最東の呑気な守護者たち その9
マーカス、ディアナ、アビゲイルの乗った鰐、白竜丸が黒い霧のように見えるものに近づくと、まるで迎え入れるかのように黒い霧、あるいはコバエの群れのような、そんな無数の黒い胞子が一斉に左右に割れた。
その先には巨大な何かがいた。
アビゲイルの言っていた通り、陸に上げられた蛸。もしくは腐ったタマネギに見えなくもない。
ただし、その大きさは段違いだ。
それは見上げるほど巨大で、恐怖と偉大さ、どうにもならないほどの嫌悪を感じざるをえない存在だった。。
それは黒く、それでいて玉虫色に光を反射する水に浮かぶ油のような表面をしていた。
中央に巨大な目と鼻と口を持っており、それは巨大な人の顔をしているようにも見える。
もう日が落ち、辺りは真っ暗な闇のはずなのに、闇の中に更に濃い闇が浮かび上がるかのように、その存在を知覚することができた。
それと同時に背筋に寒気が、震えが止まらないような強烈な寒気が、どうしょうもない程の嫌悪感と共に感じられるのだ。
「な、なんですか…… これは……」
普段は糸目のマーカスが目を見開き、その存在を凝視する。
それが敵である、そう認識しているのにもかかわらず、それが偉大な存在であると、そう感じてしまっているのだ。
それと同時に、なぜこんな不可解な存在が現存しているのか、脳がその存在を理解することを拒むかのような、そんな理不尽さも感じる。
「あんまり飲まれないでくださいねぇ、これが外道の王という奴ですですよぉ、しかし、これは最初っから気づかれてますねぇ…… それでいて招き入れられたんですか?」
ある意味、魅入られているマーカスに注意を促して、アビゲイルは軽くため息を吐く。
自分の魔術にはそれなりに自信を持っていたアビゲイルだが、この名もなき外道の王にはとっくに見破られていたようだ。
アビゲイルからしたら、それは悔しくて仕方がないことだ。
「OOoOOo、OOOo?」
その外道の王が何かしらを語りかけてくる。
だが、アビゲイルを含めその場にいる全員がその言葉を理解することができない。
そもそも発音自体がかなり悪く、とても聞き取りづらい。
まるで水の中で喋っているような発音になっている。
「何か聞かれてますぅ? 我々には理解できない言葉ですねぇ」
外道の王の発言、その言葉尻が上がっていたので、アビゲイルは何か聞かれているとそう思った。
だから、張り付いた笑顔のまま、そう言い返す。
そうすると闇よりも黒く、それでいて玉虫色に反射する相反するような体、それについている顔をニヤリと笑わせる。
暗く、それでいて黄色く光る目がアビゲイルを見つめる。
「アー、アァー、アー、コノヨウナ、コトバ、ダッタカ?」
それはまるで何かを調整するように声を出し、その言葉を、今度は誰もが理解できる言葉を発した。
ただ発音は相変わらず悪く、水中で喋っているかのような、そんな聞きづらさは残っている。
「なんと、共通語を理解しているんですかぁ?」
恐らく、だが、この存在は今しがた、この世界で話されている共通語を、自分達と対話するためだけに瞬時に学び、習得したのだ。
さすがのアビゲイルもそれには驚く。
「ワレカラスレバ、タイシタコトデハナイ。ソレヨリモ、ナゼ、コンナバショマデ、ニンゲンゴトキガ、ハイリコメタ?」
少し拙さは残るが、それでも聞き取れる言葉でその外道の王は話しかけてくる。
「私の呪術ですよぉ。外部からは外道種に見えるようにしていたんですが、さすがに限界はあったようですねぇ」
少し照れながら、アビゲイルは答える。
沼地に住んでいる時はこの術を見破られることはなかった。
だが、外道の王ともなれば、それも容易いということのようだ。
「オオ、ソンザイヲゴマカスジツカ、ナントミゴトナコトヨ……」
外道の王はアビゲイルの術を褒め、そして、その巨大な顔を老人のように笑わせる。
その不気味な笑みはマーカスを震えあがらせる。
「いやぁ、外道の王に褒められちゃいましたねぇ」
アビゲイルはそう言って照れる。
