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学院の魔女の日常的非日常  作者: 只野誠
廃墟と掃除と亡霊と

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廃墟と掃除と亡霊と その11

「よし、出来ました。冥府へ行かれる幽霊…… いや、死者の人達はこの魔方陣の中へと集まってください」

 死者を、幽霊を冥府へ送るための陣を描き終えたマーカスは自信に満ちた顔で頷いて、大きく言葉を発した。

 陣自体に自信があるわけではないが、それでもこの状況下でよく描けたとマーカスは思っている。

 アビゲイルはそんな陣を見て、微妙な顔をする。

 ただ今はこれからどうなるかわからない。

 多少陣の出来が悪くても直している暇はない。

 それにアビゲイルからしても妥協出来る出来ではある。

 アビゲイルが迷っているうちに、大人しく待っていた幽霊達も、もう魔法陣の中央へと集まってきているので今更だ。

「魔力はどうしますか?」

 と、アビゲイルはしかたなくマーカスに聞く。

 もう無月の女神の領域ではないが、それでも無月の女神の領域が完全に消えたわけではない。

 問題はないはずだが、神自身が関わり合いになることを避けるかもしれない。

 今も神々は休戦中であり、神同士で揉めることも厳禁なはずなのだから。

 他の神の領域にわざわざ踏み入る神はいない。

「もう拝借呪文を唱えて良いんですよね? なら、冥府の神からお借りします。その方がこの魔方陣とは相性がいいでしょうし」

 マーカスはアビゲイルを見ながら、確認をする。

 確認されたアビゲイルは、なぜかマーカスの問いに明確な回答をしない。

 もう問題ないとはいえ、無月の女神の領域が完全に消えたわけではないからだ。

 相手は代表的な祟り神と言われる無月の女神なのだ。

 何が起こるか、アビゲイルにも予測できない。

「そうですか。わかりました。でも、死後の世界の神様から力を借りるのは、あまり乱用してはいけませんよぉ」

 その代わりに、アビゲイルはマーカスにそう忠告をしておく。

「わかっています。こういうときだけですよ。普段は太陽神から借りてますからね」

 元、いや、一応は今も太陽の戦士団という光の神の教団の信奉者のはずであるマーカスはそう言った。

 死後の世界の神から魔力を借りるという事は、死後の世界そのものに触れるような行為だ。

 生きている人間にとって、それが良い影響になる訳がない。

「あら? オーケンさんの弟子なのにですか?」

 アビゲイルはマーカスの返事に少し驚いた顔を見せる。

 オーケンはデミアス教の大司祭であり、太陽の戦士団とは休戦中ではあるが、仇敵であることには間違いはない。

「はい、師匠は…… それに対して特に何も言いませんね」

 と、マーカスも少し不思議そうにそんなことを言う。

「まあ、あの方は神霊術自体を嫌っている節がありますからねぇ…… と、また揺れました。地上では激戦が繰り広げられていますねぇ」

 地下室全体が度々揺れるようになっている。

 恐らくは地上で荷物持ち君と宝物庫の呪物をすべて飲み込んで一つになった呪いの塊のような存在と争っているのだろう。

 古老樹である荷物持ち君と対等に戦えている時点で、人間に手に負える存在ではないのは明らかだと、アビゲイルは尻込みをする。

「荷物持ち君、大丈夫でしょうか?」

 ミアも定期的に感じる揺れに心配そうにそんなことを言った。

 それに対して、アビゲイルは普段通り、作り笑みを浮かべて、

「流石に古老樹が負けるようなことはありませんよぉ」

 と、ミアを安心させようとする。

「荷物持ち君は古老樹と言えど、まだ子供ですよ?」

 だが、ミアはそう言って心配そうな表情を浮かべる。

 さっきの言葉をスティフィが言ったらミアも素直に信じていただろうが、それがアビゲイルだったので、ミアはあまり信用していないようだ。

「それでも古老樹は古老樹ですよぉ。しかも、あの朽木様の子というじゃないですかぁ、心配無用ですよぉ。とはいえ、我々もさっさと姉妹弟子達を送って加勢しに行きましょう」

