海岸沿いを行けば出会う野盗と恩返し その9
「スティフィ、平気ですか?」
馬車が大きく揺れる度に眉を顰めるスティフィに向かいミアが心配して声を掛ける。
スティフィの治療の目途が立った、と言っても未だにスティフィはほぼ寝たきりだ。
体の中にいくつもの術式を仕込んでいたのだが、それらが安定した、というだけの話で、術式を無理やり破壊された後遺症がなくなったわけではない。
スティフィはその骨にほとんどの術式が仕込まれていたため、体の芯から後遺症による痛みが、全身を引き裂くような、そんな痛みが常時というわけではないがまだ残っている。
「このくらい大丈夫だって言っているでしょう。もう平気よ、多少痛みがあるくらい……」
スティフィが強がって見せるが、痛い物は痛い。
確かにスティフィは痛みは慣れているし、痛みに対する訓練もしてきている。
だが、スティフィの肉体は今、根幹からボロボロとなっている。
今までは、それを体内に仕込まれた魔術で補強していたのだが、それらも含めてなくなってしまったのだ。
まさしく今までのつけが回ってきている、という奴だ。
「やっぱり痛いんじゃないんですか。ゆっくり帰って来いと言わているんですから、もっとゆっくりして良かったんですよ」
そう言ってミアは痛み止めの用意を始める。
いくつかの薬草をすり鉢で混ぜて生薬を作る。
ミアの持っている魔術師の資格では人に経口摂取する薬は、まだ公的には許可されない。だが、それは大人数に販売などをする場合だ。
特に商売でなく個人的に使用するのものであれば、だいたいの場合は黙認される。
「それを言った御使いはどこ行ったのよ」
と、スティフィは体中の痛みを誤魔化すように愚痴を言う。
そう言われたミアも一瞬心配そうな顔をするが、すぐに表情を変える。
「まだ帰って来てくれてません。けど、何かしら意味があるんですよ。私は今回、その事を学びました」
ミアは確信を持つようにそう言い切った。
まだ何の意味があったのかわからないが、黒い炎の御使いの名を知ることが大事だったのだと、ミアは考えている。
これから先、必要な事だったのだと。
だが、スティフィにはなんのことだかまるで分らない。
「何のことを言ってんの?」
スティフィがミアに質問する。
質問されたミアは少し考えた後、
「ヒエンさん、スティフィを助けてくれた人ですが、その方から借りた魔術書で解読が進んだんですよ」
と、全く別のことを答えた。
これもまたミアにとって新たな知見だった事だ。
だが、スティフィにはミアが何を言っているのか理解できていない。
「え? なんの?」
「万物強化のですよ。一部にこの領地の神様の神与文字が使われてたんですよ」
いくつもの神与文字で書かれていた万物強化の魔法陣に、この領地の神の神与文字が使われていたのだ。
それはほんの一部分だけではあるが、万物強化の魔法陣を紐解いていく取っ掛かりにはなる。
「はい、地理的に近かったのですが悪神の神与文字ですからね。それに、いろいろな神与文字が入り混じっていますので、ボクも気づけませんでしたよ」
フーベルト教授も目を輝かせて会話に入ってくる。
一部だけとはいえ、その部分の解読は既に終わっている。
これもヒエンと出会えたことが大きい。
しかも、悪神の神与文字で描かれている部分だ。
そのまま万物強化の魔術を使用していたら、どんな悪影響を及ぼす効果があったのか知れたものではない。
「ミア、お手柄じゃない!」
と、スティフィも驚いてミアをほめる。
「まあ、ほんの一部というか、一角だけ解読が進んだってかんじですけどね。全体的に見ればまだまだですよ」
ミアも照れながらも、誇らしいように胸を張る。
その時だ、馬車が大きく揺れる。
「つっ……」
その揺れで、馬車の座席に寝かされているスティフィに負荷がかかり、激しい痛みがスティフィを襲う。
その痛みに耐切れずにスティフィは顔を歪める。
今、スティフィの体はじっとしていれば、特に痛みがあることはないのだが、ちょっとしたことで、少しの衝撃などや体を動かそうとしたときなどに、鋭い痛みが体の筋肉の筋から痛むのだ。