マーカスのように震えあがってはいないが、いまだ、この現状でも寝ているディアナの背に、その小さい背に隠れるようにはしている。
アビゲイルをもってしても、この外道の王は恐ろしい存在に違いはない。
「シテ、ナニヨウダ? ココマデキタノダ、ソノリユウヲ、キイテヤロウ」
まるでその理由を知りたいがためだけに、ここまでわざわざ見逃してやっていた、そう言っているかのように外道の王は楽しそうに笑う。
だがやはり違和感がある。
顔に見えるものは顔ではなく、実はただの模様なのではないか、そう思えるような違和感があるのだ。
「あなたを倒しに来たんですよぉ」
若干だが、さらにディアナの背に隠れながら、アビゲイルはその目的を偽らずに告げる。
いくら外道の王とはいえ、神の先兵である御使いには敵わない。
しかも、こちらには二体の御使いがいるのだ。
そのことがアビゲイルを強気にさせる。
「ホウ? ニンゲンゴトキガカ?」
その返答に面白そうに外道の王が笑う。
外道の王からすれば、人間など無力な存在にすぎない。
ただの獲物であって敵ですらなく障害になりはしない。
「はぁい、で、私も質問していいですかぁ?」
外道の王の問いにはアビゲイルは答えない、返答の代わりとばかりに逆にアビゲイルのほうが質問の許可を求める。
「ヨカロウ!」
それを外道の王は寛大にも許可する。
その寛大さに、アビゲイルは少し笑う。
返答次第では戦いが、人が手出しできないような戦いが、始まるのが予想できるのにだ。
「あなたの目的はなんですかぁ?」
それをわかっていてアビゲイルは楽し気に質問する。
そして外道の王は自慢気にその問いに答える。
「ミコダ! モンノミコヲミツケタノダ! アレヲイカシテオクワケニハ、イカナイ!」
外道の王の言葉にアビゲイルが笑う。
やはり外道の王の目的は、ミアだったと。
ミアがこの地を通過したから、この外道の王はわざわざ地の底より這い出てきたのだ。
その割には世界のいろいろな外道種が集まってきているのは少し気がかりだが。
ミアがここを通っていたから集まった、そういうわけではないのだろう。
だが今はそんなことをのんびり考えている暇はアビゲイルにもない、外道の王の言葉にディアナが反応したからだ。
ディアナは閉じていた目を見開き、口を開き、両手を天に掲げる。
「巫女様! 巫女様! 巫女様! 守る! 守る! 守る! 使命! 使命! 使命!」
その言葉を発するのと同時に、ディアナの体が光だし、ディアナの頭上に巨大な光の柱を作り出す。
その光の中から、光る羽が何枚も生えた燃える鎧のような存在が姿を現す。
身を隠していた御使いがその姿をあらわにする。
「コレハ…… カミノセンペイカ!? ダマシタナ?」
さすがの外道の王も御使いの存在までは見抜けていなかったようだ。
そのことにアビゲイルは安心する。
つまりはディアナに宿る御使いのほうが能力的に上という証拠でもあるからだ。
あとは人外の戦いに巻き込まれないようにして、その戦闘を特等席で観察すればいい。
それはきっと更なる知恵をアビゲイルに授けてくれる戦いとなる。
「あなたが気づかなかっただけでしょうに。責任転嫁しないでくれますかぁ?」
アビゲイルは外道の王を煽り、マーカスに白竜丸を下げるように手だけで合図する。
呆気に取られていたマーカスも我に返り、白竜丸の背を軽くたたき離れるように促す。
さすがの白竜丸も巻き込まれてはたまらないと、踵を返してその場から離れようとする。
「キサマラモ、ワガ、ナエドコト、ナルガイイ!!」
外道の王の表面にある顔は未だ笑顔のままだ。もうそういう模様にも思えてくる。
その笑顔とは裏腹に、外道の王は怒気を孕んだ声で叫ぶ。
そして、今まで自分たちを無視していた様々な外道種達が白竜丸の前に逃がさないとばかりに立ちふさがる。
スティフィは妖刀から流れ込んでくる自分には制御しきれないほどの力に何とか制御しようと、それも戦いの中で必死になっていた。
あまりにも妖刀から流れてくる力が強すぎて、まともに戦えすらしない。
この力を制御できさえすれば、グレッサーという外道種でさえ、敵ではないはずなのだ。