 そんなミアを見て、アビゲイルも自分がミアからあんまり信用されていないことを悟る。

 そのことにアビゲイルは苦笑する。

 ミアにとってその人の能力や才能は、あまり信用とは関係がないらしい。

「はい」

 と、ミアが力強く返事をする。

 その様子を見たマーカスが誰にも聞こえないように小声で拝借呪文を唱え始める。

 それを盗み聞きしようとする者はいない。

 アビゲイルでさえ、それを意識的に聞こうとしない。

 マーカスが力を借りようとしているのが、死後の世界、冥府を司る神、デスカトロカだからだ。

 マーカスが口にしているのはその神の拝借呪文だ。

 死後の神と縁を持つなど、人間にとって自身の寿命を削るような行為だ。

 好き好んでその力を借りようとする者はいないし、その神と縁を繋ぎたい者もいない。

 また死後の世界を司る神達は普段神の座と呼ばれる神がいるとされる場所にいない。

 普段から地獄や冥府、冥界と言った場所にいるとされている。

 なので、本来であれば神の座にいない神から力を借りることはできないのだ。

 ただし、例外として神の座に御使いを置くことで、その時だけ、神の座にその御使いがいるときだけ、その御使いを経由地点とし、拝借呪文にてその御力を借りることができる。

 マーカスが拝借呪文を唱え終わると、死の気配に満ちた魔力がマーカスを包む。

 死そのものを思わせる、寒気のする嫌な気配の魔力だ。

 マーカスはその魔力を操り自分が描いた冥府の神の魔方陣へと流し込み、魔力を回転させる。

 そうすると、魔法陣の中にいる幽霊達、その中心に黒い球体が現れる。

 マーカスはまだ神に願いを伝えていないにも関わらず、その黒い球体はその場にいる幽霊達だけを即座に飲み込んで消えていった。

 マーカスが借りていた魔力もすべて跡形もなくなっている。

「まだ何も伝えていなかったんですが……」

 マーカスが茫然としたようにそう言った。

 これは神を招来するだけの魔法陣だ。

 神を呼び出し、願いを伝えて初めて、その願いを叶えてもらうことで効力を発揮する魔法陣だ。

 なのに、マーカスはその願いすらまだ伝えてもいないのに、その願いが叶えられた。

 マーカスも呆然とするわけだ。

「まだ主の領域が完全には消えていないので、気を使ってくれたのかもしれませんねぇ。義理堅い神様なんですか?」

 と、アビゲイルはマーカスに言葉をかける。

 無月の女神と揉めることを嫌い、また、それによりマーカスに何か火の粉が降りかかることも望んでいないのかもしれない、冥府の神は。

 なので、手早く用件だけを終わらせて去って行ったのだ。

 今の対応をアビゲイルが見る限り、この地方の冥府を司る神は、無差別に人を冥府へ連れて行くような神ではなさそうだ。

 それに、仕事は確かで魔法陣の中にいた幽霊達すべてが綺麗にいなくなっている。

 そのことがわかるのは、幽霊を今も見ることが出来るアビゲイルとスティフィだけだが。

「そうですね。約束を守っていれば、とても良き神であると思いますよ」

 と、マーカスも、にこやかにそんなことを言った。

「さて、幽霊達は…… ああ、普通のほうの幽霊達はこれで全部片付いたんでしょう?」

 とスティフィは周りを見渡し、視界内に幽霊がいないことを確認してそう言った。

「はぁい、後は荷物持ち君任せですねぇ」

 アビゲイルもにこやかに、もう大仕事は終わったとばかりに、そんなことを言った。

 後は古老樹に任せて、高みの見物をしていればいい、と。

「荷物持ち君の加勢に行くんじゃないんですか?」

