廃墟と掃除と亡霊と その12
ミアに憑いている大精霊。
それが目覚め、呪いの塊に反撃を開始する。
向けられた敵意はとても強大で、大精霊も存分に力を扱うことが出来る。
だが、大精霊はその力を抑えて反撃する。
まずは大精霊は周囲に雨を降らせた。
力を抑えている、それでも凄まじい豪雨だ。
まさに土砂降りの雨が瞬時に振り始める。
赤く染まった視界の中、雨が降る。
視界が赤く染められているせいで、血の雨に見えるが、雨自体はただの水だ。
海から風に乗って運ばれてくる大量の湿気を、すべて雨粒にでもしてしまうかの勢いで雨を降らせる。
中庭にいた呪いの塊はその雨を気にもしないが、鰐である白竜丸はその雨に喜び出す。
それだけではない、その雨が、地に落ちて来た水が、濁流となって呪いの塊に襲いかかる。
その流れに乗るようにして白竜丸も呪いの塊に噛みついていく。
「急に雨が!? それに水が不自然に動いて、これは…… ミアちゃんの精霊の仕業ですか?」
アビゲイルが館の中から、中庭の様子を伺いつつ現状を確認しようとする。
あまりにも不自然な突然の豪雨。
そして、降って来た雨がまるで意識でもあるかのようにうねりを見せ、呪いの塊をその場に押しとどめている。
白竜丸からしても戦いやすいし、これ以上、呪いの塊がミアに近づくこともない。
「わ、わかりませんけど、恐らくは……」
ミアに憑く精霊を、ミア自身も見ることはできない。
だが、こんなことができるのは大精霊くらいの物だろう。
そうでなければ、急に振ってきた雨が意識を持つように動き、呪いの塊に襲いかかるはずもない。
しかも、豪雨となり降り注いでいる水は、あの呪いの塊の動きを封じるほどの力を持っているのだから、相当強い力のはずだ。
「白竜丸ちゃんも喜んでますねぇ。こうなると呪いの塊にちょっかいは出さずに、白竜丸ちゃんの援護をしている方が良さそうですねぇ」
呪いの塊は今、自身を喰らうことが出来る白竜丸に意識を割いている。
意識を少し向けられただけで即死級の呪いが飛んでくるような相手だ。
ならば、白竜丸に呪いの塊の意識を向けさせておいた方が良い。
幸いか大精霊の意図通りなのか、呪いの塊を拘束する水流にすら、呪いの塊は気に留めていない。
これは呪いの塊がまともな思考を出来ないからなのか、呪いの塊でも大精霊が操る水圧に勝てないのか、そもそも、命のない物には関心を示さないせいなのか、それはわからないがとにかく呪いの塊は白竜丸に夢中でミア達のことも大精霊のことも今は気に留めていない。
このまま呪いの塊の意識が、こちらに向かないことが大事であるとアビゲイルも考えている。
と言うのも、この呪いの塊は対人間に特化した呪いなのだ。
人だけを呪い、人だけを恨み、人だけを呪い殺す。
そんな呪いにアビゲイルには思えて仕方がない。
今はなぜか、その呪いの塊は白竜丸に夢中だが。
もしかしたら、ミアの持っている古老樹の杖と荷物持ち君の結界のおかげなのかもしれない。
または、その呪いすら食べる白竜丸を天敵のような存在に感じ、そっちを対処するべく動いているだけなのかもしれない。
だが、白竜丸が死ねば間違いなく呪いの塊はこちらへと向かってくる。
地下の儀式場の力が失われつつある今、古老樹の杖がどれだけ光り輝こうが、それは免れない事だろう。
あの呪いの塊はそのようにできている。
生きとし生けるもの全てを呪うようにできている。
アビゲイルが白竜丸の援護をすると聞いて、ミアはまず白竜丸の治療でもするのかと思い当たる。
白竜丸も無傷ではない。
いや、すでに満身創痍と言っても良いかもしれない。
今は雨が降り、わかりにくいが白竜丸は全身から血を流している。
呪い自体は白竜丸に効果がないが、あまりにも強い呪力は物理的な影響をも行使できるようだ。
幽霊一人でも念動力を使えたのだ、呪いの塊となったそれが出来ない訳がない。