体の芯の方からくる痛みで、耐えがたいものがある。
「ほら、揺れて痛むんですよね?」
そう言って、ミアは話すことに夢中になり手が止まっていた痛み止めを作る作業を再開させる。
「痛みくらいで……」
と、スティフィは言うのだが、今まで痛みを消していたのも魔術に頼っていたのだ。
痛みに慣れる訓練はしていたとはいえ、体の芯からくる痛みは外部から与えられる痛みとはまた違うものだ。
「どうせ、その痛みも普段は魔術で押さえていたんですよね? それもなくなっちゃったんじゃないんですか?」
そんなスティフィを見て、ミアは文句を言うように、責め立てるようにそう言った。
「そうだけど……」
そのことを見抜かれたスティフィは素直にそのことを認め、痛み止めができるのを待つ。
それをわかってか、ミアは急に痛み止めを作る手を再び止め、横に置いてあった皿を手に取りスティフィに見せる。
「それよりほら、見てください、この赤く煮たそら豆を」
薄っすらと赤く染まったそら豆をスティフィに見せる。
「ただのそら豆じゃない」
と、スティフィはそんな事よりも痛み止めを早く、とは口に出さないものの、そう言った表情を見せる。
「赤茄子で赤みをつけた縁起物です! この領地の主神の耳にそら豆の形が似ていて、更に赤い肌をしているので、それにあやかってという話です」
と、ミアはそんなこと言い始める。
ただ鮮やかな緑色のそら豆は完全に赤く染まっているわけではない。
どちらかと言うと赤い赤茄子の煮汁が絡まっていて若干染まっている、と言う感じだ。
スティフィには少なくともそれが赤い肌には見えないし、耳に似ていると言われると食欲も減ると言うものだ。
「ここの神様は悪神でしょうに……」
さらに言ってしまえば、この領地の神は悪神なのだ。
それにあやかったところで、と言うのもある。
「だからこそですよ、疫病の神様をあがめることで疫病を遠ざけるんですよ。それに暗黒神を崇めているスティフィが悪神だとか気にすることなんですか?」
悪神だろうと神は神。そのことをヒエンの魔術書で学んだミアは得意そうにそう言った。
それに付け加えるように浮かんできた疑問をスティフィにぶつける。
スティフィが崇めている暗黒神は、スティフィが言った悪神の親玉のような神なのだ。
それなのに悪神を気にするなど、ミアからはよくわからない話だ。
「いや、それは何の神になるかでしょう? はぁ、これじゃあどっちが護衛かわからないわね」
暗黒神は自由を謳う神だけあって、祟りを起こすような神ではない。
ある意味ではあるがとても寛容な神、いや、寛容すぎる神ではある。
それだけに、暗黒神の下にいる神々がそうであるとは限らないのだ。
ただ、あんまり口に出して良い話でもない。
その神が支配する領地でその神の悪口を言い続ける度胸はスティフィにはない。
だから、自分の現状を嘆き、話をそちらへと変えたのだ。
自分は護衛として付いて来たはずなのに、逆に今は看病されているのだと。
「護衛なら荷物持ち君や精霊もいますし、スティフィはスティフィですよ」
ミアはそう言って軽くため息を吐き出す。
「はいはい……」
「ほら、口開けてください、教えてもらって私が作ったそら豆です」
そう言ってミアはスティフィに匙を使い、痛み止めではなくそら豆を無理矢理食べさせようとする。
「あっ、突っ込もうとするな」
と、スティフィは怒るが、今のスティフィにそれを阻止できる力はない。
無理やり口の中にそら豆を乗せた匙を突っ込まれる。
味は塩ゆでされたそら豆で、そこに微妙に赤茄子の酸味が加わっていて悪くはない。
「仲が良いというか、ここぞとばかりに看病していますね。あっ、スティフィさん、これは体内の魔力環境を安定させるお薬です、痛み止めとと併用して飲んでくださいね」
その光景を見ていたジュリーが笑いながら素焼きの瓶を一本ミアに手渡す。
スティフィに言っている言葉ではあるが、薬の瓶を手渡したのはミアにだ。
