日常と非日常の狭間の日々 その9
結局、泥人形のための制御術式、その下書きが完成したのは講義が再開されてから二週間と少したった後のことだった。
翻訳が完了した下書き用の陣は、誤発動を避けるために三つに分けられ描かれている。その内容はとても複雑でまた元の制御術式の物よりもかなり肥大化している。
これらを透写紙で写し一つにまとめ重ねたものが清書となるが、その作業はまだ行われていない。
「や、やっと翻訳が終わりました……」
そう言ってミアは大きく息を吐いた。
吐かれた息には疲労が色濃くあふれ出てるように見える。
講義が再開されるようになってこの二週間、ミアは多忙だった。
講義を受ける、大量の粘土を練る、神与文字の翻訳、その生活のほとんどの時間をそれらに費やしていた。
魔力の水薬を作る時間もなかったため、ミアは褒賞で得た金貨の一枚を崩し生活をしていた。
その間にも食堂でパンが売り出し始めたが、ミアが普段の食事として手を出せる金額ではなかった。
ついでに、その売り上げの一部を受け取る権利がミアにはあるのだが、それを手に入れるのはもう少し後になる話だ。
「念のため、我とフーベルト教授で術式を一文字づつ確認していきます。三日ほど…… でしょうか時間を頂きます。その間、ミア君は通常通り講義にでてください。それと粘土の方の仕上げ作業をしておいてください」
「はい、わかりました」
とミアは返事をして、粘土の仕上げ作業のことを考える。
グランドン教授から貰った素材は様々なものがあり、事細かくそれらの材料の保存方法や取り扱い方、粘土に混ぜる時期などが書き付けに記されている。
ミアはそれに従ってもらった素材を混ぜ、粘土を捏ねて捏ねて捏ねて…… 捏ねてきている。
その量もかなり増え、ただ粘土を捏ねると言っても重労働以外の何物でもない。
「それにしても、翻訳ができて良かったですね」
そう言ってフーベルト教授が心底安心した顔を見せた。
とはいえ、ところどころ翻訳ではなくグランドン教授と相談して術式を再構築した部分もある。
翻訳ができない、というよりはそちらの方が術式的に都合がいい、との判断からだ。
「場合によっては翻訳不可能になるのは結構あるのですが、ロロカカ神の神与文字はその種類が異様なほど豊富でしたな。それを考えると、やはり古くから存在している神、古代神の一柱なのですかねぇ。神与文字だけ見るならば、歴としたまっとうな神に思えますな」
グランドン教授はそう言って何度か頷いて見せた。
その表情はロロカカ神の神与文字に興味ありと言った感じだ。
グランドン教授が神与文字に明るいのも、使い魔に適した術式を描ける神与文字を探していたという理由からである。
今回の事柄で種類が豊富で様々な意味も内包しているロロカカ神の神与文字に興味が湧いたようだ。
だが、グランドン教授と言えど祟り神は避けたいところだ。本格的にロロカカ神と関りを持つかどうか迷いがあるようにも思える。
「そう思えるんですが、ロロカカ神はなにかと既存の情報があまり当てはまらないんですよねぇ」
フーベルト教授はそう言って頭をポリポリと描いた。
その表情は楽しそうであり、苦笑しているようでもある。
よくわからない未知の神。それはフーベルト教授にとって最高の研究対象であることは間違いがない。
フーベルト教授にいたっては、すでにロロカカ神が祟り神かどうか、という事はあまり関係がないように思える。
彼の知的好奇心の前には、祟り神かどうかなどはもう障害にならないのかもしれない。
「ロロカカ様の神与文字は六千二百五十三文字ですよ! 一番意味が多い文字は六十八の意味を内包しているヒットルという文字です!! ただこれらは下位文字で上位文字というものも存在するそうですが、私はまだ習えていないんですよね」
ミアは得意げにそう言った。
文字数で千を超えるほど多い神与文字でも稀で、その文字数が六千種以上ともなると極めて稀である。
