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学院の魔女の日常的非日常  作者: 只野誠
滅んだ村の儀式と彷徨い迷う者

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滅んだ村の儀式と彷徨い迷う者 その11

 腰が抜けそうなジュリーを先頭に、サリー教授、ミアは狭い地下通路を抜けて、石碑の地下にある石室へと戻って来た。

 ジュリーが震える手と足でもたもたと梯子を上り、それをサリー教授が下から力尽くで押し上げる。

 ミアはそのうちに脱いで畳んでおいた、本来着ていた服、ロロカカ神の巫女服を手に取る。

 これをここに残しておくわけにはいかないとミアはその服を大事そうに抱え持つ。

 かなり分厚く重い服なので、少しだけそれに手間取る。

 そうこうしていると通路の先から何かが迫ってきていることをミアも感じ、ジュリーとサリー教授の服を回収することを諦めて、ミアもジュリーを押し上げるのを手伝った。

 梯子に足をかけて、肩でジュリーの尻を押し上げる。

 なんとか梯子を上っているジュリーにエリックが梯子の上から手を伸ばし、その手を取りジュリーを力強く引き上げる。

 その後を、すぐさまサリー教授がするすると梯子を上り切り、

「逃げます!」

 と、一言、必死な顔で叫ぶ。

 フーベルト教授はサリー教授の恰好に驚きつつも、目のやり場に困りながら頷く。

「わ、私、足が上手く動かなくて」

 と、ジュリーが慌てて叫ぶと、それを聞いたエリックが役得とばかりに、地母神の衣に身を包んでいるジュリーを抱え上げて走り出す。

 スティフィはミアが上がってくるのを待っていたが、ミアが梯子を上り切ると荷物持ち君がやって来て、ミアをそのまま抱き上げて南の出口、馬車があるほうへと颯爽と駆け出した。

 それを見たスティフィも理解する。

 相当な危険が迫っているのだと。

 荷物持ち君、古老樹がミアの命令を待つことなく逃げ出すほどの事なのだと。

「荷物持ち君が逃げ出すって、よほどの事よね?」

 と、スティフィも走り出しながら、誰に言うでもなくその言葉を口にした。

「とにかく南門に止めてある馬車を目指しましょう」

 フーベルト教授が叫び、南門へと向かい全員が走り出す。

「す、すいません、お二人の服を拾っている時間はありませんでした」

 既に全員を追い抜かし先頭を行く荷物持ち君に抱えられたミアが、二人を追い抜いた際に、サリー教授とジュリーに声を掛ける。

 危うく舌を噛みそうになるが何とか噛まずに済んだ。

 荷物持ち君に抱えられていて非常に揺れている。つまり荷物持ち君が丁寧に運んでいる猶予はない、そう判断しているのだ。

「そんな事は後で」

 サリー教授は自分の足で走りつつ、追い抜いて行った荷物持ち君の後を付いて行く。

 ミア達が少し離れた頃、フーベルト教授が張った簡易的な護封陣が内側から破裂するように破られる。

 そしてそこから、生きている人間には即死するほどの、泥のように濃厚な淀み切った地脈が溢れだす。

 その溢れだし淀んだ地脈の気の中から、異形の幽霊が沼の底から這い出るように現れる。

 エリックに抱きかかえられ、心配そうに石碑の方を見ていたジュリーはそれを目にする。

「ひぃぃぃ! あの幽霊が地上に出ました! 槍が胸に刺さったままです!!」

 エリックに抱えられているジュリーにはそのおぞましい、元々人だったとは思えない、その姿を再び見てしまう。

 しかも、ミアに投げ刺された槍を胸に突き刺したままだ。

 あの幽霊は姿が恐ろしいだけではない。

 人を狂わせる狂気を内に秘めている。

 ジュリーがただ単に怖がりだからといって、ここまで取り乱しているわけではない。

 あれは、見るものを狂わす、そういう存在なのだ。特にジュリーが取り乱しているのは、その姿を見れる眼を持ってしまっているからだ。

「槍?」

 と、フーベルト教授が走りながら振り返ると、不自然に槍だけが空中に浮いているのを目にする。

 フーベルト教授には幽霊の姿を見ることはできないようで、それに突き刺さった槍だけが見えているようだ。

 だが、振り返ってそれを見たフーベルト教授も心をかき乱される。

 すぐに見るのをやめて逃げることに集中する。

「なんか槍が宙に浮いて勝手に動いているわね」

 スティフィもそれを見て、その場に何かがいるのだと、なにも感じずとも理解はできた。だが、それの恐ろしさをまるで感じられていない。

 今のスティフィは鈍いが故に、心を乱されることはない。

 それまでスティフィは殿を務めていたが、その様子を見て一応は距離を取っておこうと足を速める。

 とにかく危険だということだけは理解できている。

「アレに捕まったら、死にます! あれの周りにあるのは淀んだ地脈の塊ですよ!!」

 普段のおどおどした喋り方ではなく、きっぱりとした口調でサリー教授が注意を飛ばす。

 スティフィとミア以外は、そんなこと言われるまでもない、とばかりに肌で死そのものを感じ取っている。

 ミアだけは、敵意、恨み、怒り、そういった感情のみを感じ取っていた。

 薬で感覚が鈍っているスティフィは、それすらも感じていない。

「げっ…… 何にも感じられないわ」

 スティフィは周りの状況から、相当危険な状況なのだと受け取っているだけだ。

 だが、スティフィは魔術により強化を失い、身体能力も弱体化しているとはいえ、元々鍛えられた兵士であることは変わりない。

 スティフィはジュリーを抱えて走るエリックとフーベルト教授を、軽々と追い越してサリー教授のすぐ後ろまで一気に追いつく。

「とにかく馬車に乗りこんで逃げればいいんだな?」

 ジュリーを抱えたエリックも迫りくる死の気配を背に受けながら、必死に足を動かす。

 だが、錯乱気味のジュリーを抱きかかえてなので、どうしても動きが遅くなる。

 結果、最後尾を走ることとなる。

「急ぎましょう」

 フーベルト教授が振り返らずに、全員に檄を飛ばす。


 一番最初に荷物持ち君が南門の近くに止めてある馬車にたどり着き、その中にミアをそっとではあるが投げ込む。

 そして、馬車の外に広げてあった荷物を馬車の中へ、旅に必要な物から、てきぱきと馬車の中へと、今度は雑に投げ込んでいく。

「皆さん、こっちです!」

 投げ込まれたミアは、すぐに身を起こして馬車から身を乗り出して叫ぶ。

 これからの旅に必要な物だけを馬車に積み込んだ荷物持ち君は、今度は御者台へと飛び乗り、南門から馬車を出していく。

 一番時間がかかるのは馬車を門から出す作業だ。この村の門はそれなりに大きいとはいえ、馬車も大きく長い。

 先にそれだけは終わらせるつもりなのだろう。

「流石、荷物持ち君、仕事が早い」

 それを見たスティフィが荷物持ち君を褒め称える。

 これなら余裕を持って逃げ出すことが可能そうだ。

 最後尾のジュリーを抱えて走るエリックを待っていても余裕がありそうに見えるし、槍の刺さった幽霊とやらは特にこちらを追っかけて来ないのか、既に見失っているのか、あとをついて来てもいない。

