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学院の魔女の日常的非日常  作者: 只野誠
廃墟と掃除と亡霊と

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廃墟と掃除と亡霊と その3

 館の入り口から荷物持ち君を先頭に道に沿って、草刈りをしながら一行は裏の小屋というものをまずは目指す。

 虫が、虫種が多すぎるので、小屋にある殺虫陣と防虫陣を目指すのがまずは目的だ。

 にしても、虫が多い。多すぎる。

 アビゲイル以外は知る由もないが、この辺りにいない毒虫も多くいるので、まともに草刈り作業もできていないでいる。

 ちょっと雑草をかき分ければ、凶悪な毒虫がひょっこりと顔を出すのだ。

 これでは、うかつに草も刈れない。

 さらに言ってしまうと、その草も毒草が多く紛れ込んでいるので質が悪い。

「ねえ、あんたが新しく殺虫陣を描けばいいんじゃない?」

 流石にこれでは埒が明かないと、スティフィがそんな提案をアビゲイルにする。

 無月の女神の神与文字だけで新しく陣を描けば問題ないはずだ。

「いやー、それがですね…… 殺しちゃいけない、いや、数匹程度なら別に殺してもいいんですが、全滅させちゃいけない虫もいるんですよぉ」

 と、アビゲイルはスティフィから視線を外して言った。

「は? どういうこと?」

 スティフィは嫌な予感を、この話を持ち掛けられたときから、さんざんそんな気はしていたのだが、嫌な予感をひしひしと感じながら聞き返す。

「あー、なんていうか、呪術ってたまに? よく? 割と頻繁に? 虫を触媒とするんですよ」

 虫種は本能のみで動いていると言われている。

 つまりそこに生物としての本能以外の感情がない。

 ある意味その魂は非常に無垢な魂なのだ。

 それらは非常に扱いやすい呪術の触媒となる。

 また虫種は独自の毒を持っているものも多い。

 それらも呪術や自然魔術に用いられもするのだ。

 呪術師が虫種を育成していること自体は不思議な事ではない。

 それでも動物のように魔術での制御が難しいので、普通は放し飼いにはしないが。

「あっ、あぁ…… 飼ってたのね? それが逃げ出してこんなに繁殖してると?」

 新しい魔法陣で殺虫陣を作って行使したら、その有用な虫種達も皆殺しになってしまう。

 だから、アビゲイルもそれをしないのだ。

「飼っていたというか、放し飼いにしていたというか…… そんなわけで、裏の小屋にある陣は、それらの必要な虫には効果がないですよぉ。私が新しく作っちゃうと全滅させちゃうしで……」

