滅んだ村の儀式と彷徨い迷う者 その2
「フーベルト教授!」
早朝のうちから狩りに行っていたミアが興奮したように帰って来てフーベルト教授の元へと駆け寄って来る。
狩り自体は成功だったようで、何羽かの鳥を、それも既にしめられ血抜きされた、いや、ロロカカ神に捧げられ血と心臓を抜かれた物が、荷物持ち君の籠の中に数羽ほど入れられている。
狩りが成功だったことにフーベルト教授も喜びつつ、ミアの話を聞く。
「どうしたんですか?」
「村です! 村が森の中にありました!」
ミアの言葉に、フーベルト教授はこの辺りに村があったかどうか思い出そうとする。
少なくともフーベルト教授の記憶ではない。
ただ、この辺りはフーベルト教授もさほど詳しいわけでもない。
そもそもの話が、リズウィッド領より東側の地域に意識が向くこと自体稀なのだ。
「この辺には村はなかったとは思いますが…… またですか?」
ついこの間、リズウィッドの難民だか、野盗だかの村に行き厄介な出来事に巻き込まれたばかりだ。
無論、フーベルト教授が知らない村があっただけ、と言うことも十分にあるのだろうが、まっとうな村なら街道沿いにあるはずだ。
実際は逆で村があるから街道があるのだろう。
その街道から外れているような、狩りに向かいそこで見つけてくるような村など隠れて作られた村としか思えない。
フーベルト教授としては嫌な予感がしてならない。
「いや、廃村よ。かなり昔に滅んだ村が、この近くの森の中にあっただけよ。あ、これ今日採れた獲物です」
スティフィがフーベルト教授にその事実を伝え、馬車の窓から顔を出して来たサリー教授に今日獲れたヤマドリ、ほとんど飛べない鳥を荷物持ち君の背負う籠から一羽取り上げてサリー教授に見せる。
「ありが…… とうございます。にしても…… 廃…… 村…… ですか……」
サリー教授も獲れた獲物に喜びつつ、廃村という言葉が気になる。
「サリーなら知っていますか?」
二十代後半の容姿に見えるサリー教授だが、それは魔術で老いを止めているだけで、実は六十歳にもなろうかという年齢だ。
またリズウィッドの魔術学院の教授となって、十年どころではなく二十年以上も経過している。
この辺りに関してもフーベルト教授よりは当然のように詳しいはずだ。
「いえ…… 私も…… 知らないですね……」
ただサリー教授はリズウィッド領に住むようになって以来、リズウィッド領から出ていない。
サリー教授にとっても、秘匿の神の領地であるリズウィッドは住みやすく安住の地でもあったのだ。
その領地の外の事となると、サリー教授とて知る物ではない。
自然魔術の魔術師として、他の地域と隔離されている東の果ての地は興味はあるが、実際に行こうとは考えていなかった。
そう考えていたサリー教授もフーベルト教授との結婚で、少し考え方を変えてはいる。
だから、半ば衝動的だったとは言え、サリー教授もこの旅について来ているのだ。
「大きな社的なものもありました!」
ミアは少し興奮したようにフーベルト教授に伝える。
その言葉にスティフィはうんざりした顔を見せるだけだ。
逆にフーベルト教授は目を輝かせる。
社があると言うことは、祀られていた存在が居たと言うことだ。
神族の探究者であるフーベルト教授にとって、失われた、もしくは未知の神ほど、興味をそそられる存在はいない。
ついでに、スティフィがうんざりしているのも同じ理由だ。
そこに祀られていた何かが存在していて、それが今は祀られていない、という事実だ。
どんな存在が、神が、祀られていたのかもわからないのだ。
厄介な神が祀られていた可能性もある。事実、隣のウオルタ領は悪神が主神の領地だったのだから。
しかも、今は祀られていないと言うことは、その社の主の機嫌が良い事もないだろうし、スティフィがうんざりした表情を見せるのはもっともな事だ。
「ほう! ボクもちょっと見て来て良いですか?」
