日常と収穫祭と下水道の白竜 その3
下水の溝の中に白い竜を見たスティフィは慌てて、ミアの手を引っ張って下水道から逃げ出した。
「ど、どうしたんですか? 急にどうしたんですか?」
ミアは慌ててスティフィに説明を求めるが、
「後で説明する。今は急いでここを離れるわよ」
スティフィが真剣な声色で言うのでミアもそれに大人しく従う。
いまだにからかわれることは多いが、それでも信頼のおける親友であることには変わりはない。
特に危険なことからは、自分を遠ざけようとしてくれている事だけは確かだ。
ミアも素直にしたがって、スティフィの歩調に一生懸命合わせようとするが、全く追い付けずに手を力強く引かれる形になっている。
下水道、それと下水道に通じる地下通路から抜け出し、帰ろうとしていた騎士隊員を見つけ、スティフィは素早く詰め寄る。
騎士隊員はすぐに戻ってきた二人に若干驚きつつも、女の子に下水道の清掃はやっぱりつらいか、と納得もしている。
が、スティフィから出た言葉に目を丸くして驚いた。
「あの下水道って、竜種が住んでるの?」
竜種は恐るべき力を持つ上位種の一種ではあるが、通常であれば無差別に人間を襲うような種でもない。
竜種に力を認められればだが、その力を貸してもらえる程度には友好的な種である。
だから、人間が不意に竜種と遭遇した場合、スティフィがしたようにその場を離れる、という行為が一番安全である。
竜種のほうからなにか接触してきた場合のみ、対応すればいい話だ。
「竜種? そんなものが下水道にいるわけないじゃないですか?」
騎士隊員は驚きながらもそう答える。
清掃が嫌でやめたいという理由にしては少し突拍子もなさすぎる。
「竜種? そんなものいたんですか?」
ミアも驚いてそう聞き返す。
スティフィは防護服の中で一息ついてから、一度落ち着いてから口を開いた。
「ええ、下水に飛び込んだ鼠を一飲みにしていったわ。白い竜だった。友好的な竜種なの? その存在を騎士隊は知っているの?」
軽く説明して、その後逆に騎士隊員に詰め寄ると、騎士隊員のほうが慌てだす。
「いや、知らないですよ、聞いたこともない。え? 本当にいたんですか? 清掃をしたくない理由でなく?」
騎士隊員の反応は信じていない様子だ。
ただそれは当然のことで様々な意味で特異点ともいえる魔術学院とは言え、その下水道に竜が住んでいたなんて話は聞いたこともない。
「ちょ、ちょっと荷物持ち君に聞いてみます!」
スティフィの様子からからかっている感じではないと確信したミアはそう提案する。
もし本当に竜種がいたのなら、同じ木曜種の上位種と言われている古老樹の荷物持ち君が何かしらの反応を見せていてもおかしくはない。
「そうね、荷物持ち君なら気づいててもおかしくはないわ」
スティフィもそれに同意見だ。
ミアはまだ下水道に通じる地下通路の入口に立って日光浴している荷物持ち君を呼び寄せた。
すぐに荷物持ち君が走り寄って来る。
「荷物持ち君、下水道に竜種がいるそうなんですが、何か感じましたか?」
ミアがそう聞くと荷物持ち君は首を、首なんかはないが、傾げるようなしぐさをして見せた。
どうもそれらしい気配を感じている様子ではないようだ。
「その泥人形、妙な動きを…… ああ、これが例の泥人形ですか、じゃあ、ミアさんって、例のミアさんだったんですね……」
そこで騎士隊員がミアの素性にやっと気づいた。
最優先保護対象と共に、要注意人物ともされている。
騎士隊員が少し驚いたような表情を見せた。それはミアがあまりにも普通の女の子に思えていたからだ。
「そうよ、ちょっとハベル…… 隊長に復帰したのよね? ハベル隊長呼んできなさい! スティフィ・マイヤーが見たって言えば、ハベル隊長は信じてくれるはずだから!」
スティフィは自信をもってそう言ったが、騎士隊員はその理由がわからない。
始祖虫の一件以来、それなりに親しくさせてもらっている中でもあり、ハベル隊長もスティフィには戦士として一目置いている。
ただ今は時期が悪い。騎士隊は隊長から平隊員どころか訓練生まで皆一様に忙しい。
「えぇ…… 隊長は今ものすごく忙しくて、ですね……」
「四の五の言わずに、早く呼んで来い!!」
スティフィがそう叫んで騎士隊員を蹴り飛ばした。
「本当に見たのか?」