 ついでに言うならば、この屋敷にある防虫陣は、それらの虫の生活圏の制御もしている。

 この虫は館の北側、別の虫は西側と、そんな風にある程度、虫の生活圏を制御までしている。

 ついでに館に近づくと、どの虫も即死するように殺虫陣が組まれている。

 それらの陣も動いていないようなので、今は意味がない。

 一応は完全に放し飼いというわけでもなかった。

 ただその防虫陣も殺虫陣も、今は起動していないので、この有様なのだ。

「虫相手に対象の除外? また高度な魔術を虫対策の陣ごときに……」

 スティフィはそんな高度な魔術を防虫陣か殺虫陣か知らないが、それに使用していることに呆れる。

 ミアの指定された物だけを燃やす使徒魔術も相当なものだが、あれは御使いの力の影響の方が大きい。

 けれど、この館にある魔法陣は、陣である以上、その製作者は人間だ。

 それら選別の情報を魔法陣に落とし込むのは、かなり難易度が高いはずだ。

「まあ、師匠が直々に描いた陣ですからねぇ」

 アビゲイルは少し自慢げに誇らしい顔を見せる。

 ただ、アビゲイルから見てもかなり高度な魔法陣で、流石にそのような陣を即座に描くようなことはアビゲイルにもできない。

「あっ、私も見てみたいです! きっと勉強になります! マリユ教授の描いた陣!」

 ミアもその話を聞いて興味津々になる。

 そのような陣が高度だという事が、ミアにも分かるようになってきているのだろう。

 だが、

「ミア、あんた、無月の女神の神与文字読めるの?」

 と、スティフィが問う。

 この無月の女神の領域では、他の神の魔術を使うのは危険と言われたばかりだ。

 なら、その陣も当然、無月の女神の神与文字で描かれているはずだ。

「読めません!」

 と、ミアが堂々とそう言った。

 そして、期待に満ちた目でアビゲイルを見つめる。

「私が翻訳しますのでぇ」

 と、アビゲイルが否応なしに答える。

 ここでミアに帰られたら、恐らくほぼ全員が引き返してしまう。

 ミアの機嫌を損なうことはアビゲイルにとっても避けたい。

「がんばります!」

 ただ、そのミアは一番やる気があるようにも思えるが。

 そんな話をしていると、ブーンとかなり大きな羽音が聞こえる。

「え? なにあれ? カブトムシ?」

 スティフィが音の方を見ると、かなり大きな物体が空を飛び回っている。

「蜂…… ですねぇ、あれは……」

 と、アビゲイルが冷や汗を垂らしながらそう言った。

 ゆうにこぶし大はある黄色と黒の物体が凶悪な羽音を立てている。

「はぁ? あんなでっかい蜂を見たことないんだけど?」

 スティフィがあっけに取られていると、荷物持ち君がミアの前に立った。

 それを見たスティフィも慌てて警戒しだす。

 ミアに危険を及ぼすような虫種という事だ。

「あ…… 逃げましょう。あの蜂に刺されると下手すると死にますよ」

 と、マーカスが声を上げる。

「マーちゃん知っているんですかぁ?」

「キバトバチですよ。学院の掲示板にも注意を促すチラシが張り出されていましたよ。女王蜂が鳩くらいの大きさになるんです! 凶悪な毒針を持っていて毒もかなり強力です」

 マーカスことマーちゃんが叫ぶように警戒を促す。

「あれが噂のキバトバチですか! 確かに掲示板に危険って張り紙が張られてましたね」

 ミアは呑気にそんなことを言っている。

 ミアもこれほど大きな蜂は見たことないが、山歩きしなれているので蜂程度ではあまり驚かない。

 警戒はしつつも必要以上に恐れたりはしていない。

「嘘でしょう? こんなでっかい蜂見たことないわよ! 虫の本場は北でしょう! おっきな蜂でせいぜい指くらいよ! あれは…… こぶし大じゃない!」

 スティフィは叫ぶ。

 ミアとは違いかなり警戒をしている。

 ただ、スティフィの言っていることも警戒態勢も正しい。

 マーちゃんの言う通り、この蜂に刺されると下手をすると死ぬし、刺されると少なくとも一週間程度激痛と腫れが収まらない。

「北は寒いし餌も少ないので虫種は大きく育たないって聞いたことありすよ」

 と、ミアが慌てる様子もなくそれを告げて来る。

「それもそうなんですが、あれは特別に、元からおっきな種なんですよ。どっか見晴らしがよく雨に濡れない場所に、壺の様な巣があるはずですが」

 マーちゃんがそう言って巣を探そうとするが、大きな羽音を気にしていて、まともに探せている様子はない。

「荷物持ち君、分かりますか?」

 ミアが聞くと、荷物持ち君はすぐに腕でキバトバチの巣のほうを指し示す。

 少し大きな木に、人の胴回りも大きな壺のような物がくっついている。

 巣自体もかなり大きな巣だ。

「危険な蜂ですので、巣ごと撤去させたいのですが? あの蜂は殺しちゃいけない奴ですか?」

 と、マーちゃんがアビゲイルに確認する。

 そう聞かれたアビゲイルはその場に荷物を降ろし、鞄を開けて目録を取り出す。

 そして、呑気に目録に目を通し始める。

 そうしているうちに一匹の大きな蜂がアビゲイルに近づくが、それを瞬間的に首に巻かれていた蛇が一瞬で丸呑みにした。

 アビゲイルは丸呑みした蜂をモシャモシャと飲み込む使い魔のジンを撫でながら、目録に目を通している。

「うーん、待ってくださいねぇ…… キバトバチ… キバトバチ…… 目録にはないので全滅させちゃってもいいヤツですねぇ」

 しばらく蜂の名前を繰り返していたが、その名は目録には乗っていなかった。

 ならば、排除して問題ないし、荷物持ち君の動きを見る限り危険そうなのでしっかりと排除しておきたい。

「けど、巣に近づくと無条件で襲われますよ」

 と、マーちゃんが注意する。

「じゃあ、遠くから使徒魔術で処分しちゃいましょうかぁ」

 アビゲイルはめんどくさそうにそう言った。

「はいはいはい! 私やります!」

 と、ミアが嬉しそうに手を上げる。

 そして、ミアの目の前にいる荷物持ち君の背中の籠から、自分の杖を取り出す。

「確かに、範囲指定して燃やしたい物だけもやしちゃえるなら、火事にもならないですねぇ、お願いします」

 アビゲイルとしてもそんな魔術を見て見たい、とばかりにここはミアに任せる。

「じゃあ、焼いちゃいますね」

 と、ミアは簡単にそんなことを言う。

 古老樹の杖を右手で持ち巣の方へ向ける。

 左手の親指と人差し指で円を作り、それを通してキバトバチの巣が見えるようにする。

「大いなる御方、その御威光をお示しください」

 呪文というよりは祈りにも似た言葉をミアが唱える。

 ミアの視界が自然と瞼と共に暗く閉ざされていく、その代わりミアの脳裏に注視する場所だけが色鮮やかに、そして、鮮明に、遠くまでもが詳細に見通すことができるようになる。

