最東の呑気な守護者たち その12
雨が降る。
小雨だがそれはある者にとっては針が降り注ぐような地獄の雨であり、ある者にとっては進化を促す恵みの雨となっていた。
だが、人にとってはただの雨でしかない。
雨粒を浴び、刺すような痛みを感じた蛙貴人はすぐに隠し持っている傘を出し、それを下僕である持たせて差させる。
蛙貴人は忌々しそうに真っ暗な空を見上げる。
逆にいくらでも泥の中から湧いてくる蛙人達に、その数に苦戦していた赤芋大将は、その雨に巨体を嬉しそうに振るわせる。
小さな雨粒をその身に受けるたびに蔦も芋自体も大きく育ち、もはや巨木と言ってよい大きさへとその姿を変えていく。
赤芋大将は戦場であった、今は冬で使われていない畑に根を下ろし自身を固定させる。
大地に根を下ろすことで大地を流れる膨大な地脈の力を吸い上げる。
芋の塔の上にいる赤芋と同じように、地脈の恩恵を受け始める。
その代わりに赤芋大将もその場から動けなくなるが、そもそも植物は大地に根を下ろすのが正しい状態だ。
蛙人の強酸性の唾液やエンラキエラの青白炎に焼かれた赤芋大将の蔦は、地脈の力で急激に再生しより強く育っていく。
「大将? 大将が急激に成長しているのか? この雨のおかげか? 喉でも乾いてたのかよ、大将!」
赤芋大将の上にいるエリックはただでさえ巨石のように巨大だった赤芋が更に大きく育っていくのが分かる。
正確には精霊の降らした雨と根を下ろしたことで地脈の恩恵を受けれるようになった相乗効果で、だが。
古老樹の本来の役割は地脈の管理だ。
大地に流れこんだ神の御力の管理を、地脈の堰堤のような役割を、神々から任されているのが古老樹という種なのだ。
大地に根を下ろして、地脈に触れてこその古老樹なのだ。
地脈の力に触れた赤芋大将は古老樹としての、その眷属としての、本来の力を振るい始める。
蛙人やエンラキエラの自爆攻撃など、もう意にも留めない。
強靭な蔓や根はそんなことでは傷つかないほど頑丈なものとなり、例え傷ついてもその傷はすぐに癒えて更に強靭な物へと成長する。
大地の中を蠢く根で泥の中から生み出された蛙人を、次々と突き殺して逆に地中へと引き込んで行く。
蛙人を従える蛙貴人も分が悪いと判断して、乗っている神輿を下げさせ、赤芋大将から距離を取る。
だが、相手もそれだけで終わる外道種でもない。
どこに隠し持っていたのか、一抱えもある円形の鏡を蛙貴人は持ち出す。
無論ただの鏡ではない。
蛙貴人が持つ秘宝の一つで映し出した相手の力を奪うことができる魔鏡だ。
その鏡に赤芋大将を映す。
赤芋大将の巨体を映し出した円形の鏡が怪しく紫色に輝きだし、赤芋大将からその力を奪う。
大地に根を下ろした赤芋大将は、それを回避することができずに魔鏡に力を奪われていく。
今度は赤芋大将が弱々しくその身を震わせる。
「大将!? どうした? あ、あれか? あの紫に光っている…… 鏡…… なのか? あの鏡の影響なのか?」
人の身であるエリックには状況が正確には理解できない。
だが、さっきまでとは逆に赤芋大将が弱っていくのは理解できる。
そして原因らしい原因は怪しく光る鏡くらいしかない。
このままではまずいと思ったエリックは最後の切り札を使うべく背中に背負っている大きな簡易魔法陣の巻物を赤芋大将の背に広げる。
自分の左親指の指先を噛みちぎり、滲みだした血で簡易魔法陣を完成させる。
黄金の車輪の神からその御力、その魔力を借り受け、完成された魔法陣に流し込み回転させ、その魔法陣は起動させる。
「戦いの神よ! 猛き雷の軍神よ! その力の一端を俺に貸してくれ!」
そして声に出して神に祈る。
雷の軍神へと力を貸してくれと祈る。
祈りは届き、神の力の一端が具現化する。
凄まじい雷が簡易魔法陣に落ち、雷が魔法陣から跳ね返るように弓を象る。
雷でできた神の弓だ。
エリックはそれを手に取り、蛙貴人に向けて構える。
雷の神弓は辺りに雷を放電させているが、その雷がエリックや赤芋大将を傷つけるようなことはない。