今のスティフィにはその瓶を受け取ることすら困難なのだ。
「あ、ありがとう」
と、口にそら豆を残しながら、スティフィはお礼を述べる。
「その薬…… を、飲むならお腹に何かを入れてから…… 痛み止めとの、併用…… するなら、なおさら…… ですよ」
と、サリー教授が補足する。
その言葉でスティフィもなぜ自分がそら豆を口に突っこまれたのか、やっと理解した。
「ほら、スティフィ、サリー教授もそう言ってます!」
そう言ってミアは再びそら豆の乗った匙をスティフィの口に無遠慮に突っこんでくる。
「わ、分かった、自分で食べるから!」
そう言う今のスティフィに、それを防ぐ手立てはない。
「その…… 蛇ですか? その使い魔はグランドン教授が作った物ではないのですよね?」
ライアンはそう言って壺から顔を出している、鰓付きの白い蛇を見る。
その蛇はライアンから見ると非常に嫌な気配を感じざる得ない。
それにそれは使い魔なのに、操者を必要としない自立型の使い魔だ。
自立型の使い魔でもある荷物持ち君に手酷くやられたライアンには元より良い感情はないが、それを抜きにしても異様な不気味さをその蛇の使い魔から感じている。
なんでも使い魔の核と原動力に強力な呪いそのものを使っているとのことだ。
嫌な感じや不気味さを感じるのも当たり前の事だ。
「はい、脱帽ですよ。ここまで才能が違うとは思いませんでした。彼女に比べれは我は下の下ですな」
グランドン教授はため息交じりにそんなことを言った。
目の前の壺にから頭だけを出している白い蛇の使い魔はアビゲイルから預かったものなのだが、調べれば調べるほど、アビゲイルの技術の高さに辟易するほどだ。
ついでに蛇が入っている壺も本来とても危険な呪物だったのだが、今はほとんどのその力を失っている。
それでも危険な呪物には変わりなく、アビゲイルの使い魔であるジンがその壺に住み着くことで、残った呪力を中和しているのだという。
そんな白い蛇の使い魔は、どれもこれもが常人では思いつきもしない画期的な方法でこの使い魔は自立し動いていて、今はこの壺の番人となっている。
「なにを……」
「使い魔作成でここまで差を見せつけられては、何も言えないのですよ」
自分との差が、しかも自分が得意分野としてきた使い魔作成で、ここまでの差を見せつけられるとはグランドン教授も思いもしなかった。
アビゲイルの作ったジンと名付けられた使い魔は、それほどまでに高度な物だ。
グランドン教授も入手し使い魔作成に利用しようとしたが、できなかった素材、始祖虫の抜け殻を使い制作された脅威の使い魔だ。
それ故に人間が扱う程度での魔術の影響を全く受けない。
魔力自体を遮断する性質を持つ抜け殻で、魔力と呪力で動く使い魔をアビゲイルはいとも簡単に作って見せたのだ。
流石にグランドン教授も、アビゲイルと比べられると如何に自分が凡夫かと認めざる得ない。
自分がどう頭を捻ろうが浮かばなかった機構が、この使い魔には多く使用されているのだ。
「呪いの強弱で動く蛇だなんて、私は気持ち悪いですよ」
ライアンは奇異な目で白い蛇の使い魔を見ながら言った。
別にグランドン教授を気遣って言ったわけではないが、グランドン教授は気遣われたと受け取った。
「ライアン、違いますよ。その発想が出るか出ないか、その差なんですよ。我にはこんな発想は出てきませんでした」
この白い蛇の使い魔は、言うならば呪具で作った使い魔だ。
外部からの影響を全て始祖虫の抜け殻で遮断し、外部の影響を受けることなくジンと言う使い魔単体で、しかも外部からの補給なく動くことができるのだ。
これの技術をちょっと応用するだけで、長年グランドン教授が実用化できなかった水中用の使い魔も簡単に制作できる。
いや、既にグランドン教授の頭の中にはその設計図すらある。
後はその設計図通りに組み立てて、実際に実験するだけだ。
そして、それは恐らく成功する。
「まあ、確かに凄い使い魔である、と言うことはわかりますがね。でも、なんでそんな物をグランドン教授に預けていったんですか?」
