西門防衛戦と私が魔女と呼ばれるようになった理由 その4
ミア達が魔術学院に帰るため、リズウィッド領最大の都市、首都よりも首都らしいと言われている港町リグレスまで戻って来た時だ。
リグレスは今までになく物々しかった。
何とも言えない張り詰めた緊張感がリグレスの町を包んでいた。
昼の間は解放されているはずの町の城門が閉じられていたし、ミア達がリグレスに入るときも色々と外の話を聞かれた。
兵士に物々しい理由を聞いても、明確な回答は得られなかったというよりも、誤魔化されるだけだった。
そこでスティフィがデミアス教から情報を得てきて、その内容にミアとエリックが驚く。
「え? 外道種の王と始祖虫、その両方が出たんですか?」
流石のミアも本気で驚き狼狽えている。
どちらか一方だけでも一大事なのに、その両方が解き放たれたという話だ。
「おいおいおい、冗談だろ? キシリア半島にはこの領地最大の、いや、南側最大の騎士隊の詰め所というか、砦があるんだぞ?」
外道の王である、闇の小鬼とその王をキシリア半島に閉じ込めるため、高く頑丈な壁を持つ砦、いや最早城とでも言うべき物がそこにはあったはずだ。
闇の小鬼共を封じ込めるため、この領地において最大の騎士隊の砦であり、詰め所でもあり、要でもあった場所だ。
「その砦とやらも闇の小鬼を閉じ込めてた高壁も、すべて始祖虫に完膚なきまでに破壊しつくされたそうよ」
スティフィの一言で、エリックでさえも言葉を失う。
だが、エリックも始祖虫の恐ろしさを知っている。
それが嘘や冗談でないことがエリックにもわかる。
「それで、どうなったんですか?」
ミアが固唾を飲んで続きを促す。
「始祖虫の方は行方不明。キシリア半島から解放された闇の小鬼の一団は西に向かった、つまりは、このリグレスに今は向かっているそうよ」
始祖虫は騎士隊の砦を破壊しつくした後、地中にでも再び潜ったのか、行方が分からない。
ただ不死の外道種、闇の小鬼は始祖虫にすら殺され尽くすことなくキシリア半島から解き放たれたのだ。
しかも、ただ解き放たれただけではない。
闇の小鬼達が始祖虫と戦ったことで、強敵と戦い続けた闇の小鬼達に劇的な変化をもたらして解き放たれてしまったのだ。
「待て待て待て、キシリア半島からリグレスまで他の町や村もあっただろう?」
エリックが我に返り、スティフィに聞き返す。
キシリア半島はリグレスからかなり東に位置し離れている。
リグレスとの間にはいくつか村や街があったはずだ。
「それらは、すべて闇の小鬼共に壊滅させられたって話よ」
スティフィはそれを躊躇なくミアとエリックに伝える。
「そんな……」
「でも、いくらなんでも早すぎないか?」
不死の外道種と言えど、一匹一匹の戦力は大したことない。
闇の小鬼一匹の、兵としての戦力は人間の少年程度の力しかなく、厄介なところは殺しても物陰からすぐに復活することと、その血肉に毒があること、後は限りなく残忍な事くらいだ。
どうあがいても消耗戦になる相手で、不死ではあるが町一つ滅ぼすにしても、それなりに時間を掛けなければならない外道種のはずだ。
それなのに、いくつも村や街を滅ぼしてきたというには進行が速すぎる。
時間かけての進行ならわかるが、それならリグレスに最初に着いた時に既に情報を得られていたはずだ。
それに、キシリア半島からリグレスまでかなりの距離がある。
普通に徒歩ならば一週間はかかる程だ。
その辺りが色々と噛み合わない。
「どうもね、キシリア半島に始祖虫が現れて、闇の小鬼とかと戦っていたらしいのよ」
エリックの問いに対して、スティフィが少し顔を顰めながらそんなことを口にした。
「ん? なんだよ、潰し合ってくれたのか?」
エリックがそう聞き返すと、
「始祖虫はあの強さだし、闇の小鬼は不死で有名な外道種よ? どうなったと思う?」