だが、飛び掛かってきた一匹の蛙人はその雷の余波に当たり、しびれる様に地面に落ちのたうち回る。
エリックはそんなことは気にも留めずに、何も番えられていない弓を引く。
すると雷が集まってきて雷の矢がすぐに具現化される。
雷の弓を引き、雷の矢で一度蛙貴人へと狙いをつける。
エリックは今回、ミアに同行するにあたり、ハベル隊長からこの雷の神弓の主である軍神の名とその神の逸話を聞かされている。
これはリズウィッド領の元騎士隊副隊長、その切り札だった神の弓を召喚する魔術だ。
それまでは、それを神の名も知らずに使っていたが、神の名をハベル隊長より聞かされたエリックの祈りは明確にその軍神に届き、その願いはより一層、強く叶えられることとなる。
蛙貴人に狙いを定めた後、エリックは急にその弓を天に向け、夜空へと向かい闇に雷の矢を放つ。
閃光が夜空を切り裂き登っていく。
直接雷の矢を当てても相当な威力ではあるが、これが、これこそがこの弓の本来の使い方だ。
夜空に雷の矢を放った次の瞬間、その閃光の痕跡の残る天空から、凄まじい轟音と共に無数の落雷が落ち蛙貴人と蛙人を滅多打ちにする。
落雷の威力は凄まじく大地をえぐり、蛙貴人が作った泥沼もろとも蛙人を次々と吹き飛ばしていく。
蛙貴人は構えていた鏡で雷の矢を受け止めようと考えていたが、その矢は予想に反し天空へと放たれた。
そして、次の瞬間には凄まじい威力の落雷に打たれ、担がれていた神輿ごと消し炭となっていた。
蛙貴人が鏡を空へと向ける隙すらなかった。
自分たちの主が一撃でやられ、蛙人達が慌てて逃げ出すが降り注ぐ落雷はそれを逃さずに確実に打ち抜いていく。
まるで同時に降っている小雨のように、無数の雷が天から降り注ぐ。
「どうだ、大将! これが俺の切り札だぞ! すげぇだろ!」
エリックは降り注ぐ落雷の雨を眼前に見ながら、力を取り戻しつつある赤芋大将に自慢気にそう言った。
そして、役目を終えたとばかりにエリックの左手に持つ雷の弓が放電するように、魔法陣に吸い込まれ消えていく。
落雷も収まったころ、赤芋大将の上からエリックが見る景色はとても静かな物だった。
芋の塔から放たれる砲撃のような射撃はまだ続いてはいるが、もう戦いが終わったかのような、そんな静寂さのようなものがその場には確かにあった。
もう敵はいないんじゃないか。
エリックがそう思った時だ。闇の中から一匹の獣が姿を悠然と現す。
それは白い狐だった。
その尾を七本持つ妖狐だった。
妖狐はまるで雷の弓が消えるのを待っていたかのように、その場に現れた。
戦いが終わったから静寂だったのではない。
この獣がいたから、この場は静かになったのだ、エリックですら、そう思わされる圧倒的な胆力ともいえるものがその獣からは発せられていた。
「妖狐かよ…… しかも尾っぽが多いじゃないか、これはヤバいか? 大将?」
更なる強敵の出現にさすがのエリックも弱音を吐く。
妖狐の強さは尾の数で決まる。
七本尾の妖狐は人間が相手をする場合、軍単位で当たらないと、どうにもならない相手だ。
しかも、エリックは切り札の雷神弓召喚の魔術を使ってしまった後だ。
この魔術は連続で使うことはできない。
神への願いであるこの魔術は、本当に切り札なのだ。
それを切ってしまえば手札にはもう何もない。
文字通りの化け物である七本尾の妖狐に今のエリックができることなど残っていない。
グレッサーは怒りに任せて赤芋をその鋭い爪で引き裂き、背から生える二本の触手で打ち払い砕いた。
その気になれば、こんな芋など瞬時に破壊できる。
自分の敵ではない。
二体の赤芋を、爪で、触手で、瞬時に屠ったグレッサーはそれを、己の強さを実感する。
だが、次の瞬間、周囲に雨が降り始める。
それにより赤芋が身を震わせ、新緑の芽を生やし急激に成長していくのをグレッサーは目撃する。
芋自体がどういうわけか大きく成長していく。
しかも、パラパラと降り注ぐ雨は、グレッサーの体に針のように突き刺さり痛みを与えてくる。
一瞬怯んだ後、グレッサーは赤芋達から距離を取り、降り注ぐ雨を正確に触手で打ち払う。