それらの文字とそれに内包されている意味を完全に暗記しているミアもまた特殊な人間ではある。
「神与文字の上位文字と呼ばれるものは、完全に神の文字で人間には理解できるようなものではないですよ。あれこそ、形を丸覚えして使う文字なのですが、それでも人間に御しきれるものでもないです。大体は大事故の元になるので、早々に封印するような物ですし。解読できないのであれば、御しようがないんですねぇ」
そう言ってグランドン教授は肩を上げ両掌を上にして見せた。
「そうなんですか? いつかは学んでみたいと思っていたんですが…… 人には無理なんですね……」
ミアが残念そうに項垂れた。
「一説には、人間の理解力では一生かけても理解できない代物、という話があるくらいですねぇ。それに上位文字の起動は人一人で扱える魔力では足りません。最低でも人間では五、六人の魔術師がいて起動できるようなものですよ。あとは神器などに刻み込まれていることもあるんだとか言う話ですが、こちらは確証はありませんな」
グランドン教授が興味なさそうにそう言うが、ミアは項垂れたままだった。
それを見たフーベルト教授が、
「ミアさんは理解できない文字を使いたいですか?」
と、ミアに問いかけた。
問いかけられたミアは、ハッとした表情を見せた。
「うっ、それは…… 使いたくないですね…… ロロカカ様に対して失礼な気がします」
意味も理解できない文字をミアは、自分で使って良いとは思えない。それがロロカカ様から頂いた文字であるならばなおさらだ。
だから余計に学びたくはある。
それはそれとして、ロロカカ様の上位文字にどんな意味が内包されているのか、それも知りたいとミアは思う。
「まあ、ミア君がここを卒業して自分の村に帰った後、巫女をしながら解読に勤しむのはいいのではないでしょうか。もし上位文字を一文字でも解読できたのであれば、それは魔術革命とも言うべきものが起きうる話ですぞ。それこそ、人造神器作成すら夢ではないことですよ。魔術師としても名を後世にのこせますぞ。そうなってくれるとミア君の師でもある我も鼻が高いので、ぜひ頑張ってみてください」
グランドン教授は薄ら笑いを浮かべながらそう言った。
その笑みからは、どうせできっこない、というよりも、もしかしたら…… と言った意味のほうが強そうだった。
「そうですね…… リッケルト村に戻ったら頑張ってみます!」
ミアは力強くうなずいた。
この学院で魔術を学び終えたら、リッケルト村に帰り、ロロカカ様の巫女をしつつその傍らで魔術の研究をしていきたいと、そう強く思った。
「はははっ、では、もし解読できたら手紙でもください」
半ば呆れ気味にフーベルト教授が笑いながらそう言った。
フーベルト教授は恐らく、ミアに、いや、人類では神与文字の上位文字の解読など不可能と考えているのだろう。
そしてそれは魔術師にとって常識でもあることだが、神与文字、その上位文字と呼ばれる存在の解読は魔術師の悲願でもあり、解けることのない永遠の課題でもあるのだ。
「さてと、フーベルト教授。明日は講義ありますかな?」
「ちょうど明日と明後日はないですね」
「我は明日だけ空いていますな。なら、今日は徹夜ですな」
そう言ってグランドン教授はうんざりとした表情を見せたがどこか楽しげだった。
「ですね……」
そう言ってフーベルト教授は項垂れて肩を落とした。
彼らもまたこの二週間、いや、三週間もの間、まともな生活は送れていない。
疲労がたまりにたまっているのだろう。
「術式の再確認をするんですよね? なら私も……」
と、ミアが申し出るが、
「いいえ、ミア君は通常通り講義に出てください、あとそれ以外の時間は粘土の方の仕上げに費やしてください。色々とやることがあるはずです」
と、グランドン教授に諭された。
実際粘土を捏ねると言っても、その量は既に人一人分くらいには増えている。
それらを満遍なく捏ねる作業は重労働以外の何物でもない。
「そう言えば、頂いた書き付けに、仕上げの項目がありました。黄金粘土を少しづつ混ぜていくのと、レテリレテリの香木を細かに砕いて混ぜるんですよね」