 ミアは壺のように大きな蜂の巣だけを選択する。

 そして、ミアが閉じられていた目を開く。

 大きな木にある蜂の巣と蜂だけが紅蓮の炎で燃え始める。

 蜂の巣のすぐ上にある枝や葉っぱは炎に焙られながらも、それらに火が燃え移ることもない。

 巣から大量に蜂が出て来るが、既に羽が燃えているのか、そのまま飛び立てずに落ちて燃え尽きていくだけだ。

 炎はすぐに巣を焼き尽くしすぐに鎮火する。

 後には消し炭も残っていない。

 壺の様な巣があった場所は何も残っていない。

「これが巨人の火ですかぁ、興味深いですねぇ」

 アビゲイルはニコニコしながらも興味深そうに言った。

「で、残った蜂はどうするのよ?」

 スティフィが飛んでいる蜂を避けながら確認してくる。

 昼間だったせいか、かなりの数の蜂がまだ辺りを飛んでいるし、巣を焼かれたことでかなり気が立っているようにも思える。

「個別に処分していくしか……」

 マーちゃんがぽつんとそんなことを口にする。

「埒が明かないわね。巣もあれ一つとは限らないでしょう?」

 それにスティフィが反論するように言うが、

「いえ、縄張があるのでキバトバチの巣自体はあれ一つだと思いますよ。ただ他の危険な虫種のことまではわかりませんが」

 と、答える。

 確かにここでは蜂だけが危険な虫種ではない。

 今もスティフィの足元を大きな百足が物凄い勢いで通り過ぎていった。

 こんなことなら、エリックから約束通り提供された新式連弩を持ってくるんだったと、スティフィは後悔する。

 あまりにも事前の情報がなかったので、こんなことになるとは思ってもみなかった。

「いえいえ、それだけじゃないですよ。危険な毒草もたくさん野生化しているはずですからねぇ、うかつに触らないほうが良いですよぉ」

 アビゲイルは今更ながらに、そんなことを言ってくる。

 スティフィ的には幽霊の方に気を取られすぎていて、虫やら毒草やらの対策をまるでしていない。

「あ、あんたねぇ…… そんなこと気にしてたら、これ、裏の小屋に行くまでに日が暮れちゃうわよ!」

 アビゲイルの言葉に、スティフィは心底呆れながら文句を言う。

 そして、ミアの近くで今も震えているジュリーがその言葉に反応する。

「ひ、日が暮れたら、幽霊は襲ってくるんですか!?」

 と、ジュリーはそう言いつつ、使徒魔術を使うのでミアからは少し離れていたのだが、再びミアのすぐそばに身を寄せる。

「確かに、これは日が暮れちゃいますねぇ。ここは仕方がないですが荷物持ち君に頼りましょうか?」

 アビゲイルもこのままでは埒が明かないと分かっているので、荷物持ち君に頼ることにした。

 自然の守護者である荷物持ち君なら、この状況を簡単に打破できる。

 ただ、荷物持ち君の制御術式はロロカカ神の神与文字で書かれているので、アビゲイル的にもあまり頼りたくはなかったのも事実だ。

「え?」

 と、ミアが意外そうな顔をする。

「まあ、そうね…… というか、それが一番いいわよね。ミアが頼めば一発でしょう?」

 と、スティフィは少し難しい顔をしたが、このまま人の手で草刈りする方が危険が多いと判断する。

「何をどう頼むんです?」

 と、ミアはまるで分っていないように、アビゲイルとスティフィの顔を交互に見る。

「とりあえずは裏の小屋迄の安全な道を荷物持ち君にお願いしてみてください?」

 アビゲイルはそう言って、荷物持ち君に丁寧に頭を下げた。

 まだ幼い古老樹とはいえ、荷物持ち君は紛れもない上位種であり、人間よりも高位の存在であることに変わりはない。

 普段はミアの使い魔と接しているから問題ないが、今はアビゲイルの私用でミアを動かし、古老樹の力を借りようとしている。

