金と欲望と私 その2
ミアとスティフィは裏山の登山道をゆっくりと歩いていた。
特に目的もなく泥人形、荷物持ち君一号の試運転がてらの散歩のようなものだ。
スティフィは山へ行くからかだろうかはわからないが、暑くなってからは普通の薄着の服だったのに、今はなぜかデミアス教の法衣を着ている。
体の線が出る黒い服で、そこはかとなく官能的な魅力があるのだけれども、ここは山の中でミアからみると動きにくそうだし、何よりも暑そうだ。
「その服、スティフィの宗教の服ですよね? ダーウィック教授も着ている服ですよね? こんな山の中に着ていく服じゃないですよね? 私が言うのも何なんですが暑くないんですか?」
ミアが息継ぎもせずに立て続けに質問を投げつけると、スティフィは心底嫌そうな顔を見せた。
「暑いわよ。でもこの法衣を着ていくことには、ちゃんとした理由があるの。だから、気にしないで」
隠しもしないで嫌そうな顔をしながらそう答えた。
だが、ミアの質問にまともに答えるつもりはないらしい。
「でも、凄い汗かいてますよ?」
「き、気にしないで」
そう言いつつも、スティフィの頬を汗が垂れていった。
高そうな法衣だけにミアは汗染みにならないか、と気になって仕方がない。
とはいえ、黒い法衣なので目立つことはなさそうだが。
また法衣には妙な艶があり汗のそのものをはじいているようにも見える。何か特別な加工でも施されているのかもしれない。
ただ、スティフィはまともに取り合ってくれないので話題だけは変えた。
「むぅ、にしても荷物持ち君に籠を背負わすのは失敗でしたね……」
荷物持ち君は両手と両足を使って歩くが、立ち止まると前傾姿勢になる。
そんな荷物持ち君に籠を背負わせても、籠の中身が歩くごとに前方に飛んでいくだけだった。
籠をこのまま使うなら蓋か何かなければ、籠に何かを入れて持ち運ぶのは不可能だし、たとえ蓋を付けても壊れやすいものなら間違いなく壊れてしまうだろう。
スティフィは前方を両手足を使い器用に歩く泥人形に目線をやる。
どこか獣じみた歩き方だが、それだけに大きく揺れることをに目を瞑れば、安定して歩いているようにも見える。
さすがは使魔魔術の教授が作った制御術式が元になった使い魔だ。
「台車は無理か、引き車…… いや、荷車かな。用意したほうがいいんじゃないの?」
泥人形の肩辺りに荷車用の装具でもつければ、問題なく荷車を引いてくれるだろう。
ただ、歩き方が歩き方だけに、荷車の方は酷く揺れることにはなるだろうけども、籠よりはまともに荷物を運べるかもしれない。
「ですね。力は強いみたいですしそれが良さそうですね。獣道を難なく進めるような物を探すか作るかしないと……」
ミアがそう同意してはいるが、スティフィは獣道は無理というか、そんな道を通ったならば荷車でも背負わせた籠の二の舞になるだけじゃないかと、思ったが口には出さなかった。
それどころか、
「どうせなら、ミア自身が乗れるようなのを用意すれば楽なんじゃない?」
と、からかうつもりで言ってみた。
あんな歩き方をする使い魔に荷車を引かせ、それに乗りでもしたら間違いなく振り落とされるだけだ。
「あっ、それはいいですね。あんまり山向きじゃない気がしますけど」
スティフィは冗談のつもりだったが、ミアは乗り気のようだ。
荷車だけに。だけに……
「これくらいの道なら平気でしょう?」
この登山道は割と平坦で歩きやすい。
丁寧に砂利まで引かれている。
この道であれば、多少上下に揺れはするだろうが、あの泥人形に荷馬車を引かせその荷馬車に乗ることもできそうではある。
それでも気を抜けば振り落とされるくらいは揺れるだろうとスティフィには想像できる。
「ああ、ここは学院が用意してくれている登山道なので。私が普段行くのは主に獣道ですね。あと急こう配の場所や崖なんかも結構ありますね。沢周辺でも多分きついんじゃないですかね」
そんなところを通ればまず間違いなく、人が乗れば振り落とされること間違いないし、なんなら積んでいる荷物もどこかへ飛んでいくことだろう。
「うわぁ…… なんか野生児みたいね」
