海岸沿いを行けば出会う野盗と恩返し その8
「うーん……」
ミアは疲れた顔をして、何かを考えこんだ。
「どうしたのですか? ミア様?」
それに対してヒエンが心配したように声をかける。
この領地の領主と会食したのだが、それが原因での疲労と唸り声だろう、と。
「いえ、随分と腰の低い領主様だったな、と……」
だが、ミアから出てきた言葉はヒエンが想像していたものとは違っていた。
たしかに領主はミアに対して、かなり腰を低くして接していた。
普段は割と横柄な態度の領主であるが、リズウィッドに半ば寄生するかのような領地となっている現在では、そういう態度を取るのも仕方がないのかもしれない。
ただヒエンからしてみれば、見え見えのゴマすりだったので、ミアの唸り声はそれに辟易してのことだとそう思っていた。
けれども、ミアは素直に腰の低い領主と思ったようだ。
ミアは貴族の身分となって一年程度で、こういった会食にも慣れていないというのも本当のことなのだろう。
ただ、ミアは貴族よりも神に見初められた巫女なのだ。
貴族としての資質など、なくても問題はない。
「それはミア様相手だったからですよ。元々あの方は、普段は横柄な方ですので」
ヒエンは思っていることを素直に伝える。
良い領主とは言い難いが、愚鈍な領主ではない。
自分の立場を理解はしている、そんな領主だ。
だから、横柄にもなるし下手に出たりもする。
「そうなんですか?」
ミアは終始ニコニコして下手に出ていた男を思い出す。
ルイやルイーズから感じるような気品という物を、その領主からは全く感じなかった。
ミアの印象はそれだけだ。
後は領主なのになんで自分にこんなにへりくだっているのだろうと、不思議に思ったくらいだ。
「それよりもミアさん、サリーの見立てでは来週には出発できるくらいには回復できるそうですよ」
会食に同席していたフーベルト教授がミアにそのことを告げる。
会食としても特に内容のないものだったので、フリーベルト教授も特にそれに触れることもない。
恐らくは、領主側もミアと会食をした、という事実が大事なのだろう。
さらに言ってしまえば、リズウィッドの姫であるミアをちゃんと持てなした、という体面が大事なのだろう。
「スティフィ、そんな重症だったんですね」
ミアも会食の記憶は中々美味しい物だった、くらいの記憶しかない。
領主がなんやかんや言っていたが話が長いわりに内容がなかったのでミアも覚えてはいない。
特に会食の感想もなく、スティフィの方が気がかりなくらいだ。
一時期は体調が回復したように思えたスティフィは今も寝込んでいる。
「重症というよりかは、体に仕込んでいた魔術をあらかた破壊された後遺症、という感じですね」
黄咳熱の後遺症だけなら既に回復していると言って良い。
だが、長年スティフィの身体に刻まれていた魔術の大半を失ったのだ。
それらが均衡を崩してスティフィの身を蝕んでいる。
暴走しかねないそれらの術式を調整をするだけでも、かなり難しい状態へとなっている。
その辺りはサリー教授が手伝ってくれているが、流石にデミアス教の秘儀ともいえる術式がほとんどだ。
サリー教授をもってしても、そうそう簡単に安定させることができないでいる。
「本人は明日にでも出発していい、と額に脂汗かきながら言ってましたけどね。急ぐ旅ではないのに」
ミアはそう言ってため息をついた。
スティフィの容体は、黄咳熱からくるものは改善したが、それ以外の要因からくるものは悪化していると言って良い状態なのだ。
今まで安定していた物が一気に崩れ去り、残った魔術が暴走しかけている。
サリー教授はそれらの魔術を安定させ、制御できない物は逆に封印や破棄をしていっている。
その作業が終わる目途が今週中に立ったという話なのだろう。
恐らく、しばらくスティフィは馬車の中でも寝たきりの生活になる事だろう。
ミアが言葉を発した後、誰も言葉を発しなかったので、話題を帰るべくヒエンが口を開く。
「その…… リッケルト村ですか? そこに里帰りされるということですが……」