そのエリックにむかい、スティフィは顔を顰めたまま聞き返す。
流石にスティフィもこの件でエリックをからかうつもりない。
「どう…… なったんですか?」
それにエリックは答えられず、ミアがその結果を乞う。
「闇の小鬼達は始祖虫に対抗するためかどうかまではわからないけれども、その数を増やしたの。本来なら百匹程度の集団だったのが、その十倍、千匹以上の大軍勢となっていたそうよ。それが村や街を蹂躙しながら、このリグレスに向かっているっていう話よ」
スティフィも信じられないと言ったようにその言葉を口にした。
それはそれで驚きだが、それにしても進軍の速度が異常だ。
日夜関係なく走ったとしても間に合う距離ではない。
ただ相手は外道であり、その王の軍勢なのだ。
常識外の方法を使い移動してきているのかもしれない。
進軍が早いのも問題だが、今はそれよりもその規模の方が問題だ。
「千匹ですか?」
「マジかよ……」
ミアもエリックも言葉を失う。
不死の、どうやっても殺せない外道種の軍勢が千匹にまで増えている。
これが始祖虫と戦い続けた闇の小鬼の変化、いや、進化だ。
闇の小鬼は始祖虫に対抗するために、戦いの中でその数を増やし、圧倒的な力を持つ始祖虫に殺し尽くされることを防いだのだ。
流石の始祖虫も増え続ける不死の外道種を殺し尽くすことを諦め、移動した結果、キシリア半島を封じていた騎士隊の砦を破壊することとなった。
力が弱く闇の小鬼には破壊できなかった高く分厚い壁も、始祖虫にかかれば瞬時に消し飛ばされた。
そして、始祖虫は戦い疲れたのか姿を消し、闇の小鬼の軍勢だけが解き放たれたのだ。
「私達は魔術学院に戻った方が良さそうね、あそこも襲われるだろうけど、学院の方が恐らくは安全よ」
数々の優秀な魔術師も騎士隊の訓練校もある。
何よりカリナやディアナといった常識外れの戦力がいるのだ。
「ここはどうなるんですか?」
ミアがこの町のことを気にしてスティフィに聞く。
「流石にリグレスは…… と言いたいけど、不死の軍勢が千匹以上もいるのよ? どうなるか想像つかないわよ。それに、いつどこで始祖虫が現れるかもしれないのに」
リグレスは高い外壁に囲まれた都市でもある。
壁で離隔できていた外道種なら、そう簡単に攻め落とすことはできないだろう。
だが、不死の外道種が千匹というのは脅威だ。どうなるか想像もできない。
けれども、闇の小鬼に対してなら、その本隊に補足されなければどうにかなるはずだ。
一匹一匹の戦力は大したことはないのだから、逃げ出すことは容易だろう。
荷物持ち君の引く荷車で逃げ出せば、追いつかれることもないはずだ。
だが、始祖虫に出くわすのはまずい。
この辺りで対抗できる存在は、始祖虫を倒せるような存在は、カリナかディアナぐらいしかいない。
その二人が魔術学院にいるのだから、そちらへとスティフィは向かいたい。
竜種がやってくるまでは、逃げ続けなければならないのだが、始祖虫相手では逃げることすら容易ではない。
始祖虫の攻撃は知覚も出来ないほど早く、人間がその攻撃を喰らえば血煙の様に消し飛ばされるだけだ。本当に跡形も残らない。
どうにかなる相手ではない。
「ちょっと俺も騎士隊の支部に顔出して話を聞いてくる」
エリックもいつになく真剣な顔をして騎士隊訓練生として思う事はあるのか、この町の騎士隊へと向かって駆け出す。
その言葉を発した後、エリックはすぐに駆け出していて、ミアやスティフィの返事を待っていなかった程だ。
「はい、いってらっしゃい!」
ミアがそう言うが、おそらくエリックには聞こえてなかっただろう。
「あと、スティフィが出かけている間に兵士さん達に言われたんですけど、今、リグレスから外には出れないそうですよ。安全のための移動制限とかなんとかで」