「傷でも癒せるんですか? スティフィはできてましたよ。ならスティフィも?」
ならばと、ミアは床に転がっていて意識を失っているスティフィを見る。
気を失いながらも、スティフィは悪夢でも見ているのか苦悶の表情を浮かべている。
このままスティフィを放置して良いものかどうか、ミアには判断がつかないでいる。
「スティフィちゃんは瘴気に当てられているので、そのまま気を失わせておいた方が安全ですよぉ。無理矢理おこしてまた同じような目にあったら、そっちの方がヤバイですよぉ」
スティフィの安全を考えるのであれば、その方がいい。
次、あのような呪いの塊の瘴気に当てられたら、人格が壊れかねない。
特に魔術で色々と肉体や精神を弄っているスティフィは影響が大きい。
ならば、意識を失わせて寝かせていた方がまだ安全である。
それも、荷物持ち君の結界の中にいられるならば、の話だが。
この結界の外は、今や死の領域と言っても良いのかもしれない。
「そうなんですか?」
「そうです。多少呪いに侵食されてはいますが意識がない方がまだマシですよぉ、今はそれよりも、その元凶をどうにかする方が先ですねぇ」
アビゲイルも嘘は言っていない。
それにスティフィでも、体内に色々と魔術を仕込んでいる者でも、あの呪いの塊相手ではまるで役に立たない。
いや、むしろその仕込んでいる魔術が侵食され、呪いの足掛かりにされかねない。
叫び声を聞いただけで、それらの仕込まれた魔術が狂い気を失う始末なのだから。
あの呪いの塊相手では邪魔になるだけだ。
「は、はい!」
ミアもそう返事をしつつも、スティフィを心配そうに見つめる。
「ミアちゃんも、もうふんじばりの術は使えないんですよね?」
あの凶悪な術であれば、呪いの塊にも効果はあるのだろうが、無理やりその術を解かれた以上再使用は難しいのはわかる。
わかるのだが、それでもアビゲイルからすると確認はしておきたい。
「もう先払いした魔力がなくなってます。凄い力で抵抗されて一気に持ってかれました」
ミアもこんなことは初めてだ。
白竜丸にかけた時ですら、あんな抵抗はされなかったと驚いている。
巨人であり、神の使徒であるその力を、力ずくで解かれたような化物だ。
ついでに、ミアの回答は拝借呪文で魔力を補填し効力を拡張すれば、再使用もできるという意味でもある。
だが、それでは本来の効力の半分も力を出せない。
それはふんじばりの術が、ミアが借りれる魔力の限界を、ミアの体が耐えれる魔力の限界を、軽く超えてしまっているからだ。
使徒魔術の契約の更新の儀式時なら、自分の体を通さずに直接御使いに拝借呪文で魔力を渡すことが出来るが、流石に今そんな儀式をしている暇はない。
ただ、それでもアビゲイルには既に希望が見えている。
「相手も化物ですが、こちらには大精霊と古老樹がついてますので、好き勝手させてもらいましょうか」
大精霊が反撃に出たことで、アビゲイルにもどうにかできる気がしてきている。
荷物持ち君が守り、大精霊が攻撃する。
そうすればいずれあの呪いの塊も倒すことが出来るだろう。
アビゲイルはその手伝いをすればいいだけだ。
それに、大精霊が、ミアに即死する程の呪いを一時的にとはいえ向けられて、土砂降りにするだけで終わらせるとも思えない。
まだミアに憑いている大精霊は本気を出していない。
恐らくは呪いの塊の意識をミアに向けさせないために、ミアを危険に晒さないために、白竜丸を援護する形で雨を降らせたのだろう。
それだけ、呪いの塊がミアにとって、人にとって危険と言うことだ。
「どうするんですか?」
と、アビゲイルはミアにそう聞かれるが、正直、あの呪いの塊相手にやれることは少ない。
好き勝手やる、とアビゲイルは言ったが、現状はアビゲイルの想定外の状況で何の準備もできていない。
そもそも、超巨大な魔法陣と神の領域の力を使って封じ込めていた存在を、何の準備もなしで迎え撃つのには無理がある。
