砂の落ちきった砂時計
その小説家は、古びてはいるものの立派な砂時計を大切にしていた。
小説が軌道に乗ってきて楽しいとき、尊敬する小説家からメッセージをもらって嬉しいとき、思うように書きたい事が書けず辛いとき、小説も書けないほど悲しいとき、その全てを砂時計と分け合った。
そうした感情の共有を続けているうち、不思議な事に砂時計に自我が芽生えた。声を出すことも自らの意思で動くことも出来なかったが、自分を大切にしてくれている小説家を少しでも助けようと、自ら小説家の心に寄り添った。
一人と一つ…いや、"二人"の生活は平凡ながらも幸せなものだった。
しかし、生活難のために行っていた執筆以外の仕事が忙しく、そして苦しくなり、次第に小説家の心は執筆に向かなくなっていった。砂時計はそんな時でも小説家に寄り添い、何か自分にできることはないか一生懸命に考えたが、砂時計にできたのはただ決められた時間を計ることだけだった。
忙しさと苦しさに心が折れた小説家は、ついに執筆を完全に諦めてしまった。自らが持っていた文字の世界への好奇心の全てを捨て、本人の中でその好奇心の象徴であった砂時計は最後に逆さまにされ、物置の隅に追いやられた。
砂時計は物置に置かれる最後の時まで、小説家だった男の事を心配していたが、暗い物置に置かれると、少しずつ意識が薄くなっていくのを感じた。
自我が消えようとしている事に気づいた時には、砂はもう半分落ちていた。
全てを悟った砂時計は、砂が一粒一粒滑り落ちていくように小説家との思い出を一つ一つ大切に振り返り、そして彼の幸せを願いながら静かに眠りについた。
「あなたとの日々は毎日がかけがえのないものでした。本当にありがとう。例えあなたが小説を書こうが書かまいが、私はあなたの幸せを切に願っています。さようなら。」