打ち上げ花火が咲く日まで
これは、打ち上げ花火が咲くまでの短い物語だ。
僕が彼女と出会ったとき、彼女の余命は二カ月だった。暑い六月末のことだった。その日、彼女は真夜中の駅のホームで一人佇んでいた。深夜一時だった。僕は駅の隣のコンビニにエナジードリンクを買いに来ており、ちらっと見えた彼女が、僕の高校の制服を着ていたことが気になって、わざわざ入場券を買ったのだ。僕が駅に入ると、彼女は少しだけことらを見て、また線路に向き直った。
「誰か待ってるの?」
僕が聞くと彼女が少し驚いたようにこちらを見て、
「誰?」
と聞いてきた。
「僕、多分同じ高校の三年四組の中川だけど」
「ああ、中川君か。私のこと分かる?」
「すみませんが全く……」
「そっかそっか」
彼女はなんだか寂しそうにつぶやいて、
「私同じクラスでいつも休んでる日高 千鶴だよ」
日高 千鶴。
その名前に聞き覚えがあった。俺のクラスで、いつも《体調不良》で休んでいる女子である。まさかここまで美人だとは思わなかった。長く背中まで伸びた髪のつやが駅の照明ではっきりとわかる。すらっとした体形でメリハリもあり、非常にスタイルがいい。さらに顔も小さくて……うむ。可愛い……。
「日高さんはこんなところで何を?」
僕の素朴な疑問に苦笑を浮かべて彼女は答えた。
「私ね、余命二カ月なの」
・・・
日高さんはとある難病に侵されており、あの日外を出歩いたのも、そんな自分に嫌気がさして自殺しようとしたとのことだった。しかし、肝心な時に足がすくんでしまい、一歩を踏み出せずにいたところ僕と出会ったらしい。
「私を生かしたんだから責任取って彼氏になってよ」
「はい⁉」
この爆弾発言がきっかけで僕たちは付き合うことになった。
・・・
日高さんとの奇妙な関係が始まって、最初にしたのはデートでもなんでもなくお見舞いだった。日高さんは僕に会い日学校帰りにお見舞いに来るように命じた。僕は逆らえるはずもなく、また、勉強を教えてくれるので、仕方なく承諾した。と、言うことで今日も今日とてお見舞いである。日高さんが入院しているのは少し遠くの総合病院の個室だった。
「よっ」
扉を開けると、日高さんが起き上がっており、ニッと笑って挨拶をしてきた。しかし、病室というのはこれ以上ないほど現実的で、彼女の細腕には無数の管やらケーブルやらがまとわりついていた。今日で彼女と出会って二週間だが……。
「また、やせてる……」
痛々しい現状に僕は直面していた。日に日にやせていく日高さんの手を握る日々があと一カ月半で終わるのだ。好きでもない美人と付き合うなんて、と思っていたがこの時にはとっくに惚れていたのだろう。
「もう!気にしてるんだから言わないでっ」
頬を膨らませて怒る姿に思わず吹き出してしまいそうになる。まぁ、なんだかんだ可愛いのだ。この人。
「それで、今日はどこ教えてほしい?」
彼女との奇妙な勉強会がまた始まった。なぜだか知らないが日高さんはめちゃくちゃ頭がいい。学校にほとんど言っていないのに、教え方が上手すぎるのだ。いつも僕は「何で?」と聞くが、彼女は決まって、「私が天才だからに決まってるでしょ?」と言ってはにかみを向けてくるのだった。
さて、そんな奇妙な関係が始まってからとうとう一カ月が経とうとしていた。僕は学校で終業式をしていた。今日から夏休みである。
「夏休みですが、高校三年生の皆さんはこの機を逃さず全力で勉学に励んでください!」
校長がそんなことを言い出すのでふと考えてしまった。
《日高さんに勉強見てもらおうかな?》
・・・
「それでここに来たと」
僕は病室で洗いざらい話した。帰ってきたのはあきれ顔とため息だった。
「君さ、病人に頼りすぎだよ?」
「面目ないです……」
「まぁいいけどね……彼氏の頼みだし。それに……さ、ね?」
どうやら僕の真意はばれているようだった。
《一秒でも日高さんと一緒に居たい。》
そう思い始めている自分がいた。
・・・
「はぁはぁ……‼」
数日後僕は走っていた。病院の中を。数分前、日高さんの番号で、病院から容体が悪化したと電話があった。親はかけてもつながらなかったそうで、俺に転落が来た。
「日高さん!」
勢いよくドアをあけ放ち、病室に駆け込んだ。
