日常と収穫祭と下水道の白竜 その4
現騎士隊の隊長に戻ったハベルが参加するということで、地下下水道の探索はかなり大掛かりなものになっていた。
清掃とは関わりなくとも地下下水道の調査に参加する者の数も多い。
ただ防護服の数には限りがあり、大体の人間は地上で待機なのだが。
「ミア、荷物持ち君を連れていけないってどういうことよ!」
スティフィがミアに怒ったように詰め寄ってくる。
ある程度それを予測していたミアは、困った表情をしながらその理由を話す。
「いや、あの…… 地下下水道に荷物持ち君を入れちゃうと汚染されちゃうらしんですよ、サリー教授に止められているんです」
「汚染?」
汚染という言葉にスティフィが怪訝そうな顔で反応を示す。
「前に言ってた見えないほど小さい生物ですよ」
「なにそれ? 竜種がいるかもしれないのよ? こんな時こそ連れて行かなくちゃダメじゃない?」
スティフィの言うことももっともなのだが、サリー教授の話では粘土や腐葉土主体の荷物持ち君が下水道にはいると、目に見えないような小さな生物の温床となってしまい汚染されるとのことだ。
様々な病気の発生源になりかねない、とのことで、荷物持ち君を下水道に連れていくのは推奨できない、という話だ。
それ以前に、あの下水道は足場ですら汚水まみれだ。そんな場所に荷物持ち君を連れて行くのは、ミアも生理的に無理だ。
泥人形である荷物持ち君を洗うことなどできやしない。
ミアとしてもサリー教授がそう言ってくれたことで、下水道に連れて行かなくて済んでホッとしているくらいだ。
「精霊さんは平気なので……」
と、ミアはスティフィに目を合わせずにそう言った。
「それはそうかもしれないけど!」
スティフィはミアに憑いている精霊に対して、その能力は認めてはいるものの、いい感情が何一つない。
なので、精霊にミアを任せるのは、スティフィ的には不安が残る、というよりはなんとなく嫌なのだ。
そして、スティフィはデミアス教徒である。
その欲望に従う。だが実力的には精霊の方が上なので、スティフィも口には出さないものの嫌な表情をミアには見せつけるだけに留まる。
その表情を見せつけられたミアは苦笑いをするしかない。
スティフィの表情の意図がわかるくらいの仲には既になっている。
「とにかく、荷物持ち君を不用意に下水道に入れちゃうと病気の発生源になっちゃうらしんですよ!」
もしそんなことになったら、疫病の巫女と言われるようになるかもしれない。
ただでさえ、ロロカカ神のことを疫病の祟り神と思っている教授もいるのに、そんなことになったらロロカカ神に顔向けできないと、ミアも考えていたところだ。
なので、絶対に荷物持ち君にはそんなことになって欲しくはない。
「なにそれ、毒化するってこと?」
スティフィも少し神妙な顔をする。
「多分…… そんな感じかと…… 詳しくはサリー教授に聞いてください、って、説明受けた時スティフィも一緒に居ましたよね?」
確かにいた。
それらの説明を昨日、聞いていたときミアの横にスティフィもいて、同じ説明をサリー教授から受けていたはずだ。
「目に見えない小さい生物がどうたらって話でしょう? まるで理解できない!」
スティフィはそんことを胸を張って、そう言った。
正直、ミアもそこまで理解できてないので、余りスティフィのことを強く言えないでいると、マーカスが助け舟を出してくれる。
「まあまあ、黒次郎をミアさんの護衛につけますので」
にこやかに笑いながらマーカスはそう言うが、スティフィの鋭い視線を受けて、その笑みが消える。
「長時間の護衛は魔力酔いを起こすから無理でしょうに」
幽霊犬の黒次郎は魔力の塊のような存在だ。
影に潜んでいるときは良いが、マーカスと黒次郎が意識を同調して直接操るときは、どうしても魔力で繋がっていなければならない。
幽霊犬とはいえ犬ではある。細かな指示をするのであれば、魔力でつながりを持っていなければならない。
つまりは魔力酔いの危険性を伴うので長い時間、同調していることはできない。
その弱点は既にスティフィに見抜かれてしまっている。始祖虫の件で黒次郎を酷使してしまったせいだ。
「それはそうですが……」
スティフィの対象が自分からマーカスに移ったことにミアは一息つく。
のだが、すぐにスティフィがミアに向き直る。
「ミアは行くの止めたら?」
ミアという巫女の重要性を考えればもっともな意見だ。
ただ、ミアはハベル隊長から、恐らく竜種はいない、という事を既に聞いている。
つまり今回は危険はない、と言うことを知っている。