と、ミアが貰った書き付けに書かれていたことを思い出しながら答えた。
「レテリレテリの香木の砕いた粉は、あまり吸い込まないように気を付けてください。一種の麻薬のような物ですので。黄金粘土も本当に少しずつ混ぜていくのですよ、一気に混ぜると全てを台無しにしかねません。あれは本当に強い力を持ったものですので、取り扱いには注意をしてください。それらは当然として、仕上げ部分ですよ。気合を入れてください。この三日間の練りぐあいで泥人形の質がぐんと変わりますのでね」
「はい、気合を入れて仕上げます」
と、ミアも気合を入れ自身を鼓舞する。
疲労は溜まっているが気合は衰えずと言った感じだ。。
「ふむ、気合十分ですな。四日後がちょうど土曜日なので、土曜日には朝から清書作業をしてもらって、完成次第、刻印の儀を行いましょう。その後、そのまま泥人形本体の組み立てに入りましょうか。徹夜作業になると思いますので、そのつもりでいてください。金曜日の夜はしっかりと睡眠をとるように。組み立てには、我と配下の助教授たちもお手伝いしますが、主であるミア君が主だって作業することになります。休んでいる暇はないですぞ。それで日曜日の昼までには完成させることができるはずです」
グランドン教授はそうまくし立てた後、一息つく。
そして、少し物悲しそうに言葉を続ける。
「我の仕事はそこまでですな。後はサリー教授にお任せですな。まあ、苗木があの通りですので、心配はないかと思います」
グランドン教授は不気味なほど協力的な朽木様の苗木を思い出しながらそう言った。
恐らく本当に破壊神からミアの使い魔になれとでも言い聞かされているのだろう。
そんな状態なのだ、いくら朽木様だろうと強く出れるものでもない。
ある意味この翻訳が終わったことで泥人形作成、いや、この件全体の山場は越えたと言っていいのかもしれない。
「わかりました。ありがとうございます」
ミアは深々と頭を下げた。
「まだ礼を言うには少し早いです。それと一品ほど、サリー教授に追加で鉢の作成をお願いしてあります。木曜日には完成予定とのことです。受け取りに行くようにしてください。受け取ったら、もう使魔工房に預けておいていいでしょう。粘土の方も金曜日の夜の講義が終わったら、使魔工房の方にあらかじめ運び込んでおいてください。そうしたら粘土は一晩ほど寝かせておきましょう。忘れずに支えなどもすべて工房の方へ預けておいてください。核などのその他の預かっている材料は、まだ我の研究室にありますので、そちらは我が責任をもって持参いたしましょう」
「ありがとうございます」
「うむ、ではミア君は粘土の仕上げをしっかりとしていてくだい」
そう言ってにこやかにそれでいて、どこか人を喰ったような笑顔をグランドン教授は見せた。
その後すぐに、フーベルト教授の方に向きなおり、げっそりとした表情を見せた。
「で、我々は確認作業を始めましょうか……」
その言葉はどこか隠し切れない疲労がかもしでていた。
その週の土曜の昼、その少し前。
透写紙で三つに分かれていた陣を写し一つにまとめていく清書作業が終わった。
「ふむ、一応抜けがないか確認します。それと、拝借呪文や魔力の水薬、精霊など、あと魔術具などもご法度ですぞ。とにかく魔力を流し込まないように注意を」
グランドン教授が透写紙と下書きの紙を何度も重ね合わしては離し、重ね合わせては離して確かめながらそう言った。
「わ、わかりました」
とミアが返事をする。
とはいえ、この陣が発動しても制御術式なので、それほど問題があるわけでもない。
が、何が起こるかわからないのが魔術でもある。
発動させないに越したことはない。
ついでにミアには陣の内容が複雑すぎて大雑把にしかその内容を理解できていない。
文字一つ一つはもちろん理解できているのだが、それが連なってある種の複雑な言語となってしまっていてミアの理解の範疇を超えてしまっている。
