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学院の魔女の日常的非日常  作者: 只野誠
非日常と精霊王との邂逅

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非日常と精霊王との邂逅 その2

 シュトゥルムルン魔術学院から距離的にはそれなりには近い、ただ実際に行くとなると崖ばかりでその道は遠く険しい、そんな学院の裏山から一つ山を越えた切り立った崖沿いにいつのころからか野営をしている者達がいる。

 二人は焚き火の前に座り朝食とばかりに昨日の鍋の残りを暖め食べている。

「師匠、そろそろ山を降りないと食料がつきますよ」

 と、ぼさぼさの手入れされていない髪、ボロボロの服で文明的な生活からは少しかけ離れた生活をしているような青年がもう一人の男に向かって言った。

 近くの洞窟にはまだ少量の備蓄はあるが、それだけをあてにしていたら数日ほどで本当に食べるものが無くなってしまう。

「あー、面倒だな。俺もお前も学院にはホイホイといけないしなぁ…… マーカス、お前、またどっからか食料調達して来いよ」

 と、答えた男は先ほどの男よりも身なりが少しいい。とはいえ、綺麗とはお世辞でも言い難い。

 その男はけして線が細いというわけではない、どちらかというと筋骨隆々なのだが、どこか線が細いように思え、スラリとした印象を与える。

 手入れをしていない無精髭すらもどこかしら品を感じてしまうような、芯があるようでひょうひょうとしていてどこか捕らえどこがなく、どこか印象的なのに後からでは思い出すことも困難になる、そんな辻褄が合わないような不思議な男だった。

「えぇ…… もう近くの学院所有の山小屋は漁り尽くしちゃったじゃないですか。ごたごたがあったようで補給もされてませんし。もう遠くの第四野営地くらいしか残ってませんよ。それも備蓄があるかどうかもわからないですし」

 若い方の男でマーカスと呼ばれた男が真実ではあるが言い訳がましくそういうと、師匠と呼ばれた男はめんどくさそうな表情を浮かべる。

「そんぐらい行って来いよぉ、誰が精霊王に氷漬けにされていたお前を助けてやったと思ってるんだよ」

 そう言って鍋の最後の具材、その全部を自分の皿によそり、それをすぐに口の中へと掻き込む。

 かなり熱いはずなのだが、まるで熱さを感じないかのように男はそれをまるで水でも飲むかのように呑み込んでいく。

「あー、はいはい、わかりました、わかりましたよ。でも第四野営地は遠いんで、師匠。一週間以上かかるとは思うんですが、それでも平気ですか?」

 と、返事をしつつマーカスはそこまでしても精々十日分の食料を持って帰ってこられればいい方だと考えた。

 ただ師匠と呼ぶこの男が行けと言っているのだ。きっとなにか意味があるのだろう、とマーカスは深く考えることをやめた。

「俺はどうとでもなるよ。一週間くらい断食したことだってあるんだぞ」

 と、男は不敵な笑みを浮かべそう言うが、次には、やはり掻き込んだ鍋の具材が熱かったのか、舌を出して小刻みに細くした息を吐き出している。

 飲み込んでいるなら喉の方も熱そうなのだが、その様子はまるでなく、舌だけ気にしているように思える。

「それ、前も聞きましたけど、牢に留置されて忘れられてたって話ですよね」

 マーカスは少し白い眼を師匠に向けそう言葉をかける。

 マーカスが師匠と呼ぶこの男なら、一週間どころか一ヶ月だって飲み食いもしないで何ら支障ないのだろう。

 だが、その場合、この男はこの場所にはもういなくなっている。この男はそう言う男でマーカスはそれを恐れている。

 マーカスはこの胡散臭い男から学びたいことがまだたくさんある。

「あら、そんなことも話したっけか?」

 男はとぼけたようにそう言う。

「ええ、酔った時に」

「そうかそうか。酒は良くないな。俺のなけなしの威厳がなくなってしまう。けど、酒があれば最優先で確保して来い、いいな?」

 と、いつになく真剣な表情でマーカスに言いつけた。

「はいはい、わかりましたよ」

 と、マーカスはその返事で少し安心する。

 酒のあてがあるのなら少しばかり待たせても、この男はここに居座るという確信がマーカスにはあるからだ。

 そして師匠は第四野営地には酒があるのを知っていたのだろう。恐らくは精霊との交渉用の高級な葡萄酒でも貯蔵されているのかもしれない。ただそれは精霊に渡す用のもので人が飲める品質ではないのかもしれないが。