それでもハベル隊長が地下下水道へ赴くのは念のためだ。
ただ、それらのことはミアにとっては建前でしかない。
「嫌ですよ、私はこの間の世紀の対決も見れなかったんですよ。それに竜種はそこまで危険な種族でもないって言うじゃないですか」
と、いうのがミアの本音だ。
ただ、竜種はいない、と直接口に出すと、スティフィもむきになることはミアにも分かっているので、その辺のことは口にしはしない。
学院の下に縦横無尽に広がる地下下水道探索、それがミアの目的であり、ちょっとした娯楽でもある。
少なくともミアの知的好奇心は満たせる。
汚水まみれで汚い下水道だが、それでも一度は探検して、見て回りたいとミアはまだ思っている。
それに昨日スティフィが言っていた下水処理施設という施設も気になる。
汚水をどうやって綺麗な水にしているか、その方法を直接見て知りたい、とも。
「じゃあ、ハベル隊長のすぐそばに居なさい!」
「もう、わかりました」
と、ミアはそれをしぶしぶ了承する。
確かにスティフィが見たものが竜種ではないのかもしれないが、それに似たなにかが居ることは確かだ。
危険があるかもしれないのも事実ではある。ならば、スティフィの提案に少しは乗っておいて損はない事ぐらいミアも理解できている。
「実際のところ、野良にいる竜種はそこまで危険なのですか?」
マーカスがスティフィに問いかける。
マーカスの知識では竜種はそこまで危険というわけではないはずだ。
ただマーカスが育ったこの領地には竜種はいない。
なので聞いた話でしかない。実際に竜種が身近にいる北出身の意見の方が重要だ。
「……分別がある分、山で熊と出会うよりも危険はないわね」
スティフィもそれを認める。
人側から手を出さなければ、竜種も人にはちょっかいを出さないのが普通だ。
竜種は大きな火を噴く蜥蜴ではなく、知性ある、それこそ人などより高い知性を持つ生物なのだ。
その生態は文明的というわけではないが、それでも知性ある相手にむやみやたらと好戦的な程野蛮でもない。
「えぇ…… 熊なんて山にわんさか居ましたよ」
ミアは少し呆れたようにそう言った。
が、スティフィにそれを突っ込まれる。
「でもミア、一人のときに熊にあったら?」
「あー、死にますね…… 多分…… わかりました、わかりましたよ、ハベル教官…… じゃなくて隊長の後ろをついて回ります!」
使徒魔術を扱えるようになったとはいえ、ミアの扱える使徒魔術は発動までに多少時間が掛かる。
目の前にいきなり熊が現れたら、ミアの使徒魔術では対応できる前に組み付かれて終わりだ。
もちろんミア一人なら、の話だ。
実際のミアには古老樹の荷物持ち君や大精霊がついて回っている。
それを考えると、ミアを害せる存在の方が少ないくらいだ。
しかも、それだけではなく神器である帽子や、神器に並ぶほどの杖も所持している。
それらを見ただけで、大概の者は戦意すら失くしてしまう程のものだ。
それはそうなのだが、古老樹の杖もロロカカ神の帽子も、ミアは荷物持ち君に預けて地下下水道には持ち込まないつもりでいる。
両方とも床すら汚い下水道で落としでもしたら、申し訳が立たない、と理由からだ。
もちろん、それを預かる荷物持ち君も今回は下水道にはついていかない。
「おお、いたいた! スティフィちゃんにミアちゃん!!」
そう言う大声が聞こえて疲れた顔のエリックが手を振りながら近づいてくる。
「あっ、あんたも参加したの、エリック……」
昨日、それを告げたときはエリックがものすごく悔しそうな顔をして嘆いていたことに、スティフィは随分と愉悦を感じていたが、エリックは無理にでも参加したようだ。
「おうよ、竜に会えるっていうんでな。いやー、この辺りには居ないって聞いてたけど、意外といるもんだな」
エリックはそう言って笑い、そのエリックの影から、ジュリーが浮かない顔をして現れた。
「……」
ただジュリーは浮かない顔をしたまま下を向いて何も言葉を発さない。
「あれ、ジュリー? 参加するんですか?」
と、ミアが声をかけると、
「ええ、教授にもっとミアさんと行動を共にしろって言われてしまって……」
と、ため息交じりにジュリーはそう言った。
その顔は心底嫌そうな顔をしている。
もちろんジュリーもミアと一緒なのが嫌なわけではなく、汚水であふれかえる地下下水道に入らなければならないことが嫌なだけだ。
その表情を見たスティフィがあまり良くはないのだが、本当に嬉しそうな良い笑顔を見せる。
「大金を得て自堕落な生活を送っているからよ、でも、始祖虫の時に参加してたらあんた死んでたわよ」