「……あ、中川君。ごめんね……」
日高さんは、幸い落ち着いていたようだった。ただ、どっと疲れたように見え、手を握るといつもより弱弱しいことが分かった。
「中川さん、ちょっと」
僕は担当医に呼び出された。
「日高さんとはどういったご関係で?」
「えっと、一応恋人です」
「なるほど。いやね、日高さんがおっしゃっていたんですよ。もしも私に何かあったら、親じゃなくてここに電話してほしいって」
そう言って、担当医の大柄なおじさんは日高さんのスマホの画面を見せて来た。
ダーリン
僕のことだ。
「彼女の容体は、最近は安定していて、むしろ少し快復気味だったんですが、今日、突然……」
「安定し出したのっていつですか?」
「確か、余命宣告をした日の翌日じゃなかったかな?彼氏ができたとか言ってはしゃいでいたよ。珍しく」
脳裏に彼女がはしゃぐ姿が浮かんだ。俺は膝から崩れ落ちてしまった。担当医が大丈夫かと尋ねようとして……やめてくれた。
「山はいつですか……」
僕は恐る恐る聞いた。
「8月末、具体的にはまだ判断しかねるけど」
「分かりました」
「今日は泊っていくかい?ご家族と判定したらできるけど」
「そう、します……」
その後、俺は親に、友人の家で徹夜勉強会をすると言って、了承を得た。あとで聞いた話だが、ただならぬ声色だったから、何かあったと思って了承したとのことだ。
「帰らなくていいの?」
日高さんが聞いてきた。夜になりすっかり落ち着いたらしい。声も戻ってきていた。
「うん。今日はここに泊まるって決めたから。親にも了承もらってる」
「そっか……ねぇそろそろ名前呼びしない?」
「へ?」
「だってさっき日高さんって言ったでしょ?私的にはね、千鶴!って呼ばれたいわけよ」
「いいよ」
彼女がキョトンとする。
「僕は中川 圭一」
「けいいち君?」
「そうだよ。千鶴さん」
「さんはいらない。千鶴でいい」
「わかったよ。千鶴」
彼女は少し微笑むと、僕の顔を抱き寄せて来た。頬に柔らかい感触があたる。
「これって……?」
「さっきのお礼。ちゃんと来てくれたの、結構うれしかったんだよ?」
その後すぐに千鶴さんは眠ってしまった。僕もすぐに眠気が襲ってきて、彼女の手を握ったままベットに突っ伏して寝てしまった。
・・・
夢を見たんだ。
彼女がいなくなる夢を。彼女が、千鶴さんがこの世を去るそんな夢を。彼女の居るところには僕はまだいけないらしい……。
僕は朝日で目が覚めた。彼女のバイタル測定が始まる段階で、僕は帰ることになった。
「ありがとう」
彼女の寝言が僕の耳に響いた。
「おやすみ」
短く言い残して、その場を後にした。
・・・
その後、千鶴さんは容体が安定したらしいので、早速勉強を教えてもらった。僕は「無理しないで」と言ったのだが、「私の遺言だと思ってよ」と言われては、断れるわけもない。そんなこんなで、今日も病室で勉強している。
「本当にいいの?」
勉強中、千鶴さんにふと聞いてみた。
「いいの!何度も言ってるでしょ?無理してないから安心して?」
「分かった……」
彼女の顔色が悪いことが日常的になってきていた。
この時には、八月に入って一週間が経っていた。
・・・
「夏祭り行こう!」
千鶴さんがそんなことを言い出した。どうやら、病院の近所で夏祭りがあるんだとか。そこの花火を見たいらしい。
「デートってことでさ。ね?」
僕は二つ返事で承諾した。最初で最後のデートになる気がした。
祭りの開催日は、八月三〇日だった。
後日、千鶴さんから話でも聞いたのだろう。担当医の男が僕を再び呼び出した。
「今度、夏祭り行くんだって?」
「はい。その予定です」
「これ。渡しておくよ」
「これは?」
「僕の電話番号。日高さんに異常があったらすぐにかけてくれ。それと……」
「それと?」
「……車いすだけど大丈夫?」
「はい。多分大丈夫です」
「そっか。じゃあ、楽しんでね」
「はい!」
その日本当に医者が言いたかったことを、僕は知らなかった。
・・・
暗い病室。そこに、少しだけあたたかなオレンジ色がともっていた。個室である。
「本当にいいのかい?」