多少事情を聞きはしたが、すべては聞いていないヒエンは、なぜミアの故郷が極東の地にあるのかわからないが、ミアは神に呼ばれそこへ行くのだという。
その事だけは理解している。
そして、ヒエンにとっては、それだけで十分でもある。
「ああ、まあ、そうです。えっと、つい最近、本当に最近ですね。私の生まれがわかったので……」
自分が貴族の生まれだと知ったのが一年と少し前だ。
さらに、リズウィッドの直系の血を引いているのがルイの妄想ではなく真実だったと知ったのは、数週間前の話だ。
ヒエンが里帰りという言葉に疑問を抱くことは最もなことだ。
「その割にはルイ様は出会ったときから、ミアさんのことを溺愛していたそうですよね」
フーベルト教授は珍しくミアをからかうようにそう言った。
「やっぱり親というものは、わかるものなんでしょうか?」
だが、ミアは特に反応は見せず、ミア自身も不思議そうにそう言った。
なんでルイという自分の父親は、一目で自分の娘とわかったのだろうと。
ルイは確かにミアを一目見て、自分の子だと確信を持っていた。
それが事実とわかった今、ミアもルイという人物を、魔術師として尊敬し、父親としては…… 未だに実感がない。
ミア自身、まだ気持ちの整理ができていないのかもしれない。
そもそも、ミアは親など知らずに育ったのだ。
父親も母親も、物心つくときには存在していなかった。どういうものかも理解できてはいない。
「そうかもしれないですね。ルイ様は魔術師としても優秀だと聞いたことがありますしね」
恐らくは魔術的な要因があるのだろうとフーベルト教授もそう思う。
特に領主の一族は神に見いだされた一族でもあるのだ。
なにか特殊な力があってもおかしくはない。
フーベルト教授はそんなことを頭の中で考えていると、突然ミアが、
「あー、私って、妾の子ってことになるんですかね?」
などと突然言い出したので、焦り出す。
「まあ、一応はそう言うことになるんですかね? ただ秘匿の神が認めたというか、わざわざ伝えて来た以上、誰も文句は言えませんよ」
フーベルト教授はそう言って、その場を濁しつつ、ヒエンの顔を見る。
ヒエンは驚きと共に、どこか悟ったような、納得した顔をしている。
完全にミアに心酔しきっているヒエンは、そんなミアの事情を広めたりはしないだろうし、気にしたりもしない。
もっともミア自身にリズウィッド領の領主に興味が微塵もない話なので広がったところで問題はないのだろうが。
「領主には興味はないんですけどね」
ミアはうんざりしたようにそう言った。
ミアのその言葉で、会話が途切れ、少しの間があった後だ。
扉を叩く音がして、中を覗くようにジュリーが顔を出す。
そして、既にこの領地の領主が居ないことに安堵してから、
「フーベルト教授、師匠がお呼びですよ」
と、フーベルト教授を呼ぶ。
「サリーが? 何だろう」
「多分、黄咳熱の再発期間を過ぎたので、その件じゃないんですか」
ジュリーはそう伝える。
サリー教授としては、領主がいるなら話が早いと、そう思ってのことだったようだが、既に領主は帰った後だ。
それはミアが、この会食を楽しめていない、というのを見抜いて早々と切り上げていったからだ。
その辺の切り替えの良さは領主としては悪くないのかもしれない。
「なるほど。領主はもう帰られましたが、ちょっと行ってきます」
そう言って、フーベルト教授は席から立ち上がり、部屋から出ていく。
その代わりにジュリーが部屋に入り、会食でどんなものが出されたのかを観察する。
この領地にしてはかなり気合の入った物だろうが、リズウィッドで持てなされた後だと、どうしても貧相に思えてしまう。
ただ、わざわざ専属の料理人を連れて来て用意していったものだ。
中には手の込んだものも存在する。
「あ、ヒエンさん、この本ありがとうございます。ためになりました」
ミアは堅苦しい会食も、もう終わりだというように、席を立ち傍らに置いておいた本をヒエンへと返す。
