旅は道なりではなく世は情けない その12
リズウィッドの首都、フーヘラッドを出発してミア達一行は街道を行く。
しばらくは街道沿いに馬車を進めるだけで良い。
御者役もミアの使い魔である荷物持ち君がしてくれているので、馬車の室内で皆くつろいでいる。
街道があるうちはこんなゆったりとした旅が続くのかもしれない。
その街道も、整備されている道という意味での街道は、もうしばらくするとなくなってしまうのだが。
「なあ、これからの行き先は、やっぱり街道をそのまま行くのか?」
馬車に揺られながらエリックがフーベルト教授に尋ねる。
瞑想するかのように目を閉じ転寝と覚醒の合間を楽しんでいたフーベルト教授も目を開き、一瞬の間を置いてその問いに答える。
「はい、それと一応、道すがらにある魔術学院は訪問していきたいですね」
南側で最も大きいリズウィッドの領地ももうすぐ終わりを迎える。
それより東には、リズウィッドのような大きな領地はもうないが、中規模、小規模な領地はまだまだ存在する。
そして、その領地ごとに魔術学院は一応存在している。
ジュリーの故郷、アンバーのように一面荒れ地でもない限りは、魔術学院は作られる決まりになっているからだ。
「でも、シュトルムルン魔術学院ほど大きな学院はないでしょう? あの、なんていうか、出張所みたいな学院ばっかりなんでしょう?」
スティフィはそう言って、出張所とは言い得て妙だと、自分が言ったことながらに思う。
簡易的な魔術学院、いや、学院など言うのもおこがましい。
なにかの建物の一室、市役所などの一室を借りて週一程度で、魔術を暴走させないように指導するだけの場所、そう言ったものも魔術学院として存在する。
魔術を学問として学ぶ場所ではなく、暴走しないための最低限の知識と技能を身に着けるだけの場所といった感じだ。
「まあ、そうですが。それでも支援は受けられますし寄る価値はありますよ」
そう言った場所には教授もいない。
誰かしらの助教授が出向し教えている。
それでも事情を話せば、旅の支援くらいは受けられる。
「出張所?」
と、ミアは不思議そうな声を上げる。
リッケルト村からシュトルムルン魔術学院までの間に、別の魔術学院があるのは知っていたが、ミアが目指していたのはシュトルムルン魔術学院だ。
特に気にしたり調べたりもしなかった。
ミアが知らないのも無理はないし、そう言った小さい魔術学院にはそもそも固有の名がないのでわかりにくい。
「ああ…… そうね、ミアは知らないだろうけど、シュトルムルン魔術学院はかなり大きい魔術学院なのよ」
スティフィはそう言う。
ただし、それは南側の地方のことで、中央や北側、西側の領地では魔術学院は、それなりに大きい施設になるのが主流になる。
魔術の研究には魔力の暴走がつきものであり、どうしても郊外に集められて作られるためだ。
逆に研究をしない魔術学院、スティフィが言う様な出張所ならば、大きめの部屋一つで事足りる。
そう言った小さい魔術学院は魔術を学問として学べないといった欠点もあるが、貧しい領地では、どうしてもこちらが主流になる。
「騎士隊の訓練校もあるしな」
エリックがぽつりとそんなことも漏らす。
大きな魔術学院の中では騎士隊の訓練施設と併設されることがある。
そこまでの魔術学院となると下手な村よりも大きな場所となる。
シュトルムルン魔術学院などがそれにあたる。
こちらは上限が厳しくその数自体が少ない。騎士隊の構成上、特定の神の加護かになるような魔術学院には併設できないからだ。
北側や西側、特に西側の魔術学院は特定の神を信仰し、その神について教えている魔術学院は多く存在する。
そう言った場所では、様々な神々を信仰する人間が集まっている騎士隊との連携はやはり難しいのだ。
「確かに村よりも、おおきいですからね」
ミアはシュトルムルン魔術学院の全貌を未だに知らないでいる。
それは北側半分がまだ未開の森というのもあるが、それでもかなり広い敷地をすべて高い壁で覆っている。
その壁は北側の、まだ未開の森である部分も含めて覆っているのだ。