魔法陣を悠長に描いていられれば、やれることはまだあるのだが、新しく魔法陣を描く隙はない。
それで、呪いの塊に気取られでもされたら厄介だし、描いた魔法陣が干渉して荷物持ち君の張っている結界に影響でも出たら、それこそ目も当てられない。
「白竜丸ちゃんの援護をします」
この状況下では、やはりそれしかやれることはない。
白竜丸に呪いの塊の意識が向けられていることは幸運なことだ。
それを活かさないわけにはいかない。
「やっぱり白竜丸の怪我を治すんですか?」
遠目でも白い白竜丸から、今は赤い光に照らされ赤く染まってはいるが、それでも至る所から白竜丸が血を流しているのは見て取れる。
呪いはめっぽう強くとも、呪いの塊から物理的干渉を受け傷ついている。
ここからでは、その傷の深さも確認することはできないが、白竜丸が凄まじい耐久力を持つ生物であることは間違いはない。
それでもミアの目には、白竜丸が力尽きるのも時間の問題に思えてしまう。
白竜丸は見るからに劣勢だ。
「いやぁ、それは近づかないと私にも無理ですねぇ。怪我の治療って、症状や状態を見た後でないといけないので」
怪我の治療は想像以上に難しい。
体の自己治癒能力を高めること自体は、それほど難しくない。
だが、それはその者の体力を使わせてしまうということでもある。
強力な毒に侵されている者に、自己治癒能力を高めたところで、死ぬのを早める事になるだけだ。
現状、白竜丸がどんな怪我を負っているかもわからないのに、その怪我の治療などできやしない。
「そうなんですね?」
と、ミアは不思議そうな顔をする。
スティフィは余りそのあたりを気にせずに魔術で治療していたようにミアには思えたからだ。
「なので、白竜丸ちゃんの牙に力を与えようと思いますぅ」
アビゲイルはそう言って笑みを浮かべる。
「牙に力を?」
「抵抗力の高い白竜丸ちゃんにどれだけ魔力を付与できるかわかりませんが、やってみますよぉ」
ないよりはまし、程度の考えでアビゲイルはどの魔術で力を与えるか考える。
いくつもの魔術がアビゲイルの脳内に浮かんでは消えていく。
複雑な魔術はダメだ。
単純で強固な作りの魔術でないと、魔術の構成自体が、呪いの塊の力により破壊されかねない。
実際、アビゲイルの使い魔であるジンは、それにより行動不能となっている。
「ジンさんでしたっけ? 蛇の使い魔。のたうち回っているけど平気なのですか?」
今も床の上でのたうちまわっている白い蛇を見て、これなら治療できるのでは、とミアがアビゲイルに声を掛ける。
この使い魔も神の呪いを元に作られた使い魔だ。
正常になれば力になってくれると、ミアはそう考えたのだろうが、アビゲイルにもこの使い魔を直している暇はない。
「いやぁ、核自体は問題なさそうですが、動作系統がやられてしまったみたいですねぇ。相手も規格外ですよぉ。やっぱり刻印で組まないと、そう言うところは脆くてダメですねぇ」
白蛇の使い魔がのたうち回っているのは、苦しいからではない。
動作系統を司っている魔術を、さっきの雄たけびで狂わされたからだ。
アビゲイルはジンを呪術と呪術の組み合わせで制御していたのだが、それらがさっきの叫び声ですべて吹き飛んでしまっている。
これを直すのは手間であり、この場でできるような作業でもない。
「え? このジンさんは刻印してないんですか?」
それを聞いたミアが驚く。
動作系統、つまり使い魔を制御する制御している魔法陣のことだ。
普通は他者に描き変えられないように、刻印と言う形で焼き付けるものなのだが、それは改造するのも手間になるし、手続きも色々とめんどくさい物となっている。
だが、それはそれだけにとても強固なもので通常は書き換えることは出来ないとされている。
それだけに、刻印を刻むのならば、正式な使い魔として魔術学院などにその刻印の写しを提出しなければならないのだ。