 ミアが不信そうにアビゲイルにそう聞くと、アビゲイルは嫌々行動しだす。

「行っても足手まといなだけかもしれませんが、一応、行きますかぁ? このまま地下で待っていて生き埋めも嫌ですし」

 揺れが思っている以上に酷い。

 この地下もどれだけ老朽化しているかもわからない。

 地下室自体が崩れ落ちることもある。

 このまま地下の儀式場に残っているのも危険かもしれない。

 それに、アビゲイルの予想なら、古老樹である荷物持ち君であれば、すぐにでも片付けてくれると思っていた。

 のだが、そうでもないようだ。

 未だに地上では激しい戦いが続いているように、定期的に地下室の儀式場が揺れる。

 もしかしたら、アビゲイルが想像していた以上に、宝物庫に閉じ込められている幽霊は恐ろしい呪物へと昇華、いや、なり果ててしまったのかもしれない。

「というか、古老樹とまともにやり合えるとか、どんな化け物よ……」

 と、スティフィも驚いたようにそんな言葉を口にする。

 ただスティフィはその存在の気配を感じれていない。

 どうも、この儀式場にはある種の結界のような物が未だに張られていて外の様子がスティフィには感じられない。

 なので、その宝物庫にいた幽霊がどれほどの物なのか、まだ実感できていない。

「正真正銘、人間には手に負えませんよぉ……」

 その力の一端を感じ取れてしまったアビゲイルはそう言って体を震わせた。

 あれは人間ではもうどうにもできない。

 下手な神の呪いなどより、強力で厄介で、混沌とした呪いとなっている。

 少なくとも長い間、人によって受け継がれてきた神の呪いであるオージンなどよりは格段に凶悪な呪いであることは間違いはない。

「あんたには見えたの?」

「私の眼には透視能力はないですよぉ。その気配を感じただけですよぉ」

 なので、アビゲイルにもそれがどんな姿をしているかまではわからない。

 それでも、その気配だけで尋常ならざる呪い、呪物の、いや、呪いそのものの塊であることだけは理解できている。

「私は感じれなかったけど?」

 アビゲイルがそこまで言うほどの存在なら、スティフィは自分にも感じ取れていてもおかしくはないはずだ、と、首をかしげる。

「まだ主の領域は多少なりとも残っているので、この魔方陣の中はある意味、安全でもあるんですよぉ。まあ、それも時間の問題ですが」

 まだ無月の女神の領域の力が残っている。

 だから、儀式場全体に描かれた超大型の魔法陣も多少力が残っていてその効力を多少なりとも発している。

 ただそれも時間の問題で、すぐに残っている領域の力を使い切り、魔法陣としての力を失う。

 これほど大きな魔法陣であれば、多少の魔力が流れ込んでも起動することはない。

 巨大魔法陣の無力化はまた後で良いし、流石に今この魔法陣をどうこうしている暇はない。

 そもそも、巨大すぎてアビゲイルも把握できているわけではないので、下手に魔方陣を弄るのも危険だ。

「それで…… ミアはなんか感じてた?」

 スティフィはアビゲイルの説明でとりあえず納得し、ミアに何か感じないかと聞く。

 ミアも魔力感知の才能はかなり高いはずだ。

 何か気が付いていても不思議ではない。

「いえ、なにも。それ以前に私には幽霊は見えませんし」

 と、ミアはニンニク棒と未だに光り輝いている古老樹の杖を振り回しながら答えた。

 ここにいた幽霊が処理されても、古老樹の杖が光り輝いているところを見ると、やはり古老樹の杖はここの幽霊の悪意に反応していたわけではなく、初めから宝物庫にいた呪物となった幽霊に反応していたのだと、アビゲイルも再確認する。