 だが、ジュリーには見える。

 南門の地面からは無数の白い手が生えてきていることを。

 まるで手探りで何かを探すかのように地面から手が生えて来て動き出している。

 それがこの村から出るものを妨害しようとしていることがジュリーにはわかる。

 流石に古老樹が運転する馬車には手が出せないのか、馬車は素通りさせる。

 だが、続いて門に入って来たサリー教授はその足を掴まれる。

「み、南門、気を付けてください! 地面から無数の手が伸びてきています! 足を掴まれます!」

 ジュリーが悲鳴のように叫ぶと、サリー教授はその強靭な肉体と地母神の衣の力で強引に無理やり、無数の手の生えた南門を突破する。

 その後をフーベルト教授がこっそりと付いて行く。

 スティフィは逆にジュリーの言葉で足を止めてしまう。

 辺りの様子を探るのだが、今のスティフィにはまるで分らないので立ち往生してしまう。

「うおっ、なんか足を取られるぞ、ここ」

 最後に、走ってきたエリックが門の手前で止まっているスティフィを追い越して、門に駆け込んでい行く。

 そして、門の地面から生える手に阻まれて、足を止めてしまう。

「ひぃぃぃい!! 手が、手が掴んでいます! 右足のくるぶしのところです!!」

 若干恐怖で暴れながら、エリックに抱きかかえられたジュリーが叫ぶ。

 両手でジュリーを抱えていたエリックは左手だけでジュリーを支え、

「ジュリー先輩、俺に自分でしがみ付いて」

 と、エリックは大声で叫び返す。

 それを聞いたジュリーはエリックの左腕に必死にしがみ付く。

 自由になった右手だけで器用にエリックは竜鱗の剣を抜く。

「竜鱗の剣、おまえなら、幽霊だって斬れるよな!」

 そう、自分に言い聞かせるようにエリックは言って、ジュリーが言っていた、いや、自分の足が掴まれていると感じる右のくるぶしの辺りを剣で払う。

「き、斬れました!! しっかりと斬れています!」

 刃で斬るというよりは、剣の腹で払っただけではあるが、ジュリーの眼には、まるで泥で出来た手が崩れ落ちるかのように、地面から生えて来ている手が消えていくのを捕らえることができた。