ライアンが不思議そうにグランドン教授に聞く。
この使い魔はとんでもなく貴重な物だ。
それを人に預けるなど、かなりの信頼がなければできない事だ。
アビゲイルからグランドン教授はそれなりに信頼さえていると、いや、体よく利用されているということだろう。
それに関して言えば、グランドン教授も悪い気はしていないし、こうやって新しい技術を仕入れる機会にもなっている。
「便利な使い魔ですが、戦闘には不向きなんだそうです。壊したくないので帰ってくるまで預かっててくれ、とのことですよ」
確かにこの使い魔は戦闘向きではない。
そもそも始祖虫の抜け殻はそれほど手に入れられるものではない。
外部と遮断するように作るなら、自ずと使い魔自体も小さくせざる得ない。
そうなると使い魔が出せる力もおのずと限られてくるので、戦闘には向かないのだろう。
ついでに、マリユ教授に渡すと間違いなく分解されるので渡さないで、とは言われている。
まあ、マリユ教授にその気があるのなら、もうこの使い魔は分解されて新しい素材へと変えられているだろうが。
「なるほど。でも、始祖虫の抜け殻を使いながら戦闘には不向きとは」
始祖虫の抜け殻は、物理的な装甲としても破格の物だ。
驚くほど頑丈で加工するのにも、苦労が絶えない代物だ。
その上、魔力すらも通さない。
防御面だけ考えるならば、理想の素材でもある。
そんな素材で作られたのが戦闘に不向きな使い魔だとか、ライアンからしてみればもったいない、と思えるのだ。
「そもそも、そこまで大量に得られる素材ではないですし、もう入手も不可能でしょう。この使い魔は儀式の支援用なんですよ。始祖虫の抜け殻を使っているので、いかなる儀式の影響を受けませんし、与えないのです。それがどれだけ便利な事かわかりませんか?」
魔術的儀式に影響を与えない使い魔。
それは使魔魔術師でない魔術師にとっては物凄い価値のある物だ。
それだけにグランドン教授は悔しいのだ。いや、悔しさを通り越して、脱力しかできないのだ。
戦闘用に利用するよりもない儀式の補助用にと作られた使い魔に、使魔魔術専攻でもない魔術師に、これだけ技術の差を見せつけられてたのだから。
「な、なるほど。呪術師らしい発想ですね」
と、ライアンは無粋に失笑する。
「ライアン、その呪術師に、我は自分の分野で負けたのですよ。流石に落ち込むというものです」
怒る気力もなくグランドン教授はそう言った。
「グランドン教授……」
流石にライアンもグランドン教授の心境を察する。
「はぁ、調べれば調べるほど彼女の天才具合がわかってしまいますねえ」
ジンという名の白蛇の使い魔は、使い魔と言うよりは、呪術の結晶と言った方が良いかもしれない。
それだけに一歩間違えれば暴走しかねない危険な物だが、始祖虫の抜け殻と、強力な呪いの力が外部からの干渉をほぼ受け付けない。
そのはずなのだが、既にジンは一度暴走しかけている、とのことだ。
だから、アビゲイルもこの使い魔を置いて旅に出て行ったのだろう。
始祖虫の抜け殻すら貫通してくるような強力な魔力や呪力には無力と言う話だ。
そんなものが早々存在するとも思えないし、いたとしてそんなものに出会ったら、それこそ打つ手などないはずなのにだ。
「そんなに凄いんですか?」
操者としては一流でも、使い魔の製作者としては三流な、ライアンは白い蛇の使い魔が凄いとはわかりつつも、どこがどう凄いのかまではわからない。
「凄いとか、そういう度合いじゃないですよ。この使い魔は。普通に生物を創造したようなもんです。まさに桁違い、それも異次元の才能ですよ」
そう、言うならば、このジンは一つの生命なのだ。
生きている呪物の使い魔。
そう表現できるような使い魔であり、グランドン教授が学んできた使魔魔術とは完全に異質なものだ。
それを独学でここまで昇華させたのだ。
アビゲイルの才能は恐ろしさを超えて、呆れかえれるほどの物だ。
「そこまで…… 私にも教えをお願いします。今の私ではどこがどう凄いのかもわかりません」
