第四十四話 アンジーの想い
二人の姿は、星のまたたきのような、一瞬の煌めきを残して、そして消えた。
――えっ?!
誰もが、何が起こったのかを理解できず、その場に立ち尽くしていた。
上空にも地上にも誰も何もいない。飛竜にとどめを刺し、地上で待機していたベンガルトラのベルがゆっくりとその身体を起こし、あゆみを塔へと進める。
ぼくは、魔力切れを予感し、あわてて旋回、塔へと帰還する。
作戦指令室に戻ると、ダンジョンサブマスターのジーンが呆然としていた。他の航空魔導部隊員たちは、ダンジョンマスタールームでクロエに付き添っている。
固まったままのジーンに、
バシッ!
ジーンの頬を右手でなでて、確認する。
「トールは、どこにいるの? 」
「わかりません。わかるのは、死んではいないということだけです。」
ジーンが顔色を悪くしながら答える。
「ダンジョンマスターが死ねば、眷属も死にます。」
ジーンは、モニターに映し出されているゴブリンのマーチン中隊の姿を指さす。
「大分上空で爆発したように見えました。その後すぐに、その爆発も、光も、炎も、煙も何かに吸い込まれるように消えました。」
モニターでトールの姿を探す。
ベンガルトラのベルが、毛皮の敷き物の上で丸まって顔をうずめる。ダンジョンコアもトールを探しているのだろうか、何の反応もない。
「何もわかりません。二人とも消えました。」
ジーンがモニターを睨みながらそう答えた。
トールのことが、次々と頭の中に浮かんでくる。
トールは、去年の四の月、クロエがどこからか連れてきた男の子。二人で初めて迷宮に潜り、魔石を狩り、ぼくたちにご飯を持ってきてくれた。
「……さあ、串焼きでも食おうか。」
トールの声がまた頭に残っている。
クロエは、三カ月間冒険者ギルドの研修を受けていたが、ゴブリンを前にして全然動けなかったと言っていた。トールのお陰で、魔石を、お金を稼ぐことができたと言っていた。
その後ぼくたちは、飢えの恐怖、暗闇の恐怖から解放された。大人の目を怖れて隠れることも、衛兵の声に怯えることも必要なくなった。そして、魔物の恐怖からも解放された。
柔らかいパン、温かい食事、やわらかいベッド、みんなが一緒に暮らせることがとても嬉しかった。
毎朝の辛い水汲みの仕事をしなくても良くなった。
――全部トールが持ってきてくれたんだ。
暖かい布団、小ざっぱりとした服、そして履きやすい、動きやすいブーツ。どれもトールが持ってきてくれた。ララアが伸びた髪を綺麗に編んでくれた。
ぼくに風属性の適性があり、魔法が使えるようになると、魔力の扱いや増やしかたを教えてくれた。魔法を一つずつ練習に付き合ってくれた。
ある日、トールがぼくに竹箒をくれた。
――アンジー、飛んでごらん?
迷わずまたがり、ぼくは飛べる、飛ぶんだと風の妖精シルフィードに願った。
黒い第一戦闘服を作ってくれた。
それから、今年の四の月にはモクバを作ってくれた。宝物だった。竹箒は、空を飛ぶことができたが、モクバはぼくを解放してくれた。
ぼくの思う通りに動くモクバ、魔物の恐怖から完全に開放された。ぼくの能力を引き出してくれた。ブレットを複数扱うことができた。よく当たるようになった。身体強化が上手く使えるようになった。
風の妖精シルフィードが、ぼくに話しかけてくれるようになった。友達になれた。シルフィードが、モクバでのアクロバット飛行や背面飛行を教えてくれた。モクバとぼくはひとつになれた。
とても気持ちが高ぶっていた。風が心地よかった。
トールが、ここ新しい迷宮、イルメハの迷宮に連れて来てくれた。ヘリコプターといううるさい乗り物に乗せてくれた。
ベンガルトラのベルには、とてもびっくりしたが、とても毛並みが綺麗だった。
大鷹の幼生フィーをぼくに預けてくれた。
――トール、帰って来て。無事に帰って来てください。
ぼくは、思っていたよりもずっとずっとトールのことを頼りにしていたらしい。
――トール、ぼくはトールがいなきゃ誰を頼りにすればいいの? 帰って来て!