「あー、もしかしたら、三人の? いや、多分一つになっているあの幽霊、いや、怨霊なら見えるんじゃないんですかねぇ。力の強い霊は常人にも見えると聞きますし」

 ミアの言葉に、アビゲイルはそんなことを言いだした。

 ミアを巻き込めば、色々ついて来るので援軍が期待できるという物だ。

 荷物持ち君でも対処できないのであれば、その身に御使いが宿るディアナに頼るしかない。

 それに力の強い幽霊が見えるという話も嘘ではない。

 アビゲイルも実際に確認していないだけで、アビゲイルが王都で読んでいた書物にはそう書かれていたことも事実だ。

「なら、急ぎましょう! 課題も大事です!」

 ミアはまだそんなことを言っている。

 ただ、アビゲイルもその言葉には賛成だ。

 これは自分に課せられた課題でもある、アビゲイルが無月の女神の巫女になるための課題だ。

 であるならば、結局のところ、無謀とわかっていてもアビゲイルも少しは参加しない訳にはいかない。

「あまり気が進みませんが、上に向かいましょうかぁ…… あー、マーちゃんにジュリーちゃん任せてもよろしいですかぁ?」

「はい、えっと地上に行くんですよね? 外の天幕はその霊にも有効なんですか?」

 地上にはマーカスが立てた天幕があり、そこにはアビゲイルが内側にまじないをして行ったはずだ。

 それの効果があるのであれば、そこに一時的に避難しようとマーカスは考えている。

「んー、気休め程度にはですねぇ、力が違いすぎます。まあ、ないよりはましなので二人でそこへ隠れていてください。流石にアレも古老樹には勝てないでしょうし」

 アビゲイルもあの呪物相手に、マーカスやジュリーが何か役に立てるとは考えていない。

 もはやあれは幽霊、死者と言ってよい存在でもない。

 様々な呪物を飲み込み一つとなった超強力な呪いその物のような存在だ。

 冥府の神の聖水でさえ、あれの前ではたいした効果は持たないだろう。

 既に死者としての特性が残っているのかもあやしい。

「わかりました」

 と、マーカスも頷く。

 アビゲイルが期待できるのは荷物持ち君、それとミアの持つ古老樹の杖、それとこの場にいないカリナとディアナくらいの物だ。

 それ以外の存在や人物、例え学院の教授の職にあるものや、オーケンであろうとも、呪いの塊となったあれ相手では力不足としかアビゲイルには言えない。

 スティフィの持つ妖刀も多少期待できるが、妖刀なだけに逆に相手に取り込まれかねない。

 それに血水黒蛇の特性上、切り裂いた相手を吸収してしまう特性がある。

 あの呪いを吸収して、荷物持ち君の根が巻き付いているとはいえ、その呪いを全て処理できるとは限らない。

 恐らくはだが、スティフィがアレに斬りかかれば、間違いなく乱心してしまうだろう、とアビゲイルは考えている。

 なので攻撃手段としてスティフィに期待するのは意味がない。

 それでもミアの肉盾くらいにはなってくれるとだろうと、アビゲイルは思っているし、スティフィはその使命を負っているデミアス教徒なのだ。

 そうして、今あるものを利用して、どうにか荷物持ち君を勝ちに導けばそれでいい。

 アビゲイルはそうでもしないと、あれには勝てないとそう判断している。

「では、地上へと向かいましょう」

 アビゲイルは作り笑顔でそう言った。




 地上に出た面々はまるで予想外の光景を目にしていた。

 まず、外に出た瞬間、全員が恐怖した。

 その呪いの恐ろしいほどの怨念を肌身に感じずにはいられない。

 ミアですら身を震わせるほどだ。

 そして、なぜか辺りが赤い。

 もう深夜なのに、辺りが黒ではなく、闇でもなく、赤く暗い色に染まっていた。

 それが発する異様なほど強い気配が、視覚となって、赤い光として具現化しているのだ。

 どれほど濃い呪いとなっているのか、この場にいるだけで正気を失ってしまうほどの怨念が、呪いが、この場に存在し暴れている。

 赤い呪いの塊。

 肉塊のような塊に様々な呪物が取り込まれたソレはアビゲイルが言うように確かに人間にどうこうできるものではない。

 また肉体があるわけではない。

 だが、濃すぎる呪いが肉体を形成し物理的干渉すらする力を持っている。

 実際に赤い光を発しているわけでもない。

 なのに、それは闇の中で肉塊のように見え、どす黒くも赤く見えるのだ。