だが、現状は制御できずに力に振り回されている。
こんな状態の攻撃はグレッサーという魔獣には、まともな一撃を当てることはできない。
ヤミホウシが完全に奇襲特化であるのに対して、グレッサーも奇襲を得意としてはいるがそれ以上に総合的に相手を狩ることに対する戦闘力を持っている。
それを考えると、奇襲を回避した時点で、その存在を認識できた時点で、ヤミホウシよりもグレッサーのほうが脅威度は高いと言っていいかもしれない。
その代わり、ヤミホウシの存在は魔術を用いても容易には探知できないとさえ言われている。
それにグレッサーの本質は狩人だ。
強敵を倒し、倒した相手を喰らうことに喜びを感じているのだ。
そして、今、グレッサーは目の前の人間がただ者ではないと認識した。
ただ狩るだけで腹を満たす獲物ではなく、戦闘を楽しめる戦士であると、自分が狩るに値する強者であると、そう認識を改めている。
ならば、自慢の爪や牙を使って倒さなければならない。
触手を使い打ち殺すのはたやすいが味気ない。
やはり自分の爪と牙で直接獲物を引き裂き、牙で噛み殺したいと、それが狩りの醍醐味だとグレッサーは考える。
だが、目の前の戦士は人間にしては恐るべき膂力を有している。
まともにあの刃を受ければ、自分の毛皮をも軽く突き破り、容易にその刃を肉にまで達せさせる。
呪いの塊のようなあの刃を受けることはグレッサーとしても避けたい。
あの血を啜る異様な刃を掻い潜り、あの者の喉笛を噛みちぎらなければならない。
そうすることが自らの喜びであり願望なのだと、そう、その魔獣は理解している。
明らかにグレッサーから感じる雰囲気が変わった。
スティフィもそのことには気づいている。
だが、妖刀から流れてくる力は膨大でそれを制御することに神経を集中させるしかない。
そうでなければ、自分を見失い、ただ闇雲に刀を振り回すだけの存在に成り下がってしまう。
そんな状態で倒せる相手ではない。
スティフィはそのことを理解できている。
出来てはいるが、今まで自分を律し補助してきた数々の魔術のほとんどは失われてしまったのだ。
その状態で溢れんばかりに流れ込んでくる力を制御しなければならない。
まともにグレッサーとの戦闘に意識を持って行けさえできない。
こんな状態での長時間の戦闘は無理だ。
すぐにそう判断した。
短期決戦、いや、次の一撃にすべてを叩きこむつもりで行動しなければ勝ち筋はない。
それに、これ以上妖刀に血を吸わせてしまえば、それこそ完全に力を制御できなくなる。
それを考えると、やはり次の一撃に賭けるしかスティフィに手立てはないのだ。
格下相手であれば、それでも問題ないがグレッサーのような相手に、ただ力を暴走させているだけでは致命的な問題となる。
スティフィは次の一撃のためだけに精神のすべてを集中させる。
その次は考えない、考えている余裕も時間もない。
こんな生死の境など何度も踏み込み、抜けてきた。
物心ついた時にはすでに厳しい、それこそ生死をかけるほど厳しい訓練が日常だったのだ。
命をかけるようなことは今まででも一度や二度ではない。
そして、スティフィはそれらをすべて乗り越えて来たのだ。
スティフィはそれらの経験が礎となり精神を安定させ、そして、極限まで次の一撃を当てることに集中する。
相手の動きを見るのではなく感じる。
それができれば、あとはそこに、この溢れんばかりの力の塊を叩き込むだけだ。
それだけを考え、それだけに集中する。
周囲の風景が見えなくなる。
自分とただ黒い獣だけが存在する、そんな世界へとスティフィの世界が変わる。
目を閉じているわけではないが、視覚情報ですら今はただの補助でしかない。
黒い獣がその爪で大地を駆け、飛び掛かってくるのを感じる。
飛び掛かってきた黒い獣はその短刀のような大きく鋭い黒い爪を自分に振り下ろす、その様子が手に取るようにスティフィは感じることができる。
避けていたら攻撃をする隙などない見事な一撃だ。
自分の攻撃を確実に当てるために、その爪をスティフィは敢えて避けない。
