廃墟と掃除と亡霊と その2
学院の西南に位置する天地の塔。
その先に、普段は閉ざされている門がある。
そこに門があることも知らない者も多い。
あまり大きな門でもないし閉鎖され、なんなら隠されていたりもする。
アビゲイルがその門の鍵を開け手で押して開く。
長い間使われてなかったのか、酷くきしむ音を立てながら門が開いていく。
「私、西門から出るの初めてです!」
ミアがそんな門を通り抜けながらそう言った。
先頭をミアの使い魔であり古老樹でもある荷物持ち君。それにミアが続く。
その後を、アビゲイル、スティフィ、ジュリー、色々な資材を積んでいる鰐の白竜丸、の順で、そして、最後に変わり果てたマーカスがとぼとぼと意気消沈して続く。
門を抜け半時間ほど歩いた先に無月の館はある、と言う話だ。
門を抜けた先は学院の近くなのにもかかわらず、すでに深い森の覆われている。
一本の砂利道だけが蛇行しながら伸びている。
「まあ、西門から出てあるのは、館くらいですからねぇ。他の場所には基本的につながってないんですよぉ」
と、アビゲイルが説明する。
アビゲイルの言う通り、この西門から通じているのは無月の館くらいの物だ。
ここには元々は門などなもなく、マリユ教授の為に作られた門と言って良い。その先も険しい山々に囲まれどこにも繋がっていない。
元々は魔術の試射するための場所だったという噂すらある。
それが無月の巫女であるマリユを隔離するための場所になったという、まあ、噂の範疇の話だ。
ただ、それだけでは足りなかったようで、後々に魔術的に隔離されている天地の塔という物が建てられている。
「いや、そんなことよりもですね……」
と、マーカスが顔を引きつかせながら、何か言いたそうな表情を見せる。
顔を引きつかせているマーカスの恰好は普段の恰好ではない。
「似合ってるじゃない。確かにエリックの奴には無理だわ。あいつはガタイが大きすぎるから」
と、そんな変わりたてたマーカスを、女装したマーカスを見ながら、スティフィがその容姿を褒める。
中々の美人だ。
化粧迄施されているとはいえ、元々マーカスが美形だったのだと、スティフィもこの時気づく。
「そうですよ、マーカスさん、いえ、マーカスちゃんのほうがいいですか? とても似合ってますよ」
と、笑うのを堪えながらミアがそう言った。
ミアに悪気はないのだろうが、普段を知っているだけに、どうしても笑うのをこらえ切れていない。
「似合っているとか、似合っていないとかじゃなくてですね……」
青筋を浮かせてマーカスは震えながらそう言うが、誰もまともに取り合おうとしない。
目すらもあわそうとしない。
「いやー、でも、本当に良く似合いますねぇ、女装。思った以上に似合っててびっくりですよぉ」
と、マーカスに化粧などを施したアビゲイルは、改めてマーカスをこっそり観察する。
男にしてはきめ細かい白い肌。
長いまつげ。
切れ長の目、背は高いが体の線は細いマーカスは今やどこからどう見ても美女と言って過言ではない。
少し筋肉質で背は高いのだが、カツラを被り化粧をして、少しゆったりとした女性物の服を着ている今のマーカスは、どう見ても男には見えない。
「はぁ…… もういいです。こんなんで本当に平気なんですか?」
まともに取り合うのをやめて、マーカスはせめてもと安全性だけの確認しようとする。
「はい、あっ、館に入ったら、マーカスさんを男って呼んだりしたらダメですよ。なるべく女ぽくしててください、喋り方とかもですよぉ」
と、アビゲイルは張り付いた笑顔で注意を促す。
「は、はぁ……」
それを、信用ならない目でマーカスは見ている。
「バレたらまずいんですか?」
と、ミアが確認する。
「まあ、普通に祟られる確率が高いですねぇ。だから、基本的に男性は館は立ち入り禁止になっているみたいですよぉ」
