金と欲望と私 その5
少し時間は遡る。
ミアが御使いの名をカリナに聞きに行った数時間後の話だ。
ダーウィック教授はその時間、受け持ちの講義もなく時間を持て余し、学院内にあるデミアス教の教会、そこにある自室の一つにて余暇を楽しんでいた。
彼の背には大きな窓がありそこから光が取り込まれている。読書するには程よい環境だ。
神々がその威信をかけて戦った神代戦争。その太古の昔の神の戦争よりも古い時代に書かれた詩集。
いや、詩集と言っていい物かどうか判断がつかないが、歴史的には詩集とされている歴史的古書。
とある邪神に仕える巫女が書いたもので、彼女が仕えていた神が暗黒神に打ち負かされ、その従属神に成り下がった時に書かれたとされるものだ。
詩集とは名ばかりでそれまで信仰していた神への罵詈雑言が皮肉交じりに詩として書き殴られている。
絶対無二の神だと信じていたからこそ祀り上げ全てを捧げて信仰していたにもかかわらず、無残にも暗黒神に負けそのまま従属神にまでなり下がったことへの絶望と失望、そして怒りが込められている。
その本の背表紙は、その邪神へと生贄に捧げられた者の皮で作られているという伝承があるが、実際に調べてみた結果、それは馬の皮で出来ていることがわかっている。
そして、それは世にも珍しく人が神を表立って罵倒することが書かれている書でもある。
今はダーウィック教授の手により書の時を止められ朽ちる事から保護された詩集であり古書でもあり歴史的にも大変貴重な物だ。
ダーウィック教授はこれに書かれている詩が大変好きだ。
当時の巫女の絶望と失望、何よりもその怒りの感情がその詩からは今も脈々と、その情熱とも言うべき欲望を感じ取ることができるからだ。
感情のまま書き殴られた、今は失われた文字ではあるが、その詩には正に本能の赴くまま書かれているものだ。デミアス教ではそれこそが真の欲望としている。
頁をめくるダーウィック教授の表情は見た目には変わらないが、心なしか微笑んでいるようにさえ見えるほどだ。
が、その手を急に止め、ダーウィック教授は丁寧にその詩集を閉じ机の上にこれまた丁寧に置く。
「あなたが…… ここへ来るとは珍しいですねぇ」
ダーウィック教授がそう言った後、彼と彼が座っている書斎机に大きな影を落とした。
ダーウィック教授の私室の一つ、その大きな窓全てを覆い隠すほど巨大な何者かが音もなく佇んでいた。
「聞きたいことがある」
巨大な影の主、カリナはダーウィック教授に向かい問いかける。
カリナが発する気とも言うべきものは、普段とは違いかなり重圧な物となっていた。
その圧だけでダーウィック教授でも気圧されかねないほどの異様なほどの圧だ。常人であればその気にあてられただけで気絶しかねないものだ。
それでもダーウィック教授は振り向かずに、ただただ背からくる異常なほどの圧を受け流していた。
「あなたが? 私に? 珍しいですね」
ダーウィック教授は、やはり振り返らずにそう答えた。
それは別に皮肉ではなく彼女の知識量は自分の物と比べても比較にならないほど多いことをダーウィック教授は理解できているからだ。
その彼女が仇敵でもあるダーウィック教授に聞いてくるというのだ。これはただ事ではないことがうかがえる。
「ミアという少女のことを聞きたい」
ダーウィック教授にとってそれは予想外の質問だった。
だが心当たりがないわけではない。
恐らくはロロカカ神という未知の神に関することだろうと、すぐにあたりがついた。
「彼女がどうかしましたか?」
とぼけてそう聞くと、少しの間があってからカリナは喋り始めた。
「先ほど、あの帽子に宿る御使いの名を聞けぬかと問われ、それで実際にその御使いに名を聞いてみた」
「それで?」
「帰ってきたその名は…… その名はある巨人の名だった」
「それは…… 本当ですか? お知り合いですか?」
これは完全にダーウィック教授にとっても予想外のことであるとともに驚愕する事実でもあった。
確かに神は有望な者をその御使いへと転生させることがある。ダーウィック教授自身も暗黒神により死後その御使いへと転生することが約束されている。
だが、巨人は神に歯向かい滅ぼされた種族だ。
いくら数多の様々な神々が存在するかと言って、神に歯向かった巨人族をその御使いにするような神はいない。
人間が敵兵を捕らえて懐柔するのとはわけが違う。神は絶対的な存在なのだから、その敵をどのような形であれ許すようなことはないはずだ。
もちろん、ただ単に巨人族の名を騙っているだけの可能性はある。恐らく相手は自由意志を持った悪魔の御使いなのだから。
ついでにだが、ダーウィック教授の聞き返した問いは完全に無視された。
