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学院の魔女の日常的非日常  作者: 只野誠
収穫祭と結婚式、そして、旅立ちの時

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収穫祭と結婚式、そして、旅立ちの時 その6

 一台の、少し大きく豪華な馬車が街道を東へ、と思いきや西へと向かっている。

 その馬車にゆったりと揺られながら、ミアはルイーズから餞別に貰ったお茶を啜る。

「何度飲んでも美味しいお茶ですね」

 ミアはそう言うのだが、砂糖をたっぷり入れているので、ジュリーが少し不機嫌そうに、

「これ、めちゃくちゃ高い奴ですからね?」

 と、少し文句を言う。

 あんなにも砂糖を入れたらただ甘いだけのお茶になってしまう。

 香りも旨味も、爽やかな渋みも感じられないだろう。

 あれではただの甘いお茶だ、とジュリーは不機嫌なのだ。

 それが普通の紅茶ならジュリーも何も言わないのだが、とても高い紅茶だからジュリーもどうしても口を出してしまう。

 そんなミアとジュリーのやり取りを無視して、サリー教授が、

「ほんと…… 美味しいです…… ね」

 と、フーベルト教授だけを見ながら、それでも一応は周りを気にしながらそう言った。

「いや、サリーがいつも淹れてくれるお茶もボクは好きだよ」

 だが、フーベルト教授は周りのことを一切気にせずに、そんなことを言ったりするので、サリー教授は頬を染めて下を向いてしまう。

「…………」

 そのまま、サリー教授が照れてしまって会話が止まってしまったので、スティフィが大きなため息を吐き、

「新婚旅行も兼ねているからって、馬車の中で惚気ないでくれます?」

 と、二人の教授に文句を言った。

「い、いやぁ…… ほ、ほんとのことを言っただけで……」

 フーベルト教授は照れながらそう言うが、サリー教授はまんざらでもない顔をしている。

 スティフィは二人の教授の子供のような反応に、ため息を再びつく。

 それを見ていたミアが二人を邪魔しちゃ悪いとばかりに、スティフィに話しかける。

「そう言えば、スティフィは朽木様と朽木の王を見るのは初めてでしたっけ?」

 そう言われてスティフィは記憶を掘り起こすが、確かに初めてだ。

 それどころか、古老樹を直にその目で見るのも初めてだ。

「そうね…… 去年は近くまで来ただけだったし」

 そういえば見たことはなかったと、スティフィも思い出す。

 そもそも古老樹、特に名前を持っているような、そんな古老樹に会う機会は人間にとっては滅多にない。

 精霊王の方は、なんだかんだで人が会う機会は多いのだが。

 それに、種族として相性が良いとはいえ、古老樹と精霊王が、朽木様と朽木の王のようにあそこまで依存し合って成り立っているのも珍しい。

「ん? 俺は騎士隊で会いに行ったことあるけど、その時とは明らかに対応が違ってたぞ。特に朽木様の方」

 エリックはそう言って渋い表情を見せる。

 その表情から、あまり良い顔をされなかったのだろう。

 自然の守護者たる古老樹は本来人間に対して無関心なので、それが正しい反応なのだろう。

 ミアへの対応が特別なだけだ。

「朽木様は…… あまり人の前に顔を出される様な…… 存在でもないんですよ」

 サリー教授が慌てて、説明を補った。

 顔を見せてくれるだけ、良い方だ。

 大木のフリをして顔も出さないことの方が多いくらいだ。

「古老樹としてもかなりの古株ですからね」

 それにフーベルト教授も付け加える。

 そもそもの話、古老樹が人に話をすること自体が珍しく、木こりが大木を切ろうとして、斧の刃が通らないと思ったらその木が古老樹だった、なんてことがあるほどだ。

 本来は、それほど古老樹は人に対して無関心だ。

「そんな朽木様でも始祖虫に一時期はやられてしまったんですよね?」

 ミアはあの大きな、それこそ地を覆う様な大木の朽木様が、始祖虫とはいえ負けたという事実の方が信じられない。

 なにせ自分の持っている古老樹の杖の、その本体なのだ。

 古老樹の杖に込められた力のことを知っているミアからすると、到底、信じられる話でもないのだ。

「七本角までになると始祖虫は恐ろしいほど強くなるらしいですからね。あの冬山の王にすら勝っていると言われているんですよ」

 フーベルト教授が少し困った表情を浮かべながらそう言うと、エリックが冬山の王のことを思い出せして身を震わせる。

「あれか…… 信じられないな。あの精霊王めっちゃ怖かったぞ」

 山と山の間から、覗き込むようにして現れた存在は人間が理解できるような存在ではなかった。

 まさしくその名の通り、厳しい冬山の化身、そのもののような存在だった。

 あれが元々は空を飛んでいて、始祖虫によって地に落とされたと言われても、にわかに信じがたいものがある。

「そうね、良く生きてたものね」

 スティフィも概ね、エリックの感想に同意だ。

 その姿を見たとき、妖刀に精神を乗っ取られていたのにもかかわらずスティフィは死を覚悟した。

 それほどの、圧倒的な存在感があった。

 それにより無理やり正気に引き戻されたほどだ。

 その存在も、それを地に落とす存在もスティフィからしたら完全に想像の埒外だ。

「私は、その精霊王にまだ会ったことないんですけど」

 ミアは少し羨ましそうにエリックとスティフィを見る。

 ミアが知っている精霊王は、朽木の王と呼ばれる、特に人間に友好的な精霊王だ。

 その名に朽木などとついているが、それは朽木様の近くにいることが多く、まるで夫婦のような存在だと言われているからだ。

 そんな精霊王基準でミアは言っているのだが、朽木の王と冬山の王では精霊としての区分が違う。

 朽木の王は大地の精霊に属し元から人に友好的なのに対し、冬山の王は天空の精霊に属した王だ。

 本来、天空の精霊は人間には無関心だが、始祖虫をこの地に呼び込んだ人間を冬山の王は憎んでおり、出会えば生きたまま氷漬けにされ苦しむ姿を延々と観察されると言われている。