そして、ミアはスティフィに向き直り、言葉を続ける。
魔術学院に戻りたい、という気持ちはミアにもあるのだが、外出禁止令とか移動制限でそれも難しい。
「出れない? なんで? ああ、闇の小鬼が迫って来てるからか…… もうそんな所まで近づいているの?」
闇の小鬼がどれだけリグレスに近づいているがわからないが、リグレスに入ることは許されても、今はリグレスから外に出ることは制限されている。
「詳しくは教えてもらえなかったですけど、恐らくは……」
ミアもそう言って顔を顰める。
自分がここにいると更なる厄災を呼び寄せてしまう気がしたからだ。
少なくとも外道種、その王はミアのことを知れば襲ってくることは間違いがない。
なので、ミアも色々と対策できる魔術学院に帰りたかったのだが、それもままならない。
「そういう命令が出てるってこと? あー、こんなことならお姫様と無理やりにでも行動を共にするんだった! いや、待って。元から知っていた?」
スティフィは少し訝しんだ。
ルイーズやブノア、マルタの態度に不審な所はなかった。護衛としてもおかしなところはなかった。
だが、ルイーズはブノアの進言で、いち早くリグレスをたっている。
もしルイーズと一緒であれば、なんだかんだ理由を付けて魔術学院まで戻ることはできただろう。
けども、そのルイーズは、今、このリグレスいない。
「流石にそれは……」
ルイーズがそんなことをするとはミアには思えなかった。
「お姫様は知らないかもしれないけど、あの護衛ならやりかねないでしょう」
ただ、スティフィにそう言われるとミアも確かにそんな気もしてくる。
「そ、そうなんですかね?」
「いや、ただの推測よ」
スティフィも何か確信があるわけではない。
それにミアも領主の娘かもしれないのだ、流石にそこまで邪険にもしないだろう。
ミアが門の巫女をになることを望んでいるので、ブノアやルイも過干渉をしないだけで。
「ああ、はい…… これからどうしますか?」
ミアには判断が付かなかったので、スティフィに判断を仰ぐ。
どうするべきなのか、ミアには何もわからない。
「にしても、絶妙すぎる…… 冥府の神といい…… 始祖虫といい…… 闇の小鬼といい、すべて仕組まれてるんじゃないの!」
現状では判断が付かないのはスティフィも一緒だ。
スティフィとしては無理にでも魔術学院に逃げても良いと考えている。
荷物持ち君がいるならば、それは簡単な事だ。
ただ、リグレスはこの領地で最大の都市であり、その防衛機能もかなりの物だ。
始祖虫さえでなければ、リグレスにいるのも悪くない話でもある。
何よりこのリグレスは高く丈夫な壁に囲まれてた都市でもある。
闇の小鬼だけなら、その数は千匹以上てもそう簡単にこの都市が落ちることはない。
この町には数々の様々な神の神殿もあるのだ。
魔術師や神官の数も多い。
質ではなく総数という事だけなら、魔術学院よりもその人数は多いだろう。
さらに言えば、リグレスは港町であり、いざとなれば海路からの脱出も可能だ。
「流石に冥府の神に失礼ですよ!」
ミアはそこを気にしてスティフィを嗜める。
それを言われたスティフィも気づく。
これは神も関わっていることだと。
仕組まれたわけではない、これは決まっていたことなのだと。
神や御使いが未来のことを知っていてもおかしい話ではないのだから。
「いや、そうか。これは仕組まれているというよりも、決まっていた事なのね…… だからディアナも……?」
そう考える方がしっくりくる。
仕組まれたことであるならば、流石にディアナも動いてくれるはずだ。
ディアナが、御使いが動かないという事は、恐らくそういう事なのだろう。
神の意志という奴だ。