 それらが誰の目に見もだ。

 本来見えないはずの幽霊を目にした全員が、それの存在に凍り付く。

 それが発する怨念と呪いの強さに、その場の全員が慄く。

 そんなミアの前に、荷物持ち君がミアを守るように立ちはだかった。

 そう、荷物持ち君はこの場にいる。

 まだそれと戦ってはいない。

 では何が戦っていたのか。

 地下の儀式場にまで響き渡る様な、そんな振動を何が発していたのか。

 それは、その呪いと争っているのは白竜丸だった。


 その呪いの塊と鰐である白竜丸が館の中庭で所狭し暴れまわり、そんな人外的なまでに強力な呪いと争っていたのだ。

「え? 白竜丸? なんで中庭にまで?」

 マーカスが声を上げそんな疑問を口にする。

 白竜丸が入ってきた経路は正面玄関からだ。

 白竜丸の通った後に道が出来ている。

 正面玄関をぶち破り、そのまま直進し、館の壁を破壊して中庭に侵入してきている道が。

 そして、その場に居た呪いの塊に襲いかかったのだろう。

「鰐の呪術への耐性って…… 完全に近いとは聞いていたけど、ここまでだったんですねぇ」

 アビゲイルが驚愕しながら呪いの塊と争っている白竜丸を見てそう言った。

 白竜丸は赤い肉塊に噛みつき、そして、身を捻り噛み千切り喰らっている。

 呪いの塊はそれに抵抗するように肉塊となった腕を振るい白竜丸に叩きつける。

 白竜丸はそれにまともに当たり吹き飛ばされるが、唸り、口を大きく開き再びその肉を食い千切ろうと襲いかかる。

 そんな戦いが、化物同士の激しい戦いが、中庭で繰り広げられている。

「怪獣大戦争ですか、これは?」

 その光景を見たミアがそんな言葉を発する。

「ミアが荷物持ち君にどうにかしてと言った言葉を白竜丸も聞いたのかもしれません」

 マーカスが思い付きでそんなことを言う。

 そうでなければ、竜王の卵の命令により、白竜丸は館の前で大人しく待機していたはずなのだ。

「え? 私のせいですか? なら、白竜丸に加勢しましょう! 白竜丸も傷ついてますよ!」

 そう言ってミアはやる気になる。

 それを見たスティフィが舌打ちする。

 スティフィ的にはミアを連れて逃げ出したいとすら考えている。

 荷物持ち君がミアの前に立っているのであれば、この辺りは安全なはずだ。

 なので、このまま荷物持ち君とミアと共にこの場を去りたがったのだが、ミアは白竜丸を助ける気でいる。

 けども、どう助けてていいかスティフィが困惑すほどの呪いの塊が相手なのだ。

 あれは既に手の出しようがない。

 下手に近づけば、恐らくそれだけで命を落とすような存在だ。

「けど、呪いの濃度が濃すぎる…… 人間じゃアレに近づけもしないわよ、なによ、あの化け物!」

 アレとしか言い表せない呪いの塊はアビゲイルが言っていた通りで、普通の人間ではそれを目にしただけで正気を保てなくなるような存在だ。

 もし、ジュリーの目が今も見れる状態だったら、ジュリーの正気は吹き飛んでいたかもしれない。

 改造され強化された目を持つスティフィでさえ、まともにその姿を見られない。

 それほどの呪いの塊がその場に存在している。

「ですよねぇ、私でもあそこまで呪いの濃度が濃いと無理です。アレに近づいただけで普通に死にますねぇ」

 アビゲイルもそれをまともに見ようとせず、視線を伏せがちにしながらそう言った。

 呪いという概念を、そのまま形にしたような存在が、すぐそこに存在しているのだ。

「その蛇は? 呪いとか食べられるんでしょう?」

 スティフィがアビゲイルにむかいそんなことを言う。

 アビゲイルの使い魔である蛇の大元は神の呪いだ。

 対抗できるかもしれない、とスティフィは考えたのだが、

「流石に無理ですよ、ジン君が神器一個分に対して、あれは百個以上の神器が一つになったようなもんですよ、呪いとしての規模が違いすぎますよぉ」

 しかも、様々な呪詛が混ざり合い混沌となり百年もの間、練り上げられて来たのだ。

 それは人間の幽霊どころか、魂ですらなく、本当に呪いその物が具現化した存在なのだ。

 元は確かに三人の人間の魂、その幽霊だったかもしれないが、幽霊となりその上で凶悪な拷問により三人の幽霊、その魂は、マリユの手により交じり合い一つの強力な呪詛となった。