それは同時に、その使い魔の性能と秘密も知られるという事だ。
このジンと言う使い魔には禁呪ぎりぎりの秘術などが多く使われているので、アビゲイルはそれを知られるのを避けたかったのだが、こうもあっさり制御術式を破壊されるとはアビゲイルも考えていなかった。
「あれやると使い魔を登録しないといけないので面倒なんですよぉ。まあ、その辺は追い追いですねぇ」
この場でジンを簡単に直すことも出来ない。
少なくとも、自分の研究室に戻り数日かけてゆっくりと直してやらねばならない。
それでも、アビゲイルからすればかなり強固な呪術で縛り上げていたのだが、それすら簡単に吹き飛ばされてしまっている。
呪いの塊がどれだけの出力の呪いなのか、アビゲイルでも底が見えないほどだ。
「なら、刻印している荷物持ち君は平気なんですね?」
ミアは荷物持ち君を見て安心する。
荷物持ち君が床でのたうち回っているようになったら、大変どころか流石にまずいとミアでもわかる。
「まあ、それ以前に古老樹なので荷物持ち君には関係なさそうですけどねぇ、そもそも核に刻まれている制御術式も朽木様によるものらしいじゃないですか、心配ご無用ですよぉ」
アビゲイルの聞いた話では、荷物持ち君は朽木様と言う力ある古老樹にその刻印、本来であれば書き換えなどできないはずの物を書き換えられている。
人間では理解できないほどの制御刻印が刻まれているのだという。
アビゲイルもグランドン教授に写しの一部を見せてもらったが、まるで理解できるものではなかった。
いや、そもそも根本的に仕様が違うと言ったようなもので、人間が理解できるものではないのかもしれない。
「は、はい……」
アビゲイルに言われ、ミアもそれなりには納得するのだが、ミア的には神の呪いであるジンと言う使い魔が壊れたのだから、古老樹である荷物持ち君も心配ではあるのだ。
「さて、無駄なお話はここまです。うーん、呪い斬りの刃? それとも主の祝福を荷物持ち君に? いや、それは危険ですか。ここは呪い斬りの刃の魔術をかけますよぉ」
ここは呪いの神でもある、無月の女神の力を借りようとアビゲイルは思ったが、それをするには魔法陣をやはり描かなければならない。
既に頭の中にある陣ですぐに描けるのだが、今、アビゲイルが立っていられるのは荷物持ち君の結界内にいるからだ。
もしこの陣の中で魔法陣を描いて、この結界に影響を与えでもしたら、それこそ荷物持ち君に殺されかねないことだ。
この結界がなければ、ミアも無事ではないのだから。
ならば、効果は劣るが、他の魔術に影響の少ない使徒魔術で終わらせる方が安全という物だ。
「呪い斬り?」
「まあ、呪術の基本…… でもないですが、呪術を扱う上でとても便利な術ですよぉ、呪術の元となる呪いを切り分けやすくするために刃に付与する魔術です。これによりより噛み千切りやすくなるはずですよぉ」
アビゲイルが使う呪いを加工するための使徒魔術。
本来は短剣などにかけ、物理的に呪いを切り裂けるようにする、そんな加工用の魔術だ。
加工用の魔術ではあるが、呪い相手であればその効果はとても高い。
「おおー、呪い相手なら確かに効果ありそうですね!」
「問題は少々白竜丸ちゃんまで距離がありますが…… そこは追加で魔力を支払って効果を上乗せすれば平気でしょう」
アビゲイルは小言で何やら唱え始める。
拝借呪文だ。
アビゲイルがその呪文を唱え終えると、寒々とした嫉妬と妬みに満ちたそんな魔力がアビゲイルにねっとりとまとわりつく。
アビゲイルはその魔力を左手の薬指に着けている指輪に流し込む。
追加で魔力を支払い、使徒魔術に後付けの効果を乗せる。
これで遠くにいる白竜丸にも使徒魔術の効果を届けることが出来る。
「縁を斬れ切れ、縁を切れ。呪いも良縁もすべて切り去り、新たな布地を我が前に」
そして、アビゲイルが使徒魔術発動の為の呪文を唱えたる。