「実感はまるでないな」

 エリックからしたら何の手ごたえもない。

 それでも、足を掴まれているような感覚だけは消えた。

 竜鱗の剣を右手に、ジュリーを左手で抱えつつ、エリックも南門を抜ける。

「そんな事より急いでよ! 後ろ詰まってるんですけど?」

 一旦躊躇していたスティフィもエリックの後を行くように南門に入って来ていた。

 今のはエリックが急に止まり、剣を抜いて足の方を払っているのを見ての発言だ。

 そんなスティフィに向かいジュリーが叫ぶ。

「あなたの足も掴まれてますよ!」

「確かに動きにくいわね」

 妙に足が取られるとスティフィは思っていたが今はそれしか感じることができない。

 何かに掴まれていると言えば、確かにそんな感じもする、といった程度だ。

「待ってろ、どっちの足だ?」

 エリックが幽霊を見ることができるジュリーを抱えたまま、スティフィのところまで戻って来て竜鱗の剣を構える。

「こ、今度は左、左のふくらはぎ!」

 地面より生えてくる無数の手をあまり見たくないが、仕方なくといった感じでジュリーは見て、半ばやけくそで叫ぶ。

「ここか?」

 言われた場所を竜鱗の剣で薙ぎ払うがやはり手ごたえはない。

 エリックも自分が掴まれているわけでもないので、掴まれている場所が把握できていない。

「もっと下! もう少し下です!」

 それを見たジュリーが少し煩わしそうに叫ぶ。

「こうか!」

 言われた通り、エリックは剣に位置を少し下げてからもう一度剣を払う。

「そこです!!」

 竜鱗の剣で払われた地面から生えている手は簡単に掻き消えていく。

 自由になったスティフィは、もう掴まれないように飛ぶように跳ねて馬車に乗りこんでいく。

「速く乗り込んで!」

 先に乗り込んでいたフーベルト教授が結局最後になっている、エリックとジュリーを急かす。

 もうすぐそこまであふれ出てきている淀んだ地脈が流れ出て来ている。

 エリックとジュリーが乗り込んだのを確認して、荷物持ち君が馬に鞭を打ち、馬車馬を街道へ向けて走らせる。

 少しずつ離れていく村を見ながらミアは、

「盟約は、あれで解除できているんでしょうか?」

 と、村を見ながら呟く。

「とにかく今は…… ここを離れてください! 淀んだ地脈があふれ出ます……」

 サリー教授も遠ざかる村を、そこからあふれ出る淀んだ地脈を見ながら、ミアの呟きに答える。

 あの村の地下を流れていた凝縮された淀みが溢れ出ている。

 それはミアが制御陣をズタズタに斬り割いたせいだが、村にあった盟約も同時に破棄されたはずだ。

 正規の手順ではなかったが、盟約自体を無効化したのだ。少なくとも地母神があの村に縛られる意味はないはずだ。

 だが、このままでは街道のほうまで淀んだ地脈が溢れだすかも知れない。

 この先にあるという、最東にある騎士隊詰め所に知らせ、封鎖してもらう必要が出て来る。

「エリック! もっと早く馬車を走らせて!」

 スティフィがサリー教授の言葉を聞いて、御者台へと行っているエリックに声を掛ける。

「だってよ、荷物持ち君!」

 ただエリックはとりあえず御者台に座っているだけで、手綱を握っているわけでもない。

 エリックは、まるで他人事のように手綱を握る荷物持ち君に、そう言っただけだ。

 その言葉に荷物持ち君が反応するわけもない。




 街道まで出て街道を馬車が進んでいると、村があった方角から天に向かい光の柱が伸びているのをミアは目にする。

 まだ昼間だというのに、その光は辺りを照らしている程の光量だ。

「村の方角を見てください!」

 ミアはその光の柱を指さす。

「光の柱…… ですか?」

 それにサリー教授とフーベルト教授がいち早く反応する。

 フーベルト教授はそれを見て推測する。

「盟約が解除されたのでしょうか。神が、地母神が天へと帰って行っているのかもしれないですね」

 その言葉に確証はない。

 そもそも契約破棄の場にフーベルト教授は居なかったのだ。

 地下でミア達が何をして来たのかも、まだ詳しく聞いてない。

 ただその言葉を聞いたミアは、

「良かった、頼まれ事は無事できたということですよね」

 と、安心して息を吐き出す。

 ミア的には無事逃げ出せた、というよりは神からの頼まれ事を無事達成できた、という方が重圧だったような言い草だ。

「正規の手段じゃなかった…… と思いますが…… 良かった……」

 サリー教授の目から見ても、あの光の柱は神が天界へ、神の座へと神が戻っていくことろに違いない、そう思える。

 サリー教授の言葉に、馬車の中全員が神からの頼みごとを達成した、と、一息ついた時だ。

 その声はどこからともなく、しいていえば天からだろうか、聞こえて来る。

「本当にな。だが、助かった。褒美にその衣はそのまま授けよう。好きに使うがいい。後…… ロロカカにも…… よろしく言っておいてくれ」

 確かに女性の声で、どこか不満がありそうなように、その声は伝えてきた。

「地母神!?」

 と、ジュリーが辺りを見回すが、神が姿を現したわけではない。

 声だけを伝えてきたのだ。

「神様にお礼を言われました……」

 ミアも驚いて真顔でそう言った。

 まさか神といった存在がお礼を言ってくれるとはミアも考えてなかった。

「やり遂げた…… のですよね」

 その言葉があったからこそ、サリー教授は本当にやり遂げたのだと、力なく馬車内の座席にもたれかかる。

 そんなサリー教授とジュリーにフーベルト教授は、とりあえずあられもない恰好を隠すように毛布を渡す。

 ついでにミアはロロカカ神の巫女服で体に当てて、その姿を既に隠してはいる。

 フーベルト教授から毛布を受け取ったサリー教授とジュリーは毛布を肩から羽織って、その姿を隠す。

 着替えを探すのはもう一息ついてからでいい。

「ですね。三人ともよく無事で戻って来てくれました」

 フーベルト教授が三人をねぎらう。

 そして、地下で何があったのかを知りたくてうずうずしだす。

「この服、くれると言っていましたが、どうしますか?」

 ミアは少し困るかのようにそう言った。

 着るにしても布面積が少なすぎる。

 普段、着れるような服でもない。

 薄着の割に空気の層なようなものがあり寒くはないのだが、少なくともミアにはこれを着て人前に出る勇気はない。

「そのまま下着にでも着てればいいんじゃない? 御利益はあるでしょう? 地母神の衣ってなら」