この雨が精霊の魔力が込められた雨だとグレッサーはすぐに見抜く。
古老樹の眷属に力を与え、外道種を払う精霊の雨だ。
精霊と古老樹の相性が互いに良いからこその雨だ。
だが、それでも相当力の強い精霊でないと、これほど広範囲に、こんな特殊な雨を降らすことなどできないはずだ。
そのことに、グレッサーは聞いていた話とまるで違う、と憤慨し普段は鳴き声を上げない獣なのに、グルルルルッと唸り声を漏らす。
聞いていた話では、ここはただの人間たちの集落で人間を逃がさないようにこの町に閉じ込めて置くだけ、という命令だったはずだ。
その際、何人か人間を狩り、喰らってもよい、そういう話だったはずだ。
簡単な話だったはずなのに、蓋を開けてみたらどうだ。
同胞は人間の戦士に敗れる始末だ。
だが、それは同胞が弱かっただけの話でグレッサー的には問題はない。
問題は、古老樹の眷属に強大な力を持つ精霊すら人間の味方をしていることだ。
更に到着するはずの援軍も、どういうわけか遅れている。
本来なら人間たちはより混乱し、もう決着はついていたはずだ。
だが、グレッサーにとっては援軍なども別にどうでもいい話なのだ。
今、グレッサーにとって死活的な問題なのは、この逃げ場のない雨だ。これはグレッサーに取って、とても致命的なものだ。
この雨は外道種にとって酸の雨とそう変わりないもので、長く浴び続けて良いものではない。
特に隠密行動に長けるグレッサーにとって、この雨はその長所をすべて封じられるようなものだ。
早くあの獲物を仕留め、連れ去り、どこか安全な場所で雨宿りしながら獲物を喰らわなければならない。
忌々しい王からの命令では、あの塔の上の芋を排除という話だったが、この雨の中ではそれも無理だ。
少なくとも雨が止むまでは手出しができない。
雨が降らなければ、いくらでもやりようはあったが、この雨の中では一番の長所である隠密性が保てない。
塔に近寄れば間違いなく捕捉され狙撃される。やられるのは自分だと、グレッサーには分かる。
ならば、今は一旦は引くのがいいはずだ。
だが、グレッサーは狩り途中の獲物を諦めきれない。
あの強者の血肉を、臓物を、同胞のためにも喰らわなければ気が済まない。
なので、グレッサーは目標を再度変更する。
赤芋を叩きのめすことも、塔を攻めることも一旦は中止だ。
多少、強行してでも、あの獲物をかっさらい、一度安全な場所まで引き、獲物を喰らい雨が止むまで英気を養う。
王の命令と芋達の相手はその後でいい。
自分以外にも塔を狙う命令を受けている者はいる。そいつに任せてもいいし、自分でやるにしても、雨がやんでからのほうが確実なはずだ。
さすがにこれほど魔力を込められた雨を長時間降らすことは精霊王でもない限り無理だし、精霊王ほどの力をグレッサーはこの雨から感じ取っていない。
ならば、この雨は長時間降ることはない。
雨が降り終わるまで待っても、雨が降っていなければ夜明けまでに二本の塔を折ることなど、自分なら余裕でこなすことができるはずだ。
グレッサーは自分にそう言い聞かせ、即座に行動に出る。
赤芋を二体破壊し包囲が解けた場所から、グレッサーはこの戦場を離脱する。
今度は木々に触手を巻きつけるようなヘマはしない。
闇の獣は背中から生える二本の触手を使い獲物であるスティフィの血の匂いを追って闇夜の空を駆ける。
雨が降ってきたことにサリー教授はすぐに気づく。
しかも、ただの雨ではない。凄まじい量の魔力が込められた雨だ。
更にいってしまうと、ただ魔力が込められただけのものでもない、ある種の指向性を持った、一粒一粒が魔術のような雨だ。
「雨…… しかも、この雨は…… それもあって赤芋軍団はミアさんを戦場へ……? そういうことですか…… けど、これで…… 戦況は大きく好転しそうですね」
サリー教授は赤芋達がなぜミアを戦場に連れて行ったのか、その真意をやっと理解する。
この戦場に、ミアに憑く精霊を引き出したかったからだ。
ミアに憑く精霊はカリナとの約束で、ミアに危害を与えそうになった時のみ、その力を振るうことができる。