スティフィは思ったことを素直に口にした。
「ロロカカ様は山の…… 神様じゃないかもしれないですが、山におられる神様ですからね。私も山には慣れているんですよ」
ミアはフーベルト教授にロロカカ様のことを話し合っていくうちに、ロロカカ様は山の女神ではないかもしれないと、思い直すようになっていた。
ただミアの信仰心が曇ったわけではない。
もしロロカカ様が山の神ではなかったのなら、勝手に山の神と決めつけて崇めるほうが失礼ではないのか、と、そう考えるようになっただけだ。
確かにリッケルト村では山の女神という事になってはいるが、ロロカカ様自体がそう名乗ったことは一度もない。
ロロカカ様はバルティノアス山脈周辺の山に住んでいる神ではある。だからと言って山の神と断定して良いものでもない。
魔術学院の知識をもってしても、ロロカカ神は謎が多く、他の神に尋ねてもロロカカ神について返答が返ってくることはほぼない。
唯一返答が返ってきたのが、博識の神で、大変危険な神の故注意されたし、という神託を得たくらいだ。
それだけに、祟り神ではないのかもしれないが、危険な神なのだけは間違いがない。
「その割には猪に殺されかけたじゃん?」
「うぅ…… そうなんですよ。正直舐めてました。私が山に入るときは熟練の猟師さんと一緒でしたからね…… 彼らがあっさり熊とか虎まで狩るものだから、私でも猪くらいと侮っていたんです」
ミアはそう言って目を伏せた。
自分の不甲斐なさに恥じているのだろうが、かなり遠いところから満足な路銀もなく一人旅でこの魔術学院にたどり着けただけでも凄いことだ。
路銀がつきて、いや、置き引きに会って以来ミアは人里を避け、野山を歩いてどうにかこの魔術学院にたどり着いたのだという。
それこそ神のご加護でもない限り無事にたどり着けることもなかっただろうし、ミアが野山に慣れていると言うこと自体は本当のことなのだろう。
ただ野生の獣を侮っていただけでだ。
「熊やら虎を狩る猟師ってのも凄いわね」
野生の獣は手ごわい。中途半端な戦闘訓練を積んだ人間などよりよほど手ごわい。
それが大型の肉食獣ともなれば、なおのことだ。
それらをあっさり狩る猟師ともなるとその腕は熟練どころの話ではない。
「そうですよ、しかも魔術もなしにですよ」
「そ、それは本当に凄いわね」
魔術もなしで人が虎や熊を簡単に狩るなど、スティフィには想像できなかった。
デミアス教に引き取られて以来、ずっと戦闘訓練をしていた自分よりも手練れなのではと思えてしまうほどだ。
「そうなんですよ、だから私も勘違いしてました。山は危険です。この間のことは私にそれを再認識させてくれました。で、です!!」
ミアは新たな意気込みを込めた。
スティフィはそれがまた面倒ごとの話に思えてならない。
「ん?」
「私も使徒魔術を本格的に学ぼうと思うのですが、どんな魔術なのです?」
と、ミアは目を輝かせて聞いてきた。
ミアは知り合って数週間の間にも目まぐるしく変わってきている。
特に魔術という学問については、その学ぼうとする意欲がとても高い。
もちろんミアが信仰するロロカカ神に言われたというのも大きいのだろうが、ミア自身も楽しんで魔術を学んでいるように思える。
だからこそ、スティフィからは何も教えられないし、教えたくない。
「あー、うんー。私が教えられたのは邪道な使徒魔術だから、あんまり参考にはならないけど?」
スティフィが習った使徒魔術は魔術学院などで教える正規の物ではない。
邪道。デミアス教という邪教ならではの邪道な方法で身に着けた魔術だ。
スティフィ自身はそのことに対して別に気にしてないし、その結果として左腕を失っているが、それすらも今となっては良かったと考えている。
もし左腕を失わなかったら、彼女は今も人を殺す生業をし続けていたに違いない。
何より、彼女が敬愛するダーウィック大神官の元にやって来ることもできなかった。
ただミアが学ぶべきものではない、という事はスティフィにも理解できている。
「そうなんですか? 一般的なことだけでも教えてくれませんか? 私は学院に来るまで御使いという存在自体を理解できていなかったんですよ」