 実のところ、マーカスもその一人だったのだが、デミアス教の大神官オーケンの手により助け出され、弟子という立場に収まっている。

「ミアは会わなくて良いわよ。あれは人に対して…… 悪意しか向けてこないし」

 スティフィやエリックが冬山の王と出会い助かったのは、ジュダ神が事前に冬山の王に忠告してくれていたおかげだ。

 あれがなければ、スティフィ、エリック、マーカス共々、今頃は氷の中で生き地獄を味わっていたところだろう。

 そんなこともミアは知らずに、

「でも、一度くらい目にしたいですよ。伝承では冬山の王がこの辺りの、冬は異常に寒く夏も異常に暑い、の原因だったんですよね? それは解消されないんですか?」

 と、好奇心でいっぱいのようだ。

「精…… 霊…… というのは…… すぐに変われる…… 種族ではないんです…… よ」

 サリー教授は少し困り顔でそう言った。

 精霊は本来、想いに囚われる種族であり、そういう存在なのだ。

 恩を受ければずっと恩を感じ続け、怒りを感じれば延々と怒り続ける。それが精霊なのだ。

 精霊が変わるにはとても長い年月を費やすか、なにか大きなきっかけが必要なのだ。

 冬山の王がその手で始祖虫を退治できていれば、その場で天へと帰って行ったかもしれないが、始祖虫を倒したのは竜達だ。

 この地から始祖虫が根絶されたとはいえ、冬山の王からすれば、納得がいくものではなく長い年月を要しなければならない。

 それでも、少しずつは改善されていくかもしれない。

「そうですね、長い時間をかけて四季も正常になっていくのでは、とは言われてはいますね」

 サリー教授に捕捉するようにフーベルト教授もミアに言い聞かせる。

 ただ、ミアもそれで納得したようで、ミアの興味はすぐに次の事へと向かう。

「そうなんですね。あ、次の目的地はどこでしたっけ?」

 この馬車が東ではなく西へ向かうのは野暮用があるからだ。

「キシリア半島の新シトウス砦だぞ。ハベル隊長から書状と物資を預かってるしな」

 ミアの質問にエリックが答える。

 ついでにとばかりに、ハベル隊長から頼まれたことだ。

 ただ、朽木の王と朽木様のいる場所から、街道にでると、その場所は少し街道を西へと戻らないといけない。

 だから、馬車は今は一時的に西へと向かっている。

「随分と人里から距離あるんですね」

 ジュリーはふと疑問に思ったことを口にする。

 街道に出てから町らしきものを一度も目にしていない。

 街道沿いなら、町や村が数カ所あってもおかしくはない距離をもう移動している。

「ジュリー…… ここいらにあった村や町は全部闇の小鬼共によって根絶やしにされたのよ」

 スティフィは呆れながらその事実を伝えてやる。

 千匹単位にまで膨れ上がった闇の小鬼は、この辺りの町や村を襲撃して回っている。

 その凄惨な跡も竜と始祖虫の戦いで跡形もなくなっているので、ジュリーの疑問ももっともだ。

 村などがあった痕跡などなにもない。

 しかも、もうこの辺りは既に一面が新芽だらけの草原の様になっているので仕方がない事だ。

「あっ…… すいません……」

 それにジュリーは闇の小鬼との戦闘にも参加してない。

 外道の王が現れたと聞いて、学院で身を震わせていた。

 それが普通の人間の反応だし、戦いに参加してないジュリーからしたら、聞いたことでしかなく、大規模な戦闘が行われたというのも話の上でしか知らないのだ。

「それに、この辺りにの地形もあっちこっち掘り起こされたり、焼かれたりしてて大変ね」

 スティフィは馬車の窓から見てそう言った。

 確かに新しい草に覆われつつあるが、ちゃんと見れば、ところどころ土が焼けこげたり、不自然に草が一本も生えてないような場所、また大きな穴が開いたままになっていたりする。