今、スティフィが着用している黒い革鎧は、デミアス教諜報部隊が採用している特注の革鎧だ。
それをスティフィは借り受けて着用している。
革鎧の内部には特殊な金属繊維が織り込まれていて、見た目以上に防刃性能は高い。
その防御性能を信じ、致命傷までには至らない、そう判断したスティフィは迷うことなく避ける行為は捨て、妖刀、血水黒蛇をグレッサーへと叩きこむことだけに専念する。
グレッサーの黒曜石のような爪がスティフィの左肩から左胸を切り裂く。
特殊な金属繊維であっても、その攻撃を完全に止めることはできない。
爪にして長いその刃はスティフィの胸を深く切り裂く。
だが、その瞬間には、スティフィの放った一撃は既にグレッサーの心臓を捉えていた。
スティフィの反撃で放ったのは突きだ。
爪での攻撃を受ける瞬間、その少し前に、決して外さない間合いで必殺の突きを放ち、グレッサーを見事貫いたのだ。
グレッサーは心臓を貫かれた瞬間、何が起きたのか理解する間もなく絶命する。
すさまじい膂力にその穢れた魂そのものが消し飛ばされる。
そして、音もなくグレッサーは崩れ落ちる。
断末魔の叫びすらない。
グレッサーの体から妖刀を引き抜く。
左肩から左胸の痛みをスティフィは感じない。
妖刀から流れてくる力がその痛みすらかき消してくれる。
だが、スティフィも崩れ落ちる。
スティフィが左肩を確認すると左肩から大量の血が流れ出て、いや、噴き出していた。
傷が思ったより深い。
失血により視界が暗くなっていく。
だが、使命は果たせた。
あとは赤芋軍団に任せればいい。
スティフィがそう考えた時だ。
音もなくそれはスティフィの目の前に何もない空中から現れた。
グレッサーだ。
スティフィは咄嗟に自分が倒したグレッサーに視線を向ける。
グレッサーは確かに地面に倒れ伏し息絶えている。
だとすれば、今自分の前にいるのは別個体だ。
スティフィもそういえば、グレッサーが一匹だったという確証はなかったと、戦いに集中するあまりその考えにたどり着かなかった、そのことを恥じる。
スティフィの前にいるグレッサーは獣ながらに口角を上げ、まるで笑みを浮かべているような、そんな表情を作り出す。
そして、長く黒い牙の生えた口を大きく開く。
今のスティフィにそれに抗う力は残されていない。
赤芋大将の上で自分の体の具合を調べたエリックはまだいけると判断する。
雷撃に身をさらしたせいか、体がしびれていて、うまく動かせない。
まともに剣を振ることも不可能だし、自分の脚で立って戦うことはできそうにはない。
けれども赤芋大将の上に乗ってその支援をすることなら、まだできる。
そう判断したのだ。
「大将! 竜と古老樹は同じ木曜種だろ? この剣を使えないか? でも後でちゃんと返してくれよ」
そう言ってエリックは赤芋大将に竜鱗の剣を渡そうと掲げる。
赤芋大将は根でそれをしっかりと受け取り、その代わりに蔓をエリックに巻きつける。
「おっ? なんだなんだなんだ?」
エリックが若干慌てていると、エリックの体から痛みと痺れがじんわりと消えていく。
エリックでもわかる。
それが超高度の癒しの魔術であることが。
「すげぇ、痛みが消えていくぞ! 大将そんなことまで、できるんだな!!」
これならまだ戦えると思うが痛みや痺れが完全に消えたわけではないし、まともに立てそうにもないのは変わらない。
赤芋大将の上にしがみついているのが楽になった程度だ。
エリックが思っているよりも、ピッカブーの放った黒い雷撃によって、深手を負っていたようだ。
赤芋大将の魔術を受けないで、そのまま戦っていたら命に関わっていたかもしれないほどに。
「エンラキエラ…… 俺が手助けする必要もなく倒してるじゃないかよ! さすがだぜ、大将!」
エリックが赤芋大将の上から周囲を確認すると、もうエンラキエラという外道種はほぼ駆逐され、逃げ惑う小さな青白い鬼火を赤芋大将が追いかけて潰しているところだった。
想像以上にこの赤芋の戦闘力が高いことがエリックにも理解できた。
この赤芋大将の上から魔術で援護しているだけで、町を守り切れるのではないか、そう思えるほどだ。