 この男にとっては酒であれば問題ないのかもしれない。

 恐らくは食料ではなく師匠はそれを求めているのだ。ならこの酒好きな男がもっと早く求めても良さそうなものだが、恐らくは適切で合理的な瞬間を待っていたのだろう。

 そして、その時がやってきた。ただそれだけのことだ。

 その証拠に、師匠と呼ばれたそのとこは何か意味ありげに、

「それにさ、今から行けばちょうどいいのよ」

 と、不意にマーカスにそんな言葉をかけてきた。

「何がです?」

 と、とりあえずマーカスは聞き返す。そうすると男はニィと少し気味の悪い笑顔を見せる。

「お前が蘇らせたかった犬っころにトドメを刺した奴に会えるかもしれないぞ?」

 男の顔は確かに笑顔なのだか、その目は笑っていない。

 笑ってはいないのだが、なにか楽し気に期待するような、いや、酒の肴にでも楽しませてくれという目をしてくる。それが、あまり良くない兆候なことをマーカスは既にその身をもって知っている。

 この男がこういう目をしているときは、まず間違いなくロクな目にあわされない。

「とどめってことはハベル教官ですか?」

 事前に師匠から聞いていたことを聞き返す。

 師匠がどこからこのような情報を得ているのかわからないが、その情報が間違っていたことは…… 多々ある。

 いや、師匠と呼ぶこの男が得た情報に間違いはないのだろうが、それをマーカスや他の人間に伝えるとき、面白半分であからさまな嘘からわかりにくい嘘までよく混ぜ込むのだ。

 なので、最近はマーカスも師匠の情報を話半分くらいにしか信じてはいない。

「いやいや、お前の部屋に住んでいた奴な、名前はなんだったかな、忘れたなぁ。でも奴が原因なのさ」

 恐らくは覚えているんだろうが、わざと教えないんだろうな、とマーカスでもわかる。

 ただその名を知ったところでマーカスはどうこうする気はもとよりない。

「でも、発見されたときは既に外道に取り憑かれていたって師匠が教えてくれたんじゃないんですか」

 なにより数年間も放置してしまっている。保存用の魔法陣の中とはいえ、その状態ではもう復活は望めない。

 死んだものを生き返らせれるのは、そもそもがとても難しく条件も厳しいし、なにより死んだその直後の限定的な瞬間だけが最後の機会となる。時間がたてばたつほどそれは難しく不可能になる。

「そうそう、シキノサキブレなぁ。あの外道、本体が来るまでほっておくと街一つ滅ぶくらいには危険な奴だからなぁ、でも、あそこにはあいつもいるし、まあ、平気だろうがな」

「そんな危険な外道だったんです?」

 マーカスは元騎士隊の訓練生だ。それなりに外道種のことは詳しいのだが、聞いたことのない外道の名だ。

「うむー、死蝋化した死体に取り憑くのはどうとでもなるんだがな。それはただの先兵で、そのままそれを放置すると地中の底から本体がやってくるんだよ。その本体はかなり強い、そして、とてつもなく厄介なんだ。存在しているだけで土地自体を腐らせるような奴だよ。俺だってごめんこうむりたい」