 スティフィの目から見れば、戦いの跡はまだちゃんと傷跡を残したままだ。

 とくに始祖虫の毒は長く残り続けるというので、この辺りの復興がするのはもうしばらく時間が掛かるだろう。

「始祖虫と竜達の戦いの跡ですね。むしろ、この程度で済んだことを感謝しなければならないだろうけども」

 フーベルト教授がそう言って、窓から外を見る。

「そうだぞ。始祖虫が産卵した直後で、弱っていたらしいからな。竜達もそんな弱っている始祖虫を狩れた上に卵まで得られたって大喜びだったらしいぞ」

 エリックは得意気にそんなこと言った。

 竜と始祖虫の戦いはすさまじいものだったと聞いていたが、始祖虫は卵を産んだ後でかなり弱っていたという事実を後から竜達の話で知った。

 それでもこの荒れ具合なのだ。

 始祖虫が産卵前だったら被害はもっとすさまじかったはずだ。

「けど、金銀財宝は予定通り要求してきたらしいじゃん?」

 スティフィはそう言って、面白くない、と言った顔をする。

「竜…… ですからね……」

 と、サリー教授が恐る恐るそう言った。

 竜は非常に合理的であると共に欲に正直な生き物だ。

 相手が弱っていたからと言って、報酬を安くするようなことはしない。

「けど、もうこの地に始祖虫はいないんですよね?」

 ミアがそう聞くと、

「竜達を信じるならば、ですが」

 と、フーベルト教授が答える。

 そもそも始祖虫が厄介なのは、神ですら始祖虫の居場所を探せないせいだ。

 始祖虫は非常に高い魔力耐性を持っていて、探査魔術どころか、神の目すらも欺く。

 始祖虫を追えるのは竜の鼻だけだと言われている。

「ほら、ミア、見て見なさいよ。野原に一段と大きな穴が空いてるわよ」

 野原に突如大口を開いたような大穴が現れる。

 地中からすべての大地を吹き飛ばしたかのような、そんな穴の開き方をしている。

「本当ですね…… どうやったらこんな穴をあけられるんですかね」

 ただ、ミアは見せてもらえなかったが、その穴のことは知っている。

 始祖虫が地中より出現するときに開ける穴だ。

「始祖虫よね? 去年、あいつが開けた穴に似てるもの」

 スティフィが改めて、その大穴を見ながらそう言った。

 確かに似てはいるが、一年前スティフィが間近で見た大穴とはその規模が違う。

 こちらの方が何もかもの規模が大きい。

「大地をこんな風に吹き飛ばすとか凄いですね」

 確かに、このような大穴を見れば、古老樹や精霊王といった上位種と言われる様な存在がやられるのも分かる話だ。

 それに、始祖虫は非常に強力な毒を使うという。

 朽木様はどの毒に侵され枯れかけたというのだ。

「それでも、竜には敵わないんだぜ?」

 大穴を見ながらエリックが自分のことかのように自慢げに言う。

「あー、はいはい、でも、もう学院を出て一週間だけど、ほとんど進んでないわね。というか今は戻ってるし」

 エリックの竜自慢が、直接竜に会って話したことにより、より大きくなったエリックの竜へのあこがれが、エリックの口から言葉となって溢れだす前に、スティフィは釘を刺す。

 のだが、エリックは別に自分の用事ではなく騎士隊からの頼まれ事としか考えてないので、その遠回しな釘は全く刺さらない。