流石に一介の生徒に作成どころか、理解できるような内容の陣ではない。
「ふむ…… 抜けはないようですね。しかし、いささか陣が大きくなりすぎましたな」
写し書きされた透写紙を見ながらグランドン教授はそう言った。
当初グランドン教授が用意していた術式の物より二倍近く大きくなってしまっている。
これはロロカカ神の神与文字の種類が多いわりに、その内包する意味が少ない文字が多く存在しているためだ。
神与文字の中では翻訳しやすい文字であり、事細かい術式を書き込むことができる文字であることを意味している。
グランドン教授にとって、そう言う神与文字は喉から手が出るほど欲しい物で、ものにしたい文字である。
密かに、この件が終わったらミアからロロカカ神の神与文字を習おうかと未だに迷っている程だ。
「陣が大きいとまずいんですか?」
とミアが心配そうに聞いてくるが、
「いえ、刻印する際は圧縮するので問題はないのです。が術式としてはやはり少々乱雑ですな。もう少し時間があれば術式を綺麗にできたのですが、まあ、翻訳ができただけいいでしょうか。では、これを丸めて図面筒に入れておいてください」
そう言いつつもグランドン教授の中では、及第点という評価だ。
とはいえ、数週間という短い時間でここまで神与文字を翻訳できたのは素晴らしい功績だ。
それを考えれば、及第点どころか満点近い点数にはなるのだが、術式単体としてみるとやはり及第点という話だ。それに今はこれ以上のものは無理だろう。
これ以上のものを作るのであれば、まずはグランドン教授が長い時間をかけてロロカカ神の神与文字を学ばなければならない。
しかし、グランドン教授は祟り神かもしれないロロカカ神と強い関わり合いを持つかどうか未だに決めかねている。
もちろんグランドン教授自身興味はあるのだが、グランドン教授は自分が崇めている蛇神よりも恐らくロロカカ神の方が神格が上だと考えている。
ロロカカ神に祟られたらグランドン教授自身では、その祟りを払うことはできないだろう。より上位の神の神官に頼まねばならない。もしくは甘んじてその祟りを受け入れるかだ。
そんなわけで、グランドン教授も興味はあるが手を出すかどうか、未だに迷っている、いや、習う決心がつかないでいるといった感じだ。
「わかりました」
ミアは透写紙を図面台から外し丸め図面筒に入れた。
透写紙を丸めることで陣が重なり合い、陣としての意味を失うからだ。
後、図面筒にも魔力除けのまじないの類が施されており内部の図面に魔力が流れ込みにくくもなっている。こちらは気休め程度の効果だが。
「では、地下の刻印室に行くとしましょうか。ここの刻印室は我とマリユ教授、それとサリー教授が共同で設計したもので、自慢の力作ですぞ」
グランドン教授はそう言って嬉しそうな表情を見せた。
自慢の刻印室とやらを、早くミアに見せびらかしたいようだ。
「刻印ってよくわからないんですが、どういった儀式なんですか?」
「簡単に言うと使い魔や魔術具などの核に制御術式を魔力で焼き込むものです」
グランドン教授が完結に説明する。
「この術式をですか? え? 大丈夫なのですか? 少し大きすぎるような?」
ミアは丸めて図面筒にしまった透写紙を想像する。
それはミアの胴の直径よりもかなり大きい術式が書かれた陣だ。
苗木にこの陣をそのまま刻み込むにはいささか大きすぎる。少なくとも朽木様の苗木にはこの制御術式の陣を書き込める場所はない。
「大丈夫ですよ。圧縮して焼き込むので。あの大きさでも銅貨より小さく収まります。本来なら、朽木様の苗木は抵抗するとは思うのですが、あの苗木はあなたの使い魔になるように、神に言いつけられているようなので抵抗もないでしょうし、ここまで来れればもう成功したようなものですよ」
グランドン教授が半笑いを浮かべてそう言った。
その笑い顔には若干のうらやましさがあるように思える。もし自分があの素材を自由に使えているのであれば、最高の使い魔を作れるものをと。