 スティフィはそう言って笑った。

 それを聞いたミアも、確かに下着としてなら、と納得する。

 地母神も好きに使えと言っていたので、下着として使っても問題はないはずだ、と自分に言い聞かせる。

「ですね…… ですが…… とりあえずは、上に羽織る物を用意しないと…… いけないですね」

 サリー教授はそう言って、余りにもこの衣は布地が少なすぎると荷台の方に着替えを探しに行く。

 そこに雑に投げ込まれ散乱したものを見てため息をつく。

 いや、逆にあの状況で良くこれだけ物資を回収できたと驚くべきなのだが、乱雑に投げ込まれた物を見るとどうしても、サリー教授はため息が出てしまうのだ。

「わ、私の旅用の一張羅が……」

 ジュリーはそう言って、地下の石室に置いてきてしまった旅用に新調した服の値段を思い出す。

 あの時はミアのように気にしている余裕はなかったし、もたもたしていたら自分は間違いなく淀んだ地脈に飲み込まれていたはずだ。

 そうなれば少なくとも助けは来ない。

 地母神の衣があるので、すぐに死ぬわけではないが、それはただの時間稼ぎに過ぎない。

 あの時はあそこに着替えを置いてくるしかなかったのだ。

 故郷に仕送りをしながら、どうにか買った旅用の装備だっただけに、落ち着いた今は口惜しくて仕方がない。

「ジュリー先輩、その服も似合ってるぜ!」

 御者台にいながらも内部の話が聞こえていたのか、エリックは馬車内へと声を掛ける。

 それに対して、ジュリーは顔を赤らめ、

「こっちを見ないでください!」

 と、今更ながらに怒る。

 自分がエリックにこんな格好でしがみ付いていたなど、思い出すだけで顔が赤くなる。

 そんな様子を見てフーベルト教授も終わったんだと、理解しつつ、自分の知識欲を満たすために、

「とりあえず、そろそろ詳しい事を聞かせてくれますか?」

 と、笑顔でそう言った。


 サリー教授は荷台を片付け始め、一人では埒が明かなかったのでジュリーも強制的に片付けに参加したのでミアがフーベルト教授に説明する。

 ただサリー教授も話は聞いていて、何か間違ったことがあれば、その都度、片付けをしながらもミアの発言を訂正していった。

「大地の槍ですか。そんな物まであったんですね」

 話を聞いたフーベルト教授はあの空中に浮いていた槍が大地の槍だったのだと理解する。

 それと共に神器を幽霊に投げつけるミアの度量にも驚く。

 咄嗟のこととはいえ、よくその判断が出来たのだと。

「戦士の村だったからあったのか? 伝説の武器ってわけか」

 神器の槍と聞いて、御者台にいるエリックも話に入ってくる。

 竜鱗の剣を所持しているとはいえ、伝説の槍と聞くと、その槍を手にしたくはなる。

 ついでにエリックが御者台にいるのは、もし他の馬車とすれ違うようなことがあったら、この先が危険だと注意をするためだ。

 馬車の御者自体は荷物持ち君がやっている。

「儀式破棄用の…… 祭具の類…… ですよ…… 武器としての性能はどうでしょうか……」

 恐らく神与文字を破棄する役割を持った槍なのだろうと、サリー教授は推測している。

 戦闘用として使えない訳でもないだろうが、本来の役割とは違うのかもしれない。

「けど、大収穫だな。呪術書二冊に、スケベ服三着とか」

 儀式用と聞いて、エリックは大地の槍に興味を失う。

 その代わりにあの村で得た物を口に出す。

 スケベ服は、地母神の衣の事だろうが、呪術書の方にミアは心当たりはない。

 ミアが疑問の声を上げるよりも早く、荷台で片づけをしているジュリーが、

「ふざけてるんですか? 本当に怒りますよ!」

 と、叫ぶ。

 ジュリーは未だに毛布を羽織っている。それは荷台が散らかりすぎていて、着替えをまだ出せていないからだ。

「呪術書なんてありましたか?」

 ジュリーの叫び声を受け流したミアはエリックに聞き返す。

 ついでにミアはとりあえずロロカカ神の巫女服を上から着ていて、既にいつもの姿に戻っている。

「門で見つかった本と、スケベ服があった部屋の二冊だろ?」

 エリックは御者台から上半身だけ馬車内に乗り込んできてそう言った。

「呪術書なんですか? あの本」

 それに対してミアはもう一度、そう聞き返す。

 ミアの認識では呪術書というよりは、ただの村の記録のような物だ。

「フーベルト教授の話ではそういう話ね。村の記録であるとともに、それ自体も呪術書なんだってさ」

 スティフィが補足する。

 ミア達が地下に行っている間にも、フーベルト教授はサリー教授に変わり、その本を解読しようと試みていた。

 だから、その二冊とも呪術書の一種だと、わかっている。

 ただ二冊だけではあまり意味はない。

 他の門の下にも埋まっていただろう他の本も入手できなければ、あまり意味のないものだ。

 全巻揃えて初めて呪術書となるような代物で、その内容は地脈の動きを制御できるという恐ろしい呪術書でもある。

 だからこそ、複数に分けて管理していたのだろう。

「まあ、一種の、という感じではありますがね」

 フーベルト教授はそう言って、その本の内容を確かめるように一度本を開く。

 だが、それはミアの話を聞きながら読み進められるようなものでもない。

 すぐにその本を閉じる。

「とにかく…… 全員無事で…… 良かった……」

 その様子を見て、サリー教授も安心した顔で全員に語り掛ける。

「ええ、本当に」

 それに対してフーベルト教授が笑顔で返す。




 ディアナに急かされて急いでやってきたマーカスとアビゲイルは滅んだ村の現状を見て息を飲んでいた。

 辺り一面に淀んだ地脈があふれ出ている。

 しかもただの淀みではない。あまりにも濃すぎて泥のようになっている淀みだ。

 冥府の神から印を受け取り、力を授かった聖獣の白竜丸がいるから、その周囲だけは淀んだ地脈は払われ、押し返せている。

 白竜丸の周囲に居れば、淀んだ地脈の影響を受けることもない。

「はぁ、なんですか、これは……」

 この惨状を見たアビゲイルにはその言葉しか出てこなかった。

 なにがどうしてこんな惨状になっているのかアビゲイルでも理解できない。

 既に土地の汚染といってよいほど深刻な状態だ。

 このままではこの土地は死の土地となり、人の住めない土地になってしまう。

 とはいえ、元々この辺りに住んでいる人間はもういないのだが。

「空気が悪いですね。これが村だったん…… ですか。思ったよりも荒廃してますね」