 何か頼むなら礼儀は必要だ。

「できますか? 荷物持ち君?」

 ミアが聞くと、荷物持ち君は力強く頷いた。

 そして、地面に片手を置いた。

 そうすると無軌道に生えて来た草たちが、まるで道を開ける様に自ら倒れ込み、草の道を作っていく。

 しかも、虫達が入り込まないように、一分の隙間なく編み込むように倒れ込んでいく。

 言うならば、草で編まれた絨毯の道が出来上がる。

「おお、荷物持ち君こんなこともできたんですね」

 ミアがこの光景を見て驚く。

「当たり前でしょう? ミア、古老樹を何だと思ってるのよ……」

 と、スティフィは飽きれるが、ミアの話ではミアの故郷には古老樹も存在してないような場所らしいので、仕方がないと言えば仕方がない事なのかもしれない。

「まあ、これで安全な道はできましたねぇ、とりあえず厄介な虫をどうにかしてしまいましょう」

 と、アビゲイルが荷物持ち君の魔術に感心して笑顔でまとめた。


 荷物持ち君によってつくられた草の道は確かに館の裏にある小屋まで続いていた。

 それを小屋と呼んでいいかどうかは、また不明だが。

 元小屋というのが正しい。

 完全に崩れ落ちてしまっている。

「ちょっと…… これ……」

 と、スティフィが困り果てた顔をする。

 それに対して、アビゲイルの顔はいつも通りの張り付いたような笑顔だ。

「いやー、見事に朽ちてますねぇ。まあ、魔法陣さえ残っていればいいですよぉ、師匠が描いたものですし、そう簡単には破損しないはずですよぉ」

「こっちに大きな陣があります! 一枚の大きな床石に描かれてます」

 すでに朽ちた小屋の近くまで移動していたミアが魔法陣を発見し声を上げる。

 ついでに、未だにミアにジュリーがついて回っているが、ジュリーは安全であるはずの草の道に戻りたがっている。

「それは…… たぶん防虫陣ですねぇ。なら、私の記憶が確かなら…… こっちの方に…… あっ、あったあった、これが殺虫陣ですねぇ」

 アビゲイルは記憶を頼りに殺虫陣の方も探し出す。

 アビゲイルの記憶通りの場所にその陣はある。

 が、崩れた小屋の瓦礫に埋もれてしまっている。

 この瓦礫の下にも致命的な毒虫がいると思うと、アビゲイルでもため息が出て来る。

「おお、見事に瓦礫に埋まってますね…… 後これは床に彫り込んでるんですか?」

 ミアが魔法陣の一部を見ながらそう言った。

 大きな一枚の床石にその陣は彫り込まれている。

 この神与文字はミアには読むことはできないが、その一部だけでもとても綺麗な整然とした陣で細かい神与文字がこれでもかと言うほど書き込まれている。

 少し陣を見ただけでも、マリユ教授の技術の高さが見て取れる。

「ですよぉ」

「簡易魔法陣ってわけじゃないんですよね? 平気なんですか?」

 陣は存在しているだけで意味を持ってしまう。

 特にこうやって放置されている陣は危険だと、何度も講義で習っている。

 希薄な魔力ならその辺にも存在しているし、こうして地面と接面していると地脈の荒々しい魔力が流れ込んで暴走しかねない。

 だから、基本的に魔法陣の一部を意図的に書かずに、必要な時だけ書き足して使い、使い終わったらまた消して保存するという、簡易魔法陣と呼ばれる方式が一般的なのだ。

 それに対してアビゲイルは、

「あー、簡易魔法陣自体が割と新しい技術なんですよぉ。と、いってもちょうど私が生まれたくらいの技術なんですが」

 と、そう言って頭をポリポリと掻き出した。

「じゃあ、これは?」

「まだ簡易魔法陣が広まる前の物ですねぇ、とはいえ、これも必要不可欠な文字を何文字か、石板で取り外し可能になっているんですよ。ある意味簡易魔法陣の走り的な物ですねぇ」