 そんな凶悪な外道なら知られていておかしくはないが、地中という世界は人類にとってほぼ未知の領域だ。

 その本体とやらが知られていなくても不思議ではない。そして、この男ならその存在を知っていてもまた不思議ではない。ただその言葉は信用に値しない。

 その口から紡がれる言葉が信用できないだけで、この男は確かに人間なのだが、マーカスから見れば上位存在とそう変わらない存在にすら思えるのもまた事実だ。

 それ故にこの得体のしれない男を師匠と呼び共にいる必要がある。

「俺はそんな外道を聞いた事もないですね、流石博識です、師匠」

 素直に尊敬の念をもって師匠と呼ぶ男をマーカスは見つめる。

 そして、その男はその視線を受けて気分を良さそうにする。

「まーなー、長いこと生きて、旅しているからな、俺の場合は、旅って言うかただの放浪だけどな」

 男はそう言いつつも鼻を高くしている。浮かれている様子を隠そうともしない。

「厄介と言えば、この間、裏山にいた神性。相当ヤバイ奴だったらしいじゃないですか。近づかなくてよかったですよね」

 マーカスには気づけなかったが、ほんの一か月前、学院の裏山にとてつもない神格がふらりと立ち寄っていたとのことだ。

 師匠の話では神の座にいる神々が地上につかわせた化身や分霊とは一線を画する本物の神性がやってきていたとのことだ。

 その話をマーカスが振ると、師匠と呼ばれている男も真剣な表情をチラリと見せる。

「話によると破壊神だったらしい、しかも、やっぱり神の座にいない奴だそうだ。つまり神そのものだ。本物の神性だ。滅多にお目にかかれるもんじゃない。見たかったが近づかなくて良かったなぁ、俺らじゃ出会ってたら殺されてたぞ、間違いなくな、アッハハハ」

 と、何がおかしいのか師匠は大声で笑いだした。

「でも、祟り神の巫女が出会って無事だったって話でしたよね?」

「巫女だからなぁ、神に気にいられたんじゃないか。神ってヤツも男神なら女好きだからなぁ…… それに俺にだって全ての情報が入ってくるわけじゃないからなぁ…… 知らんけど、なんか特別な巫女なんじゃねーの」

 師匠はそう言って沸かしていたお湯を食べ終わった深皿に入れて、煮え立った湯をすぐに飲み干した。

 そして、その熱さに身を悶えさせる。

「ロロカカ神でしたっけ? どんな神なんですか? 師匠」

 マーカスは師匠なら知っているだろうと思いそう聞くと、

「んー、俺も知らん。聞いたこともないな。少し興味があるが祟られるのは少し怖いなぁ」

 という返事が返ってきた。

 それが嘘かどうかわからないが師匠が、聞いたこともない、と答えるのは非常に珍しいことだ。

「師匠でも知らないんですか?」

 と、マーカスはその感情をそのまま言葉にする。

 それを見たしようは、ニィと嫌な笑い顔を見せる。

「気になるなら第四野営地でついでに聞いて来いよ。その子も、というか、その子の付き添いで、えーと、名前なんだったかな、やっぱり思い出せん。まあ、とにかく付き添いでついていくらしいぞ。お前の犬っころに止めを刺した奴」

 嫌な笑みを浮かべ師匠はそう言ってきた。

 師匠的にはマーカスと、師匠が言うには愛犬に止めを刺した人物をどうしても会わせたいように思える。が、前に師匠から聞いた話では教官のハベルが跡形もなく燃やし尽くしたという話だった。

 だが今は自分が使っていた部屋を今利用している人物が止めを刺したのだと言っている。どっちが嘘なのだろうが、マーカスはそのどちらの人物にも恨みはない。

 どちらにせよ、はじめから手遅れだったのだから。

 会わせて師匠はどうさせたいのだろうか、その人物を殺せとでもいうのだろうか? マーカスは特にその人物をどうかするつもりもない。しいて言うならば愛犬を楽にしてくれてありがとう、と感謝を伝えるくらいか。

 自分がへまをして精霊王に生きたまま氷漬けにされたのが原因といえば一番の原因だ。それにより愛犬の死は既に確定してしまっている。

 そもそもが分の悪すぎる賭けどころか根底から不可能なことだっただけだ。当時にマーカスにはわからなくても師匠と出会った今のマーカスならそのことを理解することができる。

「んまあ、どちらにしろ、死蝋化してたら蘇らせられなかったですよ。そもそも時間が立ちすぎですよ。ところで、俺、どれくらい氷の中で眠ってたんですかね?」

 実のところマーカスは自分がどれくらい氷の中に閉じ込められていたか記憶はない。

 記憶に残っているのは、ただ冷たく凍える氷の中で稀に冬山の王という精霊王が残忍な笑みを浮かべ苦しむ自分を見ているというおぼろげな記憶だけだ。

「さーなぁ? 三年から四年くらいじゃねーかな。さすがにそれ以上は本当に死んじまうだろうしなぁ」

「そんなに寝てたんですか。よく俺、生きてましたね。

 まあ、黒次郎のことはあきらめるしかないっスよ。そもそも俺がへまして精霊王に捕まったのがいけないんですよ」

「犬の名前か?」

「良い奴でしたよ」

 マーカスはしみじみとそう言った。

「しかし、犬のために精霊王、それも冬山の精霊王に会いに行くとか、お前はある意味凄い奴だぞ。あの冬山の精霊王は天に属する精霊でな、本来人間には無関心な精霊のはずなんだが、なぜか人間に敵意むき出しだったよなぁ、なんだ、あのおっかない精霊王は」