 辛うじて原型を保っていた村が、あふれ出た淀みにより汚染され、急速に荒廃していっている。

 生い茂っていた草木も枯れ、もしくは奇妙な色に変色し変異していっているほどだ。

 既に淀んだ地脈により生態系が狂い始めている。

「悪いってもんじゃないですよぉ、白竜丸ちゃんから降りないでくださいねぇ、白竜丸ちゃんの傍だから無事なだけで、そうじゃなかったら中毒死してますよぉ」

 あまりにも濃い淀んだ地脈にアビゲイルは注意を促す。

 それと同時に、師匠であるマリユ教授がこれを見たら喜んで土地を確保に走るだろうとも考える。

 村自体が巨大な呪詛のような物だ。

 呪術師からすれば、宝の山だ。

 いや、宝が多すぎて身を亡ぼすほどの物でもある。

 しかも、呪詛というにはこの村はもう術が破綻しすぎている。とても危険な状態だ。

 並の呪術師なら見ただけで手が付けられない、と逃げ出すような惨状だ。

「死後の世界に少し似た雰囲気を感じます」

 マーカスは淀んだ地脈から、死後の世界と同じ物を感じ取る。

 死後の世界も動きがなく淀んだ世界だ。

 ただ、この地脈には死後の世界以上に、穢れのような、どこか腐敗臭に似たものを感じてはいる。

「これは地脈の淀みですよぉ。これほどの淀みは千年くらいはじっくり熟成されているのではないですかねぇ」

 中央東の沼地地帯。

 あそこも淀んだ土地ではあったが、これほど濃い淀みではない。

 ここの淀みは恐らく外道種ですらも中毒死するほどの濃さがここにはある。

 どこか意図的に凝縮されたような淀みだ。

「後始末! 後始末! 後始末! これもこれもこれも、我ら、我ら、我らの使命! 使命! 使命!」

 ディアナはそう言って白竜丸の背中に座ったまま踊り始めた。

 この惨状をどうにかするのも、後続組の使命だというのだ。

「えぇ…… これをどうにかって、どうすればいいんですかぁ?」

 アビゲイルは嘆くように言った。

 これをどうにかするとなると、余生をここで過ごさなければならないほどの大仕事だ。

 なにより呪術として既に破綻しているので、アビゲイルでも、どこから手を付けたらいいかわからない。

「アビゲイルの得意分野では?」

 と、マーカスは他人事のように聞く。

 確かにアビゲイルの得意分野ではある。

 この土地を正常な方法に戻す方法も知っている。

 だが、それにはどうしても長い年月を費やさなければならない物だ。

「ですが、一人でこれをどうにか…… なにかいますね」

 それを説明しようとしたところで、アビゲイルは何者かが近づいて来ているのを感じる。

 強い怒りと怨念を秘めた、いや、隠しもせず周りにまき散らしている何かだ。

 周囲の強烈な淀みがそれを紛らわせているだけだ。

「槍の刺さった異形がこちらを見ていますね」

 冥府の神の使いとなったマーカスにはその姿を感じ取ることができる。

 ジュリーのようにしっかりと目に見えている訳ではない。

 それがどういう姿でどこにいるかとか、それを感じることができるのだ。

 それと同時にマーカスは嫌な胸騒ぎも感じ始める。

 感じ取れた存在がそういった、心を掻き乱すような存在なのだろう。

「死者ですか? 見れるんですかぁ?」

 アビゲイルが羨ましそうにそう聞いてくる。

「見えるというか、感じるって感じですね。かなり怒り狂ってはいますが、白竜丸に恐れをなしていて近づいては来ませんね」

 その死者は我を忘れるほど怒り狂っている。

 まるで長年勤めを必死に果たしてきたのに、いきなりすべてを台無しにされ、そのまま打ち捨てられたかのように、そうマーカスには感じられる。

 ただ、マーカス達が乗っている獣は、冥府の神により力と印を授けられた聖獣だ。

 死者、幽霊にとっては天敵そのものだ。

「白竜丸ちゃんに?」

 とアビゲイルはこんなにかわいいのにと、その背中を撫でる。

「白竜丸は冥府の神の聖獣ですよ? 死者は自ずと恐れるものですよ」

 死者からすれば、自分を迎えに来た死神そのもののような存在だ。

 抗えるわけがない。

「あ、あの槍、神器ですねぇ。あれもミアちゃん達の仕業なんですかねぇ?」

 アビゲイルの神から授けられた眼には、姿は見えなくとも魔力の流れは把握できている。

 淀みが凝縮されたような魔力の塊に、金色の魔力を放つ槍が深々と突き刺さっているのは理解できている。

「あの死者、かなりやばいですね」

 マーカスはただの人間ではあるが、冥府の神の使いでもある。その死者の力の力量を推し量れる。

 少なくとも四人の魂が折り重なり呪術で縫い付けられている。

 それらを補強するかのように様々な無数の魂が後から捧げられ、吸収されていっているような化物だ。

 それが淀んだ地脈を吸い続け長い年月を経た本物の化物だ。

 尋常な存在ではない。

「この地脈というか、この呪術の慣れ果ての核ですねぇ、あれをどうにかしないとダメでしょうねぇ」

 それを見たアビゲイルは少し安心する。

 この村だった場所にあるのは既に破綻した呪術の成れ果てだ。

 これをどうにかするには、とても時間がかかるものだ。

 だが、目の前にはそれをまとめ上げているような存在がいるのだ。

 それをうまくこの村の呪術から切り離せれば、想像以上に早く片が付くはずだ。

 あの呪術の核が破綻してしまっているから、この村の呪術は破綻してしまっているようなものだ。

「後始末! 後始末! 後始末!!」

 アビゲイルの中で目途が立った、それを見透かすかのようにディアナが再び暴れ始める。

 マーカスも軽く息を吐いて覚悟を決める。

 あの死者は強力な怨念そのものだが、白竜丸がいる今なら、その排除は簡単だ。

 白竜丸に喰わせてやるだけでいい。

 今や白竜丸の胃は冥府と繋がっているのだから。

 超強力な呪術を飲み込んだ白竜丸をどうにかするために、冥府の神が仕方なくした処置だったが、そのおかげで今や白竜丸は生きて動き回る冥府の門そのものなのだ。

 それが如何に強力な死者であっても、冥府の門たる白竜丸には手も足も出ない。

 まさに天敵という奴だ。

「ディアナちゃんがこの調子ですし、やるしかないですねぇ。まあ、私の眼でも居場所くらいはわかるので対処のしようはありますが」

 そう言ったアビゲイルの眼には四種類の核となっている魔力、その核を支えるように取り巻く複数の多くの魔力、そして、それらを塗り固めている淀んだ地脈の魔力をそれぞれ捉えている。