 エリックの顔の皮は、そんな繊細な釘程度で貫けるものではない。

「まあ、今までは山道を進んでいましたから……」

 仕方なく、ジュリーがそう言ってその場を濁す。

「方向も街道とは少しずれていましたからね」

 フーベルト教授もジュリーの話にのり、更にこの場を濁していく。

 エリックが竜の話をし始めると、ミアのロロカカ神の話同様非常にめんどくさいからだ。

 もうそのことがこの馬車の中にいる者達には十分に分かっている。

「それに、この旅はゆっくりしていかねばならないんですよ!」

 ミアが元気にそう言って、それに頷くかのようにアイちゃん様が瞬きをする。

「強制的にゆっくりと帰らないといけない旅ってなんなのよ」

 と、スティフィが愚痴るがミアは笑顔のままスティフィを凝視する。

 それにスティフィの方が気圧される。

 何とも言い難い圧がミアから発せられている。

「アイちゃん様のご要望ですので」

 と、笑顔のままミアがそう言うと、

「それ…… なら…… 仕方がない…… わね……」

 と、スティフィが冷や汗をかきながらそう言うしかできなかった。

 最近、ミアから発せられる圧が日に日に強くなっていくようで、スティフィとしてはやり難いものがある。

 昔はミアの上に立って、ミアを上手く誘導していくつもりでいたスティフィも想定した立場が完全に逆になりつつある。

 直接的な強さではなく、人としてのミアの強力な人間性とも言うべきものがそうさせているのだ。

「そのアイちゃん様を見て、あの朽木様と朽木の王が絶句していましたね。凄い物を見た気がしますよ」

 フーベルト教授がそう言いながらアイちゃん様と言う御使いを見る。

 その姿は…… どう見ても化物だ。

 球状の肉塊に大きな目があり、更に触手が生えてミアの左肩にしがみ付いているのだ。

 御使いと言うよりは外道種と言われた方がしっくりくる。

 それもそのはずで、その肉塊は元々闇の小鬼達の心臓を集めて焼き固めたものなのだ。

 禍々しくて当たり前だ。

「です…… ね……」

 サリー教授もどう反応していいかわからない様に、まるで笑うしかない、と言った感じで笑う。

「やっぱりミアの神様やその御使いも、色々と特別なのね……」

 スティフィが呆れるように言うのだが、特別と言われたミアはとても気分が言いようだ。

「はい! ロロカカ様ですからね! 特別なのは当たり前ですよ!」

 と、元気に答えるだけだ。




 不意に、本当に唐突に、まるでミア達が旅立ったのを見計らっていたように、学院にふらりと戻って来たマーカスにオーケンが驚く。

「マーカス…… おまえ無事だったのか?」

 そして、白竜丸という白い大鰐にまたがるマーカスに向かいそう声を掛ける。

 オーケンとしても、冥府の神に気に入られ、そのまま召使にでもされたのかと思っていたところだ。

「当たり前じゃないですか、師匠。あ、もう師匠じゃないんでしたっけ? サリー教授の結婚式まででしたもんね、師弟契約も」

 当のマーカスはそんな事を言っている。

 当初の予定ではそのはずだった。

 もうオーケンとしてもこの魔術学院からも去る予定だったが、今は別の用事があって、まだ滞在しているし、なんなんら臨時講師などと言う柄にもないことまでしてしまっている。