北の山脈に住む、冬山の王という精霊王が本格的に人に牙を剥いた時、魔術学院がその防波堤となるためだ。
北側半分が未開の森なのも、北から吹いてくる風を少しでも和らげるためのものだ。
ただ、冬山の王が、寒く凍てつく様な北風を吹かすことはあっても、山から人里まで降りて来たことはない。
「私が出張所って言ったのは…… 建物が一つだけあってそこで必要最低限、魔術が暴走しない程度の技術だけを学べるって場所ね」
言えば言うほど、出張所という言葉が当てはまっているようにスティフィには思えて来る。
実際、学院と名乗るのは無理がある。
市役所などの一施設として認識されることの方が多くそう考えている者がほとんどだろう。
「魔術を本格的に学ぶなら、ある程度大きな魔術学院まで行く必要がありますね、私もそうです」
ジュリーがそう言って苦々しく笑う。
魔術を学問として学ぶ、というのもあるが、ジュリーの故郷アンバー領は、出張所のような魔術学院も運営できないほど貧困している。
だから、ジュリーはわざわざリズウィッドまで出向いて魔術を学んでいるのだ。
アンバー領のような事例は世界的にも珍しいことだ。
大きな争いが神々により禁止されている世界で、アンバー領ほど貧しいのは本当に珍しいことだ。
「だから、ロロカカ様もシュトルムルン魔術学院に私を……」
確かにそう言った、魔術を学問として学ぶのであれば、南側ではシュトルムルン魔術学院が最適ではある。
だが、唯一という訳でもない。
「ミアの場合は出生の事もあったからでしょうね。それに、あっ、ここより東に大きな魔術学院はあるの?」
スティフィは南の地で、シュトルムルン魔術学院より東にある魔術学院は聞いたことはない。
小さな魔術学院はあるだろうが、それこそ名が付く様な、魔術を学問として学べるような魔術学院があるか疑問に思うほどだ。
「一つだけ…… ありますよ…… 小さい魔術学院は、領地ごとにだいたいありますが……」
そう言ってサリー教授はジュリーの顔色をうかがう。
自身の領地に魔術学院がないジュリーは俯き苦々しい顔を見せる。
サリー教授は思いかけずにジュリーに悪い事をしたと反省する。
アンバー領があそこまで貧しいのはジュリーのせいではない。
「そうなんですね」
と、ミアはどうでもいいように返事をした。
それに付け加えるようにエリックが、
「騎士隊の訓練校はシュトルムルンにあるのが最後で、これ以上、東の内側にも外側にも、なかったはずだぞ」
と、発言する。
この世界の東南側は大きな山脈に内側と外側で分けられている。
そしてその両方のほとんどが未開の地だ。
内側は大きな大湿原が広がり、外側は手つかずの地となっている。
ミアの故郷、リッケルト村はその東の外側の奥地にあるのだ。
「騎士隊自体の詰め所はまだ流石にあるでしょう?」
それにスティフィが聞き返すが、エリックは予想外と言った表所を見せ考え始める。
「ん? まあ、それはあるだろうけども……」
エリックは腕を組み本格的に考え始める。
騎士隊の詰め所があったか、なかったかを。
「あんた知らないのね」
スティフィが呆れてエリックを見る。
「まだ見習いだからな」
エリックはすぐに考えるの辞め、そう答えた。
見習いだから知らない、という大義名分を得たからだ。
「猶更、知ってなさいよ。将来の勤め先になるかもしれないんだから」
南の地で騎士隊に所属されるならそう言ったこともあるはずだと。
特にエリックのような人物は、そうなる可能性も高いのではないか、と、スティフィは考える。
だが、
「俺は卒業したら北に帰るつもりだったからな」
と、エリックはきっぱりと答える。
実際に、そう言う希望を騎士隊にも出している。
エリックには竜の英雄になるという夢がある。
シュトルムルン魔術学院を選んだのは、ハベルと言う有名な竜の英雄がいるからに過ぎない。
それに竜は南の地には数少ない。
竜の英雄になるには北の地に、数々の竜が住む竜の山脈がある北へ戻らねばならない。
「そうなんですか?」
ミアが驚いてエリックに聞き返す。
エリックはミアをリッケルト村まで送れば、訓練生を卒業し騎士隊に正式採用されるという話だ。