そう言われてスティフィも少し考える。
スティフィ自身どこからどこまでが一般的なことか、実はよくわかっていない。
ならば、当たり障りなさそうなことだけを聴かせてやればいい。それでミアも満足してくれるだろうと判断した。
「私が得意としているのは、使徒魔術の中でも悪魔と契約して行使する、俗にいうところの黒魔術ね。天使、というかその主の神と契約して行使するのが白魔術って言われてるわ」
魔術をかじったことのある人物なら知っている程度の話だ。
これなら当たり障りはない。
「ロロカカ様の御使いは、恐らく、魔術的な意味合いでは、悪魔なのですよね?」
「恐らく、というかほぼ確実にね。自由意志のない天使であれば、その御使いと話すこと自体が不可能だから」
ミアのこれまでの話を聞いて判断するならば、ミアの帽子に通じている御使いは間違いなく、魔術的には悪魔と言われるものだ。
このように言われるようになったのは、やはり従来の意味での天使や悪魔と言った物の存在が大きい。
魔術的な意味での天使は、自由意志を持たない本当の意味での神の操り人形である。
つまり本当に神の代弁者であり、神の意思そのものなのだ。
世間一般的な意味での天使とそう変わりない。
ただ悪魔の場合は多少話が違ってくる。自由意志を持つ御使い。確かにその性格は荒々しい者が多いが、武人のように礼儀正しく物静かな者も数多く存在する。
御使い本来の性格は、元になった炎のように猛々しいが、それ以上にその御使いを作った神の影響を受けるのだ。
正義の神なら正義の心を、悪の神ならその悪心を受け継ぐと言っていい。
ならどうしてか今のような、魔術的にとはいえそんな呼び方になったのか、と言われると悪名は伝わりやすい、という理由からだけである。
悪名や悪評が独り歩きしていった結果、世間一般で言うところの悪魔と魔術的な意味での悪魔は混じり合い、それが根付いてしまっているというだけの話だ。
「その辺は大体わかりました」
「後は、まあ、様々なのよね。その契約する悪魔なり神なりで契約内容もまた違ってくるの。ミアみたいに、今まで知られていない、というか、前例がない神や御使い相手だと、契約時何を要求されるか分からないから、それが怖いのよ」
特に悪魔と呼ばれる御使い達は、好戦的で狂暴な者が多いのは事実だ。
戦うために炎から作り出された種族なのだ。刹那的で衝動的であり、そしてなにより破壊的な性格をしている者が多いのも事実だ。
力を貸す代わりに何を要求されるか、それこそ分かったものではない。
「でもロロカカ様やその御使いの方でしたら何を要求されても私はそれにこたえるだけですよ」
「命とか要求されるかもよ?」
と、スティフィはいたずらっぽく、からかうように笑いながらそう言ったが、
「え? むしろ願ったりかなったりですよ!」
と、そう心底嬉しそうに答えが返ってきた。
ミアならそう答えると分かっていたことだが。
「ああ、うん、ミアならそう答えちゃうか。まあ、契約の代償に命なんてものは聞いたことないけどね」
よほど無謀な契約内容でも結ばない限り、その命を要求されるなんてことはない。
神に作られた御使い、悪神に作られた悪魔も含め、本来、人には友好的なのだから。
ここは神によりそう定められた世界なのだ。
「そうなんです? なんか、昔話だと悪魔とかは願いをかなえる代償に命を奪うって言う話をよく聞きますが」
「それはただの昔話で関係ない…… とも実は言い切れないのよね。私の左腕。これは使徒魔術に失敗してしまってこうなったのよ」
そう言ってスティフィはなんとなく自分の左腕を見た。
「え? そうなんですか? 使徒魔術って、やっぱり危険なんですか?」
少し驚いたようにミアが聞き返してきた。
「本来はこんなことにはならないわよ。だから、私が習ったのは邪道っていったでしょう?」
「ああ、そう言えば」
返事を聞いたミアは落ち着いて納得した表情を見せた。
「でも、まあ、こういうことも実際に起きるから、そう言った逸話や昔話もあながち嘘とも言い切れないのよね。場合により、左手だけじゃなくて、本当に命を持っていかれることも、実際ある話なんだから」
