第三夜
こんな夢を見た。
或る時、私は車を運転する女性であった。頭から尻尾まで真っ赤なオーブンカーに私は乗っていた。ただ、運転しているといっても、その手はハンドルの上にはない。その理由は、今私が走っているのが、広い荒野だからである。
それもただの荒野ではない。正面から真後ろ、また真後ろから正面まで見渡しても、ほとんど何もない、まっ平らな荒野だ。これでは事故を起こす方が難しい。因みに、先程「ほとんど」と言ったのは、正面に巨大な木が見えるからだ。天を衝くような、どこまでも上に伸びている木。
私はずっと昔からその木を目指して進んでいた。しかしその大きさはいくら進んでも変わらないので、私はいつも月や太陽に走って追い付こうとしているような不毛さを感じていた。
障害物がないのをいいことに私はさらにアクセルを踏み込んだ。そして、「どうせ誰かが聞いてる訳じゃない」と流していた音楽の音量を最大にした。
流れる曲は、私が昔好きだったミュージシャンのデビュー曲だ。今となってはタイトルさえおぼろげだが、確かに彼の曲の中でも好ましく思っていた曲だった。しかし私は何故この曲が好きだったのかすら、やはり憶えてはいないのである。
その時、車体が跳ね上がった。原因は道が整備されていないこと。つまりは、いつものことなのだが、その時の私は妙に気が立っていて、顔が歪むのを止められなかった。歪んだ顔を自覚した拍子に、私はあることを思い出した。それは、彼の曲が好きだった理由ではなく、好きでなくなった理由。それは呆れるほど単純で、「そのミュージシャンが長年付き合っていた彼女と結婚したから」という、よくある話だった。我ながら、若かった。と、私は苦笑する。しかし、先程までの苛々は、何処かに消えてしまっていて、そして、今なら木の根元に辿り着けるような気がして、私は木を見つめていた。しばらくそのまま走っていたが、木の大きさは変わらない。「それもそうか」と私は呟く。それが切っ掛けになったように、急に眠気が襲ってきた。大きく息を吐いた私は、車を止め、目を閉じた。
だんだんだん!
「大丈夫ですか!?ドアを開けてください!聞こえますか!?」
誰かが車の窓を叩く音がする。そんなに叩いたら割れてしまう。そう文句を言おうとして、私ははっとした。人が、いる?声がした方を見ると、サラリーマン風の男性がしかめっ面でこちらを睨んでいた。慌ててドアを開けようとした時、私は、乗っている車がさっきまでと全く違うことに気づいた。その車はオープンカーではなく、軽自動車だった。そればかりか、私が今いるのは見慣れた荒野ではなかった。全く見覚えのない道の交差点に私はいた。状況が飲み込めない私は、飲み込めないなりに男性の言葉を聞き取ろうとした。しかし彼の言葉は異国の言語のように私の意識をすり抜けていく。世界に取り残された私がいま、聞き取れる音は、唯一さっきまでと変化がないもの。大音量で流れる、あの曲だけだった。