本来であれば、山場は朽木様の苗木に刻印を刻み込むところだったのだろうが、蓋を開けてみればその手前の制御術式の陣作成が山場だった。ただそれだけのことで、今はもう山場を越えてしまっている。
もうグランドン教授の心配の種もなくなっている。
今はもうこの件で得た名誉と、学院側への貸しで何を要求するかを考えているほどだ。
研究予算の増額もいいし、使い魔のための稀少素材を大量に請求しても文句は言われないだろう。
「そうなんですね、ここまで長かったです。ちょっとなんか感動すら覚えてます」
と、ミアが感極まったように言ってきた。実際そうなのだろう、ここ数週間泥人形の作成にかかりきりの生活だったのだから。
「まあ、まだ本体の作成もあるので気は抜かないように。それと刻印室には既に学院長をはじめ他の教授も見学に来ていますよ」
「え? な、なんでですか?」
そう言われて、ミアも焦ったのか取り乱している。
「そりゃ、呪物と言っても差し支えない朽木様の苗木に刻印を刻むのです。後学のため見学したい教授は多いでしょう。とはいえ、刻印の儀といってもミア君は魔力を流し込むのと後は血判を押すだけなので難しいことはないでしょう」
実際、朽木様の苗木は上位種族の一部、と言っても過言ではない。
その素材、しかも生きたままの素材を使って使い魔の作成など、滅多にないことだ。使魔魔術に興味がない人間でも一度は目にしたいと思う人間は多い。特に魔術学院ともなれば大半はそう思うことだろう。
「魔力の流し込みは、魔力の水薬とかじゃないですよね? 最近作れてないので在庫がないんです」
あの魔力の水薬は実に品質が良い。
グランドン教授も実際に買い、使ってみて知っている。
あの水薬に込められている魔力の上質さと言ったら他に類を見ないほどだ。
その魔力の質からしてもロロカカ神の神格はかなり高いと推察できている。それだけにロロカカ神の存在は謎である。
そこまで高い神格の神であれば辺境の地であってもその名くらいは知られてもいいはずだと。
確かにフーベルト教授の興味がそそられる謎多き神であると理解できる。
ただ、その神の魔力が込められた魔力の水薬とはいえ、刻印で使うには魔力の量が少なすぎる。
「ちゃんと拝借呪文で魔力を借りてください。刻印の儀は対象の肉体と魂にその術式を刻み込む儀式です。それ相応の魔力が必要となります。相手が苗木とはいえ、朽木様ですので下手をすれば一度の拝借呪文では足りない可能性もあります。が、まあ、今回の場合は一度で足りる事でしょう、抵抗は恐らくされませんので」
グランドン教授は確信をもってそう言う。
何度か朽木様の苗木を使って実験している。これは私利私欲のための実験ではなく、あくまで古老樹の苗木という前例のない様な物への刻印の儀式に対する実験だった。
さすがに上位種族を相手に私利私欲に走れるほどグランドン教授は肝が据わっていない。
一歩間違えればそれこそ命がないどころか、この魔術学院そのものを危険にさらす行為だ。そう言った相手なのだ。人間にとって、どの上位種族もが。
「は、はい。でも、やっぱり、なんだか緊張してきました」
そう言ってミアはそわそわしだした。
まじめで素直、その上優秀で狂信的な巫女ではあるが、そう言うところは年相応か、とグランドン教授はなんとなく思った。
「ふむ…… まあ、刻印室に向かいましょうか」
刻印室。
真っ白い地下室。地下なのに明るい白い光が天井から届いている。
日の光とは違う、少し冷たい感じではあるが、明るい光が煌々と天井に輝いている。
ミアにはそれが何なのかわからない。
恐らくは魔術の一種なのだろうとは予想がつくだけだ。ミアが思ったのは、それがあれば夜も自室で勉強するのが楽になりそうだという事だけだ。
部屋は硝子の窓で手前の部屋と奥の部屋区切られていているがかなりの広さだ。それでも手前の部屋には教授達をはじめ助教授達も大勢集まっているため、若干狭く感じてしまう。