だが、フーベルト教授は目を子供のように輝かせてしまっている。
そんな自分の夫を見て、サリー教授は微笑む。
「フフッ、もちろん…… ですよ…… ミアさんがこの旅を急ぐ…… でないのなら……」
そう言ってサリー教授はミアを見る。
この神の巫女が居れば、大事にならない、サリー教授はそう確信している。
ロロカカ神は間違いなく神格の高い神だ。
それこそ他の神がその名を聞いただけで逃げ出すほどのだ。
その神の命で動いているこの二人を害する存在は、相手が神でも早々いるものではない、そう考えている。
そして、それは自分にも多少なりとも恩恵があるのではないかとも。
「もちろんですよ! フーベルト教授! 行きましょう! 調べましょう!」
ミアもそう言って目を輝かす。
「サリー教授は…… どうされますか?」
スティフィが恐る恐る確認すると、サリー教授は荷物持ち君の背負う籠を見て、
「私は…… この鳥の…… 処理をします…… ジュリーも手伝ってください」
と、言った。
六羽ほどのヤマドリがいる。
既に血抜きしてあるとはいえ、手を加えるなら速い方が良い。
「はい、どうしますか? 干し肉にします? それとも塩漬けに?」
これだけの量だ。
一度には食べれないし、そうしてはもったいない。
今日の食べる分以外は保存食にしてしまう方が良い。
ただ、今は旅先だ。あまり手の込んだものは作れない。
「しばらくかかるでしょうし…… ここは燻製にでも……」
サリー教授は、意気込んでいるフーベルト教授とミアを見て、そう言った。
それくらいの時間は悠々にできるはずだろう、と。
恐らくは数日は滞在するのではないかとそう考えている。
「燻製ですか。燻製器なんてありましたっけ?」
ジュリーがそう言って、燻製器になりそうなものを考えだす。
考えだせば、割となんでも代用できる、とジュリーもすぐに気づく。
「素焼きの壺があるので…… 今回は…… それで……」
そう言ってサリー教授は馬車に積んである荷物を指さす。
「ああ、そう言えば壺がいくつかありましたね。使えそうな壺を選んできます」
ジュリーはそう言って荷台の方へとすぐに向かう。
「おねがい…… します……」
サリー教授自身はそう言って、地面に布をひき、そこへ荷物持ち君の籠からヤマドリを取り出し並べていく。
それを見て羽をむしるだけでも一苦労だと、サリー教授は楽しそうに微笑む。
「サリー、ボクはちょっと廃村を見てきますので、こちらをお願いします。エリック君も馬車をお願いします」
ミアとスティフィに案内されるように、既に森へと入りつつあるフーベルト教授が大きな声でそう言って来た。
サリー教授はそれを笑顔で見送る。
「ん? あいよ!」
まだ眠いのか御者台で居眠りをしていたエリックがそう返事をして、御者台から飛び降り、置かれたヤマドリを手に取る。
どれも立派なヤマドリで連弩の矢で一撃で仕留められている。
見事な一撃だ。
どれもこれも急所を矢で一撃で仕留められている。
しかも、ミアの要望だろうか、心臓をロロカカ神に捧げるので一番の急所でである心臓だけは避けられて矢が射られている。
エリックからすれば、これでスティフィが弱体化しているなど信じられない話だ。
「スティフィちゃん、本当に凄いんだな」
エリックはスティフィの射撃の腕に感心しながらそう言った。
どうすれば、右手だけでこんな正確な射撃ができるのかエリックにはわからないし、これでスティフィが左手を使えないどころか、大きく弱体化までしているなど信じられない話だ。
「そう…… です……ね。彼女は物心つく…… 前から狩り手として育てられた…… 戦闘員ですから……」
サリー教授もそう言って、ヤマドリの様子を確かめる。
確かに良い腕だ。
まさに急所を、しかも心臓をわざと外しての、一撃で仕留めている。
またヤマドリはどの個体も心臓がなく完璧な血抜きがされている。