一度使い魔の操者としてグランドン教授により鼻を折られたライアンは、学ぶ姿勢を見せる。
ただ今回、使魔魔術師として鼻を折られたのはグランドン教授の方だ。
「でしょうな。あまりにも高度な上に独自すぎて、我もどこから説明したらよいか、迷うほどですよ」
まず通常の使い魔として根本的な設計思想から違う。
それだけに、使魔魔術に詳しいからこそ、グランドン教授はどこから説明して良いか迷う。
「は、はあ?」
ライアンはそんな気の抜けたグランドン教授を見て、自身も腑抜けた顔を見せる。
「ですが、良い刺激にはなりました。いくつか新しい着想も得られましたし、凡人は凡人らしく地道に頑張るしかないですな」
グランドン教授はそう言って自虐的に笑う。
少なくとも水中用の使い魔は実用化できる。
それによりリチャードから、さらなる研究予算を引き出せるだろうし、更なる名声も手に入れることができる。
利用できるものなら、何でも利用する、グランドン教授がそう心に決めたときだ。
彼の研究室の扉を叩く音が聞こえる。
「入りなさい」
と、グランドン教授が表情を変え、そう言うと、一人の少女が部屋に入ってくる。
どころ狭しと素材が置かれている研究室を見て、嫌な表情を浮かべているのはクリーネだ。
「グランドン教授。わたくしはクリーネ・ディオネシスと申します」
嫌な表情を一変させて、クリーネは笑顔でグランドン教授に挨拶をする。
「ああ、ディオネシス家の方ですか? なに用でしょうか?」
ディオネシス家というものをグランドン教授も知っている。
この領地の貴族の、本当に末席にいる者達だ。
恐らく近いうちに貴族の地位も取り消されるはずの者達だ。
なので、グランドン教授が少しでも下手に出る必要はない。
だが、次にクリーネが発した言葉にグランドン教授も多少なりとも驚く。
「リチャード様より使魔魔術を学んで来いと仰せつかりました。これが紹介状です」
「これは…… 確かにリチャード様の物ですな。あなたは…… 今まで我の講義を受けてないですよね?」
封蝋により閉じられた書状を開け中を確認する。
そこには赤裸々にも、クリーネを妾にしたから、ついでに使魔魔術師としても育てておいてくれ、と、簡単に要約するとそんな内容が書かれていた。
少し頭痛のする様な感覚を覚えたグランドン教授は記憶を探る。
自分の講義にこの少女がいたことがあったかと。
その答えは否のはずだ。
「はい」
と、クリーネもそのことを認める。
「わかりました。明日以降は我の講義、全てに出席してください。もちろん、受ける資格がない講義は出なくて良いですよ」
「全てですか?」
クリーネは驚いて聞き返す。
基本的に講義は同じ内容の講義を何度も繰り返し行うものだ。
なので、全ての講義を受ける必要性はない。
「はい、復習も兼ねてです。使魔魔術と言うものはですね、初期は暗記する分野の魔術なんですよ」
そう言ってグランドン教授は笑った。
流石に何度も同じ講義に出る必要はないと、グランドン教授も考えている。
これはただのちょっとした憂さ晴らしだ。
ちょうど落ち込んでいるときに、ちょうど良い人材がやって来た。
ただそれだけの事だ。
「は、はい…… わかりました」
と、クリーネは返事をするしかなかった。
そんなクリーネにグランドン教授は笑いかけて質問する。
「あなたはどんな使い魔をご希望ですか?」
少し考えた後、クリーネは元気よく答える。
「鰐のような使い魔を!」
予想していなかった答えにグランドン教授はクリーネに対して少しだけ好感を持った。
「なるほど。それでミアはこの町にしばらく滞在していたんですか」
マーカスはヒエンと言う魔術師に話しかけられ、話し合った結果、お互いがミアの知り合いだと言うことがわかった。
ヒエンがマーカス達に話しかけた理由は、白竜丸が目立っていたからではなく、マーカスの持つ黒い炎の御使いの放つ魔力を感じての事だ。
最近、感じたばかりの特異的な異質な魔力を再び感じ、ヒエンの方からマーカスに話しかけたのだ。