手前の部屋には様々な台座があり、そこには様々な陣が描かれている。
魔導器と呼ばれる大型の魔術具だ。
この魔導器があるため、外部からの干渉をなるべく避けるべく地下に作られた施設で、壁にも断魔力材が使われており外部から流れてくる魔力を遮断している大掛かりな部屋だ。
恐らくこの魔術学院でも一、二を争って費用が掛けられ造られた施設だろう。
硝子の窓の向こう側には、中央の台座になにかしらの帯で括りつけられた朽木様の苗木がすでに置かれている。
ミアは数日振りに朽木様の苗木を見たが、少し気持ち悪さを感じずにはいられなかった。
なぜなら朽木様の苗木の根の辺りからは長い黒髪が大量に生えているからだ。その量は人間の頭部と変わらないかのようだ。
グランドン教授の話では、ミアの髪の毛との相性の具合を見ていたら融合して、そのまま髪の毛を取り込んで増殖したとのことだ。
そのおかげで泥人形の制御系統は大分扱いやすいものになるはずではあるが、グランドン教授がその苗木を見ても呪物としか思えない物になった。
検査の結果、新しく生えた髪の毛自体はミアの物で間違いがない、という事だそうだがどう見ても見た目は不気味だ。
なにせ見方によっては人の頭から苗木が生えているようにも見えるのだ。どうしても気味の悪さが目立ってしまっている。
その苗木に向けられるように天井から伸びた何層にも重ねられた円柱状の物が伸びている。
その何層にも重ねられた円柱状の物が刻印を施すための物だと、ミアは後で知ることになる。
ミアが刻印室に入ったところで、ざわつきだす。
かろうじてミアが聞き取れた単語は、破壊神、朽木様、未知の神、などの単語だ。
あまりいい気はしない。が、気にしても仕方がない。
改めて部屋にいる人達の顔ぶれを見回す。
ミアが神と会った次の日に会議室で見た教授たちは大体いるようだ。
フーベルト教授もいるが、今は別の教授、たしか精霊魔術の教授、と話し込んでいるようでミアには気づいていないようだ。
ダーウィック教授の姿はなかった。
ポラリス学院長は、老教授とサリー教授と共に何やら話し込んでいる。
後はほとんどは助教授と呼ばれる人たちだ。たまに講義などで教授の助手として見る顔ぶれもいるのだが、紹介もされないためミアには名もわからない。
そんな様子を茫然と見ていると、グランドン教授がミアに何かを手渡した。
「これは…… 鑢ですか?」
手渡された金属製の鑢は大分荒い目をしている。
言われなくともなんとなく想像できる。これくらい荒い目でないと朽木様の苗木の皮を削れないのだろう。
「はい、これで圧縮鏡から出ている光で照らされている部分が収まるように、木の皮部分だけ削ってください。恐らく…… ではですが、あなた以外がやると、あの苗木は暴れ出すと推測されます。一応、気を付けてください。相手はあの朽木様なのですから。奥の扉から、刻印儀式室に入れます。入ったらしっかりと扉をしめてください」
「わ、わかりました」
ミアが注がれる視線の中奥の扉まで行く。その扉は白い色はしているが重々しい金属製で中央に円状の把手がついている。
「その把手を時計回りに回してください、開けれるようになります」
少し遠くからグランドン教授が声をかけてくれた。
グランドン教授は声をかけた後、マリユ教授相手に嬉しそうに何かを説明し始めた。恐らくは今の苗木の状態について説明しているのだろう。
マリユ教授も興味深そうにその話を聞いている。
ミアはおっかなびっくりと金属製の丸い把手を時計回りに、時計を見慣れてないので一瞬迷いはしたが、回した。
把手は簡単に回り、しばらく回すとガコンという音がした。
その後ミアが扉を押すと、ゆっくりと扉は開いて行った。
扉の先はすぐに短い階段になっていた。それと不思議な部屋だ。普通の部屋とはあからさまに違う。
まず壁に継目がない。
白く無機質な壁はその素材がなんなのかもミアには理解できなかった。