だが、そんなエリックの希望とは裏腹に、暗闇から何かが浮き出てきた。
それは場違いなほど雅な神輿だった。
数人の人型の蛙がそれを担ぎ、神輿の上には雅な着物を着た豪華な人型の蛙が神輿の上の豪華な玉座に座っている。
「ん? なんだあれ? 神輿か? あれは…… 蛙貴人ってやつか! 大将気をつけろ! あいつ、魔術にも似た術を多数使うらしいぞ!」
エリックはすぐにどの外道種なのかを判別し、目録に書いてあったことを赤芋大将に伝える。
蛙貴人は蛙人と呼ばれる外道種の上位種とも言える存在だ。
一説には種自体が違う種で、蛙人は蛙貴人に仕えるためだけに生まれてきた種であるという考え方もあるくらいだ。
それが正しいにせよ、間違っているにせよ、法の外にいる生物には変わりない。
蛙貴人は独自の妖術を数多く使う非常に強力な外道種でもある。
この大陸中央東にある膨大な湿原の中には、彼らの国があるという噂だ。
ただ、噂は噂だけでその国の存在を確かめた者はいない。
「えっと…… 待ってくれ、今目録を確認するからな! えっと、えっとぉ…… なんかあいつ、沼地で暮らしているくせに、泥で汚れることをすごい嫌っているらしいぞ! 何の役に立たないな! すまん、大将! 適当にやってくれ!」
エリックは赤芋大将の上で、目録を取り出し、必死に蛙貴人の項目を読む。
だが、書かれていることは最初にエリックが覚えていた、妖術を使うこと以外特に有益なことは書かれていなかった。
そうこうしていると、闇の中から大量の人影が、蛙人が武器を手に次々と出てくる。
「こんなに大量の蛙人!? あいつの配下か? あの砲撃を掻い潜ってここまで来たんかよ、相手もやるじゃねぇかよ! 俺も魔術で援護するぞ、大将!」
これほど大量の蛙人が、今も轟音と振動を轟かしている二つの塔の砲撃とも言える攻撃を掻い潜りやってきたことにエリックは驚きつつ、自身も簡易魔法陣が描かれた札を取り出す。
「状況はどうなっていますか?」
サリー教授が、伝令とやり取りしているジュリーに確認する。
「えっとえっと、報告がたくさん来ています! 西側でフーベルト教授がグエルドンと遭遇、それを即座に無事撃破、西側はそれ以外の戦闘の情報はないです」
それを聞いたサリー教授は眉を跳ねさせるのだが、無事撃破と聞いて、すぐに落ち着きを取り戻す。
それ同時に自分の夫が想像以上に優秀だと再認識し、うれしくなる。
「グエルドン? それを撃破ですか……」
サリー教授は冷静を装い、そう言ってグエルドンの特性を考え、恐らく考えなしに単独で攻めてきただけ、と判断する。
西側でも戦闘が始まったというのであれば大問題だが、それ以上の戦闘がないのであれば大局に差異はない。
「また北側でエリックさんがピッカブーと戦っているという情報が届いていますが、勝敗はわかりません。それ以外にも北側は多くの小競り合いの報告があります、大体は塀を挟んでの戦闘で重大な被害報告は届いていません」
その報告にサリー教授は安心するのと同時に訝しむ。
赤芋軍団が打って出てしまったので、北側の戦線が崩壊する可能性もあった。
だが、現状では大した被害は出ていないというのだ。
最初に予想していたより敵の勢いがない。
これなら赤芋軍団がミアを手元に置いて、打って出る意味はない。
さすがに籠城していたほうが、ミアの身は安全のはずだ。
ミアを手元に置いて、打って出るほうが安全なのだと、古老樹が判断したはずなのだ。
だとすれば、さらに予想外のことが起きているか、敵が戦力を温存しているかだ。
恐らく後者で、塀ができていたことで外道種達も様子見をしているのだろう。
それに芋の塔の存在はまとまった数での進行には驚異的だ。
だとすると、北側の敵本体はまだ森の中にいるはずだ。
「北側は塔の防衛を変わらず最優先で…… あの塔が落ちれば外道種が…… 大量の外道種が流れ込んできます…… よ」
どちらにせよ、あの塔を守らないとこの町に未来はないことは変わらない。
あの塔が砲撃を続けてくれている間は、大規模な進行は外道種であったとしても不可能なはずだ。