ということは、この旅がエリックとの別れになると言うことでもある。
「じゃあ、ミアを送り届けた後はあんた北に帰るつもりだったの?」
スティフィも少し驚いてそう聞き返すが、当のエリックは、何も考えていないような、エリック自身が驚いた顔を、今スティフィに言われて初めて気づいた様な顔をする。
「ん? あー、そうなるなぁ…… でも、やっぱり竜の英雄になるには竜がいる場所に居ないとなぁ」
エリックはそのことを全く考慮してなかった。
確かにシュトルムルン魔術学院の訓練校を卒業すれば、北の地へ帰り、そっちの騎士隊に所属することになるはずだ。
それはミア達の別れを意味するのだが、そのことをエリックはまるで考えてなかった。
エリックらしいと言えば、エリックらしいことだが。
「そういや、そもそもハベル目当てでシュトルムルン魔術学院まで来たんだったわね…… あんたも北側出身だったわね」
スティフィはそう言ってエリックに呆れるが、自分の似たようなものであることに気づいていながら考慮はしない。
「そうだぞ」
と、エリックは誇る。
「スティフィも似たような感じですよね? いつか北へ帰るんですか?」
ミアは少し焦ったようにスティフィにそのことを聞く。
スティフィは自分と別れるのが寂しいのかしら、とそう思いつつ、ルイーズにミア自身が言ったようにミア自身がどうなるか、それも分からないのに何を心配しているんだという気持ちになる。
ただ、スティフィにとってもミアの質問は、北へと帰るという選択肢は、全く意識しなかったことだ。
エリックのことをまるで笑えない。
「え?」
と、スティフィも間抜けな言葉を返す。
スティフィは自分が、もう戦士としても諜報員としても使えないので、北へ帰るだなんてことは少しも考えていなかった。
言ってしまえば帰りたくもない。
自分の寿命は、それほど長くないことを知っている。
だから、この南の地で適当に諜報員もどきのことをやりながら、余生を楽しむ気でいた。
それも、北からやって来たシルケという元同僚の登場で、どうなるかわからなくなったが。
「スティフィ?」
あまりにスティフィが面を食らっていたのでミアがその名を呼ぶ。
「あっ、いや…… わ、私はもう…… 帰らないわよ。左手が使いものにならないから…… 役に立てないし?」
そのはずだ、スティフィは自分にそう言い聞かせる。
シルケという元同僚、現在は上司と言ことになるのだろうか、シルケが言っていた言葉をまるで聞かなかったかのようにしながらスティフィは答える。
「そうなんですね」
ミアは安心しきった笑顔でそう言った。
自分はどうなるかわからない、故郷に帰れば死ぬかもしれない、そのことを棚に上げてミアは嬉しそうにしている。
本当に自分勝手な奴だと、スティフィは思う。
「うれしそうね、ミア」
「スティフィもエリックさんも居なくなったら寂しいですからね」
ミアはそう言って少し寂しそうに笑う。
「あんた自身が居なくなってもそうでしょう?」
スティフィがそう、少しからかうように、言うと、
「そう…… でしょうか?」
と、ミアは意外そうな顔をする。
「少なくともお姫様はそうだったでしょう?」
ルイーズはミアに抱き着きながら泣いていた。
間違いなく別れを悲しんでくれていたことは確かだ。
「あれは驚きました」
ミアは本当に心外だった、そんな表情をする。
リッケルト村ですら、ロロカカ神の巫女として、腫物のように扱われたミアは自分が他人に好かれているとは思っていない。
思えないのだ。
そう言う環境で育って来たのだ。
「けど、ミアさん、いや、ミア様はリズウィットのお姫様だったんですよね……」
そこへジュリーが少し遠慮がちに話しかけて来る。
話は多少変わってしまうが、ジュリーとしては一応確認しておかねばならない事だ。
「ジュリーにまで、様付されるとなんかムズムズするので、様はやめてください、一応、ジュリーの方が年上で先輩じゃないですか」
と、ミアが返すと、スティフィが笑いながらミアに突っこむ。
「自分は呼び捨てにしておいて、今さら何言ってんのよ」
ジュリーはスティフィの発言を無視し、ミアにそう言われて、真剣な面持ちでミアを見る。