担当医の医者が私に聞いてきた。私は、長い黒髪ではなく、ニット帽をかぶっていた。そう。私の髪の毛は彼に出会ったころにはもうすべて抜けきっているのだ。ベッドの隣のタンスには、彼に会うとき用のかつらがある。この医者は、そのことを彼に黙っていていいのかと言っているのだ。
「先生?前にも言ったけど、私から言うから。今日も言わないでくれたんでしょ?」
「それはそうだが……」
「ならそれでいいんだよ?」
「君がそう言うなら、このまま黙っておくよ」
「ありがとう。先生」
私の秘密は私から言う。そうずっと前から決めていたのだから。その後、担当医は病室から出ていった。
・・・
目覚めると、そこには死がいた。大きな鎌なんて持たずに黒いマントもない。マネキンのように整った体系の、男とも女ともとれる。それは、私を呼んでいた。いや、呼びながら近づいてきてさえいた。
「こっち、きて。一度、こっち、来ようとした」
奇妙な口調だった。私は脱兎のごとく逃げ出した。逃げて、逃げて、ふと気づいた。
《私、死にたくないんだ……》
当たり前だった。当たり前のことにようやく気付いた。でもその時には、足が消えて、腕も消えて、ただ地面に転がって、そんな私を、死が見下ろしていた。死が手を伸ばして私に触ろうとした。その刹那、目の前が光った。花火の光だった。私と死を隔てたその光にかすかに彼に気配を感じた。
《君ってやつは、また私を生かすのか》
そして、意識が飛翔した。
・・・
「千鶴!千鶴!」
僕は懸命に叫んだ。電話越しだった。病院に向かう途中、担当医から電話があった。内容はご想像の通りだ。俺は走っている。彼女に声を駆けながら、懸命に走っていた。
「け、い……い、ち……?あ……り……が、と……」
その言葉が、俺が病室について彼女から聞いた第一声だった。安堵のため息で俺から力が抜けて、その場に崩れ落ちた。今日の日付は八月二五日だったことを思い出し、恐怖と不安に震えたのはそれから少しばかり後だった。
・・・
そうして、ついに、夏祭りの日がやってきた。しかし、運は味方をしてくれなかった。
その日は雨だった。
「ごめん」
「いいよ……仕方ないよ」
病室に静寂が流れる。
「私ね」「あのさ」
僕らは顔を見合わせた。タイミングが合ってしまったらしい
「千鶴からどうぞ?」
「え?いや圭一君からにしてよ」
二人して、少し笑ってしまった。
「じゃあ、手っ取り早く私から」
「お願いします!」
「実はね」
そう言って、彼女は、かつらを取った。
「髪の毛、ないの」
開いた口は案外すぐふさがった。予想はしていたからだ。
「そっか」
「え⁉それだけ?」
「うん。髪がなくとも別に千鶴は千鶴だし」
「圭一君ってさ、」
「?」
「モてるよね?」
「いや、まったく」
「うそだ~~」
彼女からの疑いの目はそれからしばらく続いた。
しかし、途端にそれが止んだ。
「はいこれ」
彼女が手渡して来た便箋を見て僕は全てを察した。かすれた声の理由も分かった。さっきから、ベッドに支えられながら話している理由も分かった。
「遺書って言うのかな?初めて書くからわかんないけど」
その言葉は無慈悲に僕に突き立った。
「そう……なんじゃない?先生呼ぶね」
「いらない」
「え?」
「先生なら、外にずっといる」
どうやら担当医は知っているらしい。
「あと、どれくらい?」
「う~ん……二〇分くらいかな?大体」
「そっか」
「その遺書、一年後の今日に開けてね」
「分かった」
「すぐに読んじゃだめだよ?」
「分かった……」
目元が熱い。涙が僕の握る彼女の手に、一粒、また一粒と落ちていく。
「泣かないで?ね?」
彼女の声も震えていた。怖いんだな。そりゃそうだ。死ぬのが怖くない人なんていない。
「ああ。なんかもうちょっと早かったみたい」
その時が来た。
「もうちょっとだけ、、話したかったな……圭一、こっち来て……」
言うとおりにすると、彼女はにこっと優しく笑って目を閉じた。心なしか唇を突き出しているように見える。
「して」
僕は全てを察して、彼女の唇に自分のを重ねた。
「ありがとう―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
愛してる」
僕は初めて人の死を体験した。
その日は泣き崩れるしかできなかった。