 本来なら、そう簡単に倒せる相手ではないのだが、白竜丸が今はいるのだ。

 破綻した呪術ごと冥府に送ってしまえば、簡単にこの村の呪術から切り離せる。

「なら、早速白竜丸に喰わせましょう」

 そう言って、マーカスは白竜丸の頭を軽くたたき、異形の幽霊がいる方を指さす。

 白竜丸の意識がそっちに向かい、様子を伺っている幽霊を、死者を、餌として認識する。

 そして、のっそのっそとそちらへと向かっていく。

「えぇ? あれを食べるんですか?」

 と、アビゲイルは驚いて見せる。

 アビゲイルが驚いた理由はあんな貴重で育った呪詛を喰わせてしまうとはもったいない、そういう意味での驚きだが。

 まあ、アビゲイルとしても冥府に送らなかったら、それはそれで大変なのだが。

「何度も言わせないでください。白竜丸は冥府の神の聖獣ですよ」

 アビゲイルの真意に気づかなかったマーカスはそう言って嬉しそうにする。

 この辺りは死者の世界がない。

 つまり、死者の所有権を主張する神は居ない。

 なら、マーカスが信仰する神の元に死者を送りつければ、神は喜ぶだろう。

「そういえば、白竜丸ちゃんは以前も呪痕を食べてましたね」

 そんな話を聞いていたことを思い出す。

 誰かが魔術学院の地下下水道で育てていた呪痕をこの鰐が食べていたという事を。

「それに、今は白竜丸の胃は冥府と繋がっています!」

 どんどんと異形の幽霊相手に速度を速めていく白竜丸に、マーカスも同調するように興奮しながら叫ぶ。

 幽霊は踵を返し、白竜丸から逃げるような行動を取っているが、死者は冥府の門に吸い寄せられるものだ。

 如何なる死者もそれに抗えはしない。

「初耳ですよぉ、それ」

 あの我を失うほど怒り狂っている死者が恐れて近寄って来ないのも納得の理由だ。

「白竜丸、御馳走ですよ!」

 マーカスは白竜丸に同調するかのように興奮して叫ぶ。


 異形の幽霊は白竜丸に抵抗虚しく丸呑みされてしまった。

 白竜丸は満足そうに、グルルルルルルゥと鳴いている。

 マーカスは白竜丸が吐き出した槍を拾い上げる。

 金ではないが、金色に輝く金属でできていて、金属なのに、冷たさではなくほのかにぬくもりのような暖かみがある。

 とても不思議な槍だ。

「その槍、やっぱり神器ですねぇ」

 アビゲイルは白竜丸の背に乗ったまま、その槍を見てそれを神器だと断言する。

 武器として使えるか、といわれると少し小振りだ。だが少し小ぶりなだけに軽く扱いやすそうではある。

 神器というならば、これからの旅に役立ってくれるかもしれない。

「どうします? もうミア達を追いますか?」

 マーカスは槍を持ちながら、白竜丸の背に登りながら聞く。

 アビゲイルに向けての質問だったが、答えたのはディアナだ。

「後始末! 後始末! 後始末!! 後始末が先! 先!」

 目を輝かせ、両手を上げてディアナはそう言った。

 ついでに左肩についている御使いのアイちゃんは、ディアナがやたらと手を動かすので迷惑そうに目を細めている。

「ダメみたいですねぇ、まあ、このまま放置したらこの土地は死にますしねぇ。我々でどうにかしましょうか」

 アビゲイルはそう言って白竜丸の背から廃村を見回す。

 どういう訳か淀んだ地脈は外道種に好まれる。

 このままここを放置するとここが外道種の住処になってしまってもおかしくはない。

 ただここまで淀みが進んでいると外道種達も中毒死する可能性もある程だ。

 それほどまでにここの地脈は淀んでいる、いや、腐りきっている。

 アビゲイルとしても興味深い場所だ。少しは調べておきたいという気持ちもある。

「お任せしても?」

 ただマーカスには、この村をどうしたらいいか、皆目見当もつかない。

 アビゲイルに任せるしかないのだった。

「マーちゃんも呪術の才能はあると聞いてますよぉ?」

 アビゲイルが師匠であるマリユ教授から聞いた話ではそうだ。

 マーカスも外道狩り衆の血を引いている。

 呪術師としての才能を持ってはいる。

「正式には習ってはないですよ、こう見えて騎士隊候補生だったんですよ?」

 マーカスの言い分は最もで、騎士隊に必要な知識は呪術に対処する知識で、呪術を扱う術ではない。

 強力な魔術であるが、呪術は様々な人種の集まる騎士隊においても、あまり推奨される技術ではない。

 それは呪術が非常に扱いにくく、暴走しやすい側面を持つことに起因する。

「そういえばそうでしたねぇ。まあ、私が頑張りますよぉ、もう!」

 めんどくさそうにそう言ったアビゲイルの顔はどこか楽しそうだ。

 それに、もうこの呪術は呪術として体をなしていない。

 呪術の核が冥界へと送られてしまったこの村の環境は、アビゲイルにとって本当に宝の山となったのだ。

 残るは膨大な呪術の触媒のようなものだ。それはただ力だけがその場に取り残されその力を使ってくれるものを待っているかのような物だ。


 マーカス達は丸一日かけてこの村を調査した。

 時間が経つにつれ村の様子は急激に変化していっている。

 今まで腐ることなく風化だけしていた家屋が今や急激に腐食してしまっている。

 それどころか異様な植物が生え出して、更に独特な雰囲気を醸し出している。

 もう元村というよりは、元々は沼地だった、という方が信じられるくらいだ。

「で、結局この村は何だったんですか?」

 今は、北側の門の敷石を白竜丸の尾っぽの一振りでかち割り、中にあった木乃伊ごと地下の石室に潜んでいた死者の霊を白竜丸に食べさせて冥府へと送り、一息ついた所だ。

 その石室に置いてあった本を、アビゲイルがざっと目を通し終わったところで、マーカスがアビゲイルに声を掛けた。

「外道種を引き寄せて倒すことを目的とした罠のような村だったようですねぇ。最初は機能していたようですが、外道種を倒す術は徐々に失っていって、最後にはこの有様といった感じですねぇ」

 アビゲイルはそう言って笑った。

 おそらく法の神が外道種を排除せよ、と宣言した直後に作られた村なのだろう。

 神代大戦を終わらせた神の言葉だ、当時の人間はさぞやる気があったのだろうが、外道種の殲滅はそう簡単にできるものではなかった。

 長い年月のうちに、そのやる気は受け継がれなくなり、戦う術をなくしてしまったのだ。

「今は機能しているじゃないですか」

 そう言って、マーカスは空をあ見上げる。

 どんよりとした靄のようなものがこの村全体を包んでいる。

 これが溢れだした淀んだ地脈だ。

 だが、それをものともしない光が頭上に輝いている。

 炎に包まれた全身鎧の騎士だ。

 それが炎の羽を輝かせて、マーカスたちの頭上に陣取っている。

 時よりそれは腕を上げる。

 そうすると近くで火柱が上がる。

 淀んだ地脈によって来た外道種が始末された合図だ。

 この御使いがいる限り、外道種に襲われる心配はなさそうだし、この村本来の役割を十二分に果たしている。

「ディアナちゃんがいるからですよ」

 そう言って、アビゲイルは流し読みが終わった本を大事そうに服の中にしまい込む。

 いくつかのうちの一つ、断片ではあるがこれはとんでもない呪術書だ。

 地脈の動きすら操作し、意図的に淀ませる術が書かれている。

 これを持ち帰れば師匠であるマリユも手放しで褒めてくれること間違いなしの逸品だ。

「後始末! 後始末! 後始末!!」

 ディアナは楽し気に、空に浮かぶ御使いを見上げながら、白竜丸の背の上で踊っている。

「ここら一帯の外道種を殲滅する勢いですね」

 マーカスがそう言った瞬間、少し遠くでまた火柱が上がる。

「千年物の呪術書が三冊と神器の槍ですか。いい拾いものをしましたねぇ」

 外道種との対峙に、それほど興味ないアビゲイルは得た物についての方が重要だ。

 こんな辺境といってもいいような場所でとんでもない物を得ることができた。

 西側の門は暴かれた後があり、そこの呪術書は持ち出されていた。

 中央の社にも地下へと続く穴があったが、そこから淀みが溢れてきているので流石のアビゲイルもその地下を調べることはできなかった。

 なにより社の穴は白竜丸が入るには小さすぎる。

 だが、恐らく他の門と同じように呪術書が安置されていたはずだ。

 それに暴かれた後があるということは、西門と同じく持ち去られた後だろう。

 西側の門と中央の呪術書、二冊だけしか持ち出されていない。

 アビゲイルは北、東、南門の地下を暴き、三冊の呪術書を手に入れた。

 それを読めばわかる。予想できるのだった。

 どの呪術書も断片的な事しか書かれていない。

 すべての呪術書を手に入れなければ、この村を本当の意味で理解することも出来ないし、門全ての本を手に入れなければ、石碑の下に更なる石室があることもわからないはずなのだ。