「ミア様が、いえ、ミアさんがそう望むのであれば」
そう、返事を返す。
そこには何らかの決意の用の物が見え隠れする。
ジュリーはなんだかんだで荒れ地しかない故郷を捨てられない。
できる事ならば、故郷を救いたいと、そう考えている。
それはリズウィッドの力、ミアの立場があれば、それも容易いことなのだ。
リズウィットに少し支援してもらうだけでアンバーの地は立て直すことができるかもしれないのだ。
ルイーズとミア、どちらに着く気もないが、どちらとも仲良くして置いてジュリーにとって、アンバー領にとっては損はないはずだ。
「私はリッケルト村のミアでいいですよ」
だが、ミアはそう言って笑う。
それだけでいい。それ以上はいらない。
そう思いながら。
「そういえば、ミア。あなたシュトルムルン魔術学院に戻らないつもりだったの?」
そんなミアを見て、スティフィはミアに聞く。
ミアはその質問に少し考えるような顔をして答える。
「いえ、そういう訳ではないですよ。どうなるか自分でもわからないですからね。でも、言われたんですよ、オーケンさんに」
突然のデミアス教大神官の名にスティフィも目を見張る。
いつ言われた、のかはわかる。
だが何を言われていたのか、それはスティフィにも伝わっていない。
「え? 何を?」
「何を…… 言われたんですか……?」
オーケンの名に、スティフィだけでなくサリー教授も反応する。
ミアは少しだけ迷い、言われたことを思い出す。
そもそも、オーケンにはスティフィには伝えるな、そうも言われていた。
だが、今となっては話しておかねばならない気がしてならない。
「門の巫女は…… 生贄のようなものだって」
その言葉にサリー教授の目が驚いたように開く。
デミアス教の大神官であるオーケンが言うのであれば、世界最高峰の魔術師がそう言うのであれば、恐らくそれは間違いはない。
根本的に嘘かもしれない、その可能性はオーケンだけにありえるのだが、サリー教授の勘は今回のは嘘ではない、と示している。
「父が…… そう言ったんですか?」
サリー教授はそれをミアに確認する。
「はい」
と、ミアは頷く。
「そう…… ですか……」
「それでもミアは行くのね?」
スティフィが無駄だと分かっていても確認する。
「もちろんですよ!」
ミアは元気よく、当然とばかりに答える。
「そう…… まあ、止めようがないか……」
スティフィは自分がその言葉を自然と漏らしたことに驚く。
自分の使命はミアをデミアス教に引き込むことであると共に、いや、今はそれではなく、ミアの行く末を見守ることが、スティフィにかせられた使命だ。
ミアを止めようとすることは命令違反になるはずなのに、その言葉が自然と出たのだ。
「ん? なんだ? ミアちゃん生贄になるつもりで地元に帰るのか?」
話を聞いていたエリックもただ事ではないと再び会話に入ってくる。
「そうなるかもしれないってだけですよ。決まったわけではないです。それに、それはとても素晴らしい事ですよ?」
ミアは嬉しそうにその言葉を発する。
疑う余地もないほど、本当にそう思っている。
「まあ、ミアにとっては…… そうかもしれないけど」
そうだ。
ロロカカ神の生贄になれるのであれば、ミアは喜んでその命を捧げる。
そして、オーケン大神官がそう言ったのであれば、恐らくそれは真実…… と、スティフィは考え始めたところで、オーケン大神官という男を思い出す。
大嘘つきで肝心な時にこそ、本当にどうでもいい嘘を言う男だと。
今は、そのことが少しだけ嬉しく、希望にも思える。
「スティフィは私が居なくなったら寂しいですか?」
迷いが生じ始めていたスティフィにミアが唐突に、でもないのだが、そんなことを聞く。
「え? まあ、そうね、寂しいかもね」
スティフィはその問いに、素直に答える。
ミアと一緒にいるのはなんだかんだで楽しい。
それが居なくなるのは、何度も経験してきたこととはいえ、寂しい事だ。
「それならよかったです。たくさん寄り道して帰りましょう」
ミアは笑顔でそう言った。
ミア自身、どうなるかわからない、そう言ってはいるが、既に覚悟は決まっている。