スティフィの言う通り、下水道担当の騎士隊員が報告を上げると、ハベル隊長はすぐに行動を起こした。
デミアス教の特殊部隊ともいえる元ではあるが狩り手の少女が竜を見たというのだ。
その信憑性はかなり高い。
そして竜種がいるのであれば、ハベル隊長が出ないわけにもいかない。
「ええ、あれは、まだ小さいけれど竜種に見えたわ」
スティフィは確信を持ってそういった。
「そう言えば北の出身だったな。だが、竜の気配はこの辺りにはないぞ」
虫種同様、竜種も北側に多く存在している。
その理由は単純で、ただ単に竜種は虫種を追って来たという理由でしかない。
北出身者であれば竜種を普段から目撃していてもおかしくはない。
その信憑性は高くなる。
「私が見間違えたって言うの?」
スティフィが憤慨したように食って掛かるが、ハベル隊長は相手にしない。
「しかも、地下下水道で白い白竜か。幼体であれば…… あるいは…… しかし、この辺りで野生の竜の話は聞かんぞ」
竜種というのは幼体の間に育つ場所でその生態も変わってくる。
特にその鱗の色は重要で、その鱗の色を見ればどこで育ったかすぐにわかるほどだ。
雪山で育てたその鱗も白くなるし、森で育てば、茶色や緑になる。海で育てた青になるし、光の届かない地下で育てば黒い鱗の竜となる。
要はその周囲に溶け込んだ色の鱗となる。
スティフィが地下下水道で竜種を見たというのであれば、その鱗は黒か石煉瓦の灰色の鱗などになるはずだ。
白色になるのはおかしい。
それにこの辺りで竜の伝承など聞いたことがない。
朽木様に竜が飲み込まれた、なんて噂もあるがそれはただ噂に尾ひれがついただけの話、なのかもしれない。
「竜種も卵から孵るんでしょう? 始祖虫同様に持ち込まれた可能性もあるんじゃないの?」
「それは否定できんな。わかった、吾輩も明日の清掃に同行しよう」
そう言ったハベル隊長の顔にも深く疲労が刻み込まれている。
竜種がいるとはいえ、今まで何もなかった竜であれば、恐らく問題はない。人から手を出さなければ危害を与えてくるような竜でもないのだろう。
そのままには確かにできないが、そう急ぐ問題でもない。
「それって信じてないってこと?」
スティフィが喰ってかかってくるので、ハベル隊長も少し困った顔をする。
「竜種がいれば吾輩はその気配を感じることができる。だが竜の気配は全くない。竜を見たというのがお前じゃなかったら、笑い飛ばしたところだ」
竜の英雄と呼ばれ、竜と契約しているハベルは、近くに竜種がいればその気配を鋭敏に感じることができる。
だが、この辺りからハベル隊長は竜の気配を一切感じることはない。
つまりこの辺りには竜種は存在しないと言うことだ。確かめるまでもない。
だが、それを言って来たのが、元狩り手のスティフィだ。それは信頼に足る情報であると、ハベル隊長も判断している。
「隊長、彼女は一体?」
と、下水道管理の騎士隊員が不思議に思って聞くと、
「ああ? そうか。元狩り手のデミアス教徒だ。恐ろしく腕が立つぞ」
と、言う答えが帰って来た。
その答えの内容に納得しつつも、また別の疑問が騎士隊員に浮かぶ。
「え? えぇ…… なんでそんな人間が下水道掃除を?」
騎士隊員はただの独り言のつもりだった。いや、誰にも聞こえないほどの呟きでしかなかった。けど、スティフィの耳は、その呟きすら聞き逃さない。
「私はミアの護衛なの、この子がこんな依頼を受けたせいよ!」
呟きを聞かれたことに騎士隊員が驚きと恐れを抱きつつ、スティフィにそう言われて、すぐに平謝りのように頭をペコペコ下げだした。
「しかし、始祖虫に続き白竜か。どんな運命の元に生まれたら、こんなにも厄介ごとに巻き込まれるんだ」
その様子を軽く笑いながら見ていた、ハベル隊長も冗談交じりにそんなことを口にした。
「そうよ、ミア、あなた厄介ごとに巻き込まれすぎよ!」
それにスティフィも乗っかる。
「私ですか!? 始祖虫は関係ないってスティフィが言ってくれたじゃないですか! 今回の件も流石に関係ないと思いますけど? それともやっぱり関係あるんですか?」
少し自意識過剰になっているミアも、もしかしたら自分のせいで、始祖虫が湧き、竜種が下水道に住みだした、と考えだす。
「いや、流石にないだろう……」
と、ハベル隊長もまさかと苦笑いをした。
とりあえず、今日の地下下水道の清掃作業は打ち切りとなった。
