西門防衛戦と私が魔女と呼ばれるようになった理由 その11
ミアは額に焼けるような痛みを感じたが、それは一瞬だけのことだった。
それでもミアは物凄い多幸感に包まれ、このまま自分はロロカカ神の元へ導かれるのだと信じて疑わなかった。
だが、実際は額に何かの余韻のようなものはあったが、それだけだ。
他に何も変わっていない。
我に返ったミアは自分の手を見る。
自分の手だ。生身の手だ。今までと何も変わらない手だ。
動く。自らの意志で動かすことが出来る生身の手だ。
それでミアは自分がまだ生きていると、死んではいないのだとわかった。
自分はロロカカ神に求められ、捧げられたのだと、神に捧げられる贄として役目を全うしたのだと、そう思っていたミアは思考が停止する。
まだ自分が生きているのが理解できない、いや、理解しがたかったからだ。
自分はロロカカ様に捧げられなかったのだと、自分は受け取ってもらえなかったのだと、絶望する。
後はただ一瞬だった。
ミアの願いは神により叶えられる。
大きな魔法陣から生え出て来た無数の半透明の白い手が一斉に動き出す。
否、動いた軌跡のみを残す。
それは関節が増えることで押し出されるように伸びていく。
動いたという結果しか残さないので、かわすことも避けることも出来ないし、その手が動いているところを見ることすらできない。
その凶手ともいえる不気味な手は吸い込まれるように闇の小鬼の胸に伸びていく。
そして、皮を肉を骨をすべて無視して、次の瞬間には心臓を抜き取る。
いや、心臓だけでない。
目には見えないが、その魂をも握り、もぎ取っている。
闇の小鬼からすれば、奇妙な手が迫って来たと思ったら、次の瞬間には意識を刈り取られたようなものだ。
その凶手に捕まれた心臓は血を垂れ流しながらも、まだ脈打つ。
逆に心臓を抜き取られた闇の小鬼は、何一つ傷もないのにその場に倒れピクリとも動かなくなる。
のだが、その魂をも鷲掴みされたので、もはや再誕することもない。
そして、その手は関節を減らすように魔法陣に戻っていき、その魔法陣の中心にその心臓を置く。
そうして、やっとその不吉な御手は役割を終えた様に魔法陣の中へと消えていく。
それが無数に、同時に、何度も、闇の小鬼が存在する限り繰り返される。
それにより倒れた闇の小鬼は再び湧き出ることはない。
港町リグレス、その西門が無数の不吉な御手により覆われていく。
いや、領主邸のほうにも、リグレスの町を横断して東門にまで何本もの手が一瞬で伸びていく。
人間達はただただその光景を恐怖に身を震わせて、恐れ戦きながら見ている事しかできなかった。
闇の小鬼、その王は何が起きているか理解できなかった。
自分が、細かく分けられた自分が何者かにどんどん捕らえられていく。
一度捕らえられたら逃げだすこともままならない。
住処であるはずの闇に囚われそこから逃げだすことが、這い出ることが出来なくなる。
それなのに、その恐ろしい手をかわすことも逃げることも出来ない。
王は一番遠くにいる自分に意識を移す。
そして、全力で逃げだす。力の限り走り出す。
それはカリナのいる東門の外だったが、そこにまでも一瞬にして迫りくる手に王も捕らえられる。
冷たい凍えるような手で、心臓とその魂の根幹を鷲掴みにされ、体から抜き取られる。
それをかわすことも、抵抗することも出来ない。
抗いようがない。この手は神の御手なのだ。
魂を掴まれた瞬間、王の意識は闇よりも深い混沌の底へと引き込まれていく。
そして、いくつにも分かれた魂がひとまとめにされていく。
西門の広場を覆い尽くすほどの大量の手がミアの描いた魔法陣から生え出てきていた。
無数の関節を持ち、節くれだったように伸びた半透明の腕だ。
その手を見たものは根源的な恐怖を、身が震えるほどの寒さを、言い表せない混沌を、その手から感じたという。