と、アビゲイルは素知らぬ顔で言った。
それを聞いた他の面々は、やっぱり立ち入り禁止だったのか、と納得するだけだった。
「だ、大丈夫なんですか?」
と、マーカスが不安そうにもう一度、確認してくる。
「私のお古ですし、平気ですよぉ」
アビゲイルは自信満々にそう言った。
ただ、アビゲイルは知っている。
無月の女神の領域と言えど、その女神を怒らせるようなことをしなければ、男が領域に侵入してもむやみに祟られることはないことを。
大人しくしていれば意外と平気であることを。
それに、マーカスは他の神より使命を与えられた人間だ。
無月の女神もそんなにマーカスを無意味に祟ったりはしない。
そのことを、アビゲイルはよく知っているのだが、面白そうなので黙っておく。
何よりマーカスの女装は想像以上に似合っている。
むしろ、アビゲイルが心配なのは、マーカスの額に描かれた監視者の眼と言う魔術の方だ。
これのせいでマーカスが無月の女神に目を付けられる可能性はある。
ただ、これをマーカスに施したのはあのオーケンだ。
そんなへまはしないだろう。
したときは絶対わざとだろうと、アビゲイルは思っている。
「お古なんですか? これ?」
と、マーカスは着ている服をつまんで何とも言えない顔をした。
確かに新品の服ではないと、マーカスも思っていたがアビゲイルの私物だとは思いもしなかった。
「実際に女が使ってた物の方がばれにくいんですよ。あっ、ちゃんと下着も付けていますよねぇ? バレたら死んじゃいますよ?」
そう言ってアビゲイルはからかうように笑った。
「は、はい……」
と項垂れてマーカスが返事をする。
「ギャハハハッ、マーカス、あんた、こいつの下着まで履かされてんの?」
それをスティフィが容赦なく笑い飛ばす。
「スティフィー、悪いですよ」
ミアはそう言いつつも、やはり笑うのを抑えきれていない。
「ミアだって、今にも噴き出しそうじゃない!」
「い、いえ、そ、そんなことは……」
そう言ってミアは顔を伏せた。
こらえきれなかったのかもしれない。
「楽しそうでいいですね」
と、そんな様子を見て顔を真っ青にしているジュリーが皮肉交じりにそう言った。
ジュリーは参加するつもりはなかったのだが、サリー教授の命というか、お願いで今回参加している。
「ジュリーちゃんは楽しそうじゃないですねぇ」
「まさか私だけ派遣されるにことになるとは思いませんでしたから……」
そう言ってジュリーは深いため息を吐いた。
「サリー教授、神様嫌いですもんね…… けどマリユ教授の頼みでもあるから、完全には断れなかったんですかね」
と、ミアが的確に事情を言い当てる。
「はい、サリー師匠についている助教授は男性のインラム助教授だけですからね。なので、私が派遣されました……」
「安心してください、主は女性には特に寛大ですよ」
アビゲイルはそう言ってジュリーの背中を叩いた。
「はぁ……」
と、青い顔をしてジュリーが生返事を返す。
「あっ、白竜丸は雌ですが、黒次郎は雄なんですよね、平気ですか?」
ふと気づいたようにマーカスがアビゲイルに質問する。
「動物は気にしなくて平気ですよぉ、この子も雄ですし。なんなら昔は鶏やら山羊やらを繁殖目的で館で飼っていましたし」
そう言ってアビゲイルは首に巻き付いている白い蛇の使い魔がえらの付いた顔を見せる。
「それは使い魔でしょう?」
マーカスはそう聞き返すが、
「そうですが、大元はあのオージンちゃんですよぉ。この使い魔の名前もオージンちゃんからとってジンちゃんです! しかも、呪いの頃の記憶も少し残ってるぽいんですよねぇ、喋ったりはできないんですが、良いですねぇ!」
そう言ってアビゲイルは蛇の頭を撫でた。
それを聞いた一同が、あからさまに嫌な顔を見せる。
