて宙に浮いた。

 男の身体がガシャンッ!と道端に積まれていたビールケースに突っ込むのと、若い女性警察官がハンドバッグを掴むのは同時だった。

「海堂巡査、身柄拘束お願いします!」

「はいよっ!」

 ハンドバッグを手にした女性警察官の言葉に、男性警察官は即座に駆け出す。海堂と呼ばれた警察官は、ビールケースに埋もれて気を失っている男の手首に手錠を掛けた。その間に、女性警察官は座り込んでいる年配の女性に駆け寄る。

「お怪我はありませんか?」

「ありがとう、大丈夫よ。」

 女性警察官は年配の女性に肩を貸し、近くに停めていたパトカーに乗せた。海堂は気絶している窃盗犯の手錠をカーブミラーに繋ぎ、最寄りの杉並警察署に連絡した。

 その一部始終を見守っていた通行人たちは、道行く人の誰もが止めることのできなかった窃盗犯を、たった一度の蹴りで仕留めた女性警察官に賞賛の眼差しを向けていたのだった。




 ***



「今日も手柄を立てたな、有栖。」

 三つ上の先輩である海堂巡査に言われ、私ははにかみながら首を横に振る。

「占卜省の手柄ですよ。『六月二日の午後三時四十五分、ひったくり犯が杉並区成田東五丁目で逃走する』、占卜省の職員が送ってきた伝達の文字通り窃盗犯が現れたのですから。」


ーーー

ーー


 手相、タロット、姓名判断などなど。

 この世に存在する占いは多種多様だ。この世界は、これら全てを用いてコントロールされている。


ーーー占卜省。

 三度の筆記試験と三度の面接試験、そして五度の占術実技試験で選抜された、優秀な占い師のみが入省を許される国家組織だ。そこから、選抜者の能力ごとに、国政庁、将来設計庁などと細かく占う対象先の配属が決まる。占卜省の職員は国の政策だけでなく、国民一人一人の人生までありとあらゆる物事を占い、決定している。


 つまりこの世界は、生まれた赤子は生まれた時点で占卜省の職員に占われ、名前も人生も何もかもを決められるのである。


『素晴らしい娘さんですね。正義感が強くて賢く、他人の幸福を優先する善良なお子様になられますよ。』

 私が生まれて間もなく、占卜省の職員が私の両親に告げた占い結果だ。そして授けられた名前は『有栖 雪』、決められた職業は『警察官』だった。

 それはそれは、両親はたいそう喜んだらしい。多くの親が望む模範的な結果だったからだろう。

 そして私は占いの通り、学生時代は常に優等生で親からも先生からも褒められ続ける模範的な生徒だった。日本一入学が難しいと言われている学園の初等部から入学が許可され、成績は常に上位のまま高等部を卒業。日本最高峰の大学にも入学ができ、そして決められていた通り警察官の試験を受けて合格した。



ーー

ーーー



「でも占いでのコントロールも完璧ではないから、こうやって事件事故が起こるんだよな。」

 占い結果が悪かった、思った通りではなかった人々が結果に逆らった行為をする。

 占い結果通りの学校や就職先を希望する場合、国から補助金が貰えるのでスムーズに進学や就活ができる。しかし結果に逸れた道へ進もうとすると、あらゆる活動費は全て自己負担となる。結果として生活苦に陥り、非行に走ってしまうという訳だ。

「交通事故とか火災とかも、ほとんどが占いの結果に逸れた行動をとったせいですもんね。」

「そうだな。でも、占いに縛られたくないって気持ちも分からなくはないかな。」

「そうですか?」

 占いの通りにしていれば、無駄な事件や事故に遭うことなく平穏な日々を過ごすことができる。私には、縛られるという感覚がわからない。占いとは安全なレールを敷いてくれる絶対的な人生の羅針盤だ。

 皆が占いの通りに行動していれば秩序が乱れることはなく、警察なんて組織も存在しなくていいのに。

「……俺、歌手になりたかったんだよ。」

 海堂巡査の呟きが窓の無い真っ白な廊下に響く。

 私と海堂巡査は窃盗犯の確保後、被害女性と共に交番に戻った。交番で事情聴取をして窃盗事件の報告書を作成し、杉並警察署へと向かった。そして捜査第三課への報告と報告書の提出を終えて、今は警察署の職員用出入口に向かっているところだ。時刻は午後五時を過ぎている。おそらく外は夕焼け色に染まっているだろう。