そして、それは神の決めたことであり、ミアが解決しなければならないような、いうなれば試練のような物なのかもしれない。
「どうしたんですか?」
「いや、こうなることは仕組まれた、というよりも既に決まっていた、運命だったってそう思えただけの話。具体的な事は何一つわからないわよ」
スティフィも自分で言っていて確信があるわけではない。
だが、スティフィの直感はそうだと言っている。
これは気を引き締めなければならない、と。
「まあ、どちらにせよ、この都からは出れないですけどね」
ミアはそう言ってため息をついた。
「出れないのは、まあ、いいけどいつまで…… この街にいなくちゃいけないのよ?」
路銀にどれほど余裕があるかも考えなくちゃいけない。
場合によってはデミアス教の支部や、ミアの身分を明かしこの町に保護を求めなければならないかもしれない。
そもそも、不死の軍勢がいつこのリグレスにやってくるのかも定かではない。
百や二百なら再びキシリア半島に押し戻すことはできたかもしれないが、千単位となった闇の小鬼を押し押し戻すことは難しいだろう。
何より始祖虫という存在も考慮しないといけない。
始祖虫が現れたことで竜もこの領地にやってくるので大混乱となることは間違いがない。
「それも分からないそうですよ」
ミアもそれがわかっているのか視線を落とし答える。
「領主に会いに行く? ミアが言えば会ってくれるでしょう? それで特例でもなんでもいいから、学院までいきましょうよ」
それが恐らく一番確実で早い。
領主のルイはミアに甘いので、ミアの安全の為と言えば納得してくれるだろう。
「領主様は今はリグレスにいませんよ。祭事があるので一時、首都の方に帰られていると手紙が来ていたんで」
ミアがそれを伝える。
確かにミア達が魔術学院を出る前の日に、そんな手紙がミアの元に届いていた。
「本当に間が良いわね…… やっぱり色々と仕組まれているのね」
誰が仕組んでいる、と今スティフィが聞かれれば、神々が仕組んでるんでしょう、と自信満々で答えただろう。
それほどまでに都合が良いように感じる。
「またそういう事を言って……」
と、ミアが半ば呆れながらそんなこと言った。
「このままじゃ間違いなく闇の小鬼に襲われるわよ」
ただリグレスにいつ闇の小鬼が来るのか、それはスティフィが得た情報でもわからなかった。
だが、闇の小鬼は街道を東から西へと、途中にあるものすべてを蹂躙しながらも向かっている、という情報だけは知らされている。
このリグレスにたどり着くのも時間の問題だろう。
「それは学院にいてもそうですよね? そこまで離れていないですし」
シュトゥルムルン魔術学院は街道からは外れているが、リグレスの町とそう離れているわけでもない。
リグレスが襲われるのなら、間違いなくシュトゥルムルン魔術学院も襲われることになるはずだ。
ただ、魔術学院は対外道種の機関でもある。
魔術は人が外道種と対峙するために神から意図的に与えられた技術という論もあるくらいだ。
それが本当かどうかはわからないが。
ただ、魔術学院が騎士隊と並んで対外道種の為に、外道種殲滅の為の機関であることも間違いではない。
その為、外道種相手にはそれなりの対応ができる場所でもあるのだ。
それに加え、
「あそこには化物みたいな人間がわんさかいるでしょうに! それに始祖虫が出てもあの巨女がいるから!」
始祖虫ですら難なく退治したカリナという戦力も、その身に御使いを宿す少女ディアナもいるのだ。
現状では、あの学院が恐らく一番安全だ。
ただ、そこでディアナの言葉が気になる。
今回は手助けできない、というディアナの言葉だ。
これはミアがこうなることが分かっていて、更にリグレスから魔術学院に帰れないことも分かっていたのではないかと、スティフィには思える。