・・・
一年後。八月三〇日。夜。
今年は『あの祭り』が開催した。今僕の前には無数の光が瞬いている。そんな光の中でこんなものを読んでいるのは多分僕だけだろう。
遺書
日高 千鶴という女性が残した遺書を僕は今開こうとしている。あの日見れなかった花火の下で、彼女最後の言葉を聞く。便箋は赤いシールで止められ、すぐに開いた。
圭一君へ
その文字に息をのむ。そして、あの日の続きが始まった。
・・・
「圭一君へ遺書なんて書くつもりはなかったんだけど、圭一君には残しておくね。どこから話そうか?ていうか、今花火見てるでしょ?当たりかどうかはこっちに着たら教えてね。君と出会った日、覚えてる?駅で私服姿の君がいきなり話しかけてきたときは本当にびっくりしたよ。でもね、あの時止めてくれてありがとう。彼氏になってくれてありがとう。髪の毛のこと、最後の最後まで黙っててごめんね。お見舞い来てくれた時、何もない病室に君が来てくれた時、そんなときだけ安らぎを感じてたよ。こんな病人に付き合ってくれて本当にありがとう。そうだ!学校!志望校受かった?できる限り丁寧に教えたつもりだけど私の姓ならごめんなさい。今まで本当にありがとう。大好き。愛してるよ。 日高 千鶴より」
僕は膝をついて泣いていた。
僕も好きだよ。大好きだったよ。志望校には無事受かったよ。君に教えてもらったところが面白いように出たんだ。ありがとう。
めくると追伸があった。
「P.S.あんまり早くこっちに来ちゃだめだよ? あと、あの日の続きを聞きたいな」
遠くで、花火の音が鳴る。咲いたと思ったらすぐに消える。千鶴は本当に花火のような人だった。美しく、しかしすぐに消えてしまうような。彼女との時間を僕は忘れないだろう。いや、忘れてたまるか。人々の心に打ち上げ花火が残るように僕の心にも君は残っている。
打ち上げ花火が咲く日まで、僕は君を忘れない。 今もずっと愛してるよ。
・・・
後日譚
「これなんだろ?」
私、中川 千景は先日亡くなったおじいちゃんの遺品整理を手伝っていた。父方の祖父であった、中川 圭一は先日、老衰によりこの世を去った。その場に立ち会った私だが、不思議と涙はなかった。おそらく、そんなに長い時間私とかかわりがなかったからだろう。私、どっちかって言うとおばあちゃんっ子だったし。とまぁ、そんなこんなで手伝っているときに古い手紙を見つけた。
遺書
そう書かれていた。おじいちゃんの物ではないのは確かだ。今向こうでお父さんたちが遺書の開封などをやっている。じゃあ、この遺書は一体、誰の遺書なのだろう?
「ひ……だ……か……ち……づ……る……?」
送り主だろうか? 罰当たりなのは分かっているが、好奇心には逆らえず便箋を開けた。
「圭一君へ…………」
私はかすれた字を何と読み解いていった。遺書ではなくラブレターだと思えるような文章だった。しかし、この人を私は知っている気がした。その時涙がこぼれて来た。
《なぜだろう?すごく嬉しい。まだ、持っててくれたんだ……》
涙を拭いて、私はふと疑問に思った。なんでこんなこと思うんだろう?すると、便箋にもう一通入っていることに気が付いた。
「こっちは私宛だ……えっと、送り主は……おじいちゃん?」
私はそっと便箋から取り出して、あけてみた。
「千景へ。これを見ているころ私は死んでいるだろう。この手紙は君の両親がいないときに開けなさい。同封してあった千鶴の遺書は読んだかな?別に起こりはしないから、読めたら読みなさい。さて、本題だ。君は、千鶴とよく似ていた。いきなり何を言うかと思うかもしれんが、そこは勘弁願いたい。だから、君が生まれて来た時陰で一番喜んでいたのは私だと思う。輪廻転生なんて私は信じていないが、もしそうだとしたら、健康には気を遣ってくれ。こんな死人の言葉に耳を傾けてくれることを祈る。 おじいちゃんより」
途端、私じゃない私が心の中に現れた気がした。
今、私は確かに
「何言ってんのよ。馬鹿……」
と、無意識に口に出していたのだ。
これが、千鶴さんなのかどうなのかは、まったくもって分からないままだった。ただ、それ以降、千鶴さんを感じることはなかった。今頃はおじいちゃんと仲良くしているだろうか?
完