 アビゲイルは持ってきていた荷物の中から、何枚かの石板を取り出した。

 そこにもこの魔法陣と同じ神与文字が書き込まれている。

「な、なるほど…… 勉強になります」

 ミアはそう言ってその陣を少し離れた位置から観察している。

「聞いたことある。昔の魔法陣は起動に石板が必要だったって。なるほど、そういう事だったのね」

 スティフィが何か納得したように頷いた。

 それに対して、アビゲイルは少し驚いた顔を見せる。

「昔って…… まあ、そうですねぇ、昔ですよねぇ…… なんだかんだで私も長く生きた物ですねぇ」

 自分が既に百五十年も生きていたことを思い出して納得する。

 普通の人間なら長生きでも三、四度は人生を繰り返しているくらいの年齢だ。

 そりゃ、自分が生まれたくらいの新技術が当たり前にもなりはずだと納得する。

「まずは瓦礫を撤去したいですが……」

 マーちゃんが瓦礫を見ながらそう言うが、その瓦礫に近づこうとはしない。

 瓦礫の下にもわんさか虫種が潜んでいるからだ。

 白竜丸なら平気だろうが、白竜丸は細かい作業は苦手だ。

 陣そのものを破損させかねない。

「マーちゃん、ちゃんと言葉を使わないと大変なことになりますよ」

 そんなマーちゃんにアビゲイルはからかうようにそう言った。

 言われたマーちゃんは顔をヒクヒクとさせる。

「え? ああ、はい…… 瓦礫を撤去したいですが、この下にも虫種はいます…… わよね」

 そして、言葉を体を震わせながら言いなおす。

「そうそす、そうですぅ、いますねぇ」

 アビゲイルが嬉しそうにそう言って、スティフィが必死に笑うのを堪えている。

 ミアは既にマーカスことマーちゃんが可哀そうになってきているので触れはしない。

「じゃあ、荷物持ち君にやってもらいましょう。私も虫種には関わるなって言われたので」

「特に始祖虫にはね」

 と、スティフィが付け加える。

「そんなわけで荷物持ち君、この瓦礫の撤去お願いしていいですか?」

 ミアがそう聞くと、荷物持ち君は大きくうなずいて、瓦礫をてきぱきと撤去し始めた。

 一匹の百足、いや、ゲジゲジのような虫がミアの方向へ素早く走りくる。

 その虫がミアの足に達しようとした瞬間、急に不可視の存在により潰された。

「あ、あぶない…… って、今、これを潰したのはミアの精霊か……」

 と、スティフィがいって、潰れた虫を確認しようとするが、すでに原型がなく、どんな虫だったかまるで分らない。

「見たいですね、これも危険な虫種だったみたいです…… 私はちょっと下がっておきます」

 と、ミアも滅多に動かない精霊が動いたことで、その危険性を理解する。

「ちょっと、マーちゃん、今の虫なによ?」

 と、スティフィがマーちゃんに聞くが、

「ここまで潰れたらわかりませんよ…… せんわよ」

 マーちゃんは潰された虫を確認はするが、やはりどんな虫だったかわからない。

 ただ足がたくさんある虫という事だけは理解できる。

「確か、ミアちゃんの精霊は害をなそうとすると、それと同程度の力で反撃されるんですよねぇ?」

 アビゲイルが、張り付いた笑顔を止め、少し険しい表情でミアにそう聞いてくる。

「そんな話です」

 と、ミアが答える。

「皆さん、草の道の上へ戻りましょう…… この虫が潰されて死んだという事は、そういう事ですよぉ」

 アビゲイルにも潰された虫が何だったのかわからないが、その危険性だけは理解できる。

 瓦礫の撤去を荷物持ち君に任せて正解だったかもしれない。

「命に係わる様な…… 毒虫なんですか?」

 ジュリーが泣きそうな顔でそう聞いて来た。

「毒虫かどうかはわかりませんが、そういう事ですよぉ」

 見ようによっては熊カブリという危険な寄生虫の幼体にも見える。

 ただ、熊カブリは外を出歩く寄生虫ではないし、ましてや先ほどのように素早く歩くわけでもないが。

 警戒だけはしておいた方が良さそうだということは、アビゲイルにも理解できた。

 自分の首に巻き付いている使い魔のジンをそっと地面に放つ。

 これで多少は危険な虫が近づいても駆除してくれるはずだ。

「殺虫陣や防虫陣を起動させても、全部殺せないわけでしょう? 草刈りどうするんのよ? まさか全部、荷物持ち君にやらせるつもり?」

 この現状を見てスティフィは非難するようにアビゲイルに言った。

「この惨状は想像以上ですねぇ。仕方ないです。グランドン教授にでも使い魔を数体ほど借りて、それにやらせましょうか」

 と、アビゲイルとしてもあまり主の神与文字の使われていない使い魔を働かせるのは気乗りしない。

 なので、グランドン教授の力を借りることにした。

「そんな簡単に貸してくれんの?」

 スティフィが意外そうな顔で聞いてくる。

「ええ、グランドン教授とは良い関係を築けていますので。それにグランドン教授なら主の神与文字で書かれた使い魔も所持しているでしょうし」

 まず間違いなく所持している。

 グランドン教授はマリユ教授の為に、いくつか使い魔を造っていたはずだ。

 ならば、それらの使い魔に使われている制御刻印は、無月の女神の神与文字で書かれているに違いない。

 天地の塔の門の使い魔とかがそうなのだろう。

 なら、草刈りくらいできる使い魔もまだ持っていてもおかしくはない。

「んー、まあ、そうか。グランドン教授ならマリユ教授の為にそれくらいは用意しているわよね」

 スティフィもその考えには同意見だが、それでグランドン教授が快く使い魔を貸してくれるとは思えない。

「今は私にゾッコンですけどねぇ」

 アビゲイルはそう言って少し照れたような表情をする。

「はぁ?」

 と、スティフィが理解できずに声を上げる。

 あれほどマリユ教授に熱を上げていたグランドン教授が既にアビゲイルに乗り換えていることに驚きを隠せない。

「ああいう男性は誰かに尽くしたいんですよぉ、その対象が師匠から私になっただけですよぉ」

 アビゲイルはそう言って、いつも通りの張り付いた笑顔を見せる。

「節操がないわね……」

「グランドン教授がですか? 確かに荷物持ち君によくしてくれますよ」

 ミアはよくわかってないが、荷物持ち君の強化するための良質な素材をくれる良い、都合の良い、教授という認識が強い。

「あはははは、それとはまた違うんですよぉ。まあ、あれですよ、私は子宮がないせいか性欲もないんですよねぇ、そもそも穴がないのでそう言うことも出来ないんですよぉ、それを伝えたらイチコロでしたよぉ」