そうすると白竜丸の口から、牙から、青白い炎が噴き出して来る。
それを遠くからでも確認できる。
赤い視界内となっているので、青白い炎が映えて良く見える。
「これで白竜丸ちゃんは呪いを噛み千切りやすくなったはずですぅ」
つまりより一層、呪いの塊は白竜丸を意識することになる。
こちらの安全も確保しつつ、白竜丸の攻撃も強化されるという事だ。
「わ、私ももう一度、この杖で攻撃したほうがいいですか?」
ミアがそう言って白く光り輝く杖を掲げる。
その輝きもこの辺りを照らしているだけで、その外は赤く染まった呪いの世界が広がっている。
「この杖がどういう効果なのかわからないですからねぇ…… とりあえずその光は呪いや何やらを防いでくれそうですが……」
アビゲイルは当然の如く嘘を付く。
その光はミアを守るための物であり、呪いを追い払う力、打ち払う力を持っている。
だが、それを使うという事は呪いの塊の意識をミアに向けさせるという事だ。
それは現状では、あまりにも危険すぎる話だ。
ミアが死んだら、恐らく荷物持ち君も大精霊もこの場から去ってしまう。
もしかしたら、ミアの敵を取ってから去るかの知れないが、少なくともアビゲイルのことはもう守ってはくれないだろう。
やはり、アビゲイルが生き残るにはミアの存在が不可欠なのだ。
そのミアを危険に晒すことはアビゲイルとしても避けたい。
「なら、これでスティフィを照らしておきましょう!」
そう言って倒れ込んでいるスティフィの顔に、ミアは古老樹の杖を押し付けた。
押し付けられたスティフィは更なる苦悶の表情を浮かべている。
「え? あー…… まあ、効果はあるかもしれませんけども?」
アビゲイルはそう言いつつも、何らかの副作用の方が多そうだと思う。
が、それは口に出さない。
呪いの塊がミアに意識を向けないのであれば、それでいいからだ。
「ついでにニンニク棒もスティフィに持たせておきましょう……」
ミアはそう言って、スティフィの首に括られたニンニクを巻きだす。
「え? ああ、うん、起きたとき臭くて怒らないといいですねぇ……」
「臭いよりスティフィの安全の方が最優先ですよぉ」
ミアは本気でスティフィを助けたくてやっていることだ。
アビゲイルからすれば、ミアも瘴気に当てられて気でもおかしくなったのではないかと一瞬疑うほどだが。
「そんなことよりも見てください、ミアちゃん! 白竜丸ちゃんが水と呪い斬りの刃の歯を得て大暴れしてますよ!」
鰐の歯は切り裂くというよりは、どちらかと言うと噛んだ獲物を逃さないための杭のような役割の物だが、相手は呪いの塊だ。
悠長に噛み続けていたら反撃をされることは必至だ。
だから、白竜丸は自らの血で血だらけになるほどの怪我を負っている。
それは相手は痛みも何も感じない呪いの塊だからだ。
噛みつきて痛みを与えたところで、呪いの塊の行動を阻害できるわけではない。
だから、アビゲイルは牙に呪いを斬る効果を付与させることで、白竜丸が呪いの塊を噛み切りやすくさせたのだ。
それにより噛み続けることは難しくなったが、呪いを引き裂きやすくなり、さらに精霊が起こした水のうねりに乗ることで、呪いの塊からの攻撃を受けにくくなっている。
アビゲイルからすれば、白竜丸が呪いの塊を倒せなくても、ディアナがここへ来るまでの時間稼ぎができればいいだけのことだ。
「確かに先ほどより動きが良いですね! 鰐はやっぱり水辺の方が良さそうですね! 下水道に住んでましたし!」
ただ、白竜丸も既に相当な深手を負った後だ。
いつまで白竜丸が持つか誰も判断がつかない。
「けど、相手も本当に化物ですねぇ、どれだけ呪いをため込んでいるのか見当もつかないですよ」
いくら白竜丸が呪いを引き裂いても、引き裂いた箇所から新しい肉が湧き出てきているように見る。
その様子はまるできりがないように思える。