既にロロカカ神に捧げられた後なのだろう。
食材としての状態は限りなく良いが、神嫌いのサリー教授からすると、少し恐ろしい物もある。
ロロカカ神の残して行った残滓に恐れつつも、これは逆に自分を守る物でもあると自分に言い聞かせる。
「どうやったら勝てるか、わかります?」
サリー教授がヤマドリにかすかに残るロロカカ神の残滓に恐れ戦いていると、エリックがそんな事を聞いて来た。
ただ、サリー教授からすると今のスティフィなら、やりようはいくらでもある。
今のスティフィは感覚がかなり鈍化している。
以前のように魔術で強化され、寝ているときですら研ぎ澄まされた感覚を持っていない。
それはジュリーが作っている調整薬の副作用もあるのだが、それを差し引いてもスティフィの感覚はかなり鈍化している。
完璧な奇襲すら以前は簡単に見抜かれていただろうが、今はそんな事もできない。
魔術などを使わなくても簡単にスティフィを罠に嵌めることも可能だ。
特に強化された感覚に慣れ、それらを失い慣れていない今なら、サリー教授からすれば容易い話でしかない。
「今の…… スティフィさんなら、割と…… 勝算はあります…… よ?」
実際、エリックの戦士としての素質も高い。
十分に英雄となれる素質をもった人物だ。
特に何に対しても罪悪感をあまり感じない彼の性格は、戦いにおいて、戦士として、有利に働くものだ。
「マジですか? 修行つけてもらってもいいですか?」
エリックは半分冗談のつもりでそう言った。
エリックにはサリー教授に、戦い方など教えられるわけがないと、そう思っていたからだ。
だが、サリー教授はあのオーケン、世界最強の男の娘なのだ。
弱いはずもない。
魔術だけにとどまらず体術や武術においても達人であることはあまり知られていない。
「え? ええ、まあ…… いいですけど……」
修行をしてくれと言われて、サリー教授自身も少し驚く。
今まで自分に、魔術ではなく戦闘の技術を教えてくれ、と、言って来た人間はいなかったからだ。
だから、サリー教授も少し楽しくなる。
どのように鍛えてあげればエリックが強くなるか、と。
サリー教授もまた学者なのだ。
素質が良いものを自分で好き勝手に育てて良い、と言われるとその方法を色々と頭の中で想い浮かべてしまい、つい楽しくなってしまう。
「やったぜ! 見てろよ、スティフィちゃん! 実力でねじ伏せてやるからな!」
エリックはそう言って、ミア達が森へと入って行った方へ大声を上げる。
ジュリーがエリックの発言に心底引いた顔を見せ、馬車に積んであった壺を見せる。
「師匠、この壺で良いですか? 元々は薬草用ですが、中身はほとんど使ってしまったので」
その壺は今まで魔術学院から持って来た薬草を保存してものだが、スティフィの薬や黄咳熱の薬を作るのに、ほとんど使用してしまっている。
同じような壺が複数あるので、壺の数も足りる事だろう。
「はい…… かまいません。では、羽を毟りましょう……」
目の前のヤマドリを見ながら、サリー教授はそう言った。
そして、燻製材はどうするか考える。
この辺りはコナラやクヌギの木も多いので、ドングリを拾ってその殻で燻製材を作るのも良い。
それにルイーズから貰った高級茶葉の出がらしでも少し混ぜてやらば、即席の燻製材にしては上出来だろう。
ドングリからは木の実の香りが付くだろうし、それに合う出がらしを選ばなければ、とサリー教授は人知れずに微笑む。
何かを組み合わせ、それが上手くいった時、サリー教授は喜びを感じるのだ。
「ん? 稽古は?」
即座にエリックがサリー教授に聞き返してくる。
どう燻製しようか、その想像を止められたサリー教授は少しムッとした表情を見せる。
「燻製の準備が終わって…… 燻製している間にでも……」
サリー教授はそう言いつつ、まずはエリックの考え方を変える必要があると確信する。
少し大雑把な彼の性格を矯正し、戦士として最適化する必要もあるとも。