そうすることで人間には本来制御できないような強大な大精霊の力を制御しているのだ。
この雨ですらもミアに憑く大精霊の全力の力ではない。
ミアに危機が及び、それに対処するだけの力を振るっているに過ぎない。
だが、それはそうしなければ、一時的にでもミアの身を危険にさらさなければならないほどの状況だと古老樹がそう判断したということでもある。
やはり外道種達はまだ戦力を温存しているのだと、サリー教授は確信を持つ。
「師匠、どうしたんですか? スティフィさんは?」
急に手を止めたサリー教授に向かいジュリーが声をかける。
あまり勢いの強くない雨にジュリーはまだ気が付いていない。
だが、ジュリーの言う通り、今はスティフィを助けることのほうが重要だ。
当面の間は赤芋軍団に任せておいても、この雨のおかげで上手くやってくれるはずだ。
「このままでは…… 助けられません…… ミアさんの力が…… 古老樹の杖の力が必要です」
だが、問題はミアの所在だ。スティフィは血を失いすぎている。
このままでは助けようがない。
いくつかの治癒魔術をサリー教授も扱えるが、それらはどれも傷を早く治したり、体の免疫力を上げたりするものだ。
患者自身の体力を使い早く傷を塞いだり、病気に打ち勝つようなもので、患者の体力があってこその魔術だ。
そして、それが人間の扱える魔術の限界でもある。
血を失い体力がない状態のスティフィに使用するには不向きで、残っている体力を無駄に浪費させ死期を速めるだけにしかならない。
魔力を送りスティフィの体力を温存させる魔術もあるが、それはすでに赤芋がしてくれているし、それすらも延命行為でしかない。
この状態のスティフィをどうにかするなら、ミアの持つ古老樹の杖の力を借りるしかない。
「でも、ミアさんは……」
ミアは赤芋軍団に連れられ、今も戦場を駆け巡っているはずだ。
だが、赤芋軍団の狙いがこの戦場に大精霊を登場させることであるならば、もう目標は達成されたはずだ。
いつまでもミアを危険な戦場にとどめておくこともないはずだ。
町中へと戻って来てもおかしくはない。
「伝令をお願いします。もしかしたらミアさんが町へと戻って…… 来るかもしれません」
「え? 伝令になんと?」
ジュリーには唐突に何を言い出しているのだとしか思えなかったが、今は自分の師匠を信じるしかない。
「ミアさんをここへ連れて来てください、と」
「わ、わかりました。伝令さん、誰か北側へ走れる伝令さんはいますか?」
ジュリーは大きな声を張り上げて伝令を呼ぶ。
「外道の王が始祖虫を恐れていたなんて予想してましたが、この外道の王、始祖虫より強いんじゃないんですか!」
マーカスは以前に蟻の巣で出会った始祖虫を思い出し、この外道の王と比べるが、外道の王のほうがより強いような気がしてならない。
なにせ、この名もつけられていない外道の王は、御使いの攻撃にさらされても怯みこそするものの、致命的な傷を負った様子はまるでないのだ。
御使いに燃やされている部分など、体のほんの一部に過ぎない、そう思えるほど地の底から、それこそ湯水のごとく黒い粘液のようなものが湧き出てくる。
しかも、その粘液に紛れ、白く変色した死蝋化した死体、シキノサキブレも次々と湧き出て来る。
マーカスからすればたまったものではない。
「どうなんですかねぇ、マーちゃんが見たのは四本角と五本角の始祖虫でしたっけぇ? 始祖虫は成長すると角が増えるそうですが、角が増えると脱皮して、まるで別の生き物のように力が増すそうですよぉ」
アビゲイルの見立てではこの外道の王は始祖虫を恐れていたで間違いはない。
何せ伝承で言われる始祖虫は天空に住まう精霊王、冬山の王を地に落とし、その精霊王に冬山の王という不名誉な名を与えることとなった原因なのだ。
この外道の王も十分に強いが、天に属する精霊王を地上に落とすだけの力はさすがに持っていない。
竜種に退治されてしまった始祖虫が、この外道の王を地の底深く封じ込めていたことは事実で間違いない。