なら、無理に魔術学院に向かわないほうが良いのかもしれないとすら思える。
これが神々が書いた物語の筋書きならば、だが。
そう考えてしまうと、スティフィにも判断が付かない。
だが、問題は始祖虫なのだ。
別の世界からやってきた始祖虫は神々の筋書きにはない存在なのだ。
神にとっても想定外のことが起こるかもしれない。
スティフィにはそれが不安だ。
「んー、カリナさんなら仮にリグレスに始祖虫が現れても一瞬できてくれそうですけどね」
人の足で数日かかる場所に数時間で駆け付けるような存在だ。
魔術学院からリグレス程の距離なら、ミアの言う通りカリナにとっては一瞬だろう。
「まあ、それは確かにそうね。じゃあ、無理に学院まで行かなくてよい? 学院の方からもどうせリグレスに援軍は出すだろうし、それが帰るときに一緒に帰るほうが安全かも?」
ディアナの発言の件もある。
無理に移動しないほうが安全と、スティフィは判断することにした。
仮に強行するにしても、もっと確かな情報を得てからだ。
今は色々と情報も少なすぎる。
それに、荷物持ち君が本気で荷車を引けば、馬車で半日の距離の魔術学院まで数時間程度でつける。
そういう意味では荷物持ち君がいれば、どうとでもなる話でもある。
「その辺の判断はスティフィに任せますよ。それに従います」
ミアには判断がつかないのでスティフィに任せ、判断してもらうことにする。
が、その時、本当にそれに従うかどうかはまた別の話だ。
スティフィが自分の安全を第一に考えてくれているのは知っているが、それでもミアには譲れない物もある。
「必ずよ? 今回は誰かを犠牲にしても従ってもらうからね?」
スティフィはどうせ素直にミアが言うことを聞くわけない、と悟りながらも一応はダメ押しする。
「そう言われると…… 悩みますがなるべく従います」
ミアも自信がなさそうにそう言った。
「問題は闇の小鬼より始祖虫よ。あれはどうこうできる存在じゃないんだから」
闇の小鬼の方は本隊につかまらなければ、どうにでもなる。
始祖虫と出くわすのはまずいし、出くわしたときはもう諦めるしかない。
「もうハベル隊長には連絡が行っているんですか?」
始祖虫と聞いてミアがそのことをスティフィに確認する。
居場所が探れない始祖虫を根絶やしにするには竜種達に手伝ってもらうしかない。
そのためには竜の英雄と呼ばれるハベルに情報を流すしかない。
「そのはずよ。竜種がどれくらいで飛んでくるかわからないけど、それまでは要注意よ」
「でも、始祖虫は私とは関係ないはずですよね?」
そのはずだ。
外から来た虫種である始祖虫はミアを、門の巫女を狙っているわけでもない。
だが、それは同時に、なんの遠慮もしないと言うことだ。
始祖虫の前にミアが立てば、他の人間と同様に血煙の様に霧散して死ぬだけだ。
「そうなのよね。まあ、出会ったら荷物持ち君と精霊に頑張ってもらうしかないわね」
出会わないのが一番だ。
スティフィはそう考えつつも、ミアならなんとなく出会ってしまう、そんな気すらする。
ミアは何かと特別なのだ。
その才能も、生まれも、運命すらも。
「去年よりも荷物持ち君も大分強くなりましたよ!」
去年、始祖虫と荷物持ち君が対峙したとき、その触手をはじくだけで精一杯だった。
その時よりも荷物持ち君は確実に強くはなっているが、それでも荷物持ち君に始祖虫を倒せるとはスティフィには思えない。
この地方の伝承では、始祖虫に冬山の王も荷物持ち君の親である朽木様も負けているのだから。
精霊王や育った本物の古老樹を撃退するような存在なのだ。
出会ったら、全力で逃げるしかない。
「私にはどう強くなったかまるで分らないわよ、最初から強かったし」
最初から、というのは少し語弊がある。
朽木様と荷物持ち君が出会い、制御術式を書き換えられてから、というのが正しい。