明日からハベル教官も含めて、本格的に地下下水道の清掃活動兼白竜の探索が始まるとのことだ。
竜種であれば人側から仕掛けない限り、まずは人と敵対することもない、というハベル隊長の判断からだ。
力を持ち、世界の旅人である竜種は人間などよりも知能の高い生物だ。
それ故に訪問先の世界で無暗に争うようなこともしない。
簡単に言ってしまうと、竜種は先住民である人間にはそれなりに気を使ってくれる、と言ったところだ。
ただ竜種は個人主義で個体差も多いので、すべての竜がそれにあてはまるということでもないが。
防護服を脱ぎ、大して働いてないにもかかわらず汗だくとなった二人は、公衆浴場で汗を流した後、食堂に来ていた。
なんだかんだで夕方にはなっていて、とはいえ夕食には少し早い時間だが、それだけに混んでいないので過ごしやすい。
ただ下水道の臭いが鼻からとれない二人は今のところ食堂にいるのにもかかわらず何も注文していない。
「竜種ですか、私も見て見たかったです」
南側の地では特に竜種は珍しい生き物だ。
太古の昔は、世界の北側を竜が統べ、南側を巨人が統べていた、なんて話もある。
それ故か、南側で竜を見かけることはほとんどない。
「竜種にあったら、向こうから話しかけられない限りは一目散に逃げなさい、それで人間相手にはまず追っては来ないから」
スティフィは念のため、ミアに竜に出会った時の対処法を教えておく。
一般的な竜への対処方法だが、それだけに確実な方法でもある。
「人は竜にとって獲物ではないんですか?」
ミアが聞いている話では竜はなんでも食べるという話だ。
それこそ、石や岩、そんな物までも口にするという。
生物はもちろん無機質な物でも口にする。それなら人間も喰われる対象になるのではないかとミアは考える。
「いや、人でもなんでも喰うわよ、竜は。ただ竜種も知能が高いから、対話できる相手を無暗に襲ったりはしない、ってだけね。ちょっかいでも出そうものなら、間違いなく喰われるわね」
と、スティフィは頷きながらそう言った。
北国出身のスティフィも直接竜を何度か見たことがある。
あれも、人間がどうこうできる生物ではない。そもそも、人間が手も足も出ない始祖虫を好んで捕食するのが竜種だ。
種族として当然のように、人間がかなう相手ではない。
「そうなんですね。そう言えば、竜種は法の神に歓迎されたって創世神話にもありましたね」
ミアは創世神話で語られている内容を思い出してみる。
ただ、魔術を半年学んで来たからミアにも理解できる。
あの創世神話は矛盾だらけだ。結局は人が後から作ったものなんだろうと、わかってしまう。
「初めての訪問者が虫種で法の神も喜んだけど、相手が対話もできない虫種で、しかもなんでも食い散らかして無限に増え続けるような相手で法の神も困っていたところに、虫種を追って竜種がやって来てくれたので竜種を歓迎したって話ね」
「あー、それで虫種を食べてくれる竜種を歓迎したってことなんですか?」
ミアはスティフィのその話を聞いて納得した。
ダーウィック教授の講義では、なぜ竜種が歓迎されたのか教えてもらっていない。
「そそ、そんな話だったはずよ」
「ダーウィック教授は教えてくれてませんよ」
「ダーウィック大神官様は確証のないことは講義じゃ基本的に取り上げないから」
そう言ってスティフィはダーウィック大神官の講義を思い出し、うっとりとした表情を浮かべる。
それはつまり、先ほどスティフィがミアに語ったことはダーウィック教授にとっては確証がない、と言うことだ。
「あー、なるほどです。確かにそう言うところありますよね」
ミアもスティフィの言葉がしっくりと来る。
あの教授は確かに憶測でものをいうとき、ちゃんと事前にそのことを教えてくれる。
そんなことを話していると、フラッと食堂にマーカスが入ってきて、まっすぐミア達の座っている机までくる。
「やあ、お二人とも。またなんかあったらしいですね」
マーカスは少し顔を赤らめながらも、いつもの笑顔で話しかけて来る。
あと少し酒臭い。
「あっ、マーカスさん」
「明日はあんたも下水道掃除参加するのよね?」
スティフィが睨みながらそう聞くと、マーカスはハッとした表情を浮かべる。
何かあったことは知っているが、その内容までは知らない、といったところか。
「はい、その予定ですが? やっぱり何かあったんですよね?」