「ロロカカ神のことで知っていることがあれば言え」
殺気にも似た圧をかけられダーウィック教授も、ため息をつく。
そして、とくに隠し立てするようなことでもないし、彼女が珍しく欲望に忠実であることに歓喜を覚えたので、正直に話す。
「私は何も知りません。フーベルト教授の方が知っているのではないでしょうか」
そう答えると、急に発せられていた圧が消える。
「おまえ…… あの子の担任だろ?」
その代わりに少し呆れられたような言葉をかけられる。
が、それはダーウィック教授からすればお門違いだ。
「選任ではありますが、担任ではないです。ここは魔術の教習所であり研究施設です。学校ではありませんので」
すぐ後ろ、窓硝子を挟んですぐ後ろで、大きな、とても大きなため息をつかれる。
「何も知らんのか?」
「残念ながら」
「そうか、邪魔をしたな」
窓を覆っていた影が消えて、その強大な気配も消える。
この場から去ったようだ。
「ふむ、巨人の名を持つ御使いですか…… いやはや、本当に面白いですねぇ」
そう言ってダーウィック教授は珍しく笑顔を、それはとても気味の悪い笑顔だったが、それを見せた。
昨晩、寮に来た不審者を騎士隊に引き渡して、なんだかんだ手続きしていたら朝になっていた。
さらに言うならばこれから山に入って薬草を摘んでいる時間はない。普段ミアが起きている時間よりすでにかなり遅い。が、午前の講義が始まるまではかなり時間がある。
そんなわけでミアとスティフィは眠い目をこすりながらも、朝食を取るために食堂へと来ていた。
普段ミアが朝利用している時間よりもかなり遅いせいか、既に食堂はにぎわっている。
「今日ぐらい午前の講義休んでもいいんじゃない? 襲撃されたわけだし、ほとんど寝てないんだし」
ここ数日まともに寝ていないスティフィは少し不貞腐れながらそう言うが、たとえそれでミアが休息を取ったからと言って、現在ミアの護衛にもついているスティフィが休まることはない。
それでも講義を受けて、その上で護衛するよりは幾分かマシではある。
スティフィの難儀なところは自分の興味ない講義でもミアがその抗議を受けるなら受けなければならず、その上でミアとなるべく一緒にいるために、その講義の試験も受からないといけないことだ。
試験に受からなければ新しい講義を受けることはできないのだから。
しかも、恐らくミアの実力的にどの試験でも一回で合格する。
ということは必然的にスティフィもその試験を一回で受からないといけない。それがスティフィが敬愛するダーウィック大神官からの命なのだ。
そのため、スティフィも講義を真面目に受けなければならない。不真面目に講義を受けて試験に合格できるほど魔術学院というところは甘くはない。
ただ同じ講義は何度も受けられ、尚且つ講義を受けさえすれば試験も何度でも受けられるのも魔術学院ではある。が、スティフィにとってはそれはないのと同じだ。
「ちょっと前までもっと寝てなかったんですよ。荷物持ち君を作っていた時に比べればこれくらいどうってことはないですよ」
ミアは笑顔を作ってそう言うが、スティフィがそれなりに疲労していることには気づいていない。
とはいえ、ミアもその信奉する神に言い使ってこの魔術学院で魔術を学びに来ているのだから、友人が疲れているからと言って合わせて講義を休むようなことは元よりしない。
「それはそうだけど、はぁ、あんたといると神経すり減るわ…… 今日がダーウィック大神官様の講義でなかったことに感謝しなくちゃ。で、今日の講義はなんだっけ?」
ダーウィック教授は人を畏怖させる気ともいうものを纏っている。
それは暗黒神から魔力を借りたときの残滓ともいえるようなものが定着したと言われている。その気にあてられれば平常心でいられるものの方が少ない位だ。ダーウィック教授が魔人とも言われているゆえんでもある。
その人間が教鞭をとる講義はダーウィック教授の付近一帯は空席となる。これは本人も承知している事なので特に何も言わない。むしろダーウィック教授の近くで講義を受けるとその気にあてられまともに講義を受けることは困難を極める。
ミアがなぜ平気かというと、恐らくではあるが幼い頃より神、恐らくはその化身、が身近にいたために神の気とも言うべきものに慣れているせいではないかと教授たちの間では考えられている。
そうでないスティフィは針の筵の中で講義を受けているようなもので、その消耗は著しい。
しかも、スティフィの気合的にも万全の態勢で受けたい講義でもある。とてもじゃないが現在の状態で講義を受けきれるものではない。