数日前に貸したばかりの魔導書だ。
ヒエン自身が書いたもので数日で読める内容の物ではないはずだ。
それをもう返却されることにヒエンは驚く。
「え? もうよろしいのでしょうか?」
ヒエンはお気に召さなかったのかと、顔を曇らせる。
だが、ミアはとても良い笑顔を浮かべて、
「はい、内容は全部覚えましたので! 大変参考になりました! ありがとうございます!」
ヒエンに向かいそう言ったのだ。
分厚い魔導書の内容をすべて覚えたというミアに、ヒエンは驚く。
ミアが嘘をついているとも思えないヒエンは、これが神に選ばれる者かと感心するしかなかった。
だが、そう思っていても、信じられない部分も多い。
特に、魔法陣など人間が覚えれるものではないはずだ。
「へっ? 覚えた? 魔方陣もいくつかあったと思うのですが、それは必要なかったですか?」
ヒエンは反射的にではあるが、そんな言葉を口にする。
「いえ、それも含めて丸覚えしました」
ミアは少し自慢するようにそうい言った。
「ミアさんの記憶力が異常なんですよ。複雑な魔方陣でも集中して見れば、それだけで完璧に覚えちゃうんですよ」
ジュリーが半ば呆れながら、その事をヒエンに教える。
「流石は神の巫女に選ばれるような方…… 常人とはわけが違うのですね」
ヒエンも魔術学院の教授ともなれば、魔方陣を丸覚えするような人間もいる、というのは聞いたことがある。
だが、数回見ただけで魔方陣を丸覚えできるなどという話は聞いたことがない。
けれど、ミアとしてはそんなことよりも、寝込んでしまっているスティフィのほうが気がかりだ。
「あ、そう言えばスティフィのお昼はどうしました? 私は領主様と一緒に食べちゃったんですけど」
と、ジュリーに確認する。
寝たきりどころか、今は体を動かすだけで激痛がするというスティフィの世話をしなければならない。
「私も師匠のお手伝いしてたので、エリックさんが面倒みてなければまだじゃないですかね」
ジュリーも難民たちの世話もしているので何かと忙しい。
暇なのはミアとエリックくらいだ。
その為、というわけではないが、スティフィの世話はミアとエリックがしている。
ミアが盗品市場に行っている間、エリックが看病しているという話だったはずだ。
「スティフィとジュリー、ついでにエリックさんのお昼の用意をしましょう。会食の残りを持っていっても構いませんか?」
ミアはヒエンにそれを確認する。
別にヒエンが用意した料理ではなく、領主が連れて来た料理人が、ミアのためにと持って来たものだ。
その領主も帰ってしまった今この残っている料理もミアの物だろう。
「ええ、それはもちろんです」
ヒエンからしても、そう答えるしかない。
「そう言えば、この辺りではサァーナはないんですね」
ミアは机の上に並べられた料理を見ながらそう言った。
「あれはリズウィッド領の料理ですからな」
そう言いつつ、ヒエンも知っている。
例え、リズウィッドでもサァーナはあくまで家庭料理であり、こういった会食の場で出る料理ではない、と。
実際、リズウッドの首都、フーヘラッドでもてなされたときもサァーナのような麺料理は出てきていない。
ミアは他の豪華な食事に気を取れて気が付きもしていなかったが。
「なら、この辺りは何が主食なんですか?」
「豆ですな。豆を煮込んだ料理です」
そう言ってヒエンは机の上にある、色々な小皿に乗せられている料理のうち、比較的大きな皿に乗せられている豆料理を指さす。
そら豆を塩茹でし、更に煮込んだ料理でこの領地の主食の一つだ。
「なら、それをスティフィに作ってあげましょう! あとで作り方も教えてください。今日のお昼は会食の残りで十分そうですね。ほとんど手を付けてませんし」
ミアはお盆を自ら手に持ちいくつかの料理の皿をお盆に乗せる。
数々の料理がほとんど手付かずのまま机の上に置かれている。
量だけなら、数日分の食事には困らないほどだ。
難民達にも十分に振舞える量がある。
「もちろんです。その時はワシの妻を呼びましょう」
