国で最も美しい男の美しい妹
突然だが、私と私の家族の話をしよう。
私の父は男爵の身分でありながら、いくつもの戦場で戦果を挙げ、第3騎士団の団長を務める猛者だ。
身長は国で一番高く、鋼のように固く逞しい肉体をもつ。黄金色の髪と、宝石のような緑の瞳は美しいが、鼻が低く横に広がっていて、唇は上下共に分厚いのが残念だ。
次に私の母。
母は子爵家の3女として生まれ、16の歳に父に嫁いだ。父が随分熱心に口説いた結果らしい。
母は物静かでおしとやかな女性だが、芯が強く、頭がいい人だ。女性にしては身長が高く、ほっそりした体つきをしている。高い鼻と程よい厚み唇が彫刻のように美しいが、平民に多い栗色の髪と瞳をもち、目が細いのが残念だ。
そのような両親の間に生まれた嫡男。つまり私だが、私は両親の素晴らしいところばかりを受け継いだ。
身長は国で2番目に高く、丈夫だが着痩せするため父ほど横幅がない身体。輝く黄金色の髪と、宝石のような緑の瞳。彫刻のように美しい高い鼻と程よい厚みの唇。その全てがバランスよく配置されている私は、王家を差し置き、国で最も美しい男などと言われている。剣の腕は学園の剣術大会で優勝するほどであるし、成績も優秀だ。
さて、そんな私には、2歳年下の妹がいる。
両親の残念なところばかりを受け継いだと、他の貴族から誤解されている妹だ。
女性としては高い身長に、ほっそりとした身体。栗色の髪と瞳で目は細く、鼻は低く横に広がっていて、唇は上下ともに分厚い。物静かな性格をしていて、本をよく読んでいるが、学園での成績は下から数えた方が早い。運動と刺繍が苦手で、甘い菓子と毛の長い動物を好む。
幼いころ、もじもじしながら『おにいたま』と私を呼ぶ妹の姿は、悶えるほど愛らしかった。どうにか記録できないかと父に強請って魔道具研究者に多額の投資をし、母に怒られたほどだ。
物静かながら優しい性格の妹は、怪我をした動物を見つけては屋敷に連れ帰り、かいがいしく世話をする聖女だ。妹が連れ帰った動物たちは怪我が治っても聖女の傍を離れたがらず、屋敷には動物たちの飼育小屋が3棟ある。
また時には、動物だけではなく、道端で痩せ細り倒れていた孤児や、夫を亡くし生活苦で子供と共に身を投げようとしていた婦人、戦場で片手を失い職に就くことができない男を連れ帰ることもあった。その者たちは現在屋敷の使用人として働いており、全員が聖女に忠誠を誓っている。
とはいえ、私は最初から妹のそのような行動を受け入れていたわけでない。貴族が何であるかをよく理解せず弱者を軽んじていた幼いころの私には、かわいい妹が気まぐれにそのような施しを行うことに、僅かながら否定的な気持ちがあった。
しかし私は次第に、妹の周囲にいる者たちと私の周囲にいる者たちの差に気付き始めた。妹の周囲にいる者たちは、人も動物も妹のことを心から愛し、妹の為ならば命すら惜しくないと尽くす。しかし私の周りの者たちは、私の外見や才を褒めるばかりで、本当に私のことを思ってくれるのは、家族だけであった。
妹を羨ましく思った私は、妹の真似をしたこともある。だが所詮は真似であったからか、施しを与えた者に裏切られ、痛い目を見た。
私は己を恥じた。そして本当に美しいのは、私ではなく妹なのだと知った。
反抗期の妹は、近頃はほとんど私と会話をしてくれず涙を拭う毎日だが、それでも私は、心の底から妹を愛している。
にも拘わらず、だ。
「アンジェ・バラディアン、お前との婚約は今日で終わりだ。お前のような醜い女と生涯を共にするなど俺には耐えられん。俺に相応しいのは、この美しいマリアンヌのような女なのだ。両親にも今夜そう伝えるつもりでいる。お前も男爵に、速やかに婚約破棄の書類にサインするように言っておけよ」
傍らに女を侍らせ、ギャハハハッと友人たちと下品に笑うのは、スタンリー・ロザストロ。ロザストロ伯爵家の嫡男だ。
本日は私が在籍する学園の卒業パーティーであり、最終学年の私とロザストロは同学年なので、本日の主役という立場にある。
そのような晴れの場を下品な笑い声で汚すスタンリーは許しがたいが、それ以上に許しがたいのは、スタンリーが本日この瞬間まで、私の愛する妹の婚約者であったことだ。