オージンと言うのは、ライと言う学者に憑りついていた神の呪いだ。それが意識を持ちオージンと名乗り何かしようとしたが、何かする前に取り押さえられてしまった、ミア達からすればよくわからない存在だ。
その頃の意識が残っていることがわかったアビゲイルは荷物持ち君と同じく自立型の使い魔として、この使い魔を造ったのだ。
それほど大きくはないが、そのおかげでかなり高性能な使い魔となっている。
なにより自立型の使い魔などほとんど存在しないので、とても貴重な使い魔だ。
「え? それほんとなの? いや、平気なの?」
スティフィが警戒してアビゲイルに聞き返す。
「はい! 大丈夫ですよ! 呪術で、これでもかとがんじがらめにしているので、とても従順ですよぉ」
「そ、そうなの……」
と、それ以上聞いても仕方がないと思ったのか、スティフィも聞くのを諦めてた。
そんなことを話しながら一行は森の中を進む。
「あの…… おかしくないですか? この辺り妙に寒くないですか?」
ミアが腕をさすりながらそう言った。
西門をくぐるまでは、あれほど蒸し暑かったのにもかかわらず、今はひんやりとした冷たい空気が辺りに漂っている。
「まあ、主の領域の近くですしね。大きく分ければですが、主は夜の神でも月曜種でもありますので、こういう気が自然と流れ出すんですよ、夏は良いですけど冬は寒さが増すんですよねぇ」
アビゲイルは当然とばかりにそう言った。
「えぇ……」
と、それを聞いたほとんどの人間はそんな声を漏らす。
それにこの辺りを包んでいる冷たい空気は物理的に冷たいだけでなく、なにか根源的な恐怖をもたらすような物まで感じさせる。
それが代表的な祟り神由来の物だと聞くとなおさらだ。
「冬はともかく夏は過ごしやすくていいですね。これならお掃除をやるのも楽そうですね」
ミアだけはそう言った。
ロロカカ神の魔力にも慣れ親しんでいるミアだけは、冷たい以外の感想はないようだ。
ロロカカ神と無月の女神、どっちの気配がより不吉かと聞かれれば誰もが判断に困るくらいだ。
「さすがね、ミア…… 私はさっきから悪寒しまくりよ」
スティフィはそう言って、危険に敏感なその体を悪寒に振るわせる。
ミアの神様も大概だが、流石は代表的な祟り神の一柱と呼ばれる女神だと、スティフィも思い知らされる。
「俺…… あっ、いや、わ、私もです…… わ」
マーカスは慣れない言葉でそう言った後、化粧の上からでもわかるほど顔を赤らめる。
「そうそう、マーカスちゃんは、あー、名前もマーちゃんにしときましょうか。マーちゃんはその調子ですよ」
アビゲイルは楽しんでいるようにそう言った。
いや、実際に楽しんでいるのだろうが。
「は、はぁ……」
と、マーカスは苦々しい表情を作って返事をするだけだ。
「で、そうそう。まだ話してませんでしたね、やること。やることですよぉ。お掃除と館の修繕、そして、幽霊の排除が目的です」
アビゲイルは館に着く直前になってそんなことを言いだした。
一行は未だにアビゲイルから具体的な作業内容を聞いていない。
ミアとアビゲイル以外、誰もが色々と不安に思っていることだろう。
「最後がどうこうできる気がしないんだけど……」
スティフィはどうやって幽霊と言う存在を対処するのか不思議で仕方がない。
これはスティフィも聞いた話で確証はないのだが、幽霊という存在はこちらからは何も干渉できず、向こうからは一方的に干渉してくると言う話だ。
しかも、元無月の女神の巫女候補という優秀な魔術師の幽霊がだ。
どう考えても相手が悪すぎる。
「まあ、あれです。どれもこれも館についてからでないと何とも言えないんですよぉ」
アビゲイルはそんなことを呑気に言い出した。
「あんた…… 下見にも行ってないわけね」
スティフィが嫌な予感をさせながらそう言った。