「はっ、はい!! 伝令さん、塔の防衛が最優先なのは変わらずと伝えてください! それと相変わらず東側の情報がまるで届きません」
ジュリーの言葉を聞いて、サリー教授は小さく舌打ちする。
想像以上に外道種の遊撃部隊の動きが速い。
おそらくは塔を破壊するために忍び込んでいるに違いない。
「もう侵入されましたか…… そちらはスティフィさんとアランさん、それと向かわせた赤芋軍団に任せるしかありません……」
だが、東も東でそれなりの戦力を割いている。
戦闘に長け、数がいるのが赤芋軍団だけというのが、この戦いで最大の弱点だ。
もう少し戦闘可能な兵がいれば、違った作戦も立てられたが、現状ではやはり誘い込んで外道種の遊撃部隊を排除するしかない。
そこで多少被害が出ようともだ。
「新しく東側に伝令を走らせますか?」
ジュリーがサリー教授に確認してくるが、サリー教授は即座にそれを否定する。
「いえ、危険ですので、今はいいです…… この天幕の周囲の赤芋軍団は何体いますか?」
今、新しい伝令を東側に走らせても、恐らく無駄に命を散らさせるだけだ。
それよりはこちらも戦力を残しつつ、現状維持を続けたほうがいい。
赤芋軍団の探索力なら、町に入り込んだ外道種も排除してくれるはずだ。
グレッサーとヤミホウシ、この二種の外道種の排除さえできれば、敵の遊撃の脅威は格段に下がる。
この戦いも夜明けまでは続かないし、夜明けになれば光を恐れる外道種達は一旦は引くはずだ。
特に闇に潜む、ヤミホウシとグレッサーの二種は引くはずだ。
そうすれば、また違った希望も見えてくる。
「えっと、えっと…… で、伝令さん、わかりますか?」
ジュリーは周囲の赤芋軍団の数を確認しようとするが、ずっとこの天幕の中でやり取りをしている。
周囲にどれくらい赤芋軍団が残っているか知る由がない。
「じゅ、十体以上はいたかと……」
急に聞かれた伝令の町民が慌てて答える。
実際にはもう少しこの中央広場には赤芋軍団が残ってはいる。
赤芋軍団もここを重要な拠点として理解してくれているようで、しっかりと戦力を残してくれている。
外道種の遊撃に、ここが襲われる可能性は低いはずだ。
「ならここは…… まだ安全なはずです。ミアさんの…… 追加の情報はないですよね?」
それだけの赤芋軍団がいるのであれば、ここはまだ安全なはずだとサリー教授も安堵する。
芋の塔同様に、各所に指令を出すこの場所も重要な拠点だ。
狙われる可能性は高いはずだが、それだけの戦力が残ってくれているならひとまずは安心だ。
続いて気になるのは戦場に連れ出されてしまったミアだ。
「はい、大量の赤芋軍団に連れられて、そのまま戦場を駆け巡っているそうです」
伝わってきている話ではミアは大量の赤芋軍団の真ん中にいて、戦場を駆け巡っているそうだ。
その赤芋軍団がどれだけの戦果を上げているのかがわからないが、多数のグアーランを轢き殺しているなんて情報も入ってきている。
サリー教授の想像以上に北の赤芋軍団が戦果を上げていて、それで被害が少ないだけなのかもしれない。
だが、サリー教授にはそれは希望的観測にしか思えない。
外道種達はやはり戦力を温存しているように、赤芋軍団達も未だに様子見しているだけに思える。
「彼女が安全であればいいです…… 西のグエルドンは、先行して? それとも暴走して…… どちらにせよ、十分な戦力は割いています。あまり気にする余裕もないですよね……」
サリー教授は今得た情報を基に現状を再び再構築していく。。
その過程で西側に襲撃があったことが個人的には気になる。
そのあたりを再考するが、やはり既に十分な戦力を割いているし、これ以上、西側の戦力をどこかに移動したら西側でも戦闘が始まる可能性は高い。
そういう意味でもグエルドンという強力な外道種を即座に倒してくれたことはありがたいことだ。
西側にいる外道種達も警戒を強め、軽はずみに攻め込んでくることも難しくなるはずだ。
「ど、どうしますか? え? あ、はい! エリックさんが赤芋軍団の、最初に巨大化した奴ですね、それと合流して町を守っているそうです」