とはいえ、命を奪われるようなことをする者にはそれだけの理由がある。例え相手が悪神に仕えるような悪魔でもだ。
例えば、使徒魔術で人間側が払う対価は主に魔力を支払う事で魔術を行使するのだが、少ない魔力で大きな成果を求めたとする。すると、その差額分を契約側の悪魔なり天使なりが請求することがある。
その結果が、スティフィのように左腕を持っていかれたりするような結果となる。
それでも術者の肉体にまで被害が及ぶようなことは稀で、スティフィの場合は正に用いられた方法が邪道だったから、としか言えないことだ。
「そうなんですね。スティフィが契約しているのは暗黒神の御使いなのですよね?」
ミアは直接は言ってこなかったが、暗黒神の御使いと契約したから左手を持っていかれたと思っているようだ。
スティフィからしたら心外である。
それに大きな間違いでもある。
「違うわよ」
「え?」
と、ミアが心底驚いたような表情を見せた。
そのミアの表情を見れただけでもスティフィ的にはそれで満足だ。
「我らが暗黒神様には御使いはいないのよ。あー、でも、ダーウィック大神官様が死んだら御使いになるのかしら……? 多分だけど、そう言われているのよね」
確かにそう言われている。言われてはいるが、人間が御使いになるなどスティフィにもあまり信じられない話だ。
御使いは本来、炎から作られ、人は泥や塵から作られたというのだから、根本が違うはずだ。
ただ他のデミアス教の大神官達もダーウィック大神官のことはそう言っている。
神の許しさえあれば、人が御使いになることも可能なのかもしれない。
「そ、そうなんですか? かなり神格が高い神様だと聞いていたのでてっきりいるものだと……」
「そもそも御使いは、神が他の神を攻撃するために作った種族なの。でも、我らが暗黒神は自ら闘争を求めて戦場に赴いたの。だから、ルガンデウス神には御使いはいない、というかお創りにならなかった、というのが正しいわね。ダーウィック大神官も神々の戦いが再び始まったら神と共にその戦場へ赴くの、その許しを得ているはずだから」
暗黒神、欲望と暴虐の神と名高いルガンデウス神は大昔に起きた神々の大戦でも、その最前線で自ら剣を振るい戦っていた。
その強さから軍神とも詠われ、その暴虐の名もあまりに強いその強さから来ていると言われている。
また、神々の戦いか再開されたとき、共に戦うにふさわしい者がいれば共に戦うことを許そう、ともルガンデウス神がそう宣言している。
そしてダーウィック教授は共に戦うことを神から許された一人なのだ。
「なんだかすごい壮大な話ですね、ただダーウィック教授なら確かにそんな感じがします。まあ、今はそのことはいいんですよ。置いておきましょう。どうせ遠い未来のお話です。今は明日から役立つ使徒魔術の話をききたいんですよ! では、スティフィはなんの悪魔と契約しているんですか?」
ミアも多少その話には興味があったが、今は使徒魔術の方を聞きたいようだった。
スティフィとしてはもう少しだけダーウィック大神官の話、いや、自慢をしていたかったがミアの興味は今、使徒魔術だけのようだ。
スティフィが契約している悪魔。やはりあまり良い存在とは言えない。
そして、それを明かすことはできない。
「それは内緒よ。ミアも契約している御使いの名を明かしてはダメだからね?」
「どうしてです?」
と不思議そうな表情を浮かべる。
「それがばれてしまうと、契約している御使いの神を通じて魔術を発動させなくしたりできてしまうからよ。なので、契約している御使いの名は基本秘密にしておくものなの。いい?」
と、スティフィはそう言ったが、それが世間一般ではどうか、というか、スティフィも知らない。
ミアが使徒魔術の講義を受けると言うので、スティフィは一緒に受けようとまだその講義を受けていない。
スティフィはデミアス教で学んだ、教える者自ら邪道とよんだ、そんな物の知識しかない。
少なくともその知識では、御使いの名は秘匿するものだし、術を発動するための呪文も他人に聞かせてはいけないものだと教えられている。