「え? 師匠に稽古つけてもらうんですか? 命知らずですね」
ジュリーは心底驚いてそう言った。
「それは…… どういう……?」
笑顔でサリー教授はジュリーを見る。
その笑顔に、何の気なしのサリー教授の笑顔に、ジュリーの背筋が凍り付く。
「いえ、な、なんでもないです……」
恐怖で固まってしまった弟子をほっておいて、
「まずはお湯を…… 沸かしましょうか……」
サリー教授は気を取り直し、ヤマドリの羽を毟る貯めるにそう言った。
これだけの量のヤマドリの羽を綺麗にむしり取るのは大変な作業だ。
それが終わったら、ヤマドリの内臓を処理している間に、ジュリーにでもドングリを拾っておいて、それを剥いて、殻をすり潰してから香りを整えるために色々調合し、燻製材を作らなければならない。
中々楽しそうな一日になるとサリー教授は微笑む。
「じゅ、準備します!」
ただ燻製を作る作業が楽しくてサリー教授は微笑んだだけだが、ジュリーが慌てて大鍋を取りに行き、エリックがのんびりと焚き火の準備を始めた。
ミアが見つけた廃村は、街道から少し奥に入ったところにある。
それほど街道から外れているわけでもなく、ただ森に飲まれてしまっただけで、隠れ村というわけでもなさそうだ。
ただ、それが一目でわからないほど、村の外見は森に飲まれてしまっている。
村は門と柵で森と隔たれているのだが、柵のすぐ外がうっそうとしているのに対して村の中はそうでもない。
木々などが入り込まなくても藪くらいにはなっていそうなものだが、そうなっておらず村の中の道が道として残っている。
ただすぐに廃村だと、住んでいる人間がいない村だと分かるほどには廃れている。
植物の浸食だけが魔術か何かで村の内部の一部分だけ押さえられてはいるが村自体は完全に死んでいる、と言った感じだ。
「本当に廃村ですね…… それも十年や二十年どころではないですね」
フーベルト教授はそう言って家屋の経年ぐわいを見る。
ほとんどの家屋の屋根どころか床や壁も抜け落ちている。
木造の部分はスカスカになっていて、手で掴むだけでも簡単に壊せる程度の強度しか残っていないだろう。
その割には植物に家屋などが浸食されてはいない。
屋内にも動物の糞などが散らばってはいるので人が住んでいることもなさそうだ。
それらの事が村の柵の外からでも見て取れる。
「それだけの時間が経っている割には森に飲まれてなくない?」
スティフィは見たまんまの感想を言った。
家屋は確かに朽ちてはいるのだが、植物には浸食されていない。
逆に家屋の庭などは完全に藪になってしまっているので、少し不思議な感じがする。
「社から力を感じるので……」
ミアはそう言って、村の中心にある社を指さした。
社から何らかの力が流れて来ていて、家屋などを守っているようにミアには思える。
「社が神域にでもなっていて、村の家屋を風化から防いでいる? いや、それもあるかもしれませんが、とりあえずは、この村と森の境にある門ですね」
だが、フーベルト教授はミアの意見に同意しつつも村の入口の門に目を見張る。
この村自体が強い結界になっていて、恐らくは外道除けの結界であり、その要がこの村の出入り口にある境界となっている門だ。
村を囲う門と柵、それと社の施設だけが全く朽ちておらず今も結界としてしっかりと機能している。
この結界が生きているのなら、この辺りで野営する時は村の中の方にいたほうが安全かもしれない。
「その門になんかあるの?」
スティフィが門に注目するが今のスティフィには何も感じることができない。
「あります。かなり強い力が込められていますね」
かなり強い結界だが、人間や古老樹である荷物持ち君には、その効力を今のところ発揮していない。
やはり外道種相手の結界なのだろうと、フーベルト教授は考える。
「確かに! 社にばかり気が行ってましたが、この外門にもなにかありますね、スティフィ、わからないんですか?」