そこへ更に北側の伝令が走り込んで来て、ジュリーに伝える。
それが朗報だったので、ジュリーも笑顔になる。
「そうですか。思ったより…… 戦力が分散している? 外道種の…… 数が想定よりも少ない? なのに、赤芋軍団が打って出た…… やはり敵はまだ戦力を温存している? それとも敵にも予想外の何かが?」
それを聞いたサリー教授は再考する。
その結果はやはり敵は戦力を温存している、そう判断する。
そう考えたほうが、読み間違えた時でも取り返しがつきやすい。
「ど、どうしますか?」
ジュリーが不安そうにサリー教授の顔を覗き込んでくる。
サリー教授としては塔が落ちないのであれば、現状維持でいい。
それで戦場は大きくは動かないはずだ。
例え、相手が戦力を温存していても塔が無事なら、それで問題はさほどない。
問題は主力が、北以外に回られることだが、赤芋軍団が北側を牽制しているのであれば、主力もまだ北にいるということで間違いないはずだ。
それにこの町の周囲で大軍を隠せるような場所は北側にある森くらいのものだ。
夜になり見通しが悪くなったとはいえ、町の東と西は見通しの良い平野が続いている。
大軍であれば、さすがに分かるはずだ。
「とりあえず…… 一旦はこちらからの伝達はなしで。必要な伝令以外は…… 休ませてください……」
朝まで耐えれればどうにかなる。
サリー教授はそれを第一の目標に決める。
「は、はい! わかりました。で、戦況はどうなんですか?」
ただジュリーには戦況がまるで分からない。
どっちが有利なのか、それすらもよく理解できていなく不安でしかない。
「良くも悪くも…… 敵は力を温存していると…… 見るべきですね…… 想定しているより外道種の数が少ないです……」
サリー教授の予想では北側は既に激戦となっていたはずだ。
芋の塔からの強力な砲撃、赤芋軍団が打って出たにしても、それは変わらない。
現状だけを見るなら、こちら側が大分有利だ。
ただ、西側にグエルドンを回していたりと、外道種側も即座にこちらへの対応をしているのを感じる。
確かにグエルドンの特性上、大量にいる赤芋軍団相手には大きな損害を与えられるが、足の遅いグエルドンは芋の塔からの砲撃の良い的にもなる。
また腐敗を促す粘液は友軍の進軍の邪魔にもなる。
少なくとも相手はそれらのことを理解しているということだ。
それでグエルドンを西側へと回したのだろう。
ただ闇雲に攻めてきているわけでなく、随時状況に対応できる司令塔ともいうべき存在がやはりいるのだと、サリー教授は確信する。
「温存? なんですか? 敵の主力と思われるグアーランはミアさんを連れ出した赤芋軍団が相当数撃破していると、少し前にも報告にありましたが……」
ジュリーは不利なことをあまり信じたくなくて、サリー教授に半ば混乱気味に聞き返す。
「それで撃破できたなら…… 赤芋軍団はミアさんを連れ出してませんよ……」
サリー教授はジュリーために笑顔を作ってから、そう答えた。
「そっ、そうなんですか?」
ジュリーはサリー教授に微笑まれたことで、とりあえず安心し、平静を何とか取り戻す。
だが、現状は何も変わらない。
「これからが本番、かも…… 知れないですね…… 気を引き締めて…… 夜はまだ始まったばかりです」
サリー教授は笑顔をやめ、再度今の現状を頭の中で整理しなおす。
色々と不可解なことが多い。
恐らく自分の知らないところで何かが起きていることだけは確かだ。
サリー教授も今まさに、敵の大将に神の御使いが嗾けられるとは夢にも思っていない。
それは仕方のないことだ。
「は、はい!」
ジュリーは不安そうに返事するものの、自分にできるのは伝令役とサリー教授の間を繋げることだけだ。
あとがき
万が一、いや、千が一、百が一……
十が一、誤字脱字があればご指摘ください。
指摘して頂ければ幸いです。
少なくとも私は大変助かります。
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