第40話.顛末
第40話.顛末
吾妻と吉野。
二人の同期に支えられて野営地に戻った。
そこから先はどうにも意識があいまいで、霞の中の出来事として記憶している。
結局、負傷者がいるので合流後すぐに下山となった。幸いなことに天候が回復していたので、下山は非常にスムーズに進める事が出来た。
その甲斐もあってか、死亡者はいなかった。
一時期あれだけの悪天候に見舞われながらも、死者が出なかったのは本当に幸運であったと言えるだろう。
今回の五十名からなる遭難事故は維新後史上、最悪のものとなった。しかし、この事故を知る者は学校関係者と軍の一部高官に限られる。
上層部から緘口令が敷かれたのだ。
それは北部方面総合学校の成り立ちから考えて、守秘すべき事柄であるというのもあるが、現在日本ルシアとの緊張が高まっている事も大きな要因である。
雪中行軍を行った事、さらにその内容に問題が発生した事は、ルシア帝国に知られると我が国に不利益となる。そう判断した結果である。
しかし、それは事故の事実が闇に葬られたという事ではない。
陸軍では、今回の顛末の報告書や聞き取り調査によって情報が集められ、冬季装備の一新が決定した。
私達の行った事は無駄では無かったのだ。
またこれは計画段階であるが、来年度も北部方面総合学校の第二学年は雪山合宿を行うそうだ。
今回の失敗を教訓に「周到な準備をして挑む」ということだが。それは後輩たちが頑張るのだろう。
……
それから二ヶ月が過ぎた。
私達一期生には、第二学年の三月。第三学年を目の前にして最後の山場があった。
私は赤石校長から事務所に呼び出された。
校長が紫煙をくゆらせながら、いつもの調子で口を開いた。
「穂高くん、ゆっくり話をするのは久し振りだね。凍傷の方はすっかり良いのかね」
「はい、おかげさまで。病院での処置が良かったようです」
「うん。それは良かった」
そう言って、彼は革のソファにもたれかかった。ぎゅうと音を立てながら、体が沈んでいく。
そうだ。
私は五体満足に回復することができた。「私」は。
低温による凍傷が重度になると、組織が壊死してしまい元に戻らなくなることがある。そうなると患部を切断せざるを得なくなる。
今回の事故で、高尾教諭は右腕と顔の皮膚の一部を失った。
生徒の中には指を切断する羽目になった者もいる。中でも霧島は、右手の人差し指を含む三本を切断した。
これが困った。人差し指が無いと小銃を扱えない、このまま在学できるのかという懸念があったのだ。
しかし校長および教諭達の計らいで、彼は射撃教練を免除。そして第三学年から輜重兵科を専修することとなった。
北部方面総合学校の学生からは不人気な兵科であるが、退学になる事を思えばかなり良い待遇だ。
ここでは第三学年から専修兵科が別れる事となる。
同じ釜の飯を食うのは今までと変わらないのだが、授業内容が専門性を帯びたものを取り扱うようになるのだ。
それに伴って、卒業後の原隊が内定する。
北部雑居地には陸軍は存在しない事になっているから、内地の聯隊に任官となる。
そして今、校長に呼び出されているのは、その兵科を決定する時が来たからだ。
「穂高くんは、歩兵科希望だったね」
「はい」
歩兵、騎兵、砲兵、工兵、輜重兵。
北部方面総合学校の学生は、この五つの兵科が振り分けられる事になっている。
事前の話では、希望兵科通りになるとは限らないという事であった。
定員は決まっているのに、人気にムラがあるからだ。
歩兵・騎兵は花形で人気が高く希望者が殺到しており、物理数学の得意なものは砲兵を選択するものが多い。
しかし工兵や輜重兵は裏方のイメージがあるからか、希望者は殆ど居ない。
かくいう私も、歩兵科を希望している。自衛隊でいうところの普通科である。
校長は、勿体振るような立ち居振る舞いで、ゆっくりと書類を確認して言った。
「希望通りだよ。君は歩兵科に決定だ」
「ありがとうございます」
「うん。頑張りたまえよ」
ほっと胸をなでおろした、希望が通ったらしい。小さな紙の音を立てて、机の上に書類が置かれた。
「そういえば、君はルシヤ語が達者だそうだね」
「はい。日常会話程度ならば仔細なくできます」
「そうか」
言いながら、校長は新しい紙タバコを取り出すとマッチで火を付けた。一つ煙をふかしてから続ける。
「実は、露助と一戦あるかもしれん」
「と、言いますと?」
「極東シベリア艦隊が動いた」
「ルシヤ帝国の軍艦ですね。一体何処へ?」
「どこへ行くのかはわからんし、何をしようとしているのかも不明だ。位置は掴めていないらしい」
ぞっとした。
日本近海でルシヤ帝国の軍艦が出港して、消えた。これが何を意味するのか?明日にでも北部雑居地に現れるかも知れないし、東京湾に現れるかもしれない。
例えるならば、刃物を持った男が近所で家を出た後に消息不明と言ったところか。
これは脅威以外の何でもない。
「看過できない問題ですね」
「全くだ。しかし有事の際にはルシヤ語ができる者が必要になって来るゆえ、想定はしていてくれたまえ」
「わかりました。覚悟しておきます」
そう言って事務所を出た。
しかし想定しろとは、何を想定しろと言うのか。全くろくなイメージは出来ないが。
「まぁ、歩兵科が通って良かったな」
とにかく今は目先の幸運を喜ぼう、そう思ったのだった。