 後は宝物庫にあった数々の神器ともいえる呪物を次々に飲み込んで混ざり合っていった混沌とした呪いだ。

 もはや人の意志などそこには存在しない。

 混沌とした呪いの海、そのような存在なのだ。

「神の呪いより凄いんですか?」

 ミアが驚いたようにアビゲイルに聞く。

 ミアは基本的に神を絶対的な物として崇めている。

 当然、神の呪いであるジンの方が強力な呪いだと思っていたのだが、アビゲイルの言いぶりではどうも違うようだ。

 ただ、呪いの塊とも言えるあれがここまで強力な力を持っているのも、神々が人に与えた数々の呪物があってこその話だ。

「こんなの見たことがありませんよ! なんでカリナさんが来てくれないんですかぁ!」

 アビゲイルもミアの問いには答えずに、援軍を期待するかのようにそう言った。

 これほど強力な呪いであれば、カリナが動いてもおかしくはないはずだ。

 カリナなら確かにあの呪いの塊でも、簡単にどうにかしてしまうだろう。

「あんたの師匠が止めてるんじゃないの? あんたの試練とかどうとか理由をつけて!」

 それに対してスティフィが思っていることを口にする。

「あー、それはありますねぇ……」

 そして、アビゲイルもそれはありそうだと考えてしまう。

 にしてもだ。

 流石に目の前の存在はアビゲイルと言えど、どうこうできる存在には思えない。

 アビゲイルの師匠であるマリユはなんでこんな存在を、自分にまかせたのか、アビゲイルですら疑問に思う。

 それほど、この呪いの塊は人智を超えている。

「なら、あんたがどうにかしなさいよ! 白竜丸も善戦してるけど、いつまで持つかわからないわよ、今のうちにどうにかしないと」

 スティフィの感覚では呪いの塊が意識を向けるだけでも不味い。

 そんな感覚だ。

 今は呪いの塊の意識は白竜丸へと向けられているが、白竜丸が倒されたら今度こそ、呪いの塊の意識はこちらへと向く。

 それだけで、こちら側の何人かは発狂して終わりだろう。

 人がまともに耐えれるものではない。

 戦いにもなりやしない。

「そ、そうですね、それにこれ以上、館を壊さえても困ります、立て直すお金はありませんし!」

 と、そんな理由付けをして、アビゲイルは無理やりやる気を出す。

 そうでもしないと、呪いの塊に立ち向かう気にもなれない。

「そんなこと気にしている場合なの?」

 スティフィがそんなことを突っ込むが、アビゲイルはもちろんそれを無視する。

 無視したところで、どうしたらよいかもアビゲイルもわからないでいる。

「と、とりあえず俺はジュリーと退避してます。これは天幕じゃなくて学院まで逃げ他方が良さそうですね。一応持っている聖水は全部ここに置いていきますので」

 マーカスはそう言って、眼を開けないジュリーの手を取る。

「あー、聖水もあれには気休め程度ですので持って行ってください」

 アビゲイルは聖水を置いていこうとするマーカスを止める。

 既にあれは死者と言う範疇ですらない。

 冥府の神の聖水もどれだけ効果があるかもわからない。

「でも、多少は呪いを払えるかも?」

 と、マーカスが言うが、

「あれの呪いを少しでも喰らったら即死ですよ。近づいただけでも死にます。その聖水でも役に立ちませんので」

 アビゲイルはそう真実を言って、マーカスに聖水を持たせる。

 マーカスとジュリーの生存率を、少しでもアビゲイルは自分の為にあげたい、と言う思惑もある。

「そこまでなんですか?」

 マーカスでは呪いの塊がどれほどの呪いなのか、それすらも推し量れないでいる。

 呪術の才能があると、マーカスも言われてはいるが、その方向性がまた違うし、そもそも目の前にいる呪いの塊は規格外すぎて訳が分からない。

「はい、できれば、ディアナちゃんを連れて来てください。流石に起きていると思うし、こっちに向かってくれていると思うのですが……」

 これほどの呪物だ。

 御使いが気づかない訳がない。

 また、カリナとは違い、御使いを説得する手段はマリユにもないだろう。