「わ、わかりました。けど、私は人と争う気はないので…… 山で獣から身を守れる程度で良いんですけど?」
「そうも言ってられないのよ」
と、スティフィは少し嫌そうな表情を浮かべた。
「なんでです?」
その表情を見たミアが聴くが、
「なんでもよ」
と、まともに答える気はないらしい。
「やっぱり何か隠していますよね? 普段山まではついてこないスティフィが急についてきたりして」
ミアがそう言って詰め寄ると、
「ええ、そうよ」
と、スティフィは簡単に認めた。
認めたがその内容までは言う気はない。
「親友に隠し事するんですか?」
と、ミアはわざとらしく悲しんだ表情を見せる。
スティフィはそのことに少し驚く。
ミアが情に訴えるような事をしてくるとは思わなかった。
誰の影響か、と思ったがすぐに思い当たる。自分だと。
「親友だからこそ言えないこともあるのよ」
と、スティフィはすました顔で答えた。
「まあ、いいです。どうせダーウィック教授からの指示なんでしょうし」
「それは…… そうだけれども」
その名を出されたら、スティフィも降参するしかないし、実際にそうなので何も言い返せない。
「私はダーウィック教授は信頼に値する人だと思っています。なので、スティフィのことも信頼しています」
ミアはそう言い切った。
その言葉はスティフィにとってとても嬉しいものだ。
「流石ミアね。見る目あるわ。これもそれもミアのためなのよ、理解して」
実際特にミアに黙っている理由もないのだが、今ミアが巻き込まれているようなことに、ミア自身慣れていないはずだ。
このことを手早く終わらすためには、今の何も知らない呑気なミアの状態の方がいい。
ミアに本当のことを話して、警戒でもさせ下手に長引かすようなことは避けたい。
できれば手早く、ミアが朽木様のところへ行く前までには終わらせておきたい事なのだ。
更に言ってしまうと、呑気で隙の多いミアという餌のままでいて欲しい。という事だ。もちろんその餌を誰にもくれてやるつもりはないが。
「まあ、どうこう言っても…… どうしました? 荷物持ち君?」
前方を歩いていた、荷物持ち君が立ち止まり姿勢を正した。
それと同時にスティフィがミアの前に、ミアを庇うように素早く前に出た。
「いるのはわかっているわよ、出てらっしゃい。ずっとつけていたのもあなたたちの仲間ね? わかってるわよ」
スティフィが凛とした冷たい声でそう言った。
そうすると、道の少し先の茂みから数人の男がゆっくりと出てきた。まだ距離はかなりあるし、飛び道具の類も魔術を使用しているような気配もない。
出てきた男たちは、スティフィを見て小声でなにかを話し合っている。
話はすぐにまとまったのか両手を上げて男たちは近づいてきた。
その人数は五人だ。
ミアは山賊かなにかと思ったけれども、ここは魔術学院の保有する裏山だ。
山賊など居付けるはずはない。
だとすると、猟師か何か、という割には猟師のような恰好ではない。
どちらかというと、町のゴロツキのようななりをしている。
「我々はデミアス教と事を構えるつもりはない」
男が発した第一声がそれだった。
その言葉でミアも、なぜスティフィがデミアス教の法衣を着ていたのか理解できた。
一目見ればわかるからだ。
「この子はダーウィック大神官の保護下にあるわ。言っている意味、分かるわよね?」
その名を聞いて、男達の顔に絶望と恐怖の表情が浮かんだ。
「ああ、わかっている。我々はこの件から手を引くし、帰ったら雇い主にも手を引くように進言する。相手が悪すぎるとな」
そう言ってきた男の表情は酷く強張っている。
とても嘘をついているとは思えないほどだ。
「そう、ならいいわ。行きなさい。見逃してあげるから大人しく帰りなさい」
スティフィが見下したようにそう言った。
「この女、調子に……」
スティフィの言葉に男の一人が逆上するが、先頭にいた男がそれを必死に制する。
「やめろ。あの法衣は…… かなり高位の物だ。俺たちでは犬死するだけだ。たとえこの場をどうにかしても、あのデミアス教を敵にするんだぞ? わかっているのか?」