「いえいえ、一度は行きましたよ、入り口までですが。幽霊を確認したので即座に、逃げ…… 引き返しましたけどもぉ」
それに対して、アビゲイルはその真実を話す。
流石のアビゲイルも幽霊相手になにをしたら良いのかわからなかったので、即座に逃げ帰ってきている。
その後、アビゲイルがマリユに相談したところ、自力でどうにかしなさい、としか言われなかった。
「アビィちゃんでも幽霊の対処法を知らないんですか? ルイーズ様は自然の炎が効くかもと言ってましたけど?」
事前にルイーズから聞いたことをミアが話すと、ジュリーがそれに反応する。
「あっ、それ私も聞きました。ティンチルの帰りに亡者達に襲われたときに。亡者と幽霊は違うんですか?」
ジュリーは散々亡者共に追い掛け回されたことを思い出して更に顔を青くする。
ただ今思い返すとあの亡者達は動きは緩慢だった。
落ち着けばそれほど厄介な相手ではないように思えるが、ジュリーは自分が落ち着いていられる気はまるでしていない。
「微妙に違うようですよ。あの亡者は冥界の神の管理下に置かれているらしく全員が元罪人達という話ですよ。罰で亡者となり死後も神に使役され冥界の管理を手伝っているそうです。炎うんぬんは聞いたことないですね」
それにマーカスが説明を付け足すが、対処法などはやはり知らないようで話には出てこない。
「やっぱりマーちゃん連れてきて正解でしたねぇ」
それでもアビゲイルは連れてきてよかったと頷いた。
荷物持ち君が居ればどうにかなるかとは思うが、荷物持ち君も荷物持ち君で制限がある。
恐らく荷物持ち君は無月の女神の領域にある館内には入ってこないはずだ。
古老樹としての特性とも言うべきものだ。
古老樹は大地の、自然の守護者であり、人工物、特に人が住む家とはあまり相性が良くないのだ。
それが神の領域に建てられる家ともなれば、荷物持ち君も護衛者とはいえみだりに館内にまで立ち入ろうとはしないだろう。
「で、対処法のほうは……?」
と、ジュリーが心配そうに聞き返すが、
「知らないですよ」
マーカスも困り顔で答える。
「対処法も何も基本的に出会えないので、私も知らないですよぉ。火ですか? うーん、効くんですかねぇ?」
と、アビゲイルは火や炎云々にも懐疑的だ。
いや、館に憑りついている霊らしいので、館自体を燃やすともなれば効果があるだろうが、そんなことをしたら間違いなくここにいる全員が無月の女神に祟られることになる。
「あんたが元々住んでいた場所でしょうが!」
スティフィがアビゲイルに文句を言う。
確かに死後の世界が存在してない領域であるならば、元々幽霊のような存在は以前から存在していたはずだが、それはアビゲイルが住んでいた時は見たことも聞いたこともない。
「そうなんですよねぇ、師匠がいたからか、そんな物なんて見たことも聞いたこともないんですよねぇ」
その点はアビゲイルも疑問に思っている。
恐らくはマリユ教授がどうにかしていたのだろう。
「じゃあ、マリユ教授は対処法を知ってるってこと?」
と、スティフィが希望を込めて聞き返すが、
「それはそうでしょうが……」
あの何年生きているかも不明の魔女ならば、知らないことなどないはずだ。
幽霊の対処法などお手の物なのだろう。
だが…… そのはずなのだが、少し困り顔でアビゲイルは答えるだけだ。
「聞いてきたんでしょうね?」
と、スティフィが強めに確認するのだが、既にアビゲイルは対処法を知らないと言っている。
「あの師匠が教えてくれると思いますか?」
逆にアビゲイルが半笑いでスティフィに聞き返す。
あの教授なら知ってても教えるわけがない、と、それを聞いた人間すべてがそう思った。
「あー…… これまためんどくさいことになったわね」
スティフィがそう言って、ため息をつく。