 知らない風を装っているがおそらくこの男はその理由も詳しく知っているんだろうな、とマーカスにもそれは予想できた。

 マーカス自身はそれほど詳しくは知らないが割と有名なこの地方の昔話のはずだ。それにより天に属する精霊と海に属する精霊が争いはじめ極端な寒暖差がある地方にもなっている。

 その上で、マーカスも師匠が知らないていで話を進める。

「なんか昔の人が怒らせたって話ですよ、昔話か何かで聞きましたよ」

 マーカスは自分が知っていることを全て伝える。

 もしかしたら師匠が詳しく教えてくれるかもしれない。淡くそう期待したが、教えてくれたところで半分くらいは嘘が練り込まれる。

「ほほぅ、それは興味深いねぇ、詳しく話せるか?」

 と、師匠はマーカスに聞いてくる。

 本当にしらないのか? とマーカスは一瞬だけ考えるが、師匠のことを信じても裏切られるだけなことは既に知っている。

 自らが師匠と呼ぶこの得体も知らない男と上手く付き合うコツは、何事もてきとうに付き合い、彼のいう事は話半分しか信じないことだ。

「無理っスね。それ以上のことはしらないですよ。学院の図書館で調べればすぐわかりそうですけども。あとは…… 教授達ならもちろん詳しく知ってると思いますけど?」

「そうかー、残念だ。学院には俺も近づけないからなぁ」

 そう言って師匠はおどけて見せた。

「厄介なのが多いんですよね?」

 マーカスがそう言うと師匠は苦虫を噛み潰したかのような顔を見せた。

「ああ、あそこには特に厄介な連中がうじゃうじゃと多すぎるんだよなぁ…… ついつい話し込んじまったが、早く行って来いよ。俺にいて欲しいならなるべく早く戻って来いよ? それと酒、酒だ。酒だけは必ず持って来いよ?」

 師匠はそう言って空を見上げた。まだ朝焼けの空が見える。

 マーカスも空に目をやると、その空には大きな雲が見える。今日も暑くなりそうだ、とマーカスは辟易する。

「はいはい、わかってますよ。師匠こそ逃げないでくださいよ」

「大丈夫だって。今、あの学院は面白いことになってるからさぁ、しばらくはこの付近からは離れるつもりはないなぁ、もったいなさすぎる。そうか…… あの神性もだから寄って来たのか? 偶然を装い? となると中心にいるのは……」