ミアはフーベルト教授に言われ、門に注力してみると、確かに門からも強い力を感じる。
ただ社から感じるような力とは、また少し違った力にミアには思える。
「ここまで感知能力がなくなっているのか…… 全然わからないわね……」
スティフィは愕然としながらそう言った。
もしかしたら術式と共に魔術師としての才能まで失ってしまったのではないかと、そう思えてしまう。
「それは恐らく調整薬の副作用ですね。魔力感知能力がかなり鈍くなっているはずです。ある程度の時間がたてば感覚は戻ってくると思いますよ」
スティフィがここ最近常用している調整薬は体内の微弱な魔力の働きを抑えるものだ。
それにより体内の魔力環境を整える作用がある。
ただ副作用として、一時的にではあるが魔力に対して感覚が鈍くなったように感じ足りもする。
「だと良いんだけど」
そう言うスティフィの顔はどこか曇っている。
スティフィのその表情を見たミアは慌てて話題を変える。
「でも、村の外と中では、様子が大分違いますね」
実際、村の外は鬱蒼とした森そのものであり、塀ですらない柵を超えただけで環境は一変する。
少なくとも村としては朽ちてはいるが、村が森に飲み込まれているようなことにはなっていない。
「村の境界である門に、それを起点として何かしらの魔術がかけられていますね、けど、どこから魔力を?」
フーベルト教授としては不思議だ。
この村を守っている結界はどこからその動力を得ているのか。
恐らくは社か地脈からなのだろうが、それには何か違和感があるように感じる。
「地脈じゃないの?」
と、スティフィが言うと、フーベルト教授もそれはそうなのだろうと思う。
社の魔力の質とこの門が放っている魔力の質は少し異なっている。
社からの魔力が地脈を通り、その過程で少し変質してしまっているのかもしれない。
だが、それだけではないとフーベルト教授には思えるのだが、それが何かと言われれば、言葉にすることができない。
けど、ミアは、
「村の社じゃないんですか?」
そう逆に聞き返して来る。
確かに社から門へと地脈を通じて魔力が流れているのは確かだろう。
それだけではない、とフーベルト教授の勘はそう言っているのだが、やはりそれを言葉に出来ずにいる。
「どっちもありますね。後でサリーにも来てもらいましょう。さて村の中に入りましょうか」
恐らく自分では調べても大したことはわからない。
時間の無駄だとフーベルト教授は割り切り、村の中へと入って行く。
地脈を通る魔力はとても混沌としており、それを分析するのは非常に困難な話だ。
だが、自然魔術に長けたサリー教授からすれば専門分野でもあるのだ。
ついでに、件の門もその戸を開きっぱなしになったままだ。
門に獣除けの効力がなければ、獣なども入りたい放題だろう。
フーベルト教授は何かあるかも知れない、と気をはりつつ門をくぐるが特に何かあることもない。
すんなりと何事もなく村に入ることができる。
念のためにとミアの使い魔である荷物持ち君のことを見ていてが、荷物持ち君も特にミアを止めることなく村に入ってくる。
「確かに朽ちてはいるけど……」
村の周りの森の具合から、村自体もっと森に飲み込まれていてもおかしくはないのに、やはり何かしらの力が働いているのか、村は村の形として残っている。
ただ人の気配はないし、家屋も崩れる寸前なのは変わりない。
そして、結界の範囲外、恐らくは畑やなんかを作るような場所には、結界の力が及んでいないのか、村の中でも完全に藪のようになっている。
「やはりこの村が滅びたか、見捨てられたかはわかりませんが、かなりの年月が経ってますね。少なくとも人がいなくなって四、五十年は立っているはずです」
近くの家屋の柱の木材を触り、簡単に割れてしまうことから、フーベルト教授はそう判断する。