ダーウィック教授の講義がないだけでもスティフィの疲労度という観点からだけみればだが、助かる話だった。
「午前が精霊魔術で、午後は空きです。夕方からの講義は使魔魔術ですね」
「午後が空いているだけまだましか」
そう言って香油で味付けされたサァーナを一口食べる。
豚の脂と魚介の出汁、香草の爽やかな味わい、ちょっとピリ辛の香辛料が口の中で調和して素晴らしい味わいを醸し出している。
朝から香油パスタは少々重いかと思ったが、疲労している肉体にはちょうどいい刺激になる。
スティフィがほんの一時の休息を謳歌していると、ミアがそれをぶち壊す一言を発する。
「そのうち、サリー教授の講義も色々受けたいです」
ミアのその言葉を受けて、スティフィは手に持っていた突き匙を静かに皿の上に置いた。
「魔術具作成? それとも自然魔術?」
両方ともスティフィの専門外だ。まだ魔術具作成の方はいくつか任務で携わったことがあるのでましかもしれないが、自然魔術の方は元より少数派の魔術で、完全に初見といっていいものだ。
また自然魔術は他の魔術とだいぶ毛色の違う魔術であり、単純な学問としても難しい分野でもある。
それを考えただけでますますスティフィの気は重くなる。
「もちろん両方ですよ。ああ、せっかく御使い様の名前を教えて頂けたので使徒魔術の講義も早く受けたいですね。次に受けられる講義はいつでしたか……」
危険な狩り手と呼ばれる暗殺部隊を引退し、敬愛する大神官の元で、余生という歳ではないが、少なくともしばらくはのんびりと過ごす予定だったのが、どうもそう言う訳にはいかないらしい。
とはいえ、ミアのおかげでスティフィは敬愛する大神官に認知してもらい、直属の部下になれたようなものだ。
ミアがいなかったら、元狩り手とはいえ、ダーウィック教授にとってスティフィは一信者に過ぎなかった。その点はミアに感謝してもしきれないところはある。
「ほんと真面目ね、もう少しお気楽に行こうよ」
と、本心からスティフィは言うが、ミアはその言葉に反応し、スティフィに眼差しを向ける。
「私はロロカカ様の命でこの学院に学びに来ているんですよ。さぼることなどできませんよ」
ミアは世間話をしているように言ってはいるが、その言葉には強い意志を感じ取ることができる。
「さぼるんじゃなくて、休むことも重要なんだよ?」
「大丈夫です、私はまだまだ平気です」
ミアはそう言って力こぶを作って見せる。
相変わらず痩身であるのにどこに底なしの体力が隠れているのだろうか。泥人形作りの時にその底知れない体力にはスティフィも驚愕している。
しかも今ミアが食べている物は相も変わらず具なしのサァーナだ。小麦粉を植物油で練ってお湯で茹でただけの物だ。
それだけに栄養が足りているとも思えない。
「よく素のサァーナだけでそれだけ頑張れるわね」
スティフィがそう言うとミアも食事の手を止める。
少しだけ考えてから、
「たしかに。一度美味しいものを味わってしまうと、少し物足りなくはありますね」
そう言ってミアはスティフィが食べている香油サァーナを物欲しげに見つめた。
実際のところ朝から香油とはいえ獣油も使われているこのサァーナは胃に重いことは確かだ。
なので、分け与えてやっても良いのだが、スティフィは自分のサァーナが盛られている皿をミアの視線からなんとなく外した。
それだけでミアは項垂れた。
それを見るだけでスティフィの心がなにか爽やかに晴れ渡る、気がした。
「今からでも少しくらいパンの売り上げ貰うようにしてもらったら?」
スティフィがそう言うと、
「いいえ、そこはしっかりと区別しないとだめですよ」
と、ミアが即座に返した。
以前その理由を聞くと、なんとなくそうしたかった、そのようなことをミアが言っていたことをスティフィは思い出す。
だが、スティフィ、いや、デミアス教にとって、そのなんとなく、は重要なことだ。
デミアス教ではそれを、理由なき欲望、と呼び、もっとも直感的で純粋で尊ぶ欲望の一つとしている。
人は何かに理由を求めがちではあるが、欲望に理由などいらない。
望むからこそ、それが理由になるのだ。
「でも、忙しくて水薬も作れてないんでしょう?」
最近何かとミアは忙しくて落ち着いて水薬作成もできていない。
この間も荷物持ち君の性能の視察を兼ねて薬草採取に行ったが、その時もごたごたに巻き込まれて薬草は採取できたものの下準備だけして、現在もその薬草たちは干されている状況だ。
薬草の種類によってはもう効能が失われるなり変わっている物もある。
「うっ…… 一昨日と昨日。きょ、今日もですね…… 作れてないだけで……」
ミアはそう言いつつも狼狽えている。