そう言われて、逆上した男も静かになった。
「良い判断ね。こう見えて元だけど狩り手なの。知ってる?」
スティフィがそう言うと、男たちがざわめき、スティフィから数歩後ずさり距離を取った。
その名を知っている証拠だろう。
「デミアスの狩り手…… わ、わかった、手を引くし今後一切関わらない。見逃してくれ。その娘がデミアス教の保護下にあることも広めておく」
先頭の男が両手をさらに上げそう言った。
「雇い主にもしっかりと言い聞かせなさい?」
とスティフィが念を押すと、
「わ、わかった」
と、男はそう言ってこちらを向いたまま距離を取り、そのまま山の奥に入り視界から消えていった。
男たちが消えてから、しばらくすると姿勢を正していた荷物持ち君が前傾姿勢へと体制を戻した。
スティフィも、安堵のため息をついた。
「なんだったんですか?」
ミアがそう聞くと、
「恐らくは、だけど、あなたの知識狙いで、どこぞの商会に雇われたゴロツキ、いや、傭兵かしらね」
と、スティフィはまだ辺りを見回しながらそう答えた。
「それでスティフィが暑いのにその法衣を着てくれていたんですね?」
特徴的で目立つ法衣であり、知名度も高い。一大邪教の法衣だ。
デミアス教と事を構えたい者は、光の勢力以外ではまずないと言っていい。
「まあ、そういうことよ。そんなわけでしばらくはつきっきりで護衛することになるから」
今までミアを尾行していたものの気配もゆっくりと離れていったことをスティフィは感じ取ることができた。
他にミアをつけている者は今はいない。
そこで、発動しておいた魔術の一つを解除する。尾行者を暴くための魔術で、自身もしくは対象者が尾行されていた場合、その者を感じ取ることができる魔術だ。
かなり広範囲にわたり感じ取ることができるのだが弱点もある。まず第一に魔力の消費が激しいことと、今のように待ち伏せには反応しない、ということだ。
だがそれはどうやら荷物持ち君はスティフィよりもそういった感覚がすぐれているようだ。さすが古老樹の核を持つ使い魔といったところだ。
これなら、燃費の悪い魔術を発動しなくてもよさそうだ。
とりあえずは一安心だ、とスティフィも一息ついた。
「え? でも今ので終わったんじゃないんですか?」
そう言いたいミアの気持ちもわからないではないが、そう簡単な話ではない。
「都だけで商会いくつあると思っているの? それに、その知識、というか権利を欲しがっているのは商会だけとは限らないのよ? まあ、特に厄介なのは、やっぱり商人連中なんだけどね。商人なんて連中は金のため、いや、儲けるためになら人の命なんてなんとも思わない連中なんだからね? 一番信用しちゃだめよ?」
スティフィは自身の経験からそう判断している。
スティフィが知る多くの商人は、邪教と呼ばれるデミアス教と取引のあるような商人なので偏見も多くあるのだが。
「えぇ…… なんで私狙われるんですか? たしか、私が知識を受け取ったことは秘密にされるってサンドラ教授が言ってたんですが?」
ミアが知識を受け取ったことはミアが話していない限り、広まっていないはずだ。
それにミアが日常的に話す相手など、かなり限られているはずだ。
なにせミアは祟り神の巫女として、有名なのだ。何か理由でもない限り関わろうとする人間は少ないはずだ。
そのはずだが、実際にこうしてミアが神から価値のある知識を得たことがすでに広がってしまっている。
「まあ、見当はついてるけど。まだ確定じゃないから…… にしても、その荷物持ち君だっけ、中々凄いわね。 私が気づく前に潜伏してる奴らに気づくだなんて。元々つけられていた方は知っていたけど、あのまま進んでたら挟み撃ちにされてたわね。あいつらも、ただの傭兵連中ってわけでもなさそうね。結構腕が立ちそうよ。はぁー、やだやだ。実際に戦ったら負けてたのはこっちよ、まったく命拾いしたわね」
スティフィはそう言って悪態をついた。
もしスティフィがデミアス教の法衣を着ていなかったら、こんなに簡単に行く話ではなかったし、少なくとも数人の血は流れていたことは確かだ。
その中にスティフィ自身も含まれていただろう。