 そう言って師匠は何か考え込み始めた。師匠はこういう時に邪魔すると怒るのでマーカスは挨拶もせず、残してあった備蓄の半分をもって崖上の野営地を後にした。

 崖下まで下りて来たマーカスは、学院の山小屋からくすねて来た荷車にその備蓄を積み込んで荷車を自分で引き歩き出した。

「鹿かなにかでも捕まえてこの荷車でも引かせないとやってられないなぁ」

 とだけ呟いた。


 ミアたちが第一野営地と呼ばれる学院保有の山小屋についた時には既に日が傾きつつあった。

 ついた後も休まずに山小屋の維持のための清掃や点検作業を始めている。

「ん? あっれ? インラムさん、備蓄用の食料があるって話でしたよね? なにもないですよ? 本当にすっからかんですよ」

 と、山小屋の備蓄してあるはずの保存食を確かめているエリックが棚を漁りながら助教授のインラムに語り掛ける。

 同じく山小屋の備品の方を確かめていたインラムが驚く。装備品の方もいくつか無くなっている。

「え? 本当かい? 食料の備蓄は全部やられたのか? この辺りに野盗はでないし、もしかしたら旅人か何かがこの小屋を見つけて持っていってしまったのかもしれないなぁ」

 滅多にないことだがたまにあることだ。

 精霊王である朽木の王に至る道としていくつかの道の一つで、この道が一番有名で安全な道でもある。

 この地域で人間に友好的で取引してくれる精霊王はこの朽木の王だけだ。

 なので旅の魔術師がふらりと寄ることもあり、たまに勝手に備品や備蓄を使われたりもする。

 が、それらも考慮して食料の備蓄はそれなりに用意されているはずなのだが、それを全部持っていかれたのは予想外だ。

 そもそも今ここは深い山の中で交通の不便な地である。持ち出すにしても全部となると、それだけでかなりの手間になる。

「そんなことあるのです?」

 と、倉庫にちょうど荷物を運びこみにやってきていたミアも聞き返す。

「まあ、よくあることではないですが、たまには聞きますね。ちょうどここの食料の保管期限が近かったのでそれを利用しようと考えていたのですが、予定が外れましたね」

「ちょっと食糧ないの?」

 と、スティフィが倉庫の入口から声をかけてくる。

 ミアが倉庫にやってきたのでついてきているのだろう。

「ああ、いえいえ、大丈夫ですよ。ちゃんと別の食料も持ってきていますし、そもそも交換するための備蓄用の保存食をもってきていますので」

 と、インラムは答える。

 使い魔がいてそれに荷馬車を引かせるという話だったので計画していたことだ。まさか朽木様に見せに行くその使い魔だとはインラムは思ってなかったが。

 インラムなら古老樹の苗木を核にした使い魔をそんな雑用に使う勇気はない。

 何はともあれ、まだ新しい保存食に手を付けてしまうことにはなるが、食事に困るようなこともない。

「それよりもエリック君、保存棚の魔法陣は大丈夫そうですか?」

「んー、よくわからないけど問題ないですよ」

 と、エリックから調べもしないで即座に返事が返ってきた。

 インラムはいい加減な奴だ、と判断しエリックの評価を頭の中で下げておく。

 学院に戻ったら騎士隊の教官連中に伝えなければならない。これも課外講義の一環だということだ。

「ああ、いいです。スティフィさん、そこで聞いているなら手伝って頂いても?」

 と、手が空いてそうなスティフィに声をかけるが、

「私にはミアを守るという使命があるの、で」

 と、最後の「で」だけやけに強い返事が返ってきた。

 この生徒も学院に帰ったら、とインラムは考えたが伝える先がダーウィック教授だったので伝えること自体を諦めた。

 下手に関わりたくはない。

 そもそも彼女の話を信じるのであれば生徒の力量をすでに超えている。何か別の理由があって生徒になっているだけなのだろう。インラムはそれを深く詮索するつもりもない。

「そ、そうですか……」

 と、インラムは苦笑することしかできないでいると、

「あっ、インラムさん、私がやります」