死そのもの、いや、死よりも恐ろしい何かが、確かにその手から感じられたという。
だが、それですべてが終わったのも事実だ。
その無数の腕が正確に、闇の小鬼だけを貫き、その心臓を次々にもぎ取っていく。
後には闇の小鬼の死体だけがその場に残る。
どういう理由かは変わらないが、それで新たに這い出て来る闇の小鬼は現れなくなった。
一瞬で片が付いた。
あまりにもあっけなく。
西門で戦っていた者は誰もが呆けている。
あまりもの出来事に何もできないでいた。
いや、その神の御手を見た瞬間から、恐怖で震えが止まらなくなり、身動き一つできなかったのだ。
誰もが恐怖に震えていた。
歴戦の兵士も、神に仕える僧兵も、金の為なら命すら投げ出す傭兵も、生まれた頃より戦闘員として育てられたスティフィでさえ、身動き一つできずにその場で震えることしかできなかった。
その御手が魔法陣の中央に闇の小鬼の心臓を集めていく。
集まった心臓は神の御手により練り固められ、大きなおぞましい一つの肉塊となっていく。
闇の小鬼の心臓が千個以上が、ひとまとめにされたかなり大きな肉塊となり、それぞれがまだ脈打っている。
すべての闇の小鬼の心臓をひとまとめにすると、御手が魔法陣の中へと消えていき、代わりにひとまとめにされた心臓が突如としてものすごい勢いで燃えだした。
火花を発し、燃えだすそれは闇の小鬼達の心臓を、焼くのではなく溶かすほどの高温で、心臓を焼き溶かしていく。
そうすると、あちらこちらに倒れていた闇の小鬼の死体が突如燃えだし、炭となり、その灰までもが焼け溶けていく。
それだけではない、各地に飛び散っていた闇の小鬼の血や肉片すらも燃えだしていく。
後には何も残らない。
灰すら、煤すら、焼け跡さえも残らない。
ただ魔法陣の真ん中にまとめられた肉塊だけがほんの少しだけ、と言っても人の頭ほどはあるが、丸い球状となるように今度は焼き固められていく。
そうなっても、なお、それは脈打っている。
次第に燃えていた炎も収まる。
ミアもそれをただただ放心しながらも見つめていた。
そして、それに、焼き固められた心臓の塊に横一文字に線が入り、それが開かれる。
そこには瞳があった。
闇の小鬼の心臓は、気が付くと一つの眼球となっていた。
誰もがその眼球を見ても何も理解が出来ない。
なぜ闇の小鬼の心臓が眼球となったのか、まるで理解が出来ない。
だが、その眼球から何本もの触手が生え、ミアの左肩に巻き付いていく。
そして、その眼球がミアの左肩の上に居座る。
ここが居場所とばかりにその肉塊とも目玉とも言えるものは居座った。
「あとはそれに任せた。では、ミアよ、待っているぞ」
そうどこからともなく声が聞こえ、物凄い力を持つおぞましい何かはこの地から去って行った。
そうすると、すぐにカリナが飛ぶような速度で駆け付けて来る。
「何があった!?」
カリナがミアにむかいそう聞くが、
「わ、わかりません…… わ、私は受け取ってもらえなかったのでしょうか?」
と、逆にカリナに対し、ミアは力なく聞き返した。
だが、その問いをカリナも聞いていない。
ミアの左肩の上に乗っている目を見て驚愕している。
「なぜあなたが…… そんな恰好でそこに?」
カリナは驚きの目でミアの左肩の上にいる目を見続けた。
それで闇の小鬼の一件は方がついてしまう。
あまりにもあっさりと、不死であるはずの闇の小鬼が倒されてしまう。
これは歴史的に見ても偉業であり、賛辞されるべきことのはずだ。
だが、ミアが賛辞されることはなかった。
それを見たものが、あまりにも深い恐怖を、その深淵を覗き見てしまったからだ。
あの御手が救いの手だったことは確かだ。
だが、あれを神の手だとは、それを見た、ミアを除く全員が思えなかった。
誰がどう見ても、あの手は破滅へと導く混沌の手であったと、そう言ったのだ。
それに加え、様々な神々もこの一件については、人間達からの問いが合ったにもかかわらず、返答が返ってくることは何一つなかった。
