第五十二話 王国領か帝国領か
キャメリア王国とマルーン帝国の停戦は、ここ管理棟でも話題となる。あの好戦的な帝国が停戦を申し入れてくるとは到底考えられないというのが、全般的な判断のようだ。
――一体、帝国になにがあったのだろうか。
あの細面の召喚士の顔が真っ先に思い浮かぶ。美人さんだったなぁ。大分嫌われてしまったか。まっ、いち現地徴用兵にはまったく関係ない話ではある。
管理棟で得た情報を総合すると、魔物は帝国領に強い魔物がいるようだ。狩ることのできる魔物が強ければ、それだけ早くバックパックの復活が見込まれる。例えばコザニの迷宮、魔の大森林で出会ったピューマタイプか。
しかし、今の俺の力量で勝てる魔物なのかどうか。身体強化もままならない現状で、あのスピードタイプのピューマの魔物と渡り合えるだろうか。
一方、王国領には手ごろなダンジョンがあり、ゴブリン、コボルト、オークやオーガといった亜人系の魔物なら戦いも比較的容易だ。今の俺の頼りは、長ドスだ。帝国軍魔物隊との戦いでゴブリンとオークとは対戦済みだ。亜人系の魔物なら、頼りのドスでも戦えるだろう。
魔物の狩れる場所、あるいはダンジョンの情報について更に情報収集を重ねる。どうやら、領都へ向かいそこで、ダンジョン潜入のための準備をしっかりとすることが、先決のようだ。
早く、あの迷宮に、皆が待つコザニの迷宮に戻りたいところだが、ここは急がば回れだ。
よし、ホッチナー辺境伯の領都ハスランに行こう。マルーン帝国は、最初に綾がついた。あの細面の召喚士の顔が、真っ赤になった臀部が、美形の泣き顔が、真っ先に思い浮かぶ。
――いかん! いかん!!
一瞬でも、魅力的な尻だなぁなんて思ってしまった、が後の祭り。瞼に白い双丘が焼き付いてしまったようだ。
ここは、振り切るためにも、領都ハスランに行こう。そこで、魔力の回復、そしてバックパックの復活を図ることとする。
そう言えば、名前も聞いていなかったな。
短い期間だったが一緒に戦った分隊の仲間たちは、結局他の戦線にいくことはなかった。猫人族のルビーと別れるのは少し寂しい。これから寒い季節に向かうので、あの寝心地を手放すのは残念で仕方ない。
ローレル戦線の北、中部、南の三か所で帝国と衝突していたのだが、北だけが停戦ということはなかった。三か所全部での停戦だった、但し、戦線が元に戻ったのは北だけだったが。
戦闘奴隷の十一人はふたたび、現地の北ローレル戦線に出向く。出世した分隊長が待っている。今は小隊長かもしれない。
現地徴用兵の俺は、ただ一人解放され、給料王国金貨二枚と携帯用食料品――干し肉とか固いパンとか――をもらって、ホッチナー辺境伯の領都ハスランへと向かうこととした。勿論、長ドスは俺のもの。今は十の月の下旬。
ちなみに王国金貨の価値だが、家族四人で一カ月の生活費が王国金貨十枚程度らしい。
向かうとは言え、徒歩という訳にはいかない。管理棟への出入り業者の荷馬車到着を待って、同乗させてもらう。管理棟への荷物を卸せば、荷台は空になる。領都で怪我、治療に専念する兵士がいなければ、帰るだけの便だ、人ひとり程度乗り込む余裕はたっぷりとある。一日約七十キロの道程か。領都までは約千キロ、約十五日程度の行程となる。
荷馬車は三台、幌馬車が一台。幌馬車には、護衛の兵士が四人乗り込んでいる。御者も兵士だ。八人編成、俺は、後方の荷馬車の御者隣りに席をとる。手間賃として王国金貨一枚を支払う。
十五日間の道中は、盗賊や魔物の襲来があったり、野営をしたりと飽きることなく進めることができた。貰った携帯用食料品を提供して、仲を深めることができた。干し肉とか固いパンとかだけどね。
御者との会話も弾み、情報収集も進んだ。十五日間の道中は長い。自然と会話の中心は、お互いのことの話になる。あの兵士は結婚したばかりで、家族が、領都で帰りを待っているとか、あいつは、どこそこの家の出で、有能な家系だとか、あの斥候は、母親想いのいい息子だとか……。
――思わず、前の世界のことを思い出す。
東北の片田舎にある老健介護施設に預かってもらっている母は、元気にしているだろうか。孫の顔を見たいとせがまれていたが、結局果たすことはできなかった。
母は、昭和戦前生まれ。その時代の家族の在り方に染まった人だ。家中心の生活、親の決めた結婚。嫁に来てからは、夫に、舅に、姑に尽くし、子供を精一杯育て、そして孫の顔を見ることを楽しみに生きて来た。母はどんな思いで俺のことを、結婚もしない俺のことを見ていたのだろうか。
家族、絆、血縁。様々な思いが胸を押しつぶす。結局、佐藤家としては俺の代で終わる。終わってしまう。まあ、それ自体は、もう割り切れているのだが。
サラリーマン生活の一つの区切りとして、六十歳定年を迎える年だった。俺はこの六十年で何を成したのだろうか。何かを残せたのだろうか。
思えば、会社のためと自分を偽って、色んな事に手を染めて来た。
蛇の道は蛇
まあ、そういう時代だったということだ。済んでしまったことは致し方ない。そんな思いが堂々巡りする。
もし、タイムマシンが開発されて、一度だけ過去に戻ることができるとしたら、何歳の自分に戻って、佐藤 通の人生をやり直したいだろうか。
他人に迷惑を掛けないで、家族に優しく暮らせるだろうか。
そんな俺のほんの少しの罪滅ぼしのために、ストリートチルドレンの面倒を見てきたのだろう。
偽善と言われても仕方ない。
野営をしていて、満天の星空を見上げると、そんなことをつらつらと考えてしまう。
母は認知症を患っている。もう何も覚えてはいないだろう。俺の顔すらどうだろうか。
ホッチナー辺境伯の領都ハスランの周辺には三つのダンジョンがあるようだ。言うなれば、初級、中級そして上級のダンジョン。冒険者ギルドや商業ギルドも店舗を構え、商業取引も活発らしい。中心は穀物、果物、そして酒類。特にワインが特産品のようだ。
ホッチナー辺境伯領でさえ、このようなウワサが流れて来る。王都ならどれほどの逸品が流通しているのだろうか。楽しみだ。
十一の月のある日、俺はホッチナー辺境伯の領都ハスランに到着した。お世話になった荷馬車隊とはここでお別れだ。兵士団は別の門へと向かう。俺は一人、門番に商業ギルドのドッグタグをチェックされ、入門の許可を得る。
かなり大規模な街並みだ。高い石壁で二重に囲まれた領都。一重石壁の内側は、ホッチナー辺境伯の私邸か執務館か。所謂、貴族街と呼ばれる地域だ。その一重石壁と外石壁のはざまはとても広く設けられ、商業都市の雰囲気を漂わせている。
拡張に次ぐ拡張で街が作られたのだろう。街道は複雑に組み合わされていて、多くの町人の営みが伺える。
しかし、中央通り沿いには、店舗がしっかりと設けられていて、通行人や買い物客で賑わっている。
人口は十万人前後だそうだ。早速商業ギルドに出向き、登録をお願いする。大陸間の情報通信はないとのことだが、商業ギルドに登録してあることに変わりはない。
ここを拠点にして、魔石狩りに励もう。