「スティフィも荷物持ち君も凄いですね。私はまるで気が付けませんでしたよ」
「山の中は慣れてないから苦手だわ。勝手がわからないし…… ほんと、荷物持ち君だっけ? いてくれてよかったわよ」
未だに前傾姿勢を取っている泥人形をさっきの連中がどれだけ脅威と判断していたか不明だが、いるに越したことはないだろう。
それに、泥人形という体が崩れてしまえば逆に傭兵が相手できる存在ではない。
とはいえ、今、泥人形を壊されるわけにも行かないのだけれども。
「ん? じゃあ、グランラさんも危険なんじゃないですか?」
ミアが慌ててそんなことを言い出すが、グランラが危険に晒されるようなことはないことをスティフィは知っている。
「あのおばさんは…… 少なくとも学院内で襲われることはないわよ。それにあの人の権利は奪い様がないから」
「どういうことです?」
ミアは安心しつつも意味が分からないと言った表情を浮かべた。
「あなた授けられた書面を読んでないの?」
「はい、私宛ではなさそうだったので」
と、ミアはそう言った。
素直というか欲がないというか、とスティフィが思ったが、こういう娘だからこそ、神に好かれやすく、ダーウィック大神官の目にもとまったのかもしれない、と思い直した。
「ああ、うん…… えっとね、ミアが受け取った書面には、シュトゥルムルン魔術学院の食堂で働くグランラに、という指定がしてあってね。その権利はかなり限定的なのよ」
「どういうことです?」
とすぐにミアは聞き返してきた。
サンドラ教授の特別講義を受けたんじゃないのかよ、とスティフィは思ったが、サンドラ教授もわざとそのことに触れなかったのかもしれない。
「あの食堂のおばちゃんの権利は、シュトゥルムルン魔術学院の食堂で働くグランラという名前の人物にしかない、ということよ。つまり彼女の権利はひどく限定的で、あのおばちゃんが食堂で働くのをやめたらその権利は失われるってこと。名指しで指定されているので他人が受け継ぐこともできないのよ。けど、知識を直接受け取ったミア、あなたは違うの。何の制限もないの。自由にどこでもあのパンを作る権利があって、値段を好きに決めて売る権利があって、それらの知識も権利も自由にできるってわけよ」
「それは午前中にサンドラ教授の授業で教わりましたが、なんか釈然としませんでした。グランラさんより私の方が権利が強いってことですか?」
と、ミアは少し難しい表情を作ってきいて、いや、自問するように問いかけた。
「世の中そう言うことになっているのよ。まあ、しばらくすれば、ミアにはデミアス教の後ろ盾があるって広まるから、何かしようとする輩も居なくなるはずだから我慢しなさい。都でもそういう話で動いてもらっているから、しばらくの辛抱よ」
都と呼ばれる大きな都市にもデミアス教の支部はある。しかもダーウィック大神官のお膝元という事でかなり大きな支部だ。
都での影響力もかなりの物となっている。そこが動いているのだからそう時間がかかる話でもない。
ミアが朽木様に泥人形を見せに行く頃にはかたがついているはずだ。
「うぅ、スティフィとダーウィック教授にはほんと助けられてばかりです」
そう言ってミアはスティフィを見つめた。
その視線からは感謝の念がありありと伝わってくる。
「そう思うならさ、デミアス教の集会出てみない?」
スティフィはダメ元と分かりつつもそうミアに聞いてみる。
「それとこれとは話が別です」
と、きっぱりと断られた。
まあ、それは、わかり切ったことだが、ミアも変わりつつある。
ゆっくりと少しずつ、ミアの心に入り込んでいけばいい、と、スティフィはそう考える。
「まあ、無理強いはしないけど、その気になってくれたら、私は嬉しいわよ? ものすごくね?」
「む、むー、スティフィは意地が悪いです」
「そらそうよ」
そう言ってスティフィは心の底から笑顔を見せた。
誤字脱字は山のようにあるかと思います。
指摘して頂ければ幸いです。
ちょっとだけ今回の章はアクティブなお話です。
でもちょっとだけです。
シリーズ通しての話ですが、戦闘とかは少なめの予定です。たぶん……




