前編
唐突に思いついた短編ホラーです
嫌な奴はいるか。そう聞かれ、いいえと答えられる人間はいないはずだ。
少なくとも、園崎 太一はそう考えている。だからこそ、見知らぬ他人の言葉に帰路を急ぐ足を止めたのだ。
「嫌いな人、消したい?」
友達に聞くような軽いノリで聞いてきたのは、派手な少女だった。
黒髪を肩で切りそろえ、横髪に赤と青のメッシュを入れて編み込んでいる。服は胸元から膝上までしかない真白の着物。だというのに、肘から手首までの広がった袖をつけている。一度見れば忘れない少女だ。
太一の怪訝な視線さえも楽しそうに笑い、少女はすっと何かを差し出してきた。真っ黒なスマホだ。電源は入っていない。
「これで、キミの嫌いな人を消せるよ。使い方はわかるでしょ? キミ達の世代では当たり前の物だもの」
「……うさんくせぇ」
「別に、金銭の請求や対価の要望とかはしないよ。いらない? それなら、ボクはこのまま帰って、この話はおしまい。チャンスはもう来ない」
そう言われ、太一は少し考えこむ。消したい奴なんて、何人もいる。上手くいけば、つまらない高校生活を変えることができるかもしれない。
抑え込む手の中で、不敵に口が上がる。ダメなら捨てればいい。好奇心が勝ち、太一はスマホを受け取る。
「忠告は一つ。削除はきちんと、最後まですること。いいね?」
どういう事だと顔を上げる。だが、少女はもういなかった。
「ゴーストデータ……?」
自室で渡されたスマホの電源を入れれば、そのアプリしか入っていない。それを開くと、ポップな絵柄と共に簡単な説明が入った。
【カメラで対象を捉え、タップで選択してください。削除を選び、はいを選べば、その対象は『存在』が削除されます】
こう書かれていた。読み終えると、普通のカメラモードになった。
何とも子供だましだ。少しは期待した自分が馬鹿だった。だが、何故かは諦めきれない。試しに部屋の写真を撮ってみる。
【対象がいません。】
人間が写っていないとダメなのだろうか。だとしたら、最初に試す相手は決まっている。電源を落とし、相手の顔を浮かべてほくそ笑んだ。
翌日。いつもよりも早く学校に登校すれば、すぐに実験対象が太一に近づいてくる。
唐木 亜琉間。札付きの悪であり、教師でさえどうにもできない不良。そして、パシリ軍団に太一を入れ、学校生活を台無しにする相手だ。
「よぉ、園崎ぃ。今日は早ぇな? ちぃっと面貸してくんねぇ?」
「わ、わかった」
鞄を置く暇もなく、引きずる様に近くの空き教室まで連れていかれた。ドアを開けた瞬間、背中に衝撃を受けて正面から倒れた。
「うわっ!」
「ほら、サッサと金出せよ」
倒れた太一など気にもせず、下卑た笑みで見下ろしてくる唐木。上納金だと言って、今までむしられた金額など覚えていない。
背中の痛みも加え、怒りがこみ上げてくる。金など持ってきていない。もはや、貯金は底をついた。どうせ、殴られ蹴られるのだ。あのアプリを試す価値はある。
ポケットに入れていたスマホを取り出し、唐木に構えてすぐに写真を撮る。起動してあったアプリの写真には、唐木の驚いた顔が写り、昨日とは違う文章が出ている。
【対象を選択してください。】
素早く唐木をタップし、削除ボタンを押す。
「おい……何してんだぁ、あ゛?」
太一が大人しく金を出さないからか、青筋を立てて唐木はドスのきいた声を出す。殺される。明らかな怒気に心臓がバクバクする。
【対象一人を削除します。本当に削除しますか?】
一縷の望みをかけ、太一は『はい』を押した。
「てめぇぶっこ」
声を張り上げ拳を振り上げていた唐木が、一瞬で消えた。太一の目の前で、跡形もなく。あまりにも現実味がなく、ポカンと唐木がいた場所を眺める。
ぼーっとしながらアプリを確認すれば、リストという新たな項目ができていた。
恐る恐るそれを見れば、リストに唐木の顔写真とフルネームが通知の様に並んでいた。
ゴクリと唾を飲み込み、ふらつく足取りで教室に戻る。ドアを開ければ、いつもと変わらない朝の風景がそこにはあった。
ただ一つ、唐木の席がない。
それに誰かが違和感を持つことなく、当たり前のように過ごしている。それを見て、ようやく実感がわいた。
このアプリは本物だ。嫌いな奴を消せる。
心から浮かんでくる歓喜が表情に出ないように噛み締め、自分の席に座る。
誰を消そうか。どこまで消せば、快適な人生になるか。楽しみで仕方ない。
少女からスマホを貰って早一か月。太一はアプリを使いまくった。自分を嫌う同級生、ガミガミうるさい教師、近所の雷親父。
削除対象は使うごとに広がっていた。視界に入るだけで嫌なくたびれたサラリーマン、不潔なホームレス、気持ち悪いおばさん。
「気持ちは嬉しいですけど……ごめんなさい。私、彼氏がいるんです」
告白を断り、好意を踏みにじったクラスのアイドル。
「ねーザッキー! ジュースおごってよーギャハハ!」
召使扱いしようとしたギャル集団。
「お兄ちゃん? どうかしたの?」
そして、親の関心を奪い取った弟。
太一は過去最高に楽しい生活を送っていた。学校に行けば、仲のいい友人たちを戯れ、おもしろい教師の授業を受け、家に帰れば親が自分に愛情を注いでくれる。
毎日が幸せだ。この生活をくれたスマホは、いつでも充電をして使える様にしている。もはや、これなしでは生活できない状態だ。
かつてとは違い、上機嫌で帰るいつもの道。ふと、太一は気が付いた。忘れられない、あの派手な少女が立っている。
少女の方も気が付いたようで、気さくな笑みと共に話しかけてきた。
「やあ、久しぶり」
「か、返さねぇぞ!」
咄嗟にスマホの入ったカバンを隠し、叫ぶ。スマホを回収しに来たと、瞬時に考えた行動だ。だが、少女は違うと首を横に振ると、表情を消した。真顔で見つめてくる少女に、背筋がぞくりと震える。
「キミ、忠告を無視したね。残念だよ」
それだけ告げると、少女は一瞬でいなくなった。慌てて周りを見るが、影も形もない。削除対象の様に、一瞬で消えてしまった。
不思議な少女だ。だが、このスマホの持ち主だと考えると納得はできる。
しかし、忠告を無視とはどういうことだろうか。
太一は首をひねる。削除はしっかりしているはずだ。分からない事を考えても仕方ない。とっとと帰るに限る。今日、両親ともに仕事でいない。就寝まで、自分の好きなことができるのだ。何をするか、胸を膨らませながら家路を急いだ。