そう言う事なのだろう。
スティフィには、だから御使いもゆっくりと寄り道をして帰ってこい、そう言っているのだと思えてしまう。
「そうね、道中たくさん寄り道していきましょう。ミアの神様もそう言っているんでしょう」
結局のところ、スティフィには出来る事も、選択肢もない。
ただ成り行きに身を任せ、見てきたことを報告するしかできない。
「そうなんですが、アイちゃん様、まだ帰って来てないんですよね」
それを伝えてくれた御使いは、神の領域どころか、フーヘラッドの町を出てしばらくするのに御使いはミアの左肩に帰って来ていない。
今まではその左肩にずっと居座っていたのにだ。
「それについても考えていたのですが、その黄金の腕輪のせいじゃないんですか? 御使いが戻って来ないのは?」
フーベルト教授がふと思いついたことを口にする。
「え? なんで秘匿の神が授けてくれた神器がそんな事をするんですか?」
ミアが嫌そうな顔をして、なんなら黄金の腕輪を外そうとしながら、ミアは聞き返す。
「確かに…… 副次的な効果で…… それはありえますね……」
サリー教授も言われてみれば、その可能性もなくはない、と考える。
そもそも、御使いの行動を制限できる存在など神くらいのものだ。
「あっ、サリー教授に護符を貰った時みたいにですか?」
ミアがそんなこともあったと思い出す。
その時は、サリー教授から貰った護符の影響で、ミアの被る帽子がミアを見失い、ミアに祟り的な効果をもたらしたのだ。
それと似たようなことが起きている可能性は確かにある。
「はい…… 十分に考えられます」
「なら、こんな腕輪いらないんですが……」
そう言って、ミアは黄金の腕輪を外し右手で持って馬車の外に投げ捨てようとする。
「ま、待ちなさい、ミア! 神から授かった神器なのよ! それも仮定の話でそうと決まったわけじゃないんだから!」
それをスティフィが慌てて止める。
まさか神器を投げ捨てようとするとは誰も思わなかった。
ミアの行動を止められたのはミアの隣に座っていたスティフィだけだった。
他の者達も驚きのあまり行動できずにいた。
「それもそうですね」
スティフィの説得で、ミアも一旦落ち着くが、明らかに黄金の腕輪を見る目が変わっている。
「今のをルイーズ様がみていたら、殺到してたんじゃないんですか?」
ジュリーが胸を撫でおろしながら、そう言った。
「でしょうね…… ミア、一応、あんたの一族が崇めている神からの贈り物なんだから大事にしなさいよ」
スティフィも一安心して、長い息を吐き出す。
「はい…… けど、アイちゃん様はどこへ行ったのでしょうか?」
ただミアは少し不満そうだ。
こんな腕輪よりも、ロロカカ神の御使いの方が心配だと、そう言うかのように。
「え? じゃあ、アイちゃん様はその神器に遠慮してミアちゃんの元を離れたんですかぁ?」
いくつかの質問を経て、アビゲイルはなんとかそこまで行きつく。
ミアにアイちゃん様と呼ばれている御使いは、どこか異質だ。
言ってしまえば、人に人として接してくれている。
ディアナに憑く御使いが、人を人として気にしないのに対して、かなりの違いがある。
実際にどういうことかというと、何か聞けば喋りはしないのだが、瞬きを通じて質問には答えてくれるのだ。
ディアナに憑く魔術の神の御使いは必要な事以外、何も伝えて来ないというのに。
本来御使いは人などに興味がないはずなのにだ。
「えっと、アビゲイル? その目玉、あっ、いや、御使いと会話というか、意思疎通できるんですか?」
白竜丸の背、その先頭に乗っているマーカスには自分の後ろで、アビゲイルがずっと独り言を言っているように思えて仕方がない。
アビゲイルの人柄を知っているだけに、あまり気持ちの良い物ではない。
「はい、随分と気さくな御使い様ですねぇ。私の問いに瞬きで答えてくれていますよぉ。元が巨人というのが関係しているんでしょうかぁ」
アビゲイルは楽しそうにそんなことを言った。
「巨人ですか…… カリナさんも、まあ、巨人ですよね? あの人も。そもそも、巨人ってなんなんですかね」
巨人については魔術学院でも、あまり教えることはない。