すべての神々が口を噤んだのだ。
まるで、それ自体が禁忌だったかのように。
当然、それは人間の間でもそう扱われることとなる。
誰もそのことをすぐに触れなくなったという。
ただ、不死とされる闇の小鬼、その王、外道の王の一体が撃ち滅ぼされた、と言う事実だけが残っただけだ。
ミアが放心し、カリナが驚愕していると空を無数の、巨大な影が飛んでいく。
そのうちの一つの影がミアの元へと舞い降りて来る。
最初その影は、空いている場所、魔法陣が描かれている場所に舞い降りようとしたが、どうしようもないほどの不吉さを感じ、その魔法陣の脇にその巨体からしたら静かに降り立った。
それは羽をもつ大きな火を噴くトカゲだ。
全身を硬い鱗に覆われた巨大な竜だ。
「我は飛竜。ジグニスの雲、火竜王マブウス、その息子ユニスである。今日はこの地の生まれた新たなる竜王への挨拶に来た」
その巨大な竜はミアに向かいそう言った。
巨人であるカリナすら今は眼中にない、といった様子でだ。
「……竜王?」
と、ミアが聞き返す。
普段のミアならそんな返事を返すことはないのだが、今のミアは思考が停止したままだ。
「そなたの首からぶら下げている卵だな……」
ミア自身にはあまり興味なさそうにその竜、ユニスはそう言った。
その言葉を発した口から少しばかり火花の様に火が漏れ出る。
「え? あっ、すっ、すいません…… わ、わざわざどうも……」
ミアの思考が若干戻り始め、ミアは慌てて頭を下げた。
が、竜は少しだけその顔を笑ったように歪ませる。
「そなたに挨拶に来たわけではない。本来は親父殿が来るところだが、親父殿は始祖虫探しに躍起になっておってな。まあ、それで我が代わりに挨拶に来ただけのことだ」
ユニスはそう言って空を飛ぶ一番大きな影を見た。
その大きな影は我先にと東に向かい飛んでいっている。
「え? は、はい? 卵に挨拶……?」
ミアの頭はまだ完全に戻っていない。
ロロカカ神の御許へ行けるとそう思っていただけに、未だ自分が生きていることが受け入れられていない。
それによりミアはすべてが上の空になっている。
「ふむ。まあ、よい。挨拶も終わった。始祖虫の件は我らに任せておくがよい。おまえに言っても意味はないだろうが、金銀財宝を用意して待っていればよい」
ユニスはそう言って飛び立とうとしてその大きな翼をを広げる
「は、はい、ハベル隊長に伝えておきます」
ミアがそう言うと、ユニスはその広げた翼を畳む。
「む? ハベル殿の知り合いか?」
ユニスは少し楽し気にミアに対して聞き返す。
「は、はい!」
と、ミアが返事したところで、エリックがミアの、いや、竜の元へと駆け寄ってくる。
そして、憧れに満ちた目で竜を見上げる。
「お、俺はエリックだ! 俺も竜の英雄を目指しているんだ!」
そして、ユニスに対してそう宣言する。
ユニスはエリックを見て、少しだけ、ほんのわずかにだが驚く。
「ほう! だが、そなた、既に鱗の剣を持っておるではないか」
竜鱗の剣は竜の火の吐息失くしては鍛えらない代物だ。
竜の助力なしに作れる物でもない。
つまり、それを持つものは竜に認められた者ということでもある。
それを持つエリックはユニスから見ると、それだけで一目置くに値する相手だ。
「これは偶然手に入れただけだ。けど、いつかは自分でも!」
エリックはそのことを素直に告げる。
そのことはユニスに対しては好感が持てる返答でもある。
それにそれが偶然でも竜鱗の剣を持つものであるならば、それなりの人間であることは確かだ。
抜け落ちた鱗で作られたとはいえ、竜鱗の剣には竜の意志が宿るのだ。
資格なき者が手にできる武具ではない。
「まあ、本気でその気があるなら、北の地へ来い! 我が直々に試してやろう」
ユニスは少し楽し気な表情を浮かべた。と言っても竜の表情なのでそれを見るものからすれば恐ろしい表情なのだが。