「え? 確かこの辺りの豆料理って…… 辛いんじゃなかったでしたっけ?」
ジュリーは少し赤くに煮込まれているそら豆を見てそう言った。
ジュリーの中では赤い物は辛い、という経験がある。
「辛いのもありますな。ですが、主食に食べられている物は、ただ豆を煮ただけの物ですよ。これが赤いのは赤茄子を使って煮込んでいるからですな。縁起物です」
普通は赤茄子で色を付けることはない。
赤茄子で赤く染めるのは、ある種の縁起物で良いことがあったときに食べる少し特殊で贅沢なものとなっている。
普通の家庭では、ただ塩ゆでされた物しか出てこない。
「確かに辛くなかったですよ! 美味しかったです! でも赤茄子使っているんですか?」
と、ミアは驚いた顔をしている。
ミアは基本食べ物に関して好き嫌いはないのだが、赤茄子の中のグチュグチュとしている種の部分がどうしても苦手なのだ。
「おや、ミア様は赤茄子嫌いですか?」
ヒエンにそう聞かれ、ミアは素直に、
「生のはちょっと苦手です。中身がドロドロしているので」
と答える。
「ミアさんが嫌いな食べ物とか珍しいですね。まあ、味での好き嫌いじゃないところが、ミアさんらしいと言えばミアさんらしいですけど」
ジュリーが笑いながらそう言った。
「なあ、あんちゃんらよ。随分と、ここいらで荒稼ぎしているじゃねぇか?」
ごろつきとも思える数人の輩が、因縁をつけるように、それでいて背後にいる大きな白い竜のような獣におびえるように、ちぐはぐな感情でそうマーカス達に言って来た。
随分と荒稼ぎしてしまったので、この辺りの商業組合にでもマーカス達は目をつけられたのだろう。
そして、その組合に雇われたのが、このごろつき達だろう。
「えーと、どこかの商業組合の方ですが? 心配しないでください、すぐに旅立ちますので」
そう言ってマーカスは笑顔を向ける。
「あん?」
商業組合、いや、それに雇われたごろつきは少し考える。
考えた後、後ろの大きな竜のような獣は怖いが、とりあえず場所代だけでも回収しよう、と更に口を開こうとする。
だが、先に口を開いたのはマーカスだ。
「それに我々は神の使命を背負った集まりです。あまり関わり合いにならない方が良いですよ」
妙な説得力がある。
細目で絶えず笑顔の男。
張り付いたような笑顔で自分達を気にも留めていない女。
大きな白い、竜のような獣の上で寝ている少女。
竜のような獣も含め、どれも確かに異様だ。
神の使命を背負った集まりと言われても信じられてしまうし、神と言う言葉を出して嘘をつくことはまずない。
「そ、そうかい…… 何の神だ?」
ごろつき達はそう言って確認する。
このまま、おめおめと帰っても報酬は支払われないのはわかっている。
「えーと……」
と、マーカスがアビゲイルを見て口ごもる。
アビゲイルは無月の女神の信者どころか、巫女候補だ。
あまり公にして良い話ではない。
だが、アビゲイルは張り付いた笑顔のまま、
「私は次期、無月の女神の巫女候補ですよぉ」
と、平然と公言する。
マーカスが驚き、ごろつき達は更に驚く。
「なっ…… そ、そうかい…… まじで?」
神の名を出している以上嘘なわけがない。
ましてや、祟り神として名高い無月の女神を出しているのだ。
それで嘘を付けばどうなるかなど、ごろつき達にでもわかる。
「そうですよぉ! リズウィッド領のマリユ教授のことは知ってますかぁ? 私はその弟子ですよぉ、師匠が主から直接言われたんですよぉ。主が命を下すなんて、とっても珍しいことなんですよぉ」
アビゲイルはそう言って目を輝かせる。
確かに珍しい事だ。
基本的に無月の女神が狂っていてまともに話もできない、そう思われている。
実際は感情的な神なだけで話が通じない神と言う訳でもないのだが、そのことを知る者は少ない。
「ついでに俺はリズウィッド領の冥府の神の命を受けています」
アビゲイルが明かした以上、マーカスも隠す意味はない。
ただ死後の世界の神は祟り神と並び、関わり合いになりたくない神ではある。
「はぁっ!?」