それ以来、荷物持ち君は人間がかなう存在ではない。
「かなり成長しているので去年の様な事にはならないと!」
ミアは自信たっぷりにそう言うが、ミアは去年四本角の始祖虫しか知らず、五本角の方の大地を吹き飛ばすような力すら持つ始祖虫を見ていない。
安全の為に始祖虫の前に出さなかったというのが正しいが。
それを知っていれば、ミアもそんな発言はしなかったかもしれない。
だが、
「ミア、忘れたの? 始祖虫はね、荷物持ち君の親である朽木様を枯らす寸前まで追い込んだ存在なのよ」
伝承ではそこまで語られていない。
竜か虫の毒で朽木様は枯らされるところまで追い込まれた、そういう話として伝わっている。
その竜だか虫だがの正体が、始祖虫という存在なのだ。
「そう言えばそうでしたね……」
そう思うと荷物持ち君や大精霊で始祖虫を止められなかったのも道理だ。
「それどころか、冬山の王を天空から地に落とした存在らしいじゃない? 御使いやあの巨女、それと竜種くらいでしょう? どうにかできるのって」
そもそも始祖虫などは身近な存在ではない。
伝説上の生物だ。
北の地のその遥か北、竜の山脈を超えた、虫達の楽園と呼ばれる氷に閉ざされた地にのみ本来は生息する虫種の王だ。
年に一度会う、という話の生物ではない事だけは確かだ。
「始祖虫ってそこまで強いんですか? 確かに強かったですが…… そういえばスティフィは冬山の王を見たんですよね? どっちが強そうでした?」
ミアが見た四本角の始祖虫も確かに強かった。
騎士隊どころか、鉄騎兵と言った鉄の塊を一瞬で粉々にして見せるほど、ミアからすれば訳も分からないほど強い生物だった。
それどころか、五本角の始祖虫は大地を抉り大穴を瞬時に作るほどの力の持ち主だ。
それでも、ミアの中では古老樹である朽木様や精霊王である冬山の王より、始祖虫の方が強いとは思えない。
「強いとか強くないとか、そういう話ではなかったわよ。見た瞬間死んだと思ったわ。育った始祖虫はあれよりも強いとか、信じられないわね」
血水黒蛇という妖刀に憑りつかれていたのにもかかわらず、瞬時に正気に引き戻されるほどの存在感。
スティフィはそれを冬山の王に感じた。
確かに五本角の始祖虫は強かったが、スティフィが間近で見た冬山の王の方がより強い畏怖を感じれているのも確かだ。
「じゃあ、私達が見た始祖虫はまだまだなんですか?」
「らしいわね。始祖虫は育つと頭の角が増えていくそうだけど、朽木様や冬山の王を追い込んだ始祖虫は角が七本らしいわよ」
始祖虫が成長し七本角になると、始祖虫が始祖虫の卵を産卵するようになる。
卵を産むための栄養補給か、それとも産んだ卵を守るためか、普段地中にいる始祖虫が地上に出て来るのだという。
朽木様や冬山の王と争った始祖虫は七本の角を持っていたと、スティフィは聞いている。
「詳しいですね。どこ情報です?」
「恐らく大元はあの巨女ね。話自体はダーウィック大神官様からよ」
スティフィは情報元をあっさり開示する。
「ダーウィック教授なら確かですね。去年私たちが見たのは……」
ダーウィック教授がそう言うのであれば、間違いはないのだろうとミアも納得する。
「地下で出会ったのが四本角、外で巨女と戦ったのが五本角ね」
それにスティフィが去年遭遇した始祖虫について補足する。
「五本のほうですよね、大地に大穴開けてたのは…… 今回現れたというのは何本何でしょうか……」
ミアが心配そうにそれを気にする。
そんなミアをスティフィは笑い飛ばす。
「私達には何本かなんて関係ないわよ。何本でも対処のしようがないんだから」
とにかく始祖虫と出会ったら逃げることだ。
人間が反撃できる相手ではない。
「でも、始祖虫が出たと言うことは竜種が来て、今度は根絶やしにしてくれるんですよね?」