 と、持ってきていた荷物をしまい終えたのかミアが声をかけて来た。

 インラムはまともそうなのはジュリーとこの子か、と思うがミアは祟り神の巫女と言われているので、やはり積極的には関わりたくはない。

 インラムは平穏を愛する男なのだ。

「ありがとうございます、ミアさん。教授とジュリーさんは?」

 と、巫女科のジュリーを期待して聞いてみるが、

「まだ明日の順路について打ち合わせしてました」

 と、答えが返ってきた。なら倉庫には来ないだろう。

 それにミアは既に保存用の魔法陣の検査を手際よく始めている。

 魔法陣に欠損がないか丁寧に調べ、地脈から引いている魔力変換機の動作もちゃんと規定通りに点検している。

 その仕事ぶりにインラムは満点を上げたいほどだ。魔術学院の生徒としては彼女はとても真面目で優秀のようだ。

「そうですか。明日も晴れてくれるといいですが。明日は渓谷に掛かった吊り橋を渡るので強風は勘弁して欲しいですね」

「吊り橋ですか、私あれ苦手なんですよね……」

 とミアが吊り橋を想像して身震いし伝えて来る。

「はははっ、僕もです。あまり下を見ないほうがいいですね」

 明日渡る吊り橋はそう長いものではないが怖いものは怖い。

 かといって吊り橋を避けて通ると、峡谷を降りていかなければならずそちらの方が危険だ。

 峡谷の底には流れの早い川もある。人間はともかく泥でできた泥人形の使い魔が無事に渡れるとも思えない。

 そもそも各拠点に備品の補填のために大量の荷物を持ってきているので、峡谷を降りる事自体無理なのだが。

 ただその荷物を載せた荷車が吊り橋を渡るところを想像しただけでインラムは不安になってしまう。

「保存用の魔法陣のほうは問題なさそうです。地脈からもちゃんと変換された魔力が流れ込んで正常に起動してますね」

 明日のことを考え無駄に不安になっているインラムに点検を終えたミアが報告する。

 地脈と呼ばれる地下を流れている魔力の奔流からも、人は魔力を借りることができる。

 ただ地脈の魔力は、神から貸し与えられる純粋な魔力とは違い酷く乱雑で、その波長の強弱も一定ではなく落差が激しい、また色々な混じり物も多く、非常にあつかい難い物だ。

 人の身にそのまま宿らせればすぐさま酷い魔力酔いを起こし、場合によっては地脈に潜む外道などに憑りつかれたりもする。

 そのため、そのまま地脈の魔力を使うことは推奨されない。一度何らかの方法で魔力その物を整え変換することが必要となってくる。

 魔法陣に流し込む場合でも魔力変換機という装置で地脈の魔力を制限し安定させ、波動を一定の周期にして魔力を調律してからでないと魔法陣そのものも破壊しかねないものでもある。

 ついでに変換機と言っても機械的な物ではなくその大部分は水晶が用いられている。水晶には魔力を整える効果が元々備わっており、それに変換用の魔法陣を焼き込み使用する。

「ありがとうございます。では持ってきた備蓄で第一野営地と書かれている物を置いておいてください。その中から今日食べる分も選びましょうか」

「はい、わかりました。あっ、でもせっかく運んできたものですし、まだ日が落ちるまでに少し時間があるので、山菜でも探してきていいですか? 食卓が少し豪華になるかもしれませんし、少しでも保存食を使わなくてすみます」

 ミアがそう提案してくる。そこでインラムは彼女が山の神の巫女という話を思い出す。

 なら、山に慣れていて当然なのだろう。今日かなりの距離を歩いてきたのにも関わらずミアは疲れている様子も見せないし、むしろ生き生きとさえしている。

 彼女にとってこれくらいの山道を歩くことは日常だったのだろう。

 もし彼女にその気があるのならば、良い自然魔術師にもなれることだろう。

「そう言えば山には慣れているんでしたね。あの使い魔がいれば猛獣もはぐれ精霊も寄ってこないでしょうし、迷子にもならないでしょうからいいですよ。でも、あまり遠くには行かないでくださいね。なるべくこの山小屋の付近だけにしてください」