 なんだかんだで、その講義も大人気だ。

 この学院の学生、と言うよりは他の学院からの教授などが参加してきていて、と言う感じではあるが。

 ただ、それらのことは、フーベルト教授とサリー教授の結婚式が終わっていることも、マーカスは知らないはずなのだ。

 マーカスは今しがた、冥府の神の元より返って来たばかりである。

 それなのにマーカスの話ぶりは、まるで学院の様子を知っているかのようだ。

 それに学院に帰って来たと言うのに、マーカスはなぜか白竜丸にまたがったままだ。

 降りようともしない。

 オーケンはそれに気づきながらも、そのことには触れない。

 オーケンにはわかるからだ。

 マーカスが厄介ごとを背負い込んできていることが。

 それに巻き込まれたくないのだ、オーケンは。

「いや、好きに呼んでくれよぉ。俺はもうちょっとこの学院にいるぜ?」

 オーケンはマーカスに師匠と呼ばれるのも悪くはない、そう思いつつマーカスを見る。

 どこが以前のマーカスと様子が違う。

 その顔は晴れ晴れとしていて、迷いがないようにオーケンには思える。

 まるで神のもとで修業して悟りでも開いたかのようだ。

 それとは別に、この学院にいる、と宣言して見せる。

 マーカスが背負いこんでいる厄介ごとを手伝うつもりはないと、そう宣言しているのだ。

 オーケンからしてみても冥府の神からの厄介ごとなど関わりたくもない。

「そうですが。では、今まで通り師匠でいいですか?」

 マーカスは笑顔でそう言ってくる。

 以前のマーカスなら、良い機会だからと、オーケンの元を去ろうとしていただろう。

 恐らく何かあったのだろうが、流石のオーケンにも今のマーカスからそれを読み取ることはできない。

 マーカスもマーカスで、ただ冥府の神の元にいたわけではないのだろう。

 オーケンは改めて白く大きな鰐を見る。

 白い鰐、白竜丸の全身に刺青のような模様が浮き出ている。

「ああ。だが、その鰐…… 印持ちか?」

 白竜丸の全身に刻まれているものは神の印だ。

 この鰐は冥府の神の物となった証拠であり、その印なのだ。

 それが白竜丸の全身に刻み込まれている。

「はい、白竜丸は冥府の神の印を持った聖獣となりましたよ」

 と、マーカスは平然と答える。

「印持ちの聖獣ねぇ、また凄いもんになったな」

 オーケンは頭を掻きながら、厄介な獣に厄介な印をつけやがってと、心の中で舌打ちをする。

 目の前の白い鰐は、まさしく死の獣だ。

 それに平然と乗っているマーカスもマーカスだ。

「いやぁ、神も手を焼いたみたいですよ。なにせ白竜丸は竜王鰐なので…… 竜の因子を抑え込むのは本当に大変みたいですね」

 マーカスは他人事のようにそう言った。

 それは神であっても竜の因子を抑え込むのは大変と言うことだ。

 それもそのはずだ。竜の牙は本来不滅であるはずの神の魂すら噛み砕くというのだから。

 数少ない神殺しができる種族である竜、その因子を受け継いでいる鰐なのだ。

 ただ、流石に白竜丸に神殺しの力まではないだろうが、人間からすれば相当厄介な存在であることは間違いない。

 天然の鎧を着こみ通常の武器では致命傷を与えることも出来ず、あらゆる呪術を無効化し、更に魔術耐性もとてつもなく高い。

 今の白竜丸はまさに生きた戦車のような存在だ。

「神でもか。まあ、竜の奴らはその気になれば、神も喰い殺せるからなぁ」