妹は下の学年であるが、スタンリーの婚約者であるため、今日のパーティーにはスタンリーのパートナーとして出席する予定になっていた。少なくとも私は今朝までそのように聞いていたし、私は諸事情により、妹より先に屋敷を出たため、まさかスタンリーが妹を迎えに行かず、他の女性を伴ってパーティーに出席するとは思ってもみなかった。ましてや、受付終了時刻目前に一人で会場入りした妹に、あのような汚い言葉を投げつけるとは、想像もしていなかったのだ。
まったく、私は何と愚かな男なのだろう。
いくら戦場で父に命を助けられたロザストロ伯爵の強い希望で整った婚約だったとはいえ、ロザストロ伯爵が好感のもてる紳士だったとはいえ、息子までそうであるとは限らなかった。それにも拘わらず私は、妹を愛するがゆえに、妹の婚約者の粗探しをしてしまうのではないかと、今日の今まで、意識的にスタンリーを視界に入れないようにしていたのだ。
『この機会を逃して、アンジェが行き遅れたり、社交界で笑いものにされることがあったら、あなたたちのせいですよ』という母の言葉に屈することなく、私と父は、最後まで妹の婚約に反対の立場をとるべきであった。スタンリーを監視し、妹の婚約者として不適格だと、こちらから婚約破棄を突き付けるべきだった。
私は妹を守るため、動き出した。
怒りのオーラを全身に纏った私に、周囲が驚いたような顔をして道を開ける。
それに比べ、背の高い私が近づいてくる様子が見えているはずのスタンリーは、余裕の表情だ。それも仕方がないことだ。スタンリーは、いや学園の者たちは、私と妹が不仲だと思っている。
何しろ私は、妹が学園に入学してから一度も、学園内で妹と会話を交わしたことがない。それどころか、目を合わせたことすらない。周囲からは、さぞかし仲の悪い兄妹に見えていただろう。
だがこれは、妹が望んだことだった。
曰く、私と仲良くしていると、私目当ての積極的な女性たちが妹を取り囲み、妹と気が合う内気な性格の女性が逃げていくため、友人ができないと。だから学園では、妹をいない者として扱って欲しいと、入学前に母を通じて妹に頼まれた。
妹と学園の食堂で昼食を共にしたり、図書館で共に勉強することを楽しみにしていた私は、あまりのショックに5日ほど寝込んだが、愛する妹のために断腸の思いで、その提案を受け入れた。
妹は、約束を破る私を怒るだろうか。だが私は、バラディアン家の嫡男だ。我がバランディア家の宝である妹の名誉を傷つけた者を、許しはしない。
「スタンリー・ロザストロ、貴様、これは一体どういうつもりだ ! 」
私は妹を自分の背で隠すように、スタンリーの正面に立った。
私は男爵家の嫡男であり、スタンリーは伯爵家の嫡男だ。立場はスタンリーの方が上なのだから、私の言動は貴族としては失格である。内定していた職は失うし、家を守るために平民におとされる可能性すらある。
だが、それがどうしたというのだ。
スタンリーは一瞬怯んだような顔をしたものの、立場の違いを思い出したのか、すぐに立ち直った。
「どういうつもりとは ? 俺は事実を正直に元婚約者殿に教えてやっただけだ。逆に俺の方がどういうつもりだと聞きたいな。お前もその醜い妹のことを嫌っていただろ ? バラディアン」
「何か誤解があるようだが、私は妹を醜いと思ったことは一度もないし、嫌ったこともない。私から妹を奪おうとする貴様のことは嫌っていたがな」
ふんっと鼻を鳴らして言い返せば、周囲がざわついた。背後から弱々しく服の裾を引かれたが、私は振り向かないぞ。
「ははっ、何の冗談だ。バラディアン。お前まさか、あの態度で妹を可愛がっていたとでも言うつもりか ? 俺は過去に一度も、お前と妹が会話をしているところを見たことがないがな」
「言うつもりだが ? 私の学園での態度は、私が望んだものではないし、私とアンジェが会話をしているところを貴様が目にしたことがないのは、反抗期をむかえたアンジェが、私とほとんど会話をしてくれなくなったからだ。愛する妹に声をかけてもらえず、自ら声をかけることさえ許されない私の気持ちが、貴様に分かるか ! 」
今度は少々強めに裾を引かれた。だが、知ったことか。私がどれだけ今の状況を嘆いているのか、皆に知って欲しい。