 それが手順だったはずなのだ。

 だが、ミアには上位種が付き従っている。

 特に古老樹である荷物持ち君に頼めば、その辺りのことはどうにでもなるだろう。

 その結果、村はこんな有様になり、村の呪術の核となっていた死者は怒り狂っていたのだろう。

 アビゲイルが手に入れた南門、北門、東門の三冊から推察するにちゃんとした手順で、聖骸でありこの村の呪術の触媒となっている遺体を大地の槍で突いていけば、このような惨状にはなっていないはずだ。

 恐らく西門の地下だけ暴き、そこで得た情報で、いや、ミアの使い魔である荷物持ち君の力で中央の社の地下にある石室を強引に見つけてしまった結果なのだろう。

 順当にすべての門を暴いていれば、正式に村を解放する方法がわかったのだろうが、古老樹という存在がいた結果、正式な手順と情報を得る機会を逃してしまいこの村の呪術を破綻させてしまった結果の惨状なのだ、そうアビゲイルは予測している。

 魔術学院の教授ともあろう存在が二人もいながら、とアビゲイルは内心呆れ果てる。

 正常にこの村を解放させていれば、淀んだ地脈も溢れだすことなく、徐々に通常の地脈に流れ正常な状態へと戻っていっているはずだし、あの四姉妹の巫女たちも最後は心穏やかに地母神に導かれて逝ったはずなのだ。

「この槍、貰っても良いんですか?」

 少し嬉しそうにマーカスは大地の槍を構える。

 金属ではあるが軽く扱いやすい。

 が、白竜丸の背に乗りながら槍として使えるほど長い槍でもない。

 それでも、神器となるとそう滅多に手に入る物ではない。

 マーカスとて嬉しく思うのは当たり前だ。

「後始末の報酬ですよ、報酬! 私はこちらの呪術書を貰いますよぉ、槍の方はマーちゃんが好きにしてくださいよ」

 こんな場所に神器を放置しておくのももったいない。

 この場所を正常化していけば、それを授けた神も文句も言わないだろう、とアビゲイルは勝手に考える。

「その門の下に埋まっていた呪術書はどういった物ですか?」

 マーカスは武器としての大地の槍の使い勝手を確かめながら、アビゲイルに聞き返す。

 アビゲイルが槍に興味を示さないとなると、その呪術書も相当な代物なのだろう。

「この村の歴史と地脈の制御方法、後、地脈の淀ませ方ですねぇ、西側と社だけ暴かれた跡があったので、そちらはミアちゃん達が持っていったようですねぇ」

 となると、持ち主はフーベルト教授かサリー教授だ。

 二人とも呪術書にはさほど興味はないだろうから、譲ってもらえる可能性は高い。

 そう思うと、アビゲイルも自然と笑みがこぼれてくる。

 まさかこんな辺境の地で太古の呪法ともいえるような呪術書に出くわし手に入れる機会が訪れようとは思わなかった。

「で、肝心のこの地の淀みはどうするんですか?」

 マーカスは靄がかかったような周囲を見ながらそう言った。

 アビゲイルの話では、聖骸となった巫女は四人で四姉妹だったそうだ。

 まだ恐らく中央と北門の二人の死者しか白竜丸に食べさせていない。

 西と東の聖骸はまだそのままだが。南門の地下には多数の白骨死体はあったが聖骸自体はなかった。

 少なくとも残りの西門と東門の二人の死者は幽霊となり、この村を未だに彷徨っているはずだ。

 彼女らも早く見つけ出し冥府に送ってやらねばならない。

 そうすればさらにこの村の呪術を御しやすくすることも出来る。

「これらの本でどうにかなると思いますよ?」

 残り二冊があれば、楽だったのだが、ないものはない。

 後はアビゲイルの想像で補完して、どうにかこの土地を正常な状態に戻すしかない。

 そこは稀代の天才アビゲイルだ。既におおよその予想はつき、具体的な案もある。

「じゃあ、しばらくこの村にいることになりますね」

 マーカスはそう言って大きくため息をついた。

 まずは街道に、この先危険と看板を立てるところだろうか。

 とはいえ、この辺りを旅するのは月に数度、行商人がいるかいないかくらいだろうが。

「ですねぇ。死者の対処は白竜丸とマーちゃん、淀んだ地脈が私がぁ、寄ってくる外道種の排除はディアナちゃんが担当ですねぇ」

 南門の地下にあった呪術書でアビゲイルはわかっている。

 この村に潜んでいる死者は、聖骸となった四人姉妹の巫女だけではない。

 南門に捧げられた無数の生贄となった者達もいるはずだ。

 それらも邪魔にはなるので冥府に送れるなら送ってしまった方がいい。

「どういった呪術だったんですか?」

 マーカスは世間話でもするかのようにアビゲイルに対して聞く。

 アビゲイルもまるで世間話でもするかのように笑顔で答える。

「割とひどい呪術ですねぇ。四姉妹の巫女を人柱に、というか呪術の触媒にして西門、東門、北門、村の中央に埋めて、南門には新しい生贄を何人も埋めていたようですねぇ」

 それを聞いたマーカスは顔を歪める。

「何人も? あんなような死者がまだいるというんですか?」

 その姿を見たわけではない。

 だが、確かに感じたあの死者、その幽霊はとてつもなく恐ろしい存在だった。

 白竜丸が居なければ、自分では手も足も出なかった相手だ。

 それに南門の地下にあった人骨は、容易く数えられるほど少なくない。

 長い年月というのもあるが、恐らく旅人なども無理やり生贄にされていたはずだ。

 それを考えるとこの村は滅びるべくして滅びた村だったのかもしれない。

「槍が刺さってのは恐らく長女で中央にいたのですねぇ。あれがこの村の呪術の核ですよ。残りは補助的なものです。南門のはただの補強用の生贄用の門ですねぇ。本来は聖骸となった遺体を全部を三人の巫女で突いて回らなければならなかったようですが、ミアちゃん達は槍の力を使って無理矢理、盟約の魔法陣の核の聖骸だけを破壊したようですねぇ」