 その点だけは羨ましいと、オーケンは思う。

「それはそうと、ディアナさんを見ませんでしたか? 師匠」

 その名を聞いてオーケンは隠しもせずに嫌そうな顔をする。

 ディアナを対処することは容易だが、それでも自分よりも強力な存在なのだ。

 対処を間違えればオーケンでも簡単に殺されかねない存在なのだ。

 しかも、ディアナ自身とはまるで会話にもならないのだから、オーケンからすると厄介極まりない。

「あ? 御使い憑きの娘に何ようだよ」

 オーケンは少し嫌なものを感じ取り、睨むようにマーカスを見る。

 だが、マーカスは涼しい顔でオーケンの視線を受け流す。

「いやー、色々と大役を押し付けられましてね」

 その上で、マーカスは少しとぼけた様にそんなことを言って見せる。

「なんだよ、結局、神に良いように使われてんのかよ」

 それに対してオーケンは唾を吐き捨てながら、マーカスに少し失望する。

 結局は目をかけてやったマーカスでさえ、神の言いなりなのだ。

 オーケンとしては面白くない。

「まあ、はい」

 そして、それをマーカス自身が認める。

 あまりにもそれをマーカスがあっさり認めるで、オーケンにしては珍しく、

「なんだ、その…… おまえ、大丈夫か?」

 と、マーカスを心配する。

 しかも、マーカスを使っているのは冥府の神だ。

 気に入った人間であれば、冥府に連れ去るなど簡単にできる神なのだ。

「珍しく師匠が気を使ってくれるんですか?」

 マーカスは少し嬉しそうにそう言うと、オーケンは照れながらも、

「一応は弟子だからな」

 と、そう言って見せる。

 それに対してマーカスも素直に嬉しそうな顔を見せる。

「自分の事は分かっていますよ、納得もしているので」

 その上で、悟り切った顔でそう言ったのだ。

 それを見てオーケンも悟る。

「そーかよ。はぁ、これだからやなんだよ。って、探さずともむこうから来てくれたじゃねぇか」

 そんなところで、よたよたとふらつくように歩きながら、背後に白装束の団体を従えてディアナがマーカスの元へやって来た。

 それは見たマーカスは、

「やっぱりそういう風に世界は回っているんですよ、師匠」

 驚きもせずにマーカスはそう言った。

「はぁ、ヤダヤダ」

 オーケンは本当に嫌そうな顔をしている。

 ディアナはそんなオーケンを無視し、マーカスに話しかける。

「時は来た! きたきたきた! 私、わたし、私の役目! その時が来た! 巫女様、助ける! 助ける! 守る、それが契約、やくそく、やくそくのとき来たれり!」

 そう言ってその場でくるくると回り出した。

「やっぱりディアナさんも理解しているんですね。では、白竜丸に乗ってください」

 そう言って、マーカスは手を差し出す。

 ディアナも素直にその手を取り、白竜丸の背中に乗る。

「は? その鰐で旅をすんのかよ? ミアちゃんをその鰐で追うつもりなのか?」

 オーケンがそう言って白竜丸を見る。

 どう見ても旅に向いているとはいいがたい。

 そもそも鰐は長距離移動に適した生物でもない。

「ええ、その為に聖獣化したようなものですからね。今はミアがいなくても、もう野生化したりしませんよ。白竜丸も聖獣として、ちゃんと自分の使命を理解しています」

 だが、マーカスは自信ありとばかりにそう言って見せる。

 オーケンからしてみれば神に入れ知恵でもされたんだろうぐらいにしか思えない。