ぼくの頬を涙が伝う。
ぼくは一人、ダンジョンマスタールームへと向かい、クロエとアナベルの様子を伺う。
重症を負ったクロエはまだ目を覚まさない。火属性使いのエイマールとクラリスは、クロエのベッド右横と左横でクロエの手を取りながら疲れて眠ってしまったようだ。
ソファにはアナベルが眠っている。魔力切れは少しは回復しているように見える。寄り添うようにメリッサが、新人のシェイラとルーが眠っている。
反対のソファには、ジェミニとエマが、お互いを抱き合って眠っている。
今日のハルピュイア戦は激戦だった。皆声には出さないが、とても不安だっただろう。
トールがいなくなったことは、まだ誰も知らない。
トールのことをみんなに何て言おう。ララアやケイトにも知らせなくては。
クロエのことが心配で仕方ないが、疲れ切って眠っている家族たち。
クロエの額に右手を当てて、回復を願う。
――クロエ、どうか良くなって。
ふたたび、ぼくの頬を涙が伝う。クロエを、トールを失うかもしれない恐怖、その感情の戸惑い、拭い切れない不安。出口の見えない迷い。
深い闇に、重い感情に押しつぶされそうになる。よみがえる悲しく切ない記憶に、心が折れそうになる。
握った右手が、立ちすくむ両足が恐怖に震える。吸い込んだ息が、重く肺を潰していく。頭に血が、酸素が回らない。今にもめまいに打ち倒されそうだ。
遠ざかっていく希望の光。次第に色濃くなる絶望。繋ぎとめていた想い――生きていて――が断ち切られていく。
――ぼくは弱い。
――食べるものもままならない、あの日に戻ってはならない。
――夜の闇に怯える、あの日に戻ってはならない。
あの日の、トールの言葉を思い出す。
――恐れることはない。必ずみんなで一緒に乗り越えていこう。力を合わせて乗り越えていこう。
トールの決意が、思いが、ぼくの胸に溢れる。
トールの大事な家族を鼓舞した言葉が胸に響く。ぼくだってトールの家族だよ。トールの留守は、ぼくが守る。トールの戻る場所は、ぼくだちが守ってみせる。
――恐怖なんて吹き飛ばせばいい。
――不安なんて振り払ってしまえ。
――暗闇なんてぼくの想いで散らしてみせる。
ぼくの心が叫ぶ。大事な人の居場所はぼくが守る。
クロエのほほに、右手を当てる。赤味が差して温かみが伝わってくる。
――クロエ、どうか良くなって。
ぼくは、決して忘れないよう、決意を心に刻んでいく。
作戦指令室に戻り、モニターを睨む。トールは見えない。意を決してジーンに声をかける。
「ここは、トールの帰ってくる場所だよ! ぼくが守る!!」
歩いてきたこの道を進むことしか出来ないなら、今ここでぼくが迷いを、ぼくたちが憂いを断ち切る!
「現在、迷宮内防衛は安定しています。冒険者の侵入も特別警戒するべきパーティはひとつだけです。まだ二十三階層です。」
ジーンも覚悟を決めたのだろう。しっかりと答える。
「地上の魔物の領域内侵入は、以前として頻繁です。現在は、ゴブリンのマーチン中隊を中心に迎撃しておりますが、塔の中心だけで精一杯です。ここは強化が必要です。」
「失ったオーガの補充かな? 」
「まずは、オーガ四体を召喚して、残っている青オーガとともに地上防衛の任に着かせます。」
ジーンは、早速四体のオーガを召喚し、それぞれ殲滅の指示を与えていく。
クロエの故障したモクバとアナベルのモクバは、ゴブリンのマーチンが回収してくれた。
晴れ渡った北の夜空から、大きな流れ星が西の空へと落ちていった。