魔力の水薬を作れていないのは事実だ。そして、それはミアの収入がないことでもある。
神与知識で得られた正式な権利で収入がミアにはあるのだが、それを全て破壊神の社を作る費用にと学院に寄付してしまっている。
今は貯えを使ってどうにかしているが、それもいつまでもあるものではない。
「一昨日取ってきた薬草も下処理だけして水薬自体は作れてないじゃない? そうやって頑張ってると、そのうち水薬作っている暇もなくなるわよ。ってか、実際にもう作れなくなってきてるんだし。やっぱり不労所得、あった方がいいんじゃないの?」
スティフィは悪魔のような笑みを浮かべミアをそう誘惑する。
理由なき欲望は、確かにデミアス教徒にとって尊ぶべき欲望だが、それは本人にとって、の話だ。
他人のスティフィからすると、それこそどうでもいい話なのだ。強き者の、そして、自分の欲望を優先してこそのデミアス教徒なのだ。
「そ、そうかもしれませんが、パンの売り上げを貰うのはなんかダメなんです! って、そう言えば今日はパン売られてないですね。グランラさんも居ませんし」
その言葉を聞いて、スティフィは一瞬黙り込む。
言うべきかどうか迷う所ではあるが、いずれバレる話だ。ならば、早い方が良い、と判断する。
「そりゃそうでしょうねぇ」
と、スティフィはわざと意味深な仕草をしつつそう言うと、
「スティフィ、何か知っているんですか?」
と、ミアは乗ってきた。
こういうところは扱いやすくわかりやすいのに、肝心のところでミアは摩訶不思議でとても頑固だ、とスティフィは思うが、スティフィもミアのそう言うところは実は嫌いではない。
何か一本筋が通っている気がするからだと、スティフィは勝手に思っている。
そして、一呼吸してから、ミアに一つなぞなぞとも言えないような質問を投げかける。
「昨晩、ミアを襲った男の名前は、ナゴーロ・フィルロック。で、この食堂で働いているおばちゃんの苗字、ミアは知っている?」
それは質問というよりも答えを言っているようなものだ。
ミアの顔が途端に青くなる。
「え? う、嘘ですよね?」
「嘘じゃないわよ。グランラ・フィルロック。それがあのおばちゃんの本名で、今頃は騎士隊に事情聴取されているか、息子の看病をしているか、それともデミアス教に呼び出されているか、そのいずれかじゃないかしらね?」
実際どうしているか、スティフィのところにもまだ情報は来ていない。
が、今食堂に居ないと言うことは、既に何らかのことは起きているという事なのだろう。
「な、なんで? し、知ってたんですか?」
「もちろん知ってたわよ」
ミアがどう出るか予想できないスティフィは少し緊張しつつもそれを表情には出さず、余裕をもっているようにそう答える。
「何で教えてくれなかったんですか!」
ミアは結構怒っているように感じる。
それはそうだ、とスティフィはそう思う。
スティフィが得ている情報では、スティフィが無理やり親友になるまで、祟り神の巫女と目されていたミアにこの学院で親身になって接していたのは、未知の神に興味があるフーベルト教授とこの食堂で働くグランラくらいのものだった。
遠く離れた不慣れな地で邪険に扱われている中、親切にされることでどれだけ救われることになるのか。そのことくらいスティフィでも容易に想像できる。
「私が何か言う前に帽子かぶせちゃったじゃない」
だからこそ、スティフィは茶化すようにそう言った。
そう言うとミアは少し困った顔をする。
「それは…… そうですが」
そうして言いよどむ。
「それにあの男が食堂のおばちゃんのドラ息子ってわかっていたら、ミア、あなたはどうしてたの?」
少なくともミアの帽子を被せはしなかっただろう。
ミアの帽子はロロカカ神の御使いが宿る神器ともいえる帽子で、巫女であるミア以外が被ると、酷い状態で七日間も寝込むという祟りを受ける。
言い換えればそれは帽子を相手に被せるだけで、七日間相手を完全に行動不能にできる恐ろしい呪具でもある。
ナゴーロ・フィルロックを七日間もの間、行動不能にできたことは、スティフィひいてはデミアス教にとっても都合のいいことだ。
止める通りはもとよりない。
「そ、それは…… わからないです……」
ミアはそう言ってうつむいた。
悔やんでいるのか、悩んでいるのか、その両方か、スティフィにはわからない。
これがロロカカ神の命であるならば、ミアは一遍も悩みも悔やみもしないのだろうが、あの不審者に帽子を被せたのはミアの意志だ。
「まあ、そのドラ息子にあなたの情報を教えたのは、グランラ本人だろうけどね」
「そ、そんなわけ…… グランラさんはいい人で…… 私にパンをくれて…… 優しくしてくれて……」