だから、この外道の王は今になって行動を開始したのだ。
そこへミアが来てしまったため、いや、ミアはきっかけに過ぎず、遅かれ早かれ、この外道の王は始祖虫が消えたので行動を開始してはいたはずだ。
「そうなんですか?」
マーカスは御使いと外道の王、その攻撃の余波に巻き込まれない位置に白竜丸を誘導しつつ、アビゲイルの言葉に反応する。
「角が一本違うだけで全くの別物というくらい力に差があるそうですからねぇ」
アビゲイルもそれほど始祖虫について詳しいわけではない。
だが、残されている僅かな始祖虫の記録ではそう書かれている。
恐るべきことに北の果ての大地、竜達の山脈を超えた先にある極寒の地には、成虫になるべく蛹となった始祖虫がいるという話だ。
竜種、その中でも飛竜と呼ばれる竜達は始祖虫が千年甲虫と呼ばれる成虫となり、再び別の世界へと飛び立つその時を心待ちにしているという話だ。
飛竜達はそれを追い、また別の世界へ旅立ち、それを繰り返す。
それが虫種と竜種の関係であり営みなのだ。
「確かに竜種との戦闘跡地は地獄のようでしたね」
マーカスも竜王と始祖虫が争った跡を見てきた。
広範囲で地形が変わるほど抉れ、掘り返され、焼け焦げ、毒に侵され、大地が死んでいた。
確かにあの戦いの跡を考えると、この外道の王より凶悪にも思えてくる。
ただどちらも規模が大きすぎてマーカスには、始祖虫と外道の王どちらが上かなど想像もつかない。
「あれは七本角だったらしいですねぇ。大昔に、この地の精霊王を地に落としたと言われるのも七本角だったらしいですよぉ」
ただアビゲイルはその昔話の伝承が真実であるならば、精霊王を地に落とした始祖虫のほうが格上だと、そう判断している。
精霊王を地に落としただけでなく不死に限りなく近い精霊王に、天に戻れないほどの傷を与えた虫など、考えたくもない話だ。
「あの精霊王を? はは、それは外道の王も逃げるわけですね」
実際にマーカスは二度も冬山の王を間近で目撃している。
一度目は冥府の神の命で訪ねて行ったら即座に氷漬けにされ、二度目は助けられ見逃された。
あの力を目のあたりにして、それ以上の力を持つ虫の存在など想像もできない。
「そういえば、マーちゃんは冬山の王と因縁があるんでしたっけぇ?」
「ありますよ、氷漬けにされたり、見逃されたりと色々あります。あの精霊王より虫ごときが強いとか想像できませんね」
それに朽木様と、当時はまだその名で呼ばれていなかった古老樹を枯れさせるところまで追い込んだのも、同じ始祖虫というのだから、とんでもない話だ。
「御使いさんも攻めあぐねているようですねぇ、本来の力はこんなものじゃないようですが、我々が邪魔だったりしますぅ? それとも……」
御使いと外道の王の戦いを観察しているアビゲイルは、どうも御使いが攻めあぐねているように感じる。
ディアナの身を気遣ってなのか、それとも、その存在をミアに気取られたくないのか、その両方か、アビゲイルでも預かり知れない何かが御使いに制限をかけていることは間違いがない。
アビゲイルが考えていた状況よりも随分と厳しい現状かもしれない。
ふとディアナの左肩でとある方向を不機嫌そうに見ているアイちゃん様をアビゲイルは見る。
この御使いが動いてくれれば、話はまた違うのだろうが。
「げっ、あの牛は……」
マーカスが何かを発見して、悲鳴じみた声を上げる。
アビゲイルがマーカスの視線を追うと、そこには赤黒い肌を持つ一つ目の牛がいた。
「英雄殺しのウィンシャランですかぁ、厄介ですねぇ…… 口を開いたら、その中の目を合わせてはいけませんよぉ」
それと口を開いていないときは結界のようなものに守られていて、基本的に手出しはできない。
ただその結界も絶対的なものではない。例えば御使いによる攻撃など、結界を上回る高出力なものであればウィンシャランの結界を破壊できる。
それを人の手でやろうとすると、簡単な話ではないが。
だが、アビゲイルからすれば、やりようはいくらでもある。