腐るのではなく経年劣化で木材がこうなるまでは、それぐらいかかるはずだ。
そのあと、立てかけられている鍬をフーベルト教授が取ろうとすると、手にした途端、柄の部分は砂ののように崩れていった。
歯の部分も錆びていて元の形を成していない。
「それ、鍬ですか? なんか砂みたいですね……」
ミアはそれを見て驚く。
木材がまるで砂で作ったかのように崩れていく様を見たのはミアも初めてだ。
「そうですね。恐らくはこれは鍬だった物ですね…… 鍬先の部分は鉄製ですかね? それもここまでボロボロに……」
フーベルト教授が錆びた鍬先を開いあげるが、少し力をこめるだけでボロボロと錆が崩れ落ちていく。
「あー、もう人の気配も分からないわね、生活感はないけれど」
スティフィはしきりに辺りをキョロキョロと見渡しながら少し不安そうにそう言った。
以前のスティフィなら、周囲に人が隠れていれば感ずけたのだろうが、今は視覚に頼るしかない。
その視界も今のスティフィには心もとないのだ。
「ですね」
「少なくとも村に出入りしている人はいないようですね」
フーベルト教授は門の出入り口にある泥濘、そこに残る足跡を見てそう言った。
今しがた入って来た自分達の物しか、その泥濘には残っていない。
「街道から、そこまで外れてないのに」
スティフィはそう言いつつ、それにも訳があるのだろうと、嫌な顔をする。
まあ、間違いなく村の中央の社が関係していて、外部の者が立ち入って良い事はないだろうとも。
「どの家屋もいつ崩れてもおかしくないって感じですね」
ミアは、門から入ったちょっとした広場、今はただの藪になっているが、そこから見える範囲の家々を見てそう言った。
「そうですね、下手に家屋に入るのはやめておいた方が良いでしょうか。さて、では、社へと行きますか」
フーベルト教授は嬉しそうにそう言った。
「はい!」
ミアも元気に返事をする。
「本気で言っているの? 相手が神じゃ荷物持ち君でも何もできないのに?」
流石の古老樹も神相手に立ち向かう様な事はしない。
それは護衛者という立場でも変わりはないはずだ。
ただ、ミアなら、ミアの崇めている神なら、他の神も退く可能性は十分にある。
実際、ディアナに憑いていた神は、それが分霊だったとしても、名を聞いただけで逃げていったのだ。
今回もそれに頼るしかない、とスティフィは息を大きく吐き出す。
「秘匿の神様から貰った腕輪も光ってないですし平気ですよ」
ミアは呑気にそんなことを言って左手の腕輪をスティフィに見せる。
その腕輪についている宝石は今は綺麗な青色になっている。
ミアやフーベルト教授は危険度具合に応じて光ったり色が変わるのではないか、そういう腕輪ではないのかと、予想している。
ただそれが正しい保証はない。
「それが危険を知らせてくれるとは限らないでしょう?」
スティフィがそう言うと、ミアは驚いた顔をする。
「え? 違うんですか? そうだとばかり思ってました」
そう言ってミアがスティフィの顔を見る。
ただ、それに答えたのはフーベルト教授だ。
「ハハ、まだ不明瞭なところの方が多いですからね。確かではないですね。まあ、社の前まで行って感じれる気配で決めましょうか」
楽しそうにフーベルト教授はそう言って、
「はい!」
と、ミアが元気よく返事をする。
スティフィだけが不安そうな顔を今は隠しもしない。
「ミアちゃん達は、今度はどこで止まっているんですかねぇ、この先に村があったはずなので、そこですかねぇ」
アビゲイルは露店に自分の作った魔術具を並べつつそんなことを口にした。
それに対して、マーカスは、
「アビゲイルはこの辺り来たことがあるんですか?」
と、聞き返しつつ、お釣りの用意をする。
リズウィッドの通貨が大半で、後は少しウオルタ領の通貨がある。
と言っても多少意匠が違うだけで、ほぼ同価値の硬貨でそのまま使うことができるものではあるが。