と、ごろつき達も声を上げる。
代表的な祟り神に続き、今度は冥府の神の命を受けている、というのだ。
特定の神をさしてそう言っている以上嘘ではない、そのはずなのだが、ごろつき達としても、ここまでくると嘘のように思えてきてしまう。
「ついでに、そっちの鰐の上で寝ている少女は、今は本当にヤバイので触れないでください。御使い憑きですので。その御使い様の機嫌が今は特に良くないんです」
マーカスはディアナを方を向いてそう言った。
アビゲイルの話では、親しみやすい、そう言う評価だったはずのアイちゃん様が黒い御使いに会って以来、どうもその機嫌が良くない。
本当に危険だ。
「わ、わかった……」
ごろつき達が素直にその言葉を発したのは、隠してあるはずの、布を巻いてあるはずのディアナの左肩から肉の触手が、その布を動かしている。
場合によってはディアナに二つ目の頭が、左肩に別の頭が付いているようにも見える。
更に、今もアイちゃん様から発せられる怒気のような物が感じられるのだ。
その怒気に白竜丸が迷惑そうな顔をしている。
鰐なので表情などないのだろうが、少なくともマーカスには白竜丸が、勘弁してくれ、と言う顔をしているように見えて仕方がない。
「ついでにですがぁ、あの鰐も冥府の神の聖獣ですよぉ、あ、鰐って言ってもわからないですよね。竜じゃないですよぉ?」
それを見て、面白そうに小さく噴き出したアビゲイルは白竜丸について補足する。
この辺りでは野生の鰐はいない。
本物も竜も滅多にいないので、噂には聞く竜と言っても信じられる風貌を白竜丸はしている。
それを理由にアビゲイルはごろつき達をからかっているのだろう。
「いや、分かった分かった。もういい。我々も関わらない。で、いつ出て行ってくれる?」
ごろつき達はマーカス達の話を一端信じることにした。
神の名を出していることもあるが、それ以上に確かにマーカス達からは何か並々ならぬものを感じているからだ。
そして、あまり関わり合いにならないほうがよい、と、そう判断した。
冥府の神や無月の女神を出されたら誰だって、関わりを持ちたいとは思わない。
「それが…… いつなんですかね?」
だが、いつ出発するのか、マーカス自身が知りたいと思っている。
「舐めているのか?」
流石に、ごろつき達もざわめき立つ。
「いや、御使い様次第なんですよ。ただ、それほど長い事いるつもりもないのも本当なんですよ。十分な路銀が稼げればそれでいいんです。ただいつまともに町に寄れるとも知れないので、出来る限り稼いでおきたかっただけですよ」
その御使いはディアナに憑いているほうの御使いで、左肩に間借りしているアイちゃん様の方ではないのだが、そんなことをごろつきに説明しだすと話は余計にこじれるだけなので、マーカスもそのことには触れない。
また、既にボロボロの服装のマーカス達のその言葉は説得力がある。
もう何日も野営をしてきているような身なりなのは間違いない。
「そうかい…… なっ、なんだありゃ!? 外道種か!?」
その時だ。
ディアナの左肩を、アイちゃん様を覆っていた布が、アイちゃん様の触手によりめくれ上がり露わになる。
「あっ、言葉には気を付けてください。あれは御使い様です。外道の王を封じ込めているのであの姿でいるだけで、あれは正真正銘の御使い様です」
マーカスが急いで訂正する。
それを聞いたごろつき達は言葉を失う。
「アイちゃん様、やっぱり機嫌が悪いですねぇ…… あれから相当お冠のようですねぇ」
アビゲイルはしみじみとそう言った。
肉の塊にある目は何かを鋭く睨んでいるかのようで、確かに機嫌が良いようには見えない。
なにより、それが発する怒気は、ごろつき達が身震いするに十分な力を持っている。
包んでいた布がめくれ上がったことで、視覚的情報もあり、よりその怒気を感じれてしまう。
アイちゃん様からすると、怒気、と言うよりは、ただの苛立ちなのだろうが、人間からしたらそれは紛れもなく激しい怒気だ。
「わかった、わかったから、どうにかしてくれないか?」