だから、師匠が自分を解放したのか、と、マーカスは納得しつつ、話を聞く方に注力する。
「スティフィが下水道で白い竜を見たっていうんですよ」
「竜? 白竜ですか? 下水道に?」
ミアのその言葉に、マーカスは大げさに驚いて見せる。
わざとというよりは、酒臭い理由がマーカスをそうさせる原因だろう。
「ええ、まだそれほど大きな竜じゃなかったんだけど、下水の溝を泳いで行ってたわよ」
スティフィも軽く追加で説明してやる。
まず間違いなくマーカスはオーケン大神官の命でここに来たのだから、デミアス教徒のスティフィとしては、スティフィの意思に関係なくそれを教えなくてはならない。
「にわかに信じられないですが、見たというのがスティフィなら、見間違えと言うことはないですね、なるほど。だから、師匠は俺を解放したんですね」
「あんた、オーケン大神官に…… ああ、いい、やっぱりいいわ。あまり関わり合いになるなって言われてるから」
オーケン大神官について少しスティフィが聞こうとしたところで、ダーウィック大神官に出来る限り関わるな、と言われていたことを思い出しそれを取りやめる。
そんなスティフィを見たマーカスの方から、恐らくではあろうが、スティフィが聞きたかったことを教えてやる。
「今日はただ単に飲みに付き合わされてただけですよ…… あー見えて、寂しがり屋なんですよ」
そう言ってマーカスは手ぶらで席に着く。
が、ミアとスティフィも特に何か食べているわけではない。
ただ休んでいるようにマーカスには思えた。
「明日、ハベル隊長も参加して、清掃と竜探索ですよ。下水道にはがっかりでしたが、ちょっと面白そうですね」
そう言いつつも、ミアもあの防護服も下水道にも、少し苦手意識ができてきている。
ただあんな場所でも大勢で探検するとなると、それはそれで楽しいそうだとミアは思っている。
それにミアも竜種を直接見たことがない。
古老樹と共に、木曜種の上位種と言われている竜種だ。
ミアもその眼で見てみたいと思うところがある。
「防護服が暑苦しいので嫌ですが、竜を見れるのであれば参加したいですね。話を聞けばエリックも参加するんじゃないですか?」
現在、騎士隊とは関わり合いがないマーカスが忙しいと言うことはないが、騎士隊訓練生のエリックは忙しいはずだ。
ただエリックはどうも竜に心酔しているところがあるようで、どんなに忙しくても恐らく興味を持つことだけは確かだろう。
「さあ、どうなのかしらね? あいつですら最近の騎士隊の業務に疲れ切っているみたいだし」
「おや、近況を知っているんですか? これは意外ですね」
そんな忙しい中のエリックの様子をスティフィが知っていたことにマーカスが驚く。
けど、スティフィはげんなりした表情を見せるだけだった。
「私とジュリーには向こうから、近況を教えてくんのよ」
「エリックさんもまめですよね」
ミアもそのことを知っているので、驚きはしないがヘロヘロになるまで疲労しながらも、スティフィとジュリーに会いに来るその熱意だけは認めざる得ない。
「多分、今日もなんだかんだで近況を教えに来るだろうから、竜の事も教えてやろ…… 竜好きのあいつがどう反応するか楽しみだわ」
人をからかうことが好きなスティフィは目を輝かせてやる気を見せ始めた。
ろくに休む暇もないほど忙しいエリックに竜が身近にいると教えれば、そんな反応をするか、スティフィは楽しみで仕方がない。
なにせミアのように気を使わなくていい相手だ。
遠慮もいらない。本気でからかえる上にそれで嫌われてもいい相手と来ている。
「それからかってるんですか? それとも?」
マーカスはなんだかんだでエリックの熱意が伝わりつつあるんじゃないかと思う反面、その対象が複数なので何とも言えない表情をする。
「それともって何よ、からかってるだけに決まってるでしょうに」
そう言うスティフィの表情には照れる要素は何一つない。
やっぱりエリックには脈などないのだと、マーカスは思いなおす。
しかし、竜をもし間近で見れるのであればマーカスも楽しみだ。
万が一、いや、千が一、百が一……
十が一、誤字脱字があればご指摘ください。
指摘して頂ければ幸いです。
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