「結構噛み千切られてますが、すぐに新しい部位が生えて来てますよね?」
ミアの眼にもそのように見えている。
ミアも呪いの塊をまともに見ることができないので、その全貌は未だに不明だが、呪いの塊からは腕のような塊が触手のように何本も生えているのは確認できている。
それを白竜丸が食い千切って食べているのだが、食い千切った端から新しい物があふれ出る様に生えて来るのだ。
その光景は、まるで終わりがない地獄のように思えて来る。
「それだけ呪いをため込んでいるんですよぉ、ミアちゃんの目に見えているうちはその力も弱まってないってことですよぉ」
本来は呪いの塊なので物理的な肉体を持っている訳ではない。
あまりにも呪いの力が強すぎて、呪力で肉体が物理的に具現化しているのだ。
辺りが赤く染まって見えているのもそのせいだ。
呪い塊の負の感情が赤い光となり具現化している。
それだけでも十分に規格外なのに、まるで呪力がいくらでも溢れて来るように、その肉体を傷つけてもすぐに再生されてしまっている。
あまりにも規格外すぎる。
「なるほど……」
確かにミアも、あの呪いの塊には恐ろしさを感じるほどの、なんらかの力を、畏怖を感じている。
それは規模がどれくらいなのかもわからないほど、強大で濃く、強力な呪いの力をだ。
「やはり、このままディアナちゃんが来てくれるのを待っていた方が良さそうですねぇ」
アビゲイルとしては、このまま白竜丸をちょいちょい援護して白竜丸に耐えてもらい、ディアナが来てくれるのを待つしかない。
神の御使いの力でも借りなければ、この呪いをどうこうできるとも思えない。
もし、人間の力でどうこうするのであれば、儀式場へ向かう前に先に宝物庫へと向かい、呪いの塊が封じられた状態でどうにかしなければならなかった。
要は、アビゲイルは根本的な選択を間違えたのだ。
初めに宝物庫へ向かい、この呪いの塊をどうにかしなければならなかったのだ。
マリユもそのつもりだったのだろう。
そして、マリユと言う魔女は選択肢を間違えた弟子を助けるようなことはしない。
ただ、この状況を、解き放たれた呪いの塊をどうにかできるのであれば、マリユも考えを改めてはくれるだろう。
言うならば、今は試練の追試のような物だ。
「そうなんですか?」
「防御は荷物持ち君が担当していてとりあえずは完璧、こちらを狙えば精霊の反撃に合う。時間は十分にありますぅ、生き残れる希望が見えてきましたよぉ」
それでも、ミアのおかげでどうにか希望は見えて来た。
「マーカスさんやジュリーのこともあります! 手早くどうにかしましょう!」
けれど、ミアはアビゲイルに更なる受難を授ける。
今は他人を心配している時ではなく、アビゲイルもぎりぎりなのだ。
稀代の魔術師であるアビゲイルですら、生と死の瀬戸際であると理解しているのに、ミアは他人の為に更に力を貸せと言っている。
「でも、それはどうやってです? あれは、あの呪いの塊は人間では手に負えるものではないですよぉ? この荷物持ち君が張ってくれている結界のおかげでどうにか無事なだけで、本来ならこの場に私たちが立っていられるのも無理な相手なんですよぉ?」
アビゲイルはミアに現実を突きつける。
ミアが平気で今も立っていられるのはミアの手に持つ古老樹の杖と荷物持ち君の結界のおかげでしかない。
確かに、ミアからすれば大事な友達なのだろうが、アビゲイルにとって大事なのはマリユくらいの物で、後はミアも含め利用するための道具でしかない。
そんなアビゲイルが他人の為に命を懸けるわけもない。
アビゲイルも余裕があるならば、多少の助力はするが、今はアビゲイルにはその余裕がない。
「こ、古老樹の杖をもう一度使います!」
そんなアビゲイルにミアは、自信満々に古老樹の杖を掲げてみせる。
確かに、この古老樹の杖であれば、あの呪いの塊にも有効打を与え、倒し切ることも出来るかもしれない。