と、ミアは反論するが、その声は細く弱い。
「その辺はグランラが信仰している神の教えでしょう?」
大地の女神の一柱で豊穣を司る神だ。そして、飢えている者がいれば敵でも味方でも食料を分け与えろ、という教義をしている宗教だ。
そう言う教えだからこそ、祟り神の巫女と目されているミアにも優しく接し、食べ物を分け与えていたのだろう。
「そ、それでも…… まってください。デミアス教に呼び出されるって何ですか?」
急にミアがその言葉に気づいたように聞き返してきた。
恐らくは自分の中で何度か反芻してやっと気が付いたのだろう。
「さあ? ダーウィック大神官様次第だとは思うけれども…… ただ警告した上で襲われたわけだから、タダじゃ済まさないんじゃないかしら? まあ、見せしめに、ってことは十分あり得るわね」
と、スティフィは答える。グランラがどうなるか。スティフィ自身わからない。
ただデミアス教の基準から言うと、親子ともども制裁が加えられる可能性は非常に高いし、見せしめに、という話もあながち嘘という事でもない。
「と、止められないんですか?」
と、ミアは青ざめた顔を見せながらスティフィをまっすぐに見つめる。
「あなたの情報を売った親子よ?」
そう答えつつも、スティフィは視線を外す。
残念ながら自分は命令される立場で、命令できる側の人間ではないことを理解している。
ミアから何を言われてもスティフィにできることは何もないのだ。
「それでも私は恩を受けました。午前の講義は休みます」
「あら、珍しい」
と言いうつつ、何か嫌なものをスティフィは感じ取っていた。
次の瞬間、それは現実のものとなる。
「ダーウィック教授に会いに行きます」
「え? それ本気……?」
と、少しスティフィは頬けながら聞き返すと、
「本気です!!」
と、ミアは力強く答えた。
「と、言う訳でミアが面会を求めています」
スティフィは跪き、いつも通りダーウィック大神官の足元を見ながら報告をした。
冷や汗が出る。
ミアがいくらダーウィック大神官のお気に入りだからって、意見を言う所か、対立しに来ているようなものだ。
付き合いはまだ短いがスティフィ自身ミアに情を感じ、少なからず本当に友人だと思っている。
それが、今、ダーウィック大神官の返答次第ですべてが終わる可能性だってある。
「そうですか、良い機会です。会いましょう」
その返答は穏やかなものだった。
そのことにスティフィは一先ず安心する。
「はい、では連れてまいります」
「いえ、私が出向きます。今は礼拝堂にいるのですよね?」
その言葉はスティフィにとって驚きだった。
デミアス教の大神官とも言うべき方が、訪ねてきた相手に出向くなど本来あることではない。
スティフィが思っている以上に、ダーウィック大神官はミアのことを気に入っているのかもしれない。
「え? は、はい、ミアは礼拝堂にいますが…… ダーウィック大神官様、自ら出向くのですか?」
その言葉に若干信じられなかったか、スティフィは普段では考えれないが、聞き返してしまう。
「皆もいるのでしょう? なら皆にもあの娘の我の強さというものを見てもらいましょう。あの娘は逸材です」
そう言ってダーウィック大神官は、最近何かと表情を見せることが多くなったためか、笑みを浮かべた。
スティフィは直接その笑みを見たわけではないが、その発せられる気から感じとれてしまう。
そして、スティフィは確信する。ミアはデミアス教の大神官になるべくして生まれてきた人間なのだと。
この方がそこまで思っているならば、それは近い将来現実になることなのだと。
「講義以外で会うのは久しぶりな気がしますが、実際のところそうでもないですね」
大きな異形とも言えなくはない黒く塗りつぶされた神像が飾られた礼拝堂。
神像の前にダーウィック教授が立ち、その傍らにスティフィが跪き、対面にミアが立っている。
室内には長椅子がいくつも置かれていて、そこに黒い衣を頭から深く着た者達が幾人も座っている。
その視線の先はミアに向けられているが、礼拝堂自体が黒く塗られ窓もなく、光源も数本の蝋燭であるため視界も悪く、何人の視線がミアに向けられているのかもわからない。
そんな異様な空間の中、ミアはダーウィック教授と対峙している。
「講義を除くとジュダ神の件で呼ばれたときでしょうか?」
ミアは素直に答える。
この礼拝堂の異様な雰囲気に微塵も臆する様子はない。
「そうですねぇ。で、今日はいかようで、わざわざ私を訪ねてきたのですか?」
ダーウィック教授が講義の時とは違い、圧をかけるように、それでいて口調は講義の時と変わらないのにもかかわらず、ただただ高圧的に声をかける。
