① ガングロギャルの訪問
ごめんね……お父さん……。
私、こんな馬鹿で……。
こんな、どうしようもない馬鹿で……。
本当に、ごめんね……。
ねぇ……お父さん、そこにいるよね……?
聴こえてる……?
私の声……届いてる……?
『 奈緒 』 作者/岡本圭地
ズボッ。
白石奈緒が履く厚底サンダルが、ぬかるんだ地面にはまった。
足を取られた奈緒は、よろけながらも、何とか抜け出した。
泥まみれの厚底サンダルを見て、思わずチッと、舌打ちが出る。
——1999年、9月。
△△県◇◇市は、記録的な豪雨に見舞われた。
特に〇〇町においては、床下浸水などの被害が相次いだ。
あけて翌日は、昨日の大雨が嘘のように、眩しい青空だった。
そんな〇〇町の山のふもとを、一人歩く奈緒。
まだ早朝だというのに、強い日差しが奈緒の肌を、ジリジリと焦がす。
脳が掻きむしられるような、蝉の大合唱の中、奈緒は周辺を見渡した。
ちらほらと、民家が点在している。
ここで奈緒は、汗ばんだポケットから、一枚の紙を取り出した。
それは、地図だ。
地図帳から、破り取ったものだ。
その地図には、赤ペンで丸印と、その横に人の苗字で『岡』と書かれていた。
そこが目的地なのだ。
奈緒は、地図を頼りに、岡の家を探し始めた。
だが、見つける事が出来ない。
地図上に存在する家が、なぜか現地にはないのだ。
「もうっ! どこ?」
苛立った声を出す、奈緒。
流れる汗を、ショルダーバッグから出したハンカチで拭っていると、小さな平屋建ての家が視界に入った。
もしかしたら、あれが岡の家かも知れない。
違っていたら、岡の家が何処か、聞いてみよう。
奈緒はそう考えた。
車一台分が通れそうな斜面を登る。
所々にある水溜まりを避けながら、その家に辿り着くと表札を確認した。
『荻野』と書かれていた。
◇ ◇ ◇
ピンポーン。
荻野真一が避難準備をしていると、家のチャイムが鳴った。
真一は、作業を中断し、玄関へと向かった。
年季の入った引き戸を開けて、訪問者を確認する。
ガラガラッ。
——!
真一は、ギョッとした。
そこには、金髪なのか銀髪なのか、よく分からない派手な髪の色をした、女性が立っていた。
岡の家を探していた、奈緒だ。
彼女の肌は、小麦色だった。
目元と唇は白塗り。
いわゆる『ガングロギャル』と呼ばれる人だ。
服装は、沢山の英語がプリントされた派手なシャツに、デニムのショートパンツ。
脚は細く、スラリと長い。
ふと真一は、二十センチ以上ありそうな、厚底サンダルに目がいった。
大量の泥が、付着しているからだ。
昨日の大雨の影響で、道がぬかるんでいたのだろうと、真一は察した。
奈緒は立ったまま、何かにもたれ掛かるような体勢で、腕を組んでいる。
右手には、携帯電話。
これでもかと言うほど、沢山のストラップが付いていた。
真一が、躊躇しながら話しかけた。
「あ、あの、どちら様……ですか? 何かご用……」
真一の言葉を遮り、奈緒が声を発した。
「岡ノ家ハ、何処デスカ?」
少し鼻にかかった声は、カタコト喋る、外人のようだった。
「え? ……岡さんの家ですか?」
念の為に聞き返すが、奈緒からの返答はない。
ただ、マスカラを塗りたくったマツ毛が、上下に動くだけだ。
奈緒の頭に乗せているサングラスには、真一の戸惑う顔が、映し出された。
「あの……岡さんの家でしたら、先週、取り壊しましたよ」
「はあっ?」
奈緒が、大きく口を開けた。
「マジで?」
「あ、はい、マジ……です。あの家、かなり古かったですからね」
奈緒は腕組みをやめて、呆然と立ち尽くした。
やがて頭痛がしたように、額を押さえる。
ふざけんなよ……と、確かに唇が動いた。
奈緒は長い髪をかき上げると、真一を見上げた。
「じゃあ、岡は何処に行ったの?」
「えっと……隣町に中古住宅を買って、そこに移ったって聞きましたけど」
奈緒は、呆れたように目を閉じ、舌打ちをした。
「……チッ。じゃあ、その家、何処か分かる?」
「何処かなぁ? 親なら分かるかもしれないですけど……あいにく今、父も母も組合の人達と、台湾旅行に行ってるんですよ」
「はぁ? 何だよ、もう!」
奈緒は、声を荒げた。
青いマニキュアを塗った爪で、頭をボリボリと掻く。
……この人は、なぜ岡さんを探しているんだろう?
そう思った真一だが、訊かなかった。
奈緒が威圧的で、怖いからだ。
それに真一には、心配事がある。
《君、荻野さんとこの息子さんだよね? 早く避難した方がいいよ。もしかしたら、山が崩れてくるかも知れないからね》
少し前、真一が窓を開けて空を眺めていると、山の上から避難してきた老夫婦に、そう忠告された。
確かに、昨日の雨は猛烈だった。
数年前にも、近くで土砂災害があったばかりだ。
不安にかられた真一は、早速、避難準備を始めた。
大きいリュックを用意すると、親と自分の通帳、判子、書類、アルバムといった大事な物を、片っ端に詰めていく。
最後に自室へと戻り、懐中電灯と着替えをバッグに入れた時、奈緒が訪問したのだ。
真一は奈緒に警告した。
「あの……早くこの辺りから、離れた方が良いですよ」
「え?」
奈緒が、怪訝な顔をした。
「山崩れの可能性があるんですよ。昨日の大雨の影響で」
「えっ、マジで?」
「あ、はい、マジ……です。だから僕も今、念のため避難準備をしていたところ……」
——パラパラパラ。
どこからともなく、小石が落ちてくる音がした。
続いてメキメキと、木の折れるような音も聴こえた。
……?
奈緒は玄関から出ると、山の方に顔を向けた。
真一も誘われるように、玄関から顔を出した。
二人が見つめる先には、山の斜面。
その時だった。
信じられない事が起きた。
——バリバリバリバリ……!
落雷のような轟音と共に、土砂が一斉に迫ってくるのだ!
「危ないっ!」
真一は、愕然とする奈緒の腕を掴み、家の中へと引っ張った。
突然、身体を動かされたため、奈緒はキャッと悲鳴を出した。
同時に、携帯電話を落としてしまう。
奈緒の厚底サンダルも、廊下の途中で、脱げてしまった。
「ちょ、ちょっと……!」
慌てる奈緒。
だが、話をしている余裕などない。
真一は、家の奥へ奥へと、駆けた。
転びそうになった奈緒が、肩に掛けていた紫色のバッグを落とす。
そして、二人が真一の部屋に入った瞬間、家が激しく揺れた。
——グラグラグラッ!
それは、巨大地震のようだった。
真一は、身体を前へ後ろへ揺らしながらも、なんとか部屋のドアを閉じた。
だが、それが精一杯だった。
激しい揺れは、とうとう二人は突き飛ばした。
畳の上に転がる、真一と奈緒。
陽の光を浴びているカーテンが、たちまち暗くなっていく。
やがて深い闇と、静寂が訪れるのだった。
つづく……