「で、あの後ろの連中はどうすんだよ?」

 オーケンが後ろに控えている白装束の連中を見ながら言うが、

「置いてく、置いてく、ここに置いてく、時は来た! 約束の時は近い、近い! ここが約束の場所! 場所! 場所! だから置いていく、置いていく」

 白竜丸の背の上からディアナが体をゆらゆらと大きく揺らしながらそう言った。

 ディアナがあまりにも大きく体を揺らしているので、マーカスが慌てて支える。

「おいおい、大丈夫なのか? こんなのと二人旅なんてよぉ」

 オーケンでさえ不安に思う。

 なんといってもディアナは人間だが、人間ではないのだ。

 御使いをその身に宿した巫女なのだ。

 しかも、ディアナとまともに意思疎通ができるわけでもないのだ。

 そんな人間との二人旅とか、気が休まる暇もないはずだ。

「あっ、ああ…… 二人旅じゃないですよ、多分ですが。楽になるかどうかはわかりませんが……」

 と、マーカスは少し困り顔でそう言って見せる。

「あ? 俺は行かねーぞ」

 なんだか嫌な予感がしたオーケンは、逃げ出す準備をしつつ、断っておく。

 冥府の神の命に付き合うつもりはオーケンにはない。

「師匠じゃないですよ」

 逃げ腰のオーケンを見て、マーカスはそれを否定すると、白装束の連中をかき分けて、アビゲイルが大荷物を持ってやってくる。

 まるでマーカスが帰って来るのがわかっていたかのような大荷物を持っている。

「はい、私ですぅ、私が巻き込まれましたぁ……」

 いつもの作り笑顔ではなく、痙攣するような半笑いでアビゲイルがそう言って、白竜丸に持っていた荷物を括りつけ始める。

 それでも、白竜丸は大人しく微動だにしない。

 もう完全に野生の獣ではないのだろう。

「おいおい、まじかよ、マリユの命か?」

 オーケンが信じられない、と言ったようにそのことを確認する。

 マリユの命と言うことは、無月の女神の命と言うことだ。

 あの狂乱の女神が動いたと言うことでもある。オーケンにはそれが信じられず、そして、それはそれで面白いとも思える話だ。

「はい…… 主からもう一度神託があったそうです…… 師匠も驚いてましたよぉ、なのでぇ、急いで旅支度して待ってたんですよぉ」

 半泣きの顔でアビゲイルそう言って、荷物を括りつけ終え、アビゲイル自身も白竜丸にまたがる為によじ登ろうとする。

「なにがなにやら…… 面白いことになってんなぁ」

 オーケンですら後ろ頭をかきながらそう言った。




 これはミア達が学院から旅立つ少し前の話だ。

「やあ、スティフィ。久しぶりだね」

 と、薄暗い夕闇の中、スティフィと同じ銀髪の少女がスティフィに話しかける。

「シ、シルケ…… あなた無事だったの?」

 その顔をみてスティフィは驚く。

 元々同じ、精霊に壊滅させられた懲罰部隊にいた生き残りだ。

 元隊長、スティフィ、そして、シルケ、この三人だけが生き残りだ。

 元隊長は懲罰部隊を無駄に壊滅させたと言うことで処分されたと聞いていた。

 スティフィ自身は左腕を失い懲罰部隊を辞めなければならなかった。

 シルケとはあれ以来会っていなかっただけにスティフィもびっくりしている。

「無事だったよ。ああ、スティフィに朗報だよ、あのクソ野郎、元部隊長だったあの男は無事に処分されたよ。私が希望したとっても悲惨な方法でね。懲罰部隊を一つ無駄に潰したんだから当たり前だよね」