「いいか、スタンリー、よく聞くがいい。アンジェは聖女だ。幼いころからそれはそれは愛らしかったが、アンジェは心根まで清らかで美しいのだ。私は過去に何度もアンジェの美しさに触れ、何度もそれを思い知った。アンジェを否定することはすなわち、否定するその心こそが醜いということだ。そのような醜い心をもった貴様がアンジェと婚約できたのは、ロザストロ伯爵が素晴らしい人柄であったからに過ぎない。それにも拘わらずアンジェを蔑ろにし、このような場で恥をかかせるとは、貴様、よほど私を怒らせたいらしいな ! 」
この場に剣を持ち込めなかったのが残念でならない。持ち込めたならば、剣先を突き付けてやったというのに。
「うっ…うるさい ! 何が聖女だ ! そんな醜い聖女がいるか ! だいたい、お前は何故そう偉そうなんだ。お前の家は男爵だろ ! 俺の父は伯爵だぞ ! ちょっと綺麗な見た目をしているからといって、そんな態度が許されると思ってるのか ! 」
「何を言ってるの? スタンリー。バラディアン様は我が国で最も美しい方なのよ。ちょっとなんて失礼だわ」
上気した顔でキャンキャン喚くスタンリーに、何故かスタンリーの隣に侍っていた女が、私を擁護するようなことを言い出した。それに付随するように、
「そうよそうよ、バラディアン様にあやまりなさいよ ! 」
「バラディアン様の美しさの前では爵位など塵と同じだわ ! 」
「バラディアン様の足元にも及ばないくせに、ロザストロ伯爵子息はどうしてあんなに横柄な態度がとれるのかしら」
と他の貴族子女たちも騒ぎ出す。
おかしい。このようなことになるとは、想定していなかった。
まぁいい。これだけ言って聞かせても、スタンリーは妹を醜いと言ったのだから、あとは決闘しかあるまい。
私は絹の手袋を片方外す。
「スタンリー・ロザストロ ! 」
そして外した手袋を、スタンリーに投げつけようとした。
ところが、
「待て待て、アベルト。はやまるな」
「……殿下」
寸前のところで邪魔が入った。いや、邪魔というのは不敬だな。第3王子殿下が、私とスタンリーの間に入ってこられた。ちなみにだが、アベルトは私のファーストネームである。
「ロザストロ、アベルトの態度は其方が言うように、男爵家子息が伯爵家子息にとってよいものではないが、先のそなたの行為も、卒業を祝う場であるこの場所には相応しくなかった。そうであろう ? 」
「……はい、殿下。おっしゃる通りでございます。申し訳ございません」
どうやらスタンリーは、権力に弱い男らしい。殿下の一言で、先ほどまでの態度が嘘のようにおとなしくなった。
「それからアベルト、妹君を想う其方に同情はするが、だからと言って、貴族としての立場を忘れてはならぬ。普段の冷静沈着な其方はどこに行ったのだ」
「申し訳ございません、第3王子殿下」
かくいう私も、おとなしく頭を下げる。
第3王子殿下もまた、私とスタンリーと同学年であり、この度の卒業パーティーの主役であらせられる。私は生徒会に所属していたこともあって、王子殿下とは親しくさせて頂いている。学園を卒業後は、王子殿下の側近兼護衛として、お仕えする予定であった。
これは男爵家の息子としては破格の扱いであるが、殿下はとりわけ、美しいものを収集することを好んでいらっしゃるので、この国で最も美しいと言われている私が殿下にお仕えすることに、特に反発はなかったと聞く。
しかし、今回のことで、王子殿下の顔に泥を塗ることになってしまった。王子殿下が気性の荒い方であったなら、処刑になってもおかしくない。幸い、王子殿下は少々腹黒いところはあるものの温厚な方なので、そうはならないだろう。ただ、せっかく取りてて下さったのに申し訳ない気持ちだ。
「やれやれ、まさか私の代の卒業パーティーでこの様な事態が起こるとはな。国王陛下に何と言われるか少々恐ろしい思いであるな。ところでロザストロ、其方、本当にバラディアン嬢との婚約を解消するのか ? 」
「それは……」
王子殿下に問われ、スタンリーは目を泳がせる。
「其方先ほど申していたであろう ? 本日この場でバラディアン嬢との婚約関係を解消し、そちらのご令嬢と婚約を結びなおすと」
「……………………はい」
たっぷり間を置いてスタンリーが頷くと、「そうか」と王子殿下は何故か満足気に頷かれた。
「であれば、私がバラディアン男爵令嬢に婚姻を申し込んでも、不貞にはならぬな ? 」
「「………は ? 」」
はて ? 私の聞き間違いだろうか ? うっかりスタンリーと声が重なってしまったな。
「ならぬであろう ? 」
違う。聞きたいのはそこではない。