そもそも存在自体が禁忌であり、神代大戦よりもはるか昔に滅ぼされた過去の種なのだ。
「彼女は、まあ、純粋な巨人でもないんですよねぇ。だから見逃されているんですよぉ」
アビゲイルはそんな事をサラっという。
「純粋な巨人じゃない?」
マーカスはそう言って、後ろを振り返ると、頭部と同じほどの大きさの目玉と見つめ合っているアビゲイルの姿を目にする。
中々、狂気的な光景だ。
「これ以上は師匠に怒られそうなので言わないですよ。カリナさんは師匠の恩人ですからねぇ」
アビゲイルは目玉から視線をそらし、マーカスの方を見て含み笑いでそう言った。
「そう言えば、サリー教授も入れて仲が良かったですね」
カリナ、サリー教授、マリユ教授、三人は仲が良く飲み会などを開いている。
そのことをマーカスは知っている。
「学院長もですよぉ。それはさておき、大体の事はわかりましたねぇ」
アビゲイルはそう言ってディアナを座席に固定するために抱きしめる。
「説明してくれます? 俺だけわからないままなのですが?」
未だに何が何だか分かってないマーカスも多少なりとも事情を知りたい。
無論、事情を知らずとも神から与えられた使命を全うする気ではあるが。
だが、その使命も目的も曖昧で、マーカスには何も理解できていないのだ。
今はただ、ゆわれるがままにミアにバレないようにミアの後をつけているだけだ。
「んー、簡単に言うとさっき私が聞いた通りですよ。ミアちゃんに新しく神の加護、神器の類が与えられ、それの影響でアイちゃん様がミアちゃんの元を一時的に去った、って感じですぅ」
マーカスからしたら、不気味な肉塊で目玉のアイちゃん様と言う存在が、どうしても異質に思えてしまう。
アビゲイルからの説明で、その外見が不死の外道の王を固めた物で封じていると言われても、異様すぎることには違いがない。
「それで巫女適正の高いディアナのところに来たと?」
そのことはマーカスにも理解できる。
他の神に御使いが遠慮して、という話もだ。
だが、結局自分らがなぜミアに知られずに後をつけていくような真似をしなければならないのかが、わからないままだ。
いや、マーカスは冥府の神により、そのことは、それとなく聞かされている。
ただ詳細を知らないだけで。
「みたいですねぇ」
アビゲイルもそこまでは話しを聞けているわけではないようだ。
いや、アビゲイルは目的も理由も気にしていないので聞いていない、というのが正しいかもしれないが。
ミアの御使いが何今ここにいるのか、アビゲイルにとってはそっちの方が重要のようだ。
マーカスにはあのアイちゃん様という存在に話を聞く気は起きなかったので、その辺の事はもう諦めるしかない。
結局はやれることをやるだけだ。
「ディアナは平気なんですか? 御使い二体同時に憑かれて」
そちらの方が気にかかる。
ただでさえ、ほとんど寝ているディアナにこれ以上負荷がかかるのであれば、何らかの手段を用いなければならないかもしれない。
「アイちゃん様はディアナちゃんに憑いているわけではないので負荷にはならないですよぉ」
アビゲイルの目にはそう見える。
逆にアイちゃん様はディアナに力を与えているようにすら見える。
左肩を間借りするお礼と言った感じだろうか。
それに対して、ディアナに元々ついていた御使いも特に何も反応を示していない。
なら、問題はないのだろう。
「な、なるほど? 結局は、我々はこのままミアにバレずにあとをつければ良いんですよね?」
マーカスがそれを確認する。
当面はそれだけ分かれば問題ない。
後は何か起きてから対応すればいいだけだ。心の準備はもうできている。
「それでいいんですか? アイちゃん様? あっ、良さそうですねぇ」
アイちゃん様と呼ばれた御使いはその異様な目玉を瞬きさせてアビゲイルの質問に答える。
大筋はそれで問題ないようだ。
「ミアにバレずに、ですか。まあ、その辺の理由は大体予想がつきますが」
マーカスには、おおよその見当がついている。
冥府の神に言われたこととも合致する。
ミアに知られれば、ミアが歩んでいる道を戻してしまうかもしれない、と言うのが恐らく理由だ。