 そう言って、シルケはスティフィに微笑む。

「そ、そう…… でも、なんであなたがここへ?」

 懲罰部隊は懲罰部隊だ。

 だが、活動拠点はデミアス教の本拠地である北の地のはずだ。

 そもそも、南側はダーウィック大神官が支配的なので、クラウディオ大神官の直属である懲罰部隊も活動範囲外のはずだ。

「口の利き方には気を着けてよ、スティフィ。今や私が部隊長様だよ」

 そんなスティフィにむかい、シルケは微笑む。

 だが、その眼は笑っていない。

「は? ああ、そう。でも、私はもう懲罰部隊じゃないし、関係ないでしょう?」

 そうだ。

 もう自分は懲罰部隊ではない。

 左手が再起不能となりスティフィは懲罰部隊からも外されたはずだ。もう関係ないはずだ。

「そういや、そうだったね。ああ、でも、私の前では、ちゃんと、いつも見たく、俺って言ってよ、スティフィ」

 だが、シルケはそんなこと関係とばかり、スティフィを直視したまま会話を続ける。

「それは…… もう辞めたのよ……」

 もう潜入などで役を演じることもない。

 だから、素の時に役と演じ分けるように、一人称を役でも使わないような「俺」という一人称をスティフィは使うのを辞めたのだ。

 そんな一人称を使っていたのは、その方が人格を切り替えるのが楽だったからだ。

 それももう必要ないと、一人称を、年相応らしく「私」にしていたのだが、それをシルケは戻せとそう言っているのだ。

「そう? まあ、良いわ。まだ任務中だしね。私はあなたが離れている間のかわりよ」

 シルケの言葉を聞いて、スティフィは目を丸くさせる。

 まだ任務中だから、とシルケはそう言ったのだ。

 そして、自分が変わりだとも。

「部隊長になったあなたが?」

 と、スティフィが聞き返すと。

「それだけ重要ってことよ。考えても見なさい。デミアス教の大神官が同じ学院に二人もいるのよ? それも一時的にではなく長期間もね?」

 その言葉に、スティフィは肝を冷やす。

 あの疑り深いクラウディオ大神官がダーウィック大神官とオーケン大神官が長い間一緒にいることを懸念しない訳がない。

 今までは、娘の結婚式があるからと大目に見ていたかもしれないが、それが終わってもオーケンは出ていく気配がないのだ。

 クラウディオ大神官からしたら、その懸念は深くなるばかりのはずだ。

「それは…… そうだけど……」

 だが、スティフィから見たらあの二人は相変わらず仲が悪い。

 特にダーウィック大神官はオーケンのことを、勝手に野垂れ死にしてくれれば良いと、本気で願ってまでいる。

 二人が手を組むだなんてことはまずない事だ。

 だが、シルケからすれば、そんな事は関係ない。

「スティフィ、あなたは命令に従っていれば良いの。私達はそう育てられたんだから」

 そう言って、感情のまるで篭ってない笑顔をスティフィに向ける。

「分かってるわよ……」

 そのことは、スティフィ自身わかっている。

 理解できている。

 だが、それももう終わったことだったのだ、スティフィにとっては。

 けれど、終わったと本気で思っていたのはスティフィだけのようだった。

 左手が再起不能になった今でも、自分は懲罰部隊、クラウディオ大神官の部下なのだと、それを思い出さされる。

「じゃあ、極東への旅行楽しんでらっしゃい。あっ、報告はいつも通りにね? 定期的に忘れずに」

「ええ、わかったわ」

 と、スティフィが返事をしたところで、シルケの目が鋭くなる。

「スティフィ、口の利き方」

 そして、感情の篭ってない声でスティフィを問い詰める。

「私はもう……」

 懲罰部隊では、クラウディオ大神官の部下ではない……

 その言葉はスティフィの口からは出すことはできない。

「利き方」

 と、シルケにもう一度そう言われ、スティフィも理解する。

「そう言う事…… わかりました。部隊長」

 自分はまだ、懲罰部隊の一員なのだと。

「そうそう、素直に従ってね、スティフィ」

 そう言って、シルケは嬉しそうに、そして、どこか愛おしそうに、スティフィに笑って見せた。










 万が一、いや、千が一、百が一……

 十が一、誤字脱字があればご指摘ください。

 指摘して頂ければ幸いです。

 少なくとも私は大変助かります。


 もし気に入ったらで良いので、いいね、ブックマーク、感想等ください!




 今まで一章当たり十万字前後くらいでしたが、この章から割と変則的になると思います。

 短かったり逆に長かったりと。

 そうなると思います。




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