「それは分かっていますが、魔眼の力に守られていて、口を開いた時しか攻撃が通らないって話ですよね?」
赤い牛の外道種とは絶対に一対一では戦うな、そういった言葉まであるのがウィンシャランだ。
実際にウィンシャランの魔眼による結界は人が扱える魔術程度ではびくともせず、口の中にある第二の魔眼に睨まれれば身動き一つできなくなる。
英雄と呼ばれるような人間でもウィンシャランに一人で挑めば簡単に負けてしまうのも道理だ。
「あれは呪いちゃんに任せてしまいましょうかぁ、あの子をけしかければ口を開く隙もないでしょうし」
だが、ちょうど周囲のグアーランを溶かし切り、シキノサクブレと意味のない戯れをしている呪いにアビゲイルは目をつける。
絶えず周囲に強力な呪いを振りまく塊を向かわせれば、ウィンシャランも結界を解こうとは思わないはずだ。
「あの呪い、制御できるんですか?」
マーカスは驚いてそう聞き返してくる。
ただ単に制御もできなく放っているだけのようにマーカスには思えていた。
それに対して、アビゲイルは張り付いた笑顔のまま答える。
「勿論ですよぉ、そうじゃなければ使いませんよぉ」
と。
だが、それはすぐに見破られる。
「それ、嘘ですよね? 完全には制御できていないでしょう?」
そうであるならば、アビゲイルがあの呪いの塊をシキノサキブレに意味もなくまとわり続かせておくわけはない。
マーカスが指摘したことは事実だ。それでもアビゲイルは張り付いた笑顔のままで変わりはしない。
「あら、ばれましたかぁ。まあ、目標を指定くらいは問題ないですよぉ、そぉれ、目標を変えてください、呪いちゃん!」
目標を指定する、というよりは誘導するくらいの話だ。
呪術は呪術に反応し合い混ざりあう。
それを利用して、呪いちゃんと適当に懐けた淀んだ地脈から組み上げた呪いの塊、それの気を引いてウィンシャランのところまで誘導してやるだけの話だ。
ウィンシャランもこの呪いの塊に絡まれてたまったものではないはずだ。
それで口を開き呪いの塊に金縛りが効くかどうかまではアビゲイルにもわからないが、それを使うのであれば、そこを攻撃してやればいいだけの話でもある。
「他に厄介な外道種は……」
マーカスはそう言って周囲を警戒するが、周りにはいつの間にかシキノサクブレばかりだ。
いや、グアーランなどは既に引いているのか、かなり遠巻きだがこちらの様子を見ている。
戦力を温存したいのか、呪いちゃんこと、淀んだ地脈から作った呪いの塊の存在を恐れているのかまでは分からない。
「ここはグアーランとシキノサキブレが主な戦力のようですねぇ、妖狐でもいたら厄介ですが、ここにはいないようですねぇ」
町の侵略のほうに主だった外道種達を割いているのか、外道の王の元にはあまりいないようにも思える。
ここに来るまでに様々な外道種達がいたはずだが、それらは今は見かけることがない。
いつの間にかにいなくなっている。
いや、この場はいくらでも湧き出て来て現状では倒しようがないシキノサキブレがいるからそれで十分と判断され、その他の外道種は恐らく町へと向かって行ったのだろう。
「そういえば、以前四本尾の妖狐とあなたのせいで戦わされましたよ!」
妖狐と聞いて、マーカスは嫌なことを思い出す。
アビゲイルが沼地から外道種を引き連れて来たせいで、妖狐と戦う羽目になったのだ。
「妖狐も沼地に住む代表的な外道種ですからねぇ、あと十本も尾が生えれば、十四本で立派な外道の王ですよぉ」
アビゲイルは特に悪びれもしないでそんなことを言う。
「十四本の尾を持ち沼地の主と言われた伝説の妖狐ですか……」
中央東に広がる広大な沼地には数々の外道の王も存在する。
その中の一体に尾が十四本も生えた妖狐がいるのだという。
その外道の王が本当の意味で沼地の主と言うわけでもないのだが、沼地に住む代表的な外道の王ということでよく沼の主という名で呼ばれていたりもする。
「今はそんな話より少しでもシキノサキブレを減らさないと不味いですねぇ」
ただ今はそんな関係のない外道の王の話をしている暇はない。