「あら、そっちは予想が付くんですねぇ?」
アビゲイル自身は、はじめっから予想が付いていたかのように、マーカスに聞く。
「考えてみたら、ですけどね。我々はミアの露払い、いえ、この場合は殿ですかね? それですからね」
自分達の役割はそれだ。
ミアを追ってくる者がいて、それを阻止するのが役目だ。
その為にディアナまでいる。
それ相応のなにかがミアを追ってくる、そう言うことだ。
それをミアに知られれば、ミアは来た道を戻ってしまうかもしれない。
ただそれだけの理由だろう。
「あっ、やっぱりそうなんですかぁ? はぁ、気合入れないといけないですかねぇ…… 相手は誰でしょうか?」
アビゲイルはまるで驚いた様子もなく話を続ける。
相手は誰だと、話しながら、その相手ももう予想がアビゲイルには出来ているのだろう。
「そこまでは聞いてませんよ。人じゃないと良いんですが」
血なまぐさい、いや、光の勢力と闇の勢力のいざこざに巻き込まれるのは勘弁してほしいとマーカスは思う反面、人であれば戦わずに済むかもしれない、とも考える。
人であれば、御使い相手に出来ることなど何もないのだから、相手も諦めてくれるはずだ。
そんな淡い期待を抱く。
「ええー、人の方が楽で良いですよぉ。外法はなにかとめんどくさいのでぇ」
だが、アビゲイルはそう言って笑う。
相手が外法と、外道種であると、既に分かっているかのように。
「まあ、我々は神の使命を帯びているんです。誰が相手でも、やれることをやるだけですよ」
結局はやることは変わらない。
ミアを追ってくる者をミアに追いつかせない。
それが役割なのだ。
「そうなんですがぁ、我々の路銀、すでに尽きそうですよぉ?」
だが、現実は厳しい。
情けない事に、アビゲイルの言う通りもう既に路銀が尽きつつある。
「仕方ないじゃないですか、俺は冥府の神のところから帰って来てそのままなんですよ」
マーカスにいたってはその通りなのだが、マーカスのわずかながらの貯金もオーケンに酒代として奪われている。
元々マーカスは大した金額を持っていない。
「私だって急に言われたので普段使いの財布しか持ってきていませんよぉ」
アビゲイルはそれなりの金額を隠し持ってはいる。
だが、それを持ち出す暇はなかった。
急にマリユに指示され、急いで支度してきたのだ。
「ディアナのお供の方…… 実はこっそり付いて来てくれてませんかね?」
マーカスはそう言って振り返るが、それらしき人はついてきていない。
白衣のの集団、魔術の神の信徒達がいれば、路銀程度の資金面では問題ないはずだ。
「ディアナちゃんがしっかりと一人で行くと言っていましたので、それはないでしょうねぇ……」
彼らもまた狂信的な信者達だ。
神の御使い、その言葉をたがわずに素直に従うはずだ。
今もシュトルムルン魔術学院でディアナの帰りを心待ちにしているだろう。
ついて来ているはずがない。
「どこかで路銀を稼がないといけないですね」
現地調達するにしても限度はある。
必要な物が全て揃う訳もない。
路銀はどうしても必要となってくる。
「神の使命を帯びているというのに情けないですねぇ」
アビゲイルもそう言って、ため息を吐き出す。
「はぁ、こんなことならフーヘラッドによって路銀を稼いでも良かったですね」
アビゲイルが居れば、路銀くらいいくらでも稼げるだろう。それだけの才能はあるはずだ。
だが既にフーヘラッドを過ぎてかなり進んでしまっている。
今更戻る気にはならないし、ディアナに憑く御使いがそれを許すとも思えない。
「そうですねぇ、大きな都市はあそこが最後でしょうし、これからはどんどん田舎になって行きますよぉ」
どうにかして路銀を稼がなくてならない。
そうしないと情けない事に、この旅は続けれない。
「路銀を気にしなくちゃいけないだなんて本当に情けない」
マーカスは嘆くのだが、その顔はどこか朗らかだ。
万が一、いや、千が一、百が一……
十が一、誤字脱字があればご指摘ください。
指摘して頂ければ幸いです。
少なくとも私は大変助かります。
もし気に入ったらで良いので、いいね、ブックマーク、感想等ください!