だが、それは同時に、あの呪いの塊の敵意をこちらに向けさせるという事だ。
その叫び声を聞いただけで、即死するような相手のだ。
「まあ、スティフィちゃんを照らし続けるよりはいいでしょうが……」
それは呪いの塊の意識をこちらに向けさせることになる。
その言葉をアビゲイルは飲み込んだ。
それを伝えたら、ミアは喜んでそれを実行しそうだと思えてしまったからだ。
恐らく、ミアに憑いている大精霊もそのことが分かっているから、今は雨を降らせるだけに留めているのだ。
それほどまでに、古老樹が結界を張っているにも拘らず、あの呪いの塊はそれほどまでに人間にとって危険な存在なのだ。
だが、ミアは予想外の行動をし始める。
「ニンニクの杖も使いますよ!」
ミアはニンニクの杖を持ち自信ありそうな顔を見せる。
ミアがニンニクの杖を持ったことで、それを首に巻かれたスティフィの首が吊り上げられ、気を失いながらも苦しそうに呻き始める。
「それは…… 無事帰れた時のための、朝ごはんにでもしてもらった方がいいんじゃないんですか?」
アビゲイルも訳も分からずに、とりあえずそう言ってみる。
この状況下でニンニクが役に立つとも考えられない。
「ニンニクは魔を払う力があります!」
けれども、ミアは確信があるようかに、自信満々にその言葉を口にする。
「そう言われてはいますが…… 民間伝承で確証はないですよぉ?」
恐らくはただの与太話で、幽霊にも呪いにもニンニクはなんらかの効果期待できるものではない。
いや、確かに多少なら呪いを浄化する力をニンニクは持ってはいる。
多少は、だ。
それは呪いの塊に対してはなにか効果を期待できるほどの物ではない。
「そのニンニクを古老樹の杖で強化します! さっきアビィちゃんが白竜丸にやったことを真似るんです!」
ミアはそんな訳の分からないことを言いだした。
「え? えぇ……?」
確かに古老樹は植物の王だ。
その枝である杖でも、他の植物に力を与えることはできるかもしれない。
だが、ニンンクに力を与えたからと言ってどうなるというのだ。
アビゲイルには理解できない。
「で、できますよね! 古老樹の杖! 朽木様!」
ミアがそう言うと、古老樹の杖が少し困ったように震える。
そして、少しの間を置いてから、杖に刻まれている文字がもう一つ、今度は緑色に輝きだす。
まるでミアからの与えられた無理難題を解決するように強く緑色に輝く。
「え? マジデすか、そんなことできるんですかぁ!?」
アビゲイルの理解を超えて、その杖は緑色に光り輝く。
強い緑色の光に照らされて、棒に括りつけられたいくつかのニンニクから、緑の芽が生えだし、急激に成長していく。
いや、成長ではない、巨大化と言っても良いかもしれない。
それは通常のニンニクを超えて大きく際限なく成長し、どんどん巨大化ていく。
そして、それは動き出す。
まるで自我を持ったかのように、大きく育ち、力強く根で大地を歩き、動き出したのだ。
巨大化したニンニクたちが意識もあるように根をうねらせ、動き、呪いの塊へと向かっていく。
ついでにニンニクが大きくなる前にミアにより首に巻かれていたスティフィはもみくちゃにされ床に転がっているが、無事は無事だ。
館の壁を容易く破壊し、巨大ニンニクたちは呪いの塊へと襲いかかる。
「な…… なんですかこれは…… 信じられないですよぉ!」
アビゲイルは呆けたように、笑いながらその信じられない光景を目にする。
万が一、いや、千が一、百が一……
十が一、誤字脱字があればご指摘ください。
指摘して頂ければ幸いです。
少なくとも私は大変助かります。
もし気に入ったらで良いので、いいね、ブックマーク、感想等ください!
誤字脱字をご報告してくださっている方、いつも本当にありがとうございます。
ちょっと着地地点を見誤った結果、ニンニクが巨大化しました。
どうにかしてください。