アビゲイルは自分から話を振っておいて、そろそろ本格的に自分も動かないと不味いと考え始める。
不機嫌そうにしている目玉の御使いが働いてくれれば、楽だったのにと、そう思いながら。
「このままだとさすがに数で押されますよ」
「少し危険ですが、この場面なら問題ないですかねぇ」
アビゲイルは周りを見て危険がないか、というよりは、後で師匠であるマリユに怒られる状況ではないか、それだけを心配する。
周りには外道種しかいない。
人里からも離れていて、このあたりに古老樹が管理する森もなければ、精霊王がいるとも聞いたことはない。
ならば問題なく、怒られもしないはずだ。
多少危険な呪術を使っても許される場面のはずだ。
アビゲイルはそう思うと楽しくなる。
「アビゲイル? 何をしようとしてますか?」
アビゲイルの場違いな、何か楽しそうなことをする直前のような気配を感じ取ったマーカスは無駄だと分かりつつも確認する。
「嫌ですねぇ、アビィちゃんと呼んでくださいよぉ、ちょっとやそっとでは消えない恨み辛みの籠った呪術の火を放つだけですよぉ」
いつもの張り付いた笑顔ではなく、楽しそうに、心底楽しそうにアビゲイルはそう言った。
その笑顔はマーカスをゾッとさせるのには十分な、不気味さを秘めた顔だった。
「今は有用じゃないですか? シキノサキブレも焼けるんですよね?」
だが、確かの普通の火ならば地面が粘液のようになっている現状では、その上で転げまわればその火は消えてしまうはずだ。
それでもアビゲイルが消えない火と名言するほどのものなら、現状ではそれが打開策になるようにマーカスには思える。
「燃え移ったらまず消えませんよぉ、なので、気を付けてください。私にも一度放ったら制御できないので、白竜丸ちゃんと黒次郎ちゃんにちゃんと言い聞かせてくださいねぇ」
ただ、アビゲイルの続く言葉にマーカスは慌てふためく。
「え? 制御できないんですか?」
「この場面で制御できる術なんてたかが知れている効果しかでませんよぉ」
アビゲイルの言っている言葉ももっともだ。
この状況下で人間が扱える術の効果などたかが知れている。
制御できないほどの魔術でもなければ、この状況を打開などできはしない。
「白竜丸、黒次郎! アビゲイルがこれから放つ炎に気を付けてください!! あっ、えっと、黒次郎は念のため一度白竜丸の影に避難を!」
マーカスがそう叫ぶと、アビゲイルはそれを合図に自分を守るための、強力な呪術を封じるための魔術の一つを解除する。
アビゲイルを守っていた力の均衡が崩れだし、そこに閉じ込められていた、力と力の押し合う空間に押し込められていた呪いの一つが解放される。
万が一、いや、千が一、百が一……
十が一、誤字脱字があればご指摘ください。
指摘して頂ければ幸いです。
少なくとも私は大変助かります。
もし気に入ったらで良いので、いいね、ブックマーク、感想等ください!
神様に奇跡を願えば、スティフィの容態を治せるかもしれませんが、この世界の神様は、具体的に願わなければそれをかなえてくれません。
具体的に、なにを、どうやって、それをどの程度の出力で、等を、明確に神様に伝えない限り願いは無視されるか、適当な奇跡を起こされます。
この辺りはプログラム言語に近くはあるが、各神様の独自解釈も入るので神様によっては癖がかなりあります。
それらを望み通りの効果を発する魔術として発動するには、明確に魔法陣に記し、神様の癖を把握して、神様に伝えなければなりません。
治療魔術の難しいところは、患者により容体も違うので、いちいち魔法陣をその患者用に作り直さなければならなく、緊急を要する患者には対応できないというところです。
魔法陣を患者用に一から作っている間に、患者が死ぬ場合がほとんどです。
また容体が悪化すれば、再度最初から魔法陣を書かなければならなくなります。
なので、人間ができるのは、人が本来持つ再生力を強化するくらいのことしかできません。
と、いう設定です。
めんどくさい設定を考えること…… 好きだよね、キミ。
はい……