こちら側の部屋には明かりがなく少し薄暗くはあるが、むこうの部屋とは大きな硝子の窓でつながっていてそこから明かりは十分に採れている。
ただ、この部屋が特殊なのはそれだけではない。
恐ろしいほど静かだ。音もそうなのだが、普段感じているものがここにはない。
後ろでガコンという音がして、扉がいつの間にかに閉じられていた。
扉が閉まり部屋が更に静かになる。そうなると喧騒が何一つない。
異常なほど静かだ。
扉を閉められた今では手前の部屋のざわめきも聞こえない。まさに物音一つしない。
ただただ静かだ。だからこそミアは気づく。ここには魔力自体がとても希薄だと。
自然な場所であれば、薄く弱くはあるが魔力自体は存在しているものだ。しかし、この部屋はそれが限りなく希薄で、魔力がほとんど感じれないのだ。
普段雑多で微弱ではあるが魔力を感じていたものがほとんど感じれない。
それだけに妙に感覚が鋭敏になっているようにも感じる。
感じれる魔力をしいて言えば、部屋の中央に存在する朽木様の苗木から、深く重い魔力が宿っていることを感じれるくらいだ。それ以外の魔力は、まるで感じれない。
まるでこの部屋自体が余計な魔力を吸い取っているようにも思える。そんな空間だった。
そのせいか、歩くだけで少しクラクラするくらい異質な部屋だ。
ミアが朽木様の苗木のところまで行くと、確かに天井から突き出ている筒、圧縮鏡とやらから光が出ているようで、苗木の根元の一番太い場所を照らしている。
その場所からだけは髪の毛は生えてない。それ以外の場所からは滑らかで漆黒の髪の毛が生えている。
まるで苗木の根元から闇があふれ出ているかのような、漆黒の滑らかで美しい髪だ。
髪自体は美しいのだけれども、やはり不気味としかミアでもそう思う。
その髪が根元で一切生えていない場所は、ここに刻印しろ、と苗木が指定しているかのように思える。
だがミアの目が行ってしまうのはどうしても髪の毛の方だ。その髪の毛はミア自身が見ても、自分の髪の毛と同質の物のように思える。
ただ明らかに違うのは、たまにだがその髪の毛自体が意識あるように、厳かにではあるが畝っていたりすることだ。つまり意志を持っているかの如く髪の毛が動いているのだ。
滑らかでまっすぐな黒髪だけに、畝って動いているのが不気味さを加速させている。
ミアは小声で苗木に向かって「失礼します」と声をかけた後、その場所を丁寧に鑢で削る。
ミアが鑢をかけ始めると、話していた教授たちが話をやめ、一斉に注目しだす。
注目というよりは見守ると言った方が適切かもしれない。
相手は、朽木様の苗木なのだ、本来なら傷つけるような行為をするだけで苗木自体から、なんらかの抵抗、ようは攻撃を受けるはずだ。
苗木とはいえ、相手は上位種の古老樹、もしくはその眷属なのだ。
だが、今回は特に何の抵抗もない。ただ鑢をかけるときに、苗木自体が、または髪の毛が、鑢をかけたからではなく、痛みを我慢するかのように髪自体が震えることがあったくらいだ。
丁寧に鑢を掛け木の皮を削り落とす。その木部が露わになる。さらに鑢を掛け光が当たっている部分の木の皮を全て削り落とした。ミアは一旦手を止め窓硝子の方に目をやる。
グランドン教授が隣の部屋から遠目ではあるが眼を細くしてその様子を確認している。
少しの間があってから、手でこちらに戻れ、というようなしぐさをした。声もかけてくれているようだけれど、こちらの部屋には伝わらない。
ミアは指示通り手前の部屋に戻ろうとするのだが、こちら側の扉には把手もなく扉もぴたりと閉まっているため、何もできないでいた。
しばらく待つと、ガコンという音がして、扉が押されてきたのでミアは慌てて階段下に退避した。
扉の先には目つきの悪い男、恐らくはグランドン教授の下にいる助教授の一人が立っていた。
その男もミアに仕草だけで、こちらにこい、と伝えてきた。
その指示に従いミアは手前の部屋に戻ったところで、
「制御術式の図面を中央の台座、光っている部分に張れ」