合理的な竜種は推測では動かない。
特に始祖虫を倒せるような竜種は竜種の中でも上位の存在だけだ。
始祖虫が出たという事実があって初めて動いてくれる。
その上で金銀財宝を山程要求してくる。
それで初めて竜種が人の為に動いてくれるのだ。
「そう言う話ね。その代わりにかなりの金銀財宝を差し出すことになるらしいけどね」
南の地で最も豊かなリズウィッド領だから払えるような物で、他の領地であれば竜に救援を頼むことも出来なかっただろう。
「まあ、それで安全になるなら、仕方がないですね」
竜の鼻は始祖虫の匂いを、それが例え卵の状態であっても逃さない。
始祖虫は竜種にとって最高の御馳走なのだ。
「そうね。始祖虫は竜種が来てくれれば、それで解決。それまで出会わないことを願うしかないわね。後は闇の小鬼か……」
始祖虫よりはどうにかなる、というのがスティフィの考えだ。
闇の小鬼、数匹程度ならどうとでもなるのも事実だ。
スティフィも直に戦ったことはないが、一匹一匹の戦闘力はそれほど高くない、という話だ。
「闇の小鬼の事なら、私もアビィちゃんから色々聞いてますよ」
ミアが自信ありそうにそういった。
「ああ、でも、それ遊びの話でしょう? 互いに倒す方法と小鬼が生き残る方法を言っていくっていう」
そう言う闇の小鬼の特性を利用した思考遊戯がある。
今年の初め頃に外道種とスティフィが夜通し戦っている間、ミアはアビゲイルと夜通し、その思考遊戯をしていたらしいのだ。
「でも、アビィちゃんの話では闇の小鬼は海だけは苦手だそうですよ」
「そうなの?」
それはスティフィも聞いたことのない話だ。
だが、半島に長い間封じこめていられると言うことはそう言う事なのだろう。
「はい、闇の小鬼が海に入ると、海の精霊が怒って海底に引きずり込むそうです」
ミアは自信満々にそんなことを言った。
ついでに人間が海神の護符を持たずに海に入っても似たようなことになる。
海は精霊達の物で、基本的にはだが人間も立ち入り禁止なのだ。
人間が海に対いるには海神の許しが必要なのだ。
「だから半島から出れなかったって話なのね」
スティフィも納得しつつ、もしリグレスが包囲されたら海から逃げれば良いと判断する。
「闇の小鬼は元々、闇の精霊が外道種になったらしいんですよ。それで精霊とは凄い仲が悪そうですよ」
ミアはアビゲイルから聞いた話をスティフィに伝える。
「精霊との仲が悪いかどうかまでは知らないけど、そういう話らしいわね。元は闇を司る精霊か……」
精霊自体が不死だ。
なら、それが堕落し外道種となった闇の小鬼が不死というのも納得がいくものだ。
ただ、精霊の不死と闇の小鬼の不死とでは、そのありようがまるで違うものだが、外道は法の外にいる存在だ。
そのあたりを気にしても仕方がない。
「違いますよ。正しくは、闇を使うのが得意な精霊ですよ!」
ミアがスティフィの言葉を訂正する。
学問としてはミアの方が正しいが、どうでもいい話でもある。
少なくとも今する話ではない。
「ならミアの闇の精霊も間違った表現じゃん!」
スティフィも反論するが、ミアはニヤリと笑みをこぼす。
「簡略表現で丸々の精霊という表現はありだと習いました!」
と、揚げ足でも取るようにスティフィに勝ち誇る。
スティフィの付け焼刃の知識ではだんだんとミアを言いくるめられなくなってきている。
「ああ、もうどうでもいいわよ、それよりも先に宿探しましょうか。この調子じゃそのうちすぐに宿もなくなりそうだし」
リグレスには宿屋は山ほどあるが、それでも、こんな状況では宿が取れなくなってしまう可能性の方が大きい。
「そうですね。最悪、領主邸へ行きましょう。困ったときはいつでも来てくれて良いと手紙をもらっていますし」
ミアはそんなことを言った。