 ならば、ミアを守るために、こちらへと向かっていてもおかしくはない。

 できれば、マーカスに速やかにディアナを連れてきてほしい、とアビゲイルは思っている。

 そのために、冥府の神の聖水をマーカスに持たせたままにしたのだ。

「わ、わかりました!」

 マーカスも頷き、そして、この場を離れる様にジュリーを連れて離れだす。

 マーカスとジュリーは一端、裏口の出口へと向かい走っていく。

 正面玄関に向かわずに裏口の方へと向かったのは、呪いの塊を迂回するためだ。

「荷物持ち君は戦わないんですか?」

 と、ミアは荷物持ち君に話しかけるが、荷物持ち君は呪いの塊の方を警戒し、ミアの言葉にすら、今は反応しない。

 それだけ予断を許さない相手という事だ。

「ミアの前に立っているという事は、そういう事よ。ミアの守りに専念するつもりなんでしょうね。ミアの元を離れたらミアが死にかねないから」

 と、代わりにスティフィがミアに説明してやる。

 実際、呪いの塊はそれほどまでに濃い呪いなのだ。

 恐らく即死級の呪物が複数個飲み込まれていて一つに交じり合っている。

 その気配を身近で感じただけ即死しかねない呪いだ。

「じゃあ、我々も頑張りましょうか、白竜丸ちゃんが死んだら、あれがこっちに来ますよぉ。考えたくはないですねぇ……」

 間違いなく呪いの塊に意識を向けられただけでも、こちらは半壊すると、アビゲイルは考えている。

「そうなったらそうなったで荷物持ち君がどうにかしてくれるわよ」

 スティフィはそう言ってミアの前、荷物持ち君の後に立つ。

 文字通りのミアの肉壁になるつもりだ。

「え? 白竜丸を見殺しにするんですか?」

「そんな事しませんよぉ…… 荷物持ち君が我々までも守ってくれるとは限りませんし。スティフィちゃん、効きそうな魔術持ってますかぁ?」

 恐らくこの状況下で荷物持ち君はスティフィやアビゲイルのことまで守っている余裕はない。

 アビゲイルからしても白竜丸と呪いの塊が争っている今が最終防衛線と言ってよい。

 白竜丸が倒された時点で、ミアはともかくアビゲイルとスティフィの死は確定したようなものだ。

 アビゲイルも必死でスティフィに聞きつつも、自分の中であの呪いの塊に効果がある魔術を探す。

 だが、下手な魔術を行使してもあの呪いの塊に飲み込まれるだけだ。

 迂闊に使うこともできない。

「使徒魔術の中では…… ないわね」

 スティフィもそのことをわかっているのか、何もできないでいる。

 使徒魔術でなければどうにかできそうな口ぶりだが、それ以外の魔術を使っている暇もなさそうだ。

 つまり、スティフィは現時点では打つ手なしと言っている。

「奇遇ですね、私もですぅ。呪いが濃すぎますし、下手に仕掛けると使徒魔術ですら飲み込まれ兼ねませんねぇ」

 打つ手がない。

 アビゲイルにはわかる。

 実際に見て再認識する。

 あれは人がどうこうできる域を軽く超えてしまっている。

「ふんじばりの術、効きますかね?」

 ミアが提案する。

 ふんじばりの術という言葉に、アビゲイルははじめピンとこなかったが、ミアの使える魔術など数が知れている。

 すぐにあのえげつない使徒魔術に思い当たる。

「ふんじばり? ああ、巨人の御使いの力ですか…… 未知数ですねぇ」

 あの術であるのならば、多少なりとも効果はありそうだ。

 アビゲイルも考えるが、今はアビゲイルも頭が回らない。

 恐らくは呪いの塊の影響もあるのだろうが、アビゲイルでも平静さを欠いているので確信が持てないでいる。

「それより、その輝いている杖でどうにかできないのミア! どう見ても使ってくれって場面でしょう! それ!」

 スティフィが光り輝いている古老樹の杖を見ながらそう言った。

 恐らくはこの杖が光り輝かなければ、地下であの呪いの塊に急襲され、誰も助からなかっただろう。

 その杖が光り輝いて自己主張しているのだ。

「ああ、はい! 古老樹の杖、朽木様! ど、どうしたらいいんでしょうか! これ! 私にもわかりません!」