「歌がお好きなんですか?」

「うん。ガキの頃、自分で曲を作ってたくらい。」

 人感センサーライトの青白い光が、どこか遠くを見つめる海堂巡査の漆黒の瞳に映る。

「警察官の仕事は自分に向いてると思う。けど、心のどこかで歌を諦めていない自分もいるんだよなぁ。」

 私たちの靴音だけが鳴っている静かな廊下に、諦観したような声音なのにどこか小さな熱が灯っているような呟きが響く。

「素敵だと思います。」

 私の一言に、海堂巡査は驚いたのか眉を上げる。

「へぇ、意外だ。てっきり歌手なんて目指したら駄目ですよって言われるかと思った。占いの結果は絶対だっていつも言ってるからさ。」

「そこまで熱中できることがあるのが、羨ましいだけです。海堂巡査は警察官なんですから、警察官として働かないと。」

「……俺は、逆に有栖が羨ましいよ。」

「何でですか?」

 サラ、と揺れた海堂巡査の深紫色の前髪が、瞳に差し込んでいた電灯の光を遮る。

「まっすぐに警察官になるために生きてきて、警察官であることに誇りを持って働いてるから。」

ーーーそれはどうだろうか。

 占いの結果で警察官になれと言われたから警察官になっただけだ。

 なりたいからなったとか夢を追いかけたというよりも、義務を守ったという感覚が近いような気がする。

 私は海堂巡査から視線を逸らし、真っ白な床を見下ろす。警察官として働く日々を思い返していると、頭に子供の元気な声が思い浮かんだ。

『おねえさん、おはよう!』

 脳裏に響いたのは以前、迷子になっていたところを助けてあげた女の子の声だ。朝の立番の際、女の子は小学校への登校時に必ず手を振って挨拶をしてくれるようになった。

『いつもありがとう。ご苦労様。』

 次に響いたのは、くっきりと深く刻まれた眉間の皺が印象的な老爺の声だ。飼っている柴犬が行方不明になって困っていたところを一緒に探してあげたのだ。それから、巡回連絡の際ににっこりと微笑まれるようになった。

 交番勤務になってから、当直の時はあまり眠れていないし夜勤をしんどいと感じることもある。

 でも。

「……そうですね、やりがいのある仕事で誇りを持ってます。」

 自分はこの仕事を気に入っていると思う。

 警察官にしかなったことがないからそう思うだけかもしれない。他の仕事をしたことがないからわからない。でも、占いは正しい道を示してくれるからこれが正解なのだと思う。

「そっか。」

 ふっと優しく笑った海堂巡査が、ぽんと私の頭に手を置いた。

「俺も後輩に負けないよう、もっと頑張らないとな。」

 ニカッと八重歯を出して笑った海堂巡査に、私は大きく頷いて笑い返した。

「そうですよ。頼りにしてますからね、先輩。」

 ランダムテンキーロックを解錠し、白いドアを開けると澄み渡って鮮やかな紫陽花色の夕空が広がっていた。




 ***



 それから海堂巡査と共に交番に戻り、夜間パトロールや検問を行った。その後は報告書を作りながら交代で仮眠を取り、日が昇ったら朝の立番で女の子と手を振り合った。そして次の当直である当番員に業務の引き継ぎを行い、再び杉並警察署へ向かう。パトロールや検問で取り締まった内容をまとめた報告書を上司に何度も訂正されては直してを繰り返し、ようやく提出を終えたのは正午近くだった。

「お疲れ様でしたっ!」

 すぐに制服から私服に着替え、警察署から飛び出す。ダッシュで最寄り駅に向かい、飛び込む勢いで電車に乗り込んだ。平日の昼間なので比較的空いている。私は適当に空いていたシートに座り込んで項垂れた。

(太陽で目が焼かれる…。)

 寝不足で車窓から差し込む明るい光が目に刺さる。眉間を揉みながら目を閉じたところで、突如として電車が大きく揺れた勢いで隣に座っていた人に肩がぶつかってしまった。

「すみませっ…」

「別に謝らなくていいぞ。」

 予想外の言葉が返ってきて、私はバッと顔を上げて目を見開いた。

「お疲れ。今日は非番だったな。」

 目の前にあった顔は、よく見知った顔で。

「辰にぃ!どうしてここに…?」

 そこにいたのは占卜省が決めた私の婚約者、愛染 辰巳だった。


 


 

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