スティフィがそう言うと、ジュリーは更に肩を落としてため息をつく。
「その件でもだいぶ教授にお小言をいただきました……」
門の巫女の様子を報告するように命じられながら、始祖虫と遭遇するという世紀的な出来事にも同行できていなかったのだ。
それは怒られても仕方がない事なのかもしれない。
ただスティフィの言う通り、オオグロヤマアリの討伐に参加してたら、恐らく生きてこの場には居なかったと、ジュリー自身も思っている。
自分のどんくささをジュリーは理解できている。
「うーん、ミアちゃん係大集合ですねぇ」
マーカスがそんなことを言うと、
「いい加減、その名称やめませんか?」
ミアが少し困った顔でそう言った。
酷く汚れた下水道を防護服を着た一行が練り歩く。
ついでにハベル隊長とミアは同行していない。
ミアはミアちゃん係でまとめられ、後方組に割り当てられたからだ。それに対してスティフィも文句は言わない。
ついでに後方組の仕事は、下水道の清掃なのだが、清掃というよりは、ただただ暑苦しく動きにくい服を着て汚い地下下水道を歩くという苦行と言ったほうが良いかもしれない。
ミアの期待していた下水道の地下探索ともかけ離れているが、これはこれで楽しともミアは思っている。
ミアにとっては友人とこうやって、冒険のようなことをするだけでも貴重で珍しい体験なのだ。
「うーん、久しぶりの清掃のはずですが、それほど汚れてはないんですね」
マーカスが下水の溝を見ながらそんなことを言う。
それに対してミアは驚いた反応を見せる。
「これで汚れてないんですか? 汚れているってどんな状態なんですか?」
「基本的に下水の流れる溝になんか固形の物体が詰まってるかどうかですよ。地下下水道の清掃は基本的には溝に何か詰まっていたら、この刷子でこそぎ落とす感じですよ」
話を聞くと、足場などを刷子で擦りつけての清掃はしない、とのことだ。
下水道の溝が詰まっていなければ、それでいいとのことだ。
「ミアが昨日一生懸命この足場を掃除してたのは無意味だってさ」
スティフィがからかうようにそういう。
「うぅ、刷子でこすったら妙な泡が出て来てたんですよね」
昨日の奇妙な泡を思い出して、ミアは体を震わせる。
防護服ごしに見てもあの不気味な汚水と同色の泡に何とも言えない気持ち悪さをミアは感じている。
「下水なんですから、そんなところ掃除しても意味ないですよ。下水が流れれば何でもいいんですよ」
マーカスはそう言いながら、下水の溝に視線を送る。
本来ならもう少しよくわからない固形の物体が溝の壁にこびり付いているはずなのだが、どういう訳かところどころそのこびり付きがはがされた跡がある。
恐らくはスティフィが見たという生物が通った跡なのだろう。
「しっかし、きったねーな。本当にこんなところに竜がいるのかよ」
エリックが文句を言うのも分かるのだが、エリックの部屋の惨状を知っているミアは少し驚いた視線をエリックに送る。
「いえ、下水の溝を見てください。本来ならもっとなんかしらの固形物がこびりついているんですよ。でも、それがところどころ不自然にはがされています」
マーカスがそう告げると、
「竜が通ってるから、それらがこびりついてないってことですか?」
その言葉にミアが反応する。
マーカスはそれに笑顔で頷きながらも、
「俺としては下水道に竜がいるのは否定的ですけどね」
と、竜がいることには否定的な意見を言う。
もちろんマーカスの言葉にスティフィが食って掛かる。
「私が見間違えたって言うの?」
「いえ、スティフィが見たからこそみんな動いているんですよ。これが別の人間だったら、こんな事態にはなってないですよ」
マーカスはそう弁明してスティフィを宥めるが、マーカスの言葉にミアも反応する。
「そうですよね、スティフィが見たっていたから、ハベル隊長も動いているんですよね」
それだけハベル隊長はスティフィのことを買っていると言うことだ。
「だから私も付き合わされてるんですけどね……」
と、今まで一言も口を開かなったジュリーがやっと口を開いた。
ついでにジュリーも防護服の汗臭い臭いがダメだったらしく、ミアの臭いの上書き剤を使用している。
その上で元気がまるでない。それはこの下水道調査も嫌だが、これからは命に係わる様な危険な事にも無理にでもミアに同行しなければならない、という事実に対してだ。
「誰も無理には誘ってないでしょうに」
と、スティフィは意地悪そうに言うが、
「教授には無理にでもって言われてるんですよ……」
と、ジュリーはため息交じりに答えた。
その顔は防護服の中で見れないが、かなり落ち込んでいるのは想像に容易い。