「殿下、それは……。殿下が、私の妹に、婚姻を申し込むと ? 」
「そう申しておる。どうしたアベルト、耳が遠くなるには早いと思うが」
「殿下、我が家は男爵家でございます」
「知っておる。それよりアベルト、その大きな体をどけよ。妹君の姿が見えぬではないか」
王子殿下は何をおっしゃっているのだ。確かに王子の中では唯一、第3王子殿下にだけ、ご婚約者がいらっしゃらないが、殿下の護衛の者たちも、目を剥いているではないか。
しかし王子殿下の命に逆らうことはできないので、私は身体を右へとずらし、2歩ほど後方へ下がった。
それを確認した王子殿下が、立ち尽くす妹の方へ優雅な足取りで向かわれる。そして妹の前で立ち止まり片手を己の胸に添えると、
「我が名は、ルイス・アーサー・オブ・アスベルク。アスベルク王国第3王子である。私は本日この場において、アンジェ・バラディアン男爵令嬢に婚姻を申し込む。アンジェ嬢、私と生涯を共にしてくれるか ? 」
本当に妹に婚姻を申し込んでしまわれた。王子殿下、せめて国王様と王妃様の許可はとって頂きたい。そして一応、妹はまだスタンリーの婚約者です。
一瞬、涙目の妹が私の方へ視線を寄こしたが、私は視線を逸らす。
アンジェ、すまない。王家からの婚姻の申し込みを我が家が断ることは、絶対に不可能だ。
「謹んで、お受けいたします。よろしくお願いいたします」
妹は震える声で返事をした。
「ありがとうアンジェ嬢。正式な婚姻の申し込みは、アンジェ嬢とロザストロの婚約が解消された後になると思うが、私としては出来る限り早く、アンジェ嬢と正式に婚約式を行いたいと考えている。可能か ? ロザストロ」
「……早急に父に相談いたします」
「そうか、頼む。アベルトはどうだ ? 」
「早急に対応いたします」
「そうか、頼む。さて、これで全て解決した。では皆、卒業パーティーの続きと行こう ! 」
王子殿下の声が会場に響き渡り、どこらともなく拍手が沸き起こる。
楽団の演奏が始まり、王子殿下がアンジェの手をとって踊り始めたのを横目に、私は颯爽と会場の出口を目指した。同じように出口を目指すスタンリーと目が合い、互いに無言で顔をそむけた。
それからはまさしく、怒涛の時間であった。妹が王家の馬車で王子殿下と我が家に帰ってきた頃には、すでにロザストロ伯爵とスタンリーが我が家の応接室に通されており、立会人の下に慰謝料の話をしている暇は勿論なく、早急に婚約解消の書類を整えると、ロザストロ伯爵と父は、書類を持って城に向かった。
城の方でも準備が整っていたようで、スタンリーと妹との婚約はその日のうちに解消され、翌日にはバラディアン家全員で城へと向かい、第3王子殿下と妹の婚約が正式に受理された。また内々の話としてバラディアン男爵家が陞爵し子爵家になること、妹の卒業の年に第3王子殿下が領地を賜り公爵になることを告げられ、バラディアン家全員で青白い顔をしながら、国王陛下へ御礼を申し上げた。
そして、2年後
公爵となった第3王子殿下と妹は、何事もなく婚姻式を済ませ、晴れて夫婦となった。
当初の予定通り王子殿下の側近として働いていた私は、そのまま公爵の側近となり、公爵夫妻と共に公爵領に移った。早々に私に爵位を譲りたがっていた父には申し訳ないが、身体が元気な内は頑張ってもらおうと思う。
ある日私は主に、何故妻に私の妹を望んだのかを尋ねた。
気ままな男爵令嬢であった妹にとって、主との婚約後に始まった公爵夫人としての教育は随分重荷であったようで、よく母に泣き言をもらしていた。
卒業パーティーの日まで主と妹に接点はなく(妹に確認済みだ)、美しいものを好む主は、政略結婚以外なら、妻にも(容姿が)美しい女性を望むだろうと思っていたから、愛らしくはあるが(容姿が)美しいとは言えず、爵位の低い妹を選んだ理由を知りたかったのだ。
主は朗らかに笑いながら、私の疑問に答えた。
「おかしなことを聞く。卒業パーティーの日、其方がアンジェを清らかで美しい聖女だと申したのではないか。美しいものを好む私にそれを聞かせれば、私が欲しがるのは当然であろう。私は国で最も美しい男を側近にし、国で最も美しい男が美しいと称えた聖女を妻にした果報者であるな」
私はこの事実を墓まで持っていこうと思う。
愛する妹よ、本当に申し訳ない。
ありがとうございました !