 ミアがその言葉を発すると、杖の光がより一層眩しく光る。

 白い光が赤い視界を塗り替えていく。

 そして、それは白い閃光となって呪物を貫く。

「グォォォォォォォォォォンンンンン」

 そんな鳴き声とも嘆き声とも取れる雄たけびが辺りに響き渡る。

 それだけでスティフィは片膝を着き、全身から汗を噴出し嘔吐までしだす。

 アビゲイルは何とか立っているが、首に巻き付けていた使い魔の白蛇ジンが地面に落ち、苦しそうにのたうち始めた。

 今の呪いのこもった雄たけびに充てられて、動作系の制御魔術が壊れてしまったのだろう。

 荷物持ち君がミアの前に立ち両手を床につけて、何かの魔術を発動させている。

 そのおかげでミアだけは無事だ。

「スティフィ! アビィちゃん、私の後ろへ」

 ミアが叫ぶと、スティフィがミアの後ろに転がり込み、アビゲイルは使い魔を拾い上げて逃げ込んでくる。

「だ、ダメだ、ミア、逃げなさい、あれ、どうこうできるものじゃない……」

 スティフィは息も絶え絶えにそんなことを何とか言って、そのまま意識を失わせ、床に倒れ込む。

「そ、想像以上というか、師匠はこんなものどうにかできると思っているんですか? 流石に無理ですよぉ」

 アビゲイルが泣き言を叫び出す。

 古老樹の杖はまだ白く輝いているし、呪いの塊も一部閃光により損壊はしてはいるが、未だに肉塊として動いている。

 活動を止めるほどの損壊ではないようだ。

「スティフィ! しっかりしてください! スティフィ!」

 ミアは気を失い倒れこんだ、スティフィを強くすさぶる。

「マーちゃんとジュリーちゃんは無事でしょうか? さっきの雄たけびに巻き込まれていたら助かりませんよぉ」

 アビゲイルはディアナを呼びに行ってほしかったのにと心の中で嘆く。

「もう許しません! ふんじばってやります!!」

 ミアはそう言って怒りに任せ、呪いの塊に向かい光り輝く古老樹の杖を向ける。

「威光の前にひれ伏せ!」

 ミアが発動の呪文を唱えると、杖の先端が歪み、巨大な目が現れる。

 その巨大な瞳は呪いの塊を鋭く睨む。

 それと同時に、呪いの塊が上から押しつぶされた始める。

 そこへ白竜丸が噛みつき、その肉塊を大きくもぎ取り飲み込む。

「効いている! 効果ありですよぉ! というか、白竜丸ちゃんも化物ですねぇ……」

 呪術に免疫があるとはいえ、あの呪いを飲み込むとかアビゲイル基準でも生物の域を超えている。

「ぐぬぬぬぬっ……」

 と、ミアが額から脂汗を流しながら、声を上げる。

 ミアには古老樹の杖を通して、呪いの塊からの強い反発が伝わってきている。

 この魔術でももう持ちそうにない。

「ミアちゃん?」

「ダメです、もう効果が切れます!」

 そして、押しつぶされそうになっていた、呪いの塊が解放される。

 それは、呪いの塊は、白竜丸だけでなく、こちらにも敵がいると認識する。

 荷物持ち君が魔術で結界を張っていなかったら、ミアとスティフィは少なくとも命が失われていたかもしれない。

 それほどの凶悪な気配がミアとアビゲイルに向けられる。

「相手もやはり化物ですか、私も何かしないとダメですねぇ…… しかし、相手は呪詛の塊、呪いの塊…… 手に負えない塊…… ですか……」

 アビゲイルは震える手を握りしめ、自分に何かやれることはないかと考える。

 それと同時に、この場にいる誰もその姿を見ることが出来ないが、ミアに憑いている大精霊が目覚める。

 呪いの塊がミアに発した即死するような悪意に対して、ミアの大精霊もその力を振るうべく行動し始める。






 万が一、いや、千が一、百が一……

 十が一、誤字脱字があればご指摘ください。

 指摘して頂ければ幸いです。

 少なくとも私は大変助かります。


 もし気に入ったらで良いので、いいね、ブックマーク、感想等ください!


 誤字脱字をご報告してくださっている方、いつも本当にありがとうございます。

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