が、ミアはそれを正面から受けてなお平然としている。それだけで幾人かのデミアス教信者は感嘆の感情を露わにしている。
それほどダーウィック教授と対峙することは常人には困難なことなのだ。
「グランラさん…… フィルロックさん親子のことです」
ミアがそう告げると、ダーウィック教授はわざとらしく目を大きく見開いた。
「あなたを売っただけでなく、襲った実行犯ですねぇ。騎士隊からの報告で本人からも供述が取れたとの連絡も受けていますよ」
そう真実を告げる。
「情報が早いんですね」
とミアは心底感心する。
騎士隊に不審者を受け渡してから、まだそれほど時間が立っていない。
「騎士隊にもデミアス教の信者はいます」
と、ダーウィック教授は端的に答える。
「そう…… ですか…… ダーウィック教授はグランラさん、いえ、フィルロックさんをどうするおつもりですか? 騎士隊が与える罰以上のことをお考えですか?」
ミアはダーウィック教授の目をじっと見つめる。
ダーウィック教授とこれほど視線が合うのは珍しいことだ。
普通の人間であればその視線は畏怖の対象だけでしかなく、彼の妻はまた別の意味で中々目を合わせてくれはしない。
「ふむ…… あなたが…… より強い罰を…… 望むのであれば…… それを手助けすることは…… できます」
ダーウィック教授はミアに顔を近づけ、より強い圧でもかけるように、一言一言区切り、言葉に力を込め、ゆっくりとかみしめるようにそう言った。
この異様な空間で暗黒神の魔力の残滓を纏う者にそう言われもすれば、常人であれば泡を吹いて気絶しかねないほどの重圧だ。
実際に、ダーウィック教授の傍らで跪いているスティフィですら、その気にあてられ呼吸が深くなってきてる。
「わ、私はその逆を望みます……」
「そうですか。あなたを貶めようとした人達ですよ? それを助けようと、言うのですか?」
「はい」
と、ミアは毎朝食堂でしてもらっていた、それは些細なことなのかもしれないが、その恩を思い返しながら強い意志を持ってそう言った。
「我々は彼らに事前に警告をしています。それを破り、私が目をかけているあなたを、襲ったのは彼らだ。これはあなたを、守るためにしていたことですよ? そこのスティフィも付きっ切りであなたを護衛しています」
「は、はい」
確かにスティフィは自分を守るために付きっ切りでいてくれていることをミアは知っている。
恐らく他のここにいる信者たちも裏で自分のために動いてくれていたのだろう。そう思うと気が引けなくはない。
「その我々に、あなたは、何もするな、とでもいうつもりですか?」
「はい」
と、強い意志を持って視線をダーウィック教授から外さずに答える。
そう答えると、より強い圧がダーウィック教授からかけられる。
それは目に見えぬ魔力でミアを押しつぶそうとするほど強烈な圧だ。
「いささか、それは強欲ではないですか? デミアス教では力ある者の声が優先されます。あなたはそこまで私に言える程の力を有しているのですか?」
「はい、私はロロカカ様の巫女です!」
と、ミアは力を込めてはっきりとそう言った。
ミアはロロカカ神の名を言うことで自分を奮い立たせ、その神の威光を示そうとする。
「ロロカカなる神性を私は知りません。その神性がどのような物であったとしても、ここでは意味をなしません」
断言するようにダーウィック教授は言うが、逆にそう言われたからこそ、ミアは心の奥底よりより強い意志の力を漲らせることができる。
それはダーウィック教授の圧を完全に押し返すほど強烈な意志の強さだ。
「いいえ、私が本当に神と思っているのはロロカカ様だけです。そして、その巫女である私は、言ってしまえば唯一の神の巫女です」
その言葉に場が騒ぎ出す。
当たり前だ。目の前の小娘は偉大なる暗黒神ですら神と認めてはいないのだから。
その信者たるデミアス教徒達が騒ぎ出すのは当たり前のことだ。
今ここで何も起きていないのは、ダーウィック教授が何もしていないからに過ぎない。
もしこの場にダーウィック教授がいなければ、ミアはこの場にいるデミアス教信者たちに嬲り殺されてもおかしくはない。
「それは、私が、信奉している神を、愚弄してるのですか?」
かすかな怒気を孕んだダーウィック教授の強烈な圧が再びミアを襲う。
けれど、ミアにはその圧さえも届かない。
「いいえ、違います。私の中ではそうだと言うだけです。真実とは異なるかもしれません。ですが、私の中では真実で絶対的なことなのです」
ミアはそうはっきりと言った。
ミアの心の奥底から湧き出る信仰心が、強い意志が、ロロカカ神への感謝が、ダーウィック教授の人ならざる圧を防ぎきっている。