 アビゲイルはそんなこを恥ずかしげもなく言い出した。

 それを聞いたマーちゃんが顔を赤らめ下を向いた。

「それでなんで? え? 理解できないんだけど?」

 スティフィは理解できないとばかりに声を上げる。

「誰にも手が届かない花が彼は好きなんですよぉ。師匠も確かにそうですが、私は物理的に無理なので」

「な、なるほど……? そういう事もあるのね…… ちょっと勉強になったわ」

 アビゲイルに言われて、スティフィも納得する。

 そういう趣向の男もいるのだと。

「スティフィちゃんもまだまだ若いですねぇ」

 と、アビゲイルに言われて、スティフィも嫌な表情を隠しもしない。

「つまり、どういうことなんですか?」

 ミアは訳も分からずにそう聞き返す。

 それに対して、アビゲイルは、

「グランドン教授は私に、一方的に惚れちゃっているという事ですよぉ」

 と、身も蓋もないことを言った。

「そうなんですか? あれ? 無月の女神の巫女になるのに良いんですか?」

 ただミアからすると、そんな疑問しか出てこない。

 そして、これから神の巫女になるのかもしれないというのに、浮かれてそんなことを言っているアビゲイルに険しい視線を送る。

「ええ、私はその想いに応えれませんのでぇ」

 ミアの視線に気づいたアビゲイルは、手を振りながらそれを伝える。

 アビゲイル的にもグランドン教授の想いに応じるつもりはないのだ。

 だが、グランドン教授はそれでも満足なのだ。

 高嶺の花が高嶺の花として、いつまでも誰の手にもならないのであれば、それでいいのだ。

「かわいそうですね、グランドン教授」

 ミアはアビゲイルの態度を見て、そんなことを言った。

 ミアの目にはグランドン教授が良いように利用されている様にしか見えない。

「いえいえ、それで良いんですよ、お互いに」

 と、アビゲイルは張り付いた笑顔で言っているので、あまり良い印象はない。

 だが、当人達からすれば、それは良い関係なのだ。

「わかりません」

 ミアは拗ねたようにそう言うのだが、

「ミアちゃんも巫女なので、あんまりわからないほうが良いですよぉ」

 アビゲイルはそう言ってミアを諫める。

「そういうものなんですかね?」

 そう言われると、ミアも納得せざる得ない。

 それにミアも理解している。

 自分がそう言ったことに関して、関わる必要がないことを。

 自分は門の鍵となり、生贄になるのだという事をもう知っているのだから。

「はいはい。まあ、処女や童貞のほうが神々に好かれやすいのは事実なので」

 少しミアが迷う様な表情を浮かべたので、アビゲイルは慌ててそう言った。

 こんなどうでもいい、アビゲイルにとってはだが。

 どうでもいい話から、ミアが神の巫女に疑問を持ち出したら目も当てられない。

 しかも、ミアは特別な神の巫女なのだ。

 アビゲイルも疑念を持ってほしくはない。

「そうですか。なら、気にしないようにします!」

 ただミアの信仰心は恐ろしく強い。

 そんな程度のことで揺らぐ信仰心でもない。

 とはいえ、どんな些細な事でも積み重なれば話は変わってくる。

「そうね、ミアはその方が良いわよ」

 スティフィもそれに関してはアビゲイルと同意見だ。

 特にミアは、色恋沙汰には関わるべきではないと思っている。

「しかし、こうなると今日はこの魔法陣を起動して終わりですかねぇ。それとも館の中を少し見て回りますか?」

 アビゲイルはこの話はここまでとばかりに話を変える。

 館の中を見て回ると言ってはいるが、これはアビゲイルの冗談のつもりでだ。

 流石にそれが危険すぎることはアビゲイルにもわかっている。

「荷物持ち君次第でしょう?」

 と、スティフィが真面目にそれに反応する。

 冗談だとは気づかれなかったようだ。

「まあ…… そうですねぇ、恐らく本格的な主の領域である館の中にまでは同行してくれないでしょうし」

 アビゲイルは何とも言えない顔をして、仕方なく真面目に答えた。

