第三話:月下の説教
黒き翼を風にたたませながら、ヴァリオスは夜の空を滑るように飛んでいた。
両腕には、まだ泥にまみれたままの小さな身体。
眠ったままのその子供は、かすかに息をしているだけで、生きている実感すら薄い。
――何をしているのだろう、私は。
自問してみるも、明確な答えはなかった。
ただ、あの場に置いてくるという選択だけは、どうしてもできなかったのだ。
城の輪郭が夜霧の向こうに現れる。
時折、蝋燭の灯が窓にちらつき、夜も深いことを告げていた。
誰にも見られぬよう、人気のない裏手へと舞い降りる。
ふと空を見上げれば、雲の切れ間から、静かに月が顔を出していた。
「……ついてるな」
ぽつりと零した声は、静寂に溶けて消える。
こっそりと中庭を横切り、使用人用の井戸へ向かう。
この時間なら誰もいない。……はずだった。
ヴァリオスは小さな溜息を吐くと、抱えていた子供を井戸端にそっと降ろし、
そのまま桶を手に取り、水を汲み上げようとした――その瞬間。
「……陛下。夜の散歩に井戸掃除とは、随分と風流ですな」
低く、よく通る声が背後から響いた。
ばちんと尾羽が跳ねるように揺れ、ヴァリオスの動きが止まる。
無言で振り返ると、そこにはやはり、グレイソン・エドガーの姿があった。
銀の髪に月の光を反射させ、完璧に仕立てられた執事服。
いつも通りの無表情……だが、口元にはうっすらと「笑み」が浮かんでいる。
ヴァリオスは、反射的に後ろ手で子供を隠した。
「……眠れなかったのだ」
「ほう………。それで、その“泥まみれの何か”を、見つけたと?」
咎めるでもない声。けれど、それが何より厳しかった。
「……出しなさい」
「……やだ」
「……陛下」
「…………」
静かに、けれど確実に迫ってくる“説教モード”の気配に、観念したようにヴァリオスは腕を差し出す。
月明かりに照らされた小さな身体。
傷だらけで、顔も身体も泥に塗れていたが、確かにそれは人間の子供だった。
グレイソンの眉がぴくりと動く。
「……陛下。すぐに元の場所に戻してきなさい」
即断だった。間髪入れぬその言葉に、ヴァリオスはほんの少し目を伏せた。
言葉を探していると、追撃が飛ぶ。
「まさか王自ら、使用人用の井戸で人間の子供を丸洗いなさるつもりでしたか?」
「……ついでだ。私にも泥がついたから」
「それなら尚更です。お風呂で洗ってください」
まるで子供を叱る親のような口調に、ヴァリオスは少しむすっとした顔になる。
「……見つけたとき、酷い有様だったのだ。……放っておけなかった」
その声には、わずかながらも熱があった。
グレイソンは、しばし何も言わずに子供を見下ろす。
鉄の首輪、癒えかけた傷、魔力の枯渇。
そして――体温よりも冷たい、細い手足。
「……はぁ。まずは、湯を沸かさせましょう。」
「いいのか?」
「私は“戻してこい”と申し上げました。陛下が“戻さない”とお決めになったのです。
ならば、せめて衛生的な処理だけはさせていただきます」
軽く肩をすくめて言ったその声は、どこか呆れながらも、いつものように淡々としていた。
魔王は再び子供を抱き上げ、城の奥へと歩き出す。
月はその背中を、静かに照らしていた。
※この作品は創作支援AIのサポートを受けて執筆していますが、すべてのアイディア・キャラクター・展開は作者自身によるものです。