あそこならこんな状況下でも豪華な暮らしが出来そう、という下心もある。
「それ、良いわね。いや、良くないわ。領主邸ってあの壁の外に見えるお城でしょう? 外壁の外じゃん」
ただ、領主邸と呼ばれる屋敷は後から作られたもので町を囲う外壁の外に建てられた物だ。
領主が使うものなので、それなりに防衛機能はあるのだろうが、不死の軍勢相手に壁の外にある屋敷など信頼性は欠ける物がある。
「後から建てた別荘らしいですからね」
ミアもスティフィの指摘に納得し、領主邸に行くのは諦める。
言われてみれば確かに、領主邸と呼ばれる建物は町の外にあり、高い外壁の外に存在している。
別荘だからと言っても領主が使う施設としては、防衛機能には疑問点がある。
「あんな場所、一番最初に狙われるんじゃないの…… だから、ルイーズ達はリグレスに長居しなかったのか。納得だわ」
スティフィも妙な納得を得ている。
平時ならそれでも問題はないだろう。
なんだかんだで神々が支配しているのだ。
大きな戦争はないし、存在してはならない。
今は休戦中なのだから。領地は神に決められた者であり、領地もそうなのだ。人間の都合で変えて良いものではない。
なら、どうしてリグレスの町が外壁に囲まれているのか、それは外道種という存在が、すべての敵として存在しているからだ。
今まさに、このような時のために外壁は存在しているのだ。
ただ外道種と言えど、積極的に村や町を襲うようなこともない。
だから、平和ボケで外壁の外に領主の別荘を作るだなんてことをするのだが。
「じゃあ、宿屋探しますか。でも、私もあんまり路銀持ってきてないですよ? リグレスで一泊する予定は初めからなかったですし」
仮に泊まるにしてもルイーズと一緒だったのだ。
その辺は当然ルイーズ持ちになる。
その為、ミアは必要以上にお金を持ってきていない。
「安宿でいいでしょう。あっ、デミアス教の教会でも寝泊まりできるわよ」
スティフィがそう言って笑顔をミアに向ける。
こういうときでもなければ、ミアがデミアス教の教会に顔を出すことはまずない。
いい機会かもしれない、とスティフィは考える。
「安宿にしましょう」
と、ミアは即座に断言する。
「教会なら無料よ? ミア!」
その言葉に、無料という言葉に、ミアが微妙に反応する。
もうお金に困っていないミアだが、それでも無料という言葉に反応してしまう。
「改宗は絶対にしませんよ」
だが、ミアはそれを断言する。
「別に改宗しなくていいわよ。ミアの神様、その次に暗黒神を信仰してくれればいいから!」
デミアス教は欲望の宗教でもある。
大概のことは力を持てば許される。
それがデミアス教というものだ。暗黒神を崇拝しながら、他の神も崇めることすら許されるのだ。
力さえあれば、それすらも許されるのも事実だ。
ついでに、デミアス教の本拠地は神殿であるが、ダーウィックが支配する南側では教会的な様式の建物が多い。
それは偏にダーウィックの趣味が強く反映されている。
それが許されるのはデミアス教だからでダーウィックが力を持っている証拠でもある。
「私が信じているのはロロカカ様だけです!」
ミアが真剣な表情でそう言ったので、スティフィもこれ以上は誘わない。
ミアが神の名を出すときは、ある種の危険信号であることをスティフィも心得ている。
「はいはい、わかったわよ。とりあえず宿を探すわよ」
結局、宿はもうほぼ埋まっている状態で、ミア達が予算内で部屋を取れたのは西門近くの安宿だけだった。
万が一、いや、千が一、百が一……
十が一、誤字脱字があればご指摘ください。
指摘して頂ければ幸いです。
少なくとも私は大変助かります。
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