だが、エリックは嬉しそうに右手を掲げ誓う。
「おう! ユニスだな、その名、覚えたぞ! 必ず会いに行くからな!」
「我も名を覚えたぞ、人の子、エリックよ。楽しみにしているぞ。では、新たな地竜の王よ。今度こそさらばだ!」
ユニスはそう言って、今度こそ翼を広げて空へと羽ばたいていった。
その後、この地に現れた始祖虫も三日三晩続く戦いの末、火竜マブウスにより打ち取られ、それが残した卵もすべて竜達により回収される事となった。
それにより、この地に訪れていた危機は取り除かれることなる。
「あ、ああ、えっとだな。なんで、その…… その方が肩にいる?」
カリナは竜が去ったと、しばらくして、ミアに、その肩に乗せている者について質問をする。
カリナとしても訳がわからない。
本来は地上にいてはいけない存在だし、受肉して良い存在でもない。
他の神々が放っておけないような、そんな存在がミアの左肩に乗っているのだ。
だが、聞かれた当のミアの方が全く理解できていない。
ミアにはこれが何なのかまるで分らない。
「この目玉、なんなんですか? 闇の小鬼の心臓が集まって焼かれた思ったら目玉になって肩に乗って来たのですが?」
ミアは少し迷惑そうにそういった。
目玉、いや、肉塊から伸び出た触手がミアの左手に絡み、少々居心地が悪いし、流石にミアも蠢く肉塊は気味が悪い。
ロロカカ神が残していった物とはいえ、ミアの理解の範疇にないし、元々は外道の心臓の集合体なのだ。
ミアからしても嫌な感じがして仕方がない。
「それは…… ミア、おまえの使徒魔術の力の源だ。お前の神の御使い、その方の目だ。む、むぅ? 闇の小鬼達の心臓を使い目だけを受肉させたのか? 信じられぬが……」
カリナですら困惑しながらも、なんとかそれを理解しようとする。
ただこれだけは確かだ。
ミアの左肩にいる目玉は、神の御使いなのだ。
元、名のある炎の巨人で、今は御使いなのだ。
巨人がなぜ神の御使いになっているかも不明だが、神々の敵であるはずの巨人が、もう御使いになってはいるとはいえ、再び受肉することなど本来はあってはならないはずだ。
本来なら、それを知った神々が降臨し、打ち滅ぼして来てもおかしくない事態のはずだ。
だが、神々が降臨してくる様子はまるでない。
神々はまるで反応を示していない。
こんなことカリナですら見たことも聞いたこともないし、カリナの常識からしたらあり得ないことだ。
だが、それを聞いたミアは左肩に乗っている存在の評価を一変させる。
外道種の残りカスから、ロロカカ神に託された物でその御使いが宿る物であると変化する。
そうなってくると、今まで薄気味悪かったこの脈打つ目玉が途端に尊き存在にミアには思えて来る。
「え? これ、いや、このお方はロロカカ様の御使いなのですか! す、すいません……」
ミアは外道種の燃えカスとばかり思っていたものに誠心誠意謝る。
ただのっている場所が左肩なので、それにむかいうまく頭を下げることも出来ない。
そこでカリナも気づく。ミアの額に印がなされていることに。
「それにお前の額の印…… それは神の印だな?」
「え? 額に何かついているんですか? 神の印…… ですか?」
カリナのその言葉に、ミアの表情が一気に明るくなっていく。
自分では額に何かあるのか確認できないが、カリナが嘘を付くわけもない。
自分の額に神の、ロロカカ神の印があるというだけで、ミアは喜びで打ち震えていく。
「ああ、それはその神の物という証だ。それを持つものは永遠の命を得る」
神の印を持つ人間は稀有な存在だ。
とはいえ、シュトルムルン魔術師学院には、例外的に数人ほどいるが。
本来は魔術師学院でも一人でも、いれば珍しい方だ。
それほど稀有な物であり、それを持つものは神の所有物であり、永遠の寿命を得るとまで言われている。