「はい、それにしても、ミア様の関係者は皆随分と…… なんていうか特別な方ばかりですな」
ヒエンにはわかる。
細目の青年も、笑顔の女魔術師も、寝たきりの巫女も、全員が全員、神からの命を受けている人間であるのだと。
ある種、ミアと似たような雰囲気を全員が持っている。
何より、竜に似た生物は聖獣と呼ばれる類の物で、普通の人間が背に乗って移動して良い物ではない。
まさしく神に選ばれた者達だけがその背に乗ることを許される。
本来はそんな存在なのだ。
「類は友を呼ぶという奴ですよぉ。なるほどぉ、にしても難民に黄咳熱ですかぁ」
笑顔でそんなことを言っているアビゲイルを見て、マーカスはこの領地に入ってすぐに出会った死者達のことを思い出す。
恐らくあれらの死者が今回の黄咳熱で死んだ者達だったのだろう。リズウッドの民だ。
なら無理やりリズウッドの冥府の神の元に送ってしまえばよかったと、そう思い返している。
ただ、引き返してあの死者達を送ってやれるほど、マーカスは暇じゃないし、ディアナに憑いている御使いがそれを許さないだろう。
とはいえ、アイちゃん様が不機嫌になって以来、本来ディアナに憑いていた御使いが何か伝えて来ることはない。
ディアナに憑いていた御使いと、アイちゃん様には何らかの格の違いのような物でもあるのか、遠慮しているのかもしれない。
「驚くところはそこですか? 俺はミアが本当にルイ様の娘だったことの方が驚きなんですが」
マーカスとしては、ミアが本当にルイの娘だったことにも驚いている。
それだけルイと言う領主が、マーカスから見ても異常に思えていた。
真実と分かると、その分ルイと言う領主が、逆に大きく思えて来る、それほどマーカスには異様な領主に思えていたほどだ。
「あなた達はそのことを知らなかったんですかな?」
いぶかしむ、と言うよりは、簡単に確認するようにヒエンはそう言った。
ミアから聞いた話でも、マーカスが話した話でも、マーカス達がミアが領主の娘だったと言うことを知らなくても不思議ではない。
「ええ、まあ。領主がそう言っているだけかとぉ。いやぁ、流石神に選ばれた一族ですねぇ。わかるもんなんですねぇ」
アビゲイルは張り付いた笑顔のまま、そんなことを言っている。
どこまで本気で言っているかなど、誰も判断が付かない。
「ミア様が言っていた通り、本当に最近わかった事なんですね」
ヒエンもマーカス達を疑っているわけではない。
ただの世間話の範疇だ。
それにマーカス達はヒエンにも自分達は神の命で動いていると明かしている。
ヒエンもそれを信じているし、止めるようなことはなしない。
「そうですね、ミアが貴族とわかったのすら、去年の話ですよ」
マーカスが当時のことを思い出してそう言った。
よくよく考えれば、ディアナと会った時の話だ。
「そう言う話でしたな」
ヒエンもミアから聞いていた話と互いないと頷く。
「けど、流石ミアちゃんですねぇ、旅先でも色々と、なんかしら起こしていきますねぇ」
アビゲイルが面白そうにそう言った。
まさしく神に選ばれた巫女なのだと、運命の特異点、ミアはその一つであると、アビゲイルは考える。
そして、自分も神の巫女に、無月の女神の巫女になれば、そうなれるのかと、期待に胸を膨らます。
どんな苦難が待ち受けているか考えるだけで、アビゲイルは嬉しくて仕方がない。
「そう言う星の元に生まれているんでしょう」
マーカスはなんか勝手に悶えだしたアビゲイルには触れずにそう言った。
「ですな。あの方は正に聖人ですぞ。ワシに何か力になれることはありますかな? このヒエン、ミア様の為とあれば何なりと力をお貸ししますぞ。お供することもやぶさかではありません!」
そう言ってヒエンは気合を入れる。
実はヒエンもミアについて行こうとしたが、丁重にお断りされている。
ヒエンとしては、ミアに娘を助けれた、そのことによる恩返しをしたかったのだが、あまり出来ていない気がしてならないのだ。