アイちゃん様から発せられる怒気にごろつき達も慄きだす。
尋常な存在ではない、ということはごろつき達にも理解できる。
「無理ですよ。御使い様なんですから」
マーカスも困ったようにそう言った。
マーカスとしても、そろそろ機嫌を直して欲しい頃合いなのだ。
リチャードに会いにティンチルに行っていたクリーネが帰って来て、食堂に行くといつもの面々の姿はなかった。
代わりに、最近ウオールド教授の助教授となった、ライ助教授が広い食堂で一人で食事をとっていた。
「ライ助教授、でしたよね? お疲れ様です。すいませんがルイーズ様とミア様はどちらにおられますか?」
クリーネはそう言ってライ助教授に話しかける。
ルイーズに伝えたいことが、自分がルイーズの叔父であるリチャードの妾となったことを伝えたかったのだ。
妾と言っても、リチャードには正妻は未だにいない。
上手くやれば正妻の座につけるかもしれない。
そのことを、ルイーズに伝えておきたかったのだ。
「えっと、キミは……?」
話しかけられたライは思い出そうとするが、その生徒の顔と名前がまるで一致しない。
ただ、立ち振る舞いから、相手が貴族ではあると言うことは想像できる。
「あら、わたくしはクリーネ・ディオネシス。この領地の貴族と言う立場の者です」
クリーネはそう言って、ライに挨拶する。
ただディオネシス家の名を、ライは聞いたことがない。
「ああ、なるほど…… ライ・タンデンと申します」
ただ貴族と言うのはライにも分かる。
だから、領主の娘であるルイーズを探しているのだろう。
年頃も近いし、ルイーズの取り巻きの一人だろうと、勝手にライは判断する。
「タンデン? 西のほうの?」
タンデンと聞いた、クリーネの方にはその名に聞き覚えがある。
西の領地のそれなりに大きな貴族の家の名のはずだ。
「はい。そう…… です……」
なんなら、そのタンデン家の跡取りのはずだが、ライはこの地で教授にならなくてはいけなく、西の地に帰れる目途もない。
恐らくこの地で骨をうずめなくてはならない。
ライの実家の方にも、オーケンとウオールドが手を回したらしく、別の者を後継者としてたてると言う話をライは聞いている。
これでは西の地へ帰ることもままならない。
とはいえ、ライ自身、この魔術学院を気に入りだしている。
何より、ライが尊敬してやまない人物が、珍しく一カ所に長く滞在しているのだ。
「これはこれは。知りませんでした。ご挨拶がおくれて申し訳ありません」
クリーネは西の貴族が、しかも大貴族が、こんなところで助教授をしていることに驚きつつも、もう一度深々と頭を下げる。
南の地が、とくにリズウィッド領がここまで栄えているのは、中央と言う地方を通さずに運河を使い、西側と直接貿易をしているからだ。
それはリズウィッド領に莫大な利益をもたらしている。
「あっ、はい…… よろしくお願いします…… ルイーズ様は実家に戻ったと聞いています。ミア…… 様は、確か、神に呼ばれ、東へと旅立ちました」
ライは確かそんなことになっていたはずだ、と言うことを目の前の少女に伝える。
ただルイーズはともかく、ミアのことを思い出すと今も身が震える。
あの底冷えするような暗く深い魔力は、ライの魂にも未だに深く刻まれている。
「そうなんですか? わたくしがティンチルに行っている間に色々あったのですね」
クリーネもリグレスの町に、外道の王が襲撃をかけたという話は聞いている。
しかも、それをミアが解決させたとも。
流石はステッサ家だと、クリーネは再度、尊敬の念をミアに抱いた物だ。
「はい…… 本当に」
「白竜丸もまだ帰って来てないようなのですが? ご存じでいらっしゃりますか?」
クリーネは白竜丸の背に乗ってから、その世話もしているくらい気に入っている。
ティンチルまでの道中、途中までマーカスと白竜丸と共にしてくらいだ。
「白竜…… ああ、あの白い鰐ですか? 一度戻って来て、そのままミア…… 様を追いかけて行ったと聞いて…… います」