一介の生徒、いや、一角の魔術師にでもできる芸当ではない。
「そうですか。確かにあなたの神は、その辺の神々などより、高い神性を持っているようですが、我らが神、暗黒神ルガンデウスに比べてしまえばそれは塵にも等しいのですよ?」
ダーウィック教授もわざとミアの力を示すためにやっていることではあるのだが、ロロカカ神を軽んじられたためミアの心に灯がともる。
それは激しく燃え盛る狂気よりもより激しい信仰心の猛火だ。
「確かにダーウィック教授の中ではそうかもしれません。でも、私は、私の中ではそれは違います」
そう視線を外さずまっすぐな目でミアはそう告げた。その瞳には全てを焼き尽くさんとする狂気の炎が燃え盛っている。
心の底からそう思っているのだろう。そしてその信念はミア自身をどんなに痛めつけても変わることはない。
問答を続けるだけ時間の無駄だと、ダーウィック教授は理解した。
それに、周りの信者たちもミアの有望性を存分に理解していることだろう。
ここまで自分と問答を続けられるような人物は魔術学院の教授でもそう多くはいない。それほどのことを生徒である身分でミアはしているのだ。
それが今後成長していけばどのような人物になるのか、ダーウィック教授自身その目で確かめたいし、その時、同じ暗黒神を崇拝していて欲しいと思っている。
なので、攻め方を変える。ダーウィック教授からすれば、フィルロック親子の処遇など些細なことでどうでもいいことだ。
ならば、それを利用してミアをより暗黒神の僕へと塗り替えることに切り替える。
「そうですか、そうですか。そういえば、私はまだミア君がロロカカ神に生贄を送る儀式をまだ見たことことがなかったですねぇ」
「は、はい……」
急にダーウィック教授からの圧が消えたことでミアは逆に戸惑いを隠せない。
「では、その儀式を見せて頂ければ、ミア君の要望を聞き入れましょう」
「え? いいんですか?」
と、ミアは純粋に喜んでしまう。
ダーウィック教授が何を企んでいるかなどまるで気づいていない。
「はい、それで構いません。スティフィ・マイヤー」
「はい」
スティフィは顔を伏せ跪いたまま呼びかけに応じる。が、その顔は蒼白そのものだった。
今の流れで名を呼ばれる意味をスティフィは理解できている。そして、自分にそれを断ることなどできやしないことも理解できている。
「いえ、あなたはまだ役割がありますねぇ。ラウド・ダッハ」
そう言葉が続いたことで、表情には出さないが、スティフィは安堵する。安堵の息をつきたくなるのを必死に我慢する。
「はっ、ここに!」
と、黒色の頭巾を深くかぶっている信徒が名を呼ばれ、長椅子から立ち上がる。
頭巾を深くかぶっているのでその表情はまるで分らないが、その返事の声からは動揺は微塵も感じ取れない。
「あなたが生贄になりなさい。他の神への生贄でもうしわけないですが」
ダーウィック教授はまるでお使いごとを頼むのかのように軽い口調でそう言った。
「はっ…… はい!!」
一瞬何を言われたのかわからなかったのか、その信者は腑抜けた声を上げたが、すぐに言葉の意味を理解して返事を返した。
少しの間だけ体を震わせていたが、すぐにそれを落ち着けて覚悟を決めるように祈りにもにた動作をする。
「え? 何を言って……」
逆に予想外のことでミアに動揺が走る。
そもそもロロカカ神への生贄はロロカカ神の領域で狩りをさせて頂いたことに対する感謝と狩った獲物をロロカカ神の御許に送り返す事から派生したものだとミアは教えられた。
あくまでそれは派生した、というだけで必ずしもそう言う意味だけではない、現にミアはロロカカ神の感謝の気持ちを伝えるだけのために生贄やら献上品を捧げている。
が、そのために生きた人間を捧げるという事は今まで体験したこともない話だ。
「良いではないですか、あなたの知らない他人の命で、恩人を助けることができるのですよ? なんならスティフィ・マイヤーでも構いません。ミア君のご友人は別の者を用意いたしましょう」
そう優しくダーウィック教授は語り掛けてくる。
「何を言って……」
スティフィを生贄に捧げろ、そうダーウィック教授は言っているのだ。
ミアは取り乱し、心の奥底で燃え盛っていた信仰心に陰りが見え始める。
「どうしましたか?」
それを見抜いたダーウィック教授は再び声をかける。
「人を捧げろと言っているんですか?」
「そうです。しかもです。あなたの神に捧げ物を提供までするのです。それでミア君の願いが叶います。ミア君にとって都合の良いことばかりではないですか?」
そうダーウィック教授は真顔で言ってくる。