「はい、皆さーん! ここが無月の館ですよー」
そう言って、アビゲイルは弦が巻き付いている大きな鉄門を紹介した。
そこは高い石壁に囲まれた大きな館だった。
鉄門にはちゃんと「無月の女神の館なので命おしくば立ち入ることなかれ」と大きく書かれた看板が掛けられている。
鉄門から見える範囲は少なくともすべて藪だ。
草に覆われている。
その藪の向こうに立派な館が見える。
ただ門から見える館は、廃墟と言った感じはあまりしない。
「森に飲み込まれていると思ったけど、そこまででもないのね」
スティフィは放置されている年数を聞いてそう思っていたが、不思議なことに館の建物周辺には草木一本生えてない。
館の建物から離れるごとに草木が生い茂っていっているのだが。
それだけに嫌な気がしてならない。
いや、実際に気がする、どころの話ではない。建物、館からは妙な気配が、身震いするようなおどろおどろしい気配が感じられる。
草木ですらこの館を恐れているのかもしれない。
「まあ、色々と魔術や呪術が嫌というほどかかった建物ですからねぇ…… 恐らく獣の類も入り込んでないはずですよ。その分虫種は入り込んでいるでしょうが」
アビゲイルもあまり想像したくない。
この世界で生まれた獣は神を敬うが、別の世界から旅してきた虫はそんなことはしない。
それだけに館内には獣は入り込んでいないだろう。
その代わりに我が物顔で虫種は大いに入り込んでいるのだろうが。
「あー、確かに。庭は草ぼうぼうですが、館の周りだけは草も生えてませんね。これなら割とすぐじゃないですか?」
ミアは能天気にそんなことを言っている。
無月の女神の領域が発するおどろおどろしい気を、気にも留めていないようだ。
「幽霊、いるんですよね? どこにいますか? もういますか?」
逆にジュリーはその身を震わせながら辺りを警戒している。
「今は昼間なのでいても見えませんよ。一説には幽霊は霧なんかに姿が映ることがあるだけで、本来は眼に見えないらしいですよぉ」
そう言いつつアビゲイルは館の窓を見る。
今も恨めしそうに見ている存在をアビゲイルの義眼には捕らえられている。
ただそれらの存在も館から出てこないようだ。
「アビィちゃんの話通り、さっきから虫が、羽虫が凄いですね……」
ミアも幽霊の存在には気づいていないようだ。
しきりに飛んでくる羽虫を手で追い払う事のほうが重要そうだ。
「当時は防虫と殺虫の陣がありましたが、もう魔力切れで動いてなさそうですねぇ」
アビゲイルは当時のことを思い出す。
館の裏手に小屋があり、そこに魔法陣が敷かれているはずだと。
「フーベルト教授に教えてもらった殺虫陣があるんですが、使っていいですか?」
ミアが羽虫に耐えきれずにそんなことを言いだしたので、アビゲイルが慌てて止める。
「ダメッ、ダメですよぉ! ここは主の領域ですよぉ。他の神々の魔術はなるべく使わないでください」
アビゲイルの慌て様から、割とそれが危険な行為だと、アビゲイル以外の全員が今しがた理解した。
そして、なんでそういうことを事前に言わないんだ、と全員が思う。
「ええー、あっ、荷物持ち君は? 制御刻印をロロカカ様の神与文字で書かれているんですが?」
慌ててミアがアビゲイルに確認する。
「本当はあんまりよくないんですよぉ、でも今回は幽霊相手なので特別ですよ。それに」
どうも無月の女神とロロカカ神は何かやら関係もありそうだと、アビゲイルは考える。
無月の女神が他の神の巫女を、嫉妬の女神とも言われている女神がだ、他の神の巫女を助けるようなことを言ってくるなどありはしないことだ。
恐らくロロカカ神の神与文字で書かれた制御刻印を持つ荷物持ち君は神の怒りに触れることもないだろう、とアビゲイルは予想している。
ただ確証はなにもない。