「いやぁ、あなたでは何かする前に死んじゃいますよぉ。神にでも言われていないのであれば、そんな事、気軽に言わないほうがいいですよぉ」
アビゲイルは笑顔でそう言った。
腕が悪い魔術師と言うわけではない。
言ってしまえば覚悟がない。
マーカスやディアナは、すでに死ぬ覚悟が出来ているだろうし、アビゲイルにいたっては死ぬつもりはないし、その実力を持っている。
今、ミアの後をついて旅している三人と一匹は、しんがりなのだ。
これからミアを追ってくるであろう脅威を排除するための集まりなのだ。
三人が三人とも、そのことを理解して旅をしている。
「ふむ? 一体何があると言うのですかな? それにそちらの少女は?」
ヒエン自身、あまり関わりたくない、そう思う少女だ。
確かにアビゲイルと言う魔術師からも不穏な、とても強い呪術の気配をヒエンは感じている。
だが、それ以上に関わりたくないのがディアナと言う、今も聖獣の背の上で寝ている少女だ。
布を巻かれ隠されていて、一見して左肩に頭部が二つあるかのように思える少女からは、底知れない恐怖を感じる。
触れてはいけない者の激しい怒りを感じずにはいられない。
「あ、そうだ。どうしてもと言うのであれば、砂糖菓子でもあればいただけますか?」
マーカスは思いついたようにそう言った。
それがあればディアナも目を覚ますかもしれない。
ここ最近、ディアナはまったく目覚めておらず食事もとっていないので、マーカスとしても心配でならない。
「この子も神の巫女でしてぇ。魔術の才だけならば、ミアちゃんにも匹敵するような子ですが、色々あって今は寝た切りなんですよぉ」
アビゲイルが補足する。
「砂糖菓子ですか? わかりました、用意します。それがミア様の為になるのであれば」
少し考えたヒエンは、結局自分にできることなど限られていると、改めて思い知らされる。
ただこの領地では砂糖菓子などかなり高価な物だ。
用意するにも手間がかかるものだ。
「このディアナちゃんが我々の鍵ですねぇ、なにせ現在は二柱も御使いをその身に宿しているんですよぉ」
マーカスと違い、死ぬつもりもないアビゲイルはそう言ってディアナを見る。
本当にこの少女が、巫女が自分達の鍵であり、最終手段なのだ。
そのディアナの状態を少しでも良くするのであれば、アビゲイルとしても大歓迎だ。
そう言う意味では、マーカスが砂糖菓子を要求したことは大正解あるとアビゲイルも思っている。
「二柱も!? 御使いをその身に宿すことすら珍しいと言うのにですか?」
ヒエンはアビゲイルの言葉に驚く。
御使いをその身に宿すと言うのは、珍しい存在のはずの神憑きと言う存在よりも珍しい。
それが同時に二体もの御使いをその身に宿しているのは、聞いたこともない。
まあ、アイちゃん様は左肩を間借りしているだけで、ディアナに憑いているわけではないが。
「元は神憑きですしね、ディアナは」
と、マーカスはしみじみとそう言った。
ミアを守るためとはいえ、神憑きであったディアナの前によく立てたものだとマーカスは一年前の自分を褒めてやりたい。
そして、あれから一年ちょっとしかたっていないという事実に驚きもする。
「なんと…… ミア様関連の話は、いくら聞いていても驚く話ばかりですな」
ヒエンとしても笑うしかない。
目の前にいる魔術師達も十分に異質な存在の集まりなのだが、その中心にいるのはやはりミアなのだ。
「ミアちゃんの話なんですかねぇ?」
アビゲイルは少し疑問に思い、そんな事を言う。、
「さあ、無関係ではないんじゃないんですか?」
マーカスはそれを認めたような発言をした。
マーカス達はミア達がこの領地を出たころに、この町を出発する。
ヒエンにはそれを見送る事しかできない。
それが彼の役目なのだろう。
万が一、いや、千が一、百が一……
十が一、誤字脱字があればご指摘ください。
指摘して頂ければ幸いです。
少なくとも私は大変助かります。
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