 冗談が冗談として通じなかったのは、普段からのアビゲイルの行いに問題があるからなのだが。

「そうなんですか? まあ、荷物持ち君が歩くと床を汚しちゃいますからね」

 ただ、ミアはそのことをよく理解できていないので、そんなこと言っている。

 ミアは古老樹のことをあまり良く理解できていない節がある。

 いや、ミアにとってはロロカカ神以外どうでもいい事なのかもしれないが。

「ミアちゃんは気づいていませんか、荷物持ち君は基本的に建物の内部には入りたがらないんですよぉ」

「え? そういえば…… そうですね?」

 アビゲイルに言われて、ミアは初めてそのことを理解する。

 泥人形なので床などをどうしても汚してしまうのでその為だと思ってはいた。

「これは古老樹の特性ですよぉ。まあ、護衛者でもあるので、ミアちゃんに危険が及ぶときは入ってくるでしょうが。でもここは主、神の領域なので恐らくは……」

 古老樹である荷物持ち君は館の内部までは入ってこない。

 ただ荷物持ち君は護衛者という特別な立場なので、神の領域の建物にも例外的に入ってくるかもしれないが、そこは何とも言えない所だ。

「は? じゃあ、幽霊相手にどうするんのよ?」

 ただ、荷物持ち君が幽霊の住処ともいえる館に入ってこないとなると対抗手段がまるでない。

 スティフィはアビゲイルに食って掛かる。

 もちろん、アビゲイルは冗談で言っていたことなので、準備が整うまで館に入る様な事はしないのだが。

 けれども、アビゲイルはそこでこう答えてしまうのだ。そう言う人間なのだ。

「そこでマーちゃんの出番ですよぉ」

 と。

「俺、いえ、わた、私に何かできると思っているんですか? わ」

 マーちゃんことマーカスは変な言葉を駆使して返事を返す。

 顔を赤くして何とも言えない悔しそうな顔をしている。

「黒次郎ちゃんと白竜丸ちゃんの方に期待ですねぇ。特に白竜丸ちゃんは呪痕化したカタツムリを食べるくらいですし、恐らく幽霊も食べてくれますよぉ」

 それに、白竜丸には呪術がほぼ効かない。

 館の幽霊が元無月の女神の巫女候補というのであれば、恐るべき呪術と魔術の使い手だろうが、その呪術を無効化できる白竜丸はそれらの天敵のような存在だ。

「でも、白竜丸は結構でっかいですよ?」

 ミアが言う通りに白竜丸はかなり大きな鰐だ。

 その上、金属製の鎧まで着込んでいる。

 こんなものを館の中に入れるとなると、逆に館内を壊しかねない。

「そこで、黒次郎ちゃんですよ。黒次郎ちゃんで幽霊達を追い立てて、広い場所に白竜丸ちゃんを待機させておいて、ペロリですよぉ」

 アビゲイルはニヤリと笑って、適当なことを言う。

 ただ、冥府の神の育てられた幽霊犬なら本当にそのようなことが出来てもおかしくはない。

「そんなにうまくいくんですか?」

 と、マーちゃんが不安そうに聞いてくる。

 そもそも、マーちゃんからすれば、白竜丸に幽霊を食べさせるのも反対だ。

 マーちゃん、いや、マーカスとしては白竜丸にはまともなもの食べてすくすくと育ってほしいからだ。

 そんな幽霊のような訳の分からない物を食べさせるのは世話をしている身としてはいただけない。

「今日はやめときましょう? そうしませんか?」

 ジュリーが提案する。

 とりあえず、今日はやめておこうと。解決はしないが先延ばしにしようと。

「確かに今日はこれで終わりにして、明日の準備に時間かけても良いですよね、今からでも魔力の水薬を作れるでしょうし」

 ミアもそれに賛成する。

 今から魔法陣を起動して帰れば、新しい魔力の水薬を作る時間くらいはある。

 暑苦しい工房で作業しなくてはならないが。

「そ、そうですよね! サリー師匠もなにか用意してくれているかもしれません!」

 と、ジュリーがミアに賛成するようにそう言った。

「いや、あの人は、関わりたくないから、あんたに丸投げしたんでしょう?」

 そんなジュリーにスティフィが事実を突きつける。