 実はこの山小屋の周りには食べれる山菜や有用な薬草を植え替えたりして集められている。

 いざというときのための隠れた備蓄なのだが、ミアはそれに気づいたのかもしれない。インラムは本当に自然魔術師としてかなり優秀な素質を持っているのでは、と思う。

「はい! 多分小屋の周辺だけでも山菜なんかをかなり見かけたので!」

 と、ミアが嬉しそうに返事をする。

 インラムは、実はそれも隠れた備蓄なんですよ、と伝えようと思ったが、ここは第一野営地で学院からも近い。

 その備蓄が役に立つことは永遠にないだろう、と思い告げるのをやめた。

「ミア、私もついていくわよ」

 倉庫の入口から即座にスティフィが言ってきてその顔を覗かせている。

「この山小屋には獣除けの呪いがされてるから、この辺りは獲物は獲れませんよ?」

 それに対しミアは不思議そうにそう言い返した。

 この間の狩りからミアは、スティフィのことを狩りの名人という思い込みがついて回っているせいだ。

「狩りじゃないわよ。あなたの護衛よ。そのためについてきてるんだから」

「まだ護衛って必要なんですか?」

 ミアはそう言って悲しそうな表情を見せた。

 未だにグランラに狙われた、という事が心に引っかかっているようにスティフィには思えた。

 そして、自分は気兼ねなく生贄にしようとしたくせに、グランラのことは気に掛けるのか、と複雑な感情を浮かばせる。

 その感情と、深い山奥に入ってきているという不安をため息に乗せてスティフィは吐き出す。

「狙われているって情報は入ってはないわね。ただ念には念をよ。私、襲うのは慣れてるけど、護衛はあんまり慣れてないのよ」

 スティフィは自分に、自分は護衛役なのだ、と言い聞かせるようにその言葉を吐き出した。

「いや、まあ、ついてきてくれるのは嬉しいですけども」

 ミアはそう言って無理やり笑顔を作った。

 そんなミアを見たインラムは、

「ここは僕がやっておきますのでお二人ともお気をつけて。暗くなる前に帰ってきてくださいね」

 と、声をかけた。


「これは…… 里芋の…… 仲間…… ですね。茹でれば食べれ…… ます。灰汁が…… 凄い出ますが……」

 と、すぐ近くの井戸の裏手に群生していた、ミア曰く「泣き芋」という芋を大量に掘り起こしサリー教授に見せた。

 これは隠れた備蓄ではなく本当に自生した物だ。

 またこの地域はミアが住んでいた場所とは遠く離れている。もしかしたら似ている品種で食べることができない品種かもしれないので、念のためにそれらの事の専門家でもあるサリー教授に確認してもらったのだ。

「泣き芋って言って私の村では主食でしたよ! こっちでも自生しているものなんですね」

 そう言ってミアは茶色い毛ののような物が生えた芋をたわしで洗っている。

「泣き芋?」

 とスティフィが怪訝そうな表情で聞き返してくるが、芋を洗うのは手伝う気はまるでないようだ。

「種芋から大きな葉っぱが出てくるんですが、その葉っぱの先から涙みたいに雫が滴るんですよ。なので泣き芋って呼ばれてました」

 と、ミアは懐かしいのか嬉しそうにそう答えた。

「へー、旨いの?」

 と、エリックも芋を洗うのを手伝う気はまるでないが聞いてくる。

 ミアの記憶をたどる限りそれほど美味しいものでもない。が、育った土地と同じ食べ物を見つけなんだか嬉しくなっていた。

「冬の間は窓際の土間にこれを植えて、それを食べて飢えをしのいでたんですよ。凄い懐かしいです!味は、学院で食べた物と比べると…… よくはないですね。そもそもうちの村には香辛料なんてものもほとんどなかったですし塩も貴重品でした」

 と、苦笑しつつミアは答える。

「土間に埋めるって、また凄い生活してたのね」

 スティフィが若干引きつつそう答えるが、土間の一部ではあるのだがどちらかというと専用の屋内畑と言った方がいい。

 引き戸で区切られている小さな部屋に冬だけ使う畑があるようなもので、日が落ちたら外側の引き戸を閉め冷気を遮断するだけのものだ。

「冬だと外ではあんまり育たないので、どうしても。って感じですね。この芋は日陰でもちゃんと育ってくれるんですよ。とは言え、それをやっている家はリッケルト村でも少数でしたけどね」