だから、表立っていうこともアビゲイルはしない。
そもそも上位種の古老樹が神の怒りに触れるようなへまをすることもないのだが。
「それに?」
と、ミアが聞き返すがアビゲイルはいつも通りの張り付いた笑顔を向けるだけだ。
「いえ、なんでもないですよぉ。そんなわけで神霊術の類は基本、使用禁止です。拝借呪文もダメですよー。使うなら使徒魔術と精霊魔術、それと自然魔術にしてくださいね。魔力の水薬は平気ですよ」
アビゲイルは注意を促す。
それを聞いた者は、なんでそれを準備段階で言わない? と言う疑問しか浮かんでこない。
特にミアは前もって言ってくれれば、魔力の水薬をたくさん用意しといたのに、と思っている。
「他の神に頼らないような魔術は良い感じですか?」
と、マーカスは考え込む。
が、ますます自分にできることなど何もない、と自覚するくらいだ。
幽霊犬である黒次郎や呪痕も食べるような白竜丸の方が役に立つだろう。
「はい、だからディアナちゃんを連れて来たかったんですよねぇ……」
アビゲイルは今でも残念そうに言った。
ディアナがついてきてくれれば、恐らく幽霊など物の数ではないのだから。
とはいえ、ほぼその身に宿す使徒の指示に従っているディアナが動かないという事は、今回はディアナに憑いている使徒も動かないという事なのかもしれない。
魔術の神も無月の女神と干渉し合うことを望んでないのかもしれない。
「でも、あの子に幽霊退治を依頼したら館事焼き払われるわよ」
そして、スティフィの言う通りでもある。
神の使徒が人間の建造物など気にするわけがない。
館ごと、焼き払われるのは十分にあり得る話だ。
「それは否定できないですねぇ」
と、アビゲイルもそれを認める。
ある意味、連れて来れなくて正解だったのかもしれない。
「そんなことより、見えないだけで幽霊はいらっしゃるんですか?」
ジュリーが一番後ろから、青い顔をしてそんなことを聞いてくる。
それを聞かれたアビゲイルは左目を閉じて右目だけで屋敷の窓を見る。
数カ所の日が当たらない窓から、半透明の青白い人影がこちらの様子を伺っているのがわかる。
「あー、いますね。館の中から様子を見てますね。まあ、とりあえず昼間は館に入らなければ大丈夫ですよ」
それを見たアビゲイルは適当にそんなことを言う。
その言葉になんの確信もない。
「それって昼間でも館に入ったらまずいんですか!?」
それを聞いたジュリーはぶるぶると震えだし、ミアは不思議に聞き返した。
アビゲイルは一瞬だけ迷いはしたものの、
「私も幽霊にそんな詳しくはないので…… なんとも? 今日はとりあえず庭の草刈りだけしましょう。裏の小屋に当時使ってた殺虫の陣がありますので、まずはそれを起動させましょうかぁ」
と提案する。
アビゲイルとしても、あの幽霊たちがどうでるか、まるで予想がつかない。
今日のところは外で様子見を見ながら外で作業をする方が良さそうだ。
「そこまでの道がないじゃない?」
スティフィにはその裏の小屋とやらがどこにあるかわからないが、そこまで行くのも大変だという事だけは理解できる。
既に庭は草木に覆われている。
昔は道もあったのだろうが、今はその影もない。
「燃やしていいのなら燃やしますか?」
ミアが自信満々にそう言った。
ミアの契約している使徒魔術は指定した場所だけを燃やすことが出来る。
確かに便利だが、草木を燃やすだけに使うのは流石にもったいないし、かなり広い屋敷でもある。
小屋迄の道を燃やして作るだけにしてもかなりの浪費となる。
それだけにミアへの負荷もかなり高いだろう。
「あー、ミアちゃんの指定して燃やせるっていう使徒魔術ですかぁ…… 小屋は裏手にあるので結構距離ありますよぉ?」
アビゲイルは便利そうだ、けど、恐らくすべて焼くまでには至らない、と、判断する。
スティフィは、