「うぅ……」

「うーん、まあ、今日はこの陣を起動させて素直に戻りましょうかぁ。思ったより危険そうですから、これは師匠に相談した方がいいかもしれませんねぇ」

 そろそろ冗談も程々にしておいた方が良いと、アビゲイルは館の中からこちらを見ている存在に気付きながらそう言った。

 ちょっとおふざけが過ぎてしまったような感じだ。

「どうしたの?」

 アビゲイルの雰囲気が急に変わったのでスティフィは聞き返す。

 アビゲイルが、あのアビゲイルがかなり警戒しているように、スティフィには思える。

「いやー、幽霊たちが屋敷からこっちの様子を伺っているんですよぉ…… でぇ、かなりの敵意を向けてますねぇ。さっきの話を聞かれちゃったみたいですぅ」

 と、アビゲイルは照れながら、そう言った。

「幽霊犬で追い立てて鰐に喰わすって話を?」

 目を丸くして、怒りを露わにしながらスティフィが確認する。

「はぁい」

 と、アビゲイルは笑ってそれを認める。

 スティフィが殺意の様な物をアビゲイルに向けるが、それでもアビゲイルは張り付いた笑みを浮かべたままだ。

「でも、実際的にそれで幽霊ってどうにかなるものなんですか?」

 ミアがふとした疑問のようにアビゲイルに聞く。

「どうでしょうか? 呪いに、それこそジンちゃん見たく意識をもった呪いのような存在なんじゃないんですかね? 幽霊は突き詰めれば、人の魂と言われていますが、そもそも人の魂自体よく理解されていないんですよねぇ」

 アビゲイル的には、正体が不明だから対処のしようがない、と言ったところだ。

 そもそも、百五十年近く生きて来たアビゲイルとて幽霊を見たのは幽霊犬の黒次郎が初めてだったのだ。

 アビゲイルも理解できないところが多い。

「早く帰りましょう!」

 ジュリーが再度提案する。

「まあ、屋敷にから出れないみたいですし、入らなければ平気ですよぉ」

「それは魔術的に?」

 アビゲイルの発言にスティフィが鋭く確認する。

 アビゲイルは少々やりづらさそうに答える。

「恐らくは師匠がそうしておいたんですね。屋敷にちょっと変わった結界の様なものが張られていますし」

 アビゲイルがそのことを伝えると、スティフィが本気で怒りだした。

「なんで!! そういうことをいちいち全部後だしすんのよ! 結界という事は、下手したら外から館の中に入ったら、その結界が崩れるってこともあるじゃないの!」

 それなのに、先ほどアビゲイルは館に入るとか言っていたのだ。

 まあ、それは伝わってないだけでアビゲイルの冗談だったのだが。

「でも、結局は掃除しなくちゃいけないですし……」

 そして、アビゲイルがひねり出した言い訳はそんな言葉だった。

 スティフィを怒らすには十分な言葉だ。

「それはあんたの都合でしょうが!」

「そんなこと言わないでくださいよぉ」

 と、アビゲイルは張り付いた笑顔のまま困った表情を浮かべる。

「ミア、こんなのに付き合う必要ないわよ、こんな依頼止めちゃいまさいよ」

 と、スティフィはミアに言うのだが、今度はミアも困った顔を浮かべる。

「でも、夏の研究課題を幽霊で行くってダーウィック教授に言っちゃいましたよ」

 そして、ミアはもう遅いとばかりに、そのことをスティフィに告げる。

 それが事実であることを、というか、自分も一緒に幽霊の研究をすることをダーウィック教授に告げていることスティフィは思い出す。

「ぬぁーっ!!」

 そう言ってスティフィが自分の頭を掻きむしった。

「まあ、そんなわけでスティフィちゃんもよろしくお願いしますぅ」

 そんなスティフィを見てアビゲイルが楽しそうに笑う。




 万が一、いや、千が一、百が一……

 十が一、誤字脱字があればご指摘ください。

 指摘して頂ければ幸いです。

 少なくとも私は大変助かります。


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