ここでミアは平静を取り戻し、
「た、たしかに……」
と、ここでミアの表情が一転する。今まで困った表情をしていたが、それはもう消えている。
一言でも生贄と言っても様々な意味がある。
ミアが行っている生贄は、狩った獲物の魂をロロカカ神の元に送りロロカカ神に感謝を伝えるためのものだ。
ミアは今まで人を、人間を生贄にしたことはなかったが、ロロカカ神に送った魂はロロカカ神と共にあるはずだ、少なくともミアはそう考えている。
ならば、それは生贄にされる人間にとってとても幸福なのでは、いや、幸福なことに違いない、とミアはそう瞬時にそう理解する。
なぜならばミアにとってロロカカ神は、とても慈悲深い神であるのだから。
そのロロカカ神の元に魂が送られていくのは、その人にとってもとても幸福で名誉なことなのだと。
「では、よろしいですね? スティフィ・マイヤー、ラウド・ダッハ。どちらを捧げますか? 両名ともでも構いませんよ?」
ミアの表情が完全に変わったことにダーウィック教授は満足する。
強者が弱者を自由にする。それもデミアス教では当たり前のことだ。
今日のことはただの切っ掛けに過ぎない。ミアの狂信的な信仰心を塗り替えていく、ただの切っ掛けに。
「人を、人間を捧げたことは今までありませんでした」
今までは思いもつかなかったと、いや、あえて考えてこなかったと、そういう表情をミアは見せる。
だけれども、ロロカカ神の元ならばどんな人間だろうと、その魂は安らぎ安寧の時を過ごす、ミアはそう確信していいる。
ならば、友だと思うからこそ、その魂を救済してあげなければならないのではないか、とも。
「人も獣も一つの命という事には変わりはありませんよ?」
ダーウィック教授がそう告げる。
確かにそうだ、とミアも同意する、が、今この場にいるのは別の神を崇めている者達だ。
「スティフィとラウド…… さん? はそれで良いんですか?」
と、二人を交互に見ながらミアは聞いた。
が、スティフィは顔を伏せていて目線すら合わせてくれずにいる。
少しの間があって、
「ダーウィック大神官様の命とあらばこの命、惜しくはないです」
と、スティフィが仰々しく答え、
「我も同じく」
と、もう一人の信者も同意した。
二人とももう覚悟はできているようだ。
その言葉に嘘偽りがないと、ミア自身もそう感じられた。
「あなた方の信じている神ではなく、他の神に捧げられるのですよ? とはいえロロカカ様は大変優しい神様なので捧げられた後、その魂の安寧は私が保障します」
ミアのその問いに、スティフィは顔を伏せながら、少し顔を引きつらせていたが、無言で、ある意味、諦めたように顔を伏せたまま頷いた。
そして全く関係のないデミアス教の一信者であるラウドも、数瞬の間、瞑想するように目を閉じた後、その目を開きゆっくりと頷いた。
「そうですか。自分が信奉している神でない他の神に捧げられるのでも本人が了承しているのであれば…… 人を、しかも二人も捧げるのは、初めてですが私もやり遂げます。スティフィ、ロロカカ様の元で待っていてください。私もいつか死んだらロロカカ様の元へと向かいます。そこでまた会いましょう。できればまた友達になってください」
そう言われたスティフィは、よく真顔で言えるわね、と顔を伏せているので見てはいないが、容易にそれは想像でき、内心呆れはてミアなら本心からそう思っているのだろうと観念していた、ただそれをダーウィック大神官の手前、表情にも出せずにいる。
そして、スティフィは心の中で、ミアではなく自分が今日ここで、しかもミアの手によってその生涯を終わらせられることになるとは思いもしなかったと、思いながらやはり顔を引きつらせていた。
誤字脱字は山のようにあるかと思います。
指摘して頂ければ幸いです。
少なくとも私は助かります。
ほんとうはもっと邪教邪教した部分を入れる予定でしたけど、だいぶカットして再開です。
でもこれだとダーウィック教授よりミアの異常性が際立っただけなのではと思っていたりしますが、まあ、異常なのは異常なので……
ついでにスティフィが大神官に様付けするのは間違いですが、スティフィがその欲望に従い好きで言っている事なので、デミアス教の方々はそれをわかっていて特に注意したりはしません。
ミアにいたってはそれが間違いという事に気づいていない、というか、知識としてそれが間違っていることを知りません。
教授に様を付けないことは、ミアの前でダーウィック教授が言っていたのでそれは知識として知ってはいます。
まあ、本当にどうでもいいことです。
次回、スティフィ死す!?
次の更新もおそらくこっちです。




