第二話 ストリートチルドレン
灰銀色の細くて真っ直ぐな髪をショートカットに揃えたクロエが、冒険者ギルドで魔物討伐ドロップアイテムの清算を終えたのは、夕方を過ぎ、すっかり陽が落ち紫の残光が消え始めた頃だった。
コザニの町の北門にかかる橋の河岸側でクロエの帰りを待ちながら、俺はマイクとレイに明日の行動を打ちあわせておく。マイクとレイは十歳の男の子、ここ六日間日替わりで魔物討伐ドロップアイテムと魔石回収のポーターとして連れていっている。壁外の子だ。
「いいかい、ゴブリンから目を離さない。目をつぶらない。」
俺が二人に交互に目線を合わせながら話す。
「……」
二人は無言でうなずく。
「そして、足を動かすこと。立ち止まったままでは、どうぞ殴ってくださいと言っているのと同じ。」
俺が足の動きを示しながら、注意を重ねる。
「……」
二人は、その足の動きを見ながら今度も無言でうなずく。
マイクとレイには毎日ゴブリンと対峙する際の話をする。何度も繰り返し話をして、ゴブリンは怖くないと教える。そして、迷宮に潜ってゴブリンの姿を見せてみる。目をつぶらせないで見せる。――今はここまでだ――
マイクは、ミルクティー色のふわっとした髪をツーブロックに刈り揃えている。レイは、淡い金髪のさらさらのストレートヘアをショートカットに揃えている。二人とも動き回るのに邪魔にならないよう短めの髪型だ。
ここサンズ王国では、推奨されてはいないが、十二歳から冒険者登録ができる。登録が推奨されているのは成人となる十五歳からだが、魔石の収集のため冒険者要員を確保する必要があり、十二歳まで年齢が下がっている。そのため、十五歳未満での登録は、三カ月の研修が義務付けられている。
ストリートチルドレンで十二歳はクロエだけ、マイクとレイは十歳。あとは一桁年齢だ。唯一冒険者登録しているクロエだけが、町中に入り冒険者ギルドでドロップアイテムの清算ができる。他の者では入町税が掛かってしまう。
テーベ大陸を南北に走るバスケスナ大山脈の西側に位置するサンズ王国は、その大山脈から流れ出るセーナフ河のもたらす恵みにより肥沃な大地を抱える農業大国だ。
北には魔の大森林帯、南には熱帯砂漠地帯に接し、西にはスミアイ海を望む。バスケスナ大山脈を挟んだ東側には、ローカム帝国が支配する地域がある。が、バスケスナ大山脈を超えることはままならず、国境の諍いはない。両国とも自国の資源開拓に忙しく、国境紛争どころではない。その両国を隔てるバスケスナ大山脈の南の終端に位置するロドーホ共和国を間に挟んだ貿易が盛んだ。
コザニの町は、バスケスナ大山脈の北側のふもとに位置し、セーナフ河の支流のひとつであるキーコリフ川の扇状地帯に位置する。サンズ王国の北東の端に位置するが肥沃な大地だ。
キーコリフ川の中州の一つが発達した町で、石造りの町壁が中州をぐるり取り巻き、東西南北に門がある。南北の門の外には対岸へ橋がかけられ、それぞれ中州の外の河岸へとつながっている。南北は比較的川幅が狭く、主に人の出入りや陸運に使われる。南門の橋から先には、コザニの人口一万人の胃袋を満たすべく小麦畑が際限なく広がっており、小規模な農村が点在している。西の門には港があり、キーコリフ川を利用した物資、主に材木や小麦の運搬の中心だ。川沿いのそこかしこに粉挽き用の水車が回っている。東門の外には、ひときわ大きく頑丈な橋がかけられており、バスケスナ大山脈の大いなる恵みを運びいれている。
人口一万人ほどが生活を営む町内に空き地はなく、壁の外、中州の外の河岸に人があふれている。特に一年前に北門から一キロメートルほど離れた場所に迷宮が発見されてからは急速に人口が増え、壁外へ町が広がっていった。
北門から迷宮の入り口に繋がる迷宮街道には、道を挟んでいろんな露店が店を連ねている。そして北門の河岸で暮らす者たちのねぐらがそこかしこにある。迷宮のおこぼれで生活している者たちが千人ほどだ。壁外とはいえ、コザニの兵士団が巡回警備し、治安を維持している。
北門の迷宮が誘蛾灯のごとく、町のキャパシティを超えて人を、冒険者を惹きつけている。
コザニの町の北門の外には、自分の考えた設定どおり一キロメートルほど先に迷宮がある。小説の設定では、迷宮に入って換金できるものをとってくる仕事、冒険者として、生きる糧を得ていく方向でストーリーを進めるつもりだった。
コザニの町は王国のなかでは北東のはずれに位置し、王都からも離れており、この辺りや迷宮の中の魔物や魔獣は弱いため、あまり冒険者のレベルも要求されない。同じバスケスナ大山脈のふもとの町でも南に下ったところでは、中級の迷宮があったり、魔物たちも強力なものが跋扈している。階級や腕を上げた冒険者は、そちらへ移動していく。
魔物や魔獣の討伐の仕事は人気があるが、迷宮の最下層や全体像はまだ判明しておらず、冒険者の仕事はいくらでもあるようだ。幸いにも迷宮の入場料は無料。迷宮を冒険者に開放して、その上がりを納めてもらおうという方針か。