助教授の男がぶっきらぼうに伝えてきた。ミアはその男に軽く会釈をしてから、中央の台座の近くにはグランドン教授とフーベルト教授が集まっていたので、ミアもそちらに向かった。
集まっている教授達に軽く挨拶だけ済ませ、背負っていた図面筒から陣が描かれた透写紙を取り出した。
「その図面を、台座に張ってください」
グランドン教授がそう言い、ミアもその指示に従う。
台座は不思議な感触をした滑らかな石材でできておりそれ自体が若干青白く光っている。触ってみると少し暖かい。
ミアが透写紙をその台座に張ると、まるで台座に吸い付くように透写紙が台座にぴたりと張り付いた。
ただそれほど強い力ではないようで簡単に剥がせはする程度だが、丸まっていた透写紙がピタリと張られる程度の力はあるようだった。
「トラビス助教授。微調整のほうお願いいたします。大事な儀式なので丁寧にお願いしますよ」
「はい、お任せください」
先ほどの目つきの悪い助教授が返事をする。その表情はミアに対して向けていたものとは百八十度くらい違いそうだ。
グランドン教授に憧れている、いや、崇拝しているというような顔つきだった。
「では、ミア君はこちらへ」
グランドン教授にいざなわれて台座から少し後方にある柱型の台座、柱のように天井と床とつながってはいるが、中央部分だけがくりぬかれておりそこに水晶玉がおさめられている物体、の前に立たされた。
その水晶玉にはいくつかの透明で細い線が繋がっており、柱の真ん中に浮いているようにも思える。
「準備ができ次第、ミア君は全力でその魔注口、その水晶玉に魔力を注ぎ込んでください。魔力の出力は自動で調節されるので全力で構いません。何も考えずただ魔力を注いでくれれば平気です」
「わ、わかりました」
と、返事をするがミアは何か落ち着かない。
気になるようなことは特にないのだが、少し舞い上がっているとミア自身が思うほどだ。
「やはり緊張しているんですか?」
「流石にこれだけ人が集まると……」
と、ミアは正直に答える。
お世話になっている魔術学院の偉い人達がなぜか自分の儀式を見学に来ている、という事実がミアをそうさせている。
「なら、出ていってもらいますか? それで儀式が失敗したら元もこもありませんので」
と、グランドン教授が何の気なしにそう言った。
恐らくグランドン教授に他意はない。こう見えてグランドン教授は職人気質なところがあり、重要な儀式では、まず成功させることを第一に置く。
ましてや、この儀式の失敗は朽木様という上位種族を怒らしかねない話だ。
「いいえ、大丈夫です。ちょっと緊張しているだけなので。なんていうか、村の祭りの時もこんな感じだったので、それを思い出しているのかもしれないです……」
確かに周囲からの期待と関心の眼差しは、リッケルト村の祭りの時を思い出させる。
ならばロロカカ様の巫女として、その期待にミアは応えるだけだ。今もそれと変わりない。
「ふむ…… まあ、お願いします。失敗は許されませんよ」
「はい、わかっています」
ミアは力強く答え、拝借呪文を唱え始める。
誤字脱字は山のようにあるかと思います。
指摘して頂ければ幸いです。
あと、前回の抜けてた話。
ミアが神与文字をロロカカ神の物にどうしてもしておきたかったのは、身近に置く使い魔だから、とミアの口から言わせるのを忘れてました……
フーベルト教授が似たようなことを言ってたから、まあ、いいか? いいかな? いいよね?
今回で泥人形完成まで行く予定だったのに、行けなかった……
予定ではこの9話で完成させて区切るつもりだったんだけど、考えた設定を説明ついでに書いていくと無駄に…… 本当に無駄に文章が増えていく……
こ、この癖をな、直さなければ……
このまま終わらせてしまうのもいいかも?
いや、でもちゃんと完成させたい気持ちも……
少し迷うけど、多分泥人形の完成までちゃんと書きます。
モルデナワクチン打ったら三日くらいへばってました……
うーん、ここも書き直したいところだけど、まあ、いいかぁ……