「え? ええ!! つ、つまり私はロロカカ様の物になったと言うことですか!」
ミアは完全に顔を破顔さえ、だらしない笑みがあふれ出てきている。
「そうなる」
「良かった! 良かったです!! 受け取ってもらえないかと、そう思ってました!!」
ミアは心の底から安心し、そして、至福の時に包まれた。
「以上が結末となります。この地に巣くう始祖虫と闇の小鬼の王、被害はかなり出しましたが、その両方を倒せたのは僥倖どころか偉業と言っても良いでしょう」
ハベル隊長が報告書を読み上げ、このポラリス学院長と、領主のルイに向かい報告する。
あれから一週間ちょっとしてようやく被害の全容が明らかになった。
八つの村とリグレスが被害に合い、広大な土地が始祖虫の毒に侵され、さらにそれ以上の土地が竜達によって掘り返された。
リズウィッド領としては尋常ならざる被害が出ている。
それでもその二つの脅威を取り除けたことは偉業と言ってよい事だ。
領主邸もなんだかんだで被害が大きく、シュトルムルン魔術学院にて両者が事後報告を受けているところだ。
十分に大きな被害ではあるが、それで外道種の王とされる一匹を倒せたことは十分な成果だ。
しかも、相手は不死の外道種であり、長い間、キシリア半島に封じ込めておかねばならなかった相手をだ。
それはこの地に勤める騎士隊の悲願でもあったことだ。
ただ、被害の規模で言うならば、竜と始祖虫が争った後の方が大きいし、始祖虫を倒した後も、戦いの痕跡、特に始祖虫が吐き出した強力な毒は残り続けるし、始祖虫が残した卵を見つけるために竜達がそこらじゅうの土地を掘り返しているので、そちらの方が比べるもなく被害は大きい。
だが、それでもこの地に始祖虫という脅威が完全になくなったこともまた大きく喜ばしい事だ。
こちらは伝説の中に存在するような怪物を完全に退治できた様なものだ。
領主であるルイが私財を投げだし、竜達への報酬を支払ったかいがあるという物だ。
ただ支払った額を思うと、大きな問題が二つも解決したと言うのにルイの顔は晴れない。
「ハベル隊長、報告ありがとう。確かにどちらも偉業だ。蘇った太古の脅威である始祖虫と長年目の上のたん瘤だった外道の王を両方解決できたのだからな」
ルイはハベル隊長に感謝の言葉を述べる。
そこにウオールド老が茶々でも入れるかのよう口を挟む。
「で、その一端の立役者のミアちゃんは…… というか、その肩にいるあれは何じゃ?」
魔術学院の教授の目からしても理解しがたい肉塊だ。
生きているのか死んでいるのかもわからない。
ミアという名にルイの眉がピクンと跳ね上がる。
ルイもミアの事は聞いているが、よくわからないものが左肩に住み着いたと言うことしかわからない。
後はミアに神の印が与えられたというのだ。こちらは大変喜ばしい話だ。
同時にルイの手から、ミアは完全に離れたという証でもある。
ミアは完全に神の所有物となったのだ。
ミアを実の娘だと思っているルイにとってはそれは大変悲しい事だ。
「あれは…… 御使いだ。その眼のみが受肉した形だが……」
と、カリナが補足するが、その口は言いよどんでいる。
「御使いが受肉ですか……」
と、ダーウィック教授がカリナを、自分の妻を見ながらそうつぶやく。
それに対して、カリナは、何か言いたいことがあればはっきり言えとばかりに、ダーウィック教授を睨み返す。
だが、ダーウィック教授は何も言わない。
「元々は巨人であったとそう聞いていますが、それは平気なのですか?」
その言葉を口にしたのは別の人間、エルセンヌ教授だ。
巨人は神々の敵なのでもっともな話だが、今はその存在も神の御使いなのだ。
「エルセンヌ教授、言葉には気を着けてくれ。あの存在もまた神の御使いなのだから」
釘を刺すように、ポラリス学院長がエルセンヌ教授に注意をする。
「す、すみません、学院長……」
エルセンヌ教授はそれで黙り込む。