北門からの迷宮街道には露店が立ち並び、魔石を買い取ってくれる商人やちょっとした武器や防具、アイテム、食糧などを売っている露店もある。迷宮の魅力が冒険者を惹きつけているが、町の成長に整備が追い付いていない。コザニは、もっともっと大きくなるのだろう。
迷宮は二十四時間開放。入口はコザニの兵士団が警備をしている。その一階層はゴブリンしかいない。それでも、落としたアイテムや魔石を清算すれば、その日の糧を得られる。ゴブリンの魔石は銅貨一枚、それでも五十体討伐すれば銀貨五枚。一日生活出来る額だ。
魔石は魔道具コンロや魔道具ライトといった道具の燃料として使われていて、小さな魔石でも需要がある。マナフュージョンと呼ばれる極めてエネルギー効率が良い魔石がこの世界のエネルギー源だ。日本での生活で言えば、二次電池。あるいは高効率のキャパシタか。もっともこの大きさの魔石は使い捨てだ。耐久性が低く、マナエネルギーを何度か充填、放出すると劣化し割れて砕けてしまう。
そういったこともあり、小さな魔石でも需要はあるのだ。迷宮が見つかる前のコザニの町は農業、林業中心だったが、ここ一年で急速にエネルギー産業が成長している。
十二歳になるのを待って冒険者ギルドに登録し、春までの三カ月間ひと通り冒険の訓練を受けたクロエをかしらとするストリートチルドレンは八人。
子どもたちは八人で同居しながら、路上で労働するタイプのストリートチルドレン。自分たちで採集した薬草、木の実などを迷宮街道沿いで売ったり、冒険者のポーターをしたり、冒険者の泥だらけのブーツを洗ったりなどを生業とする児童労働者だ。
こうした労働は、家族を支えるためだったり、自分で生活してゆく手段である。クロエの迷宮での稼ぎがポイントになる。こんな設定をした俺としては、何とかクロエの冒険者家業を軌道に乗せる手伝いをしなくてはならないだろう。
いや、そうではない。こっちの世界では、俺は後方で楽をさせてもらう。そのために、前線で戦う冒険者を育成するのだよ。迷宮初日で、俺はクロエの信頼を勝ち取った。ゴブリンと直面した恐怖を拭い去ってくれた人、食べるものがないという恐怖から救ってくれた人という刷り込みが出来たのだろう。翌日にはマイクとレイも同様だった。ゴブリンは恐怖の対象だ。――笑ってしまうが。
いや他人のことをとやかくは言えまい。俺も初対峙の時は小鳥のように震えていたっけ。
壁外ではゴブリンのこん棒は買い取ってくれない。薪程度にしかならないからだ。買い取りは魔石のみだ。キーコリフ川を下ってセーナフ河沿いにある王都へ持ち込む商人が積極的に取引している。王都でのエネルギー消費量は莫大だ。そのため壁内の冒険者ギルドより少しいい値段での買い取りをしてくれる。
こん棒は大した金額にはならないが、冒険者ギルドで買い取るので、登録のあるクロエが受付で清算してくることとなった。
初心者研修で三カ月間通い慣れた道ならそれほど不安はないのだろう、一人でどんどん進んでいく。
「――トール、清算終わったよ。」
笑顔で戻ってくるクロエ。
ギルドで清算を終えたクロエを待っていたのは妹弟総数七人。血縁はないが、家族同然。みんな腹をすかしている。俺も彼らの拠点に居候を決め込んでいた。明日の朝食に黒パンも買っておこうか。俺はクロエから報酬を受け取って、八人の壁外の孤児たちの瘦せてこけた顔を見回し、声をかけた。皆の期待の眼差しが少し……。一言報恩ならぬ一食報恩か。
「……さあ、串焼きでも食おうか。」
この日の報酬は、銀貨七枚、七十ルード程度になっていた。
ルードというのがこの王国の貨幣単位らしい。他の国のことは知らないが、この王国では一ルードが銅貨、十ルードが銀貨、百ルードが金貨だ。俺の住んでいた日本の物価と比較すると、一ルード=百円~百十円といったところか。一万ルードの白金貨などというものもあるらしい。大手商取引向けか。十ルード千円銀貨が使い勝手の主流か。
こうして異世界初日から六日目まで、何もかも手探りの中、慌ただしく時間を過ごし、少しずつこの世界の情報を手に入れ、お金の稼ぎ方を覚え、生活を組み立て始めた。
毎日の生活の糧を分け合い、寝食を共にし、魔物討伐の必要性を重ねて語り、少しずつクロエ達の信頼を掴んでいった。空腹の恐怖というものは計り知れない。日本人のダイエット大好き人がかかる空腹恐怖症とは違う。
食べるものがない。魔の大森林には、木の実やベリーがあるが、そこまで行くには、一角ラビットなど魔物がいる。一角ラビットとはいえ、子供の柔らかい腹部を直撃したら即死だ。死の恐怖が先に立つ。そんな生活が何年も続いていたのだ。
そこに颯爽と現れた俺。朝晩の二度の食事が毎日続けば、がっちりと信頼を掴むのも容易だろう。
春風が、雨上がりの土の匂いや草花の香りを運んできて、俺はこの世界の自然の営みの中で生きているんだという実感を掴んでいた。