「止めときなさい、ミア。また鼻血だして倒れるわよ」
蟻の巣で始祖虫と出会う直前のことを思い出してそれを止める。
あの時も大量の蟻を焼き払いミアは倒れている。
「じゃあ、荷物持ち君を先頭に行きましょうか」
ミアがそう言うと、荷物持ち君が任せてとばかりに前に出る。
荷物持ち君が先頭に立つと、屋敷の窓から様子を伺っていた幽霊たちが一斉に身を潜めていった。
それを見てアビゲイルも笑顔になる。
少なくとも荷物持ち君の周辺だけは安全そうだ。
「おっ、おおお…… 流石ですねぇ」
「どうしたのよ」
と、なんだか驚いているアビゲイルにスティフィが声をかける。
「いや、荷物持ち君に恐れおののいて、幽霊たちが一斉に館の奥へと逃げて行きましたので」
「見えるの?」
スティフィは怪訝そうな顔をしてアビゲイルに確認する。
「はい、義眼の方でしっかりと」
と、やはり張り付いた笑顔でアビゲイルは答える。
「確かに視線は感じなくなったけど…… 不気味よね。視線の元には何もいないし」
スティフィはそう言って視線が送られていた先、館の窓をに視線を送る。
そこには誰もいない。
スティフィが視界に入れてからずっと誰も居ないのだが、確かに視線となにかしらの気配だけは感じていた。
今はアビゲイルの言う通り去ってしまったようで、視線も気配もない。
「に、荷物持ち君のそばに居れば平気ってことですか?」
その話を聞いたジュリーが半笑いで確認をしてくる。
その顔は半笑いだが、かなり必死にも思える。
「まあ、そうですねぇ」
と、アビゲイルが適当に返事をする。
アビゲイルからしても幽霊の生態、生態と言っていいかもわからないが、そんな物を知っているわけでもない。
「ミアさん、手を握ってください!」
ジュリーはそう言って、許可を待たずにミアの左手にしがみ付いた。
有無をも言わさないつもりだ。
「え? はっ、はい? 良いですけど」
ミアも少し困惑しながらもそれを了承する。
スティフィはそんなジュリーを見てため息をつき、顔の辺りを飛んでいる羽虫を手で払う。
「とりあえず、この草と虫、どうにかしないとね」
しつこく顔のあたりを飛んでいる羽虫を手で追い払いながら、スティフィーはそう言った。
そして、ミアにしがみ付いているジュリーを見て、無様と楽しそうに笑う。
「虫種は神々をあまり怖がりませんからねぇ。獣たちは主のことをちゃんと慄いてくれるのですが」
辺りを飛び回っている羽虫を意にも介さずにアビゲイルはそう言った。
顔は張り付いた笑顔のままなのだが、無月の女神のことを恐れもしない虫種に対して、少しばかり苛立ってはいるようだ。
「あー、だから、天敵がいなくてこんなに大繁殖してるんですね?」
ミアはそう言って、この大量の羽虫、柱状になり渦になって飛んでいるものに目をやる。
いるのは羽虫ばかりではない。
様々な虫がそこら中にわんさかいる。
足元にだって見たことのない虫がそこかしこと這っている。
それらの天敵となる小動物もいないので、虫達にしたらここは楽園のような場所なのかもしれない。
「まあ、そうですねぇ。とにかく裏の小屋を目指しましょう」
アビゲイルはそう言って意味もなく笑顔を見せた。
マーカスは既に疲れた表情を、とくに精神的に疲れている表情を見せた。
あとがき
万が一、いや、千が一、百が一……
十が一、誤字脱字があればご指摘ください。
指摘して頂ければ幸いです。
少なくとも私は大変助かります。
もし気に入ったらで良いので、いいね、ブックマーク、感想等ください!
後、誤字脱字がいつになってもなくならない……
気を着けねば…… ならねば……
ついでにクリーネさんは夏休みで自宅(領地をまだ持っている親戚の領地にある家)に戻っているので出てきません。
今後出て来るかも不明だけどね。