基本的に硬貨の意匠は大まかに決められたものが流通しており、各領地で鋳造しているものだ。
鋳造した領地により多少硬貨の価値が変わるが、あまり気にするほど変わることもない。
「この辺りまで、ですよぉ。で、ここから先には何もない、と見切りをつけて戻りました」
アビゲイルは当時のことを思い出し、うんざりしたようにそう言った。
当時のアビゲイルが想像してた以上に、ここから東には何もないのだ。
点々と寂れた村があるだけだ。
「ああ、マリユ教授に追い出されて、先ずは東を目指したって言ってましたね」
アビゲイルから聞いた話をマーカスは思い出しつつ露店の準備を続ける。
「はい、本当に何もないんですよねぇ」
ここから先は本当に村らしい村もなくなって行く。
本格的に辺境の地へと変わっていくのだ。
「どんな村でした? そこまでは行ったんですよね?」
何か聞きだしたい、というよりはただ単に会話を続けるようにマーカスが聞くと、
「ええ、そうですねぇ、特に何もない普通の村でしたよぉ。結界に人柱を使う様などころでしたねぇ」
と、アビゲイルは何の気ないしそんなことを言い始める。
「人柱? 生贄ですか? 全然普通じゃない気がするんですが?」
リズウィッドでは確かにあまり聞かない話だが、辺境の地であれば実はそれほど珍しい話でもない。
「いえいえ、辺境の地では意外と多いですよ、生贄の儀式。辺境の地だとそもそもの人が少なく神の関心も少ないんですよぉ。なので、人柱や生贄で神の気を引いて力を貸してもらうんですよぉ」
アビゲイルの言葉にマーカスは驚きつつ、リズウィッドの生まれで良かったと心底思う。
「そうなんですか。リズウィッドはかなり恵まれた領地だったんですね」
「そうですよぉ、あんな寛容な領地は他にはあまりないですねぇ」
無月の女神の巫女、その弟子であるアビゲイルは本当にしみじみとそのことを語る。
他の領地の無月の女神の巫女やその弟子たちがどんな扱いをされたか、その目で見たきたアビゲイルはリズウィッドの寛容さに感謝せざるを得ない。
「旅をして他の領地を見て回らないと、そのことにすら気づけませんよ」
「それに一早く気づけるだけマーちゃんは優秀ですよぉ」
アビゲイルはそう言ってマーカスを見る。
見た目こそ十代後半くらいにしか見えないアビゲイルだがその年齢は実は百歳を軽く超えている。
マーカスなど子供に見えても仕方がない事だ。
「マーちゃんはやめてくださいよ」
マーちゃんと呼ばれたマーカスは、女装させられたことを思い出して嫌な表情を浮かべる。
「また女装したくなったら言ってくださいねぇ、私の服で良ければ貸しますよぉ? 意外と癖になるって聞きますし」
アビゲイルはそう言って笑う。
「俺はもう二度とごめんですよ」
マーカスは赤面しつつ俯く。
「そうですか、残念ですねぇ。私は気に入っていたんですがぁ」
中々女装した姿のマーカスも美人ではあったとそう思い出しつつアビゲイルは嫌な笑みを浮かべマーカスを見る。
「はぁ、それはともかく、こちらも村に居られるのは良いですね」
野営しなくて良い事に喜びつつ、マーカスは露店の商売を始める。
まだマーカス達はウオルタ領内にいるが、魔術具などの流通は既に少ない。
魔術具というだけで売れ行きは良い。
「ですねぇ、砂糖菓子を貰えたのは良かったですねぇ、ディアナちゃんも目覚めるようになりましたし」
「それでもご飯の時だけですけどね」
そう言って今は白竜丸の上で寝ていて、飯時にしか目覚めないディアナをマーカスは見上げる。
ついでに、とても目立つ白竜丸は良い目印で、白い竜の魔術具商の商品はどれも良い品質だと噂が流れ始めるほどだ。
万が一、いや、千が一、百が一……
十が一、誤字脱字があればご指摘ください。
指摘して頂ければ幸いです。
少なくとも私は大変助かります。
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