たしか、オーケンがそんな事を言っていたことをライは思い出す。
冥府の神の聖獣なだけに、死の獣ともオーケンは白竜丸を評価していた。
あのオーケンが楽し気に白竜丸のことを話していたので、ライとしても印象深い。
「そうなのですか。ルイーズ様には色々とご報告があったのですが…… こちらへはいつお戻りなるのでしょうか?」
ルイーズがいつ戻ってくるのか、ライに聞いたわけではない。
クリーネの独り言だったのだが、ライは自分に聞かれたと思い、それに答える。
「ルイ様が…… 学院に来て、それで首都のご自宅に戻った…… と聞いていますので…… どうでしょうか」
親子喧嘩中と言う話はライも聞いている。
リグレスの町の復興が終わるまで、本来なら、リグレスの町の別荘でルイが指揮を執るはずなのだが、今はその別邸も修繕中だ。
そもそも、領主の別荘が町の壁の外に建てられていたこと自体がおかしかったのだ。
そんなわけで、ルイはリグレスから比較的近く、設備も整っているシュトゥルムルン魔術学院からリグレス復興の指揮を執っている。
「あー、なるほど。リグレスも今は大変ですしね。そこでもミア様がご活躍したと聞いています!」
クリーネの聞いた話では、リグレスに現れたのは長年封じ込められていた不死の外道種で、倒しようがない相手だったのに、それを倒したのがミアだと言う話だ。
どういう訳か、リグレスでミアは、学院の魔女と呼ばれていたが。
「あっ、はい……」
確かにミアの活躍と聞いているライはそれを肯定する。
そして、今、自分がこうやって呑気にゆっくりと食堂で食事できている要因でもある。
リグレスの町にある海神の神殿、その神官長も務めているウオールド教授がリグレスに行っていることが多いからだ。
ウオールド教授が魔術学院に居たら、ライはこんなにゆっくりと食事を取れる暇を持つことはできない。
「そうすると、わたくしがこの魔術学院にいる意味がありませんね…… 愛しのリチャード様の元、ティンチルへと戻りますか…… いえ、でも、魔術師の資格を取って来いと言っておりましたわね。特に使魔魔術の……」
クリーネはリチャードに言われたことを思い出す。
使魔魔術の教授であるグランドン教授もティンチルの町に大きくかかわってきているという話なのだ。
確かにティンチルには使い魔も使魔魔術師も多い。
ただ、クリーネ自身は、使魔魔術にあまり興味がない。
なんていうか、クリーネからしたら、小難しくめんどくさい、のだ。
「ところで、ライ助教授はなんでここでお食事を?」
今まで、クリーネの知る限りではあるがライ助教授がこの食堂にやって来たのは、ミア目当ての時だけだったはずだ。
「えっと…… 今、住んでいる場所から、ここが一番近かったんですよ…… 今まではルイーズ様達がいたので使えませんでしたが……」
ライはその理由を少し考えてから答える。
言っている通り、今間借りしている住居から一番近い食堂、と言うのが、やはり一番の理由だ。
今までは、ルイーズが、と言うよりはミアのたまり場だったので、ライは意図して使用するのを避けていた。
ミアの纏うあの魔力の残滓を感じると、ライはやはり恐怖としてあの恐ろしい深淵の魔力を思い出すからだ。
「そうですか…… えーと……」
クリーネは特に話すこともなくなったので会話に困る。
「はい……」
「わたくしもここで食事をしても?」
とりあえず食事をしてから考えよう、クリーネはそうすることにした。
「はい……」
ライは少しだけ嫌な顔をして、自分が拒否できることではないと了承する。
「はい……」
クリーネもそれを感じ取りながら、ぎこちなく返事をした。
万が一、いや、千が一、百が一……
十が一、誤字脱字があればご指摘ください。
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少なくとも私は大変助かります。
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