 西、北、東の三つの門の聖骸を三人の巫女で一人ずつ大地の槍で突き、その後で中央の聖骸を三人で槍で突かなければならなかったはずだ。

 巫女が三人も必要なのは聖骸を槍で突くと巫女の記憶というか、思念が逆流し、精神的負担が大きいからだ。

 アビゲイルが持っている呪術書にはそれが記されている。

 それらがミア達の手になかったから、今この村は、この惨状になっている。

 アビゲイルが今持っているということは、そのことをミア達は知らないからだ。

 ついでに、ミアは大地の槍を投げて聖骸を破壊しているので、ミアに巫女の思念が流れ込んでくることはない。

 それは、この村を作った呪術師にも想定外の事だろう。

「え?」

 それを聞いたマーカスはどの門の聖骸も、そのまんま取り残されていたのを思い出す。

 あれが呪術の核だったというのであれば、ミア達は何を破壊してこの村の呪術を崩壊させていったのかマーカスには理解できない。

 それをわかっているのはこの村に縛り付けられていた地母神の分け御霊くらいのものだ。

 ミアが大地の槍を使い地母神を縛るための、盟約の術式を破壊したことで、地母神の分け御霊が無理やり力尽くで天に帰っていった結果だ。

 その結果全ての制御術式もすべて破壊され、淀んだ地脈が一気に溢れだしたのだ。

「雑です、魔術師学院の教授が二人もいて、あまりにも雑ですよぉ。そもそも聖骸化した躯自体が盟約の触媒だったと気づいていたんですかねぇ」

 アビゲイルはそう言って本気で憤慨している。

 呪術を専攻していないとはいえ、魔術学院の教授ともいう立場の人間が二人もいて、この体たらくなのだ。

「とりあえず、また門を周ってこの槍で聖骸を突いて回ればいいんですか? って、北の聖骸は白竜丸が飲み込んでしまったんじゃ?」

 中央にもあるはずだとマーカスは考えているが、流石に中央にある地下は手出しができない。

 どうすべきか、マーカスが悩んでいると、アビゲイルがそれを笑い飛ばす。

「白竜丸ちゃんが食べても平気ですよぉ。ちゃんとこの村の呪術切り離されているのでぇ。西と東、それと南門の地下にあった無数の白骨死体も白竜丸ちゃんに食べさせましょうか」

 そもそも白竜丸に食べられ冥府に送られたのであれば、いかに強力な呪術であっても死後の世界から、死の神の許しなしに現世に戻ることはできない。

 それが死後の世界の決まりなのだ。

 呪術を破棄させたわけではないが、これ以上破綻もさせず隔離したようなものだ。

 この村の呪術を乗っ取るという面からすると、そちらの方が都合が良い。

「わかりました」

 と、マーカスはそう言うが何もわかっていない。

 ただ、専門家、アビゲイルの言う通りにすればいいだけだ。

「はぁ、そもそも、最後の仕上げだけして、手順を全て飛ばして…… めんどくさいっていったらないですよぉ。呪術っていうのは手順が大事なんですよぉ!!」

 ただそのアビゲイルはかなりイラついている。

 ミア達のあまりにもの雑な仕事で、後始末の方が数倍大変とばかりに、苛立ちを隠しもしない。

「えーと、とりあえず南門に向かえばいいんですか? ついでに街道まででて、危険と書いた立て札でも立てておきますか」

 そんな中マーカスは上機嫌だ。

 冥府の神に死者を送りつけることができる。

「その後でかまいませんので、西、北、東、中央の順番で、もう一度回ってください。それでもう一度最後に南です。南は一番最後ですぅ、後始末の後始末といった感じですねぇ。その後でこの淀んだ地脈を本来の地脈に少しづつ流していくようにして……」

 とりあえず呪術を全て排除してまっさらな状態にしてから、新しくアビゲイルの呪術でこの地脈を徐々に元の地脈に流していくようにしなければならない。

 手軽に厄介極まりない呪術の核を冥府へと送りつけられる白竜丸が居なければ、本当に生涯をかけてやらなければならないほど破綻していた呪術だ。

 また高度な地脈の制御方法もこの呪術書には記されている。

 めんどくさくはあるが、それほど時間を要する必要もなく済みそうではある。

 それにここは良い強力な呪術の素材収集の場になる。

 当分の間、数百年単位でアビゲイルが呪術の触媒に困ることがないほどの資産でもある。

 アビゲイルはいらつきはしているのだが、同時に喜びもしている。

「まあ、任せますので、指示だけおねがいします」

 マーカスは明らかにイライラしているアビゲイルに笑顔でそう言った。

 アビゲイルがこれほどまでに怒りを露わにしているのも珍しい。

 それに対して、アビゲイルは急にいつもの張り付いたような笑顔になる。

「じゃあ、とりあえず、また女装してください」

 そして、マーカスに向かいそう言った。

「それはお断りします」

 マーカスは顔を引きつらせて断る。

「残念ですねぇ、また見たかったのですが。ああ、そうでした。彷徨っている人柱の死者も見つけないといけないですねぇ、あー、めんどくさぃ!!」

 そう言って、後二人この村を彷徨っているはずの死者を探すようにアビゲイルはあたりを見回した。

 見えるのは村は靄に包まれた滅んだ村だけだ。





 万が一、いや、千が一、百が一……

 十が一、誤字脱字があればご指摘ください。

 指摘して頂ければ幸いです。

 少なくとも私は大変助かります。


 もし気に入ったらで良いので、いいね、ブックマーク、感想等ください!


 ちょっと長くなりすぎた。

 二つに分けても良かったのかも……


 この話は丁度二年くらい前かな? 戸女という読み切りの話を書いたんだけど、その裏設定を使って当時から書こうと思ってた話です。

 その割にはうまくまとめられなかった……

 最後駆け足すぎるし。


 ぐぬぬ。


 しょ、精進します……



 ついでにこの村の正式な盟約の解除方法は、社の地下で槍を得る→異形の幽霊に追われながら、西、北、東の門を暴き、槍で聖骸となった巫女を刺していき、最後に社の地下の聖骸に槍を突き刺すことで盟約が解除され、四姉妹の巫女と共に地母神が天に帰っていきます。

 ホラーゲームのラストイベントみたいな感じです。

 異形の幽霊は儀式的に槍を追うはずなんですが、作中では自分に刺さっていて、ミア達を元から追ってません。



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