確かに神の御使いを神の仇敵である巨人と発言するのは良くない事なのかもしれない。
だが、エルセンヌ教授からすれば、この場にも巨人そのものがいるのだ。
口は噤んだ物の、何とも言えない物をエルセンヌ教授は溜め込むしかない。
「出来る範囲で説明を頼めるか、カリナ」
そんなエルセンヌ教授を歯牙にもかけず、ポラリス学院長はカリナに説明を求める。
あの肉塊とも目玉ともつかない物体は、人間の理解の範疇にない。
そもそも元は外道種の心臓の塊だというのだ。
それに対して御使いが受肉するなど理解が追い付かない。
それも元巨人の御使いがだ。
「恐らくあれは…… 闇の小鬼をあそこに閉じ込めている。その要として御使いが受肉したのだろう、と予測できるが、それが正しいかどうかまでは保証できない」
カリナも難しい表情でそう言った。
カリナにも神や御使いがなぜそんなことをしたのか理解できないでいる。
「では、闇の小鬼はまだ完全には死んでいないと?」
領主ルイはそう言って目を細めた。
不死の外道種だ。あんな状況になっても生きていても不思議ではない。
「神の力をもってしても殺せぬという訳ですか?」
グランドン教授もそんな発言をする。
だが、それはグランドン教授がその場に居なかったからだ。
もし、彼があの時リグレスの町にいたのであれば、こんな発言はできなかったであろう。
それほどまでに強大な何かがあの町に来ていた。
その力を感じれば、その神がどれだけ偉大で強大な力を持っていたかなどすぐに理解できるほどだ。
あの神のまでは、闇の小鬼など本当に矮小な存在でしかない。
不死であろうとなかろうと、その運命を終わらすのは簡単な事だったはずだ。
「いや、あの神の力を我も感じた。その気になれば闇の小鬼など完全に滅することなど容易いほど強大な力を持っていた……」
カリナが身を震わせながらそう言った。
ロロカカ神の力は尋常ではなかった。
神であるのだから尋常ではないのだろうが、神々の基準としてもその力は尋常ではないほど強大な物だったのだ。
世界の辺境の地にいるような存在ではないことだけは確かだ。
「そうか…… まあ、何か理由があるのだろうな」
と、ポラリス学院長は理解することを諦めた。
神々のやることだ、そもそも人間が理解できる話でもないのかもしれない。
神々のやることを人が探ろうとするのは、身の程をわきまえない行為でしかない。
「新しいミアちゃんの守護者じゃないんですか? これで四体揃ったのでしょう?」
グランドン教授がなんとなく思いついてそんなことを述べる。
「それも…… 否定は出来ない」
カリナはそう言って俯いた。
カリナの知る炎の巨人はとてつもなく強い力を持った巨人だ。
それがあれ程の神、その御使いになっているのだ。
その力がどれほどのものかカリナですら想像もつかない。
それがミアの守護者になるというのであれば心強くもあり、カリナ個人としては少し複雑な気持ちだ。
「それよりもぉ。ミアちゃんが正式な門の巫女となったという方が、私は重要だと思うのだけれど?」
マリユ教授がそう言ったのはそちらの方に興味があったことはもちろんだが、その問いはカリナへの助け舟でもある。
カリナが珍しく困惑しているのが目に見えているからだ。
恩人であり、この学院にマリユ教授の居場所を与えてくれたのはポラリス学院長とカリナなのだ。
その点だけでもマリユ教授は感謝してもしきれないでいる。
「それもそうだが、それは神の政で人がどうこうすべきことではない」
ただ、それもカリナからは述べられる話ではない。
多少は知ってはいるが、カリナも門の巫女という存在のことを、それほど詳しくは知らない。
「カリナさんはやっぱり何か知っているんですねぇ?」
ただマリユ教授は門の巫女の事は興味がある。
自らが信じる無月の女神が、あの嫉妬深い、どうしょうもない女神が、助けろ、と、お告げを出した存在だ。