 ミアはそう言いながら慣れた手つきで泣き芋とやらを丁寧に洗っていく。

 その様子が、スティフィにはたわしを使ってたわしを洗っているように見えた。

「今日はその芋となにが食えんの?」

 芋を洗うミアを見飽きたのかエリックが唐突にそんなことを口にした。

 それに答えたのは、芋を洗っているミアだ。

「塩漬けの干し肉と脂で固めた豚肉、酢漬けのお野菜瓶詰めと、固形に固めた蜂蜜の飴に、乾燥させたサァーナもありました。あとは塩とかの調味料なんかもありましたね」

 と、ミアからすればかなり豪華な食事になるとばかりに答えるが、

「ロクな物ないわね」

 と、スティフィが切って捨てた。

「まあ、保存食なので。でも私からしたら普段より豪華ですよ。久しぶりに泣き芋を食べられますし、懐かしいです」

 スティフィとは違いミアはかなり上機嫌だ。

「でも、あんまりおいしくはないんでしょう?」

 と、スティフィが聞き返すと、

「ええ、しかも茹でないで食べるとおなか壊しますしね」

 と、ミアはなぜかしたり顔でそう言ってきた。

「毒とかあるんじゃないの? ミア? だから泣き芋なんて不吉な名がついてるんじゃないの?」

 見た目も毛が生えているし、名前も不吉そうなので、なんとなくスティフィはそう聞き返してしまう。

「火を…… 通さないと…… 難消化な…… だけで、毒とかは…… 確認されてません…… あく抜き…… さえ、ちゃんとできれば…… 美味しいですよ」

 と、サリー教授がその様子を見て言ってくる。

 自然魔術には薬草学の分野も含んでいる。その教授であるサリーは薬草から雑草、毒草までとても詳しくその専門家でもある。

 そのサリー教授がそう言ってるからにはそうなのだろう。

 その様子を見ていたインラムがもう日も暮れて来たので実際に食事を作る準備をしなければと、

「じゃあ、今日の料理当番は……」

 今日の食事当番を思い出そうとしていると、エリックが急に大声で挙手してきた。

「はいはいはい!! 俺やりますよ!!」

 この間のグレン鍋がミアとスティフィに好評だったので、また作ってチヤホヤされたいとばかりに張り切っているようだ。

「今日は私とミアさんが当番よ。エリック、あんたの当番は明日で、スティフィさんとよ」

 が、ジュリーにぴしゃりと言われてしまう。

「おっ、スティフィちゃんとか、やったな」

 と、エリックは何も考えずにスティフィの方へ向き親指を立てて見せた。

「はぁ…… まあ、いいか。明日は全部任せるから」

 それに対しスティフィは冷めた表情でそう言った。

 どうもスティフィはこの旅に出てからというもの何もしたがらないし、ミアの傍を離れたがらない。

 護衛というよりはスティフィ自身が何かを恐れているかのようにも思える。

「スティフィは料理できないのですか?」

 ミアがそう聞くと、

「なんでも一通りできるわよ、そういう風に育てられたからね」

 と、スティフィは返してくる。

「さっすがスティフィちゃん!」

 その会話にエリックが入り込んでくる。

「でも面倒だから、明日はエリックに任せるわ」

 そうぶっきら棒にスティフィは答える。ミアからするとやはり普段のスティフィとはどこか違う感じがする。

 なにか浮ついているような感じがする。

「任せてよ!! こっそりグレン鍋の香辛料を持ってきてるから!」

「あんた…… 本当に懲りないのね」

 そう言ってスティフィは疲れた表情を見せる。

 その表情にエリックは気づくことはない。

「だって懲りる要素なくない?」

 と、嬉しそうに笑顔で答えるだけだ。

「しかし、保存食だけだと大したものは作れないですね」

 ジュリーが一通りの食材を見て言葉を漏らした。

「そういう時は鍋ですよ。鍋なら泣き芋よりもっと山菜を探すべきでしたね…… つい夢中になって掘ってしまいました」

 そう言いつつも泣き芋を洗う手だけはとめない。

「鍋物は最終手段にしましょう。鍋ってなると二週間ずっと鍋になる可能性があるから。少なくとも明日は鍋って話なんでしょう?」

 と、ジュリーが返す。

「じゃあ、どうしますか?」

 ミアが芋を洗う手を止めて、ジュリーに聞き返す。

「乾燥サァーナがあるなら、今日はとりあえずサァーナにしましょう。サァーナばかりにもなりそうですけどね。とりあえず明日鍋になることだけは確定ですし。豚肉の脂漬けと野菜の酢漬け、しかも酢漬けの種類が多いのでどうにかなるでしょう。ミアさんは、その…… 泣き芋? の方をお願いします」

 サァーナというのはこの地方独自の麺類だ。

 小麦粉と塩、そして油を混ぜた麺類で、混ぜる油が植物性のものか、動物性のものかで呼び名も変わったりする。

 乾燥させれば保存食にもなりうるし、ジュリーが使う予定のも乾燥させ保存食にしたものだ。

 その日の夕食は、ジュリーが作った豚肉と酢漬け野菜のサァーナは大変好評だった。

 泣き芋の方は、物珍しさと特有のぬめりからかあまり好評ではなかったが、ミアは懐かしさからか存分に食べ泣き芋で腹を満たした。




 誤字脱字は山のようにあるかと思います。

 指摘して頂ければ幸いです。

 少なくとも私は助かります。


 泣き芋は、ただの野生の里芋ですね。

 特別な種類じゃないです。

 ただ作中で出てくるのは完全に野生の物なのであんまりおいしくはないと思います。


 次の更新もおそらくこっちです。




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