「私が言うのもなんですけど、お疲れ様です」
ジュリーからあまりにも悲壮感が漂っているのでミアがなんとなく謝る。
「ミアさんが悪いわけではないんですよ」
それに対して、ジュリーもすぐに否定する。
ジュリーもミアが悪いだなんて少しも思ってはいない。
ただ少しでも関わってしまっていたことを不運と思っているだけだ。
特に自分以外のミアちゃん係の人間は、なんだかんだで才能ある人間が集まっている。
あのエリックでさえ、リュウヤンマという巨大な虫種を倒すのに一役買ったと聞いている。
ジュリーは座学はともかく、荒事など自分には到底無理だと理解している。
そんな自分が門の巫女に同行しても何ができるというわけでもない。
場合によっては足を引っ張るだけだ。それだけにジュリーの気は重い。
特にミアは現在闇の勢力の人間と仲が良い。元太陽の戦士団の信者だったマーカスも今やデミアス教大神官の使い走りだ。
純粋な光の勢力の人間は、ジュリーだけと言える。
その期待と重圧に、優等生ではあるが普通の人間であるジュリーは既に耐えきれずにいる。
「なあ、なんでジュリー先輩はさん付けで、後輩のはずのミアちゃんは呼び捨てなんだ?」
エリックがふと思ったことをそのまま口に出す。
ミアは、本人にそう言われたから、と答えようとするが、それより先にジュリーが答える。
「それはミアさんがこの領地の貴族だからですよ、私の領地とは規模が違うんです」
その答えにミアは驚く。
ミア的には、ジュリーに呼び捨てで良いですよ、とそう言われたからそう言っているだけで、貴族の力関係がどうのこうのという考えは微塵もなかった。
「私は貴族になるつもりはないですよ? それにジュリーで良いって、ジュリーが言ってくれたんじゃないですか。それにそれを言ったらマーカスさんもそうじゃないですか?」
ミアがそう答えるが、ジュリー的には、マーカスが貴族と言うことに関心があるようだ。
すぐにジュリーの視線がマーカスに送られる。
「え? そ、そうなんですか?」
少し希望に満ちた視線が送られている。
ジュリーにとってはこのリズウィッド領の貴族と知り合いが増えるのは嬉しいことだ。
「いや、既に貴族の地位は捨ててるっていう話ですよ。ただ血族だっていうだけですね。それに俺はまだ額の目でせいで詳細も聞けてないので、なんとも」
マーカスはそう言って笑った。
マーカス自身も貴族とかそういう柄ではない事を理解している。自分の好きなことをして生きていきたい、と願っている。
ある意味ではミアと同じような考え方だ。
「なによ、ミアちゃん係も貴族ばかりってこと?」
スティフィが嫌味を込めながら言うが、その言葉を本気で受け止める者はここにはいない。
「いや、今、正式な貴族はミアとジュリーだけですよ」
一応、とばかりにマーカスが補足するが、それも聞いている者もいない。
そもそもがスティフィのただの冗談だということが分かっているのだから。
「あ? そう言えばミアちゃんって貴族だったんだよな! まったくもって貴族には見えないな!」
エリックがその会話を聞いて思ったことをそのまま口にする。
その言葉に、ミアは嫌な顔を作って見せるが、自分でも思っていたことなのでそこまで気にしているわけではない。
「否定はしないですが、そう堂々とエリックさんに言われると少しムッとします……」
ミアにそう言われ、エリックも慌てて取り繕う。
「いや、あの、素朴でよいって言う意味で? みたいな?」
そんなたわいもない話をしながら地下下水道を歩き回っていた時だ。
ミア達が進んでいる先から叫び声が聞こえる。
「本当にいたぞ、竜種だ!! 確かに白竜だ!! ハベル隊長を呼べ!!」
スティフィはその叫び声に、竜種を刺激するな、と、小さく舌打ちをする。
北とは違い、普段竜種のいない南に住む人間では、その反応は仕方がないことだ。
万が一、いや、千が一、百が一……
十が一、誤字脱字があればご指摘ください。
指摘して頂ければ幸いです。
少なくとも私は大変助かります。
あと感想などいただけると大変励みになります。
さらに、いいね、評価、レビュー、ブックマークなどもいただけたら幸いです。
その際には、一人嬉しさのあまり部屋で壁に腰をぶつけながら踊り狂います。
その他の小説の進捗は、活動報告からどうぞ!
ついでに、限りがある防護服がミアちゃん係全員にいきわたっているのはミアちゃん係(ミアの護衛)だからです。
でも、これくらいは本文で説明しても良かったよね……
うーん、どうも説明しすぎ恐怖病が!!