マリユの気が遠くなるほど本当に長い人生の中で、そんなこと一度もなかったことだ。
気にならない訳がない。
「いや、我もこのことに関してはほぼ知識はない。言えないではなく知らないし、知らされてもいない」
「あら、珍しい……」
カリナの言葉にマリユ教授は心底驚く。
自分よりも長く生きている本当に珍しい存在だし、自分の様に怠惰に生きて来た者でもない。
またカリナは神により、それも法の神により役目を貰い、この地にいる存在だ。
そのカリナが知らない、と言うことは、本当に人間が関与するべき問題ではないのだろう。
「つまり、それほど人が関わる必要がないと言うことじゃな…… リグレスの損害は…… あるにはあるが外道の王に入られた割には軽度じゃな……」
ウオールド老が今までの話を聞き流しながら、報告書に目を通し終えてそう言った。
本来なら、リグレスの町は放棄しなければならなかったかもしれないし、そうなった場合、その損害は計り知れない。
リグレスの町がつぶれれば、この魔術学院とて成り立たなくなっていたかもしれない。
潰された八つの村には申し訳ないが、リグレスの町の被害が最小限で済んでくれたことは嬉しいことだし、外道種の王の一匹を倒せたことは大きな成果でもある。
「それでも、リグレスだけでも数百人は犠牲になったのですよね?」
ローラン教授が顔を顰めながらそう言った。
あの場にいながら自分は何もできなかったのだ。
太陽の戦士団、その隊長の一人であるにもかかわらず、カリナの戦いぶりに目を奪われ、見ている事しかできなかった。
そして、カリナの強さに安心しきり、闇の小鬼の動向に気づくのが遅れた。
領主邸まで襲われているというのなら、東門はカリナに任せ、西門に向かうのが正解だったはずだ。
今更だが、ローラン教授は悔やんでも悔やみきれない。
「じゃから、外道の王の割には、じゃ。ミアちゃんが神を呼ばなければ、今頃リグレスはどうなっていたことか……」
ウオールド老的にもリグレスの町が無事だったことは大助かりだ。
ウオールドはリグレスにある大いなる海の渦教団の神官長でもある。それが壊滅していたら、魔術学院の教授としての、その基盤を、支援母体を、生命線を失っていたところだったはずだ。
平然とした顔をしてはいるが、教授達の中で一番肝を冷やしていたのはウオールド老で間違いはない。
「そのミアはどうしている?」
ポラリス学院長がそう聞くと、フーベルト教授が答える。
「あっ、はい。今のところ肩にあの眼玉を乗せたまま、ですが、普段通りにしています。何か変わったところは、まあ、あるにはありますが……」
「それは?」
「魔女と、特にリグレスの市民からは、学院の魔女と呼ばれるようになりましたね、マリユ教授を差し置いて……」
フーベルト教授がそう言うと、マリユ教授は少し嬉しそう笑った。
やっとその不名誉な称号から解放されたのだと。
だが、それも仕方がない事だ。
あの神の御手を見て、震え上がらない者はいない。
その上で、神々が今回の件にはだんまりなのだ。
どの神も触れようとはしない、外道種の王が一体滅ぼされたのにもかかわらずだ。
本来なら、神々がその偉業を成し遂げたミアを褒め称え、英雄と認めるようなことにも関わらずだ。
だから、ミアは魔女と、そう呼ばれるようになった。
シュトルムルン魔術学院、その学院の魔女と。
万が一、いや、千が一、百が一……
十が一、誤字脱字があればご指摘ください。
指摘して頂ければ幸いです。
少なくとも私は大変助かります。
もし気に入ったらで良いので、いいね、ブックマーク、感想等ください!
ネタバレ、でもないですが、今回は始祖虫と戦いません。
それは最初から決まってました。
竜と始祖虫の戦闘を書いての良かったけど、流石に脇にそれ過ぎかなって……
いや、一応ね、ミアちゃんが主人公なんです!
スティフィじゃないんです!
し、信じてください!!




